2019.12.17
一応『場の量子論』(坂本真人)を読み終えた。この本は対称性と自由場に話題を絞り込むことで、数式の導出とか物理的な意味とかを丁寧に説明してあって、確かに素粒子論などに興味の無い人にも理論体系の美しさが良く納得できる。ただ、それでも関連する項目についてはいろいろな教科書や文献を読まなくてはならなかった。それらも含めて、場の量子論の概念が歴史的にどう発展してきたかを、出来るだけ余計な数式を使わないようにして、やや解説的にまとめてみた。

前半、つまり<量子力学の構造>の節までは、坂本先生の本では、前提とされていて、書かれていないのであるが、自分の頭の整理のために書いた。また、最後の方の<ヒッグス場による質量の説明>はこの本ではきちんと説明されていないので、他の文献も参照して書いた。

研究現場的には、素粒子論そのものの詳細な解説や、理論を実際に適用するに必要なファイマンダイアグラムとか繰り込み計算の話が必須なのであるが、それらはこの本の続編として予定されているようなので、期待したいところである。

という感じであるが、実際上は、ここでの文章を使って、ある社会学=哲学者に量子論・場の量子論の説明をしている。数式の変形がままならなくても、その発想を理解することは役に立つ筈だからであり、逆にそういう目で物理学を見直すことも重要だからである。その中で、追加すべき説明が見つかるので、この文章はしばらくの間は頻繁に改定されていくことになるだろう。

<ニュートン力学の世界>
●19世紀までの物理学による世界像の基本は3次元空間と時間の枠の中に存在する、質量と電荷を持つ粒子である。質量は重力、電荷は電磁力と、それぞれ粒子間の距離の自乗に反比例する力を及ぼしあう。電荷については、符号を持ち、その相対運動に依存する磁力を伴う点で、質量による重力とは異なる。力の定義は元々弾性変形によるものであったが、ニュートンの運動方程式からは、粒子の運動量の時間変化と定義してもよい。そうすると、運動量÷速度として慣性質量が定義される。これは重力の源泉としての質量と等しい。(質量の定義は相対論で修正される。)

●この単純明快な古典力学は剛体のような現実の工学的場面に応用されると共に、数学者がより一般的な定式化(解法:解析力学)を編み出した。系を記述するパラメータを一般化された座標として、その座標の時間微分も使って、ラグランジアン=運動エネルギー−ポテンシャルエネルギーを表現する。系の出発点と終点を決めれば、その間に辿る経路の内で、実現する経路は、ラグランジアンを積分した『作用』積分を最小にするものとなる。この考え方が後々まで運動方程式を決める為に使われることになる。

<電磁場の発見>
●実用上の問題として電磁力を及ぼしあう(つまり電荷を持った)粒子同士の運動(多体運動)を直接扱うことはあまり無くて、片方の粒子の質量が大きいとか、固定されているとか、といった条件が成立する場合が多く、その粒子による力が軽い方の(運動を解きたい)粒子に対して一方的に力を及ぼすと近似できるので、空間の各点に力の場が最初からある、と仮定して方程式を立てる事が多い。その場合、各点に単位電荷を置いたときに、その電荷に働く力として電場(ベクトル)が定義され、電荷を動かしたとき(つまり電流)に働く力を磁場(ベクトル)として定義する。つまり、電磁場というのは、当初、計算の対象ではない荷電粒子とその運動という環境によって生ずる効果(力の場)であった。しかし、磁場を時間変化させたときに起電力が生じる(電荷に力が働く)という『ファラデイの発見』と、その発見のマックスウェルによる定式化によって、電場と磁場はその起源とされた電荷の存在や電荷の運動とは独立した方程式に従うことが判明した。つまり、電磁波の発見であり、光が電磁波であることも判った。電磁場・電磁波の『媒体』として想定されたエーテルは見つからず、それは時空そのものの性質であることになった。粒子と場の2元論の立場を採らざるを得ない。

<相対性理論による時空の統一>
●更に、光速がどんな慣性系(等速運動する系)においても同じであることから、粒子の時空における運動を正しく記述するためには、時空の表示を慣性系に応じて(基準点の相対速度に応じて)変換(ローレンツ変換)しなくてはならなくなった。これが特殊相対論である。なお、電場や磁場そのものはローレンツ変換によって変わってしまうが、それらの間の関係式(マックスウェル方程式)は変らないから、光速も変わらない。とりわけ大きな変更点として、質量概念はエネルギー概念の中に包摂されて、速度 v で運動する粒子のエネルギーは E=mc^2/√1-(v/c)^2、運動量は p=mv/√1-(v/c)^2 となり、これらは4元ベクトルとして時空と同じ座標変換に従う。これから v を消去すると、よく使われるアインシュタインの関係式
  E^2=(c^2)(p^2)+(c^4)(m^2)
となる。重力についても同様で、その起源とされた質量とは独立に時空の性質として(時空の歪として)定式化出来ることになった。その結果、本来重力とは関係ない筈の電磁波に対しても、その伝搬に影響することが予言され、実際に実証された。一般相対論である。

<統計力学によって見出された古典論の破綻>
●これらの基本概念、つまり、一方では、時空に存在する粒子と、他方では、時空そのもの性質である電磁場と重力場から、実際に我々が直接扱える巨視的物質やエネルギーの性質、つまり熱力学的性質を説明する為の枠組み(計算方法)が統計力学として整えられ、連続体としての物質の性質が構成粒子とその相互作用から説明可能となった。そこでは、世界の構成粒子の状態や電磁場の全てを知ることができないので、それらの微視的状態(粒子では全ての粒子の位置と運動量;電磁場では電磁波の伝搬での波数ベクトル(波長の逆数))は、最終的には(平衡状態では)等エネルギーで採りうる可能な状態を同じ確率で占めるようになる、と仮定した(エルゴード仮説)。また、ギブスのパラドックス(同じ液体や気体同士を一緒にするとエントロピーが増大する)を解消するために、同種粒子が位置を交換できる場合(液体や気体)には、位置を交換した状態を同じ一つの状態として数え上げるという規則を設けた(この根拠は後に場の理論によって正当化される)。

●この仮説は大成功を収めたのであるが、電磁場に対してはうまく行かなかった。黒体輻射のスペクトルが説明できなかったのである。逆に、実験で得られたスペクトルから、電磁場の採りうるエネルギー状態が、その振動数 ν に対して、hν(h は角運動量次元を持つ定数でプランク定数と呼ばれる)を単位として離散的であることが発見されたのである。(補足として、固体の比熱についても、格子振動の採りうるエネルギー状態が hν について離散的になることで説明される。Debye 模型である。)エネルギーから見ると光は、電磁波としてその振幅を連続的に取りうるのではなくて、 hν を持つ粒子のように振る舞う。この粒子(光子)は運動量としては、波長をλとして、 h/λ を持つ。

