第二部:リメリック〜ゴールウェイ、バス旅行

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■怪しいトリックスターおじさんと別れてから、20分ほどで列車はコークの駅に着きました。走っている途中で車窓が時々雨に濡れていましたが、コーク周辺も雨上がりのようで、道路も駅舎も濡れています。駅構内に古い蒸気機関車が飾ってあり、大荷物を抱えたツーリストたちがベンチに休んでいます。私たちはダブリンの例に倣い、まず駅のツーリスト・インフォメーションに行ってシティ・マップを貰ってきました。ところがこれがやたらにイラストが多く、日本人の私たちには知りたい情報がさっぱり読み取れません。これも愛嬌だと思いながら、分からない地図を頼りに駅舎を出ます。ダブリンよりも開放的な南国の街、というコークですが、道のゴミは余計に目立ちます。ファーストフードの空き袋や空き箱が散乱し、道の端にはタバコの吸殻が列を成しています。街の片隅にはホームレスが寝ています。どうも開放的なのはいい効果ばかりを産んでいるわけではなさそうです。

 コーク駅構内の蒸気機関車

●駅前の坂を下って複雑な五差路の一本を選び、500メートルほど行くと目的のメトロポール・ホテルがあるはずでした。しかしそこには別の会社の名前が書かれてあり、どうも違っているようです。私たちはその横の小道を入ってみました。しかし崩れかけたようなビルがあるだけで、小道にもそれらしいホテルはありません。再度大通りに戻って先に進むと、同じ建物の中央部にホテルの入り口がありました。赤レンガ作りのお城のような、いかめしい建物です。ロビーもシックで落ち着いた高級な雰囲気でした。ちょっと気圧されてしまいそうでしたが、フロントにいたのが細面に眼鏡をかけた優しそうな青年だったので「ハロー」と声をかけてチェックインする事が出来ました。

メトロポール・ホテル

メトロポール・ホテルの部屋はちょっと狭くて12畳くらい、テーブルに椅子が一つしかありません。しかし街の真中ですから文句は言えません。窓の下を見ると大通りで、真向かいのレストランや斜向かいのスーパーにはたくさんの人たちが出入りしています。その通りの向こう側は丘になっていて、民家が階段状に重なっています。時間を見るとまだ3時前です。私たちは荷物を置くと、散歩兼買い出しに出かけました。

■コークの町はリー川の中洲を中心に出来た街で、川岸の斜面に家が並ぶ、長崎を思い出させる町並みです。大通りを1ブロック西に進み、セント・パトリック橋を渡って中洲に入りました。そこをまっすぐ進むと繁華街のセント・パトリック通りですが、また1ブロック西に進んでポール通りに入りました。ここにある「クロフォード美術館」に行くためです。美術館は木造のシックな建物で、ちょっと荒れた感じがしました。入場料無料、というのがちょっと気になります。(嬉しいんだけど)中に入ると、やっぱり荒れています。壁紙がはがれ、廊下の床板はワックスをかけた跡もなく、白茶けています。壁にある作品は玉石混交というところで、アイルランド独立運動の中から生まれたらしい戦士や女性像を描いた作品には見るものがありました。しかし学生作品レベルのものもあり、全体の管理の不充分さもあって「美術館」というにはおこがましい所があります。最も大きなスペースを取っていた部屋には現代実験アートが展示してあり、次の展示会も準備中でした。どうもこの美術館は現代アート中心の価値観を持っているようでした。私は現代アート偏見派なので、非常に面白くなかったのです。最も噴飯物は1階の彫刻室で、明白なレプリカの「ラオコーン」やアポロン像が近・現代のオリジナル作品と無秩序に同居しているのです。この彫刻たちがこの美術館のあり方を象徴していました。

■美術館を出て、ロータリーから聖パトリック通りへ抜けました。ここはすごい人出でした。どこかでアコーディオンの音がするので、広い通りを横切って反対側に来ると、二台のアコーディオンと一台のバイオリンのトルコ系らしいトリオが演奏していました。しばらく聞いていてかみさんが硬貨を放り、それからまた散歩を続けます。

