アメリカの1年  
One Year of the Life in America

『アメリカにおける自律生活の実験とアテンテダント・サービス・プログラムに関する調査報告』

アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー

1985年11月〜1986年9月

清家 一雄: 重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表編集者
Kazuo Seike
「アメリカの一年」[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]、
『脊損ニュース』1986年4月号〜1987年7月号、 全国脊髄損傷者連合会、1986-1987、
「アメリカの一年」[3]、 『脊損ニュース』1987年7月号、 pp.23-27、 全国脊髄損傷者連合会、1987

[写真説明]1.リライアブル・トランスポーテーション。
CILの前で。:
1985年11月、バークレー



ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業

財団法人 広げよう愛の輪運動基金
財団法人 日本障害者リハビリテーション協会



アメリカの1年
『アメリカにおける自律生活の実験とアテンテダント・サービス・プログラムに関する調査報告』
福岡県脊髄損傷者連合会 頚損部長
  清家一雄

第3回報告

 今回はベイエリア(サンフランシスコ湾周辺地域)の障害を持つ人達の移動とアメリカの脊髄損傷者達のプレッシャーソー(蓐瘡)対策を中心に報告します。

 移動

 もはや電動車椅子なしの高位頚髄損傷者(四肢麻痺の重度身体障害者)の生活は考えられないだろう。移動の自由は精神的自由・行動の自由の現実の現れだと思う。
 バークレーはとにかくクレージーな障害者で溢れている異常な街だった。メインストリートを行くと、電動車椅子、車椅子、歩行器、杖、白い杖、盲導犬などを使っている人がごちゃごちゃしている。頭にかぶったヘルメットから出ているヘッドピースで電動車椅子を凄いスピードで運転している人がいた。
 僕も、バークレー大学の図書館で本を探すのを手伝って貰うために、初めて会う人との待ち合わせで、最初、
「大学の正門に何時にいます、電動車椅子に乗っているのでそれが目印になると思います」
 と言ったが、
「バークレー大学は電動車椅子の人達で溢れていて、電動車椅子に乗っているぐらいでは目印にならない」
 と言われ、待ち合わせ場所をバートのバークレー駅エレベーターの前に変えたことがある。それくらい、電動車椅子を使っている人や障害者はいっぱいいて、健常者も慣れてしまっているというか街に溶け込んでいた。この異常な街、障害者にとってのおとぎ話の国のようなバークレーでは車椅子に乗っている事ぐらいでは何も目だたない、もう人も何とも思わないのかもしれない。
 市民の納税者意識が凄かった。僕がバークレーの街を電動車椅子で歩道を行っていた時、歩道にピックアップ・トラックが停まっていたので車道を通っていたら、人が前に立ちはだかってきて、
「おまえ何で歩道を通らないんだ。歩道の角をカットするのに俺達は税金を払ってるんだ。歩道行け」
 と言われた。これ以後、僕も少々の障害物があっても歩道から外れないようにした。しかし、バークレーの凄いスピードの電動車椅子は車道を走っていたのもいたし、ニューヨークではほとんどの歩道がカーブカットされてなく、電動スクーターが車道を走っていた。僕はニューヨークでは介助者がいたので、いちいち段差を乗り越えて行ったが、大変な作業だったし、電動車椅子もガタガタになった。

@電動車椅子

 アメリカの電動車椅子は速い。時速16マイル(25.6q。1マイルは約1.6q)というのに乗っているクレージーな人にも会った。時速8ー10マイルはざらだった。そして頑丈で重い。バッテリーが特に重い。一台で250sの電動車椅子もあった。僕もスズキの電動車椅子のドライブ・ギヤが壊れたとき、部品を日本から取り寄せる間、アメリカの電動車椅子をレンタルして使った。タックス(カリフォルニア州では6.5%の税金)込みで1カ月160ドル位だった。
 日本の電動車椅子はとにかく遅い。アメリカのに比べたらまるで亀だ。バークレーでは女の子が髪をなびかせて電動車椅子でドライブしている。僕は亀のようにのろい日本の電動車椅子に乗って、その後ろ姿を見送っていた。サンフランシスコの坂は無茶区茶。僕の電動車椅子では登れないし、止まれない。ほとんどロック・クライミング。ただ、僕の乗っているリクライニング・タイプのは、「キャデラック・タイプ」「グッドデザイン」とか、また単純に”スズキ”ということで、男の子やおじさん達に目だっていた。それと価格の低さはやはり日本製の長所だろう。
 電動車椅子の問題点としては、雨と寒さに弱い、単独では長距離移動が難しい、乗用車への収納、飛行機に乗る場合のバッテリー、維持・修理のサービスシステム(バークレーでは、身体障害者のためのバークレー市の基金によるエマージェンシー・サービス・プログラムの一環として、電話とTDDで受け付ける、1日24時間・1週7日間利用可能な車椅子修理が始められた。)ということなどが考えられる。雨や寒さ、長距離移動に関しては他の交通機関との併用において考えられるべきだろう。

