2013.01.07

    「海の見える杜美術館」に行ってきた。2号線の宮内交差点から入るのだが、またしても増設された2号バイパスは交差点の上を通り過ぎていることを忘れていて、反対側からアプローチして無事辿りついた。なかなか面白いところである。仏教系の新興宗教であろう。遊歩道があって、その周りの庭の作りが宮崎駿風の奇妙な世界である。大きな兎の像があったり、中国風の赤い門があったり、妖精の銅像があったり。でも美術館からの宮島の眺めが絶景である。モヤがかかったようになっていて、写真は上手く撮れなかったが。この美術館は宮島からは鳥居の背景によく見える。京都だったら絶対に認可されない建物であろう。

      それはともかく、展示は宮澤賢治の童話を題材にした絵である。僕の知らない童話もあった。いろんな画家が描いたものを童話の説明と一緒にして展示していた。賢治自身の絵も少しあった。「日輪と山」というのは尖った山の天辺に赤い太陽がある印象的な絵である。現物はA5番くらいの画用紙であったが、絵の具の壁塗りみたいな感じで面白かった。いちいち説明を読んでいたら2時間以上かかってしまってお腹がすいた。帰り道に井口台の「フジ」に寄って、傍にある「ちから」で昼食を摂った。

      帰ってから、知らない童話があったので、大昔に買っておいた「ザ・賢治:宮澤賢治全一冊」(第三書館)をパラパラと捲って見た。この人の言葉はいつも新鮮な響きで胸を打つ。人々の為に粉骨砕身した科学者である。科学の用語に籠められた想いが募り募って詩になっている、という感じである。科学に徹底することで自我そのものを客体として差し出すし、その醒めた眼が動物を題材にした童話におけるユーモアにもなっている。こういう人が居たということは日本における近代史の希望である。美術館の所有者はやはり法華経系の新興宗教であった。宮澤賢治を採り上げたのはそういう理由があったのかもしれない。法華経と自然科学が自然に結合しているところが宮澤賢治の特異性である。同世代の夏目漱石のように日本の伝統社会と近代思想の矛盾に悩む事が全く無かったのは、法華経の功徳か?そうではなくて、東北という災害に見舞われる社会に開かれた彼の実践的態度だったのであろう。
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