ストリート・ミュージシャン

■リー川沿いのマーチャンツ・キー商店街に入り、ぶらぶらと酒屋を探しますがありません。アイルランドは20年代のシカゴと同じ、禁酒法の国なのか?と思ってしまいます。(その割にはみんな昼間っから飲んでるけど)この日もかろうじてワインを一本仕入れました。それと夜食用に米の入ったサラダの盛り合わせと、ご飯の替わりのカップ麺を一つ買いました。すると頃合もよくなったのでホテルに近いパブに入り、ビールを飲みました。かみさんはギネスで私はアイリッシュ・ウィスキー(ブッシュミルズ?)のオン・ザ・ロックです。飲み終えて、若くて鋭い目つきをしたバーテンに「ウィスキーをボトルで売ってくれ」と言ったら、「それは出来ない」と断られました。そして表に私たちを導き、西の丘を指差して早口で何事か説明するのです。どうやら「教会の方にウィスキーを売る店がある」と言っているようでした。

 

       左:若いバーテンに注文する  右:コークで初めてのギネス

■私たちは彼に礼を言って西に向かいました。いくつかの通りを横切り、坂を登っていくと風見鶏の代わりに鮭が付いているので有名なシャンドン教会が近付いてきました。その側に地元の産業会館があり、ちょうど休業していました。ひょっとするとこの中に酒屋があったのかもしれないな、とは思うものの休業では仕方がありません。教会の中庭で記念撮影して帰りますが、坂道を登って来る時に酔いがまわって、なんだか気持ちよくなってしまいました。この日はサラダ(生米を油に漬けたような珍品)とカップ麺(ぼそぼそで紙みたいだった)を肴に買ってきたワイン「メンドーサ・ピークス(アルゼンチン・赤)」を飲んでさっさと寝てしまいました。

貧しい?夕食メニュー

四日目(8/26)

■26日朝、寝たのが早かったので6時前に目がさめました。かみさんも起きてきたけど、朝食にはまだ早いので散歩に行くことにしました。夏時間のせいで5時ではまだ暗いのですが、6時だとだいぶ明るくなってきます。でも川の方から来る霧のために、街は薄ぼんやりと霞んでいます。私たちはホテルの玄関を掃除している人に軽く会釈して通りに出ました。ゴシック調の教会のある東の坂へ登っていきます。すると途中に丘へ登るわき道がありました。

 細い道を登る

かなり急な石段を登っていくと、丘の上の住宅街へ出ました。南玄関の住宅は例外なく花壇を設けていて、日当たりがいいからでしょう、どこも綺麗な花が咲いています。反対側には柵があって、そこに立つとコーク市街が一望できます。でも、その時は朝霧に霞んでよく見えませんでした。

コークを見下ろす

しばらく行くと猫がいました。呼ぶとmyawooと英語で鳴いて(?)擦り寄ってきました。うちに残してきた猫たちが思い出されます。

猫はどこでも同じ?

その聖パトリック・ヒルを降りてホテルに帰ると7時になりました。ここもフロントの奥がレストランです。川に面して大きな窓があるため、明るい部屋です。私たちは窓側に案内されました。テーブルには番号がふってあるのですが、それが一つ置き一文字だけなのでほんとにそのテーブルでいいのか迷います。しかし居直って座ってしまいます。ここでは完全なバイキング方式で、コーンフレーク・パン・ジュースの他、卵・ベーコン・ハンバーグ(もどき)・ボイルドトマトなどを自分で皿に盛って自席に運びます。相変わらずショッパイのですが、パンに挟んで食べるとけっこういけます。

