鎌倉七口-亀ヶ谷坂切通・・・・その1

北鎌倉駅から横浜鎌倉線(現在の鎌倉街道「山ノ内道」)を建長寺方面へと向かいます。鎌倉市の山ノ内は建長寺や円覚寺を始めとした鎌倉五山などの大寺院が塔頭を連ねて建ち並んでいます。これら禅宗寺院を道の両側に見ながら清涼とした風を肌に受けて歩いて行きます。やがて浄智寺を右手に見ると、その先にはJR横須賀線の踏切があり、踏切を渡って暫く進むと右の写真の長寿寺の門が見えてきます。

今回ご案内するところは、鎌倉七切通のひとつである亀ヶ谷坂切通です。長寿寺の門を見上げて目を左に移動するとそこには坂を上って行く一本の道があります。この道が亀ヶ谷坂切通へ向かう道で、ここはその山ノ内側の入口になります。左の写真がその道で、長寿寺門前の向かい側には「茶屋かど」というお店があるのが目印です。ちなみに長寿寺脇のこの坂へ入らずに、車道(山ノ内道)を道なりに進めば建長寺前に出て、更にその先では巨福呂坂切通(現在は洞門道)を抜けて鶴岡八幡宮の西側へ出ることになります。

江戸期の鎌倉を描いた絵地図の多くは、巨福呂坂からの道とともに、この亀ヶ谷坂の道を大変太く描いています。中には巨福呂坂の道と分岐するこの付近を「かめヶ口」と記しているものも見られます。右の写真は亀ヶ谷坂切通へ向かう道に入り、振り向いて撮影したものです。写真の左側が長寿寺の境内になります。ここの道幅はあまり広くはありません。普通自動車が一台通れるだけの広さです。亀ヶ谷坂切通へ向かうこの道は一般の自動車は通行禁止となっていますので、散策には安心して歩ける道になっています。(ただ、2輪車は時よりここを通っています。)

長寿寺前から亀ヶ谷坂切通へ上る坂道は、舗装はされていますが、道の両側は樹木が生い茂り、季節によっては四季の花が咲いていたりしていて、切通し道歩きの風情を味あわせてくれます。坂道は直線的なので古道らしさも感じられますが、ただ、現在のこの坂道が鎌倉時代まで遡るような古いものなのかは、それを物語るものは何も見られません。坂道はいつ来ても綺麗に清掃されていて、地元の方々の心づかいと努力には頭が下がる思いがします。

亀ヶ谷坂道が通る山ノ内側は、長寿寺がある谷の東側縁を現在の道が通っています。長寿寺は臨済宗建長寺派の寺院で山号を宝亀山といいますから亀ヶ谷坂との関係がうかがわれます。亀は万年ということで、それに因んで長寿ということなのでしょうか? 開山は古先印元。開基は足利基氏といいます。境内には足利尊氏の墓という石塔があり、遺髪が埋葬されているといわれます。この長寿寺は非公開で拝観することはできません。

現在の長寿寺がある谷は、かっては建長寺の末寺であったという、満光寺跡、及び法幢寺跡などがあると伝えられてきています。鎌倉時代当時の亀ヶ谷坂切通の道がどのようなものであったのかは現在の切通し道や地形から想像するしかありません。ここ亀ヶ谷坂切通だけに限らず、鎌倉七口と呼ばれる切通し道は、江戸時代中頃の資料から見られるもので、中世の鎌倉時代や南北朝・室町時代などの資料には、亀ヶ谷坂切通し道そのものの記述は見られないようです。亀ヶ谷坂切通道が実際に鎌倉時代に存在していた可能性をうかがわせる記述としては、『吾妻鏡』では「亀谷辻」という地名が見られることです。武蔵大路の亀谷辻で山ノ内へ出る道が分岐していたと考えられているのです。その道が現在の亀ヶ谷坂切通道ではなかったのかということなのです。

亀ヶ谷坂切通の峠付近(山ノ内側)

山ノ内側の長寿寺前から亀ヶ谷坂切通を上りはじめて200メートルほどで切通し道頂部(峠部)に到着します。切通し道の頂部付近では切通し壁の岩が露出していて、これぞ鎌倉切通といった趣がある道になっています。右の写真は切通し道頂部付近の岩壁を背にして立つ六地蔵像です。この六地蔵像はそんなに古いものではないとは思われますが、この切通し道では人々の往来が頻繁であったことを物語るものです。地蔵菩薩は六道を輪廻転生する衆生を救う仏として信じられてきていて、近世には民間信仰と結びつき広まって行きました。

六地蔵前から切通し道を撮影したものが左の写真です。六地蔵前の切通し道は切通しの両側の壁が狭まり、現在の道はかなり狭くなっていて、そう古くない時代に路面を掘り下げられているものと思われるのです。かってはこの六地蔵の高さまでは道があったかも知れません。亀ヶ谷坂切通の資料を読むと、以前の切通し道は、現在の峠部よりも、かなり高いところを越えていたといいます。

亀ヶ谷坂切通の六地蔵前から山ノ内方面を見る

六地蔵を過ぎると切通し道は左にカーブして行き、その先は扇ガ谷側の下り坂となります。「鎌倉の古道物語」のホームページを作り始めた当初は、この切通しの峠部(右の写真の辺り)には、休憩用の椅子が数個置かれていたものですが、今では無くなっていました。最近、ここの峠部の写真右側の山壁が崩れたようなのです。山の斜面には岩壁が露出しています。そして写真に見られるような簡易的な崖崩れの防護壁が設置されているのでした。鎌倉の地層は大変に脆いようで、今から700〜800年前の鎌倉時代の切通し道が、現在でも、そのまま残っていると考えることは、かなり無理な話なのかも知れません。

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