2016.09.25

ステファン・マンクーソ+アレッサンドラ・ヴィオラ「植物は知性を持っている」(NHK出版)を読んだ。

      世代交代によって環境に適応していくのは遺伝子というプログラムの改変による。これは自然淘汰である。それに対して世代中に環境に適応していく能力の事を著者は<知性>と定義している。そういう目で眺めてみると、植物もまた知性を持つ。ただ、その仕組みは動物とはかなり異なる。仕組みというよりも構造が異なる。動物は移動ができるから危険を避けることができる。したがってむしろ移動に適した構造−機能分化を遂げている。消化、解毒、運動、防御、体液の循環、情報処理、それぞれに臓器が役割を担う。しかし、移動のできない植物では、このような機能分化はリスクが高すぎる。臓器部分を食べられてしまえば個体が死に至る。だから徹底した自立分散化を図っている。大雑把な機能分化はあるにしても個別の細胞が動物におけるあらゆる機能を担う。だから、知性の働く仕組み、つまり情報の受容→その価値判断→対応する行動という一連のプロセスを解明することが難しい。

      植物が知性を持つことを最初に実証しようとしたのはダーウィンである。彼は根端に着目し、根端が化学物質や光などを感覚器として判別して情報を根やさらに地上部にまで伝えて、それらの運動を引き起こすということを解明した。これらは単なる組み込まれた反射作用ではなく、学習によって変わることがいろいろな適応現象で知られている。植物は学習する。そのメカニズムは判っていないにしても、<高度>に発達した神経系がなくても学習はできるのである。地球上のバイオマスの99.7%は植物だそうであるから、地球は植物の惑星である。動物は脇役として存在を許されているに過ぎない。人類は更にその脇役である。

      ところで、人類の<知性>の特徴と言えば、象徴的に言えば<言語>である。機能的に言えば、過去の相関関係の記憶を概念化し、<組み合わせて>未知の状況を予想することによる、<計画>である。しかし、それは人類の独りよがりかもしれない。
 
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