<量子力学の成立>
●更に、電子が原子の内部に存在していることが疑えなくなり、その存在状態を説明する必要が生じてきた。運動する電子は電磁波を出してエネルギーを失い、原子核と合体する筈だからである。苦肉の策として編み出されたのが、電子の軌道に沿って 運動量を一周積分すると h の整数倍になる、というゾンマーフェルトの量子条件である。これで電子は原子の内部では離散的なエネルギーを持つことになった。その間の遷移としての原子発光や原子吸光を説明する為に、この仮説を一般化して、座標(x)と運動量(p)を演算子(行列)とし、その間の交換関係 xp−px=ih/2π (i は虚数)を導き、ハイゼンベルグの行列力学が編み出された。他方、古典力学の運動方程式から、p→-(ih/2π)∂/∂x、E→(ih/2π)∂/∂t という置き換えを行ってシュレーディンガーの波動方程式が得られた。ハイゼンベルグ表示では力学量(演算子、行列)が時間変化するが、シュレーディンガー表示では演算子は変らずに波動関数が時間変化する、という違いはあるものの、これらは現象の予測については同等である。(実際、(∂/∂x)(xψ)=ψ+x(∂/∂x)ψから、{x(∂/∂x)−(∂/∂x)x}ψ=ψ。)

<量子力学的世界観>
●しかし、基本となる電子や原子核や電磁場は日常的概念からの延長によってはもはや解釈できなくなった。それらの存在を否定することはできないが、その存在状態を明らかにするためには測定装置と相互作用させなくてはならず、我々はその測定装置の状態を微視的な意味で完全に知ることもできないから、一般的にはある種の確率的現象として様々な測定値を得ることになり、その確率を与える関数に対して方程式が成りたつのである。その確率としてある系の状態は、古典的な統計力学で想定された状態(つまり、全ての観測可能な力学量が確定している状態)とは異なり、古典的な粒子的概念や電磁場の概念の延長だけでは解釈できない。とりわけ、干渉効果があるために、実数の世界ではなく、複素数(実数+虚数)関数として記述するしかない。虚数というのはそもそも存在しない(実体に対応しない、自乗すると−1 。)という意味であるが、今やその存在を認めざるを得ないのである。
(注)
複素数の概念は量子力学にとって本質的である。元々は二次方程式の解を表現する為に考えられたもので、自乗が -1 となるような数を虚数 i として、2つの実数(a と b とする)で、 a+bi と表される。x、y 軸を持つ平面上に(a,b)という座標で表したとき、原点からの距離 r=√(a^2+b^2)を絶対値と呼び(^2 は自乗を表す)、x 軸とベクトル(a,b)との角度を位相(θ)と呼ぶ。つまり、a=r×cosθ;b=r×sinθである。ネイピア数 e (= 2.718281828…) のべき乗を使って、r×e^(iθ)=r×exp(iθ) とも表現できる。この exp(iθ) を位相因子と呼ぶ。複素数は波動を表現するのに大変便利であるが、その場合は実数部分 a や 虚数部分 b が現実の波動の変位に対応している。θは波長λと振動数νで表現すると、θ=2π(νt−x/λ)である。量子力学では粒子が波動と同じように干渉現象(位相が揃えば強め合い、πだけずれれば打ち消し合う)を起こすために、複素数が自然な形で導入された。

●系の状態は測定装置で確定される物理量を測定前から持っていて、我々はそれを知らないから確率的にしか計算できないのではないか、本当は我々の知らない物理量があって、それについての方程式を解けば全てが確定していることが判るのではないか、という疑いが一部の物理学者によって提起されていて、実際にそのような理論(隠れた変数の理論)も試みられていたのであるが、1964年に Bell がその可能性を証明する為の実験を提案し、その後多くの実験が重ねられて、1982年の Aspen の実験によって、この可能性が最終的に否定された。

●古典力学では物理量が測定対象の性質であり、いつも確定していると見なされるが、量子力学ではむしろ測定器によって決まる概念であって、測定対象がいつも確定した値を持つとは考えない。その都度測定器との相互作用の結果として、測定器の状態として決まる。測定対象はその測定値が実現する確率を与えるのみである。Bohr がこのような概念の転換を考え付いたのは、背景に実証主義の流行があったからだろう。現象の背後に勝手に想像された実体というものを認めず、測定された数値だけを信じて、それを説明するような理論であれば正しい、と見なすのである。巨視的な(感覚的にモデル化できる)粒子において位置と運動量が同時に確定しているように見なされるからと言って、直接見ることのできない電子がそのような存在であるとは限らない。だとするならば、実際に測定された位置や運動量をどう考えたらよいのか?それは測定器が位置や運動量に限定された機能を持つだけであって、電子はその測定器との相互作用の中で測定器を導いて測定値を与えるということになるだろう。

●量子力学の運動方程式は個別の測定に対してその結果を確定的に与える事ができない。確率だけが与えられる。(干渉に関わる因子としては位相も与える。)運動方程式が解く対象が測定器とは独立な系であるという設定なのだから、これは当たり前である。むしろ測定器の側をどう考えたらよいのか?と問うべきである。単純化して考えれば、それはデコヒーレント化された状態、つまり、何かの確定した状態にあるけれども、知られていないだけであると考える。その測定系が確定しいない測定対象系と相互作用することで、可能態としてあった測定対象の状態の一つを選択する、と考えられる。

例えば、ある量子力学的確率分布角度で飛来する粒子がある散乱断面積の散乱体と相互作用する場合、粒子が散乱される確率が量子力学の方程式で計算できる。実験において、一個の粒子に対して、散乱が起こった場合には『粒子がそこに在った』という測定結果が得られるのだが、散乱が起こらなければ、『粒子がそこに無かった』という結果である。散乱体がびっしりと敷き詰められていれば、必ずどこかの散乱体が飛来粒子を捉えるだろう。だから、粒子の位置が測定できる、ということになり、これが位置という物理量を測定する装置である。散乱体同士が量子力学的にコヒーレントな関係(状態の位相関係が決まっている関係)にはないからそういうことが出来るのである。もしもコヒーレントであれば、飛来粒子と特定の散乱体との相互作用は全ての散乱体を巻き込むことになり、飛来粒子の位置は不明となる。そのような例は金属内の伝導電子であろう。伝導電子はどこかの原子に束縛されていないで、結晶全体でコヒーレントな状態にある。飛来粒子が光子であれば、伝導電子の集団運動(プラズマ振動)が励起されて、金属特有の応答を示す。つまり、量子力学的状態の不確定性からその確率性を利用して測定値が得られるのは、測定すべき物理量についての非測定系の固有状態と相互作用(結合)する多数の状態を測定器の側が、お互いにデコヒーレントとなるように(古典統計的な意味で確率的に)、用意しているからである。

