13
暗い通路をたいまつの明かり一つで進む。
長く細い通路を延々と歩き続け、少女は疲れたように息を吐いた。
「この道、長いよね。抜け道か何かなのかな」
罠に魔物にと祭のようだった昨日とうってかわって、今日は静かな道中だった。
罠の類も一切仕掛けられてはいないし、魔物も洞窟スライムが数匹出た程度だ。スライ
ムは憂さ晴らし半分でたいまつの炎で燃やされ、大分後ろの道で哀れな焦げたカスになっ
ている筈だ。
『抜け道かもな。その割には足元の床石はしっかりしているし、天井も高い』
ガントが上を見上げると、三メートル程上の所に天井が見える。壁は岩盤をくりぬいた
様な感じだが、確実に人かなにかの手で整えられた道だった。
「……、ガント、風だ。風の音がする」
マリンの声に、後ろを行くガントがピクリと耳を動かす。
『出口かもしれんな。気をつけろ、何か出てくるかもしれん』
「了解」
マリンは慎重に歩を進め、通路を進んだ。
「え、光?」
ココは暗い山の洞窟の中だ。なのに通路の先からは光が漏れていた。
はやる気持ちを抑えながら、マリンはカーブを描く通路をゆっくりと進む。
そこを抜けたマリンの瞳に飛び込んできたのは、予想外の景色だった。
「うわ……!? 外? 外に出た……!」
そこは光射し風が吹く、爽快な空間だった。
どうやら山の中を突き抜けてきたらしく、そこはもう外と言って間違いない場所だった。
急な山の絶壁の一部を削り作られたテラスの様なその場所は、高貴な身分の者の暮らす
屋敷のベランダや、神殿の休憩所を思わせる雰囲気だった。
『これは……』
「うん、凄い……」
勢いのある風に煽られてマリンの髪がふわりと舞う。
白い石で覆われた天井は高く、部屋の正面は大きく開いていて雄大な山の風景が広がっ
ていた。だが、その風景はマリンの良く知っているいつものドラゴンマウンテンの風景で
はなく、見慣れない物だった。幾重にも重なる灰色の山脈がマリンの眼前に横たわってい
たのだ。
「ガント、この景色……」
『あぁ。あの山脈が『連なる山々』だな。山の裏側から『連なる山々』を見るのは俺も数
年ぶりだが、まさか本当に裏側まで抜ける事になるとはな』
「これが……山の裏側から見た『連なる山々』……」
ドラゴンマウンテンの裏側に広がる『連なる山々』。そこは冒険者やレンジャーですら
行く者はいないと言う、未開の地だ。
オクタビア半島を分断するように伸びる『連なる山々』は、平野からの侵入はまず不可
能とされる山脈だった。直角ともいえる角度で聳える山肌は鋼の如く硬い岩で出来ており、
ピッケルも役に立たないので這い上がる事すら出来ない。人間が唯一足を踏み入れる事が
出来るのがドラゴンマウンテン伝いに行くルートのみだったが、調査に行くにもリスクが
高すぎて誰も行こうとはしないのだった。
「ね、ガント。コレが見えるって事は……」
『あぁ、山の裏側まで突き抜けてきた……という事だな』
「うわ……流石カヒュラ。こんなとこに住んでたんだ」
初めて見る『連なる山々』の光景に、マリンは釘付けになっていた。何人の侵入をも許
さない灰色の山脈は、太陽の光を受けて鈍く輝いていた。
『マリン、右だ』
ガントの声にはっとなり、マリンはその方向へ目をやる。
部屋の右壁からは細い回廊が絶壁になっている山肌に沿って伸びていて、その先にある
同じようなテラスへと続いているようだった。
「うん、……行こう」
山肌にへばりつくように作られた回廊を抜けると、再び広いテラスの様な場所に出た。
そこは先ほどの部屋と同じく山肌を削って作った様になっていて、唯一違う点といえば、
白い石で作られた高い天井には竜のレリーフが彫ってある事位だった。左側は完全に柱だ
けで構成されており、『連なる山々』が目の前に大きく広がっていた。前方には更に奥へ
とつながる通路があり、山側の白い石の壁にはなにか文様が記されていた。
「竜の……まし……ゆき」
マリンは壁に近づき、文字の様な文様に触れた。外から入ってくる風に黒髪を煽られな
がらも文様に集中するマリンは真剣そのものだ。そんなマリンを見て、ガントは少し感心
していた。
『……こんなものも読めるのか?』
「うぅ、それがね、難しすぎてわかんない。精霊言語に近い気もするんだけど、古代魔法
文字とも……うぅん、なんだろ。見たことない文字も混じってるの。何か高位の存在が残
した走り書きっぽい気がするんだけど……」
