郷愁の只見線-1

1974年10月30日。国鉄只見線只見駅に数両の貨物を連結したC11形蒸気機関車が発車の時刻を待っていた。
いつもと違い、この日は最後のSLを見送ろうと町の人々が大勢駅に詰めかけていた。
15時16分。「ヴォーーッ」長くそして少し寂しげな汽笛が山合いにこだました。
ハデなサヨナラSLのヘッドマークも無く、別れを告げるセレモニーも無い。
いつものようにドレインをはきながら、モクモクと黒煙を吐き上げてゆっくり発車していった、別れを惜しむ町の人々はSLが山の向こうに消えるまでず〜と手を振って見送っていた。

あの日から25年、1999年のある日仙台市のJR東日本仙台支社にSL運行を陳情する団体があった。
「只見川ライン観光協会」SL運行検討委員会の人々だった。
同協会は柳津町、三島町、金山町、昭和村、只見町の5町村で構成する団体で「只見線に蒸気機関車を復活運転し、奥会津、さらに会津全体を全国にPRし、観光の活性化につなげたい」という陳情だった。
中でも協会長の新井田柳津町長は、何度も仙台のJR仙台支社に足を運び粘り強い陳情を続けてJRを動かした功績は特筆すべき事だ。
JRでは2001年で只見線が全線開通30周年を迎える記念イベントとして、2001年にSL運行を行うことを約束した。
JR東日本にはC57形180号機とD51形498号機の2両の蒸気機関車を保有しているが、両車輌共軸重が重く只見線では運転出来ない事から、真岡鉄道の保有するC11形325号機をレンタルする事になった。くしくも只見線で活躍していたC11形が27年ぶりに復活運転する事になった。


会津若松駅構内での入れ換え作業をするC11325号  
2001年10月




「水鏡」
 風の無い日は水鏡だ出来る、大川(阿賀川)の静かな川面にC11が写った。
西若松-本郷間  9425レ 2003年10月




会津の名産「みしらず柿」のそばを走り抜ける。
ヘッドマークの色がとても似合う。
高田付近 9425レ 2002年10月




会津盆地を走るSLを絵にしようと思った。
根岸周辺が私のお気に入り。
後方に見える町は高田町だ。 
根岸-高田間 9428レ 2001年10月




「会津盆地を行く」
西の山の中腹から、600ミリで狙って見た。
根岸−新鶴間 試9425レ 2001年10月




新鶴-若宮間 9425レ 2003年10月




「秋空」 
新鶴-若宮間 9425レ 2001年10月




坂下-塔寺間 9425レ 2003年10月




「秋桜」 
坂下-塔寺間 9425レ 2003年10月




コスモスの咲く線路端で。
柳津-郷戸間 9425レ 2001年10月



目次へ  郷愁の只見線-2へ