1999.12.08

    「性の進化、ヒトの進化」の方は、何故ヒトは2本足で歩き始めたか?という問題を扱っている。道具を使ったり、脳が発達したのはその結果であって直接の動機ではあり得ない。時期がずっと後であることからも分かる。遠方まで歩くのにはエネルギーが節約出来るとはいっても最初からそうだったわけではなく、身体の体制が2足歩行に適応していった結果である。草原で遠くを見渡せるとかいうのも、実際に草原に行ってみれば殆ど意味をなさないことが分かる。いずれにしても原因の方ははっきりしている。アフリカ大陸の地殻変動で、東アフリカが山脈で隔てられ、徐々に乾燥化した結果それに類人猿が適応したのである。謎を解くために、500万年前に山脈の西側に残って熱帯雨林にますます適応していったチンパンジー一族を観察する。チンパンジーと200万年前に分かれてコンゴ盆地に棲息するピグミーチンパンジー(ボノボ)に注目し、ボノボとチンパンジーの比較によってヒントを得たのが、この本である。

    霊長類は一般にゆっくりと成長し、育児期間が長い。これは天敵が余り居ない環境のせいである。他の動物が天敵に襲われる事を見越して、多くの子供を産んで速く育て上げるという戦略を取るのに対して、霊長類は少ない子供を丁寧に育てる。こうすることによって、霊長類は本能以外の環境適応能力を持つ様になった。子供は親を見て生活の術を学び取る。これは同時に社会性を帯びるという事でもある。いろいろな社会構造があるが、チンパンジー一族は父系の集団生活である。すなわちオスが集団に残り、メスは成熟すると集団間を移動する。どちらかが移動しなくては近親相姦となり、これは動物界の本能に反する。さて、育児期間が長くその間は発情しないので、チンパンジーの社会では常に発情メス不足の状態である。オス同士は頻繁に争う。争いを円滑にするために、集団の中にオスの順位が出来ている。妊娠可能な時の交尾は殆ど一位のオスが行う。他のオスは群れの周辺に居て、常に隙を見つけては交尾する。メスは発情してさえ居れば相手を余り選ばない傾向が強い。オスの順位が変わったり、他の集団を乗っ取ったりするときは、既に生まれている子供のオスが殺されることが多い。こうして、そのメスは発情し、殺したオスの子供を産むのである。これは所謂利己的遺伝子の考えで良く説明される。

    さて、ボノボはコンゴ盆地という沼地の中の森に隔離されて別系統に進化したチンパンジーである。ボノボのメスの特徴は妊娠中や育児中でも発情することである。これはヒト以外にその例が無い。何故こうなったかは分からないが、ともかくそのためにボノボのオスは余り争わない。その代わりメスの気を引くための行動をとる。とりわけ食物に関してはオスよりもメスの方に優先権がある。オスはメスよりも先に食物を見つけて、それをメスに譲ることによって交尾させてもらっている。当然メスの権威がオスよりも少し高くなっている。メスは自分の子供のオスを第一位につけることに気を配る。そうすれば息子を介して自分の遺伝子を残せるからである。ボノボは日常的に性器を使っており、交尾だけでなく挨拶をしたり気持ちを静めたりするのに、性器をこすり合わせる。オス同士やメス同士も頻繁に行う。チンパンジーと比較すると、ボノボでは結果としてメスがオスを利用して、少ない子供を有効に育てていることになる。オスは単に交尾したいだけなので、メスの発情期間が長ければそれだけメスに利用されやすいという事になる。発情はしていても妊娠はしないのであるが、オスは気づかない。

    さてヒトが次第に疎らになって行く森林に残されたとき、草原の肉食動物の危険性や少なくなって行く食物という育児の危機に直面したことは確かであろう。もしも進化の道筋を逆に辿ることが出来れば、ここでヒトは他の動物のように多く産んで速く育てるという風に進化したかもしれないが、もはや霊長類以前の方向には戻れなかった。ゆっくり育てるという本能はそのままにして多く産むという方向に進化したのである。すなわち育児期間中も発情し妊娠するようになった。しかしながらメスが多くの子供を引き連れて食物を探し回るのは不可能である。とりわけ乾燥化によって食物は疎らになっているのであるからなおさらである。そこでオスが登場する。と言うより、メスは特定のオスを性的に引きつけることによって餌を確実に自分と子供に運ばせる必要があった。チンパンジーやボノボは発情していればお尻を赤く腫らすが、ヒトはそのような印を見せないのも妊娠可能な時以外もオスを引きつけるためである。更にメスは特定のオスを母性的な要素によっても惹きつけているのではないだろうか?いずれにしてもこのようなメスの適応によって、メスと子供は安全な場所に暮し、オスが食物を運ぶようになる。すなわち集団を作りながらも子供を育てるための夫婦の固定化が起こったのである。オスはオス同士集団で食物を探すにしてもその分配されたものは自分の家族の元へと運ぶという仕組みが出来あがる。そこで2足歩行の起源であるが、これはオスが大量の食物を運ぶ為であったと考える。著者はボノボのオスがメスの元へと食物を運ぶときは2足歩行であることに着目している。口に咥えるだけでは物を運ぶのに効率が悪いという訳である。獲得形質が直接遺伝するわけではない。しかし獲得形質は遺伝子の発現を変え、世代が繰り返されればそれに有利な遺伝子の変異が選択される。オスの2足歩行の習慣はやがてヒトの遺伝子を2足歩行に有利な様に変えていったと考えられる。1978年にメアリー・リーキーの発見した360万年前のヒトの家族の足跡は衝撃的である。夫婦と子供が歩幅を揃えて歩いている。

    さて、つまりは夫婦の誕生と言う訳であるが、集団の中でそれを維持するためには掟が必要である。掟というのは抽象的な観念であり、それを維持するためにはやはり儀式が必要だったのではないだろうか?これがシンボル思考の原点となったというのが「ヒトはいかにして人になったか」の結論であった。

    夫婦関係の固定化というのはヒトだけでなく鳥類でも一般的に見られる。育児(この場合は卵を温めること)に専念しながらも、広い場所から食物を得る必要があれば、夫婦の形態が選択されざるを得ない。ヒトの場合は嘴に咥えたり胃に入れたりして飛んでくる替わりに両手に一杯抱えて2本足で歩いたという事である。

    やがて道具を作り、言葉を生み出し、採集・狩猟だけでなく農耕や牧畜を始め、文字の発明から国家、文明の時代となっても、メスが妊娠や子育ての間保護を受けると言う生き方は変わっていないが、父親が昔のヒトのオス以上に信頼できるかどうかは別である。もともとオスはメスの戦略にしたがっているだけであって、本能的には自らを夫婦固定性の中に閉じ込めているわけではない。子供の数が減ったのも、遺伝子が変わったからではなくて、文化的適応である。すなわち文明社会が女性に対して妊娠と子育て以外では男性と同等の役割を要求しているからである。

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