『走り書き、か。壁をメモ帳にでもしたのか?』
全く解らず首を傾げる狼の隣で、むぅとマリンは眉を寄せた。
「っ!?」
不意に激しい風が『連なる山々』の方から吹きつけゴウと音をたてた。
風は文様の前で真剣に腕組みをするマリンを壁に叩きつけ、思い切り鼻をぶつけたマリ
ンは悲鳴を上げた。
「きゃうっ!?」
マリンのポニーテールが強風で逆立ち、床に積もっていた砂埃が舞い上がる。春の山特
有の突風とはまた違う、全く感じた事の無い種類の風だった。
「何……、この風!?」
鋭く冷たい風は、まるでマリン達を来た方向へ押し返すように、外から吹き込んでくる。
『山の突風、違うな。また魔物か……?!』
「ううん、それも違う……! この風は……!!」
あまりにも激しい風に、マリンは思わずその場に膝をつく。
『なんだ……っ!? まるで意志を持つような……』
ガシャリと手甲を鳴らしその場に伏せる狼に、少女はひくつきながら頷いた。
「……ガント、それ正解」
ゴウ、と砂埃を含んだ風が渦を巻き、奥へ向かう入り口の所でぼんやりと目に見える形
を取る。まるでそこに何か意思があるかの様に風は形を成し、白くゆらりと揺れる。その
何かの視線を感じて狼は牙を剥き出し唸った。
『何かが居る、そうだな?』
「うん、あそこに居るのは精霊。……しかもしっかりした自我を持った、かなり強い<風
>の精霊だよ」
魔眼持たないマリンにはその姿はハッキリと捉えることは出来ないが、その風の強さと
気配から、かなり強い精霊だという事は嫌でもわかった。
精霊の放つ風は次第に攻撃的な物へと変化していき、風はヒュンと音を立てて足元の床
石を削り始めた。
「真空の刃っ!? コレも罠の一環? カヒュラ、ちょっとこれは洒落にならな……っ!?」
カヒュラという言葉に反応したのか、瞬間的に風が強くなりマリン達は床に叩きつけら
れた。息も出来ないほどの強風に、それでも負けじとマリンは顔を上げる。
「砂が目に入るっ……、きゃっ!?」
ひゅん、と空気を裂く音が部屋に響き、身動きの取れない二人に徐々に迫っていく。
さくり。
「!」
不意に、視認できる程の白い風の塊がマリンの左の腿を掠め切り裂いた。ぱっくりと裂
けた傷口は中の肉を見せ、時間差で赤い血がごぽっと溢れだす。
「……いっ!!」
『マリンっ!』
強風の吹き荒れる中、マリンは傷口を押さえて倒れこんだ。
踏ん張る事すら難しい状況にもかかわらず、ガントはマリンの前に出ると、眼前の居る
何かを鋭い視線で睨みつけた。
『敵が精霊か、カヒュラはとんでもない罠を仕掛けた様だな。クソッ』
苛立つ様にガントは床に爪を立てた。狼の体では霊的な存在の精霊に対抗する術が全く
無いのだ。
ガントがまず考えたのは『撤退』という選択肢だった。
だが、通路を戻った所で行き止まりである事に変わりはないし、約束の期日も迫ってい
るから新たに道を探す余裕もない。一時的な撤退としてこの部屋から出たとしても、その
先にあるのは絶壁に這う様に設置された細い通路があるだけだ。通路に行った所で風が止
むとは思えないし、通路から落ちるようなことがあれば、崖下にまっさかさまだろう。
マリンの足の怪我もあり、自然と撤退という選択肢が消えていく。
考える狼の目に飛び込んだのは進行方向にある通路だった。そこは再び山の中へ入って
行く様になっていた。
ガントは少し考えた後、マリンに向かって小さく唸った。
『……マリン、あれは俺がひきつける。マリンは先に奥の通路を目指せ。俺は後から行く』
「……!? 駄目っ、そんな……! ガント、相手は精霊だよ?! それに……!」
『時間くらいは稼げる筈だ』
(違う、そんなのいや……!!)
真っ直ぐ敵を見据えるガントと対照的に、マリンは俯き、潤んだ瞳で首を振った。
自分の無事を願っての提案だろうが、それはマリンにとって望んではいない事だった。
風はどんどん強くなり、前を護るガントの皮膚を掠めていく。銀色の毛皮がじわじわと
赤く変わっていく様は、少女の心をざわつかせた。
(駄目なの、それじゃ、ガントが……!)
傷口に当てていた手をそっと外すと、溢れる血と共に綺麗に裂けた傷口が見えた。どく
ん、と心臓が大きく脈打つ。裂けた傷口はあの日の光景を鮮明に蘇らせ、マリンの胸を締
め付けた。
(それじゃ、一緒に行けないよ……、これ以上、ガントを傷つけたくないよ……!)
