☆桃兎の小説コーナー☆
(08.07.18更新)

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 レスは日記でしております〜。


 ドラゴンマウンテン 第二部

  第一話  竜の提案  
   
    1 旅立ちの朝 

 風の啼く音が石畳の神殿に広がる。
 その神殿の最奥、暗い洞窟を思わせる大広間の中央にある魔力を帯びた光で描かれた魔
方陣の上に彼は居た。
「繋げ」
 大きく低い、そして威厳のある声が広い空間に響く。
 その声を受けて、彼の目の前にある巨大な魔法の鏡が明滅する。光はぼうっと目の前の
主の姿を映し、その直後一転して違う光景を映し出した。
 それは青白い月光に照らされた広大な砂の大地だった。
 鏡は主の呼びかけに応じて、遠い土地に居る一人の男の姿を彼の前に示したのだ。
「――、何かありましたか?」
 鏡に映し出されたフードを目深にかぶった男が、呼びかけに気づいて顔を上げる。男の
目線の少し上には、呼びかける彼の姿がぼんやりと浮かび上がっていた。
「いや、これから『動き出す』のだよ」
 鏡の前で金色の双眸が光る。
 生き物としても破格の大きさの体をのそりと動かし、彼は言葉を続けた。
「あの者達を……、あやつらの手に渡すわけにはいかんだろう。……いや、本当は何処に
も属してはもらいたくなかったのだがな」
 それを聞いて、鏡に映る男は目を細めた。
「遅かれ早かれ……、いや、私は何も言えない。私は私に出来る事を……するだけです」
 男は首を振り、視線を落とした。
 乾ききった大地の上に立つ男は、何かを憂う様に風で流れていく砂をじっと見つめてい
た。
「――で、『彼女』は何と?」
 彼の問いかけに、男は空中に浮かぶヴィジョンに視線を戻し、形のよい唇を動かす。
「どうにかコンタクトは取れました。協力も得られそうです。ただ……」
「その場を離れる気は無い、か」
 金色の双眸が僅かに揺らぐ。
「『彼女』の意思は固い。おそらくこれから先も変わることは無いでしょう。それともう
一つ。その力を行使するには……力が足りない、と」
「そうか。……ならばあの者たちに滅びの地へ行ってもらおう」
「!?」
 男は目を見開き、息を呑んだ。
 同時に砂漠特有の乾いた風が男のフードを飛ばし、その黒く長い髪が風に舞う。
「あの地は危険だ! それに彼は……!」
「黙れ。それくらいの試練は越えてもらわねばなるまい? ……何の為に我らが山に篭っ
て居ると思っている?」
「争いを……呼ばぬ為」
 男は自分に言い聞かせるように呟いた。
「なんにせよ、あいつは我らの声には耳をかさんだろう。だが、あの娘なら……」
「……えぇ。可能かもしれません」
 男は確信を持って答えた。あの娘には、どんな試練でさえ越えて幸せを掴み取る、そん
な気にさせる何かがある。
 
 そして男にとっても、その娘は大事な存在だった。

 だからこそ、男は娘を助けてやりたかった。
 直接何か出来る立場ではない。だが、遠くから可能性を提示する事は男にも出来る事だ
った。娘が直面している問題はかなり大きな難題だ。だが、その娘はそれに立ち向かう覚
悟が出来ていた。ならば、それを越えれるように、ただそう思い、男は砂漠の最奥にまで
やってきたのだった。
 砂漠の夜風と降り注ぐ月光に照らされながら、男は顔を上げた。
 その顔は連日の砂漠歩きのせいか、少し日に焼けて埃っぽくなっていた。
「すまないと思っています。人とは関わりを避けるべきである貴方達に……」
 男は再び視線を落すと、握っていた杖を振るわせた。
 男が鏡の向こうに投げかけた言葉は、自分にも言えることだった。
「いや、お前の頼みだからこそ、我等も動くのだ。お前は今までこんな事を言った事など、
一度も無かったからな。自分を殺し、旅に身を置くお前の唯一の我侭だ。それに元々、同
属の中でも私は人に触れすぎている方だからな。賢者よ、顔を上げろ。何も気にする事は
無い。お前も既に同属なのだから」
 重く響く彼の言葉を聞き終えると、男は再び顔を上げ、魔力を帯びたその瞳をヴィジョ
ンに向けた。
 男の瞳は、金の色をしていた。
 そして、その金色の瞳に縦に伸びる爬虫類を思わせる黒く細い瞳孔。

