☆桃兎の小説コーナー☆
(09.02.10更新)

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 ドラゴンマウンテン 第二部

  第二話  ここは死都アランカンクルス  

   3 死都の真実

     7

「ギュキィ!」
 ホーラの振り下ろした腕に弾かれて、地面に叩きつけられた小悪魔が悲鳴を上げる。
「愚かな。コレより先に行けるとでも思ったか?」
 小悪魔を見下ろすホーラの瞳は冷たい。
 金色の半眼に滲む殺意に気付き、小悪魔は地べたを這い逃げようと試みる。だが、それ
よりも早く、ホーラは日に焼けた素足を踏み下ろした。ギィ、と一際高い声が神殿に響く。
人の姿とは言え、その正体はドラゴンだ。その一撃は重く、踏まれた悪魔はあっという間
に塵に還ってしまった。
 正に、踏み潰された、という言葉がぴったりだ。
 だが、ホーラは塵に還った悪魔を一瞥すると、血で汚れたラベンダー色のズボンをぱぱ
っと払い、何事も無かったかの様に再び奥へ向かって歩きだした。
『……まるで通りがかりのゴミを払うようだな』
 ガントは深紅の手甲を石窟の神殿に響かせながら、その後を歩く。
「この程度の雑魚は日常茶飯事で門を抜けてくるからな。最近は少なくなってきたが、ま
だ解っていない雑魚もいるのだ。『神殿より向こうには行けない』という事を、少しは学
んで欲しいものだがな」
 ホーラは半眼を更に細めて、忌々しそうに吐き捨てた。

 冥哭の神殿。
 ホーラがそう呼んだ神殿は、石の大階段の先にあった。
 死都全体を見下ろせる高さまで続く大階段の先には、白い石で作られた神殿への入り口
があり、そこは『連なる山々』を掘って作られた石窟へと繋がっていた。入り口をくぐり、
神殿の内部に入ると、そこは死都よりも濃い<魔>の魔力で満ちていた。流石のガントも
その濃さに眉を顰める濃度だ。鋼の石と呼ばれる黒い鉱石で出来た『連なる山々』を掘っ
て作られた神殿の内部は、想像よりも広く、そして暗いものだった。所々に永続魔法で維
持された明かりがあるものの、まるで闇の中を歩いているかのようだ。
 数分歩いた先に、石で作られた三つの扉があった。
 ホーラは左の扉の前に立つと、すっとその扉に手を翳した。素早く、そして短い歌の様
な呪文を唱えると、それに反応して扉の表面に光の文様がばっと浮かび上がる。
 炎が絡み合うようなそれは、マリンの左手に刻まれたカヒュラの竜の紋章と良く似たも
のだった。
「コレは我の紋章だ。この三つの石の扉はそれぞれ別の部屋へと繋がっている。いずれも
我以外にコレを開く事は出来ないようになっている。だが、<魔>の生き物(奴ら)の中
には物質をすり抜け扉を抜けていくヤツも居る。先程のアレがそうだ」
 ホーラはそう言いながら、とん、と石の扉を押す。すると、ずるずると言う音を立てて
扉は奥へと開いていった。
『この奥に……竜玉が?』
「そうだ」
 扉をくぐった先は、小部屋になっており、小さな祭壇とゆらりと光る三つの珠が安置さ
れていた。ホーラはそのうちの一つを掌に乗せると、ゆっくり振り返りそれをガントに見
せた。直径5センチほどの珠は、見事な真円で、僅かに濁った無色の珠だった。淡く光る
珠の中では何かが対流しているのか、白い煙のようなものがゆらゆらと揺れている。
「コレが竜玉だ。竜玉が何か、知っているか?」
『いや、知らない』
「竜玉とは、我らハイ・ドラゴンと呼ばれる長命の種のみが生み出せるもの、所謂魔力の
塊と言うべきものだ。単純に魔力の凝縮された珠、自らの何かを封じた珠、効能は様々だ
が、この手に乗る竜玉は単純な魔力の結晶だ。この珠は我の<魔>の魔力を長い時間をか
けてどの属性にも属さない純粋な魔力に変えたものだ。無属性の魔力とでも言う物だ。人
の世界に出回る魔晶石の最上級の物だと思えば良い。これがあれば、どんな大規模な魔法
でも使う事が出来るだろう。それに耐えられる器を持っていれば、の話だがな?」
『……マリンが聞いたら飛んで喜びそうだな』
「だろうな! これは究極の魔石とも言える。正に宝玉。この世に十個と無い物だろうか
らな!」
 はっはっはと笑い、ホーラは体を揺らした。
 ガントの脳裏に、輝く笑顔で竜玉を見つめるマリンが浮かぶ。実際マリンがこの話を聞
いたら絶対黙ってはいないだろう。
『この竜玉を、もう一人の竜に届ければいいんだな、なるほど』
「まぁ、頑張って届ける事だ。ガラスの上に立つ平和を謳歌したいのならな」
 ホーラはそう言うと、ゆらりとしゃがみ、深紅のガントレットに手を当てた。
「持ち歩くと色々不便な代物だからな。コレに封じておいてやる。アモルにはそう言え。
アイツなら簡単に取り出せる筈だ」
 ガントレットに刻まれたカヒュラの刻印の上で印を結ぶと、竜玉はぐにゃりと歪み、ガ
ントレットの中へと吸い込まれていった。
『アモル?』
「お前達が会いに行く竜の名だ。カヒュラのヤツ、相変わらずもったいぶって何の説明も
していないな? ……四百年前から何も変わって無いな、ヤツは」  
 カヒュラに呆れているのか、半眼を細めてホーラはやれやれと首を振る。
 そして、ゆっくりと立ち上がると銀色の狼を見下ろし金色の目をすっと細めた。