Aリライアブル・トランスポーテーション

[写真説明]2.リライアブル。CILの前で。
1985年11月、バークレー

 リライアブル(「頼りになる」という意味)というのは、リフト付き1ボックスカーの運送・タクシー会社の名前で、乗り移りが便利で料金もタクシー並(?)の車椅子障害者向けのバン・サービスを供給している(この他にマルチネス・バスラインというバス会社もバン・サービスを行っていた。また、バークレーでは前述の身体障害者のためのエマージェンシー・サービス・プログラムの一環としてバンサービスが始められた。福岡市内にはリフトつき1ボックス・カーのタクシーは走っていない。福脊連福岡支部のメンバーを中心にして、テレビのチャリティ番組からリフト付バンを1台寄贈を受けて、1qにつき50円の利用料で運営している。)。やはりドア・ツー・ドアは便利で楽だ。特に、雨期には非常に助かった。
 しかし予約が面倒なのと約束や時間に関してしばしばノットリライアブル(頼りにならない)になることがあった。それと時間が前もって決っていてそれに常に拘束されるのも、時間の使い方として、時には窮屈さを感じた。


[写真説明]3. リライアブルの内部。
サンフランシスコ空港で。
1986年7月、サンフランシスコ



Bバート

[写真説明]4.バート(列車)。
マッカーサー駅で。
1986年3月、サンフランシスコ

 ベイエリアにはバート(BART。湾岸地帯高速移動・Bay Area Rapid Transit・の頭文字を取っている)という地下鉄が進化したような乗り物が走っている。
 初めてバートに乗ってバークレーに行った時は用事でしかたなく乗ったという感じだった。しかし列車は中が広く電動車椅子のままで乗れて駅にはエレベーターもついていた。そしてマッカーサー駅が僕のアパートのすぐそばにあった。ただダウンタウンバークレー駅とCIL(自立生活センター)バークレーの間は確かに遠い。僕の電動車椅子で30分かそれ以上かかる。操縦するためきちんと座るので尻も心配だし雨の日は大変だった。


[写真説明]5.バートのマッカーサー駅のプラットホームとエレベーター。
左手のところにある電話で
「エレベーター・プリーズ」
と言う。
1996年2月、オークランド・マッカーサー駅 MacAthur

 バートは(電動)車椅子利用者にとっては一番便利で安いと思う。介助者割引はないが、その分障害者本人は、障害の種類・程度、収入、国籍に関係なく、10分の1の値段で切符を買うことができる(六五歳以上の老人と五ー一二歳の子供は割引、四歳以下の幼児は無料。日本のJRは1種身体障害者と介助者1人の乗車券が50%引き。特急券の割引はなし。日本の航空会社は重度障害者本人、介助者両方の航空運賃が25%引き。福岡市の地下鉄も本人、介助者とも50%引き。”福祉乗車券”という障害者本人の無料パスもある。)。切符はCIl、指定の雑貨屋、スーパーマーケットで売っていた。僕も12ドルの切符をCILで10分の1の1ドル20セントで買っていた。
 バートの良いところは、全部の駅にエレベーターがあり、列車の中が広くて居心地がよいことだ(福岡市の地下鉄の駅には地上と結ばれているエレベーターは付いていない。ただ天神の地下街やデパートなどのエレベーター、西新のデパートのエレベーター、博多駅のホテルのエレベーターを使えば電動車椅子に乗ったまま地下鉄の駅まで行くことができる。僕の家は西新駅から約1q。JRの新幹線については、博多駅、小倉駅、新下関駅、京都駅、名古屋駅、東京駅を利用したことがあるが電動車椅子のままで使えた。)。それに速い。僕のアパートからサンフランシスコの中心街まで、バートを使えば、海(サンフランシスコ湾)の下の海底トンネルを通って、約20分で行くことができた。しかもその間には段差などのバリアは一つもなかった。この事実は移動に関して僕の心理的負担を本当に軽くしてくれた。
 スタッフの意識と態度も凄く良かった。ベタベタに親切なのではなく、普通に改札など必要な介助をやってくれる。ポケットに切符さえ入れておけばよかった。電動車椅子とバートを組み合わせた移動には介助者は必要ではない。他の乗客の親切を当てにしなくてもよい。
 敢えて難点をあげれば、マッカーサー駅で切符の改札に手間が掛かったことと駅が少ないぐらいだが、とにかくバートを使わないのはモグリではないかと思うほど、バートは便利で速く快適だ。