●測定器をより一般化して、測定対象とのコヒーレンシー(位相関係)を維持した系を考えることもできる。例えば、2重スリットに入って来て片方のスリットの直後の粒子が被測定系で、他方のスリット直後の粒子が測定器と考えれば、後者が前者の位相を測定して、その結果を干渉効果によって提示した結果が干渉縞であると考えることができる。レーザー光学技術の進歩によって使われるようになってきたのが、非線形光学結晶を利用した光変換である。入射光は結晶内の電子を励起し、励起された電子は2つの光を作り出す。この2つの光は位相関係が決まっているから、同様な非測定−測定系を構成することができる。勿論、我々がそれを知る為には最終的にはデコヒーレント化された測定器を必要とするのであるが、このような系が開発されてきて、そのコヒーレンシーが長時間安定に保持できるようになってくると、今までは利用されていなかった被測定系の位相状態が現実的応用の対象に浮かび上がってくる。Bohr の時代には考えられなかったことである。数学的道具に過ぎなかった複素数が実在性を持つようになってきた。

<量子力学の構造>
●(やや具体的に記述する)量子力学における物理量は行列のようなものであり、系の状態を表す数値ではない。実体としては、系と相互作用するような、良く定義された系、すなわち測定装置を意味する。測定装置との相互作用によって、測定値が得られるが、その値は同一の対象となる系についても特定の値になるとは限らない。それでは、物理量をどういう風に数式で表現したらよいのか?ニュートンが運動方程式を案出するときに粒子の位置と速度と力が確定していて、それらを結びつける操作が発見されたように、何か基準となるような関係が必要である。そこで、いつも測定結果が特定の値になるような系もあると仮定し、そのような系をその物理量の固有状態と呼び、その特定の値を固有値と呼ぶ。個々の固有状態に対しての測定装置=物理量=演算子の操作の一端を下記で定義する。

  演算子×固有状態1=固有値1×固有状態1
  演算子×固有状態2=固有値2×固有状態2
  ・・・。
それ以外の一般的な系においては、系の採りうる固有状態を全て集めておいて、系の状態同士は重ね合わせることで干渉を起こすことが知られているから、状態をそれらの固有状態の線形和で表わす。
  任意の状態 a =係数1×固有状態1+係数2×固有状態2+・・・
である。

電子を一定の運動量で一個づつ飛ばしたとき、写真感板にはどこか一カ所が感光するのであるから、演算子の操作(系に対する一回の測定)によって、任意の状態はどれかの固有状態に変化する(収縮する)と想定されるが、どの固有状態に収縮するかは確率的にしか決まらない。測定によってどの固有状態に変化するかという確率に関係しそうなものが係数群であろうということになる。その係数が運動方程式で具体的に決まると考える。
そこで、任意の状態 a にこの演算子をかけると、

  演算子×任意の状態 a =係数1×固有値1×固有状態1+係数2×固有値2×固有状態2+・・・

という別の任意の状態 b に変化する(係数群が変化する)。

●ここで、線形代数の概念を導入し、固有状態を(絶対値が1の)縦ベクトルに、演算子を行列式に対応させる。更に、固有状態はお互いに直交するように採ることができる。その表現の為に、縦ベクトル(ケット)に対して、成分を複素共役(虚数部の符号を逆にする、記号としては * を付ける。)にした横ベクトル(ブラ)を新たに定義しておけば、つまり、縦ベクトルを|1>、対応する横ベクトルを<1| のように表記すれば、内積表現として、

  <1|1>=1、<1|2>=0、、、、(直交関係)

(注)例えば、|1>=(0.5+0.5i) とすれば、<1|=(0.5-0.5i,0.5+0.5i) で、
                   (0.5-0.5i)
      <1|1>=(0.5-0.5i)(0.5+0.5i)+(0.5+0.5i)(0.5-0.5i)=1
      |2>=(0.5-0.5i)
           (0.5+0.5i)
      と採ることが出来て、
      <1|2>=(0.5-0.5i)(0.5-0.5i)+(0.5+0.5i)(0.5+0.5i)=0

そこで、得られた |任意の状態 b> と元の |任意の状態 a> との内積を採ると、

  <a|b>=<a|演算子|a>=|係数1|^2×固有値1+|係数2|^2×固有値2+・・・

となる。異なる固有状態の内積は 0 なので、係数1*×係数2×<1|2> といった項(非対角項)は消える。|係数1|^2 が、1回の測定において、|固有状態1> となる確率を表す、という『解釈』を与えておけば、この表式は、固有値1を確率 |係数1|^2 で実現し、固有値2を確率 |係数2|^2 で実現し、、、となる場合に、繰り返し測定で得られる物理量の値の期待値=平均値であることになる。つまり、個別測定の結果に対しては、理論は確定的な結論を与えず、その物理量演算子(行列)の固有状態の線形和で状態を表示したときの係数群の絶対値の自乗という形でその確率を与えるのみであるのだが、多数回測定の平均値は、物理量演算子(行列)を非測定対象の系の状態のブラとケットで両側から掛け算してやれば得られる。

こうして測定という操作が実質的に多数回測定の平均である場合については、数式上の表現が得られた。ただし、一回だけの測定に対しては、固有状態を除けば、その結果を与えるような数学上の表現が与えられていない。これは実態に則したものと言える。しかし測定において特定の固有値が得られる確率 |係数|^2 を与える演算子は(追記4で示したように)定義できる。なお、測定される物理量の平均値そのものは通例は実数である。その条件を満たすような物理量=演算子=行列はエルミート性(注)を持つ。

(注)
行列を転置して複素共役をとった行列を随伴行列と言って、†を付ける。例えば
  A=(1+i  i) とすると、A†=(1-i  2-i) である。
     (2+i  3)                (-i   3  )
ブラとケットの関係も随伴関係と言う。A†=A となる行列をエルミート行列と言う。

(追記1)
以上の話では、一つの物理量=測定装置=演算子=行列について考え、その固有状態を定義した。一つの物理量 A の固有状態 |ai> が他の物理量 B の固有状態でもある時には、固有状態を区別する番号を i として、

