190121
随分長くかかって、アチェベの『崩れゆく絆』(光文社古典文庫)を読んだ。アフリカ文学の金字塔みたいに評価されていると、新聞の書評で読んだからである。ナイジェリア地域がイギリスに植民地化されていく様子を現場の共同体の視点から書いている。

      最初の2/3はまるで文化人類学の記録みたいである。実際、当初この小説は文化人類学の研究室の必読書だったらしい。地域の村の内部の事から隣接村との折り合いの付け方まで、長い歴史による蓄積された知恵が宗教や社会組織に凝縮されていて、自己完結した文化を形成している。文字は無いから、雄弁性(回りくどい言い回し)が重用される。その枠をはみ出すような存在として、主人公オコンクオアが登場する。彼は有能で勇猛果敢。一代で財を成したが、やや乱暴であり、弁舌が苦手である。やがて、村の掟を犯して成員を誤って殺してしまい、7年間村から追放され、妻の実家のある別の村で世話になる。

      ここから第2部。そこで、やってきたのが、キリスト教の宣教師達である。村の人達は宣教師を見くびっていたので、悪魔の住む領域に住むことを許した。しかし、自己完結していると思われた村には弱点があった。村民として認められなくて不満を持ちながらも耐えていた非人達である。彼らがキリスト教に改宗して、次第に若い村民も惹きつけられ、ついにオコンクオアの息子も改宗する。

      7年が過ぎて、オコンオクアが元の村に戻ってみると、そこでもキリスト教が侵入していた。小競り合いのような出来事が続いて、やがてイギリスからの武装兵が現れ、法廷で裁判が行われ、、、と形勢が逆転する。最後には、オコンクオアは首吊り自殺を遂げるのだが、村の掟では自殺は神への冒涜であるからと、埋葬を拒まれて、仕方なく遺体が宣教師によって葬られる。

      著者は完全にイギリス流の教育を受けていたのだが、祖国の歴史が単に野蛮な未開民族としてしか記録されていないことに衝撃を受けて、あちこちに残されていた昔の文化を調査して、小説という形で歴史を記録したのである。それは民族の誇りの回復ではあったのだが、それと同時に、どんな社会にでもある負の側面がうまく突かれて一気に植民地化された、という教訓の書でもある。現在でも同じようなことが世界中で起こっている。日本もまた例外ではないだろう。負の側面を自らの手で修復していかない限り。
 
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