2019.01.11
エリザベト音大で大学院公開講座があった。スペインのサンティアゴのダビッド・ドゥラン=アルーフェというピアニストを招待して、『ピアノ音楽から見る細川俊夫の世界』というタイトルである。なお、彼は『細川俊夫のピアノ音楽』というタイトルで博士号を取得しているから、解説としては最適である。奥様が日本人で、通訳をした。細川俊夫も来ていて、最後に挨拶をした。

      細川俊夫は韓国出身の亡命作曲家イ・サン・ユンに師事していて、東洋的なカリグラフィー(書)をイメージした、旋律重視のスタイルである。だから、フルートを尺八のように使ったり、アコーディオンを笙のように使ったりするが、ピアノは東洋世界から最も遠い楽器である。そういう意味でピアノは彼にとってチャレンジとなる。といった前置き。

      最初の曲は1977年の『メロディアII』。ソの音を中心としたイオニアン音階が使われている。これはユンの処で修業していたときの演習課題であった。ゆったりと始まり、少しづつ速くなって、音量も大きくなり、最後に小さくなる、という全体の流れが序破急の感じ。音の配置の仕方が何となく筝曲を思わせる。緊張感を持った美しい曲だった。

      次は1994・96年の『Nacht Klaenge (夜の響き)』。ここでは、水平の旋律が短く強い縦のコード音の塊で切断される、という構造をとる。流れが沈黙によって切断される感じ。ピアノの技術としては弦を直接触ったり、叩いたり、弦を抑え込んだままキーを叩いたり、といった方法が使われている。現代音楽では<内部奏法>と呼ばれて、よく使われるのだが、彼の場合自然な発想で必然性が感じられる。三味線の<さわり>のイメージ。短い音の塊が余韻と共に断続的に発せられて、確かに夜の響きという感じがした。細かい旋律については新ウィーン学派的という解説があった。

      最後は2011-13年の『6つのエチュード』。エチュードの意味としては、細川俊夫にとってピアノで作曲すること自身が挑戦で練習でもある、という意味。タイトルは曲の構造を規定していて、1.2本の線、2.点と線、3.1本の線(俳句)、4.3本の線(綾取り)、5.怒り、6.歌 である。2013年には児玉桃さんが全曲を演奏したのだが、今日はこの内3,4,5,6が演奏された。3番(俳句)は12音技法、4番(綾取り)はオクタトニックスケール(半音と全音を交互に使う)。綾取りというのは3本の線が二つの手の間を行き来する、という意味で、楽譜を見ると何となく判る。ただし聴く感じとしてはかなり厳しかった。僕は直接経験したこともないのに、何だか空襲を受けて街が焼けてしまい、その後でカラスの大群が死体を漁りに来てはしゃいでいる、という陰惨なイメージを描いてしまった。5番(怒り)は、細川氏がピアノを相手に癇癪をぶつけているのだそうで、まあ、そんな感じの曲である。6番(歌)は一番最初の『メロディアII』を豊かにした感じで、とても美しかった。ピアノの音を少し時間をずらせて重ねることで梵鐘の感じを出している。

      こうして聴いてみると、細川俊夫の音楽は後世に残るのかもしれないなあ、と思う。CDで聴いてみようかという気になってきた。
 
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