  A|ai>=ai|ai>; B|ai>=bi|ai>

であるから、AB|ai>=BA|ai>=ab|ai> 、つまり、これらの物理量演算子は順序を変えても良い(可換)。しかし、一般的には、そうではない。例えば 位置 x と 運動量 p の場合は xp=px+ih/2π である。位置の固有状態が運動量の固有状態とはならない、ということは二つの物理量が同時に確定するような状態が『存在しない』ということである。これはそのような状態が存在しない、というだけであって、粒子(波動関数、後には場)という実体が存在しないという意味ではない。また精度を h よりも甘くすれば、それは同時に存在すると考えても問題が生じない。ただし、Karen Barad の解釈による Bohr は、測定対象そのものは存在せず、測定装置と相互作用している全体(現象)が存在している、と考えている。これは存在に対するスタンスの相違と考える。

(追記2)
上記説明で採用したように、状態の時間変化が係数群の時間変化として表されるような表現をシュレーディンガー表現と呼び、物理量の平均値の時間変化は係数群(波動関数)の時間変化を介して計算される。通常のシュレーディンガー方程式では、位置という物理量演算子の固有状態(その位置 x 以外では 0 となるδ関数で、位置の数だけ、つまり連続無限個ある)で任意の状態を展開表現した時の係数が波動関数 ψ(x) である。これとは逆に、同じ結果(平均値)を与えるが、係数群を固定して、物理量演算子(行列)に時間変化を負わせる表現をハイゼンベルグ表現と呼ぶ。

(追記3)
同種多体系に対しては、粒子の交換という演算子が考えられるが、これは2回行うと元に戻るから、その固有値は±1である。+1 の場合がボーズ粒子、−1 の場合がフェルミ粒子で、統計力学的に状態の数を数える場合に区別が生じる。

(追記4)
更に、ここで、

  P1=|1><1|、P2=|2><2|、・・・

という一連の演算子を考えてみる。
そうすると、固有状態の直交性から、任意の状態に対して、

  |P1|任意の状態>=係数1×|1>、|P2|任意の状態>=係数2×|2>, ・・・

となり、任意の状態から特定の固有状態だけを抜き出す(射影する)演算子である。
である。例として、電子を二つの孔の空いた壁に飛ばす実験を考えると、壁の直前において、電子が壁の何処に当たるかは確率的にしか判らない。しかし、たまたま孔の場所に当たった場合には、「電子がその孔1、2の位置に存在する」という固有状態となる。その状態を |1>、|2> と定義すると、P1、P2 がその孔という装置(測定器;演算子)の表現である。壁の向こう側においてはこれを初期条件とした運動方程式の解によって、電子の状態が決まるのであるが、この場合|1> と |2> はもともと一つの電子であるから、位相を揃えている為に、多数回測定されれば、更に後方に置かれた壁で位置測定されるときに、干渉縞(二つの孔からその壁の点への距離の差が波長の整数倍の時に確率が最高となり、半整数の時にはゼロとなる)を残す。もしも、二つの孔に最初から二つの電子を置いたとすれば、それらは位相的にランダムな関係になるので、干渉を起こさないし、係数群が実数であれば、そもそもそのような干渉は起きない筈である。
更に、

  <任意の状態|P1|任意の状態>=|係数1|^2 :固有状態1である確率
  <任意の状態|P2|任意の状態>=|係数2|^2 :固有状態2である確率
  ・・・
となるから、これは『それぞれの固有状態となる確率』という物理量に対応する演算子である。具体的には、上記の孔の直後に感光体を置いてその信号の回数を数える装置で確率が得られる。

<相対論的量子力学>
●以上は非相対論であったが、相対論への一般化はアインシュタインの関係式

 E^2=m^2×c^4+p^2×c^2

の E と p  を直接演算子で置き換えて得られるクライン・ゴードン方程式がまず研究され、ボーズ粒子の運動方程式となった。フェルミ粒子の方は、波動関数を4つの組として扱い、アインシュタインの関係式の因数分解を行うことで得られたディラック方程式において、当時新たに発見されていた電子のスピンも波動関数の2成分として説明可能となった。これらの方程式には正負のエネルギーを持つ解が組になって存在するが、その解釈は後に場の量子論によって、粒子−反粒子として自然に解釈された。なお、相互作用場については p を座標微分ではなく、共変微分(座標微分−場)で置き換えることで導入される。非相対論ではディラック以前にパウリがそのような方程式を案出して、電磁場中の電子の運動の解析に多大な貢献をしていたが、これもディラック方程式の非相対論化によって導かれた。

<素粒子論における粒子から場への概念転換>
●実験技術(加速器)の進歩と共に、原子核も究極の粒子ではないことが判明し、次々と新しい素粒子が発見される時代になって、場の中で運動する粒子を第一義的存在とする量子力学が再編されることになる。そもそも、個々の粒子の位置座標や運動量を記述パラメータとする運動方程式を使って、その粒子の消滅や生成、別の種類の粒子への変換を扱うことは不可能である(計算の途中で記述パラメータが消滅したり生成したりするから。)ハイゼンベルグが陽子と中性子の変換を扱う時に、それらが同一の粒子の二つの状態(アイソスピン)であると考えたのは至極当然の事であった。陽子と中性子に対するこの考えは結局否定されたのであるが、その後同様な考え方が多くの素粒子間に試みられて成功を収める。

●そこで仮定される粒子変換を促す相互作用もまた電磁場の励起状態(光子)と同様の新しい種類の場であるとされた。変換される側の粒子そのものも、もはや特定の位置あるいは運動量を持つ存在ではなく、その特定の位置あるいは運動量という点における場の励起である、と言う風に、電磁場における光子と同様の考え方が使われる。力学的自由度の数で言えば、今までは粒子の数×(位置の次元 3 または運動量(波数)の次元 3)であったものが、場の考え方では、位置の数または運動量の数、つまり連続無限個となる。基本の物理量は粒子の位置または運動量であったものが、場の考え方では、それぞれの位置あるいは運動量における粒子の数となる。(他には勿論粒子のスピンもあるが、これは変らない。)

こうして、粒子という『存在』の生成消滅が方程式の中では、単に物理量の値の変化として記述できるようになった。例えば、シュレーディンガー方程式(あるいは相対論ではディラック方程式)の解となる波動関数は、位置座標の複素数関数であり、その絶対値の自乗が粒子の存在確率として解釈されるのであるが、新しい考え方(場の量子論)においては、その波動関数が引数である位置座標における場を励起する演算子として解釈し直される。ここにおいて初めて『粒子がその個別性を失い、単なるエネルギーの塊(つまり√(質量^2×光速^4+運動量^2×光速^2) )となる。』古典統計力学におけるギブスのパラドックスも自然に解消されてしまう。

