☆桃兎の小説コーナー☆
(09.02.18更新)

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 ドラゴンマウンテン 第二部

  第二話  ここは死都アランカンクルス  

   5 月の浮かぶ夜空に2

     14

 穏やかな春の日差し。
 無限に続く草原の丘の上を、男と少女が歩いていた。
「ねぇ、今日もいい天気だね!」
 少女の微笑む様に男は目を細め笑う。男の表情は穏やかだ。だが、何処か憂う様な表情
でもあった。
「あぁ。とってもいい天気だ。……といっても、君と一緒にいると雨は殆ど降らないんだ
けど」
 直ぐ傍で笑う少女の頭にぽんと手を載せて、男は苦笑した。
「そういえばそうかも! どうして?」
「……君が、精霊に愛されているから。じゃないかな?」
「ホント!?」
 それを聞いて、少女はぱぁっと表情を明るくした。
「私も精霊は大好きだよ! ていうことは、えへへ、両思いなの! ……ねぇ、師匠は私
の事好き? 両思い?」
 少女は小さな手で男の細い指をぎゅっと握り締め、背伸びをして尋ねた。
 男を真っ直ぐに見上げる茶色の瞳は、太陽の光を反射してより一層輝いて見えた。
「……そうだね、好きだよ?」
 躊躇いがちに答える男に、少女は弾けそうな笑顔でぎゅっと目を閉じた。
「やったぁ! 両思いなのっ!」
「マリン」
「?」
 少女は名を呼ばれ、ん? と、笑顔のまま首を傾げる。
「私はずっと君と一緒に居られないかもしれないけど、いつか必ず一緒に居てくれる人に
出会える筈だ」
 突然放たれた言葉に、マリンは困惑した。
「……え、なんで? やだ! なんで師匠と一緒に居られないの!?」
 少女は頬を膨らませて、ぶんぶんと首を振る。
「聞くんだ、マリン。君はとても素敵な力を持っている。それは人を思いやるという力だ。
……もし、大事な人を見つけたら……」
 男は少女の小さな手を握り返ししゃがみこんだ。男の金色の瞳が、少女の茶色の瞳を正
面から見つめる。どこか寂しげなその目に、少女は急に不安になる。
「大事な人を見つけたら……その手を離しちゃいけない。私のように、なっちゃ駄目だよ。
マリン」
「うん、師匠。私、絶対離さないよ。……だから、寂しい顔、しないで?」
 悲しげな顔をした師の頬を、少女はそっと撫でた。
 小さな掌は温かく、残酷な程に純粋だ。
 少女の澄んだ瞳にじっと見つめられ、男は声を震わせる。
「…………マリンッ!」
 男は小さな手を強く握り返した。
 少女もその手を握り返し、だが、笑顔で答えた。
「絶対離さないよ? 大事な人の手だもの! ……大事な、人?」
 何かに気付いた瞬間、穏やかな春の日差しが闇色に変わり、場面が一転する。
 ふと見れば、握っていた師の優しい手は、師とは異なる別の手に変わっていた。
 その手は良く知っている手だった。
 力強くて大きくて、どんな強い敵にも負けない、でも優しくて暖かい、大好きな手だ。
「ガント……!」
 マリンはその手を握り、顔を上げる。
 だが、良く見えなかった。
 彼を見ようとしているのに、こんなに近くに居るのに靄がかかったようにはっきりと見
えないのだ。
「ガント? ガント?」
 霞む視界に僅かに見える彼の表情は、何かに思い悩んでいるようだった。
 そして彼はマリンを見てはいなかった。
 それが切なくて悲しくて、マリンはぎゅっと手に力を入れる。
「ねぇ、なんでそっちみてるの? こっち見て、ねぇ、どうして……!」
 男は少女を見てはいなかった。だが、それとは逆に握っていた手が不意に強く握り返さ
れた。力強いその手に、少女の心臓がどくんと跳ねた。
「……ガント」
 相変わらず視線は別の方向を向いたままだ。
 だが、強く握り返された手は暖かかった。
 その事実は、何よりもマリンの心を穏やかにさせるのだった。
「ガント、私、私……!」

