アメリカの1年  
One Year of the Life in America

『アメリカにおける自律生活の実験とアテンテダント・サービス・プログラムに関する調査報告』

アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー

1985年11月〜1986年9月

清家 一雄: 重度四肢まひ者の就労問題研究会・代表編集者
Kazuo Seike
「アメリカの一年」[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]、
『脊損ニュース』1986年4月号〜1987年7月号、 全国脊髄損傷者連合会、1986-1987、
「アメリカの一年」[4]、 『脊損ニュース』1987年9月号、 pp.11-15、 全国脊髄損傷者連合会、1987

[写真説明]1.カリフォルニア大学バークレー分校のキャンパス。
1985年、バークレー



ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業

財団法人 広げよう愛の輪運動基金
財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
『脊損ニュース』1986年04月号〜
全国脊損連合会



アメリカの1年
『アメリカにおける自律生活の実験とアテンテダント・サービス・プログラムに関する調査報告』
福岡県脊髄損傷者連合会 頚損部長
  清家一雄

第4回報告

 今回はベイエリア(サンフランシスコ湾周辺地域)で生活しているアメリカの障害を持つ人達(前編)を中心に報告します。  御意見・御感想をお待ちしています。


ベイエリアで生活しているアメリカの障害をもつ人達


1、ベイエリアの地域的な特徴ー障害をもつ人をとりまく人的・物的環境

 障害をもつ個人の立場からみた居住地として、ベイエリアは次のような特徴を持っていると思う。

 (1)一般的な背景

 ベイエリアは経済的に豊かな地域だ。その社会の経済的な豊かさが障害をもつ個人の生活に影響を及ぼすことは確かだと思う。ベイエリアは商業・観光地のサンフランシスコ、バークレー大学などを域内にもっている。また、アメリカ自体が世界で最も豊かな国だし、カリフォルニア州はその中でも特に人と物とスペースとサービスが豊富で気候にも恵まれている社会だ。

 アメリカに住んでみて、国土の広大さ、土地の豊かさ、自然の豊かさ、物の豊富さ、安さ、サービスの多様性・便利性など、その豊かさを実感した。ただし貧富の差は大きいが。

 ベイエリアは技術社会としての先進性に恵まれている。アメリカは非常に高度に工業化・産業化・情報化された社会で、障害をもつ個人に電動車椅子などの高度技術製品や治療・予防・リハビリテーションに関する高度医療などを提供することができる。

 ベイエリアは非常に自由主義的で価値の多様化しているな社会だ。多様な少数者達(人種別、民族別、性別、宗教別、言語別など)から構成されていて、障害者と健常者の関係も少数者と多数者の関係の一態様として考えられているようだった。多数者の価値観に左右されない少数者のもつ価値を認め合う考え方や、機会の平等(equal opportunity)が保障されるべきだとする考え方が強かったように思う。

 ベイエリアには非常にたくさんの障害をもつ個人達がいる。特にバークレーは街全体が障害をもつ個人にとっての新しい生活の実験・トレーニングの場、巨大な通過地点のような気さえした。障害をもつ個人はそれぞれロール・モデルでありピア・カウンセラーとなりうるだう。


[写真説明]2.アツコ。バークレー。
1985年、バークレー。

 (2)アテンダント(介助者)


 ベイエリアはロサンジェルスと並ぶ大都会で、移動手段が整備されていて人口密度も高く、障害をもつ個人は他人介助者を探しやすい。

 ベイエリアは商品交換経済の社会だ。個人の自由・独立・平等を前提とし、人は財産を所有することができ、自由な取引によって必要な物やサービスを手にいれることができる。他人のサービスが有料であるということは日米両ビジネスマンの常識だが、ベイエリアでは障害をもつ個人の必要とする介助サービスの商品化が非常に進んでいると思う。


 ★IHSS


 ★CIL


 ★カリフォルニア大学バークレー分校


 ★CILのサービス、アテンダント・レフェラル


 ★エマージェンシー(緊急時)・サービス・プログラム


2、ベイエリアの障害者の特徴

 (1)量(人数)の特徴点

 (2)質(障害の種類)の特徴点ーベイエリアで目だった障害者


3、ベイエリアで僕が知り合った人の概略・人数と障害の特徴


[写真説明]3.ヒサコとフランシス。
レストラン・ラピーニャの看板の前:
1986年



[写真説明]4.エドとマイケル。
CILのクリスマス・パーティ:
1985年12月、バークレイCIL
Center for Independent Living in Berkeley



[写真説明]5.ナンシー・フェライル。Nancy Ferryle。 世界障害問題研究所:World Institute on Disability。 カリフォルニア州バークレー、1996年1月、



