住専について一言
=公訴時効=
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2011.5.3mf
弁護士河原崎弘
「住専責任追及は刑訴法改正で」
新内閣は、住専に関し不正があれば、関係者の責任を追及する、と言うので、ぜひやってもらいたいことがあります。
金融機関の役員に金が流れたかは不明ですが、いまはっきりしている犯罪は、価値のないがけ地などを担保に億単位の融資をした背任罪です。また、融資が焦げついた後、金融機関の不良債権を隠す目的で、時価の二倍、三倍の高値で入札し、競売物件を買い、会社の資産状態を悪化させた背任罪と、それを指示した親会社である金融機関の共犯です。いずれも、トップが関与しないとできません。ぜひ、この経済犯罪を追求してほしいものです。
ところで、背任罪の公訴時効期間は5年(商法の特別背任罪については平成9年12月23日以降は7年)です。背任後5年(同上)を経過すると、処罰できなくなります。住専問題はニュ−スになってから5年近くになります。これから捜査しても、手遅れでしょう。関係者がことさら処理を遅らせた疑いがあります。
そこで本気で責任を追及する気があるのなら、刑事訴訟法250条を改正して公訴時効期間を延長する方法があります(平成17年1月1日施行の改正法でも、この点の改正はありません)。時効期間を延長し、時効が完成した犯罪を処罰することは問題がありますが、時効が完成していない犯罪を処罰することは、刑事裁判の大原則である罪刑法定主義にも、憲法にも反しないと考えるのが普通です。
1996.1.17朝日新聞朝刊「声」の欄より
*公訴時効について
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刑法学者の中には、「法律を改正して公訴時効期間を延長し、新法を遡及的に適用すること」は罪刑法定主義に反するとの意見はあります。
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戦後(西)ドイツは、(公訴時効規定は、実体法か訴訟法かの議論をし)ナチス時代に放置された犯罪について公訴時効を遡及的に停止するため、刑法78条2項で、220a(民族謀殺、現在は、この条項は削除)および211条(謀殺)による重罪は、時効にならない(Verbrechen nach § 220a (Völkermord) und nach § 211 (Mord) verjähren nicht. )と規定し、ナチスの刑事責任を追求しました。
戦時下において罪を犯した犯罪人に対する追求の厳しい態度は、日本と反対です。
日本の刑法の原点であるドイツ刑法(数次の改正後)では一般的に、公訴時効期間は日本より長いです。法定刑が無期の自由刑(ドイツには死刑がありません)では、公訴時効期間は30年です。
現在は、220条aは削除され、
刑法78条2項で、「211条(謀殺)による犯罪は、時効にならない
(Verbrechen nach § 211 (Mord) verjähren nicht. )」と規定しています。
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ポーランドは 社会主義時代に犯された犯罪について、1991年に時効を撤廃しました。
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韓国では1980年5月に起きた光州事件の関与者(全斗煥元大統領、盧泰愚前大統領と当時の側近だった元軍人ら)を処罰するため、1995年12月特別法を作り憲政秩序を破壊する犯罪などについて過去に遡って公訴時効を停止しました。
これは憲法裁判所で争われました。これは刑罰不遡及を定めた憲法に反するとした訴訟で、憲法裁判所は1996年2月違憲との訴を棄却しました(結論として合憲)。
- 公訴時効が完成しても民事責任は残ります。
- 本文中に書きましたように、日本では、平成9年12月3日成立した(同年同月23日施行)改正法により、商法の特別背任罪(486条)の懲役刑が「7年以下」から「10年以下」になりました。その結果、商法の特別背任罪については公訴時効期間は7年になりました。
- 検察官は、公訴の提起により、具体的な犯罪の公訴時効を停止することができます(刑事訴訟法254条1項)。ただし、実際は、検察官は、公訴時効を延ばすためだけの起訴はしておりません。
昭和55年5月12日最高裁判決
刑訴法二五四条一項の規定は、起訴状の謄本が同法二七一条二項所定の期間内に被告人に送達されなかつたため、同法三三九条一項一号の規定に従い決定で公訴
が棄却される場合にも適用があり、公訴の提起により進行を停止していた公訴時効は、右公訴棄却決定の確定したときから再びその進行を始めると解するのが相
当であり、これと同趣旨の原判断は相当である(判例時報967-132)
- 平成17年1月1日施行の改正法により、公訴時効期間は最長(死刑に当たる罪)25年になりました。先進国に比較して、まだ、短いです
- 日本においても、2010年4月27日施行の改正刑事訴訟法により、人を死に至らせる罪であって、法定刑に死刑のあるもの(殺人罪、強盗罪など)については、時効制度が廃止されました。
1998/2/21 東京虎ノ門にて