レストランから運河が見える

私たちがいざ食べようとした時、スタッフの女性が飛んできました。

ルームナンバー402のお客様ですか?」彼女は聞きます。「ハイ」と応えると、彼女は「ルームサービスがどうのこうの」と咎めるような口調で言ってきます。しばらく訳が分からなかったのですが、夕べ書いたドア・カードのことだと気がつきました。通常はホテルのドアノブにDON'T DISTURB CREENUP ROOM のどちらかの面を向けたカードを下げておくのですが、このメトロポール・ホテルには奇妙なカードが混じっていました。今まで見たことがないカードです。「朝食メニュー」と書いてあり、「コーヒー・紅茶・ミルク・おかゆ……」と簡単なチェック表があります。私は「これを書かないと朝食にありつけないのかな?」と思い、適当にチェックしてドアノブに下げておいたのです。「確かに書いたけど、あれがどういう意味なのか、よく分からなかったんだよ」と言うと、女性スタッフは「ルームサービス!」と叫びます。私はそこでやっと彼女の言う意味を理解しました。かみさんも「あ!」と叫び、「ミステーク」とスタッフに告げました。あのカードは早朝に出かける客のために、あるいはレストランへ来るのが嫌な客に、部屋まで朝食を届けるためのメニューだったのです。道理でなんだか古くて薄汚れていたはずです。スタッフはこっちの責任がはっきりしたのでさっさと引き上げ、私たちは、やったことはしょうがないので悠然と朝食を済ませ、部屋に戻ってみると確かにドアの前に大きな四角のお盆があって、コーンフレークやミルクやおかゆが置いてありました。「もったいないよね」「そうだね」と二人で顔を見合わせます。結局、「あとで食べるので、持って行かないで」(PLEASE DON'T TAKE IT OUT. WE WILL TAKE IT AT EVENING.)と書いたナプキンを被せ、テーブルの上に置いておくことにしました。あらためてカードを見ても、どこにも「ルーム・サービス」という言葉はありませんでした。今回の旅で最も恥ずかしい失敗でした。

午前9時頃、コーク近郊のブラーニーにある「城」に行くためにバス・センターに向かいました。コークのバス・センターは駅から少し離れた所にあります。ホテルからは聖パトリック橋とは反対の東へ1ブロック歩き、ブライアンボール橋を渡るとすぐそこです。ここにも沢山のツーリストたちが集まっています。ひっきりなしに長距離バスが停まり、あるいは降り、あるいは乗り、さらに乗り換えのためにインフォメーション・センターに顔を覗かせます。私たちは前日に確かめておいたので、1番乗り場でブラーニー行きのバスを待ちます。後方には明日乗るはずのリムリック行きバスも待機しています。やがてバスはやってきました。でも、ブラーニー行きではありません。バスのヘッドには別の名前が書いてあります。しかし、運転手はおもむろに横長の紙を取り出し、サイドドアのガラスに貼り出しました。そこには BLARNEY と書いてあります。運転手はドアを開け、大声で「ブラーニー!」と叫びました。私たちはさっそく往復切符を運転手から買い求め、そのバスに乗り込みました。バスはほぼ満席になるまでそこに待機し、時間をかなりオーバーして出発しました。リー川沿いのマーチャント・キーをしばらく走り、クリスティ橋を渡ると、昨日私たちが歩いたシャンドン通りを走って郊外へ出ました。国道へ出てしばらく走ると、風景がガラリと変わりました。豊かな田園地帯が広がっています。そう思うか思わないかという時にバスはさっさと脇道に入りました。そして運転手がまたも「ブラーニー・キャッスル!」と叫びます。もう着いたの?という感じです。実質走った時間は10分くらいでしょうか。

●ブラーニー城の入り口は売店を兼ねた小さな小屋のような建物です。そこで入場料4ポンドを払い、ゲートをくぐります。中は沢山の木々が茂り、緑の芝生が広がっています。少し進むと川が見えます。広くゆったりした、水遊びの出来そうな綺麗な川です。そこにかかる木橋を渡って先に進みます。木陰と芝生と水の流れがすばらしく調和しています。川が右手から大きくカーブして左へ芝生の原を横切っていて、その向こうにブラーニー城が見えました。所々苔むし、今にも崩れそうな巨大な石の城が眼前にそびえています。脇を固めるように円塔が二本、絶妙のバランスで立っています。中世のお伽噺に出てくるお城そのものがそこにありました。「わー」「へー」私たちは歓声を上げます。もう記念撮影するしかありません。お互いを写し、近くにいたイギリス人らしい老夫婦とお互いのカップルを撮り合ってフィルムを消費します。この城を見て、やっと古(いにしえ)のエールの国へ来た実感が沸きました。