「…………んぁ!」

 びくん、と体を震わせて少女は目覚めた。
「ゆ、夢か。なんかリアルだったなぁ」
 どきどきと高鳴る胸に手を当てつつ、手に残った暖かい感触が不思議で、嬉しくて、マ
リンは頬をほんのり赤くした。
「夢でもいっか、手……つないじゃった」
 夢の中で触れた大きな手を思い出しながら、マリンはガントの姿を思い描く。
 あの手に触れられなくなって一ヶ月。狼の姿でもガントはガントだが、やはりあの手が、
姿が恋しい。
「ガント……、そうだガント! っていうか、魔法の準備!!」
 やるべき事を放置して寝てしまった事を思い出して、マリンは勢い良く身を起こした。

「……あれベッドの上に居る? …………って、ぅあ!!」

 ドン! という衝撃と共に、マリンの体を<魔>の魔力が駆け抜けた。
「んぅ、ヤバイ、夜が、始まった……んだ……っ」
 強力な結界の中に居るというのに、その初撃はマリンの体に強い影響を残した。
 突き抜けた<魔>の衝動は、マリンの体を一気に熱く火照らせる。脳裏に蘇るのは、ガ
ントの魔力が体を流れていく感覚と、体を重ねあった時の熱い感覚だ。
 体の芯が震え、じわりと濡れる感触にマリンは思わず身悶える。
「そうだ、今日は満月、夜の魔力が、最大に、なるから……」
 昔師匠に教わった事を思い出しながら、マリンは震える足でベッドから立ち上がった。

 昼が<光>、<聖>時間ならば、夜は<魔>、<闇>の時間だ。
 昼の太陽が地上に魔力を等しく降らせるのとは別に、月は満ち欠けで魔力の量が変わる。
満月は魔力を最大限に地上に降らせ、それに伴って<魔>の生き物は力を闘争本能の全て
を解き放つ事が出来るようになり、逆に新月は魔力が極端に少なくなり、その代わりに月
は狂気を放つのだという。