「……と、これで一つ用件が済んだ訳だが。……聞きたいか、ガントレット」

 びくり、と狼の毛が逆立つ。
 ――元に戻る為の、人の姿に戻るための方法。
 これを聞く為にここまで来たのだ。心臓がどくんと波うち、じわりと汗が滲む。
『……教えて欲しい。奴を葬る以外の、その方法を』
 無意識に力が入り、爪がみしりと床石に食い込む。
「……そう焦るなガントレット。奴らの思う壺だ」
『……ッ!』
 ガントは、一つ呼吸を置き、改めてホーラを見上げる。
「一つ前置きしておく。この方法は成功率はかなり低いだろう。そして、無理をすればお
前自身の寿命をも縮めるだろう」
『構わない』
「それでなくてもお前は人よりも短命なのだぞ? あの娘はこの事を聞けば、おそらくは
反対するだろうと思うのだが?」
『……それでも、構わない』
 紺色の瞳は少しの揺らぎも無く、狼ははっきりと言い切った。
 自分があとどれだけ生きていけるかは解らない。だが、死ぬまで獣の姿で居る方が、ガ
ントにはよほど苦痛に感じられた。このままでは満足にマリンを護る事も出来ない。抱き
しめてやる事も、愛してやることも出来ないのだ。
 命が縮み、一緒に居る時間が短くなる事も確かに辛い事だ。だがその事以上にこの姿で
居る事の方が辛いのだった。
「……まぁ、あの娘を護る為にもう既に何度となく命を削っているお前には愚問だったか」
 金色の瞳の瞳孔を縦に細くし、にっと口の端を上げて、ホーラは祭壇の上の残り二つの
竜玉を手にした。
 一つは黒く紫のモヤを内包した珠、そしてもう一つは先程と同様の無色の珠だった。 
「我ら<魔>の加護を受ける闇の生き物は夜にその力を高める。それは月の放つ<魔>の
魔力の恩恵に拠る物だ。お前はその魔力を利用し、ワーウルフへと姿を変えていた。お前
達が悪魔と対峙した時、あの時もそうだろう。そして、お前は最後の切り札にと『月の石』
を使ったな?」
『あぁ』
 ガントはあの夜を思い出し、目を伏せる。
「あの石は月の魔力の結晶のようなもので、<魔>の生き物の力を解放し、より強い力を
得る事の出来る希少なアイテムだ。まぁ、あれを授けたアークの判断は間違っちゃいない。
それによって今、お前達は生きているしな。だが、その事によりお前の獣の血が解放され、
変身時は完全なワーウルフになる様になってしまったわけだ。お前の望む、望まないを別
にしてな」
 ガントは人とワーウルフの間に生まれた所謂半獣の人間だ。
 だから、たとえ変身してもその姿は中途半端で半分人間、半分獣人ともいう姿になって
いたし、半分人間であるが故に自我もなんとか保てていたのだ。
 だが、月の石を使ったあの時は、確かに顔も体も全てがワーウルフになっていた。
「完全なワーウルフになっても自我を保てていたのは、お前の意思の強さのお陰だろう。
だが、これから変身するときは満月以外は駄目だろうな。いくらお前でも闇に引きずられ、
日が昇るまでは『魔物』だ。新月の時と同じだ。心当たりはあるだろう? ……と、少し
話がずれたな」
 ホーラは手の上で竜玉を転がしながら、再び話を続ける。
「悪魔がお前にかけた呪いは『開放』の呪いだ。あの娘の封印を開放する気だったのだろ
うが、お前がそれを受け止めた。『開放』はお前の裏ともいえる獣の血を開放させ、お前
は獣の姿になった。<魔>の魔法は心や精神に働きかける呪いだ。魔法は精霊の力を借り
て、もしくは神霊力という超次元の力を使って心の風景を具現化するものだ。魔法の根本
は精神力と言っても過言ではない。呪いを越える魔力と打ち破る精神力があれば、呪詛を
返す事も出来る」
『それで、三日後の満月、というわけなのか』
「そうだ。満月の夜ならば、お前は月からの恩恵を無限に受ける事ができる能力を持って
いる。その力を利用すれば、もしくは、という事だ。そして、満月の夜ならば、お前の精