ブラーニー城 

中世そのままの石の城、周りはなだらかな牧草地、時間がとまったような景色です。城の中は足場が整備されていて、子どもにも登る事が出来ます。ビルにすると5〜6階の高さに過ぎませんが、岩山の上にあるため10階建てくらいの高さに感じます。遠く緑の丘や森を眺めると領主の特権的な立場と、その優越感が偲ばれます。「この見える範囲の森や牧場、村村のすべてが私のものだ」と日々確かめて楽しんだのでしょうね。

 

左:混雑する塔屋    右:塔屋からの眺め

城の塔屋はけっこう混雑するので私は早々に降りてきてしまいました。降りる階段は直径1メートルくらいしかない螺旋状の石段で、人の頭を蹴飛ばさないかとちょっと怖かったです。かみさんはなかなか降りてきません。降りて来るまで日陰の芝生で寝転んでいました。涼しい風が心地よかったです。ファウスト博士のように『時間よ停まれ、お前は美しい』と言いたい気分でした。

■かみさんが降りて来たので、昼食を採ることにしました。ダブリンからこちら、パブで昼間にビールを飲み、軽食をとって早めに寝る、ということを繰り返していたので、料理というとホテルの「アイリッシュ・ブレックファースト」しか食べない有様です。でも、今日はレストランでまともな食事をしようと思いました。まずはブラーニーの村を一回りします。城のゲートから公園の芝生を横断し、教会の横を通り、丘の上の家の間を抜けます。ここには放し飼いの犬たちがそこここで戯れています。コーギー系の犬らしく、みんな足が短いのが特徴のようです。

 

     左:ブラーニー教会       右:塀から頭を出した犬

●村を半周したところでパブを見つけましたが、料理がサンドイッチしかなさそうなのでやめました。村営のスポーツセンターがあったので、そこに入るとレストランがありましたが、ちょっと会員制みたいなよそ行きの雰囲気だったのでこっちもやめました。結局、公園の側にあった小さなレストランに入ることにしました。ここも他に客がいないのでちょっと心配ではあります。ドアをくぐると娘さんが「どういうご用でしょうか?」と聞いてきます。お客が珍しいのかな、と思ってしまいます。それとも道を聞く人が多いのかもしれません。「ランチを貰いたいんだけど」と言うと、やっとニッコリして「もちろん、ご用意します」と応えてくれました。

最初に「ビールはない?」と聞くと、「アルコール類はおいていません」との返事。がっくし。気を取り直してメニューを開きます。よく分からないながらも「シーフードのクラムチャウダー」「フィッシュ&チップス」「ミルズ・ツナ」の三点を注文しました。これが待てど暮らせど出てきません。その間に空がさっと掻き曇り、パラパラと雨が落ちてきました。窓の外の公園の子供たちも木陰に避難しています。30分してコーヒーとパン、それから20分してクラムチャウダーが出ました。アサリや鮭の入ったこのスープを替わりばんこにすすり、腹が減って我慢できないのでパンをみんな食べてしまうと、そこにようやく残りの二つの料理が来ました。これがびっくりするほど大きかったのです。「フィッシュ&チップス」は、タラの仲間の魚のフライがまず出てきました。これが12センチ*20センチくらいあるのです。大きすぎて、とてもポテトチップスまで食べられませんので、断ってしまいました。「ミルズ・ツナ」も、ハンバーグみたいに大きな揚げ物です。味見だけして、あとは持ちかえりにしました。ナプキンに包もうとしていると、娘さんがアルミの容器を持ってきてくれました。ランチ代は15ポンドくらいでした。

左がミルズ・ツナ、右がフィッシュ&チップスの魚

■村のスーパーは土産物屋を兼ねた大きな店で、そこでやっとアイリッシュ・ウィスキーのボトルを買う事が出来ました。店員のお姉さんに「アイリッシュ・ウィスキーを」と言うと、後ろの棚から3本のボトルを出して「どれにします?」と聞くので「WHICH DO YOU RECOMMEND ? 」と聞き返すと「PUDDY」を指差したのでそれを買いました。透明ボトルがバーボンみたいで、ちょっと神秘性には欠けましたが、確かに女性好みの丸く甘い酒でした。スーパーの前のバス停で30分ほど時間待ちし、その間に近所の親子が騒いでいるのを観察したり、入れ替わり立ち代り出入りする団体バスを眺めていました。この日は暗くなる前にウィスキーで酔っ払ってしまい、早々とダウンしてしまいました。