 マリンは熱くなる体を必死に無視して、昨日再構築したばかりの呪文を唱える。
「フォロイ、お願いっ……一発で成功させるわよ!」
 魔法を唱える際には意識を集中させなければならないが、激しい体の火照りの前に集中
する事すら難しい状況だ。そんなマリンの様子に、傍らに寄り添う光の精霊が「まかせて」
と言う様にこくんと頷く。
 そんな光の精霊の気配を感じながら、マリンは紫色の魔力で素早く印を結んだ。
 マリンが唱えるのは古代魔法言語。通常の魔法言語からより言霊の強い物に置き換える
事で、精霊はより明確な魔法のヴィジョンを受け取る。印で方向性を示し、それで構成さ
れた魔方陣は精霊の力を引き出し、精霊は魔力を食らう。
 マリンは何度も再考しなおしたその呪文を正確に歌い上げた。
 流れるような呪文と印の指示。精霊はそれに従いマリンの意図を正確に具現化する。
「光の衣は、我を護る鎧なり……<魔>の魔力を遮断せよ! ニテンス・アルマ!」
 紫竜の牙に宿る魔力の半分と引き換えに、魔法は効果を発動する。
 念入りに組み上げられたスペルは<聖>の呪文に匹敵する効果を引き出し、光は薄く輝
く衣となってマリンをぴったり包み込んだ。
 衣は結界をも越える濃度の<魔>の魔力の殆どを遮断し、影響から開放されたマリンは
ぐっと額を拭った。
「っは、うし、成功っ。フォロイ、ありがとう。……もう一つ大きな仕事があるけどね」
 マリンのその言葉に、光の精霊は浅く頷く。それと同時にタタッタタッと獣の走る足音
がマリンの耳に届いた。
『マリンッ!!』
「ガント!」
 部屋に入ってきた狼はマリンに駆け寄ると、心配そうな表情で見上げる。
 そんな狼を安心させるように、マリンはびっと親指を立てた。
「大丈夫、シールドの呪文を発動させたから。しかも新型!」
『外の魔力は強いぞ。それでいけるか?』
「うん、発動してる間は殆ど平気。爪の魔力が切れた時点でアウトだけど」
 胸元で淡く輝く竜の爪を指差し、マリンは頷く。
 爪に蓄えてある魔力が底を尽きると、完全に不透明になり光を失う。そうなったらシー
ルドが切れてしまうのだが、正直結界の外でその状況にはなりたくはなかった。
 結界の中にいて、あの衝撃な訳だ。外でまともに魔力を浴びれば、正気を保てなくなっ
て性的衝動に身を任せてしまう、なんてことも十分にありえる。
 自我を失い自慰行為にはしってしまったら……と考えるだけで死にたくなる。
「……っていうか、正直さっきの衝撃だけでやばかった。ホントは外に出るの怖い」
『この体じゃなきゃ、いくらでもなんとかしてやるんだがな』
「……って、ちょ、ちょっと!?」
 ガントの呟きに赤面するマリンだったが、それとは逆にガントは扉の外を鋭い瞳で睨ん
でいた。
 部屋の外からは霊達の唸り声と、竜の叫ぶ声が僅かに聞こえてくる。
『指示通りに魔石の欠片を配置した。……あとはお前次第だ』
「うん、任せて。……大階段の上から魔法発動させる」
 マリンは仮眠で乱れた髪の毛を素早く括り直すと、腰のポーチの中にある魔石の数を確
認した。魔石は五つ。とっておきの高価な魔石だったが、もしもの場合は使うのを躊躇っ
ている場合ではない。心の中のマリンは涙目だったが、パンと頬を叩いて前を向いた。
『乗れ。その方が早く行ける』
「ありがと。……ホーラを、死都をなんとかしなきゃ。その後で……ガントも頑張って」
『……あぁ、必ず体を取り戻す』
 狼の低い声にマリンの心が少し揺れる。
 銀色の獣の背に跨り、マリンは一つ深呼吸した。
「さぁて、ちょっとやった事の無い魔法の規模だから、緊張しちゃうわっ」
『……マリン、一体何をしでかす気なんだ?』
「ふふ、……見てのお楽しみだよっ!」
 武者震いするマリンを背に乗せ、狼は一気に駆け出した。

 

 

 

 

     15

 満ちた月の魔力は、死都に充満する<魔>の魔力を異常なまでに高めていた。
 階段を一気に駆け上がる狼の背にしがみつきながら、マリンは死都の中央へと目を向け
た。
 中央には竜を中心に黒い渦が出来ていた。
 昨日は死都全体に漂っていた霊達が、ホーラの周囲にぎゅっと集まった様な形だ。
「ホーラが、囲まれてる……!」
 黒い渦にのまれて、ホーラの姿はうっすらとしか確認できなかった。
 ぴくりとも動かないホーラは、じっと耐えているのか、それとも動けないほど傷ついて
いるのか。
『マリン、頂上だッ!』
「ありがと、ガント!」
 石段を登りきったガントから飛び降り、マリンは死都を見下ろした。死都に渦巻く濃い
魔力の風が、マリンの黒い髪が巻き上げられる。
「うわ……凄い魔力。ガントは本当に平気なの?」
『どちらかと言うと気分は良いし、体も軽いな』
「……マジですか」
 たしかに、見た限りガントは何の影響も受けていない様に見える。それがマリンにはち
ょっと信じられない気分だ。
 <魔>を防護する光の衣に包まれている今でも、マリンの体には熱い感覚がじわじわと
沁み込んできている。
 あまりの濃度に魔力の消費も激しく、紫竜の爪も急激に曇っていっている。
「急がなきゃ、魔法の発動すらできなくなっちゃう」
 マリンは爪の魔力の残量を計算し、眉根を寄せる。首から下げた爪を外し、右の手の中
に握りこむと、マリンは死都の中央に向けてその手を突き出した。
「……ねぇガント、聞いていい?」
『なんだ』
 少女の周囲を警戒するガントに、小さく尋ねる。
「ね、元に戻る方法ってどんな方法?」
 呪いを内側から破るという事は解っているが、詳しい事をマリンは聞いていない。
 マリンの問いに狼はフン、口の端を上げ死都の中央を睨んだ。
『お前が今から何するか秘密なように、……こっちも内緒だ』
「……危なくないの?」
『そう言うそっちはどうなんだよ』
「んー、実はちょっと危ない」
『……本当にちょっとか?』
 狼に問われ、少女はべっと舌をだした。
「……途中で呪文が途切れたりすると、めっさヤバイです」
『……俺に任せろ。お前は魔法にだけ集中してろ。……派手なの、決めるんだろ?』
 魔力の風に銀色の毛並みを靡かせ、狼はマリンの前に立ち、野性味を帯びた紺色の瞳で
霊達を睨んだ。
 こうやって一緒に戦えるのは嬉しい事だった。前を護るのが獣の背中であっても、マリ
ンの瞳にはとても逞しく映った。
『やれ、マリン』
 その一言がマリンの心に熱い火を点す。
「…………了解っ!』
 マリンの瞳が気合と集中で鋭さを増し、手に汗が滲む。
 こんな状況だというのに、マリンは少し興奮していた。

