☆桃兎の小説コーナー☆
(08.11.21更新)

↑web拍手ボタンです。                    
 レスは日記でしております!


 ドラゴンマウンテン 第二部

  第一話  竜の提案  

    4 竜の提案

       12

「主。どうやら二人は風裏の道を通って来ている様子。……如何なさいますか」
 人の姿をした細身の男が、目を閉じていた主に向かって問いかける。
 銀色の巨大な主とは対照的に、その者は主の瞳程度のの大きさしかなかった。いや、決
してその者が小さいのではない。その男は通常の人間となんら変わらないサイズなのだ。
 ただ、目の前の主が並外れて巨大だったのだ。
 ドラゴンの四天王と呼ばれ、生ける伝説として名を馳せ、山の麓に住む民だけでなくそ
の他の多くの人間からも慕われ、ドラゴンマウンテンの頂点に立ち、世の行く末を見守る。
 そんな偉大な主の傍らに立ち、従者と思しき男は主の返事をじっと待っていた。
 少しして巨大な竜は瞳をうっすらと開くと、ぎしり、と眉間を軋ませた。
「ほう、最短ルートじゃないか。相変わらず勘が良いと見える。だが、あのルートは……
どうだろうな」
「……はい。……危険かと、思われます」
 主に進言する穏やかな従者の、顔、いや体の左半分は青い鱗に覆われていた。一見竜人
やリザードマンを連想させる姿は、人間というよりは獣人などの亜人種に近い印象がある。
海を思わせる青い短髪に深緑の瞳。ゆるやかに巻かれた白いローブを身に纏った従者は、
細い眉を寄せると首を横に振った。
「危険、か。だろうな」
 穏やかな従者の言葉に、主はまた一つ険しい顔になる。だがその顔はどこか楽しんでい
る様でもあった。
「風裏の道のどのあたりに居るのだ?」
「はい、最後、と言いますか、……アレのある場所のすぐ手前、です」
「ほう。そこを越えればもうゴールではないか。期限より半日は早いな」
 上機嫌に笑う主に、従者は苦笑する。
「……貴方は、本当に人間が好きなのですね」
「あぁ、そうだな」
「あの者たちが越えてくると、……信じているのですね」
「もちろんだ。そうでなくてはな。仮にも我が紋章を持ち、神具を授けた者達だからな」
 眠そうな目を持ち上げながら、主は笑う。
「お前、無理だと感じているな」
「流石にアレを……唯の人間が制御できるとは考えにくいのです」

「だからどうだと言うのだ?」

 少し声を大きくして、銀竜はゆっくりと体を持ち上げる。
「私は竜だ。竜に関わるという事は力が無くてはならん。心の強さもな。それが出来ぬ者
には力は貸さぬ。それが私達竜の定めたルールだ。それはお前も十分に解っている筈だ、
エルガよ」
「解っております。ですが……」
 従者――エルガは言いかけた言葉を飲み込み、目を伏せた。
 竜は金色の瞳を細めて、ポツリとつぶやく。
「ならばアレの向こうで待っていてやればよかろう。私は動けないが、お前はこの中に居
る限りは自由だ。お前は竜ではない。人間だからな。好きにすれば良い。但し、手出しは
するな。……いいな」
「えぇ、解っています。……では」
 そう言うや否や、従者はすっと姿を消し、その場から居なくなった。
 竜は大きく息を吐いた後、再び床に身を伏せた。ずううんという大きな音が空間に響き、
そして静寂が訪れる。
「……。そのルートを選んだのもまた、運命、か。いかんな。気になってきたじゃないか」
 寝ていたはずの竜は小さく呪文を唱え、目の前に魔法の鏡を出現させる。 
「大自然を前に、如何に対抗してみせる? 魔法使い、マリン・ローラントよ」
 鏡に映された二人を眺め、鏡に映された二人を眺め、竜はニヤリと笑った。


     13

 暗い通路をたいまつの明かり一つで進む。
 長く細い通路を延々と歩き続け、少女は疲れたように息を吐いた。
「この道、長いよね。抜け道か何かなのかな」
 罠に魔物にと祭のようだった昨日とうってかわって、今日は静かな道中だった。
 罠の類も一切仕掛けられてはいないし、魔物も洞窟スライムが数匹出た程度だ。スライ
ムは憂さ晴らし半分でたいまつの炎で燃やされ、大分後ろの道で哀れな焦げたカスになっ
ている筈だ。
『抜け道かもな。その割には足元の床石はしっかりしているし、天井も高い』
 ガントが上を見上げると、三メートル程上の所に天井が見える。壁は岩盤をくりぬいた
様な感じだが、確実に人かなにかの手で整えられた道だった。
「……、ガント、風だ。風の音がする」
 マリンの声に、後ろを行くガントがピクリと耳を動かす。
『出口かもしれんな。気をつけろ、何か出てくるかもしれん』
「了解」  
 マリンは慎重に歩を進め、通路を進んだ。
「え、光?」
 ココは暗い山の洞窟の中だ。なのに通路の先からは光が漏れていた。
 はやる気持ちを抑えながら、マリンはカーブを描く通路をゆっくりと進む。
 そこを抜けたマリンの瞳に飛び込んできたのは、予想外の景色だった。