 それは、誰がどう見ても人の物ではなかった。

「寂しげな顔をするな。我が友よ。あの者たちは、三日後私の元に来るだろう。なんなら
お前も来るがいい。あの娘に教えてやるべき事はまだあるだろう?」
 彼の問いに男は首を振った。
「いや……。私にはまだやるべきことがある」
「事態は深刻、か」
「えぇ、ひどい有様です。このままでは……、また……」
 鏡の向こうに映る僅かに疲れた瞳の男を見て、彼はため息をついた。
 彼らが憂うのは世界の雲行き。
 この世界を護る為に、仲間との約束の為に、男は世界を旅している。それは永遠に終わる
ことのない旅であった。
 男は杖を持ち直し再び顔を上げると、表情を緩めてヴィジョンに映る戦友に語りかけた。
「……、私は行きます。あの子を……あの者達を頼みます。偉大なるドラゴン、カヒュラ
よ」
「あぁ。承知した。我が友、人の子、……アークよ」
 その言葉を合図にする様に、鏡は光を放ちすっと輝きが消えていく。鏡は唯の鏡に戻り、
再び鏡の前に居る主の姿を映し出した。
 輝く銀色の巨体を。その威厳を湛えた金色の双眸を。
「また再び……、ああならん事を願うのみだ。ただ、私には『人』を見捨てる事などでき
んのだよ。私には」
 彼は、頭上の透明なドーム越しに見える青空を見上げて目を細めた。

「……さて、あの者たちは無事にここまでたどり着けるか、な?」
 我ながら無茶な条件を出したものだと、カヒュラは小さく笑う。
『三日以内にココまでたどり着くこと』
 歴戦の戦士でも、経験をつんだレンジャーであっても、ココにたどり着けたものはそう
いない。
 強力な魔物、人を退けるための罠。しかも三日という期限付きだ。
 あまりに厳しい条件だったが、竜が力を貸すという事はそういうことなのだ。
 力の無いものには、自ら道を切り開けないものには、竜は力を貸したりなどしない。だ
が、竜は信じていた。少女の秘めた心の光を。真っ直ぐな、唯真っ直ぐなその光を。
「さぁ、無事たどり着くが良い。さすれば我らが解決の道を示そう。愛するものと共に、
ここへ来るが良い、マリン・ローラント!」
 竜は娘の名をつぶやき、大きな翼をばさりと広げる。
 若干十八の少女がいかにして乗り越えてくるのか、竜にとってはこの上もない楽しみで
あった。
 心なしか弾む竜の声は、神殿の石壁に反射して延々とこだましていた。


     1

 ドラゴンマウンテンの麓の町、チーク。
 町の四方を高く硬い石の壁で囲まれた古くから存在するこの町は、日も昇らぬうちから
動き始める。
 山のドラゴン目当ての冒険者達が多く集まるこの町は、早朝から出発する彼らに合わせ
て動いていると言っても過言ではない。
 そして、チークの町の最も山に近い所にあるレンジャー達の住む『今昔亭』も、早くか
ら動き出す場所の一つだった。

 レンジャー達は無数のドラゴンが住むというこの山に特化した者達で、冒険者達の護衛
から、道案内、時にはアイテムの採取まで引き受ける山の便利屋の様な存在だ。だが、た
だの便利屋などではなく、国からも認められている公式な存在でもあった。
 ただ山に詳しいと言うだけではレンジャーにはなれない。
 山への知識はもちろんの事、戦闘力もその精神も重視される。
 古の時代には、山のドラゴンを護るために戦ったり、数々の儀式も行ったとされるが、
幸いな事に今のグランディオーソは隣国と違い平和を維持しているために、現在は便利屋
のような仕事や、有事の際に国の兵士の代わりに町を護るのが主な仕事だった。
 ドラゴンマウンテンは多くのドラゴンが住む、巨大な山だ。
 ここに住むドラゴンは、国にとっても重要な資源であり、宝だ。この国の初代の王は、
竜と共に国を作ったとされている事からも、その重要性が解ろうというものだ。だが、こ
の町には国から直接派遣された兵士は一切配置されておらず、町を護っているのは実質町
民で組織された自警団とレンジャー達なのだった。
 ある意味、レンジャーは独立部隊としての役目もはたしていたりするのだった。 