神も<魔>に流される事なく維持できるだろう。本来なら満月は狂気で心を乱す事の方が
多いが……幾度もの変身を重ね、意識を維持してきたお前はそれに耐える『やり方』を知
っている。満月の夜に特化した、お前ならでは、という所だな」
『満月の夜に、変身をする如くこの獣の姿を打ち破れば良い、そういう事だな?』
「あぁ。ただし出来るとは限らないぞ。悪魔の施した呪いだからな。試みるなら、獣から
獣人、人間と変わるイメージで打ち破っていけばいい。だがもし途中で失敗すれば、獣人
の姿のままで固定され、ただの魔物になるやもしれんが……な?」
『魔物には……ならない。俺は人間だ』
 低く唸るように、ガントは首を振る。
「……ほう、強い意思だ。理由は見えないが、あの娘を想うのと同じくらいの決意がある
な」
 すっと縦に伸びた瞳孔で、深い紺色の瞳を見下ろし、ホーラはニヤリと笑う。
『……竜の目の前には、過去すら隠せないのだな』
「いや、そういうわけでもないぞ? お前が誰にも知られたくないと心の奥にしまい込ん
だ物は見えない。竜の目も万能では無いからな。現にお前の過去、深い過去は全く見えな
い。不思議なものだ。そうまでして目をそむける過去とは何だ?」
『……プライバシーの欠片もないな』
 眉を寄せる狼に、竜ははっはっはと大きく笑う。
「心配するな。お前達がどう愛し合っているかを覗いた所で、何の興味も無いわ」
『な!?』
「さ、行くぞ。そろそろ戻らないと日が暮れる。この神殿は僅かに時間を歪めてある」
『時間を?』
「だから、今から外に出ればおそらくは夕方だ」
 ホーラは再び竜玉を祭壇に戻すと、扉に向かって歩き出した。
『あの竜玉は?』
「あれは我とこの死都にとっての切り札だ。お前らにはやらん」
『いや、別に俺は欲しいとは思わないが』
 マリンが二つ残っていると知ったら欲しがるかもしれない、魔石に目の無いマリンを思
いながらガントはホーラを追いかけ部屋を出た。
『……一つ聞いても構わないだろうか』
「なんだ?」
 再び石の扉に鍵をかけるホーラに、狼は小さく尋ねた。
『いくらカヒュラの使いとは言え、何故そこまで俺達に協力的なんだ? 今日知り合った
ばかりの俺達に竜が力を貸す理由がわからない』
 石の扉に鍵をかけ終え、ホーラは金色の瞳を狼に向けた。
「……そうだな」
 ホーラは出口に向かって歩き出すと、少し考えてから口を開いた。
「お前達の戦ったあの悪魔、少なくとも我もアイツには借りがある。今の我はココを動く
事もままならん、あわよくばお前達がアイツを葬ればいいなとも思う。まぁ、無茶だがな」
『アイツに、借り……?』
「それに……」
 ホーラは更に続ける。
「それにあの娘を見捨てるわけにはいくまい。アークの愛し子だろう?」
『……?』
「アークには、アイツには色々世話になった。カヒュラもそうだ。だから、それが力を貸
す理由だ。解るか?」
『……ああ。つまり、全員顔見知り、という事か?』
 眉を寄せるガントをみて、ホーラはおや? と眉を寄せる
「なんだ、カヒュラの山のレンジャーとも言う者が過去の歴史を知らぬか。口伝は四百年
の時の流れの前には無力か! お前達は世界の維持に絡むのだったな。ならば知るべきだ。
良いだろう。歴史を知るが良い。我らが世界を護った、その歴史をな」
『我らが護った……伝説の勇者の話、か?』
「伝説か! 人にとってはそれほどに過去か!」
 ホーラは可笑しそうに大きく笑うと、半眼を細めて口を開いた。
「カヒュラ、アーク、アモル、そして我の竜四匹。そしてお前達が勇者と呼ぶグレイン、
大賢者アーガス、魔法使いメルティア、そして獣人のヴォレアの四人。我らは仲間だ。そ
して我らは<聖>と<魔>に喧嘩を売った張本人だ」
 ホーラは懐かしい思い出を手繰るようにすっと目を閉じた。
 そして、再び歩き出すと静かに語り始めた。