「繋がるは精霊の、壁を越え六芒!!」

 突き出した右腕に紫色の魔力を纏わせながら、マリンは強く叫ぶ。
 少女の声が怨嗟の声を裂いて死都に響き、それに反応して死都の六ヶ所に仕掛けた魔石
の欠片からヴォンッと、光が放たれた。
 その光に気付き、霊達が一瞬沈黙する。
 暗い念を渦巻かせ竜を苛なんでいた鈍い音が止まり、まるで時が止まったようになった。
「娘…………?」
 霊達の打撃痕で血に濡れた竜が、神殿のある高台へと目を向ける。
 竜の金色の双眸にうつったのは、光を放ちながら印を描く少女の姿だった。
 竜が少女に気付くと同時に、霊達の赤い視線が少女を捕らえ、警戒の唸りを上げる。
「……何をしている! 娘! 逃げろ!」
 竜の叫びと同時に、霊は一斉にマリンに向かっていく。
「まて、そっちに行く事は許さんっ!」
 竜は赤く濡れた皮膜状の翼を大きく羽ばたかせ、マリン達へと飛んだ。だが、霊達の一
部が素早くホーラの翼に絡みついた。
「何っ!?」
 霊達は重さを増し、ホーラを地面へと叩きつけた。
 竜は苦しみ嘆く霊達に反撃する事もできず、振り払う事すらできなかった。
「その者達に恨みは無かろう! 我以外に構うなっ!」
 霊達に押さえつけられながら、ホーラは掠れる声で叫ぶ。
 声が届かないのか、霊達は竜を飛び越え、すり抜ける様にしてマリンへと向かっていっ
た。
(霊達が……来るっ!)
 圧力にも似た霊達の波動を肌で感じながら、それでもマリンは怯む事無く言葉を連ねる。
 その声に警戒するように、霊達は黒い塊に変化し唸りを上げる。そして、実体化した霊
達はマリンめがけて一気に急降下していった。
 迫り来る霊達がマリンに触れるその瞬間、銀色が一閃する。
「ガァウッ!」
 銀色の光に弾かれ、霊達が散り一瞬姿を消す。姿を消した霊達は再び半透明になって姿
を現したが、色が薄まり弱った様子で二人から離れた。
『……俺だってこの夜をただ待ってた訳じゃない』
 射る様な視線で霊を睨む狼の前足が、淡い光を帯びて揺らめいていた。
 まるで熱の無い炎を纏っているかのようだ。
『魔力を纏った武器は形の無い物にもダメージを与える、『エンチャント』ってヤツだ。
……俺の場合は月夜限定だがな?』