「うわ……!? 外? 外に出た……!」


 そこは光射し風が吹く、爽快な空間だった。
 どうやら山の中を突き抜けてきたらしく、そこはもう外と言って間違いない場所だった。
 急な山の絶壁の一部を削り作られたテラスの様なその場所は、高貴な身分の者の暮らす
屋敷のベランダや、神殿の休憩所を思わせる雰囲気だった。
『これは……』
「うん、凄い……」
 勢いのある風に煽られてマリンの髪がふわりと舞う。
 白い石で覆われた天井は高く、部屋の正面は大きく開いていて雄大な山の風景が広がっ
ていた。だが、その風景はマリンの良く知っているいつものドラゴンマウンテンの風景で
はなく、見慣れない物だった。幾重にも重なる灰色の山脈がマリンの眼前に横たわってい
たのだ。
「ガント、この景色……」
『あぁ。あの山脈が『連なる山々』だな。山の裏側から『連なる山々』を見るのは俺も数
年ぶりだが、まさか本当に裏側まで抜ける事になるとはな』
「これが……山の裏側から見た『連なる山々』……」
 ドラゴンマウンテンの裏側に広がる『連なる山々』。そこは冒険者やレンジャーですら
行く者はいないと言う、未開の地だ。
 オクタビア半島を分断するように伸びる『連なる山々』は、平野からの侵入はまず不可
能とされる山脈だった。直角ともいえる角度で聳える山肌は鋼の如く硬い岩で出来ており、
ピッケルも役に立たないので這い上がる事すら出来ない。人間が唯一足を踏み入れる事が
出来るのがドラゴンマウンテン伝いに行くルートのみだったが、調査に行くにもリスクが
高すぎて誰も行こうとはしないのだった。
「ね、ガント。コレが見えるって事は……」
『あぁ、山の裏側まで突き抜けてきた……という事だな』
「うわ……流石カヒュラ。こんなとこに住んでたんだ」
 初めて見る『連なる山々』の光景に、マリンは釘付けになっていた。何人の侵入をも許
さない灰色の山脈は、太陽の光を受けて鈍く輝いていた。
『マリン、右だ』
 ガントの声にはっとなり、マリンはその方向へ目をやる。
 部屋の右壁からは細い回廊が絶壁になっている山肌に沿って伸びていて、その先にある
同じようなテラスへと続いているようだった。
「うん、……行こう」
 山肌にへばりつくように作られた回廊を抜けると、再び広いテラスの様な場所に出た。
そこは先ほどの部屋と同じく山肌を削って作った様になっていて、唯一違う点といえば、
白い石で作られた高い天井には竜のレリーフが彫ってある事位だった。左側は完全に柱だ
けで構成されており、『連なる山々』が目の前に大きく広がっていた。前方には更に奥へ
とつながる通路があり、山側の白い石の壁にはなにか文様が記されていた。
「竜の……まし……ゆき」
 マリンは壁に近づき、文字の様な文様に触れた。外から入ってくる風に黒髪を煽られな
がらも文様に集中するマリンは真剣そのものだ。そんなマリンを見て、ガントは少し感心
していた。
『……こんなものも読めるのか?』
「うぅ、それがね、難しすぎてわかんない。精霊言語に近い気もするんだけど、古代魔法
文字とも……うぅん、なんだろ。見たことない文字も混じってるの。何か高位の存在が残
した走り書きっぽい気がするんだけど……」
『走り書き、か。壁をメモ帳にでもしたのか?』
 全く解らず首を傾げる狼の隣で、むぅとマリンは眉を寄せた。
「っ!?」
 不意に激しい風が『連なる山々』の方から吹きつけゴウと音をたてた。
 風は文様の前で真剣に腕組みをするマリンを壁に叩きつけ、思い切り鼻をぶつけたマリ
ンは悲鳴を上げた。
「きゃうっ!?」
 マリンのポニーテールが強風で逆立ち、床に積もっていた砂埃が舞い上がる。春の山特
有の突風とはまた違う、全く感じた事の無い種類の風だった。
「何……、この風!?」
 鋭く冷たい風は、まるでマリン達を来た方向へ押し返すように、外から吹き込んでくる。
『山の突風、違うな。また魔物か……?!』
「ううん、それも違う……! この風は……!!」
 あまりにも激しい風に、マリンは思わずその場に膝をつく。
『なんだ……っ!? まるで意志を持つような……』
 ガシャリと手甲を鳴らしその場に伏せる狼に、少女はひくつきながら頷いた。
「……ガント、それ正解」
 ゴウ、と砂埃を含んだ風が渦を巻き、奥へ向かう入り口の所でぼんやりと目に見える形
を取る。まるでそこに何か意思があるかの様に風は形を成し、白くゆらりと揺れる。その
何かの視線を感じて狼は牙を剥き出し唸った。
『何かが居る、そうだな?』
「うん、あそこに居るのは精霊。……しかもしっかりした自我を持った、かなり強い<風
>の精霊だよ」
 魔眼持たないマリンにはその姿はハッキリと捉えることは出来ないが、その風の強さと
気配から、かなり強い精霊だという事は嫌でもわかった。
 精霊の放つ風は次第に攻撃的な物へと変化していき、風はヒュンと音を立てて足元の床
石を削り始めた。
「真空の刃っ!? コレも罠の一環? カヒュラ、ちょっとこれは洒落にならな……っ!?」
 カヒュラという言葉に反応したのか、瞬間的に風が強くなりマリン達は床に叩きつけら
れた。息も出来ないほどの強風に、それでも負けじとマリンは顔を上げる。
「砂が目に入るっ……、きゃっ!?」
 ひゅん、と空気を裂く音が部屋に響き、身動きの取れない二人に徐々に迫っていく。
 さくり。
「!」
 不意に、視認できる程の白い風の塊がマリンの左の腿を掠め切り裂いた。ぱっくりと裂
けた傷口は中の肉を見せ、時間差で赤い血がごぽっと溢れだす。
「……いっ!!」
『マリンっ!』
 強風の吹き荒れる中、マリンは傷口を押さえて倒れこんだ。
踏ん張る事すら難しい状況にもかかわらず、ガントはマリンの前に出ると、眼前の居る
何かを鋭い視線で睨みつけた。
『敵が精霊か、カヒュラはとんでもない罠を仕掛けた様だな。クソッ』
 苛立つ様にガントは床に爪を立てた。狼の体では霊的な存在の精霊に対抗する術が全く
無いのだ。

 ガントがまず考えたのは『撤退』という選択肢だった。
 だが、通路を戻った所で行き止まりである事に変わりはないし、約束の期日も迫ってい
るから新たに道を探す余裕もない。一時的な撤退としてこの部屋から出たとしても、その
先にあるのは絶壁に這う様に設置された細い通路があるだけだ。通路に行った所で風が止
むとは思えないし、通路から落ちるようなことがあれば、崖下にまっさかさまだろう。
 マリンの足の怪我もあり、自然と撤退という選択肢が消えていく。
 考える狼の目に飛び込んだのは進行方向にある通路だった。そこは再び山の中へ入って
行く様になっていた。

ガントは少し考えた後、マリンに向かって小さく唸った。
『……マリン、あれは俺がひきつける。マリンは先に奥の通路を目指せ。俺は後から行く』
「……!? 駄目っ、そんな……! ガント、相手は精霊だよ?! それに……!」
『時間くらいは稼げる筈だ』
(違う、そんなのいや……!!)
 真っ直ぐ敵を見据えるガントと対照的に、マリンは俯き、潤んだ瞳で首を振った。
 自分の無事を願っての提案だろうが、それはマリンにとって望んではいない事だった。
 風はどんどん強くなり、前を護るガントの皮膚を掠めていく。銀色の毛皮がじわじわと
赤く変わっていく様は、少女の心をざわつかせた。
(駄目なの、それじゃ、ガントが……!)
 傷口に当てていた手をそっと外すと、溢れる血と共に綺麗に裂けた傷口が見えた。どく
ん、と心臓が大きく脈打つ。裂けた傷口はあの日の光景を鮮明に蘇らせ、マリンの胸を締
め付けた。
(それじゃ、一緒に行けないよ……、これ以上、ガントを傷つけたくないよ……!)
 ポーチから止血用の布を取り出し太ももに括りつけると、マリンはきゅっと口を引き結
んだ。

 自分の痛みなど、どうでも良かった。
 泣きたいくらいの痛みも、傷口にこもる熱も、マリンにとってはどうでもいい事だった。
「このくらい、なんでもないんだから」
 小さく呟き、マリンは前を向いた。
 自分の持つ知識を総動員させ、最善の方法を頭に描く。
「危険な賭けだけど、……これ以上失えない。私の大事な物は……」
 少しの間目を閉じ何か思考を巡らせた後、マリンはすぅっと息を吸うと小さな声で呟い
た。

「……ごめんね、みんな、いける?」

 マリンは自分の傍らに寄り添う精霊に語りかけた。
 先に進むにはこの精霊を何とかしなければならない。その為に今の自分が出来る事は、
魔法で立ち向かう事だ。だが、精霊の状態はまだ完全ではない筈だ。
 戸惑うマリンとは真逆に、背後から強烈な熱気が溢れる。
 マリンの従える精霊と目の前の<風>の精霊ではおそらく格が違う。だが、彼らが怯む
様子は全く無かった。
「うっわ、何それ、すっごいやる気?」
 使い手の心とは正反対に、精霊たちは対決する姿勢を隠そうとしない。
 まるで自分を守るかの寄り添う三つの気配に、思わず表情がゆるんでしまう。
「全くもう、こんな無茶な使い手の何処がいいんだか……」
 暴力的な風を受けながら、マリンはぷぷっと小さく笑った。
「ごめんね、ホントはもっと休ませたいのに……しかも今回はとっても分が悪い。でもこ
のままじゃ」
 マリンは強風の中、ビッと右腕を差し出した。


「大好きな人を、傷つけたくない。……そんなのもう絶対だめっ!」 


 ぎゅんとマリンの首に下がる紫竜の牙が光り、月明かりの魔力を放つ。
「そうならない為に魔法を覚えたんだもの、ガント、ここは私がやるっ!」
 マリンの言葉に従い、ガントはマリンの正面から飛びのく。
『……マリン、いけるのかッ!?』
「精霊(こっち)は私の専門! そして、……コレはチャンスでも、あるから」
『チャンス?』
 真剣な表情のマリンを見て、狼はピクリと眉を動かす。
「ガント、絶対に近づいちゃだめだからね! ……あれ、どうしよ、久々の魔法にわくわ
くしてきちゃった。こんな状況なのに」
 指先に魔力の光を纏わせ、マリンは印を結ぶ。
 自然の力の具現を目の前にして怯む事無く、歌うように呪文を紡ぐ様はむしろ楽しんで
いるかの様だ。
(本当に……魔法が好きなんだな)
 誰が見てもそう思える程、今のマリンは輝いていた。
 マリンを止める理由も無く、そしてそれ以外の手段もない。
『お前の精霊は、大丈夫なんだな?』
「うん。やる気十分みたい」
『……解った、好きなだけやってこい』
「……、了解!!」
 ガントの言葉を聴いて、マリンの表情がぱっと輝く。
「フォロイ、無茶するけど消えないでね、絶対っ……!」
 祈るようなマリンの声に、光の精霊は『大丈夫だ』と気配で答えた。


