2023.03.04、03.28に追加
今日はASPOS(政治社会学会)のCOVID-19研究会があった。「現代カタストロフ論で、 コロナ禍の経済と生命の周期を解き明かす」。

金子 勝(立教大学特任教授)、児玉龍彦(東京大学先端科学技術研究センターがん・代謝プロジェクトリーダー)両氏の発表と若干の討論。この二人は金子・児玉『現代カタストロフ論』(岩波新書、2022年12月)という本を出していて、それに関する話である。教育大の同窓生らしい。コロナ禍が節目を迎えて、全体像が見えてきた感じであるが、それと経済社会の動きとの間の類似性に着目している。話は交錯したが、両氏の弁を分けて記録した。もっともこれは僕の記憶によるので不正確だろうと思う。詳しくは共著『現代カタストロフ論』(岩波新書、2022年12月)を読んだ方が良い。
(僕はまだ読んでいない。最後に追加した。)なお、( )内は私見・追記である。

・・・児玉先生の方は勿論COVID-19の総括みたいな話である。COVID-19が武漢で発生して蔓延したのはその地域があまり普通のコロナ(風邪)に対する免疫を持っていなかったということもあるらしい。日本には水際で止まったのである。日本は対ヨーロッパに対しての水際対策が不十分でPCR検査隔離に積極的でなかった。日本に入ってきたのはむしろヨーロッパ型の変異株でその後東京変異型となった。第1、2,3波である。これには抗体薬が効果的だった。

・・・その後のα株(第4波)、δ株(第5波)は変異の様相が異なる。本来変異スピードが大きいとそれによる増殖力低下が生じで自滅する、というEigenの理論に従う筈なのだが、これらは一部の免疫不全患者の体内で非常に長い間に亙って増殖して変異した結果、感染性と病原性を兼ね備えたウイルスとなった。変異が起きた地域を見るとアフリカ大陸南部であり、この地域では人口の1割がエイズ患者である。治療薬の発達でエイズも死の病ではなくなったからである。これにはmRNAワクチンが効果的であった。

・・・しかし、そのワクチンによる免疫を回避するようなキメラ変異が生まれてしまった。第6、7、8波のオミクロン株とその亜種である。一度に複数株に感染して感染細胞内で遺伝子の混合が起きる。そうするとウイルスの基本機能としては弱くなってしまうのだが、多種多様なスパイクタンパクを持つので特定のスパイクタンパクに対応したワクチンが効かなくなる。結局の処日本の感染対策は的外れに終始して集団免疫段階に到達してしまったのだが、それは比較的若い人達の間でのことである。殆ど報道もされなくなったのだが、実際には高齢者施設で感染による死者が増えている。

・・・感染対策は厚生労働省が仕切って、準備のなかったPCR検査をしなくて済むような方法を採用した結果、過大で不適当な行動制限をせざるを得なかった。大学には検査設備が余っていたのであるが、使おうとしなかったし、文部省も大学でのクラスター発生を恐れて検体を持ち込ませなかった。組織がその使命よりも自己保存を優先したのである。(そういう意味で自衛隊だけが使命に忠実であったのかもしれない。)副次的に日本からは海外に発信できるような研究成果も非常に少なかった。

・・・自治体によって対策にはかりな差があった。人口当たり死者数は大阪と北海道が大きい。これには、財政の無駄を無くすという名目の元での、医療体制の積極的弱体化がかなり寄与している。特に大阪では昔から医療経営の人脈があり、生活保護者を囲い込んだり精神障碍者を囲い込んで国からの補助金をかすめ取るようなやり方が横行していた。コロナ禍に対しては既に無効性が実証されているさまざまな施策を喧伝して政治的な人気を得るやりかたが採られた。飲食店を過度に締め上げたり、訳の分からない計算モデルとか、果てはイソジンによる消毒とか。。。枚挙に暇がない。このような施策を「やってる感の政策」と呼んで文章にまとめたのが岩本康志という人である。多少参考になるかもしれない。

(今朝のNHKラジオ(6時40分より)では冲方丁(うぶかたとう)が解説していた。ベトナムでのフランス統治時代にネズミ駆除を狙ってネズミの尻尾を買い取るという施策をしたところ、ネズミの尻尾が沢山集まったのだが、実は尻尾の無いネズミが増えていた、という話に始まり、現在でも、出産一時金を増やすとその分だけ産科の治療費が値上げされて結局は病院だけが儲かる、という話等々。制度を作ることが成果となってしまって、それを実行する組織の自己保存が目的となる。本来の目的が達せられたかどうかの検証がされないからである。)

・・・およそ50年周期で社会が大きく変わる、ということが言われている。薬学においてもそうである。19世紀までは博物学と生物学が発想の源泉であった。それが20世紀に入ると化学が中心となる。20世紀半ばでは遺伝子工学であるが、その基盤は物理学である(測定機器や化学操作は物理技術に基づく)。21世紀になると情報科学である。これは個人個人の遺伝情報に基づいた医療が展開されるということである。実際癌の治療に対しても個別の遺伝子解析に基づいた mRNAワクチンが開発されている。

・・・各都道府県における自立した医療の中心を保つことと中央における先端技術の集約の両面作戦が必要である。フィンランドの医学は参考になる。小さな国であるが各都市に医学系大学があり、授業料は無料である。知的レベルが高い。それをベースにして新しい医療技術が開発されてきて共有されている。女性の活躍と出産・育児との両立ををサポートしている。米国では先端医療の進歩が著しいが、問題はその受益者が人口のほんの一部の富裕層に限られていることである。日本の問題点は女性を非正規雇用状態において結婚や出産に対して配慮しないことである。ただ、日本にはまだ国民皆保険がある。これは医療情報としても極めて信頼性の高い環境であり、研究のレベルを上げることが出来る環境となっている。最近の試みとして「在宅がんウィット」というサイトを立ち上げている。
   
