9
アランカンクルスの誕生
その後、勇者達は人々の前から姿を消した。
グレインは仲間に行き先を告げ、ホーラと約束を交わし地上から姿を消した。
ホーラはグレインとの約束を果たすべく、何も無いこの地に住み着いた。
彼はたった一人、約束に従い、<魔>の世界へと続く門を守っていたのだ。
我ら、黒き衣のメランの民は彼に大きな恩があった。ホーラのお陰で一族は滅びずに済
んだのだ。
次は我らが彼にその恩を返す番だ。
我らはカヒュラの力を借り、ホーラの住む地へ一族全員で向かった。
彼の住む地は過酷な高地だった。そしてホーラも帰れの一点張りだ。
だが、そういう訳にもいかない。
我らは、傷つきなおも門を守る彼の力になりたかった。それは一族全員の望みだった。
我らは傷つくホーラを癒し、そして、この鋼の山に囲まれた荒地を開拓した。
そのうち、彼も力を貸してくれるようになり、数年後この都市が築かれた。
都市はアランカンクルスと名づけられた。
我らメランの民は、子孫が続く限り、永遠に彼の力になり続けるだろう。
我らは忘れない。人を想い、守る彼の姿を。
我らの主を。
我らの王を。
文章はそこで終わっていた。
「ホーラ、大人気だったんだ。凄く慕われてたんだね」
「その様だな」
民に慕われるホーラを想像して、マリンは表情を緩ませる。
だが、それ程主を慕っていた民が、護っていた民が居なくなった現実を思うと、マリン
の胸はきゅっとしまっていくのだった。
「寂しかっただろうな……ホーラ」
『我が無力だったからだ』と言い切ったホーラを思い出し、マリンはきゅっと口を引き
結んだ。色々な思いが交差して、今のホーラは死都にたった一人で居るのだ。
「で、本、読んだけど……」
黒い表紙の本を閉じ、マリンは眉を寄せる。
あのゴーストが何を言いたくてこの本をマリンに示したのか。歴史を知った所でそれが
解らなければ意味が無い。
普通に考えるとあのゴーストは死都の住民だった人なのだろう。
彼女が何を訴えたいのか、マリンは必死に考えをめぐらせた。
むぅ、と眉を寄せているとズズズ、と、扉が開く音がした。
「ガント!? ホーラ!?」
マリンは立ち上がり、振り返ると、扉の向こうから狼が駆け寄った。
「ガントお帰り! 竜玉はあった?」
『あぁ、このガントレットに封じてある』
「えぇ、封じちゃったの!? 残念、見てみたかったのになぁ」
残念そうにするマリンをみて、ホーラはにやりと笑う。
だが、机の上にある本を見てその表情をすっと戻した。
「……娘、あの書を読んだのか?」
「う、あ、はい。時間はかかったけど……一応全部読みました」
「ほう、あれをこの短時間に読破するとはな!」
古代の文字をすらすらと読める人間などそうはいない。
感心するホーラに、マリンははっとなって問いかけた。
「ね、ねぇ、ホーラ、聞いても良いですか?」
「ん、なんだ?」
「えと、師匠の事と死都の事なんだけど……」
マリンがそこまで言ったその時だった。
ズン、と、大きく死都全体が縦に揺れ、空気がざわめき、ほんの一瞬だが<魔>の魔力
が体を通り抜けていった様に感じた。
「え、何!?」
『マリン!』
がくんと体勢を崩すマリンを支えるように、ガントは素早くマリンの体を支える。
「ホーラ! ホーラ……?」
ホーラは微動だにせず、じっと外を眺めていた。
「日が暮れる。魔力が強くなるのだ。……いいな、絶対に外に出るなよ。絶対だ」
穏やかだった瞳は鋭くなり、ホーラの体からは力が滲むようだった。
ホーラはそのまま外へ出て行くと、石の扉を閉じ姿を消した。
「ガント……なんか変、私ね、ホーラが何か隠してるみたいに思うの」
死都全体に響く微弱な揺れを感じながら、マリンは眉を寄せた。