 変身する時の要領で魔力を左手に局所的に宿し、それを維持する。その事によってエン
チャント同様の効果を得られるのでは、とあの本を見てガントは考えた。その考えは間違
っていなかったらしく、幾度か試すとすぐに要領を掴む事が出来た。
 ただ、獣の体で月からの魔力を使うのは、悪魔がかけた呪いとの戦いでもあった。
 魔力を使おうとすると、開放の寸前で魔力が弾かれ、そして中から締め上げるような苦
痛がガントを襲った。悪魔の呪いが内から抗う力に反応しているのだった。
 だが、上手く調整すればその隙間を縫うように僅かだが魔力を使える事も解った。
(呪いを打ち破るには……この壁を越えて魔力を放たなければならないのか)
 左手に宿る魔力に反応して、呪いの壁がぎりぎりとガントを内側から締め上げる。自然
と脈拍が高まり、銀色の毛並みが汗で濡れた。

「呪いが……反応している。あの狼……!」
 その間もマリンの詠唱は続く。霊達は赤い瞳に敵意をむき出しにして再びマリンへと降
下していく。霊が実体化する寸前、狼は前足を振りぬいた。あたるはずの無い攻撃に悶え、
実体化していない霊が悲鳴を上げる。
 その悲鳴に、竜が無意識に怒気を放った。
『消滅させちゃいない、払ってるだけだ。怒るなよ、ホーラ』
 じりじりと燃える様な魔力を左手に宿し、ガントはホーラを睨む。ガントとて攻撃した
い訳ではないし、その事を解らないホーラでもない。
 ホーラはぎりりと牙を軋ませ、唸る霊達を見上げた。
『……っ』
 内側から滲む痛みに、狼の眉がピクリと動く。
 流石に身に着けたばかりの技はコントロールが安定せず、それに伴う呪いの痛みがガン
トをじくじくと責めあげていたのだ。
(この程度の痛みなど……!)
 後でこのこの呪いを、これを超える痛みとおそらく対峙する事になるのだ。
 痛みを跳ね除けるように、狼は吼えた。その叫びに、竜が眉を寄せる。
 霊の一部は、まだ諦めずにマリンの詠唱を邪魔しようと赤い殺意を隠そうともしない。
 ここで怯んでいる場合ではなかった。
(マリン……!)
 霊達を振り払いながら、ガントはヴォウと大きく吼えた。
 それと同時にマリンがぱっと目を開く。

「――ホーラ、コレが私の見つけた答えだよっ!!」
 
 マリンは牙の魔力を集中させ、呪文の締めに入る。
 それに合わせて死都の六箇所に輝いていた光が地上を走り、繋がり、見事な六芒星を描
き出した。複雑な紋様が六芒星の周りを囲む様にびっしりと埋め尽くし、死都いっぱいに
描かれた魔方陣は<光>の力を溢れさせた。
 右手の中で、紫竜の爪がミシリと嫌な音をたてる。
(足りないっ!)
 大規模な魔法に魔力が完全に不足していた。
 マリンはポーチから更に四つ魔石を取り出すとそれを全て魔力に変え、呪文を一気に締
めくくった。
 マリンの眼下には、死都全体を覆うほどの巨大な魔方陣が形成されていた。
 瞬間、六ヶ所の魔石の欠片から光の柱が立ち上がり空を穿った。六芒星の光がそのまま
夜空に投影され、<魔>を、<闇>を払う様に白い光を放った。