 そんなレンジャー達の住む『今昔亭』の二階の中央の一室。
 その部屋の奥にある寝室では、静かな寝息があるだけで未だ静かなまま動き出す気配は
無い。
 だが、そんな朝の静寂を獣の小さな声が破った。

『起きろ』

 時刻は朝の五時半。
 冒険者達から依頼を受けたレンジャーが起きる時間としては、ごく普通の時間だ。
 声の主達は依頼を受けているわけではなかったが、私用で山に行く事になっていたので
この時間に起きてもなんら問題はない。むしろ起きなくてはならない時間であった。
 だが、一つ問題があった。
 声の主の目の前で、枕を抱いて幸せそうに眠る少女である。
『こら、マリン。時間だ』
 まだ日も上らぬこの時間は、カーテンを開けても未だ夜の続きだ。窓から僅かに差し込
む月の光が、少女に語りかける獣の姿を僅かに浮かびあがらせる。

 それは狼だった。

 銀色の毛並みを持つ狼の体は、目の前の一六〇センチある少女を覆ってしまいそうな程
大きく、それは戦場で見かける乗用狼を彷彿とさせる。右の前足を失っている様だったが、
野性味に溢れた荒々しい体は、その狼の強さを十分に示している様だった。だが、三本足
の狼の瞳は、それとは正反対に優しい、深い紺色を湛えていた。その優しい瞳で、狼は少
女の寝顔をじっと見ていた。だが、次第にその表情は次第に困ったものへと変わっていく。
 昨日はレンジャーだったモースの結婚式があり、二次会と称して遅くまで騒いでいた。
それが原因なのか、普段なら確実に寝坊することなく起きてくる少女が、今日はほにゃっ
とした顔のまま全く起きる気配が無い。
『マリ……』
 再び声をかけようとした瞬間、不意に少女が寝返りを打って、狼は思わず言葉を飲み込
んだ。 
 布団を蹴飛ばした少女の黒く長い髪がさらりとベッドに広がり、パジャマ代わりに着て
いるTシャツが見えるか見えないかのぎりぎりの位置まで捲くれ上がっている。下は密着
したスパッツ一つで、それはくっきりと少女の体のラインを浮き上がらせていた。
 少女の体は十八にしては幼さの残る体型だったが、狼にとってはそんな事はどうでもい
い事だった。あまりに無防備で扇情的なその寝姿に、どくんと大きく心臓が鳴る。

 この狼、見た目こそ立派な銀狼であったが、その中身は『今昔亭』のレンジャー、ガン
トレット・アゲンスタという、正真正銘の『人間』なのだった。
 ワーウルフと人間の間に生まれた彼は、目の前で眠る少女の先輩であり、格闘技の師匠
であり、そして婚約者という間柄なのだが、悪魔に呪いをかけられ狼に姿を変えられてし
まったのだ。

 という訳で、姿は狼とはいえ心は人間のまま。
 そんな状態で目の前の少女がこう無防備だと目のやり場にも困るというものである。呪
いをかけられていない人間の姿ならいざ知らず、動物のこの姿のままそういう衝動に身を
任せる訳にはいかない。
『マ、マリン。マリン、起きろ』
 視線を少女から外しながら、ガントは狼の声で必死に呼びかける。
 その様子は、傍から見ていれば狼が小声でガウガウと話しかけているようにしか見えな
いのだが、アニマルバングルというマジックアイテムを装備する少女にはその狼の声も、
『言葉』として直接脳に届いている筈だ。狼は少女の左手首に刺青のようになってへばり
ついているアニマルバングルを横目に見ながら、何度も何度も呼びかける。
 だが、少女はその声に気づく事も無く、変わらずすやすやと眠ったままだ。
『〜〜っ! 全く……コイツは』
 ガントは湧き上がる衝動をぐっと抑えつつ、捲くれあがったTシャツを咥えてそっと元
に戻しガウと小さく息を吐いた。
(レンジャーは時間厳守だ)
 厳しい事を頭に浮かべながら、心を冷静な気持ちへと誘導する。
 ワーウルフの血のせいかそういう衝動が人よりも強いガントだったが、そこはいくつも
の戦いを越えてきたレンジャーだ。なんとか気持ちを落ち着けると、もう一度少女に向き
なおってみる。
(そうだ。時間厳守なのに、まだ寝てるこいつが悪い)
 こんな所で甘やかすわけにもいかず、ガントは無理やり厳しい表情になってみる。 
 かと言って、大きな声で唸るのも他のまだ寝ているであろう非番のレンジャー達に迷惑
が掛かる。狼の声は意外と響くのだ。
 銀色の狼は少女の横に寝そべると、鼻先をぷにっとした頬に優しく押しつけた。 