・・・金子先生は、COVID-19における変異株の変遷を見て、社会でも同じようなことが起きていると思った。カタストロフというのは系を維持していてお互いに絡み合っている非線形プロセスが正のフィードバックを起こして不安定化し、別の形態の安定系を目指して変化することである。その背景には勿論生産力とか技術とかの進展がある。この状態遷移の最中はいろいろなパラメータが変曲点を通る。もともとシュンペンターが言い出したことである。

・・・1873年の不況から、ヨーロッパ各国が不況に陥り、動乱期になった。1918-20年の第一次世界大戦後、重化学工業が発達した。1970年には米国の貿易収支問題から金本位制が廃止され、ニクソンショックとなった。そして2020年のコロナ禍、そしてウクライナ戦争、中国の大国主義である。新中世と言われている。つまり群雄割拠の乱世である。それぞれの危機を乗り越えるために社会は新しい枠組みを発明してきた。大体50年周期となるのは、世代交代ということと、同じことだが、過去の時代の記憶が記録に変わる、ということであろう。

・・・日本の状況は末期的段階である。政治家は「やってる感」政策ばかりで、自己保身に夢中である。そもそも日本の家族形態はもはや世帯中心ではなくなっているのに、いまだにその形にこだわっていながらも、会社の在り方は家族経営から株主中心主義に舵を切ってしまった。しかも、この切り替えに日本は遅れ過ぎたので、いまや欧米では逆の方向に舵を切っている。つまりStakeHolder重視、SDGsである。結果として非正規雇用ばかりが増えて、若い人達は結婚出産に対して消極的である。人口は急速に減少しており、もはや産業を興して赤字から脱却することはむずかしい。ひとつの方向性としては地方での生業を再生して地産地消の経済とすることで食料やエネルギーの海外依存を減らすことである。生業というのは要するに家族単位での自炊である。現在の食事はもはや料理というよりは加工食品の組み合わせになっていて、加工食品というのは殆どを輸入に依存している。大都市集中でなくても IT環境を利用すれば、地方でも自立した産業が可能である。

2023.03.28 追加
・・・金子勝・児玉龍彦共著『現代カタストロフ論ー経済と生命の周期を解き明かすー』(岩波新書)を取り急ぎ読み終えた。取り急ぎ、というのは、繰り返しが多いのでかなり読み飛ばしたのである。3月4日の講演の元になった本である。

・・・カタストロフ論というのは、昔、大学の研究室に修士課程からやって来た人が心酔していた思想で、彼は相転移をカタストロフの考え方で解析していた。非線形の微分方程式の時間発展を追うもので、パラメータ(典型的には温度)の変化によって破局に至り、新しい状態に転移する。これは既に微視的状態の運動方程式から統計力学によって取り扱われていた問題なので、それ以上何か言うべきことがあるのか?という疑問が残ったままであった。巨視的変数だけを説明するような微分方程式を作って、その特徴を解析してみても何か新しい知見が得られるとは思えなかった。

・・・しかし、このような問題の設定は元祖のルネ・トムにとって本意ではなかったようである。彼は、生物系で見られる発生や進化を説明するモデルとして、考えたのだが、何しろ系が複雑すぎるので、数学的に取り扱えないから、単純な微分方程式系でそのグローバルな特徴を捉えようとしたのであった。そういう意味で、ルネ・トムの趣旨に沿った方向はカオスの数学であったと言える。しかし、「現代」カタストロフ論では、その後の計算機の進歩と遺伝子情報の蓄積によって、元祖ルネ・トムがやりたかった計算が実現可能となった。つまり、アイゲンの遺伝子変異の適応と自壊の解析がそれに相当するということになる。

・・・アイゲンの理論も、僕は初期のものしか勉強していないので、単に「最適変異株の適応度と突然変異の頻度とのバランスで、適応度が高いものが生き残るという事だけでなく、変異の頻度が大きすぎても生き残れない、という理論である」と理解していた。しかし、その後の研究があって、突然変異の積み重ねで適応度の高い変異株に進化する、というシナリオだけでなく、多種の変異株の混合によって新たな適合変異株が生まれる、つまり、遺伝子空間で大きくかけ離れた変異が生じる、という場合にも拡張されていたらしい。実際、COVID-19ではオミクロン株以降がそれに相当する。(生物進化では水平進化(かけ離れた生物種間で遺伝子がやり取りされる)に相当するのだろう。)『自然と遊戯』という本に書いてあるそうなので、読んでみようかと思う。

・・・経済のカタストロフの方は、背景には、絶えず新たなフロンティアを求め続ける資本主義経済の本能がカタストロフに直面して新たに進歩した科学技術や社会構造を援用して新しい秩序を作り上げる、という運動である。こちらのカタストロフ論の方は、経済学としての計算が出来るとは思えないので、経験論とでもいうべきだろう。しかしまあ、理論的背景というよりも、その解析結果の方を注目すべきだろう。日本の社会が「アベノミクス」に誘起されたカタストロフに陥るのは時間の問題なのであるが、問題はそこから如何にして新しい安定状態を作り出せるか、という処にある。児玉先生の世田谷区での「科学的対策」に比する先例として、金子先生は新潟県大潟村でのエネルギー自給自足の試みを挙げている。

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