2016.02.10

     ショパンを好きになったのは京都で予備校に通っている頃だった。FM放送で時々聴く度にそう思った。大学に入って、近くに住む兄の家でステレオ装置を買ったので、早速レコードを買っておいて、行く度に繰り返し聴いていた。バラード、スケルツォ、ポロネーズ、といった感情の起伏を感じさせる大曲ばかり。他方でワルツやノクターンのような小品は感傷的であまりピンとこなかった。ショパンがどういう人かというのは勿論知っていたが、彼の望郷の念についてはそれほど意識しなかった。むしろ彼の激しいように見える曲に感じた強い芯のようなもの、構造的に揺ぎ無いものに惹かれた。テンポの揺らぎの大きい装飾的な走句をしっかり支える構造。それは結局バッハに由来するものであった。音楽史的にはまあ当たり前である。彼の音楽教育はバッハの練習曲そのものだったのだから。その後ジャズを聴くようになってバド・パウエルに注目したのも、やはりそこに同様な音楽構造を感じたからである。つまり、チャーリー・パーカーの見出したビーバップのスタイルをコード進行としてピアノに翻訳し、その音楽構造を明示したのがパウエルであった。ただ、そういったことは僕にとっては切っ掛けに過ぎず、その後バド・パウエルに深くのめりこむ頃には、彼がピアノに全てを託さざるを得ない切羽詰った想いに共感するようになっていて、精神的にも技術的にも変調を来たした晩年の音楽にもまたそれを感じていた。

      ところで、バッハを知ったのはその後フルートを吹き始めたからである。とりあえず、バッハは僕にとって大いなる慰めとなった。慰めとは何か?日常の人間関係において僕が自尊心を傷つけられた時、バッハの曲を吹くことでその想いが純化されて例えようも無く美しい音楽として立ち現れてくる。ただ、それが何故かは判らなかった。その後、バッハの多声的な構造が心の多面的な見方の表現であり、それが一種の救いになること、更には、音が感情を揺り動かして時間を先に進める構造がある種の必然性によって作られていることに気づいた。というより、そのように耳が教育されたというべきなのだろう。ただ、バッハの感情的な深さについてはまだ理解が充分でない感じがする。

      そういう折に、チェ・ソンエというピアニストのCDを聞いた。彼女は在日韓国人で、米国に留学するときに、外国人指紋押捺を拒否したため、日本に帰れないということになった。その後訴訟を起こしたが敗訴。しかし現在は法律が改正されて永住権を回復している。彼女もショパンに惹かれたのであるが、その背景を知ったのはショパンの手紙を読んでのことだったという。ポーランドという母国を失ったショパンが日本という母国を失いかけた彼女自身の姿に重なった。彼女の処女CD「ZAL(ジャル:Zの上に○が付く)」にはショパンの手紙の朗読が挿入されている。ZALというのはポーランド語で「本来あるべきものを失った悲しみ」という意味だそうである。確かにショパンの音楽にはそれが色濃く染みこんでいる。単なる感傷というにはあまりにも深い。この ZAL というCDを聴いたとき、長い間ショパンから遠ざかっていた僕に背後からその感情が襲い掛かってきた。なりふり構わないような若い頃のバド・パウェルの感情よりも一歩先に進んでいて、晩年に見られる成熟というか諦念というか、そんな域に達している。やや大げさに言えば大国の狭間にあって戦乱の中で民族の苦悩を味わい尽くした朝鮮民族独特の感情と言われる「恨(ハン)」を浄化したような感情なのだろう、と想像するしかない。ただ、僕は今までショパンをそういう風には捉えてはいなかった(多分そういう風には捉えたくなかった)から、戸惑ったのである。悲しみや詠嘆それ自身の中に浸るよりも、そこから構造なり原理なり力なり、そんなもの、つまり自分を一歩先に押し出してくれるものを求める。幼い頃から自分自身の弱さに悩んでいた僕にとって音楽はそのようなものであった。多分、チェ・ソンエにとってもそうなのだろうし、ピアノを弾くことが彼女の人生の支えになっているのは間違いない。ただ、彼女の表現する ZAL を全て受け止めるほどには僕の ZAL は大きくないのである。

      さて、CD「ZAL」の中のショパンの「ノクターン20番嬰ハ短調(遺作)」であるが、これは ZAL を一番良く表現している曲と思われる。チェロ+ピアノの Duo のアレンジであるが、次のCD「Piano My Identity」でもピアノソロの原曲が弾かれている。この曲は生前に出版されたものではなく、ショパンが故郷の姉に書いた手紙の中にあった楽譜である。ノクターンでも無いのだが、雰囲気からその中に分類された。YouTubeには無数に見つかるが、楽譜がついているのがあった。

      曲の構成は明快である。4小節の序奏は静かで牧歌的であるが懐かしさを感じさせる。つまり故郷。右手で奏でられるテーマはそれに対する何か個人的な感情が感じられる。何か懐かしむような4小節。そのテーマを繰り返してから突然激しい詠嘆の走句(15小節目)が来る。ゆっくりと上昇して高速3連符で下がる。こういう「器楽的な歌」の表現はショパン独特である。それを宥めるような4小節があってこの主要部が終わる。中間部は長調に転調して牧歌的に始まる(21〜33小節)。これはショパンの他の曲のテーマの引用である。その後ピアノの左手でマズルカのリズムが刻まれる(34〜44小節)。右手は殆ど何もしない。この辺は姉が即興で何か入れることを想定したか、後で何か入れようと思ったのであろう。つまり、この中間部は全体としてポーランドでの牧歌的な生活の描写になっている。そういう意味では序奏もそうである。それが単純な属和音のアルペジオで締められる(45〜46小節)と、再びテーマが再現されて同じ詠嘆の走句(49小節)が来る。これは再現して曲を締めくくりにかかる感じであるが、その予想を裏切って再び突然激しい慟哭のような走句(53小節)になる。ゆっくり上下して今度は高速3連符で上昇するのである。そしてまた宥めるようにゆっくり下がって主音嬰ハ音に終り、終結部(58〜65小節)に入る。終結部は最初だけ嬰ハ音で後は属音嬰ト音とその上に構成される音階の繰り返しであるが、その音符の数を変えていくことで感情の揺れと余韻を演出している。そして最後の分散和音は突然の転調で嬰ハ長調になる。あたかも、それまで嬰ハ短調での望郷と絶望と詠嘆と慟哭を忘れてしまおうとしているかのようである。

      こういった情景描写とそれに対する個人的感情を組み合わせる手法はバッハのカンタータや受難曲と同様であり、そういった伝統が背景にあると思う。いずれにしても、この曲はショパンの抱いていた感情やそれを姉に伝えようとする気持ちに痛々しいほど忠実である。確かに「ピアノの詩人」と呼ばれるに相応しい。
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