前々夜(25日)、コークからインターネットへの接続を試しました。ダブリンへの市外電話は繋がるのですが、プロバイダが認識してくれません。十数回かけてみましたが、結局駄目でした。やむなく日本へ国際電話をかけましたが、これも繋がりません。疲れ果てて、ホテルのフロントに「インターネットに繋ぎたいんだけど、回線が駄目らしい」と泣き付いて、何やら操作してもらい「次は大丈夫です」といわれたのに、それでも繋がりません。この夜はGIVE UPです。前夜(26日)、昼間にかみさんがロンドンに電話するのを見ていて、ようやく「相手国の市外番号のゼロはいらない」ということを発見しました。それで日本への国際電話がようやく繋がったのでした。コークから通信に成功したのはこの一回だけですが、請求された電話代は70ポンドを越えていました。一万数千円です。参りました。

五日目(8/27)

■27日、午前9時過ぎにメトロポール・ホテルをチェックアウトしました。この日はバスを使って北上し、アイルランド第4の都市・リムリックを尋ね、さらに北のゴールウェイを目指します。リュックを背負ってバス・センターにやってきました。通りの隅で寝ていたホームレスの老人もどこかへご出勤らしく、バス・センターの前を歩いていきました。リムリック―ゴールウェイ行きのバスは一番線後方からの出発で、もうすでにスタンバイしています。私たちは運転手からリムリック行きの片道チケットを買います。チケットは縦長の厚摸造紙で、ゲ―ル語と英語でびっしり注意書きが書いてあります。でも、肝心の行き先や値段などはインクがかすれて読めません。誰もチェックしないので、これでもかまわないのでしょう。私たちは揺れの少ないバスの中ほどに隣りあった席に離れて座ります。満席ではないのでゆったり座りたいのです。それでも続々乗りこむツーリストで座席は半分ほど埋まりました。

 長距離バスの旅

■バスはコークを1020分に出発しました。昨日、ブラーニーへ行った時と同じコースを通って国道に出ます。それからほとんど信号も渋滞もない道を淡々と走ります。人口密度の関係から、都市以外はあまり車は走っていないようです。時折現れる大きな耕運機が道をふさいでいることもありますが、バスは慌てることなく、ゆっくりと追い越していきます。リムリックまでに停車場は三つほどで、どれも小奇麗な町の中にありました。その他はなだらかな緑の丘陵地に牛や馬や羊が草を食み、ポプラや白樺の森や並木が続きます。広い空に羊雲がゆっくりと流れて行きます。北海道の上富良野から美瑛にかけての景色に似た風景が延々と続きます。美しく、少しも見飽きることがありません。これをビデオに撮って売りたいものだと思いました。しかし天気は次第に荒れて来ました。車窓を雨が濡らします。ある停車場では、大きなハイ・クロスとマリア像が雨に濡れていて、物寂しくも美しい風景を作っていました。

■およそ2時間でリムリックに着きました。ここも駅と隣り合わせにバス・センターがあります。時間はお昼過ぎ。観光して、食事する時間は2時間ほどしかありません。私たちは駅の構内に入り、かみさんは身支度、私は二つのリュックを荷物預かり所に預けます。「アイルランドでの必需品」と言われて持ってきた折り畳み傘ですが、役に立ったのはこのリムリックだけでした。