去っていったホーラの表情は敵に立ち向かう時の様に鋭かったが、それも少し違う様に
マリンは感じていた。寂しげで、そして何かに耐えるような、そして迷うような、そんな
複雑な表情だったように感じられたのだ。
『……、カヒュラは最近になって突然<魔>が一層強くなった、そう言っていたな。それ
が何か関係しているのかも知れない』
「確かに……」
結界の内側に居ると言うのに、じわじわと<魔>の魔力を感じる。
そして、待ってろと言ってじっとしていられるマリンではなかった。
「あのね、ガント。あのゴースト、また来たんだよ」
『何だと?』
「そしてね、歴史を記した本を示して消えていったの。多分、伝えたかったんだと思うん
だ。カヒュラ達の戦いの歴史と、この死都の歴史を。住民は、皆ホーラを慕っていて、愛
していたんだって事。でも皆一斉に死んじゃって。何があったかわからないけどさ」
マリンは自身の赤い辞書を引き、<光>の呪文に関して記してあるページを探る。
「ゴースト、最初に、助けてって言ってた。きっと、ホーラを助けてあげてって事なんだ
と思うんだ」
『ホーラを……?』
「そう。だから、この本を示したんだと思う。自分達が、ホーラを愛してた事を示したか
ったんだと思うの。そして、一人で戦うホーラの、何か力になって欲しかったんだと思う
の。ホーラは強い竜だって良く解る。でも、きっと私達にしか出来ない何かがあるから、
あのゴーストは私達に訴えてきたんだと、そう思うの。ね、外れてるかな、ガント」
『……解らないが、そうかもしれんな』
揺れは相変わらず続いており、そして時折ホーラらしき声もする。
尋常ではない事態だ。
「それに、こんな時になにも出来ないなんて、じっとしてらんないよ! ね、レンジャー
の役目の一つは竜の力になる事でしょ? ホーラも竜だし、私達にも出来る事あると思う
の!」
必死になってマリンはガントに訴えかけた。ガントはひとしきり考えた後で、口を開い
た。
『……なんにせよ、こちらも元に戻れるかもしれない貴重な情報を貰ったんだ。それがど
んな結果をもたらすものだろうが、貰いっぱなしという訳にはいかんだろう』
「だよねっ。そうこなくっちゃ!」
そうと決まれば外にでるしかない!
マリンは熱くなる気持ちのままに勢い良く石の扉を押すが、びくともしない。良く考え
れば石で出来た扉なのだからそう簡単に動かせる筈が無いのだ。
「うあ! 何この扉!! 重っ!!!!」
『マリン、どけっ』
軽く助走を着け、ガントが体当たりするも、やはり石の扉はびくとも動かない。
「外側からしか開かない仕組みかな……でも、取っ手もないし!」
扉はなんの取っ掛かりも無く、こちらからではどうしようもなさそうだった。
『どうする?』
「う〜〜ん」
悩む間にも、揺れは時折大きくなり、そして何かがぶつかりあう音が外から聞こえてく
る。そしてウオオオと一際大きく声が響いた。
「この……声!」
『ホーラだな、急いだ方が……』
「ん〜〜閃いた! ガント、ガントレットの変形できる?」
『変形は出来るが、どう変えるんだ?』
「爪の先をでっかい鉤爪みたいにしてくれる?」
ガントは浅く頷くと、意識を集中させ前足の爪を模した部分を更に大きく伸ばした。
『コレでどうす……うお!?』
「てやあああっ!」
瞬間、マリンはガントを抱き上げ、その勢いのまま扉にガントレットの爪をゴスっと食
い込ませた。そして大きな狼を抱えたまま踏ん張ると、顔を真っ赤にして扉を引いた。
「ふ、ふのおおおお! 役立て! 私の怪力ぃ〜!」
ガントレットを取っ手代わりにして、マリンはガントを抱えたまま一気に扉を引く。
「おおおおおお!」