ポーチから止血用の布を取り出し太ももに括りつけると、マリンはきゅっと口を引き結
んだ。
自分の痛みなど、どうでも良かった。
泣きたいくらいの痛みも、傷口にこもる熱も、マリンにとってはどうでもいい事だった。
「このくらい、なんでもないんだから」
小さく呟き、マリンは前を向いた。
自分の持つ知識を総動員させ、最善の方法を頭に描く。
「危険な賭けだけど、……これ以上失えない。私の大事な物は……」
少しの間目を閉じ何か思考を巡らせた後、マリンはすぅっと息を吸うと小さな声で呟い
た。
「……ごめんね、みんな、いける?」
マリンは自分の傍らに寄り添う精霊に語りかけた。
先に進むにはこの精霊を何とかしなければならない。その為に今の自分が出来る事は、
魔法で立ち向かう事だ。だが、精霊の状態はまだ完全ではない筈だ。
戸惑うマリンとは真逆に、背後から強烈な熱気が溢れる。
マリンの従える精霊と目の前の<風>の精霊ではおそらく格が違う。だが、彼らが怯む
様子は全く無かった。
「うっわ、何それ、すっごいやる気?」
使い手の心とは正反対に、精霊たちは対決する姿勢を隠そうとしない。
まるで自分を守るかの寄り添う三つの気配に、思わず表情がゆるんでしまう。
「全くもう、こんな無茶な使い手の何処がいいんだか……」
暴力的な風を受けながら、マリンはぷぷっと小さく笑った。
「ごめんね、ホントはもっと休ませたいのに……しかも今回はとっても分が悪い。でもこ
のままじゃ」
マリンは強風の中、ビッと右腕を差し出した。
「大好きな人を、傷つけたくない。……そんなのもう絶対だめっ!」
ぎゅんとマリンの首に下がる紫竜の牙が光り、月明かりの魔力を放つ。
「そうならない為に魔法を覚えたんだもの、ガント、ここは私がやるっ!」
マリンの言葉に従い、ガントはマリンの正面から飛びのく。
『……マリン、いけるのかッ!?』
「精霊(こっち)は私の専門! そして、……コレはチャンスでも、あるから」
『チャンス?』
真剣な表情のマリンを見て、狼はピクリと眉を動かす。
「ガント、絶対に近づいちゃだめだからね! ……あれ、どうしよ、久々の魔法にわくわ
くしてきちゃった。こんな状況なのに」
指先に魔力の光を纏わせ、マリンは印を結ぶ。
自然の力の具現を目の前にして怯む事無く、歌うように呪文を紡ぐ様はむしろ楽しんで
いるかの様だ。
(本当に……魔法が好きなんだな)
誰が見てもそう思える程、今のマリンは輝いていた。
マリンを止める理由も無く、そしてそれ以外の手段もない。
『お前の精霊は、大丈夫なんだな?』
「うん。やる気十分みたい」
『……解った、好きなだけやってこい』
「……、了解!!」
ガントの言葉を聴いて、マリンの表情がぱっと輝く。
「フォロイ、無茶するけど消えないでね、絶対っ……!」
祈るようなマリンの声に、光の精霊は『大丈夫だ』と気配で答えた。
「我、精霊を知る者。大自然の形なる者よ、姿を現し我の声を聞き給え! 姿を我が前に、
……ヴォワール・リュミエール!!」
マリンの呪文の呼びかけに応じ、マリンの従える<聖>に属する光の精霊が忠実にマリ
ンの意思を魔法として具現化する。風の中心に向かって光が降り注ぎ、それはあっという
間に部屋を包み込んだ。マリンの持つ三体の精霊が呪文に反応して姿を現し、それと同時
にマリンに向かって吹き付けていた風が部屋の中心へと集まり渦を作った。
そして部屋の中心にぼんやりと、次第にハッキリと<風>の精霊の姿が浮かび上がる。
「……うわ、あの精霊、人型、しかもサイズが普通の人と変わらない……上位精霊だ」
精霊を可視状態にする魔法に反応して、目の前の精霊の姿が鮮明なものとなる。現れた
のは、半透明の紫がかった人型の<風>の精霊だった。
精霊の姿は人を模した形だったが、長く尖った耳のせいでどちらかと言えばエルフに雰
囲気が近いイメージだ。切れ長の瞳は射抜く様に鋭く、長い髪は絹糸の様にさらさらと風
に靡いている。
精霊は様々な姿を持っているが、その中でも人に近い形を持つものは意思が強く、能力
も高いというのが魔法使いの間での定説だ。
「……魔力を持たぬ人間が、私に何用だ」
それは『音』を持った精霊の『声』だった。