●こうして、電子や中性子のような粒子自身も光子のような相互作用も、場として記述される。それらの違いと言えば、前者が半整数を持つフェルミ粒子であり、後者が整数スピンを持つボーズ粒子である、というところである。生成演算子と消滅演算子が、前者は反交換関係(順序交換で符号を変える)、後者は交換関係に従うとすると、それぞれの粒子交換対称性が得られる。フェルミ粒子は他のフェルミ粒子に変換されることが普通であり、パウリの排他原理によって、有限の空間を占拠するから、物質粒子と呼ばれるが、ボーズ粒子は生成消滅が容易であるから、フェルミ粒子間の相互作用として働く。ただ、(霧箱の実験のように)粒子として取り出され、エネルギーや運動量や質量が測定されるのは、いずれの場合も他の粒子との相互作用が非常に小さい場合に限られるので、光子以外の相互作用ボソンはそれなりの高エネルギーで生成させる必要がある。

<粒子の量子論による多体系の扱い方>
●粒子が生成消滅しない場合には、粒子が多数ある時においても、粒子的な量子力学が可能である。波動関数は多粒子の座標あるいは運動量を引数として持つことになるが、事実上簡単には解けないので、一つ一つの粒子毎の波動関数の積で近似される。しかしこのままでは粒子の交換に対する対称性(フェルミ粒子かボーズ粒子か?)が満たされないので、対称化操作が必要となる。あらゆる可能な粒子交換を行い、必要な係数(1 あるいは -1)を掛けて足し合わせる。例として、2粒子の場合、

  Ψ(x1,x2)={ψ1(x1)ψ2(x2)±ψ2(x1)ψ1(x2)}/√2

である。±はそれぞれ ボーズ粒子、フェルミ粒子に対応する。この波動関数を第一近似として、波動方程式を満足するように修正を追加していくことになる。量子化学で良く使われてきたやり方で、比較的少数の粒子系に適している。フェルミ粒子の場合はスピンを持つので、その自由度も考えなくてはならない。例えば水素分子 H2 の回転状態を考えるときには、プロトン(H)を入れ替えるような回転ではプロトンスピンが入れ替わると共に、回転角度についての波動関数が変換されるから、それらの積が符号反転するように対称化する。プロトンスピンが同じ向き(全スピン=1)であれば、回転部分の波動関数が反転で符号を変える(オルト水素)。プロトンスピンが上下の組み合わせ(全スピン=0)であれば、交換で符号を変えるので、回転部分が反転で符号を変えない(パラ水素)。

<場の量子論における多体系の扱い方>
●場の量子論の場合には、多体系で粒子の生成消滅がある場合を自然に扱うことができる。真空状態に粒子を作り出す演算子 a†、消滅させる演算子 a を使って、ハミルトニアンを書き直して、それを解く。第セロ近似は通常、波数 k=1/λ を持つ進行波(これが自由粒子に相当する)についての生成、消滅演算子である。計算していることは本質的に同じであるが、対称化操作の替りに、演算子間の交換関係(ボーズ粒子)あるいは反交換関係(フェルミ粒子)が設定される(注)。比較の為に2粒子状態の表現がどうなるかというと、真空を |0> として、ak†ak'†|0> となる。波数 k、k' を持つ2粒子の表現である。ボーズ粒子であれば、演算子が交換できるので、

  ak†ak'†|0>=ak'†ak†|0>

であるが、フェルミ粒子では反交換関係となるので、(スピンを s として)

  aks†ak's'†|0>=−ak's'†aks†|0>

となる。もしもk=k'、s=s' であれば、これは

  aks†aks†|0>=0

を意味する。つまり、そのような状態が許されない(パウリの排他原理)。
  素粒子論だけでなく、固体電子論などでは無数の電子を扱うので、場の量子論のやり方が便利になる。例えば、光の吸収は、波数 Δk を持った光子が消滅して、波数 k を持った電子が消滅し、波数 k+Δk を持った電子が生成する、という風に記述される。

(注)
交換関係、あるいは反交換関係とは、演算子の順序を入れ替えた時の作用の違いである。交換関係(ボーズ粒子)では、同じ波数の生成と消滅の演算子の場合には、入れ替えるとお釣りとして ih/2π が加わるが、その場合を除けば、順序を入れ替えても変わらない。反交換関係(フェルミ粒子)では、同じ波数とスピンの生成と消滅演算子の場合には、入れ替えると逆符合となり、更にお釣りとして ih/2π が加わるが、その場合を除けば逆符合となるだけである。

<ゲージ対称性の原理による相互作用(力の場)の必然性>
●どのようなフェルミ粒子場があり、どのようなボーズ粒子相互作用場があるか、という理論の探索において指導原理となったのが、電磁場(光子)における『ゲージ対称性』である。ニュートンの運動方程式が、座標原点の並進や座標軸の回転に対して不変であり、特殊相対論における運動方程式が(座標原点の等速運動による)ローレンツ変換に対して不変であるように、複素数で表現される波動関数の位相原点の採り方に対して、物理的実在が変わるわけではないので、その採り方による方程式の不変性が要求される。

(例として、√3+i という複素数は、実軸を基準とすれば、位相角度が 30度 であるが、虚数軸を実軸基準とすれば 1−√3i と表現され、位相角度は -60度 になる(実虚軸の回転)。各空間点において、そのような基準の取り方を任意に選択すれば、『同じ複素数場が数値的には全く別の表現となるが、そうであっても、その数値に対する方程式は不変でなくてはならない。』)

つまり、系が複素数で表現されるということは、系が位置座標で記述されるということと同等の『実在性』を持つべきなのである。

(ここでは、運動法則がその変換に対して不変である、つまり、『見方を変えても同一性を保つ』という意味:これは公共的な報道においても尊重されている原則(裏を取る)である。)

そこで気になるのが、方程式の中の座標微分演算子である。位相原点の選び方が各位置座標に依存する場合、x を時空4元座標として、波動関数ψ(x)はその変換Λ(x)に対して

  ψ'(x)=exp{iqΛ(x)}ψ(x) : q は実数

となる。ここで、exp(iθ)=cos(θ)+isin(θ) であり、これは、絶対値が 1 で実軸からの位相角が θ の複素数を意味する。上の例で言えば、 (1−√3i)=-i(√3+i)=exp{(-π/2)i}(√3+i):つまり θ=qΛ(x)=-90度。
運動方程式には必ず運動エネルギーに関係して座標微分が含まれるから、ゲージ変換した波動関数を方程式の中で x で微分する時に、