 

 

 

 

     8

「さて! 大分元気になったし、こっちはこっちで知識をいただきますか!」
 結界のお陰ですっかり回復したマリンは、腕まくりをして勢い良く立ち上がった。
 ホーラとガントが出かけてからすぐは流石のマリンもまだ本調子ではなくベッドで寝て
いたのだが、一時間たった今、マリンの体は絶好調になっていた。
 結界の魔力を遮断する能力に驚きながらも、マリンは隣の書庫へとスキップしていく。
 隠された魔法の知識や、忘れられた術式があると考えただけでマリンはうきうきだ。
 それだけじゃない。もしかしたらガントの呪いを解く鍵があるかもしれないのだ。ホー
ラが無理といっても、ホーラが何かの方法を知っていたとしても、それ以外の方法がひら
めいたなら儲け物だ。
「くぅう! 古書の良い匂いっ! さてどのへんから……、っ!!?」
 書庫に入って直ぐにつんであった本の山に手をかけた瞬間、急に寒くなった気がしてマ
リンはビクリと身を震わせた。
「……い、今、一人なんだけど!!!!!!」
 本を背にしてマリンは思わずしゃがみこんだ。
 間違いない。背筋がつっと寒くなる、これはあの女のゴーストの気配だ。
「や、やだ、怖いって! ああああああ!」
「落ち着け、マリン。私達が居るじゃないか」
 耳元で聞こえた涼やかな声に、マリンは涙を滲ませながら表情を緩めた。
「あああ! エーレ! 怖いの! 助けてうあああ!」
「……目を閉じていないで、前を向け。何か言っている」
 精霊の語り掛けに、マリンはぎゅっと閉じていた瞳を恐る恐る開ける。
 ゆっくりと開いた瞳に写った部屋の中央に、予想通りうっすらと冷たい影が浮かんでい
た。
「……っ!! ぃ!」
 涙目で震えながら、マリンはかすれる声でいた! と叫ぶ。
 ゴーストは気付いてもらえた事が解ったのか、ゆらりとマリンに近づいた。
「ななな、何? な」
 うっすらと漂う長い髪のゴーストは冷たく、悲しい。
 じっとマリンを見つめる真っ黒に窪んだ瞳は、最早恐怖でしかない。
 敵意を感じないとは言え、怖いものは怖い。奥歯を鳴らしながら、マリンはゴーストに
問いかけた。
「な、何、なにですか?」

「……私達は、ドラゴンを……」

 今にも消えそうな声で、ゴーストは呟き、そして一冊の本を指し示した。
 部屋の奥にある机に立てかけてある黒い表紙の本だった。
「な、何? アレを、見れば良いの?」
 涙声のマリンに、ゴーストはこくんと頷き、すっと姿を消す。
 部屋に静寂が戻り、冷気はすっと消えていった。
「……き、消えた?」
「……みたいだな。それにしても、弱々しい力だ。今にも消えそうなほど、だったな」
「う、うん、そうだね」
 マリンはよつんばいになって机を目指す。
 それを見てエーレはマリンに問いかけた。
「何をしている?」
「こ、怖くて腰が抜けちゃったの!」
「……情け無い主だな」
 やれやれ、と首を振るようにエーレはふわりと風を靡かせた。
 
「……っと、これ?」
 机にたどり着いたマリンは、椅子に座り黒い本を手に取った。
 ゴーストの気配が残っているのか、若干冷たい。
「うわ、古い本、でもこの中じゃ新しい方、かな?」
 周りにある本より一つ綺麗なその本は、黒い革の表紙に古代の文字で『アランカンクル
ス』と描いてあるようだった。中を開いてみると、明らかに現代文字ではない文字がぎっ
しりと並んでいる。ざっと見たところこれは歴史書で、過去の大戦とアランカンクルスに
ついて記した本らしいという事がわかった。
「……えと、コレ何、古代文字と、所々に……古代魔法文字? 流石に全部はわかんない
な……辞書辞書!!」
 マリンは寝室にあった自前の赤い表紙の辞書を荷物の袋から取り出すと、再び椅子に座
って黒い本の一ページ目をめくった。


