薄井ゆうじの森
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■ドードー鳥の飼育 <5> 戻る

 僕にはドードー鳥が見えない。そのことをみんなが知れば僕は職を失うだろうし、入園者たちはがっかりするだろう。だからナオミにも最近は、鳥が見えるふりをすることにしていた。
 新しい疑問が起きた。ドードー鳥は鳴くのだろうか。もしかしたら、その鳴き声さえも僕の耳には聞こえていないのではないだろうか。もし鳴くとしたら、それはどんな声なのだろう。そういう質問をナオミに、まともにぶつけるわけにはいかない。僕は、こう言ってみた。
「ドードー鳥って、かわいい声だね」
「うん、太くて堂々としてるわ」
 やはり鳴くのだ。堂々、と。
 僕は見えない姿を見、聞こえない声を聞きながら、毎日ドードー鳥の飼育をつづけた。気のせいだろうか、時折、ずんぐりした大きな鳥が前を横切ったような気がして仕事の手を休めることがある。だがそこには何もなく、数枚の羽毛が落ちているだけだった。
 でも、ドードー鳥はここにいる。僕はそのことに確信を持っている。掃き清めた砂の表面をじっと見ていると、ほんのたまにだが、何もなかった砂の表面が見ている目の前でわずかに小さく凹むことがある。近寄ってみると、それは足跡だった。たぶん、ドードー鳥が横切っていったのだ。鳥は、このなかを歩きまわっているに違いなかった。
 見学者たちが帰ってしまって誰もいない夕方、僕はケージのなかで両腕を大きく振り回したり、振り向きざま空中を抱きかかえたりしてみた。何度かそうやっているうちにドードー鳥に触れることができるかもしれないと思ったからだ。だが指先は空をかすめるだけで、見えない何かに触れる気配は、まるでなかった。
「何をしてるの」その様子をナオミに見られてしまった。「走りながら両手を広げたり閉じたり、片腕を水平にワイパーみたいに動かしながら歩いたり……」
「体操をしてただけだよ」
「ねえイチハシくん。あなたもしかしてドードー鳥が見えないんじゃないの?」
「そんなはず、ないじゃないか」
 僕は鳥の動きを追っているみたいに視線を移動させてみせた。ナオミの視線を素早く感知して、それに合わせて視線を動かせばドードー鳥を見ているみたいになる。そういう訓練を無意識につづけてきたせいか、いまでは『ドードー鳥を見ている僕』を演じることが無理なくできるようになった。そのコツを利用して、見学者に鳥の説明をすることもある。
「あそこにいるのがドードー鳥です。いま脚を掻いています、可愛いですねえ」
 などという具合に。人びとの視線の動きや小声でささやき合う声を敏感にキャッチすれば、それくらいのことは、なんとかできるのだ。
「そうよねえ。見えないはずは、ないわよねえ」とナオミは言った。「でもわたし、ときどき不安になるの。あなたにはドードー鳥が見えていないんじゃないかって。どうしてそう思うのかなあ」
 彼女はこのごろ僕を、あなたと呼ぶ。何度かいっしょに食事をして、気軽な付き合いをするようになったせいだろう。
「僕はドードー鳥を、目の網膜ではなくて、心の網膜で見るようにしてるんだ」
 そう説明した。微妙な言い方だが、それが嘘をつかずにいまの僕の状態を正確に表現する最善の方法だった。
「心でかあ……。やっぱり飼育係に抜擢されただけのことはあるのねえ。わたしなんか目で見て、可愛いとか、きれいとかしか感じないもの。ドードー鳥はそうやって、心で観賞するほうが正しいのかもしれないわね」
「最近思うんだけど、どこかにメスのドードー鳥がいないかな。ここのはオスだから、つがいにして卵を産ませてみたらどうかと思って」
「え?」彼女は、まんまるい目を見開いて僕を見た。「いま何て言ったの。ドードー鳥は絶滅した鳥よ。それを繁殖させようなんて、本気で思ってるの?」
「できると思うんだけど」
「不可能よ。叶わない夢なんて持たないことね」ナオミは笑いながら両手をひろげると、「どーどー、どーどー」と、鳥の鳴き真似をしてみせた。

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