天園ハイキングコース-天台山付近・・その4

天園へのハイキングコースは天台山の山頂の東側を進みます。左の写真のような両側が土手状のところも通ります。この辺りまでくると深山の趣も感じられ静けさが漂っています。最近調査された『瑞泉寺裏山周辺詳細分布調査報告書』によると天台山の西側の斜面中腹に大規模な石切場跡が発見されているようです。しかし、切り出された石がいかにして運び出されたのか、地形上からはその方法やルートは明確ではないとありました。鎌倉の山中には、まだまだ知られていない石切場が沢山あるのかも知れません。

謎の石切場跡などというと、思わず探検心をあおられる思いですが、鎌倉の山の地質はもろく、近づくことは非常に危険です。やたらと素人は入ることはできません。そういえば以前に衣張山がピラミッドであるとか、衣張山の地下には地下城があり、トンネルが巡らされているとかの噂話があったというのを思いだしました。衣張山周辺も石切場が多く存在していて、巨大な石切場跡をそれと知らずに見た人は、思わずそんな妄想に取り憑かれるのも笑い話しとは思われないのです。それほどに鎌倉の山中には石切場跡が多く見られるのです。

天園へと続くハイキングの尾根道

上の写真と右の写真のハイキングコースの西側(山側)の一段上と、東側(谷側)の一段下は、道に沿って平場状の地形が見られます。この辺りは天狗でも出てきそうな雰囲気のところです。天園から杉本城址までの尾根道は東側の朝比奈峠よりは鎌倉の内側にある尾根道になりますが、この尾根道も鎌倉城外郭防衛道とする説もあるようです。ホームページの作者はこのハイキングコースを歩いていて城郭の防衛施設のようなところは、あまり見受けられませんでした。特にこの辺りは自然の中を行く山道そのもののような景観が続きます。

やがて右写真のような堀割に窪んだ道が現れてきます。軍道として人為的に造られた堀割道というよりは、長年の人馬の走行により路面が削られ凹地状になった堀割道といったほうがよさそうなところです。両土手の安定傾斜角はこの道の古さを感じさせます。各地の鎌倉街道を見てきた私の好む道の姿がここにありました。このような道を見ていると、理由なしに嬉しくなるのは何故なのか? この道のどこがそんなに嬉しくなるのかと不思議に思われる方もいることでしょうが?

鎌倉街道の魅力とは何か、「わからない」と言うところに惹かれるものがあります。わかってしまっている道はあまり興味が沸かないものです。歴史研究者にあれこれ説明されても私にはあまり面白くないのです。それよりも研究者から疑問を投げ掛けられた方のが安心でき、また興味を注がれるものです。現在の世の中がつまらないのは、お膳立てされたレールの上を歩かされているからであって、自分のやりたいことや自分の行きたい方向を規制されてしまっているからではないでしょうか。人それぞれの人生は多少なりのリスクを背負っても心が導く方向へ進んだほうが後悔しないものかも知れません。しかし、それには困難という壁が立ちはだかるのも確かです。

困難の壁をどう乗り切るか、それが問題です。例えば右写真のところは、以前に道ではなかったところと思われます。しかしハイキングコースは尾根の壁を乗り越えて、古い道とは違うルートを通ることになってしまったようなのです。斯くしてハイキングコースは壁を乗り越えることで安全なところを通ることができるようになったのです。
私は鎌倉街道を見るようになってから、この天園へのハイキングコースを歩いていて、写真の壁を道とは気が付かずに、真っ直ぐ進んで行ってしまいました。しかし、直ぐにルートを外れたことに気が付きました。しかし、本来の古道は私が間違えた先へと続いていたのではないかと思われるのです。

新しく造られたのではないかと思う、尾根の壁を乗り越える道の先は、左の写真のような大変狭い道となります。おそらく尾根の西側にあったと思われる古道は途中から崩壊してしまったのではないかと私は推測しているのです。

自分だけの為と考えた行動が、実は自分の為になっていなかった。人は壁を乗り越えたときにその落とし穴に陥りやすいもののようです。何故ならば世の中には自分以外の人達も暮らしているからなのです。他人との協調を成し得ない限りは自分の為には成り得ません。「和を以って貴しとす」聖徳太子のこの言葉は究極の的を得ているようにも思えます。鎌倉武士の中にこの精神が欲しかった・・・。

新道と思われる道には又しても壁が立ちはだかります。右の写真はその新道の2番目の壁を上から見下ろしたものです。壁には人の足の踏み場の階段が掘られていました。もしも写真のところの道が中世以来のものであったとしたならば、壁をこのような方では上らないと思うのです。おそらく貝吹地蔵脇の切通しのように大きく深く岩を削っていたと思うのです。中世の古道であるならば馬が上れなくてはならないと考えます。この辺りの山道を古道なのか、古道ではないのかと、あれこれ想像しながら歩くと、ただの道が、非常に興味あるものと捕らえることができるのではないでしょうか。

六国峠
やがてハイキングコースは六国峠(天園)へ到着しました。左の写真の右上の岩場を登ると展望台で海まで見渡せます。展望台の直ぐ裏は有名な天園茶屋で缶ジュースの自動販売機もあります。展望台から尾根続きで大平山・鷲峰山へとハイキングコースは続いています。一方写真のところは十字路で、写真の表面の坂を下ると二階堂永福寺跡へと出られます。反対へ行けば横浜の円海山へと続く、峰道と呼ばれる尾根上の古道です。そして、先ほど説明した本来の瑞泉寺方面からの古道はここまでの尾根の西側、ないしは尾根上を通ってここへ出ていたと思われるのです。

天園ハイキングコース・天台山-4     1. 2. 3. 4.