一年近く待って、順番の廻ってきた白井聡「永続敗戦論」(太田出版)を読んだ。かなり売れたようである。ただ、著者自身が言っているように、それほど新規な事実は述べていない。3.11以降の政治状況に我慢できなくなって書いたということである。新機軸と言えば「永続敗戦」という概念である。これは日本の戦後の支配層の心理状態を形容した造語である。著者の説明を引用すると、「敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属をつづけなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続ける事(政権の座に就いている事)ができる。かかる自家撞着状況が「永続敗戦」である。国内とアジアに対しては敗戦を否認しつつも、米国に対しては卑屈な臣従を続ける。」まあ、「敗戦を否認している。」という言い方はどうかな、と思う。少なくとも米国に負けたことは認めていると思う。

      だから言いたいことは、負けたことの否認ということではなくて、負けたことへの責任の放棄であろう。公職追放が解除されて、戦争責任を負うべき人達が新しい国家を運営し始めた、という事。だから、彼らは米国から許されたと思い、同時にある程度の感謝の念もある。理不尽な戦争に動員されて餓死させられ、国内では飢餓に耐え、空襲で命を落とし、挙句の果てに原爆を落とされ、シベリアに抑留され、、、これらの責任を当の被害者たる国民自身が追及することは殆どなかった。当の被告は敵国たるアメリカ軍の庇護の元に生き延びて、そ知らぬ顔をして政権の座に就いている。何故追求しなかったかといえば、近隣諸国を楯にして日本だけが「平和と繁栄」を謳歌したからである。しかし、この幸福な偶然はいつまでも続くとは思えない。米中の力関係が変化しているからである。日本はいずれ何らかの形で米国に見捨てられるであろう。

      以上が著者の言いたいことであろう。この「永続敗戦」という心理構造モデルで、尖閣列島問題、竹島問題、従軍慰安婦問題、拉致問題、北方領土問題、を解析している。あまり切れが良いとも思えないが個別には多少勉強になった。更に、戦前の政治体制は天皇の神格化と天皇機関説という表裏一体の情宣によってバランスが取れていたが、戦後は支配層の敗戦の否認と米国への従属という表裏一体の行為でバランスが取れている。つまり同型構造であるという。戦前では元老の死滅によって、天皇機関説が否定されて天皇の神格化が進み軍部の支配となったのであるから、戦後では米国の衰弱と経済の縮小によって、敗戦の否認というナショナリズムが台頭するだろう、という。これもやや短絡的な予測のような気がするが、いつまでも米国頼みではいられないということだけは確かだろう。
<目次へ>  <一つ前へ>    <次へ>