2022.08.30
      8月には毎年戦争の番組がある。今年は、ミッドウェイ、ガダルカナル、ビルマの話が、『新・ドキュメント太平洋戦争』、『NHKスペシャル』として放映された。
・・・アメリカは真珠湾攻撃を逃れた空母を使って、日本近海に近づいて、数10機の爆撃機で本土を攻撃し、1機も撃ち落とされなかった。アメリカにとっては一種の世論浮揚であったが、日本にとっては屈辱だった。山本五十六は空母をミッドウェー付近におびき寄せて叩き潰すべく、空母4隻を含む大艦隊を派遣したのだが、暗号を解読され、待ち伏せを受けて全滅した。
・・・ガダルカナルは太平洋上の日本占領区域の最前線で、ここに空港が建設されていたのだが、アメリカ軍に乗っ取られてしまい、その奪還を図ったのだが、失敗した。問題は陸軍と海軍が失敗の責任を擦り付け合って、いつまでも撤退しなかったことである。ジャングルの中で悲劇が起きた。これらの作戦の失敗は国内では成功と報道された。「撤退」の替りに「転進」という言葉が発明された。
・・・次。日本はイギリスからの独立を目指していたアウンサン等のビルマ人を味方にしてビルマからイギリスを追い出したのだが、インド領のイギリス軍を叩くという「インパール作戦」を敢行して失敗する。およそ補給線ということが考えられていなかった。この話は以前の番組であった(2017年:)
その撤退の道は「白骨街道」として知られているが、ここでも問題はその後である。
・・侵攻してきたイギリス軍は疲弊した日本軍の10倍の兵力だったのだが、指揮官は中部に無謀な防衛線を張らせて破られてしまう。ビルマ人達もイギリス側に付いた。首都ラングーン陥落も見通された時点で、司令部は徹底抗戦の命令を残して飛行機でタイに逃亡した。ここから先がなかなか理解できないことなのだが、その命令は実行されたのである。司令部の行動については現場を預かる将校たちには呆れられていたにもかかわらず、ラングーンに滞在していた民間人も巻き込んで戦闘となり、首都から逃亡して密林に逃げ込んだ人数が3万人。更に敵陣を突破して背後の河を渡ろうとして、半分以上が戦死した。
・・イギリス側やビルマ人や生き残った日本兵や看護兵の証言を集めて戦争の実態が語られている。戦後捕虜となった司令官の調書が公開されている。彼は防衛線の無謀さを承知していて、ラングーン防衛の時間稼ぎと考えていた。また日本軍が全滅することは判っていたという。しかし、やはり判らない。何故降伏できなかったのだろうか?イギリス軍司令官の話。「日本軍には本質的欠陥があるように思える。それは失敗した作戦を失敗と認めて反省しないことである。」いくら絶望的であっても初志貫徹して、最後は玉砕を覚悟する、という戦い方である。捕虜となれば恥を晒す、日本の社会に帰れなくなる、という心理か?吹き込まれた思想というものの怖さ。

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