2013.03.17

    午後、家内は菊地家でジャズ・ヴォーカルのコンサート。都会でのプロ生活が嫌になって田舎で畑を作って暮らしている元歌手だったそうで、とても癒されたとか。僕は4時半に迎えに行って、そのまま2人で廿日市の大ホール。市民ミュージカルということで、今年が14回目だそうである。1年かけて、出演者を募集しながら練習を積み重ねてきた。

    今回は26名による宮澤賢治を題材にした「スターダスト・トレイン」である。みつふじひろあきという人の作・演出で、なかなかよく出来ていた。賢治とトシ、ジョヴァンニとカンパニュラが、銀河鉄道に乗って、賢治のいろいろな童話や詩の場面が演じられる、という趣向である。風の又三郎は司会役。未来の賢治自身も出てくる。セロ弾きのゴーシュは自然との交流を語る。注文の多い料理店は山猫の3匹が面白かった。よだかの星は3人居て、南十字星の隣で舞台の奥に立って結構主役級だった。トシの死については、丁寧に詩の場面を再現していた。その後賢治は修羅の道に入り、その苦しみの中でよだかの物語が語られる。ミュージカルであるから、歌と踊りである。それぞれ、指導者が付いている。歌はまあ素人の歌ではあるが、しっかりと歌っていた。こういうのは、歌詞が重要なのである。踊りは勿論珍しいものではなかったが、踊りによる表現というのはこういうんだなあという感じはした。観ながら思ったのだが、宮澤賢治はどうしてこうも僕達の心を掴むのだろうか?化学や地質学や農学などの実学の素養がその基本にあるような気がする。その素養の上に純粋な奉仕の精神が接木されて、科学の言語による幻想が生まれた。法華経に捉われたとは言え、他者によるマインド・コントロールではなくて、自己暗示で突き進んだ。最後に、孤独、という言葉が気になった。確かにそうなのだ。トシ以外に理解者は居なかった。ゴッホとよく似ている。

    どうも広島という処はコンサートが多くて、それも、芸術を素人が楽しんでいる、という感じがある。それはそれで結構な事だろう。やはり生活に余裕があるのではないだろうか?

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