 聖ジョン大聖堂

天気は荒れ模様、5分ごとに激しい雨がやってきます。私たちは傘をさしてぶらぶらと歩いて行きます。美しいが小さな町なので徒歩でも充分回れそうです。駅前のパーネル通りに立って方角を確かめますが、どうもよくわかりません。直進してシャノン川に出るという手もあったのですが、「聖ジョン大聖堂」から「聖ジョン王病院」(の中の城壁跡)、「ジョン王の城」へと周るコースが本命だと思い、パーネル通りを北上することにしました。少し歩いて二股の道を右へ下り、ジョン・スクエアを通ります。もう目の前に大聖堂がそびえています。かみさんが「入ってみようよ」と言います。しかし私は腰が引けてしまいます。他の欧米諸国では宗教の形骸化とともに教会も観光名所として見物の対象ですが、ここアイルランドではカトリック信仰がまだ生きているのです。日曜の今日、この教会に集まっているのも近所の信心深い善男善女であり、キリスト教に対する敬意などろくにない異国の旅人が土足で入りこむ場所ではありません。そうは思いつつも、素晴らしいステンドグラスを拝めるチャンスを逃すのは惜しいのです。びくびくしながら中へ入ります。広い講堂にいっぱいの人。淡々としたお説教の声が天井に響いています。祭壇の上には原色まばゆいステンドグラスが……私はカメラのフラッシュを無効にして数回シャッターを押しました。そしてとっとと外へ逃げ出します。しかしかみさんはなかなか出てきません。外は激しい雨。その中を正装した男女が次々とやって来ます。彼らは雨水が溜まっていると思っていた玄関の脇の泉水に指をつけ、それを額に押して教会の中へ入ります。これはいわゆる聖水というやつでしょう。そんな風習も初めて見たのです。

教会内部

かみさんがやっと出てきたので先に進みます。セント・ジョン病院に残る旧城壁跡を覗きます。しかしここには何の標識もないため、どれがそれなのか分かりません。駐車場の入り口の左側に古いアーチがあり、これではないかと写真を撮り、ついでにしばらく雨宿りします。

アーチの下で雨宿り

雨が小止みになったところでさらにジョン王の城へ向かいました。下り坂を終えると橋があり、それを越えると工事中です。ぬかるみを避けて進み、石畳の道を過ぎると城壁が見えました。シャノン川も見えます。雨が止んで空に青空の点点が現れます。

 

キング・ジョンの城とシャノン川

王城へ入ろうとして、その手前にいいものを見つけました。「CASTLE LANE TAVERN 」というパブです。「お城の小道の居酒屋」というわけです。時間もちょうどいいので、ここで昼食をとることにしました。

キャッスル・パブ

入ってみるとけっこう盛況なようです。バーテンにはショートカットのきれいな女性、調理師にはキュートな黒髪の少女がついています。私はまずやはりギネス、それにもう一種のスタウトを頼みました。料理はサーモンフライと温野菜を私がまず頼み、後からかみさんがローストビーフとニンジンサラダを頼みました。温野菜は各種の野菜を塩コショウで煮たものですが、これが意外とおいしいのでした。このランチにはけっこう満足しました。隣の老夫婦の客がかみさんに話し掛け、かみさんはそれに応えています。浮浪者のような老人が入ってきたかと思うと、バーテンの女性がテーブルに彼を導き、飲み物を持ってきました。顔なじみのようです。なんだかドラマを見ているような店なのです。

 

左:金髪と黒髪のバーテン 右:温野菜とサーモン

食事のあとはジョン王の城を通りすぎ、(なんだかモダンな博物館に模様替えしていました)シャノン川にかかるTHORMOND 橋を渡り、向こう岸に来ました。こちらには名高い「条約の石」があります。17世紀末の「ボイン川の戦い」でウィリアム三世がアイルランド軍と和平を結んだ「リムリック条約」のシンボルがこの石ですが、イギリス軍はこれを裏切って再度アイルランドに攻め込みます。その結果、石は「背信のシンボル」となったそうです。

トリティ・ストーン

シャノン川には白鳥が数羽浮かんでいます。このシャノン川はアイルランドを南北に縦断する大河です。数々の歴史のエピソードを秘めて、ここから海峡へと注いでいく川。今、そこに雨の後の泥水がゴウゴウと音を立てて落ち込んでいます。また降り出した雨の中、傘をさしてその流れを見ているのも感慨があります。