「我、精霊を知る者。大自然の形なる者よ、姿を現し我の声を聞き給え! 姿を我が前に、
……ヴォワール・リュミエール!!」


 マリンの呪文の呼びかけに応じ、マリンの従える<聖>に属する光の精霊が忠実にマリ
ンの意思を魔法として具現化する。風の中心に向かって光が降り注ぎ、それはあっという
間に部屋を包み込んだ。マリンの持つ三体の精霊が呪文に反応して姿を現し、それと同時
にマリンに向かって吹き付けていた風が部屋の中心へと集まり渦を作った。
 そして部屋の中心にぼんやりと、次第にハッキリと<風>の精霊の姿が浮かび上がる。
「……うわ、あの精霊、人型、しかもサイズが普通の人と変わらない……上位精霊だ」
 精霊を可視状態にする魔法に反応して、目の前の精霊の姿が鮮明なものとなる。現れた
のは、半透明の紫がかった人型の<風>の精霊だった。
 精霊の姿は人を模した形だったが、長く尖った耳のせいでどちらかと言えばエルフに雰
囲気が近いイメージだ。切れ長の瞳は射抜く様に鋭く、長い髪は絹糸の様にさらさらと風
に靡いている。
 精霊は様々な姿を持っているが、その中でも人に近い形を持つものは意思が強く、能力
も高いというのが魔法使いの間での定説だ。

「……魔力を持たぬ人間が、私に何用だ」

 それは『音』を持った精霊の『声』だった。
 
 精霊は目には見えないしその声も聞こえない霊的な存在だ。
 その姿や声を捕らえる為には、魔眼や魔聴という技を見につけるしかない。
 だが、強力な精霊は姿をある程度示すこともあるし、人に聞こえる声を発する事もでき
る。
 そういった強い精霊は長い年月を生きた精霊で、数も少なく、滅多にお目にかかること
も無いのだが、今目の前に居る精霊はそれだけの力を持った精霊という事で間違いない様
だった。

 <風>の精霊がすっと片手を上げると、吹き荒れていた風がぱたりと止んで部屋に静寂
が訪れた。風の止んだ部屋の中央に浮かぶ精霊は、マリンを見下ろしじっとその目を見つ
めていた。マリンも見つめ返し、魔法を発動させたままの状態で口を開いた。
「ここを通して欲しいの。日暮れまでにカヒュラの元に行かなくちゃいけないんだ」
 マリンはゆっくり立ち上がり、精霊を見据える。
「あのカヒュラの客……か。……いや、だがそれだけじゃないな? その目は何か別の事
を考えている目だ。私に対して、何かを考えておるな」
 その言葉にマリンはごくりと喉を鳴らした。
(上位精霊にもなると……何考えてるかもお見通しか)
 マリンの背筋にぞくりと悪寒が走る。
「お前の私と対等であろうとする口ぶり、気付かぬと思うてか?」
「怖い顔しないで? それでなくても、その存在の大きさに負けちゃいそうなんだから」
『……?』
 二人の会話の意図が見えず、ガントは眉を寄せる。
 そしてマリンの口からでた言葉は、ガントの予想の及ばない言葉だった。


「そう。実は貴方の力を私に貸して欲しいの。私の仲間になってみない?」


『ま、マリン!?』
 驚くガントと対照的に、にこりと笑うマリンはどうやら本気のようだった。
 さっき言っていたチャンスとはこの事か。と、狼は目を細める。
「つまり、私を下僕にしようというのだな?」
 精霊はさも余裕げに笑ってみせる。
「……そうなるかな。でもその言い方は好きじゃないな」
 マリンはむぅと口を尖らせると、不満げに呟いた。

 魔法使いは精霊の力を借りて魔法を発動させる。
 呪文により意思を伝え、印や魔方陣でその意思をより明確にし、魔力を与えて精霊はそ
れを糧に超常現象を具体化する。
 精霊と術者の間柄は、友人のような関係から、完全な支配者と下僕という関係と様々だ
が、場合によっては精霊を暴走などから制御する事もある為に、実際の所は魔法使いは精
霊を服従させるというのが正しい見解だった。
 精霊の側もそれは理解していて、だからこそよっぽどでない限り精霊は人間にはついて
行こうとはしない。
 それ故魔法は難しく、誰にでも使える気軽なスキルではないのだった。

 そして、高位の精霊であればあるほど力も強いが自我も強く、好戦的か平和的か性格が
極端になる傾向がある。

「言い方を変えても同じ事。そうだろう? 魔法使い」
「貴方の力は相当なものだと直ぐわかったよ。私は魔法が好きだし、精霊も好き。消滅さ
せたくなんか無いんだ。だからついてきて欲しいんだけど……」
 その言葉をきいて、精霊の眉がひくんと動く。
「……ほう、まるで私を『消せる』様な口ぶりだな」
(マリン、相手を挑発してどうするんだ)
 ガントは突っ込みを入れたかったが、自分は全くの専門外なので口出しも出来ずただ身
構えるだけだ。それにマリンが唯挑発してるとも思えず、ガントは成り行きを見守る。
「私、魔法だけは自信あるもの。どんな大精霊が相手でも引かないよ。それに今は急いで
るし」  

「小娘の分際で大口を叩くのだな。……ならば全力を持って対峙しよう!」
「好戦的だね。……そうくると思ってたよ!」

 再び部屋に風が吹き荒れ、その勢いに押されマリンはひざをつく。


「ここを通りたければ、私を従えたくば……己の強さを、全てを示すがいい!」

「口だけじゃないんだから! 私の覚悟はそんなもんじゃないのっ!」


『……』
 ガントは少し驚いていた。
 どこか戸惑っていた昨日までの様子は微塵も感じられず、マリンはただ真剣に前の敵に
向かっていた。
 魔法に関わっている時のマリンは本当に真剣で、そして生き生きとなる。
 だがそれ以上に目の前の敵に立ち向かう少女の姿が、眩しくも見えた。
『覚悟……か』
 狼は小さく呟くと、戦闘の気配を高める二人から距離を取るべく部屋の隅へと跳躍した。


     14

 ガガガガと、風の刃が激しく床を削る。
 それに反応して、マリンは素早く詠唱に入った。
「っ! 光の盾大地の盾、彼の風を退けよっ!」
 マリンは両手に異なる印を結び、呪文で精霊に指示を与える。その声と紫竜の爪の魔力
を受けて、二体の精霊が目の前に壁を展開する。
 土と光で出来た二種類の壁は、真空の刃を受け止め、または弾き返す。それを見て<風>
の精霊は感心するように目を開いた。
「ほう、口だけでなく中々の使い手のようだな。異なる属性を同時に操るとは、なるほど。
手懐けている精霊も十分に力を発揮している」
 精霊は感心するように目を見開くと、両手を広げ、周囲の魔力を取り込み始めた。
 魔力によって強化された真空の刃はマリンの魔法の壁に次々と突き刺さった。光の盾は
辛うじてそれを跳ねのけたが、土の壁は耐え切れずごそっと崩れ去った。

(うわ、やっぱり強い。本気で精霊としての格が違う・……!)
「どうした、あくまでも『魔法』で我に立ち向かう気か。精霊を従えたくば精霊で来るが
よい!」
「……っ!」

 <風>の精霊のいう事は正論だった。
 精霊を強制的に服従させる場合は、直接自ら持つ精霊で押さえつけ制御するのが基本だ。
 平和的な性格の精霊ならば話し合いで解決する事も可能だが、今目の前に居る精霊は好
戦的で話し合いは不可能だ。
 こうなると精霊同士の勝負をするのが順当というものだった。