  ∂/∂x{ψ'(x)}=∂/∂x[exp{iqΛ(x)}ψ(x)]
  =iq{∂Λ(x)/∂x}exp{iqΛ(x)}ψ(x)+exp{iqΛ(x)}∂/∂x{ψ(x)}

となり、第1項を打ち消さないと方程式が不変にならない。(第1項が無ければ、方程式全体に exp{iqΛ(x)} が掛るだけで、解に影響は無い。)第1項を打ち消す為には、方程式の ∂/∂x という演算子を ∂/∂x−iqA(x)(共変微分)に置き換えれば良い。何故ならば、下記に示すように、A(x) は ∂Λ(x)/∂x を追加しても物理的には同じ相互作用場を表す(定義の自由度がある)からである。つまり、A(x) は変換 Λ(x) に対して A'(x)=A(x)+∂Λ(x)/∂x になる、と『定義』しておけば良い。

  {∂/∂x−iqA(x)}→{∂/∂x−iqA(x)−iq∂Λ(x)/∂x}

  とゲージ変換されると定義したから、

  {∂/∂x−iqA(x)}ψ(x) →
  {∂/∂x−iqA(x)−iq∂Λ(x)/∂x}{ψ'(x)}
  ={∂/∂x−iqA(x)−iq∂Λ(x)/∂x}[exp{iqΛ(x)}ψ(x)]
  =iq{∂Λ(x)/∂x}exp{iqΛ(x)}ψ(x)+exp{iqΛ(x)}∂/∂x{ψ(x)}
    +{−iqA(x)−iq∂Λ(x)/∂x}exp{iqΛ(x)}ψ(x)
  =exp{iqΛ(x)}{∂/∂x−iqA(x)}ψ(x)

となって、位相原点の変更に対しては、方程式全体にその位相因子が掛るだけとなる。実際に、電磁場中荷電粒子の運動においては、荷電粒子がその速度に比例した力を受けることに由来して、非相対論のパウリ方程式や相対論のディラック方程式では、電磁ポテンシャル A(x) が方程式の中では、{∂/∂x−iqA(x)}ψ(t,x)という形(共変微分)で入ってきていて、時間微分の方は ∂ψ(t,x)/∂t であるが、これと 静電場の項 qφ(x)ψ(t,x) を合わせるとこの共変微分の形になっている。従って、一般的に、そのような性質を持つ相互作用関数を選択すれば ∂Λ(x)/∂x の項が打ち消されて、ゲージ対称性が維持できるし、そもそも荷電粒子の運動方程式がゲージ対称性を満たすためには時空微分項にそのような相互作用項が必要となる。つまり、電磁場の形は偶然自然界に存在するのではなくて、電荷を持つ粒子がゲージ対称性を満たす方程式で記述されるということの必然的な帰結なのである。

(注)
  φ=静電ポテンシャル;
  A=(Ax,Ay,Az) ベクトルポテンシャル(空間 x,y,z 方向成分)から、
  電場 E=−∇φ−∂A/∂t; 磁場 B=∇×A=(∂Ay/∂z−∂Az/∂y)
  ∇は空間微分のベクトル、× は外積。      (∂Az/∂x−∂Ax/∂z)
                                           (∂Ax/∂y−∂Ay/∂z)
  時空に依存する任意のスカラー関数 Λ(t,x) を用意して、
  φ→φ'=φ+∂Λ/∂t
  Ax→A'x=Ax−∂Λ/∂x; Ay→A'y=Ay−∂Λ/∂y; Az→A'z=Az−∂Λ/∂z
  という変換(ゲージ変換)をしても、電場も磁場も φ や A の偏微分の差で定義されるから、変わらない。

  しかし、実験的にそのような場を作り出す事が出来て、実際に電子を飛ばしてみると、軌道は変らない(電磁場が変わらないから)のに、電子の位相因子だけが変わる。(位相そのものは測定できないが、位相の差は干渉を利用して測定できる。)この位相変化というのがゲージ変換に対応している。
  (1959年にアハラノフとボームによって予想され、1986年に外村彰によって実証された。)

  つまり、E や H よりも φ や A の方が量子力学的には『実在性』を持つ。

  また、電子の状態が複素数で表される(位相因子を持つ)ことは『実在性』を持つのである。

  なお、相対論では (φ/c,Ax,Ay,Az)=(A0,A1,A2,A3) としてまとめて4元ベクトルとする。

●電磁場以外の相互作用においても、ゲージ対称性を満たすようなものを採用しなくてはならない。電磁場の場合は、ゲージ変換は複素数(波動関数、あるいは場)に絶対値が1の複素数を掛けるということであり、これは群論では U(1) に属す。2

種類の粒子の状態を組にして、1つの粒子の2つの自由度と見做すことで作られる2つの複素数の組(アイソスピン)の場合は、それらが2次元のユニタリー群 U(2) に属する変換行列で変換されるが、この変換は全体に複素数位相因子を掛ける変換(U(1)に属する)と 成分間の比率を変える変換の積(直積)となり、後者の変換は特殊ユニタリー群 SU(2) に属する(行列式が=1 となる)。そうして得られた変換後の『状態表現』に対しても運動方程式が不変でなくてはならない、というのがゲージ対称性の要請である。したがって、U(1) に対応した電磁相互作用の場合と同様に、SU(2) に対応した相互作用項 W(x) を含む共変微分{∂/∂x−igW(x)}が必要となる。ここで、W(x) は A(x) とは違って、作用する相手の波動関数が2つ組(スピノルと呼ぶ)なので、2行2列の行列であるが、ゲージ対称性を満たす為に、数学的には、エルミート性と対角成分の和=0 という性質が要請される。実際に、これで左巻きスピン同士の電子とニュートリノの変換のような『弱い相互作用』を記述できる。

更に、3つの複素数の組(色自由度)の場合は、群 SU(3) に属す変換に対応した相互作用(『強い相互作用』)が必要となる。クォークの結合(グルーオン)を記述する。この SU(2) と SU(3) に属する変換によって、全ての素粒子同士の変換が見事に整理されることになった。