精霊は目には見えないしその声も聞こえない霊的な存在だ。
その姿や声を捕らえる為には、魔眼や魔聴という技を見につけるしかない。
だが、強力な精霊は姿をある程度示すこともあるし、人に聞こえる声を発する事もでき
る。
そういった強い精霊は長い年月を生きた精霊で、数も少なく、滅多にお目にかかること
も無いのだが、今目の前に居る精霊はそれだけの力を持った精霊という事で間違いない様
だった。
<風>の精霊がすっと片手を上げると、吹き荒れていた風がぱたりと止んで部屋に静寂
が訪れた。風の止んだ部屋の中央に浮かぶ精霊は、マリンを見下ろしじっとその目を見つ
めていた。マリンも見つめ返し、魔法を発動させたままの状態で口を開いた。
「ここを通して欲しいの。日暮れまでにカヒュラの元に行かなくちゃいけないんだ」
マリンはゆっくり立ち上がり、精霊を見据える。
「あのカヒュラの客……か。……いや、だがそれだけじゃないな? その目は何か別の事
を考えている目だ。私に対して、何かを考えておるな」
その言葉にマリンはごくりと喉を鳴らした。
(上位精霊にもなると……何考えてるかもお見通しか)
マリンの背筋にぞくりと悪寒が走る。
「お前の私と対等であろうとする口ぶり、気付かぬと思うてか?」
「怖い顔しないで? それでなくても、その存在の大きさに負けちゃいそうなんだから」
『……?』
二人の会話の意図が見えず、ガントは眉を寄せる。
そしてマリンの口からでた言葉は、ガントの予想の及ばない言葉だった。
「そう。実は貴方の力を私に貸して欲しいの。私の仲間になってみない?」
『ま、マリン!?』
驚くガントと対照的に、にこりと笑うマリンはどうやら本気のようだった。
さっき言っていたチャンスとはこの事か。と、狼は目を細める。
「つまり、私を下僕にしようというのだな?」
精霊はさも余裕げに笑ってみせる。
「……そうなるかな。でもその言い方は好きじゃないな」
マリンはむぅと口を尖らせると、不満げに呟いた。
魔法使いは精霊の力を借りて魔法を発動させる。
呪文により意思を伝え、印や魔方陣でその意思をより明確にし、魔力を与えて精霊はそ
れを糧に超常現象を具体化する。
精霊と術者の間柄は、友人のような関係から、完全な支配者と下僕という関係と様々だ
が、場合によっては精霊を暴走などから制御する事もある為に、実際の所は魔法使いは精
霊を服従させるというのが正しい見解だった。
精霊の側もそれは理解していて、だからこそよっぽどでない限り精霊は人間にはついて
行こうとはしない。
それ故魔法は難しく、誰にでも使える気軽なスキルではないのだった。
そして、高位の精霊であればあるほど力も強いが自我も強く、好戦的か平和的か性格が
極端になる傾向がある。
「言い方を変えても同じ事。そうだろう? 魔法使い」
「貴方の力は相当なものだと直ぐわかったよ。私は魔法が好きだし、精霊も好き。消滅さ
せたくなんか無いんだ。だからついてきて欲しいんだけど……」
その言葉をきいて、精霊の眉がひくんと動く。
「……ほう、まるで私を『消せる』様な口ぶりだな」
(マリン、相手を挑発してどうするんだ)
ガントは突っ込みを入れたかったが、自分は全くの専門外なので口出しも出来ずただ身
構えるだけだ。それにマリンが唯挑発してるとも思えず、ガントは成り行きを見守る。
「私、魔法だけは自信あるもの。どんな大精霊が相手でも引かないよ。それに今は急いで
るし」
「小娘の分際で大口を叩くのだな。……ならば全力を持って対峙しよう!」
「好戦的だね。……そうくると思ってたよ!」
再び部屋に風が吹き荒れ、その勢いに押されマリンはひざをつく。
「ここを通りたければ、私を従えたくば……己の強さを、全てを示すがいい!」
「口だけじゃないんだから! 私の覚悟はそんなもんじゃないのっ!」
『……』
ガントは少し驚いていた。
どこか戸惑っていた昨日までの様子は微塵も感じられず、マリンはただ真剣に前の敵に
向かっていた。
魔法に関わっている時のマリンは本当に真剣で、そして生き生きとなる。
だがそれ以上に目の前の敵に立ち向かう少女の姿が、眩しくも見えた。
『覚悟……か』
狼は小さく呟くと、戦闘の気配を高める二人から距離を取るべく部屋の隅へと跳躍した。 |