[写真説明]6.バークレーの高校のプール:
カリフォルニア州バークレー、1986年。



[写真説明]7.オークランドのクリエイティブ・グロウス。 カリフォルニア州オークランド。1996年2月24日。



[写真説明]8.デイビッド・ガラハー(向かって左)とウーフェ(西ドイツ人)。
デイビッドのアパート:
1996年4月、バークレー。



4、とくに印象に残った人の紹介

 @普通の障害者だが、タフな人、A失敗例、Bリーダー

 @タフなしかも普通の障害者像ーバークレー・スペシャル

デイビッド・ガラハー

 ★もう一つの選択肢

 ここで紹介するデイビッドは、特別な資産や収入はないが、米国のアテンダント・サービス・プログラムを利用して、有償のアテンダントから、生きて行くために必要な介助を得て自律生活していた頚髄損傷者だ。家族やボランティアから介助を得ているのではない。しかも、特別な資産や収入・経済力がなく、生活費とアテンダント費用の両方について公的基金による援助を受けているタイプだった。

 この類型こそが日本と比較して現在の米国において生活している頚髄損傷者の内で最もユニークな存在だろう。現在の日本にはない一つの新しい可能性だろう。普通の障害者だが、タフで、偉くもなく、卑屈にもならない。タフなしかも普通の障害者像ーバークレー・スペシャル。

 このデイビッドを典型とするタイプのベイエリアに住んでいる頚髄損傷者は米国の頚髄損傷者の中でも特に印象に残った。


 デイビッド・ガラハーに最初に会ったのは1986年2月25日、CILでだった。身長6フィート(約1m80p)で、エベレスト アンド ジェニングスの電動リクライニング車椅子にやけに自信たっぷりに乗っていた。

 デイビッドは、

「河でダイビングをしてC-6の頚髄損傷者となった。コンピューターのプログラマーで、CILのアテンダント・レフェラルに関するソフト・ウェアを作成する仕事を請け負って、それをプログラミングしている」

 と言った。


 次にデイビッド会ったのは3月6日だった。CILのコンピューター・ルームで一緒に写真を撮り、それからカフェテリアに行った。

 彼は、

「33歳で、バークレーのアパートに一人で住んでいる」

 と言った。

 僕が、

「人間の人間に対する援助の根拠は何だと思いますか」

 と聞いたら、

「今やっているプログラムのコア・コンセプションは”相互的利益依存関係(MUTUAL BENEFICIAL)”だ。アテンダント・サービス・プログラムの長所はコストが安いことだ」

 と言う。そして

「障害を受容することはタフなことだ。ドア・オープナーは使ってない。アテンダントは3人だ」

 と言った。

 最後に

「バークレーについて日本に報告すべきだ。月曜日に遊びに来い。何が食べたい」

 と言われた。


 1986年3月10日。

 雨が上がったのでバートでデイビッドのアパートに日本からの独楽などをもって出かけた。デイビッドのアパートはバートのアッシュビー駅とCILのちょうど中間ぐらいにあった。

 デイビッドは一人で住んでいてパートタイムのアテンダントが来る。

 彼の部屋は二階建てのアパートの1階だった。車椅子用のランプはついていなかったが、床が低いので裏庭から車椅子で楽に出入りすることかできる。1ベッドルーム、広いリビング、予備の狭い部屋、普通のバスルームとキッチンがあった。電話はスピーカーホンではなかったが、受話器にはホルダーがつけてあった。

 暖房が入っている居心地の良いリビングルームには本がたくさんあった。ベッドルームにパーソナル・コンピューターを置いて使っていた。おそらくIBMのPCだろうが、アテンダント・レフェラル用のソフトを走らせて見せてくれた。

「エマージェンシー・アテンダント・リストを常に新しくしておく必要がある。私?。10回以上。15人ぐらいいるエマージェンシー・アテンダントに次々に電話をかける。病院には行かない。それが私のインデペンデント・リビングだ」

 と言う。

 デイビッドのアパートにはいろいろな人が遊びに来る。


 4月10日、モニカ(カフェテリア)で。

「二日前、アルコール中毒の男の老人に、(60歳ぐらい。かなり大男。)その老人がただたんに自分がまだ若くて強いという事を示したいという理由だけで、家の裏で首を締めらた。危うく殺されそうになったが、相手の目をじっと見て、嘯ィまえ本気なのか宸ニ言ったら、相手が手を離したので、何とか助かった」

 と言う。(相手が「本気だ」と言ったらどうなったんだろう。)

 また、

「その日の晩、主要なアテンダントが、これもやはりアル中気味で、酒を飲み過ぎて車を運転して危うく人を引き殺しそうになって刑務所に行った。しかし、彼は良い男なので出てきたらまた一緒にやりたい。今のところ別のアテンダントがいるし問題はない」

 とも言う。

 バークレーの頚髄損傷者も色々大変だ。



 次回はベイエリアで生活しているアメリカの障害者達(後編)を紹介する予定です。


写真説明



1. カリフォルニア大学バークレー分校のキャンパス



2. アツコ。バークレー



3. ヒサコとフランシス。レストラン・ラピーニャの看板の前



4. エドとマイケル。CILのクリスマス・パーティ



5. ナンシー。世界障害問題研究所



6. バークレーの高校のプール



7. オークランドのクリエイティブ・グロウス



8. デイビッド・ガラハー(向かって左)とウーフェ(西ドイツ人)。デイビッドのアパート





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