 <聖>と<魔>の戦い

 この世は一つの大地と六つの元素<火><水><土><風><光><闇>で構成されて
いる。精霊界を収めるそれぞれの長によって作られたと言われるこの大地には、多種多様
な生き物と人が住んでいる。
 人はいつしか魔法を手に入れ、自然の力の恩恵を操るようになった。なかでも<光>の
精霊の中の一つの聖の精霊は、奇跡を引き起こすという事で重宝された。彼らは神霊力と
いう、他の精霊とは明らかに異なった力を持っていた。あらゆる法則を乗り越え、結果の
みを実現させるその力は正に奇跡の技だった。そしてそれは祈りの力によってその奇跡の
度合いを高めた。自然と人々は聖の精霊に偏り始め、やがて聖の精霊は膨大な祈りの力で
変質し、天使と呼ばれる存在に変わっていった。そして魔導師イリニによって聖の魔法の
体系が確立されると、聖の奇跡の魔法は人々にとって強力な力となっていったのだった。
 そして、それはいつしか宗教として一つの形なしていく。
 やがて、<光>の精霊界のバランスは聖へと傾いていった。いつしか<光>の属性の名
も<聖>と呼ばれるようになっていった。
 だが、それに比例するように、<闇>は色を濃くしていった。
 <聖>を愛するものたちは<闇>を恐れた。それを悪しきものと定め、呼び名も<魔>
と変化し、恐れの気持ちはやがて<闇>の精霊を変化させ、悪魔という名の化け物を生み
だした。天使と同様に精霊が悪魔へと変化していったのだ。
 <魔>の魔物も<聖>と同じく、祈りの力で力を左右される存在だった。
 <魔>は自分達を変質させた人間達を、そして強力な力を得た<聖>を恨み、憎しみ、
負の感情をもって<聖>と<魔>は敵対した。

 ここから<聖>と<魔>の争いは始まった。
 
 <魔>はあらゆる誘惑で人々を誘い、そして<聖>も奇跡の力でそれに抗った。
 争いが増えるにつれて、<魔>を信仰する者も徐々に増え始めた。人を歪ませるほどの
強力な闇の力は、人々や学者の好奇心をくすぐった。一方、<聖>を掲げたイリニ教は一
つの国を形成するほどに栄え広がり、信者をどんどんと増やしていった。
 そして<魔>を崇拝する者を容赦なく弾圧していったのだった。

 争いは激化し、地上は世界を巻き込む戦場となった。 

 だが、<聖>にも<魔>にも偏らない人間も多く居た。
 東の地にて、一人の少年が立ち上がる。
 人間というには過ぎた怪力を持ち、戦の達人と言われるほどの策士でディファーと呼ば
れた少年。その名はグレイン。小国の軍の隊長だった彼の元には、次第に仲間が集まって
いった。
 中でもグレインが信頼していたのは大賢者アーガス、魔法使いメルティア、そして獣人
のヴォレアだった。
 彼らの願いはただ平和に暮らすこと、だった。
 いや、元はみなそう思っていたに違いない。イリニもそれを願い、<聖>の魔法を確立
したのだろう。だが、欲望によって歪んだ正義に、正義は無い。
 グレインは第三勢力として彼らに停戦を持ちかけたが、一切聞く耳を持たず、それどこ
ろか、グレインは<聖>と<魔>の双方から攻撃される身となってしまった。
 繰り返される戦闘に四精霊(火・水・土・風)も酷使され、力を失った大地は次々に枯
れていった。
 それを強く嘆いたのはドラゴン達だった。
 何処に属するでもなく、自らの縄張りを守るだけだったドラゴン達も、次第に苛立ち、
人間を無差別に攻撃するようになっていった。
 <聖>と<魔>の軍勢と人間はそんなドラゴンを恐れ、ドラゴン達を殺し、もしくは魔
術で服従させていった。ドラゴンは強力な存在だったが、何せ数が少ない。繰り返される
争いの中、ドラゴンはその数を一気に減らしていった。
 グレインはそんな竜を守り、心を砕いた。
 そして、共に立ち向かう事を提案した。
 種の存続すら危うくなってきたドラゴンは、グレインの覚悟と心を知り、人間を信じて
みようと考えた。
 一番最初に提案にのったのは、銀色の巨竜カヒュラだった。
 カヒュラはドラゴンのなかでも一、二を争う力を持っていた。カヒュラが人間に加担す
る事に反対したドラゴンも居たが、切迫する情勢に一匹、また一匹と竜はグレインの側に
ついていった。
 
 そして、三つ巴の決戦が起きた。

 <聖>と<魔>の数万の軍勢を前に、グレインは僅かな人数で立ち向かった。
 壮絶な戦いの末、<聖>と<魔>は世界を結界によって隔絶され、天界、魔界と世界を
分けられて封印された。
 そのことにより、<聖>と<魔>を崇める二派は休戦を決め、地上には平和が戻ったの
だった。
 グレイン、アーガス、メルティア、ヴォレアは平和を望む人々から英雄と称えられ、同
時にカヒュラ、アーク、アモル、ホーラの四匹の竜はドラゴンの四天王と称えられた。