CACトランジット・バス

 バークレーで走っているACトランジット・バスは前方のドアのところにリフトがついていて電動車椅子に乗ったままで乗り降りができる(サンフランシスコ市内を走っているリフト付きワンマンバスはミューニー[MUNI]という。サンフランシスコの夜のストリートは物騒なので、行きは電動車椅子で行った道を、乗ったことがある。福岡市内を走っているバスは車椅子のシンボル・マークを着けていてもリフトが付いているわけではない。)。


[写真説明]6. ミューニー。
サンフランシスコ市内を走っている車椅子用リフト付ワンマン・バス。
1986年4月、バークレー

 僕が初めてACトテランジットバスを使ってみた時、1台目は、
「リフトが故障だ」
 と断わられた。無線で聞いてくれて、
「次のは大丈夫だから、次のバスに乗れ」
 と言われた。2台目のバスはリフトは大丈夫だったが、運転手が僕の車椅子を見て、
「おまえは重過ぎるように見える」
 と渋った。
「とにかく試してみてくれ」
 と言うと、
「じゃあやってみよう」
 と言うことになった。何とか乗れたが、リフトやバス内の通路は狭く、誰かが後ろで誘導してくれないと他の乗客の足を踏みまくってしまうようで、それほど乗って嬉しいという感じではなかった。しかし、意外と親切な運転手で他の乗客も好意的だった。
 バートに比べて駅の数も非常に多く、CILのすぐそばにもバス停があって、楽に乗り降りができたら便利な乗り物だろうと思った。障害者料金は安い。

 他の乗り物で、サンフランシスコのケーブルカーがあるが、これはとても乗れそうにもない。後、レンタカーはお金と運転手があれば楽しい乗り物だろう。

 プレッシャーソー(褥瘡)

 触覚の無感覚な脊髄損傷者にとって褥瘡は大きな問題だ。特に、頚髄損傷者のように、上肢もコントロールできず長時間同じ体位を続ける可能性が高く、しかも座位でプッシュアップができない四肢麻痺の人達には、皮膚と他の何かの接触領域、特に座骨部分、で蓐瘡ができる危険性が高く一旦できると治癒が非常に難しい。
 僕もこれには悩まされ続けてきている。アメリカの脊髄損傷者達の多くもこの問題で悩んでいて色々な方法を使っている。その解決策の一つとしてかなり多くの人達がローホー・クッション(商品名。ローホー ROHO という会社が作っている。)という蓐瘡対策座布団を使っている。アクセントというアメリカの雑誌によると一番人気がある。僕もアメリカでローホー・クッションを買い、それを使い、今も日本で使っている。ローホーがベストかどうかはわからないが、僕が今まで使ってきたクッションの中では一番ベターだ、と思う。
 ローホー・クッションをアドバイスしてくれたのはセントルイスのパラクォッドという自立生活センターの所長マックス・スタークロフと彼の奥さんのコリーンだった。マックスも高位頚髄損傷者で褥瘡の悩みがあり、ローホーを使っている。


[写真説明]7.マックス・スタークロフと。
僕が座っているのがローホー、左足に履いているのがムーンブーツ。
1996年8月、セントルイス

 1985年12月5日、オークランド市のハイアット・リージェンシー・ホテルでマックスが代表をしていた自立生活全国評議会(National Council on Independent Living、以下NCIL)のミーティングがあり、僕もそこへ行った。その時僕は左の座骨部分に小さな褥瘡があり、約10ドルで買った穴空きのラバーフォーム(海綿状のゴム)・クッションを使っていた。
 ミーティングの途中だったが、褥瘡があるので、早めに帰ろうとしていたら、ロビーでコリーンと会った。
「尻に問題があるからもう帰るんだ」
 と言うと、コリーンに、
「早くベッドに寝ていろ」
 と言われた。そして
「ステップを降ろして膝を下げろ」
 とアドバイスしてくれた。でもとても親切だった。「送って貸してあげる」と言うローホー・クッションを買うことに決めた。
 翌日、シールドという医療・リハビリテーション用品店の店でハイ・プロフィール(高さ10pの一番褥瘡対策になるタイプ。この他に2.5p、5p、7.5pのタイプがある)、1バルブ・タイプを買った。ローホークッションはタックスを合わせて280ドルぐらいだった。
 娘のメーガンを連れてきたコリーンが、僕のアパートで、プレッシャーソーをチェックしてくれて色々アドバイスしてくれた。子供を育てているせいか、とても良く気が付き優しくて親切だった。アメリカに来て初めて姉か母親のような配慮に接した。それにコリーンは理学療法士でもある。