<ヒッグス場による質量の説明>
●ただ、問題が生じたのは、これらのゲージ対称性を持つ相互作用場においては力の粒子の質量項が許されないことである。質量項はラグランジアンにおける波動関数あるいは場の演算子の2次のポテンシャル項、運動方程式においては、場の値に反比例するような項である。つまり、時空各点におかれた場の値を束縛するようなポテンシャル項で、その中での場の振動エネルギーが mc^2 である。そこで場をゲージ変換(∂Λ(x)/∂x を加える)すれば、当然加えた項だけが係数 m を掛けた形で残される(方程式が変わる)のである。

●質量 m の意味は力の伝達速度に対する運動量の関係と力の伝達距離に現れる。

・まず速度であるが、ここで速度 v は振動エネルギー塊の速度であるから、自由粒子波動関数の群速度である。波動関数の位相部分は exp{−(2πi/h)(Et−px)} であるから、群速度 v =dE/dp である。相対論においては、E^2=m^2 c^4 + p^2 c^2 であるから、dE/dp=pc/√(m^2 c^2 + p^2) となる。右辺が v であることは、相対論の運動量 p=mv/√{(1−(v/c)^2} からも直接導ける。電磁波 m=0 の時は E=pc となり dE/dp=v=c となる。p=0 は存在しない(静止できない)。m>0 で p が小さい時には、ほぼ古典論と同じく、dE/dp=v≒p/m であり、p が大きくなると次第に飽和して c に漸近する。つまり、質量があると、相互作用の伝搬速度 v が遅くなる。

・力の伝達範囲は h/2πmc 程度の短距離となる。この事はクライン・ゴルドン方程式

   {−(h/2πc)^2×∇^2+m^2)}φ(t,x)=0

において、φを時間依存無し(定常解)、x については等方的(r のみの関数)として解いたとき、

  φ(r) ∝ exp(−2πmcr/h)/r )

という解があることから判る。静電ポテンシャルが起因となる電荷からの距離 r に対して 1/r で減衰するのに対して、それ以上急激に減衰するということである。

●ゲージ対称性を持つ相互作用は電磁場と同様な遠隔性(ポテンシャルとしては距離に反比例する)を持ち、光速で伝搬することになるのだが、実験事実として、電磁場以外の相互作用は短距離であり、光速より遅い。従って質量を持つ。

その説明の為に考え出されたのが特殊な場=ヒッグス場である。宇宙発展のある時点において、特定の値に固定されてしまったヒッグス場との相互作用によって、実際上はヒッグス場の運動エネルギー項がその共変微分の中にゲージ場の相互作用を含む為に、見かけ上、相互作用場の自乗に比例する項、静止エネルギー項となってしまい、電磁場はその質量項を持たない成分として残された、という事にすると、極めて正確に全ての実験事実を説明できる。これが標準理論である。つまり、標準理論における真空ではヒッグス場だけが励起されている。このヒッグス場自身はお互いに変換し合う極小ポテンシャル位置(モデルとしては2次の項が負で4次の項が正となる4次関数が使われる)の一つを偶然選択して、そこに留まっているために(極小位置変換についての)ゲージ対称性を自発的に失い、その極小場所での場の変化が拘束されることで、質量項を持つ。

このヒッグス粒子の発見によって、標準理論が確立されたのが 2017年である。ただし、暗黒物質や重力の量子化はこの理論からは取り残されていて、超ひも理論が有力視されている。そこではフェルミオンとボソンが統一される(お互いに変換し合う)。

<場の分類>
●標準理論における場は以下のように分類される。
・フェルミオン:クォーク、レプトン(電子やニュートリノ等);スピン=1/2
  ディラック方程式に従う。スピノルとしてローレンツ変換される。反粒子がある。
  クォークはグルーオンによって閉じ込められ、ハドロンとなる。
  ハドロンはクォーク3つ組のバリオン(陽子や中性子等)と
  クォーク2つ組のメソン(種々の中間子)とに分類される。
・ゲージボソン:光子(U(1))、ウィークボソン(SU(2))、グルーオン(SU(3));スピン=1
  クライン・ゴルドン方程式に従う。ベクトルとしてローレンツ変換される。
  フェルミオンとヒッグス粒子の運動方程式の中に組み込まれ、光子以外はそこから質量を得る。
  (光子には質量が無く、縦波成分が無い。横波成分が円偏光である。)
  ウィークボソンの W+、W- 成分がお互いに粒子−反粒子の関係にあるが、他は反粒子無し。
・ヒッグス粒子:スピン=0 のボソン
  クライン・ゴルドン方程式に従う。
  複素スカラー2つ組、あるいは実スカラー4つ組。ローレンツ変換で不変。
  その内一つが非ゼロに固定されていて、ゲージ対称性を失い、自己質量を持つ。
  残り3つは光子以外のゲージボソンに質量項を与え、その縦波成分となる。
・重力子:スピン=2 のボソン

<力学としてのまとめ>
●全体を眺望すると、まずは最小作用の原理がある。作用積分はラグランジアンの時間発展に沿った積分で定義される。ラグランジアンは使われる力学的自由度に応じて、自然法則に要請される対称性(座標系の並進、時間並進、回転、相対論ではローレンツ変換による対称性、量子論ではゲージ対称性)と(場の理論では)繰り込み可能性から、その数式の形が決まってしまう。作用積分を最小にするような時間発展が選択されることから、オイラーラグランジュ方程式(運動方程式)が導かれる。使われる力学的自由度の種類に応じて、粒子なのか場なのかという見方が別れる。粒子であれば、力学的自由度は粒子の位置であるが、場であれば空間位置と時刻における場の値(仮想的にはバネの変位のようなもの)そのものが自由度である。粒子の場合は非相対論と特殊相対論と一般相対論がある。場を自由度とした場合には必然的に特殊相対論の枠組みが導入されてしまう。つまり質量概念が場の振動による(座標移動が無いという意味での)静止エネルギーとしてエネルギー概念に統合される。電磁場はたまたま質量を持たなかったので、最初から場として認識されたのである。

●粒子における古典論では、非相対論ではニュートンの運動方程式が得られ、特殊相対論へは容易に拡張できる。一般相対論では重力方程式である。場の古典論ではマックスウェル方程式が得られる。

●これらの方程式において、それぞれの自由度から(自由度の時間微分でラグランジアンを偏微分することで)対応する運動量を定義できるが、それらを演算子として扱い、交換関係あるいは反交換関係を設定することによって、量子化が行われる。

●粒子の量子化の場合には、交換関係を使ったシュレーディンガー方程式や行列力学であり、解の確率解釈を行う必要がある他、スピン自由度を追加する必要がある。特殊相対論の場合にはクライン−ゴルドン方程式やディラック方程式となり、スピン自由度も誘導されるが、負エネルギー解には解釈が必要となる。粒子の量子化の場合には、同種粒子の交換についての規則(ボソンかフェルミオンか)を追加する必要がある。