 だが、その精霊の言葉に、マリンはふるふると首を振る。

「いやよ。貴方がとっても強いから。……それじゃこっちが負けるもの。うん。絶対負け」
『……マリン?』
 
 突然飛び出した敗北宣言に、ガントは唖然となる。
 だがマリンの顔から、少しも怯む様子は感じられず、諦めている様子もなかった。

「だから……別の方法で支配してあげるよ。魔法でもない、精霊でもない方法でね」

 ゆらりと手を翳し、にこりと笑うマリンにガントはぞくりとなる。
 目の前の精霊は魔法の云々が解らなくても強い力を持っていることは明白だ。そんな精
霊にどう立ち向かおうというのか全く予想が出来ず、ガントは喉を鳴らす。
「支配。無駄だ!」
「本当はこういうやり方、嫌いなんだけどね」  
 一層強くなる風は激しさを増し、最早壁のレリーフも消し飛んでいる。 
 マリンはガントにかけたシールドに余裕があることを確認して、その視線を精霊に戻し
た。

「ガント、見ててね。今から魔法使いの秘術を見せてあげる。誰にも見せた事ないんだ。
師匠にだって。ガントになら……見られてもいいから」

 マリンの瞳に鋭い光が宿る。
 風で抉れた床石の上にしっかりと立ち、宙に浮く精霊を睨む。

「こっちには……大事なものがかかってるんだからっ!」

 マリンは牙を首から外し、右手でぐっと握り締めた。じわりと汗が滲み、緊張感で手が
震える。ほんの少しの思念の揺らぎも許されない。<光>の精霊と意識を重ね、マリンは
すぅっと息を吸い込んだ。
「アネモス・カルディアー・テリオス・エクピラテーシス!」
「!?」
 マリンのその言葉を聞いて、<風>の精霊の動きがぴたりと止まる。
 難解な発音の言語を紡ぎ、マリンは素早く魔方陣を宙に描いた。いつもの幾何学的な魔
法陣とは異なるそれは、壁のレリーフと良く似た文字を円状に描いたものだった。
 それと同時にマリンの光の精霊が魔力を受けて輝き、魔力の帯に姿を変える。
「……メ・パン・サス!」
 呪文が締めくくられると共に、光の帯は八方に展開し真っ直ぐに<風>の精霊へと向か
った。
「……、この魔法使い、唯の小娘ではないな!」
 光の帯を弾くべく、精霊は風の壁を作り出す。だが、光の帯はそれをかいくぐり、<風
>の精霊を捕らえその体を締め上げた。
 これは<風>の精霊とって、予想外の事態だった。

「この娘、若い身で精霊の……アニムスリンガ<精霊言語>を操るか、……っ!?」
 マリンの魔法が一気に精霊を縛り上げ、精霊はそのまま一気に地に叩きつけられた。

 アニムスリンガとは、精霊の魂、存在そのものに作用する特殊な言語の事だ。
 アニムスリンガの力は絶対で、自らの支配する精霊を媒介にする事によって自分の意思
を強制的に相手に伝える事が可能になる、つまりは精霊の存在すら一時的に支配できると
いう究極の魔法だった。この言語は、魔法使いの間では秘儀中の秘儀とされている。それ
を少しでも理解するものは魔法の真理に近づけるとも言われており、全ての魔法使いが一
度は挑む難題でもあった。

 だがその言語は難解で未だ殆ど解明されていない上、その知識を持つ魔法使い達は決し
てその情報を周りにもらす事は無い。運良く彼らの魔道書などからその知識を盗み知った
としても、精霊がその媒介となる事を拒む事も多い為に、中々使いこなせる代物ではない
のだった。

 精霊が媒介を拒むのには理由がある。
 この言葉には強力な言霊が宿っており、一言一言が術者、そして媒介の精霊へとそのま
ま大きな反動となって返ってくるのだ。
 この言語を普通に言葉として声に出す分にはなんの問題も無いが、魔法としてその言語
に魔力をのせた時始めてその威力を発揮する。
 威力は絶大だが、その反動で術者の精神が精霊に飲み込まれたり、最悪の場合は意識が
二度と戻らない事もある。媒介の精霊も反動に耐え切れず消滅する事もあるのだ。

 対精霊の最後の手段とも言うべき魔法、それがアニムスリンガなのだった。

「この方法、好きじゃないんだ。でも、貴方は強すぎるからこの方法しか私には対抗手段
がない」
 だらだらと流れてくる脂汗を感じながら、マリンは指先に力を入れる。紫竜の爪から流
れてくる魔力は勢いを増し、マリンの体を内側から軋ませる。
 マリンの意識は媒介の光の精霊に引っ張られ、自分が光そのものになっている感覚すら
襲ってくる。
「普通に戦えばこっちの魔力が持たないし、精霊同士で戦わせればこっちの精霊が死んじ
ゃう。それだけはもう絶対ヤだから」
 媒介となっている精霊を気にしながら、マリンはにっと笑ってみせる。
 相手に少しでも余裕のないところを見せたら負けだ。
「……アニムスリンガを理解する者。なるほど、これがお前の実力、というわけか」
「ほんの少しだけどね。……でも、コレでもきついでしょ?」
 精霊は姿を僅かに歪めながら、射る様な視線をマリンに投げかける。その間も光の帯は
精霊をどんどんと内から縛り上げていく。
(……だが妙だ)
 <風>の精霊は首を傾げた。
 精霊を強制支配する為の魔法、アニムスリンガ。
 だが、マリンの発したアニムスリンガから伝わってくるのは、存在の消滅でも破壊でも
なく、ただ、風を押さえつける気持ちと、媒介の精霊への暖かい気持ちだった。
 そしてマリンの発した言語は正確に理解されており、その証拠に精霊が発する風は、完
全に無力化しているのだった。
「そろそろ……納得してくれないかな。力は見ての通りだよ」 
 震える指先を<風>の精霊に向けて、マリンはにこりと笑ってみせる。
「……何故私を求める?」
 この状態に追い詰められて、精霊はようやく対話に応じる姿勢を見せた。マリンは少し
強制力を緩めると、精霊に近づいて話を続けた。
「私はこの山でレンジャーをやっているの。大好きな人を守る為、自分の身を守る為、仕
事の為、貴方の<風>の力がどうしても必要なの。この先にも行かなくちゃいけない。そ
して貴方の存在を消したくは無いの。お願い、ついて来てくれない? 何よりも魔法が好
きなんだ、私。とっても自分勝手だけど、それが貴方を求める理由なの」
 少女の瞳に偽りは無かった。
 精霊は気丈に立つ少女の目を見据え、その奥を覗き込む。
 自身を悪用しようとする者の目は暗く濁っていて心も居心地が悪いものだ。だが、目の
前の少女から感じるのは純粋な願いだった。
 そして、そのあまりにまっすぐな言葉に精霊は興味を持った。
「自分勝手だな。魔法使いは常にそうだ」
「そうだね。でも私、精霊に対する感謝の心は忘れた事無いよ?」
「レンジャー……。私はその存在を知っている。なるほど、お前が山を護る者達の一人か」
「そう、だから、お願い、力を」
 アニムスリンガを使用したことによる反動がピークに達し、マリンの体がぐらりと傾く。
 マリンの場合、アニムスリンガを使用した事による反動だけでなく、激しい勢いでの魔
力の消費による紫竜の牙の反動がそのまま体に来るのだから、その反動はかなり大きい。
 視界が歪み、意識が薄らぐ。
「……うあ」
『マリンっ!』
 それまで後方で控えていたガントが走り、傾くマリンを体で受け止め支える。
「……、いいだろう。私を此処まで押さえつける言霊と魔力、知識。そしてお前の心を認
めよう。……それにこれ以上引き伸ばすと、面倒な事になりそうだ」
「……え?」
 戸惑うマリンと対照的に、<風>の精霊が僅かに苦笑している。その視線が自分の後ろ
に注がれている事に気付いて、マリンは後ろを振り返った。
「……?!」
 そこには、<火><土>の二匹の精霊がマリンを囲むように浮かんでいた。
「み、皆……」
 精霊達はそれぞれ怒り、心配の表情を浮かべながら無言の圧力を風の精霊に向かって
送りつけていた。そして精霊を締め上げる<光>の精霊もまた、同じ圧力を発していた。
反動など物ともしないというように、<光>の精霊は今だ光の帯の形態を維持している。
「この三人は自分が消える事を何一つ怖れていない。お前が如何にして精霊の心を掴んだ
のか興味が沸いた。私もお前についていくことにする。まぁ、私を使いこなせるとは思え
んがな」
 その言葉を最後に牙の魔力が空になり、<風>の精霊を押さえていた魔力が霧散し、精
霊達も不可視の状態へと戻っていく。
 一気にかくんと力が抜け、少女は狼に寄りかかった。
『マリン、……大丈夫か!?』
「う、うん。まさか上位精霊がでてくるなんて思ってもなかったから、……ふぅ、想定外
もいい所だよ。もっさり疲れた。あぁあ、紫竜の爪の魔力も使いきっちゃったし。頭痛い。
ふらふらする」
 一気に押し寄せる疲労にマリンはガントにもたれ掛かかると、鬣の中に顔を埋めた。
「でもこれで大分パワーアップかな。背中にさっきの精霊の気配感じるし、もう、大丈夫」
 背中から感じる強く支えるような風の気配に、マリンは目を細める。
「そだ。名前、付けなくちゃね。えと、そうだ、エーレ、貴方はエーレ。どう?」
 その名が気に入ったのか、右手に風がまとわりつく。
「あー、誰も大怪我しなくて……よかった……フォロイもお疲れ様」
 汗でぐっしょりなマリンを心配して、狼がその顔に鼻先を寄せる。
『あぁ。それにしても精霊を消滅させる程の言語を使うなんて……お前どれだけ魔法に詳
しいんだ?』
「……実は『消滅』とか『破壊』の単語は知らないの。知ってるのは気持ちを伝える言葉
と無力化する言葉だけ」
『……な、ハッタリだったのか?!』
「うん。でも元からそんなの使う気も無いし」
『……お前』
「精霊を従える時は相手を納得させれば勝ちなのよ。それにエーレは上位の精霊だし、そ
の位の事気付いてたんじゃないかな。ね?」
 <風>の精霊は頷くようにそよりと風で頬を撫でる。精霊との交渉術も魔法使いの技能
の内だ。
『……、まてよ、じゃあもしあのまま精霊が納得していなかったら……』
「うん、即死んでた、かも。でもあれ以外方法はなかったし……」
『……、全く』
 狼は首を振ってはぁと息を吐いた。
『無茶しやがって』
「魔法使いにとってこれは良くあることなんだよ。でもね精霊相手に無茶するのは初めて
じゃないんだよ?」
 マリンはぺろっと舌を出して小さく笑った。
『このヤロ。こんな事よくあってたまるか。……全く、少し休んだら先に進むぞ。おそら
くカヒュラの居場所は近い……』