 僕の買ったローホー・クッションは1枚のベースの上に卵ぐらいの突起物が8×9列に並んでいる。色は黒で、燃えにくい柔らかいゴムのような素材でできていて、空気で膨らませて使う。座るとこの突起部分が尻の形に潰れて行く。排水を許し、軽量で、掃除はしやすい。いくつかの空気のセル(小室)を輪ゴムで詰めて自在に穴を作ったりつぶしたりできる。
 ローホーの有利な点はドライ・フローテーション(乾式の浮揚)・システムに基づいた調整可能な空気圧と軽量であるということだろう。
 が、ローホーにも短所はある。最大のものはパンクすることだと思う。ローホーに穴が開いて空気が抜け機能しなくなり褥瘡ができることがある。空気圧の調節も大変だ。
「座った時、お尻の下からクッションのそこまでが2.5pになるように空気を入れなさい。飛行機の中では気圧が下がるので空気を少し抜きなさい」
 とコリーンに言われた。安定性にも少し問題があるかもしれない。熱が逃げにくい。
 実際にクッションを買う場合、価格が問題になる。ローホーの値段も高いと思う。しかし、僕の体験からも、値段よりも起きている時間、自由な時間の方が貴重だと思う。クッションのコストは深刻な蓐瘡に比べたら安いだろう。もちろんあまりにも高価過ぎてはどうしようもないが。

 アメリカにはローホーの他に、Jクッションというのも人気があった。ラバーフォームクッションを半年毎に買い換えて中をくり抜いて使うという頚髄損傷者もいた。(車椅子用のクッションには大きく分けて、空気や液体で満たされているフローテーション・タイプ、ゲル・タイプ、ポリマーフォーム・タイプ[以上はスタティック<静的>なクッション]と型にいれて造るシート・タイプがあり、それぞれ有利な点、不利な点がある。適切なクッションの選択は、安楽と蓐瘡の予防に関して重要だ。具体的には十分なパッディング[摩擦・損傷よけの当てものをすること]、通気性、軽量、高さ、移動能力、永続性などが問題になる。an accent guide WHEELCHAIRS and ACCESSORIES・38頁ー44頁。)
 また、クッションの他にも、褥瘡対策として、アメリカの頚損者達は、電動リクライニング車椅子、スタンドエイド(モーターがついて移動することもできる一人用起立台)、ウォーターベッドなども使っていた。
 僕もベッド上での蓐瘡予防・対策用としてアメリカ製のエッグ・マット(青い色の凸凹の深いスポンジマット。20ドルぐらい。)やシープ・スキン(白い色の通気性の良いシーツ。約10ドル)を買って使ってみたが、とても快適でその晩からぐっすり眠れた。また、車椅子に乗っている時、小指などの蓐瘡対策にムーン・ブーツ(クッションが内側についている二重の靴。約60ドル)を使っていた。

 12月7日、朝、コリーンから電話がかかってきた。
「昼にハイアット・ホテルまでマックスとジム(パラクォッドのプログラム・ディレクター。対麻痺者)に会いに来なさい。ローホーが来たから状況は変わった、もう、ベッドに寝てばかりいなくても良いから」
 と言われた。
 この日の僕はセントルイス自立生活センター・パラクォッドの研修生になるための志願者だった。それで、僕もスーツを着てネクタイを締めて行った。
 マックスがホテルの玄関で待っていてくれた。コリーンに挨拶して、マックス達とホテルのレストランへ行き、ミーティングした。
 マックスとジムにリハ協から福岡のアメリカ領事館宛に提出した英文の手紙を見せた。その後、いろいろ話をした。
 マックスは、
「4月頃セントルイスで受け入れる計画をマイケルと相談して作ってあげよう」
 と言った。僕は感謝して別れた。
 長い一日だった。しかしお尻は大丈夫だった。マックス、コリーンとローホーに感謝した。



[写真説明]8.コリーンと娘のメーガンと赤ちゃんのマクシー。 1996年8月、セントルイス



 次回はベイエリアで生活しているアメリカの障害者達を紹介する予定です。




写真説明



1. リライアブル・トランスポーテーション。CILの前で。



2. リライアブル。CILの前で。



3. リライアブルの内部。サンフランシスコ空港で。



4. バート(列車)。マッカーサー駅で。



5. バートのマッカーサー駅のプラットホームとエレベーター。左手のところにある電話で「エレベーター・プリーズ」と言う。



6. ミューニー。サンフランシスコ市内を走っている車椅子用リフト付ワンマン・バス。



7. マックス・スタークロフと。僕が座っているのがローホー、左足に履いているのがムーンブーツ。



8. コリーンと娘のメーガンと赤ちゃんのマクシー。







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