(2)アテンダント(介助者)
ベイエリアはロサンジェルスと並ぶ大都会で、移動手段が整備されていて人口密度も高く、障害をもつ個人は他人介助者を探しやすい。
ベイエリアは商品交換経済の社会だ。個人の自由・独立・平等を前提とし、人は財産を所有することができ、自由な取引によって必要な物やサービスを手にいれることができる。他人のサービスが有料であるということは日米両ビジネスマンの常識だが、ベイエリアでは障害をもつ個人の必要とする介助サービスの商品化が非常に進んでいると思う。
★IHSS
★CIL
★カリフォルニア大学バークレー分校
★CILのサービス、アテンダント・レフェラル
★エマージェンシー(緊急時)・サービス・プログラム
2、ベイエリアの障害者の特徴
(1)量(人数)の特徴点
(2)質(障害の種類)の特徴点ーベイエリアで目だった障害者
3、ベイエリアで僕が知り合った人の概略・人数と障害の特徴
4、とくに印象に残った人の紹介
@普通の障害者だが、タフな人、A失敗例、Bリーダー
@タフなしかも普通の障害者像ーバークレー・スペシャル
デイビッド・ガラハー
★もう一つの選択肢
ここで紹介するデイビッドは、特別な資産や収入はないが、米国のアテンダント・サービス・プログラムを利用して、有償のアテンダントから、生きて行くために必要な介助を得て自律生活していた頚髄損傷者だ。家族やボランティアから介助を得ているのではない。しかも、特別な資産や収入・経済力がなく、生活費とアテンダント費用の両方について公的基金による援助を受けているタイプだった。
この類型こそが日本と比較して現在の米国において生活している頚髄損傷者の内で最もユニークな存在だろう。現在の日本にはない一つの新しい可能性だろう。普通の障害者だが、タフで、偉くもなく、卑屈にもならない。タフなしかも普通の障害者像ーバークレー・スペシャル。
このデイビッドを典型とするタイプのベイエリアに住んでいる頚髄損傷者は米国の頚髄損傷者の中でも特に印象に残った。
デイビッド・ガラハーに最初に会ったのは1986年2月25日、CILでだった。身長6フィート(約1m80p)で、エベレスト アンド ジェニングスの電動リクライニング車椅子にやけに自信たっぷりに乗っていた。
デイビッドは、
「河でダイビングをしてC-6の頚髄損傷者となった。コンピューターのプログラマーで、CILのアテンダント・レフェラルに関するソフト・ウェアを作成する仕事を請け負って、それをプログラミングしている」
と言った。
次にデイビッド会ったのは3月6日だった。CILのコンピューター・ルームで一緒に写真を撮り、それからカフェテリアに行った。
彼は、
「33歳で、バークレーのアパートに一人で住んでいる」
と言った。
僕が、
「人間の人間に対する援助の根拠は何だと思いますか」
と聞いたら、
「今やっているプログラムのコア・コンセプションは”相互的利益依存関係(MUTUAL BENEFICIAL)”だ。アテンダント・サービス・プログラムの長所はコストが安いことだ」
と言う。そして
「障害を受容することはタフなことだ。ドア・オープナーは使ってない。アテンダントは3人だ」
と言った。
最後に
「バークレーについて日本に報告すべきだ。月曜日に遊びに来い。何が食べたい」
と言われた。
1986年3月10日。
雨が上がったのでバートでデイビッドのアパートに日本からの独楽などをもって出かけた。デイビッドのアパートはバートのアッシュビー駅とCILのちょうど中間ぐらいにあった。
デイビッドは一人で住んでいてパートタイムのアテンダントが来る。
彼の部屋は二階建てのアパートの1階だった。車椅子用のランプはついていなかったが、床が低いので裏庭から車椅子で楽に出入りすることかできる。1ベッドルーム、広いリビング、予備の狭い部屋、普通のバスルームとキッチンがあった。電話はスピーカーホンではなかったが、受話器にはホルダーがつけてあった。
暖房が入っている居心地の良いリビングルームには本がたくさんあった。ベッドルームにパーソナル・コンピューターを置いて使っていた。おそらくIBMのPCだろうが、アテンダント・レフェラル用のソフトを走らせて見せてくれた。
「エマージェンシー・アテンダント・リストを常に新しくしておく必要がある。私?。10回以上。15人ぐらいいるエマージェンシー・アテンダントに次々に電話をかける。病院には行かない。それが私のインデペンデント・リビングだ」
と言う。
デイビッドのアパートにはいろいろな人が遊びに来る。
4月10日、モニカ(カフェテリア)で。
「二日前、アルコール中毒の男の老人に、(60歳ぐらい。かなり大男。)その老人がただたんに自分がまだ若くて強いという事を示したいという理由だけで、家の裏で首を締めらた。危うく殺されそうになったが、相手の目をじっと見て、嘯ィまえ本気なのか宸ニ言ったら、相手が手を離したので、何とか助かった」
と言う。(相手が「本気だ」と言ったらどうなったんだろう。)
また、
「その日の晩、主要なアテンダントが、これもやはりアル中気味で、酒を飲み過ぎて車を運転して危うく人を引き殺しそうになって刑務所に行った。しかし、彼は良い男なので出てきたらまた一緒にやりたい。今のところ別のアテンダントがいるし問題はない」
とも言う。
バークレーの頚髄損傷者も色々大変だ。
次回はベイエリアで生活しているアメリカの障害者達(後編)を紹介する予定です。
写真説明
1. カリフォルニア大学バークレー分校のキャンパス
2. アツコ。バークレー
3. ヒサコとフランシス。レストラン・ラピーニャの看板の前
4. エドとマイケル。CILのクリスマス・パーティ
5. ナンシー。世界障害問題研究所
6. バークレーの高校のプール
7. オークランドのクリエイティブ・グロウス
8. デイビッド・ガラハー(向かって左)とウーフェ(西ドイツ人)。デイビッドのアパート