「マリン・ローラント、まさかあの精霊を支配したのか?」


 ホールの向こうの通路の奥から発せられた落ち着いた声に、マリン達は顔を上げる。
「魔法使いは知識、魔力、そして何より魅力が必要なのだという。なるほど、カヒュラが
紋章を授けるだけの事はあるという事か」
 疲れ果てたマリンの目の前に現れたのは、一見リザードマンを髣髴とさせる顔の半分を
鱗に覆われた長身の男だった。

「この先で我が主、カヒュラが待っている。手を貸そう、マリン・ローラント」

 カヒュラの従者と名乗る男はマリンに手を差し伸べ、緑色の瞳で微笑んだ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 






















      15

 そこは洞窟の中に作られた神殿だった。
 巨大な竜が見事に収まるその神殿は、山の中の洞窟とは思えない広さがあった。床の所
々を魔法の白い明かりが照らしていて、洞窟内とは言え十分の明るさがあった。
 神殿の最奥には祭壇があり、白い床石には巨大な魔方陣が描かれていた。
 そしてその魔方陣の上に、巨大な銀色の竜がゆったりと座していた。
「また会えたな。難題を出したつもりだったが、仲間に救われ、そして自ら道を開いたか」
 重厚感のある低い竜の声が神殿に響く。
「こ、こんにちは、カヒュラ。お久しぶりです……」
  マリンは目の前の見上げんばかりの銀竜に緊張しながら、ぺこりと頭を下げた。
 鈍い銀色に光る鱗に覆われた長い年月を思わせる体。はるか頭上に輝く人一人分ありそ
うな金色の大きな目。
 以前一度会ったとはいえ、やはりその存在感に圧倒される。
 そんなマリンに気付いたのか、カヒュラは楽しそうにはっはっはと笑い出した。
「マリン・ローラント、お前は面白い娘だ。お前の左手には私の紋章が在るだろう? 私
とお前は唯見知っている関係とは少し違うのだぞ? 今更何をそこまで緊張する」
「そ、それは、そうかも、ですけど……」
 カヒュラが笑うと鋭い大きな牙が良く見える。その迫力がまた凄くて、マリンはびくり
となってしまう。
「ふむ、本当に狼にされたようだな。ガントレットよ」
「ガウ」
 銀竜は視線を少女の横に寄り添う狼に向けて、目を細めた。
「早速だが本題に入ろう。時間が無いのでな」
「時間?」
 首を傾げるマリンに、カヒュラはゆっくりと首を縦にふった。

「お前達に急いで来てもらったのには理由がある。……まずは呼び出した理由から話そう
か。マリン・ローラントよ。お前はお前の愛するものを、人の姿に戻したいと願うか?」
 カヒュラの言葉に、マリンは目を見開く。
「も、もちろん! でも、方法が……!」

「完全とは言い切れぬが方法ならば在る。だがそれを教える代わりに一つやって欲しい事
があるのだ」
 
『!』
 少女は目を見開き、狼は全身の毛をざわりと逆立てる。
「カヒュラの、やって欲しい……事?」
 カヒュラの提案に驚きながら、マリンは問い返した。
「そうだ。それを確実にやり遂げると誓うならば、戻るための情報とそれに辿り着くまで
の手伝いをしよう」
「ガント、戻せるんだ。方法が……あるんだ……!」
 自然とマリンの瞳から雫が溢れだす。
「泣くにはまだ早いぞ、マリン・ローラント。お前達に頼みたい事というのは、そうだな、
アークの手伝いといった所か」
「し、師匠の?」
 マリンは師匠の名が出てきた事に驚き、目を見開いた。
『アーク……』
 ガントは一言呟くとその目を伏せた。
「ほう、ガントレット、お前には何となく理解できたようだな。お前達には少し『世界の
維持』に関わってもらおうと思う」
「世界の……維持?」
 涙を拭い首を傾げるマリンに、カヒュラは僅かに渋い顔をする。
「お前はアークとの一年を……覚えてはおらんのだな」
「……え」
 どくん、とマリンの心臓が脈打つ。
 思い出そうとしても明確に蘇らない曖昧な記憶。
 幼い頃の記憶だし、とあまり気にはしていなかったのだが、言われてみれば不自然な程
覚えていない事に気付き、マリンは眉を寄せた。