 シャノン川の白鳥たち

ふと時計を見ると、針はバスの発車時刻の10分前を指していました。かみさんを促し、急いでバス・センターへ戻ります。サーフィールド橋を渡って町の中心街を横断し、コルバート駅のバス停に着いた時はもうバス出発の定刻を過ぎようとしていました。私は運転手に「しばらく待ってくれ、荷物を取ってくるから」と頼みます。運転手は「あと3分!」と冷たく言い放ちます。すばやくトイレに駆け込み、預けた荷物を引き出します。なんとか3分で間に合いましたが、それよりさらに5分後、ゆうゆうと乗ってきたオッサンもいたのです。

■リムリックをあわただしく旅だって、バス路線でゴールウェイに向かいます。車窓を流れる風景はほとんど変わらないのですが、一つだけ違いがあって、それがけっこう雰囲気を変えています。コークからリムリックまでは牧草地の「仕切り」が木立や茂み、木の柵や金網のフェンスでした。それが石積の壁になるのです。きちんとレンガのように積んだ、あるいはほとんんど無造作に積み上げた石の壁。広い牧場を囲うにはかなりの量の石が必要なわけで、それを考えるとちょっと迫力のある眺めに見えます。遠く広がる牧場に、どこまでも続く石の壁はなんだか万里の長城を思い出させます。

 車窓から見えるゴールウェイ湾

バスを降りてさらに道を下り、公園の中を通ってショッピング・エリアへ向かいます。その一角に目指すホテルがあるはずです。公園の名前はケネディ公園というのですが、その周りにはツーリストの青年男女や、子どもたちが沢山集まっています。ゴールウェイは若者の街、という印象が強かったです。公園の芝生は途中から登り坂になり、そこを登りきるとショッピング・エリアです。ゆるい三角状のロータリーになっていて、駅からは5分ほどの距離です。

私たちは「インペリアル・ホテル」というそのホテルを探しました。しかし見つかりません。エリアの裏側に回っても見つからないので、大通りを先へ進みます。「こんなはずじゃないのになあ……」私が上を見ながらつぶやいていると、かみさんが道の向こうで青年に声をかけていました。近づいてみると、それは青年ではなく、ショートカットに黒いスーツを着た初老の女性でした。「今、この道ですよね」と地図を出すと、女性は「ノーノー、私は今眼鏡がないから見えない」と首を振ります。年齢は不詳ですが、銀髪碧眼でしゃっきりした素敵な女性です。「あなたたちは、どこを探しているの?」彼女が聞くので「インペリアル・ホテル」と応えると、「オーケイ、ついていらっしゃい」と先に立って歩いて行きます。「このへんじゃ、これが必需品なのよ」彼女は自分の折り畳み傘を見せながら言います。「あなたたちは雨に会わなかった?」「会いましたよ、リムリックで」「オー、リムリック!」そう言いながら彼女はショッピング・エリアの裏手に進み、とあるデパートの中に入りました。「これが近道なんだよね」と言いながら階段を上がり、衣料品と買い物客がひしめく中をずんずん進みます。(後から考えるとそれはちっとも近道ではなかったのですが)そして階段を降り、ショッピング・エリアの中に来て私たちがさっきうろうろしていた場所を指差し、「ここがインペリアル・ホテル!」と言ったのです。よく見ると、銀行とパブにはさまれた一間くらいのスペースに入り口があって、その上に金文字でIMPERIAL HOTEL の文字がありました。立派な名前なので私たちはメトロポール・ホテル以上の大ホテルだろうと思って上ばっかり見て探していたのです。とんでもない間違いでした。「サンキュー・ソーマッチ」「どういたしまして」女性は手を振って駅のほうへ颯爽と歩いていきました。