●場の量子化の場合には、クライン−ゴルドン方程式(ボーズ場)やディラック方程式(フェルミオン場)の解を交換関係(ボーズ場)あるいは反交換関係(フェルミオン場)を持つ演算子として解釈し直し、(力学的自由度ではなく)パラメータ空間としての座標や時間において、力学的自由度である場が励起される状況を記述することになる。反粒子が必然的に生じる。場の励起が粒子として解釈される状況というのは、場が進行波として励起されている時である。その場合、粒子性の標識はエネルギーの離散化であり、位置や粒子の個別性には意味がなくなる。我々が電子顕微鏡レベルで目にする粒子はフェルミオン場が相互作用によってある程度狭い空間内に閉じ込められ、パウリの排他律によって他の巨視的粒子と重なることが出来なくなり、ある程度の空間を占拠するようになった結果である。

<量子力学と社会科学>
●考えてみれば、人類は自然の力に振り回されながら何とか生き延びてきた訳で、自らの生存技術を意識することすら難しかっただろう。社会的共有ということが出来るようになって、生きるための技術が思い描けるようになってきた。だから、『共感能力』というのはとても本質的なもののように思えるのだが、それがどういう機構で生じてくるのかは判らない。あなたと私は確かに同じものを感知しているという確信はどこからくるのか?脳が適応したとしか言いようがない。ともあれ、その共感を大前提として、我々は五感で認識する対象を共有する。あれとこれは同じだとか、こちらの方が大きいだとか、比較ができるようになり、基準となる物を共有することで、五感が『測定』できるようになる。歩幅を基準として距離が測定され、太陽や月や星の運動から時間が測定され、もっと短い時間は振り子の回数で測定され、重さは基準となる石を使って天秤で測定され、、、と必要に応じて測定が精密化される。何の為の精密化であるか、と言えば、それは『物』を操作する為である。人間や動物は背景の中を動き、敵や食物と格闘するから、それらが空間とは別の何かであることは脳裏に刻まれる。我々は石を持って投げることもできるし、棒を使って格闘することもできる。その『物』を精密に測定することで、物を操作する技術が得られる。物理学というのはそのような技術への希求から産まれた体系である。(究極の処、物よりも関係性(場)が先に在る、ということになってしまったのだが。)

●ただ、生物は単なる物ではなく、それ自身の気紛れさ(心)を持つ。人間であればなおさらである。基準となるべき物は何か?その測定対象は五感ではなく、共感そのものである。共感の本当の対象というのは相手の意図や感情や感覚であって、何かの物をその基準とすることはできない。(勿論現代脳科学は、脳磁気測定のように、基準となる物を求めているのだが。。。)確かな基準が出来るとすればそれは共同行為である。共感はお互いに確かめ合うことによってしか確定しないのだが、その為には共同行為がもっとも有効である。愛は一緒に暮らすことによってしか育めない。愛は習慣でもある。勿論、直接的行為の代替として言葉もあるのだが、言葉はしばしば裏切る為にも使われる。日常言語は科学用語とは異なり、定義によって意味を制限されていないから、多様な意味を含ませることができる。詩人はそれをうまく利用して読者を新たな視点へと導くのだが、詐欺師も同様にうまく利用して自らの利益へと対象者を誘導する。

●科学者は言葉の定義を拡張したいときには新しい測定装置を提案する。ボーアは量子力学において物理量という概念は対象の所有する性質ではなくて測定装置そのものであると喝破した。だから、人間社会を言葉で記述する為にはその社会の人間との共同行為を試みなくてはならないだろう。そのようにして定義が限定された言葉によってしか客観性は保証されない。かくかく云々の人間的働きかけ(マックス・ウェーバーの言う社会的行為)によってこの社会の人間達がこういう行動を返してきた、という事実を積み重ねることでしか、社会科学は成り立たない。それは決して特殊な方法ではない。

我々はそのような経験を嫌と言うほど積み重ねてきたのではないだろうか?どのような社会的行為を選ぶかによって社会はそれに応じた姿を見せる。それは社会の本来的な属性ではなくて、社会的行為によって類別されたデータにすぎない。データはそれ自身客観的なものではない。共感によって認識されるのだが、それを規定する為には社会的行為そのものの再現性や厳密性が要求される。要するに方法論の反省が必要である。とりわけその方法によって何が捨てられるのか?何故捨てられなくてはならなかったのか?という事の反省。

●量子力学における対象に比べて社会科学における対象というのは勿論物理的には完全にデコヒーレント状態、つまり物理量が確定した状態であるから、考え方が適用出来るはずもない、というのが常識だろう。しかし、社会科学における対象というのはそもそも物質や場ではないのだから、物理量で語れるものではない。むしろ対象の認識という行為から見れば、共通する処が在る筈である。

●もう一度、量子力学における対象、例えば1/2スピン状態について復習してみよう。スピンを測定する装置は必ず空間方位を持ち、その方位に対して 1/2 と -1/2 というスピンの値が固有値である。つまり二つの内いずれかを選択するのが、スピン測定器である。これに対して、量子力学的対象としてのスピンは一般にはそれら二つの重ね合わせであるから、確かに決定されていないと言えるのだが、同時にその重ね合わせとしてのスピン状態は、その重ね合わせの係数に応じて、ある方向を選べばその方向についての固有状態なのである。つまり確定したスピンの値を持つ。だから、問題は測定器の側にある。スピンの持つ方位とは異なる方位で測定するから、二つの測定値が確率的に選択されるのである。一旦選択してしまえば、対象はもはや元の状態ではなく、その選択された方位における測定された固有値を持つようになる。選択は不均一磁場を通過させることで行われて、スピンを持つ粒子は二つの経路を重ね合わせとして辿り、それらの経路の途中に検出器を置けば、いずれかの検出器に捕まることで、スピン 1/2 か -1/2 かが測定されるのだが、検出器を置かずに、二つの経路を合流させれば、測定されなかったことになる。

●我々は社会という対象を社会的行為という測定器に対する社会の応答という形で認識するしかない。社会が何らかの首尾一貫した社会的行為体系の固有状態であるかどうかは、誰にも判らないけれども、少なくともそのような社会的行為の体系でもない限り、社会の応答は確率的である。そして、一旦応答してしまえば、社会はその固有状態に変化している。革命運動を起こせば、成功するか失敗するかのいずれかであるが、いずれにしてももはや元の社会ではない。

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