「異界の門よ開け! 霊達、これが逝くべき場所だよ!」

 まばゆい光が死都を包み、夜の闇を、<魔>の魔力を死都の頭上から引き裂いた。
「……門、いや、これは一時的に空間を繋いだのか!?」
 ホーラは夜空に現れた巨大な光の円を見上げ、目を見開いた。
 降り注ぐ光は眩むほどに眩しく、まるで太陽が降りて来たかの様だった。
「悪霊は通常<聖>のスペルで浄化される。その仕組みを紐解けば、<光>に還れない魂
を<聖>の精霊が奇跡の力で導いている事が解る。奇跡を真似できないなら、別の方法を。
ホーラが霊を、民を傷つけられない気持ち、解るよ。どうしようも出来なかったことも。
だから、私が変わりにやる。私には、<光>が使えるから!!」
 マリンが手を振り上げると、空に光の隙間が現れる。
「……霊の、行く先を示す、というのか。おまえ自身が」
 巨大な魔方陣を制御する少女の手は血に濡れて真っ赤になっていた。良く見れば、奥歯
をガチガチと鳴らし脂汗でじっとりと濡れている。信じられない、といった表情で竜は少
女を見上げた。
「ふふん、中々大胆でしょ。私には奇跡は起こせない。だから<光>へ繋がる入り口を直
接作ってみたの。ね? いい考え、でしょ?」
 降り注ぐ光の中、マリンはその場に崩れ膝をついた。
(あぁ……、ごめんね、ゾーイン)
 心の中で、かつて戦った紫竜の名前を呟く。右手の中の紫竜の爪は限界を超え、壊れて
砕けていた。そしてその反動がしっかりと体に返ってきていた。指先は今にも爆発するん
じゃないかと思うほどに痛いし、魔法で軽くしているとは言え<魔>の影響だってある。
 肩で息をしながら魔法陣を制御するマリンに向かって、不意に狼が叫んだ。
『……マリン! 奴ら、……消えてはいない!!』
 ガントの叫びにマリンが顔を上げる。
 光のなか、成仏するはずの霊達は消えてはいなかった。
 怨嗟の声は止まず、だが苦しげに光の中でのた打ち回っている。
 その様子に、マリンは半分ほっとしたように表情を緩めた。
「……そか。やっぱり、これ、霊じゃなかったんだ」
『どういう事だ……?』
 左手の魔力を霧散させ、狼は座り込むマリンを見上げる。
「お墓、あったでしょ? あれ、ちゃんとホーラが死者を葬って祈ったって事なんだ。ち
ゃんと葬られた霊は悪霊になんてならない。ましてや民はホーラを恨んでなんかいなかっ
た。だからおかしいなとは思ってたんだけど」
『ならば、アレは……!?』

「あれは民の意思の具現です。死の寸前に感じた痛みや苦しみ。それらが形になってしま
った物なのです」

 呼吸を荒げるマリンの目の前に、一つ、影が立っていた。狼は条件反射で身構えるも、
それがあの女のゴーストだと気付き、表情が驚きに変わった。
 鮮烈な<光>の中で、ゴーストは本来の姿を取り戻していた。
 羽と宝石で装飾された黒い衣を羽織った女のゴーストは、黒い瞳に涙を浮かべて宙に浮
かんでいた。
「わ……美人さん……だ」
 思わずマリンがぼそりと呟く。
 ゴーストは消えそうな体のまま、すっと口を開いた。 
「私達は、誰一人も主を、竜を恨んでなどいませんでした。ですが、病のもたらす痛みに
皆苦しんだのは事実です。アランカンクルスはたった二日で滅んでしまいました。それが
いけなかったのです。二日の間に残された大量の負の感情は、積み重なり深い傷のように
大地に刻まれ残ってしまったのです。そしてある日……。アランカンクルスを強い<魔>
の魔力が覆う事で、その苦しみが、……具現化してしまったのです」
 女のゴーストはマリンの横にしゃがみこむと、細く痩せた手を血だらけになったマリン
の手に重ねた。
 ゴーストに対する恐怖が一瞬マリンをびくりとさせる。
 実体も無く、ただただ冷たい手だった。でも、マリンはその透けた手を振り払ったりは
せず、むしろ握り返すように手をぴくりと動かした。
「竜が傷つくのを見続けるのは、とても辛いものでした。誰かが都に来るのを、ずっと、
私は待っていたのです。――きてくれて……よかった」
 浄化の光に導かれ、ゴーストは姿を薄めていく。
 ゴーストはホーラに振り返ると、すっと頭を下げ、やわらかい微笑みをうかべた。
「あぁ、優しい我らの主。冥哭の巫女はこれでようやく旅立てます。どうか、幸せに。約
束が果たせますように」
 今だ霊の――民の残した負の声は消えてはいない。
 その声を聞きながら、ゴーストはマリンに振り返った。
「声を、壊してください。もう、主が苦しむ事の無いように」
「了解。もちろん、そのつもり。だから心配しないで、いって?」
 震える足でもう一度立ち上がり、マリンはポーチからもう一つ魔石を取り出した。
『マリン、……そこまで解っていたのか?』
 ふらつくマリンを支え、狼が尋ねる。
「ううん。本当はどっちかわかんなかったから、二段構えだったの。……きっとホーラは
全部解ってたんだと思うけどね。でもさ。解っててもホーラじゃこんな事できないから。
ホーラは<闇>の竜だから。でも、私もあのゴーストが教えてくれなかったら出来なかっ
たと思うよ。私達が死都に着いた時、開いて、って言ってたでしょ? だからこの方法を
思いついたの」
 マリンは魔石を握り締めると、ゲートの魔法を維持しつつ呪文を重ね掛ける。
 すると<光>と繋がった魔方陣から、一瞬、だが強烈な光が死都を駆け抜けた。