ホテルの中に入り、フロントに行きます。これがまたえらく小さいのです。ホテルのフロントというより、宿屋の受付です。「こちら、インペリアル・ホテルのフロント?」「オー・イエス」中にいる女性も半袖シャツだけのラフな格好をしています。蝶ネクタイを見てきたこちらとしては苦笑いするしかありません。部屋は二階でしたが、廊下を3度も曲がり、扉を2枚くぐらないとたどり着けない迷路の奥でした。このビルにはエレベーターもないようです。しかしあったら、余計に複雑で迷ってしまうかもしれません。部屋の大きさは20畳近くあって広いのですが、窓が片隅に小さくあるだけで、穴倉みたいです。窓から見える風景もコンクリートの壁だけです。しかし、それはそれで落ち着く雰囲気ではあるのです。部屋に荷物を置き、かみさんが「海を見たい、ついでに明日乗るフェリーも見たい」というのでさっそく出かけます。出がけにフロントでパスポートを預けましたが、目の前でアルミパックにパスポートを入れて封印しました。多少は都会的な犯罪に慣れた土地のやり方かな、と思いました。ついでに「アラン諸島行きのフェリーのパンフないかな?」と聞いてみましたが、大柄・丸顔・金髪のフロント嬢は頭を抱え、あちこちドタバタと駈け回った挙句、別の町からのフェリーのパンフを持ってきました。

「ゴールウェイのフェリーが知りたいんだけど」とこちらが言っても、「ゴールウェイは無理ですよ」とハアハア言いながら応えるのです。そう言われて簡単に納得は出来ません。「じゃあ、こちらで探すから。ありがとう」と言って出かけます。

まず街の中心部を南下してフェリー乗り場へ向かいます。港町独特の、倉庫や港湾事務所の間にレストランやパブがあり、しみついた潮風が匂います。15分も歩くとゴールウェイ湾に出て、さらに桟橋を進みます。ドックの中で何に驚いたのか一斉に魚が飛び跳ねます。釣り竿を抱えた子どもたちが走りまわっています。ついでに岸壁の石垣でドブネズミが走ります。フェリー乗り場に来ましたが、どこも人影がなく営業しているようには見えません。かみさんは隣りの桟橋へと細い掛け橋を進んでいきます。「ここは自分の責任で渡ってね、落ちても知らんもんね」という看板がある所です。かみさんは海の側で育った河童ですが、私は金槌ですので落ちたら一巻の終わりです。へっぴり腰で着いていきます。隣りの桟橋でも事情は変わりませんでした。突堤から釣り糸をたらしている叔父さんに聞いても、ゴールウェイからアラン諸島へのフェリーがどうなっているのかは分かりませんでした。

駅のインフォメーションに行けば分かるだろうと、再び中心街を縦断して駅に向かいます。ゴールウェイ駅の窓口は狭く、話もしにくいのです。「ゴールウェイからアラン諸島へのフェリーが知りたいんだけど」と聞くと、「それはツーリスト・オフィスに聞け」と門前払いされました。ツーリスト・オフィスはさっき通った場所です。狭い事務所の奥まった所にフェリーの案内所がありました。ここはゴールウェイ観光局が独自に運営している事務所のようです。「ゴールウェイからアラン諸島へのフェリーはないの?」と聞くと、それは管轄が違う、と言います。ここではゴールウェイ湾北西の、より島に近いロッサヴィルという街からのフェリーしか扱っていないのです。そして、それが一番合理的な島への移動法のようでした。私たちはやっと納得して切符を買い求めました。ロッサヴィル行きのバスはバス・センターではなく、この事務所の前から出発するそうです。

暗くなってきたし明日の準備も出来たので、パブで一杯やることにします。インペリアル・ホテルの入り口をすぐ左に入るとホテル付属のパブになっています。ここはけっこう有名なパブだそうですが、日曜のせいかあまり繁盛していない様子。暗くホコリっぽく、寂れた感じです。それにバーがあるだけで、食事は隣りのレストランで取ってくるようです。そっちに入りなおすのも面倒です。私たちはビール一杯だけ飲んで部屋に引き上げました。カウンターでビールを受け取るとき、黒い服を着た若作りのオッサンが「あんた、中国人かい?」と聞いてきました。「ジャパニーズ」と応えると「そうかい、オレの友達にも日本人がいるぜ」と握手を求めてきます。

適当に握手して席に着きましたが、なんだか彼は私をカンフーみたいに思っているようでした。私としては、アイルランドのパブは、いつも音楽いっぱいで、バンドが楽器をかき鳴らし、すぐ合唱が始まって……というイメージがあったので、どこも地味に飲んでるだけの店なのが残念でした。この日は夕べコークの「ルーム・サービス」で出たものの残りや、果物を食べて夕食にし、ウィスキーを飲んで寝ました。

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