「ふぅ、長かった」
 途中まで解読を終えたマリンは額を拭い、大きく息を吐いた。
 勇者が竜と世界を救った話なら、小さな頃に誰しも一度は聞くおとぎ話だったが、ここ
まで詳しく語れる人に出会った事も無ければ、詳しく書いた書物を見た事も無い。
 今まで知らなかった歴史を知り、マリンはうんうんと頷いた。
「カヒュラが四天王って呼ばれる理由がよく解ったよ。っていうか、カヒュラ長生き! 
ううん、ホーラもこの時代から……、でも一番の問題は……」
 マリンは本の一箇所を見つめ、うーんと眉を寄せる。
「アーク……って師匠とおんなじ名前よね。まさか師匠、四百歳越えてる……なんてわけ
ないわよね? どう見ても竜じゃないし。でも、ハイ・ドラゴン特有の金色の目だよね…
…。でもでも、人間でもそういう人いるし、あー、でも師匠ってアーガスの再来とか言わ
れるってメディが言ってたし、カヒュラとも知り合いだし……ってもう! 師匠って何な
の!?」
 一番近くに居たはずの人が最もわからない状況に、マリンは眉をぐっと寄せる。
「……もう。考えてもわかんないし、続き、読もっと」
 頭をさっと切り替えて、マリンはさらにページをめくる。
 ここからはその後の話が書いてあるようだった。

 

     9

 アランカンクルスの誕生 

 その後、勇者達は人々の前から姿を消した。
 グレインは仲間に行き先を告げ、ホーラと約束を交わし地上から姿を消した。
 ホーラはグレインとの約束を果たすべく、何も無いこの地に住み着いた。
 彼はたった一人、約束に従い、<魔>の世界へと続く門を守っていたのだ。
 我ら、黒き衣のメランの民は彼に大きな恩があった。ホーラのお陰で一族は滅びずに済
んだのだ。
 次は我らが彼にその恩を返す番だ。
 我らはカヒュラの力を借り、ホーラの住む地へ一族全員で向かった。
 彼の住む地は過酷な高地だった。そしてホーラも帰れの一点張りだ。
 だが、そういう訳にもいかない。
 我らは、傷つきなおも門を守る彼の力になりたかった。それは一族全員の望みだった。
 我らは傷つくホーラを癒し、そして、この鋼の山に囲まれた荒地を開拓した。
 そのうち、彼も力を貸してくれるようになり、数年後この都市が築かれた。
 
 都市はアランカンクルスと名づけられた。

 我らメランの民は、子孫が続く限り、永遠に彼の力になり続けるだろう。
 我らは忘れない。人を想い、守る彼の姿を。
 我らの主を。
 我らの王を。


 文章はそこで終わっていた。
「ホーラ、大人気だったんだ。凄く慕われてたんだね」
「その様だな」
 民に慕われるホーラを想像して、マリンは表情を緩ませる。
 だが、それ程主を慕っていた民が、護っていた民が居なくなった現実を思うと、マリン
の胸はきゅっとしまっていくのだった。
「寂しかっただろうな……ホーラ」
 『我が無力だったからだ』と言い切ったホーラを思い出し、マリンはきゅっと口を引き
結んだ。色々な思いが交差して、今のホーラは死都にたった一人で居るのだ。
「で、本、読んだけど……」
 黒い表紙の本を閉じ、マリンは眉を寄せる。
 あのゴーストが何を言いたくてこの本をマリンに示したのか。歴史を知った所でそれが
解らなければ意味が無い。
 普通に考えるとあのゴーストは死都の住民だった人なのだろう。
 彼女が何を訴えたいのか、マリンは必死に考えをめぐらせた。

