2016.11.18

      午後から八丁堀福屋の「八丁座」でアニメ版「この世界の片隅に」を観に出かけた。2011年にも一度映画化されたようであるが知らなかった。

      時代は昭和。主人公は「すず」という広島の江波(平和公園のある島の一つ西側の島の南側)で海苔の養殖を営んでいる家族の娘。空想的でのんびりしていて絵が得意。親戚が草津にあり、干潮になると干上がった砂浜を歩いて渡れたらしい。戦前には太田川放水路がなかったから、その辺りはあまり川の水量がなかったのだろうか?出来た海苔は船で中島地区(現在の平和公園)という商店街まで届ける。すずが届けた帰りに人さらいに騙されて籠に入れられるのだが、その時一緒にさらわれた男の子(周作)が、すずに一目惚れしてずっと覚えていた。

      周作は親を介して結婚を申し込み、呉の彼の家に嫁として入る。義姉は性格が激しくて、自分で結婚相手を見つけて広島市内に住んでいたが、夫を失い店も延焼防止政策で壊されて帰ってくる。戦争は厳しくなってくる。義姉の娘を連れて、呉市内の病院に義父を見舞に行った帰りに空襲に会い、自分の右手とその娘を失う。軍港呉の街は廃墟と化した。連夜の空襲にも慣れ、健気に生きていくのだが、さすがに耐えられなくなって8月6日の祭りの日に広島に帰ろうとしたのだが、義姉と仲直りして家に留まった。ちょうどその朝、突然の光としばらくしての激風に見舞われ、やがて広島方面に大きなキノコ雲が上がり、いろいろな物が広島から飛んで来て落ちる。原爆である。それからほどなく8月15日を迎える。この時大人しいすずが最大限の激怒を表す。本土決戦で最後の一人まで戦うのではなかったのか?一体何のために自分はここまで耐えて生きて来たのか?しかし、その怒りもやがて忘れて、広島市内で夫に出会い、たまたま出会った孤児を連れて呉に帰る。

      まあこんな粗筋。戦争という大きな時代背景の中で「すず」という絵を描くことだけが取柄という何とも頼りない一人の女性が不条理な運命を受け入れながら日々の生活の中に喜びを見出しながら生きていく。彼女を一番支えていたのは夫の愛であるが、その彼の言葉が印象深い。「皆が異常になっているこの世の中でお前だけがごく普通に生きている。その事が救いだよ。」実際アニメで描かれるすずの日常風景は実にリアルである。江波の海岸縁での養殖海苔の仕事や「対岸」の草津まで干潮の時に歩いて渡る様子。軍都・商都として栄えていた広島の街並みや賑わい。呉を囲む山裾にある嫁ぎ先での長閑な田園風景。戦艦や駆逐艦の屯する軍港の様子。夫との愛情に満ちた会話。食料不足の中で野の草を集めて食事を工夫する。近所の人達と掘る防空壕。畑から軍港を描いていて憲兵に捕まり、大笑いの種にされる。そのような日常の中に、突然の空襲によるまるで花火のような風景がやってくる。<ああ今手帳と絵具があれば>とすずは呟く。高射砲からの弾丸は空中で破裂してその破片が近くに落下する。最大の悲劇は呉の空襲の時、義姉の娘を連れて義父を見舞に行った帰りに、時間差で破裂した爆弾に右手と一緒にその娘を失ったということであった。義姉は彼女を罵り、それでも彼女は健気に家事をこなす。呉で体験した原爆の様子も最初は閃光、それから激風、それから巨大なキノコ雲、それから広島から吹き飛ばされた紙や障子など、最後に逃げ帰って来て死んでいく被爆者である。これらも黙って受け入れる。彼女が唯一激怒したのは8月15日の天皇の敗北宣言であった。<最後の一人まで戦うというのは嘘だったのか?今まで何のために耐えてきたのか?>しかし、その怒りさえも日々の生活の中で薄れていく。

      このアニメが素晴らしいのは、戦争の昭和をその全体像として捉えなおし、歴史の中に位置づけ、現代に生かす、といった方針を貫けば貫くほど意識から抜け落ちてしまう「個別的な生活感覚」に徹底的に拘ったところである。歴史的事実は時間経過と共に客観化されるが、その代りにそこで生きた人々の感覚は失われる。それを蘇らせる事がこのような「作品」の意味である。ニールス・ボーアが「相補性」と名付けたのは正にこういうことであろう。つまり、電子を古典的に記述すれば力学(因果性)が失われ、力学を完成させようとすれば電子はハイゼンベルグの「不確定性」を帯びる。それらは矛盾しながらも両方が相俟って人間のあるべき認識を構成すべきなのである。
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