道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆ 美里・猪俣  ◆◆◆◆◆◆

美里町猪俣はその地名のごとく、武蔵七党の猪俣党の本拠地です。県道小前田児玉線と国道254号線が交差する野中の交差点から南に約1キロほど行ったところに猪俣小平六の墓のある高台院があります。高台院手前の集落の中には猪俣小平六館跡などが残っています。下の写真は国道から高台院に向かう農道の傍らにある石碑・石塔類です。この農道の一帯は5月にはポピーまつりが行われ一面にポピーの花が咲き乱れます。

追記・・・
平成29年度現在は、「野中の交差点」では国道254号線は新道が出来てこの交差点を通っていません。

美里町猪俣の高台院に向かう途中の石塔類

高台院は猪俣集落の南で山麓から少し上ったところにある寺です。この寺の猪俣小平六の墓前ならびに南の堂前山の尾根では、毎年8月15日に「猪俣の百八燈」の行事が行われます。重要無形文化財にも指定されていて猪俣小平六およびその一族の霊を慰めるものだそうです。高台院を出発した松明が尾根に築かれた百八基の塚に灯をともす盛大な行事になっています。この行事は塚を築いたその上に火を焚くてんで異色であり、霊を慰めるという趣意と相まって塚信仰の様相をよく示しているといいます。

猪俣の高台院

猪俣小平六範綱の墓

下の写真この風化の激しい五輪塔は猪俣小平六範綱の墓と伝えられるものです。小平六は小野篁の子孫で時資の代に猪俣村に住んで以来猪俣氏と称し、時資4代の子孫が小平六範綱です。小平六範綱はかって源義朝に仕え、保元・平治の乱等で活躍し義朝の16騎の勇将として知られていました。また源頼朝にも仕え一の谷の合戦でも活躍しています。建久3年(1192)12月に死去しました。

高台院の猪俣小平六範綱の墓

猪俣小平六範綱の館跡

下の写真は猪俣集落内にある猪俣小平六範綱の館跡の碑です。館跡の形態は長方形で水堀の一部が残っています。猪俣党は主に児玉・大里地方に勢力を張った武士団で、岡部・藤田・人見氏などはその一党です。なお鐘撞堂山の中腹には猪俣城跡があり、土塁、堀の一部が残っていて猪俣氏歴代の城と考えられています。

猪俣小平六範綱の館跡

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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