「まぁよい。お前達に頼みたい事とは、とある竜の所へ行き、竜玉を受け取り、それを別
の竜に届けて欲しい、唯それだけだ」

『唯それだけ? 嘘だな。それはどういった『大事』ですか? カヒュラ』

 ガントの問いかけに竜はぎしりと眉間を寄せる。
「相変わらず良い勘をしているな、ガントレット。あと三度満月が来るまでに、それをし
てもらいたいのだ。それが出来なければ……グランディオーソは間違いなく戦火に包まれ
るだろう。近いうちにな。それも唯の戦火ではない。<魔>の者を交えた戦火になる、と
いう事だ」
「戦争……、<魔>……!?」
 <魔>という言葉にマリンはあの青白い悪魔を思い出し、びくりと体を震わせる。
「そう。戦争だ。ガントレットの姿を変えた様な<魔>の生き物は、我ら竜を、いや、世
界を常に狙っているのだよ。正確には<魔>だけでなく<聖>の者達もだがな。奴らの力
は破壊と混乱を呼ぶだろう。そうならない為の『維持』なのだよ。我ら竜とお前の師アー
クは密かに今の世界を維持しているのだ。その役目の一環を担って貰おうと思うのだよ。
マリン・ローラント、ガントレット・アゲンスタの両名にな」
「世界の、維持……」
 マリンにとってそれは予想外の事だった。
 今の世界が異形の者に狙われているなどと全く知りもしなかったし、おそらくは誰もそ
んな事知らないだろう。数百年前の勇者の物語の中でならそういう話を聞いた気はするが、
現実には考えづらい事だった。
『二度の満月……。三日後に一度目の満月、二度目はその次……つまりは二ヶ月以内にそ
れを完遂すれば良いという事ですね、カヒュラ』
 ガントの言葉に、カヒュラは小さく頷く。
「ま、待ってカヒュラ! そんな大事、私達に頼んで……!?」
「お前達だからだよ、マリン・ローラント。理由は旅をするうちに解るだろう。どうだ、
引き受けるか? 断っても構わないのだぞ。こちらが渡す情報も確実かは危ういのでな」
 カヒュラはそう言うと、持ち上げていた首を下に下ろし、マリンと目線を合わせた。
 縦にスリットの入った金色の竜の瞳は、全てを見通すような鋭い光を湛えていた。
 マリンは少し考えた後、カヒュラに向かって大きく叫んだ。
「教えてカヒュラ! 出来る事、なんでもしたいの! それに竜を助けるのはレンジャー
の仕事の一つでしょ? 私達はレンジャーだよ。そうだよね? ガント!」
 マリンは振り返り、後ろに立つ狼に問いかける。
 狼は深く頷き、それに同意した。
「運命に立ち向かうのだな。よかろう。まずはある場所に居る竜に会いに行ってもらおう。
その竜は竜玉と形無き門を守っている筈だ。その竜に会い、私の紋章を見せ竜玉を受け取
ってくるがいい。そしてあやつならば、悪魔の呪いに対抗する術を持っている筈だ。その
辺は会えば向こうが勝手に理解してくれるだろう。あやつも竜だからな」
「……竜、だから?」
「そうだ。あやつも四天王に劣らぬ力をもつ竜だ。力のある竜はもれなく『竜の目』の力
を使う事が出来る。竜の目はお前達をある程度見通す力があるのだ。だから、説明など要
らぬ筈だ」
「竜の目……便利だね」
 マリンは感心するようにカヒュラの目を覗き込んだ。そして、魔眼を一回り便利にした
目かな、と解釈し、一人納得してうんうんと頷く。
『……了解だ。で、その場所は何処なんだ?』
 狼の問いかけに、カヒュラはゆっくりと顔を持ち上げた。
「『連なる山々』の中心、そこには一つの都がある」
『『連なる山々』……に?』
「都? 聞いた事無いよ、そんなのあるなんて……」
  人が踏み入れる事すら適わぬ、魔物と竜のみが行き来出来るという『連なる山々』。ま
さかそんな場所に人が住んでいるなど理解できず、マリンは眉を寄せる。
 そんなマリンを見て、カヒュラは小さく笑った。
「もう知る者は殆ど居ないだろうな。国の所管の古い文献や口承でなら、その存在がのこ
っているやもしれんがな。……今のその都には、たった一人しか住人が居ないのだ。たっ
た一人の竜しか、な……。……その都の名は……」
 カヒュラは金色の目を細めると、低くその都市の名を呟いた。


「その都の名は死都、『死都アランカンクルス』だ」


『アラン、カンクルス……』
「知ってるの? ガント?」
 聴きなれない言葉に、マリンは眉を寄せる。
『昔、少しだけ歌で聞いたことがある。竜の守る都、アランカンクルス。<魔>の翼によ
り、その民が奪われた。……子供の時に聞いた沢山の歌の中の一つだった。だからその位
しか覚えていないが……』
「奪われた? だから『死』都なの?」
 更に解らないという顔をするマリンに、カヒュラが小さく笑う。
「死都については後でエルガに詳しく聞くが良い。唯明確に解っているのは、今の死都は
この所やたらと<魔>の魔力が濃くなっているという事だ。<魔>の耐性がある者でない
と滞在は不可能なくらいに、な」
『……なるほどな。だから俺なのか』
 俯き呟く狼に、銀竜はニヤリと笑う。
「そうだ。お前はワーウルフと人間の間に生まれし<魔>の属性の加護を受ける人間だ。
そしてマリン・ローラント、お前はその半獣人と交わりし人間だ。しかも契約の指輪で<
魔>の魔力をその身に何度も受けている事も合わさって、それに対する耐性は他の人間の
何倍も強くなっている。気付かぬうちに、自然とな」
「ま、交わり……っ!」
 カヒュラの突然の言葉に、マリンは顔を真っ赤にしておろおろと狼狽し、隣の狼も僅か
に視線を逸らしがふぅと息を吐く。
「……と、私が呼び出した理由はこんな所だ。死都への出発は明日にするといい。一日も
早く死都に行くべきだと私は思っているが、二人共傷を負ったまま行くのは危険だからな。
移動は魔法で死都のすぐ傍まで飛ばしてやるから心配は無用だ。流石のレンジャーも『連
なる山々』を往く事は難しいだろう」
「わ、解りました。……竜玉を受け取って、竜へ届ける任務、引き受けます」
「エルガ」
「はっ」
「二人を癒しの泉へ。細かい説明は任せた。……私は明日の用意と、その前に少し休む」
「了解です。主」
 カヒュラは従者に指示すると、目を閉じずううんと音を立てながらその場に伏せた。

「さ、二人共、こちらへ。案内します」

 従者に導かれ、マリン達は神殿を後にした。
 後ろからは豪快な竜の寝息がごうごうと響いていた。

 

     16

「傷口、綺麗になくなっちゃった」
 カヒュラの居住洞窟の最奥にある癒しの間。
 まるで温泉浴場のような作りのだだっ広い部屋の中で、マリンは一人不思議な水の中に
居た。久々のお風呂のような感覚で水に入ったのだが、入った瞬間にマリン思いっきり驚
く事となった。
「どういう成分なのかな。魔法みたい」
 体の疲労も、傷も、水に入った瞬間一切消えてしまったのだ。
 ごつごつとした岩壁の隙間から溢れてくる透き通った水に浸りながら、マリンは綺麗に
傷の消えた太ももをそっと撫でた。
 先に入っていったガントが「驚くぞ」といっていた理由がわかった気がして、マリンは
うんうんと頷く。
「ふあああ〜〜、それにしても気持ち良い〜。これでお湯だったら最高だったのに……、
……あ」
 マリンは水場の奥にある水の湧き出る源泉らしき岩壁の近くに何かの気配を感じ、顔を
向けた。
 ひょいと水から上がって岩に掛けておいたタオルで体を覆い、岩の床を滑らないように
歩き奥へと向かう。
 黒い岩の隙間から湧き出る水の直ぐ傍に、その気配はあった。
「<水>の精霊、かな?」
 マリンの問いに答えるように、水がパシャンと跳ねる。
「チャーンス。ねね、私について……ってうわっ!?」
 マリンが誘いをかける前に、精霊は自ら進んでマリンに寄り添う。
 源泉に居ただけあり、やたらと冷たい。
「わわ、冷たいって! ありがとありがと、来てくれるのは嬉しいから! さむっ!!」 
 水の精霊の冷気に体が冷え、マリンはがちがちと奥歯を鳴らした。
「これで精霊五匹になった! ってうわ、この精霊テンション高っ!!」
 こんな人のこない寂しい場所に住んでいた反動なのか、精霊のテンションはやたらと高
かった。パシャパシャと水面を踊らせ、<水>の精霊は陽気に挨拶してみせる。
「うん、わかった、よろしくね。うぅ、体すっかり冷えちゃった。早く服着なきゃ風邪引
きそう」
 マリンは自分の背後についてくる精霊の気配を感じながら、そそくさと水場を後にした。

