2016.12.06

もう中島みゆきもいいかなあ、と思っていたのだが、去年から今年にかけてのライヴを収録したDVD「一会」が出たので、まあ最後と思って購入した。

「さすがに年を取ったかなあ、、。」というのが最初の印象で、「でも一生懸命だなあ、、。」というのが2番目。しばらくそのままだったのだが、「ベッドルーム」の中の<寝心地は最低、居心地は最高。心の中のベッドルーム>という訳の判らない言葉が引っかかってしまって、何回も聴き直すことになり、その内、引きずり込まれてしまった。

中島みゆきはまだ生きていて変貌を遂げつつある。その生々しさが胸に迫ってくる。いちいちDVDをかけるのも面倒なので、第1部 Sweet は飛ばして、第2部 Bitter 第3部 Sincerely Yours をCD-Rに移して聴いている。

中島みゆきは弟夫婦と一緒に母親の介護をしている。弱者(母親)についつらく当たる自分に気づいたのかもしれない。ベッドルームは他者への思いやりの拒絶によって護られる。目覚めていればそれで居心地は良いのだが、眠ろうとすると無意識の罪悪感によって眠れなくなる、という意味なのだろう。

「空がある限り」の空というのは要するに大気圏であって、人々を結びつける絆として最後に頼れるものでもある。そこにわずかな希望を託す。

「友情」は1981年の曲で、何というか引き締まった名曲という感じである。<背中に隠したナイフの意味を問わないことが友情だろうか?>

ともあれ、「ベッドルーム」「空がある限り」「友情」「阿檀の木の下で」「命の別名」「WHY & NO」という厳しい歌の連鎖は昨年暮れから今年にかけての政治的・社会的状況と無関係ではないだろう。特に「阿檀の木の下で」では背景に飛行機の爆音を配して沖縄であることを明示している。

フォークソング調の「流星」は1994年の曲で、その時に比べると味わいが深くなっている。長距離トラックの運転手との人情のやり取りが面白い。

最後は<伝える言葉から伝えない言葉へ。きりのない願いはジョークにしてしまおう。>と、語られるしかない理想の愛よりも現実に人々との関係を続けることを選択する。

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