ず、ずず、と次第に扉は開き、じりじりと石の扉が隙間を作っていく。
「の、のおお!!」
マリンが必死に引っ張る事数分、ようやく人一人が通れる幅の隙間が出来た。
「うしゃー!」
『……なんて発想するんだ、お前は』
呆れるガントを他所に、ばくばくと心臓を鳴らしながらマリンはふへぇと息を吐いた。
「ばっちり開いたでしょ! いぇい!」
呼吸を整えた後、マリンはふんと気合を入れて、辞書を見ながら小さく魔法を唱えた。
呪文に答えて紫竜の爪が低く唸り、魔力で出来た保護幕がマリンをふわりと包む。
『シールド、か?』
「そ。あんまり使わない魔法だから、すっかり忘れてたけど、これで短時間なら大丈夫の
筈!」
マリンは辞書片手ににこりと笑うと、再び構えて外へ向かう隙間を睨む。
外はもう日が落ちているのか、隙間から覗く灰色山壁は闇色に染まっていた。
「うし、ガント、行こう! ホーラに怒られるの覚悟で!」
マリンは更に気合を入れなおすと、隙間に体を滑らせ、勢い良く外へと向かった。
『……あ、あぁ』
ガントは少しの間その場に立ち尽くした後、マリンを追いかけるように走った。
ばくばくと心臓を鳴らしていたのはガントもだったのだ。
取っ手代わりにされて持ち上げられたとは言え、久しぶりに抱きしめ(?)られたのだ。
『……くそう。絶対に体を取り戻してやるッ!』
少し狭い隙間に無理やり体をねじ込ませ、ガントはどうにか外へと脱出した。
『マリン……?』
先に外に出た筈のマリンが、出た所で立ち尽くしていた。
『どうした、マリン?!』
「す、すごい<魔>の波動、シールドしてるのに……!!」
体を貫く<魔>の波動にマリンは動けないでいた。シールドを貫きマリンを覆う<魔>
の魔力は昼間以上のものだった。体が一気に熱くなり、呼吸が荒くなる。
「はっ、ん、何これ、や、やばっ……!」
頬が一気に赤く染まり、足ががくがくと笑う。
『マリン! 戻るか?』
「やだ! そんなの絶対駄目」
『なら背中に乗れっ!』
「うん、ごめん、ガント、ひゃんっ!」
狼に跨ったマリンが甘く濡れた声を上げる。
『馬鹿野郎、なんとか耐えろ! ……狼なんかにヤられたくないだろ!?』
「っ、ご、ごめん!」
体に走る熱い感覚を無視するように抑えて、走り出すガントにマリンはしがみ付いた。
『こ、コレは……!!』
大階段の前に来て死都の住居区の方向を向いて、ガントは息を呑んだ。
死都を真っ直ぐに貫く大通りの真ん中に、ホーラはいた。
漆黒の竜の姿となったホーラは、暗闇の中、ただ上を向いて立ち尽くしていた。
空は魔力と無数の影が渦巻き、無数の視線がホーラを包む。
「……来るなと言った筈だ。――何故守らなかった!」
厳しい声でホーラが叫ぶ。
その声に反応するように視線のひとつが形を成し、そのままホーラへとぶつかっていく。
ホーラはそれを避けるでもなく衝撃を身に受け、ぐらりと揺れた身を再び建て直し立ちつ
くした。
「がんと、これ、解った。この視線、これ、全部ゴースト、ううん、もっとたちの悪い霊
だ。でも、これ、全部……」
無数の視線が一気に形を成し、空を埋め尽くし、ホーラたちを取り囲んだ。
赤く光る目に、黒いローブ。唸りを上げる霊たち。
熱く震える体に、絶望に似た暗い感情が流れ込む。それは無意識に涙になり、マリンの
頬を伝った。
「この霊、この霊、全部……」
マリンは涙を一杯に浮かべ、身を起こした。
「これ、全部……死都の民だった人達だ……!」
その様相は正に『死都』だった。
泣き、叫ぶのはかつて民であった無数の魂。
主を慕い、愛した魂達は、かつての主を傷つけ、そしてまた嘆く。
終わらない苦痛にもがく無数の魂は、暗いオーラを放ち、広い都に深い『死』を満たし
ていたのだった。 |