 むぅ、と眉を寄せているとズズズ、と、扉が開く音がした。
「ガント!? ホーラ!?」
 マリンは立ち上がり、振り返ると、扉の向こうから狼が駆け寄った。
「ガントお帰り! 竜玉はあった?」
『あぁ、このガントレットに封じてある』
「えぇ、封じちゃったの!? 残念、見てみたかったのになぁ」
 残念そうにするマリンをみて、ホーラはにやりと笑う。
 だが、机の上にある本を見てその表情をすっと戻した。
「……娘、あの書を読んだのか?」
「う、あ、はい。時間はかかったけど……一応全部読みました」
「ほう、あれをこの短時間に読破するとはな!」
 古代の文字をすらすらと読める人間などそうはいない。
 感心するホーラに、マリンははっとなって問いかけた。
「ね、ねぇ、ホーラ、聞いても良いですか?」
「ん、なんだ?」
「えと、師匠の事と死都の事なんだけど……」
 マリンがそこまで言ったその時だった。
 ズン、と、大きく死都全体が縦に揺れ、空気がざわめき、ほんの一瞬だが<魔>の魔力
が体を通り抜けていった様に感じた。
「え、何!?」
『マリン!』
 がくんと体勢を崩すマリンを支えるように、ガントは素早くマリンの体を支える。
「ホーラ! ホーラ……?」
 ホーラは微動だにせず、じっと外を眺めていた。
「日が暮れる。魔力が強くなるのだ。……いいな、絶対に外に出るなよ。絶対だ」
 穏やかだった瞳は鋭くなり、ホーラの体からは力が滲むようだった。
 ホーラはそのまま外へ出て行くと、石の扉を閉じ姿を消した。
「ガント……なんか変、私ね、ホーラが何か隠してるみたいに思うの」
 死都全体に響く微弱な揺れを感じながら、マリンは眉を寄せた。
 去っていったホーラの表情は敵に立ち向かう時の様に鋭かったが、それも少し違う様に
マリンは感じていた。寂しげで、そして何かに耐えるような、そして迷うような、そんな
複雑な表情だったように感じられたのだ。
『……、カヒュラは最近になって突然<魔>が一層強くなった、そう言っていたな。それ
が何か関係しているのかも知れない』
「確かに……」
 結界の内側に居ると言うのに、じわじわと<魔>の魔力を感じる。
 そして、待ってろと言ってじっとしていられるマリンではなかった。
「あのね、ガント。あのゴースト、また来たんだよ」
『何だと?』
「そしてね、歴史を記した本を示して消えていったの。多分、伝えたかったんだと思うん
だ。カヒュラ達の戦いの歴史と、この死都の歴史を。住民は、皆ホーラを慕っていて、愛
していたんだって事。でも皆一斉に死んじゃって。何があったかわからないけどさ」
 マリンは自身の赤い辞書を引き、<光>の呪文に関して記してあるページを探る。
「ゴースト、最初に、助けてって言ってた。きっと、ホーラを助けてあげてって事なんだ
と思うんだ」
『ホーラを……?』
「そう。だから、この本を示したんだと思う。自分達が、ホーラを愛してた事を示したか
ったんだと思うの。そして、一人で戦うホーラの、何か力になって欲しかったんだと思う
の。ホーラは強い竜だって良く解る。でも、きっと私達にしか出来ない何かがあるから、
あのゴーストは私達に訴えてきたんだと、そう思うの。ね、外れてるかな、ガント」
『……解らないが、そうかもしれんな』
 揺れは相変わらず続いており、そして時折ホーラらしき声もする。
 尋常ではない事態だ。
「それに、こんな時になにも出来ないなんて、じっとしてらんないよ! ね、レンジャー
の役目の一つは竜の力になる事でしょ? ホーラも竜だし、私達にも出来る事あると思う
の!」
 必死になってマリンはガントに訴えかけた。ガントはひとしきり考えた後で、口を開い
た。
『……なんにせよ、こちらも元に戻れるかもしれない貴重な情報を貰ったんだ。それがど
んな結果をもたらすものだろうが、貰いっぱなしという訳にはいかんだろう』
「だよねっ。そうこなくっちゃ!」
 そうと決まれば外にでるしかない!
 マリンは熱くなる気持ちのままに勢い良く石の扉を押すが、びくともしない。良く考え
れば石で出来た扉なのだからそう簡単に動かせる筈が無いのだ。
「うあ! 何この扉!! 重っ!!!!」
『マリン、どけっ』
 軽く助走を着け、ガントが体当たりするも、やはり石の扉はびくとも動かない。
「外側からしか開かない仕組みかな……でも、取っ手もないし!」
 扉はなんの取っ掛かりも無く、こちらからではどうしようもなさそうだった。
『どうする?』
「う〜〜ん」
 悩む間にも、揺れは時折大きくなり、そして何かがぶつかりあう音が外から聞こえてく
る。そしてウオオオと一際大きく声が響いた。
「この……声!」
『ホーラだな、急いだ方が……』
「ん〜〜閃いた! ガント、ガントレットの変形できる?」
『変形は出来るが、どう変えるんだ?』
「爪の先をでっかい鉤爪みたいにしてくれる?」
 ガントは浅く頷くと、意識を集中させ前足の爪を模した部分を更に大きく伸ばした。
『コレでどうす……うお!?』
「てやあああっ!」
 瞬間、マリンはガントを抱き上げ、その勢いのまま扉にガントレットの爪をゴスっと食
い込ませた。そして大きな狼を抱えたまま踏ん張ると、顔を真っ赤にして扉を引いた。
「ふ、ふのおおおお! 役立て! 私の怪力ぃ〜!」
 ガントレットを取っ手代わりにして、マリンはガントを抱えたまま一気に扉を引く。
「おおおおおお!」
 ず、ずず、と次第に扉は開き、じりじりと石の扉が隙間を作っていく。
「の、のおお!!」
 マリンが必死に引っ張る事数分、ようやく人一人が通れる幅の隙間が出来た。
「うしゃー!」
『……なんて発想するんだ、お前は』
 呆れるガントを他所に、ばくばくと心臓を鳴らしながらマリンはふへぇと息を吐いた。
「ばっちり開いたでしょ! いぇい!」
 呼吸を整えた後、マリンはふんと気合を入れて、辞書を見ながら小さく魔法を唱えた。
呪文に答えて紫竜の爪が低く唸り、魔力で出来た保護幕がマリンをふわりと包む。
『シールド、か?』
「そ。あんまり使わない魔法だから、すっかり忘れてたけど、これで短時間なら大丈夫の
筈!」
 マリンは辞書片手ににこりと笑うと、再び構えて外へ向かう隙間を睨む。
 外はもう日が落ちているのか、隙間から覗く灰色山壁は闇色に染まっていた。
「うし、ガント、行こう! ホーラに怒られるの覚悟で!」
 マリンは更に気合を入れなおすと、隙間に体を滑らせ、勢い良く外へと向かった。
『……あ、あぁ』
 ガントは少しの間その場に立ち尽くした後、マリンを追いかけるように走った。
 ばくばくと心臓を鳴らしていたのはガントもだったのだ。
 取っ手代わりにされて持ち上げられたとは言え、久しぶりに抱きしめ(?)られたのだ。
『……くそう。絶対に体を取り戻してやるッ!』
 少し狭い隙間に無理やり体をねじ込ませ、ガントはどうにか外へと脱出した。