「驚いた、マリン、貴方は精霊に愛される体質……か何かか?」
 暖かい飲み物と食事を客用の部屋に運んできた従者のエルガは、普段どおりのTシャツ
スパッツな姿で髪を拭くマリンを見て目を見開いた。
「エルガさん、魔眼持ちなんですか? 精霊見えるんですか?」
「えぇ。魔法の知識は持ち合わせています。その精霊があそこに住んでいるのは知ってい
ましたが、まさか連れ出してしまうとは」
「だ、だめだった、かな?」
 エルガから渡された熱いお茶を飲みながら、マリンは眉をよせた。
「いえ、構いません。精霊は勝手に自然物に宿るものですから」
 微笑むエルガを見て、マリンはほっと表情を緩める。
 そして、改めてエルガを見て、その普通とは異なる変わった姿に改めて気付た。
 顔の左半分を覆う青い鱗。部屋に設置された魔法の光にきらきらと反射する鱗に、マリ
ンは自然と見入ってしまっていた。
「……これは竜鱗病という病でできた鱗です。南方のジャングルの風土病の様なものです
よ」
「あ! ご、ごめんなさい。でも、青い鱗、綺麗だなって……」
 顔の半分を青い鱗で覆われたエルガの姿は一種異様な見た目だった。だが、マリンには
輝く綺麗な鱗が気になり、異様だと思うのは二の次だった。
「綺麗、ですか。そう言われると生きていて良かったと思います」
「生きていて?」
 エルガはマリンに椅子に座らせると、その正面の椅子に自らも腰掛けた。
「昔、私は幼い頃この病にかかってしまいました。ジャングルに住む緑竜に触れた事が原
因でした。紆余曲折あり、私はカヒュラの元にたどり着き、今は従者として世話をさせて
もらってるのです。あの癒しの水のお陰で病気も進行する事はない。ココには私を蔑む者
も居ません。何も言わずここに居る事を許してくれている主に、私は感謝しているのです」
「蔑む……うーん、たしかに怖いかもしれないけど」
 右半身だけ見れば竜人かリザードマンにも見えるその外見は、魔物に見えなくも無い。
「南方では強い魔物も亜人種も多く住んでいます。人間とそれらは敵対する事も多く、自
然と魔物や亜人種は忌避されます。グランディオーソではそういった感情を持つ者が少な
い様ですが……、それは環境の違いという物です。……仕方のない事なのですよ」
「そ、そうなの……?」
 そう言えば、ガントもやたらと獣人の血を引くことを気にしていたなと思い出し、マリ
ンは少し考える。
「ガント……、あ、そう言えばガントは?」
 ガントが部屋に居ない事に気がついて、マリンは慌てて立ち上がる。
「今、彼はカヒュラと話しています。探さなくとも大丈夫ですよ」
「そ、そうですか。何の話……かな」
「私が話すものとほぼ同じ話を聞いてると思います。さ、お腹もすいているでしょう。食
べながら聞いて下さい。あ、彼はもう食事を終えてますから、気にせず食べてください」
「は、はい」
 エルガに差し出されたパンとスープを受け取り、マリンはいただきますと手を合わせる。
「あなた方は明日、『死都アランカンクルス』へ向かう事になります。そこには一匹の黒
い竜がすんでいます。名はホーラ。おそらく人間より一回り大きな二足歩行の竜の姿をし
ている筈です」
「おそらく?」
「力のある竜は姿を変えることが出来ます。我が主が大きさをある程度変えることが出来
るように、ホーラも姿を変える事が出来る筈ですから」
「なるほど……。ホーラ、その竜がガントを元に戻せるかも知れないんだよ……ね?」
 スープを飲む手を止め、マリンはエルガに視線を移した。
 エルガは少し考えた後、再び口を開いた。
「おそらく、ですが。彼は民を失って以来、自ら誰かに連絡をとろうとしないのです。門
が破られた気配もなく、魔法で送る手紙の返事が帰ってはきますから、生きている事は確
かなのですが……、こちらも近づけないので今現在がどういった状況なのかは、はっきり
とした事がわからないのです。主はこの山から離れることが出来ませんし……」
 そう言うとエルガは目を伏せてため息をついた。
「それって……ほぼ音信不通って事?」
「そうですね。……ただ、彼はとても人を、民を大事に思っていた誇り高い竜でした。で
すが二百年前、民を皆失ってしまったのです。守るべき民を守れなかった竜は、今も滅ん
だ都と門を守り唯一人暮らしているのです」
「どうして、皆居なくなっちゃったの?」
 エルガは目を伏せたまま、ふるふると首を横に振った。
「それも解らないのです。聞いても彼は言おうとしません。返ってくる返事は、いつも『
問題無い。友との約束は守られている』という一文だけなのです。民が居なくなった原因
として考えられるのは、門から魔物が現れ何かがあったのでは、という事態ですが、それ
も予想でしかありません。こちらとしても気になってはいるのです。アーク師も私も、<
魔>とは相性が良くないので、近づく事もできず確認すら取れない……歯がゆい限りです」
「師匠も行けないんだ……。本当に私大丈夫なのかなぁ」
 強力なシールドを展開できるアークが近づけないほどの魔力が満ちていると言う事態が
予想以上で、マリンは急に不安になってしまう。
 魔力の溢れる土地と言うのは世界に何箇所かあると言われている。
 特定の属性の魔力が強い場合、相性が合わないと酔ったようになってしまうのだという。
魔力に敏感な精霊が過剰な魔力に酔う様に、人間にもそれがおこりうるのだ。
「魔力の相性の問題は精霊を扱う魔法使いには大きな影響があるのですよ。大丈夫ですよ。
主が言うのですから、大事には至らないはずです」
「うん、そうだよね……うん」
 属性の相性の問題はそれ程に大きいのだと、マリンは認識を新たにする。
「門がある場所は自然とその世界に繋がる属性の魔力が漏れるものです。死都の魔力の強
まり方は少し異常なのですが……」
「門? カヒュラの言ってた『形のない門』……の事?」
「えぇ。門といっても形があるわけではなく、魔力で出来た世界の境界、精霊界へと繋が
る門の事、それが『魔力の門』です。<火><水><土><風>の門はそれぞれの精霊界
へ繋がっていて、<聖>と<魔>の門もそれぞれの精霊界へと繋がるものでした。ですが
過去に<聖>と<魔>が地上を巻き込んで大きな争いが起きました。その時から<聖>と
<魔>は変質し、精霊の住む精霊界とは異なる世界になってしまったのです。死都に溢れ
る魔力の属性は<魔>。つまり死都にある門は、変質した精霊界、所謂『魔界』といわれ
る<魔>の生物が溢れる<闇>の空間に繋がる門なのです。そして死都に住む竜、ホーラ
は、その門が開いてしまわないように<魔>の存在から守っているのです。もし境界が壊
れ門が開けば……」
「……魔力の均衡が崩れて、世界のバランスが狂う?」
「正解です。それ以上に強力な<魔>の生き物がそこから出てくるという可能性もありま
す。門は封じられた空間である『魔界』を自由に行き来する事ができる鍵。もし門が完全
に開いてしまえば、<魔>の魔物や強大な悪魔が自由に行き来できるようになってしまう
のです」
「悪魔も……通れる。世の中めちゃくちゃになっちゃうよ……」
「そうならない為に彼はそこを守っているのです。何百年も、ずっと」
 エルガから話を聞き、マリンはすっと目を伏せた。 
「チークから近い場所にあるのに、魔力の門の存在とか、死都の事とか、そんな事全然知
らなかったよ」
「この事を知る者など、ごく小数です。気にしなくても大丈夫ですよ。マリン」
「うん……でも結構大事だよね、世界の維持に関わるって……」
 マリンのその一言に、エルガは目を伏せた。
 カヒュラもアークも、なるべく自分達以外の人間をこの事に関わらせる事の無いように
事を進めていたのはエルガも良く知っていた。アークはこの話をカヒュラに聞かされた時、
もの凄い勢いで大反対していた位なのだ。
「そんな事がのほほんと過ごしていた後ろで起こってたなんて……。でも師匠、そんなす
ごい事やってたんだ。だから世界を飛び回ってるんだね」
「そうですね」
「師匠とっつかまえて色々聞きたいなぁ。もう。……世界の維持、か。なんだか師匠、古
の勇者みたい」
「そ、そうですね」
「師匠のお手伝いかぁ。昔の私もなんか手伝ったりしてたのかなぁ。……ね、少し不謹慎
かもだけど、ちょっとカッコイイよね。こっそりと世界を救う魔法少女とか。おおおお…
…」
 何やら使命感に燃えるマリンに、エルガは苦笑する。
 だが、大事にも怯まず、前向き考える事が出来るのがまたこの少女の良い所なのだろう。
「あ、そうだ。死都の話」
「なんでしょう?」
「死都は昔人が住んでて、滅んじゃったんだよね? 竜は今一人で住んでて……」
「えぇ、そうです」
「一人、か……」
 マリンは一人都にすむ竜を思い、ため息をついた。

