旅行中に内井惣七「ダーウィンの思想」(岩波新書)を読んだ。ダーウィンというと適者生存とか自然淘汰によって遺伝的形質変異が環境に適応して生き残っていくことで生物種が進化してきた、という考え方(進化論)の提唱者として、近代を語る上で必須の思想ということが一般的に知られているし、ガラパゴスへでの調査も有名であるが、それらは必ずしも彼だけの思想や調査ではなかったということである。

    彼が南アメリカへの探検時に触れた書物、ライエルの「地質学原理」には地質についてその成因を「現在実際に観察されている原理によって説明できるはずである」という考え方が展開されていて、これがダーウィンの方法論になった。動物種についても植物種についてもこういう原理で説明することで、転生説(種が変化していくとする考え)に染まっていく。転生説は何もダーウィンの独創ではない。当時一部の人達は書物で述べていた事である。ダーウィンの特徴は転生が「自然淘汰」による形質遺伝子の選択によるという統計的メカニズムの提唱にあるわけであるが、この考えも先に書物として出版されていた(もっとも思いついたのは同時期であるが)。

    彼が「種の起源」をなかなか書けなかった理由は、「自然淘汰」だけでは説明できない「分岐の原理」のメカニズムに思い至らなかったからであるし、それこそダーウィンの独創なのである。環境に適応していくだけであるならば、種が進化して行けばよいのであって、多様な種に分岐する必要はない。そのメカニズムを知るにはガラパゴスフィンチのデータが有効だったのだが、実はダーウィンはガラパゴスを調査した時にはその意義に気づかず、データが不足していた。(その後デイヴィッド・ラックによって調査研究が進んだ。)「分岐の原理」はウォレスによって説明されていたが、彼は分岐のメカニズムを環境の側の分岐に求めていた。(有名なのはアフリカ大地溝帯の出現で二足歩行人類と他の類人猿が分岐したとする説であろう。)しかし現実に起きている分岐では同一の環境下で分岐が起きるのである。ダーウィンは種が繁栄すればやがてその限界を迎えると考え、その限界を超えて繁栄するために、同じ環境でも少しずつ異なった生態学的位置に適応していくことが起きると考えたのである。そして、ランの研究などで実証していった。この考え方は今西による「種の棲み分け」理論と同じに見える(が、どうもそれほど単純ではないようである。僕は勉強不足なので深入りしない。)つまりダーウィンの本当の独創性はそこにあったことになる。

  ダーウィンのもう一つの重要な思想は彼の考え方を人類にまで進めたことである。「道徳」という人と動物を区別する能力と考えられていた事が類縁の社会性動物からの連続的な本能の適応的、連続的変化によって説明できるということを提唱した。こちらの方が社会的インパクトとしては大きいが、そのメカニズムの実証的展開は最近のド・ヴァール「利己的なサル、他人を思いやるサル」(草思社)によって知ることが出来る。また別の機会に読んでみる事にしよう。

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