『マリン……?』
 先に外に出た筈のマリンが、出た所で立ち尽くしていた。
『どうした、マリン?!』
「す、すごい<魔>の波動、シールドしてるのに……!!」
 体を貫く<魔>の波動にマリンは動けないでいた。シールドを貫きマリンを覆う<魔>
の魔力は昼間以上のものだった。体が一気に熱くなり、呼吸が荒くなる。
「はっ、ん、何これ、や、やばっ……!」
 頬が一気に赤く染まり、足ががくがくと笑う。
『マリン! 戻るか?』
「やだ! そんなの絶対駄目」
『なら背中に乗れっ!』
「うん、ごめん、ガント、ひゃんっ!」
 狼に跨ったマリンが甘く濡れた声を上げる。
『馬鹿野郎、なんとか耐えろ! ……狼なんかにヤられたくないだろ!?』
「っ、ご、ごめん!」
 体に走る熱い感覚を無視するように抑えて、走り出すガントにマリンはしがみ付いた。

『こ、コレは……!!』

 大階段の前に来て死都の住居区の方向を向いて、ガントは息を呑んだ。

 死都を真っ直ぐに貫く大通りの真ん中に、ホーラはいた。
 漆黒の竜の姿となったホーラは、暗闇の中、ただ上を向いて立ち尽くしていた。
 空は魔力と無数の影が渦巻き、無数の視線がホーラを包む。
「……来るなと言った筈だ。――何故守らなかった!」
 厳しい声でホーラが叫ぶ。
 その声に反応するように視線のひとつが形を成し、そのままホーラへとぶつかっていく。
ホーラはそれを避けるでもなく衝撃を身に受け、ぐらりと揺れた身を再び建て直し立ちつ
くした。

「がんと、これ、解った。この視線、これ、全部ゴースト、ううん、もっとたちの悪い霊
だ。でも、これ、全部……」
 無数の視線が一気に形を成し、空を埋め尽くし、ホーラたちを取り囲んだ。
 赤く光る目に、黒いローブ。唸りを上げる霊たち。
 熱く震える体に、絶望に似た暗い感情が流れ込む。それは無意識に涙になり、マリンの
頬を伝った。
「この霊、この霊、全部……」
 マリンは涙を一杯に浮かべ、身を起こした。


「これ、全部……死都の民だった人達だ……!」


 その様相は正に『死都』だった。

 泣き、叫ぶのはかつて民であった無数の魂。
 主を慕い、愛した魂達は、かつての主を傷つけ、そしてまた嘆く。
 終わらない苦痛にもがく無数の魂は、暗いオーラを放ち、広い都に深い『死』を満たし
ていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 





















 
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