「この死都を覆う<魔>の魔力全てを、一度<光>で全て振り払う! 刻まれた苦しみも、
全部、壊れて消えてしまええええっ…………!!」
 
 光にかき消される様にして、具現化していた負の感情が砂の城を崩すように消えていく。
 マリンの手にあった魔石が全て弾け、その勢いに押されるようにしてマリンはガントに
倒れかかった。消えていく魔石がキラキラとやたらと綺麗だった。大事な魔石を使い果た
してせつない気持ちではあったが、目の前のゴーストの微笑みにそれもまぁいいやという
気になってしまう。
「解ってくれて、ありがとう……」
 消えていくゴーストの微笑みに、マリンも笑ってみせる。だが正直な所全力を使い果た
して今にも意識が途切れそうだ。
 ゴーストは全ての声が消えるのを確認すると、死都の真ん中で立ち尽くす主にくるりと
振り返った。
 黒い竜は金色の鬣を光の風に靡かせて、俯いていた。

「我らの主よ、顔を上げてください」
「……お前、何故逝かず残ってた。ちゃんと葬ってやったろう」
「神殿の巫女として、民の代表として貴方様が心配だったのです。いけませんか?」
「馬鹿者。我は竜だ。どうとでもなる」
「優しい主、我らは貴方の事を、都を護る竜の事を忘れません。あぁ、我らは……」
 六芒星が最後の光を放ち、強引に開けられた空間の隙間を塞ぎはじめる。


「我らは、アランカンクルスの民で、幸せでした」

 
 ゴーストは満面の笑みを浮かべ、魔方陣が放つ最後の輝きと共に消えていった。

 僅かな沈黙の後、再び、夜の闇が死都を覆う。
 空は闇色。無数の星々と見事な真円の月が夜空を明るくしていた。
「月……か」
 優しく降り注く夜の光に包まれながら、竜は顔を上げる。
 死都の主はゴーストの居た場所を見つめていた。
「…………解っていたのだ。それでも……」
 闇色の竜はぎしりと眉を寄せ、砂利道に爪を食い込ませた。


「それでも、民の声を無視する事はできなかったのだ。あの時の己の無力を、後悔せずに
はいられなかったのだ」


 竜の頬をゆるい春の夜風が撫でていく。 
 竜はゆっくりと背を伸ばし大きく翼を羽ばたかせると、マリンとガントの元へと降り立
った。
「…………マリン、礼を言おう」
「えへへ。でも、ホーラも、ぼろぼろだよ」
「お前程では無い。ドラゴンマウンテンのレンジャーは自分を省みない奴らばかりなのか
? 馬鹿か?」
「うっわ、酷い。あんなに頑張ったのに」
 ホーラは竜の姿から人の姿に変わると、マリンの手をとってふるふると首を振った。
「魔力の逆流、過放出。無茶をしおって。あんな大規模な魔法、一人の人間が使うには無
理がありすぎる」
「そう? 師匠は時々やってた気がするなぁ」
 あははと笑いながら、マリンはふと気になり眉を寄せた。
「ね、ホーラ。<魔>って何時から強くなったの? っていうか、何年間苛まれてたの?」
 カヒュラは『最近』と言っていた。そこからあれに苛まれてたとしても、それが何日、
もしくは何年なのかマリンには良く解らなかったのだ。何年も生きる竜の事だ。人間の『
最近』という感覚と一緒の筈が無い。
「……五年程だ」
『五年もか』
「ありえない」
 笑うマリンに、ホーラは不機嫌そうに眉を吊り上げる。
「でも、なんで急に負の感情を具現化する程<魔>の魔力が強くなっちゃったんだろね。
ホーラ、何か気付かなかったの?」
『五年前に……何かあったのか?』
「死都には<魔>の門がある。だから通常の場所よりも<魔>が強いのはおかしくは無い。
が……」