 守るべき愛する民を失い、唯一人で都を守り続けるドラゴン。
 その黒いドラゴンがどんな気持ちでいるかなど、想像もつかない。
 そして、カヒュラの依頼があるとは言え、そちらの話は聞いてもらえてもガントの事ま
で聞いてくれるという保証は無いのだ。
 でも。

「大丈夫ですよ。マリン」
「?」
 エルガは空になったマリンのカップにお茶を注ぎ、にこりと笑った。
「主はあなた方の力を信じておられる。そして私もその力を目の当たりにしました。諦め
ない限り、道はある筈です。ガントレット、彼もきっと……。……私もそうでしたから」
 鱗に覆われた顔を撫で、エルガは苦笑した。
「……うん。私、ガントを元に戻したい。私諦めないの。……また、二人でレンジャーの
仕事したいから。二人で……暮らしたいから」
「……彼の事を、愛しているのですね」
「わわわ、え、あ、う、うん」
 真っ赤になって慌てるマリンを見て、エルガは小さく笑った。
「この先どんな事があっても……愛して……」
 エルガの小さな呟きはマリンに届かず、マリンは照れ隠しのようにひたすら残りの食べ
物を平らげていた。

『……『死都』の話は理解した。その後行くべき竜の居る場所はどこだ?』
 狼は神殿の間で目を覚ました銀竜と対峙していた。
 銀竜は少し間を置いてから、狼の問いに低い声で答えた。
「……お前の故郷の近くだ。コン・アニマまで行ってもらう事になる」
『……!!』
 カヒュラの一言にガントは言葉を失う。
 ガシャリと手甲を鳴らし、狼は目を伏せる。
 ガントの脳裏に蘇るのは延々と続く乾いた砂漠。
 そして……。
「そのへんの話はお前達が無事竜玉を受け取り、ココに戻ってきてから話そう。それにし
てもだ。まさかそのドラゴンガントレットを義手代わりに使うとは、よく考えたものだな」
『これはマリンが思いついた事だ。……いや、カヒュラ、貴方はこうなる事すら知って…
…』
 狼の問いに竜は首を振った。
「竜がいくら見通す能力があるとは言え、そこまではな」
『……話が終わったのなら、戻る』
 くるりと身を翻らせるガントを引きとめるように、カヒュラは声をかけた。
「ガントレットよ。あの娘を一人にするのが不安か? いや、お前が不安なのか?」
『……カヒュラ?』
 ぴたりと動きを止め、狼は険しい表情で振り返った。
 わずかな時間のにらみ合いの末、カヒュラが口を開いた。
「今のお前には余裕がない。その姿故という事もあるだろうがな」
『……俺はマリンを守る。……誓ったんだ。たとえこの身が傷つこうともな』
 ガントの紺色の瞳にはなんの迷いも無かった。
 揺るぐ事の無い真っ直ぐな力強い意思がその瞳に宿っていた。
『俺はあの悪魔からマリンの封印を守った。あの力はマリンの日常を奪う力だ。絶対に守
るべきものだった。その代償が腕だろうがこの狼の体だろうが、俺にはなんの後悔もない。
だが、この体が元に戻る可能性があるというのなら、迷わず俺はそれを求める。この体は
何かと不便だしな。……マリンもそれを望んでいる』
「人間にしては強い意思だ。よほど大事なのだな」
『当然だ』

「だが、お前は」
『?』
 カヒュラの声が一段低くなった事に気付き、ガントはピクリと眉を動かした。

「一番大事なものを見失っている。このままではお前は死ぬ事になるぞ」
『何……だと?』 

 竜の一言に狼は困惑した。
『俺は、死んだりなど……、マリンを置いていくような真似はしない! 一人になど、さ
せはしないッ……!』 

 狼の叫びが神殿に響く。
 その声を聞いて、竜は目を細めた。
「……死ぬなよ。今は特にな。例え……」
『……』

「例えお前が命を削って戦っていたとしてもな」

 竜の一言に、ガントの表情が変わる事は無かった。
『……そんな事は解っている』
 狼は俯き、目を伏せる。
「知っていたか。己の事を」
『中途半端な体だからな。ある程度は自分で調べたさ。魔物との間に生まれた俺の体は、
人としても……魔物としても中途半端だ。そんな体の変身は、命を削る。無茶な変身を繰
り返せば己を魔物に変えかねないという事も解っている』
「それを知っていながら……お前は身を変えあの娘を守り、変身中の無茶な変化を維持す
るための魔力を指輪を通して全て渡して……」
『……マリンはディファーだと、アークは言っていた。現に悪魔に目をつけられ、普通の
人間が巻き込まれることの無い事態になっている。俺はマリンを守る力を、活かす力を持
っている。……何も迷いは無い』
「……それ程に、あの娘を大事に思っているのだな」
『ようやく見つけたんです。……同じ過ちは繰り返したくない。マリンを守れるなら、マ
リンが輝いていれるなら、幸せなら。……俺にそれ以上の望みは無い』
 それは強い決意だった。
 それは絶対の覚悟だった。
  
 二人の間に沈黙が流れる。
『……そろそろ戻りたいのですが』
「あぁ、行くが良い。そして明日に備えてしっかり体を癒せ」
『わかりました。……では』
 深紅の手甲を鳴らし、ガントは神殿から去っていった。
 その後姿にはなんの影も無く、胸を張り一歩一歩歩く様は誇り高い狼の後姿そのものに
見えた。

「主、エルガここに戻りました」
 それとすれ違いにエルガが戻り、すっと頭を下げる。
 だが、主の表情が険しい事に気付き、エルガは眉を寄せる。
「いかがなさいましたか」
「……エルガよ。私は少し心配なのだ」
「……彼が、ですか?」
 狼の歩いていった方向を見つめたままの主をみて、エルガは問いかけた。
「人というものは、体の痛みに耐えることが出来ても、心の痛みには脆いものだ」
「……?」
「ガントレットがマリンの代わりに受けた呪いは、封印開放の呪いだ。普通の身ならばな
にも起こる事は無かったのだろうが、ガントレットの体には獣の血が半分流れている、そ
れ故狼の獣の血のみが開放され、あのような姿になったのだ」
「そうなのですか……」
「だから、あの悪魔はまだ戦えたにも関わらず、素直に帰って行ったのだよ」
「どういう事……ですか?」
 表情が険しくなった主にエルガは問いかけた。
 竜は少しの間沈黙した後、ゆっくりと口をひらいた。


「ガントレットは意思の強い男だ。だが反面、脆くもある。全く……、悪魔はとんでもな
い土産を置いていったものだな」


 銀竜はゆっくりと首を横に振ると、ずうんとその場に伏せた。
「私はあの二人が気に入っているのだ。出来れば幸せになってほしいとも思う。……竜と
いう立場は、時に忌々しいものだ」
「主……」
「せめて、死都で姿を取り戻せれば……」


 カヒュラはもう二百年顔をあわせていない友を思い、目を閉じた。
 長い時を生きる銀竜の目蓋に映るのは、二百四十年前の死都での光景だった。
 三匹の竜と、二人の人間。
 そこで交わした約束は、昨日の事のように鮮明に覚えている。

「世界の維持を。僕達の守った世界を、永遠に」

 人々に勇者と呼ばれた男はその言葉を最後に姿を消した。
 三匹の竜と一人の人間は誓い合った。異形の混乱から守ったこの世界を維持する為に。
 歴史は繰り返す。過ちもまた、繰り返されるものだ。
 だが抗う事はできる。過去を学び、それを乗り越える事も。
「ホーラよ。あの二人の力になってやってくれ。再びあの争いを繰り返さない為にも……」
 竜の低い声はどこか寂しげに神殿に響いた。
 世界を憂う銀竜は、そこから飛び立つ事も出来ず、神殿の巨大な魔方陣の上でただ祈る
のみだった。

 

 
  第一話・3へ戻る        第二話・1へ進む    
   


もどるー TOPへゴー