「はははははは! じわじわとした変化だもんなぁ? ましてや<闇>の竜ときたもんだ
! 同じ属性の魔力がちょいと強くなった所じゃ、そりゃいくらハイ・ドラゴンでも気付
かないよなぁ!」


 馬鹿にするような耳障りな声に、ホーラは金色の半眼を思い切り見開いた。
「自分の愛する民の『痛み』に殺されるとか、傑作だと思ったんだけどナ、あーあ、こん
なガキのせいでオジャンになるとは思いもしなかったぜ」
「何……だと?」
 声を震わせ、ホーラは顔を上げた。
 死都の中央の空中に、赤い二つの瞳が浮かんでいた。黒い衣を纏い、あの霊達と寸分違
わぬ姿で浮かんでいた。
「五年越しの計画が潰れちまった。まぁいい。竜もガキも弱ってやがる。殺して門を手中
に収めりゃ、なんてことは無ぇ!」
 
 影がバサリと翼を広げ、両腕を広げた。
 深い緑の長い髪を揺らす、色白の美男子。その頭には二本の短い角があり、瞳は狂気で
赤く染まり、下卑た笑いを浮かべている。翼は皮膜状で黒く薄い。
 その姿をみて、マリンはビクリと身を震わせた。
「五年もかけて弱らせたンだ。失敗は許されないからなぁ?」
 男が腕を差し出すと複数の小さな魔方陣が展開し、そこから七体のガーゴイルがずるり
と現れた。
「……あ、悪魔……、なの?」
 疲れきったと重い体を起こし、ガントにもたれかかりながらマリンは翼の生えた男を見
上げる。
「悪魔? まぁ、そんな所だ」
「…………インキュバス、下級の悪魔か。……何時の間に死都に紛れ込んだ」
 竜の目で悪魔の正体を見抜き、ホーラは激しく表情を歪ませる。
「ハハン、確かに俺はインキュバスだが、俺を『下級』と甘く見ないでくれよ? これで
もこの作戦を任されるだけの『力』はあるンだぜ?」

「何時紛れ込んだと聞いているッ!!」

 奥歯をぎしりと噛み鳴らし大きく吼えるホーラに、インキュバスはニヤリと顔を歪ませ
笑った。
「俺は魔法が得意なんだ。気配を消すことも、『霊もどき』に紛れる事もなんて事ないぜ」

「……貴様。……よくも」
 みしり、と竜の体が音を立てる。
「んだよ、百九十五年も一人だったんだろ? 五年間、民と一緒に暮らせて寂しくなかっ
たろ? 俺、親切だよな?」
 人の体を破り、再び黒い竜が翼を広げる。
 金色の半眼に怒りを湛えて。
 体を濡らす血を、振り払うようにして。


「……貴様、我が民を、我を愚弄したな! 絶対に許さん!!!!!!」


 大きく吼える竜に向かい、悪魔は細い腕を差し出した。
「死ねよドラゴン! ついでにそこの犬とガキも死んじまえ!」
 悪魔の声を合図に、インキュバスを取り囲むガーゴイル達が一斉に金切り声を上げる。
 
 下卑た顔で笑う悪魔の姿に、宙を舞う石像の喚く声に、マリンの心が凍る。
 蘇るのはあの日の光景。
 
「ガント……!」
『あぁ。解ってる。マリンはそこを動くな。……俺が絶対に、絶対に護る!』
 動けない少女の前を、銀色の狼が立ちふさがる。
(……!)
 紺色の迷いの無い瞳を見つめ、マリンは首を振る。
 言いようの無い不安と戸惑いが、思い出したかの様にマリンを覆う。

 満月の光を浴びて、悪魔は笑う。
 恐怖の夜は、まだ終わってはいなかった。

 

 
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