 ふんふん。

「う…、うん……」

 ふんふんふん。

「こそばい……」

 ぺろり。

「ひゃうううううううっ!?」
 頬に感じた違和感に、少女は驚きの声と共に目を覚ました。 
 
『朝だ』
 一杯に見開かれた茶色の瞳のすぐ前には、精悍な狼の顔があった。
 そのアップに一瞬びっくりしてしまうが、すぐにそれがガントだと理解して少女はふぅ
と息を吐く。
「び、ビックリした……ガント、今ぺろってしたでしょ……」
『いくら声をかけても起きないからだろ』
「良い夢見てたんだよぉ〜うぅ……うあ!?」
 マリンは目の前の時計を見て、僅かに寝坊した事に初めて気付いた。
 こんなのんきな事を言っていたら、ガントに厳しく言われかねない。
 だが、不意に見ていた夢の内容を思い出して、マリンは微妙な表情になってしまう。
 ガントは一言叱ってやろうと思っていたのに、残念そうな、少し寂しそうなその表情が
気になり、すっかり毒気を抜かれてしまっていた。いつだって笑顔のこの少女がそんな顔
をしていたら、誰だって気になるというものだ。
『……、一体何の夢を見ていた?』
 怒られると思っていたのに逆に夢の事を尋ねられ、マリンはアレ!? となってしまう。
 姿を変えられてから、ガントは妙に優しい。
 いつもなら絶対にイヤミの一つくらい良いそうな場面でも、だ。
 マリンは少し微妙な気持ちになりながら、夢の中身をもう一度思い出してみた。 

 それは何とも不思議な夢だった。
 人の姿のガントと、どこかで抱き合っている夢。
 それは見た事のない場所でどこか分からない上に、何故かガントだけが裸だった。
 ガントの手は暖かく、もたれ掛かった胸の感触も妙にリアルだった。
 大きくて、暖かくて、溶けてしまいそうな程の……

 ぼん、とマリンの顔が赤くなる。
 心の中のやましい部分がそのまま夢になったみたいで、なんだか恥ずかしくて仕方が無
い。マリンはブンブンと頭を振って、ぎゅっと拳を握り締めた。
 こんな事、絶対にガントには言えない。
「ひ、秘密!」
 枕を抱きしめ顔をうずめベッドに蹲るマリンを見て、狼は首を傾げる。
『な、何だ? 気になるな……。まぁいい、支度をしろ。いつも通り六時には朝食だ』
「りょ、了解!」
 マリンはぴしっと起き上がると、ベッドの横の机の上に用意しておいたレンジャー服を
手に取った。いつもの着慣れたピンク色のレンジャー服だ。
 そこからのマリンは早い。
 身支度を整え、髪を手早く結い上げ、愛用のポーチを身につけれるまで十分と掛からな
い。
 ガントもそれに合わせるように、失った右腕の代わりを果たすガントレットを装着する。
山の竜から授かった深紅のガントレットは、ガントの意のままに姿を変える。ガントが目
を閉じ念じると、ガントレットは肩を飲み込むようにして狼の足を模した物へと変形して
いった。ほんの数秒で変形は完了し、ガントは感触を確かめるようにそのガントレットで
歩き回る。マリンが着替え終わる頃には、それはもう、立派なガントの右手そのものとな
っていた。
 マリンは最後に服と同じ素材で出来たリボンをポニーテールに括りつけ、両手を腰に胸
を張った。
「よし! ガント、顔洗ってご飯だっ!」
『おう』
 山に行くための荷物を手に提げ、マリンはいつもの笑顔でガントと共に部屋を後にした。


     2

「お、来たかいお二人さん。おはよう」
 朝食の良い匂いに包まれた食堂で出迎えてくれたのは、『今昔亭』を取り仕切る女将、
カンナだった。いつもの様に両手に料理の皿を持ちつつ優しい笑顔を向ける女将に、マリ
ンも全開の笑顔で答える。
「おはようございます! 女将さん!」
「ガウガウ」
「二人とも調子はよさそうだねぇ。昨日は遅かったからもう少し遅く起きてくると思った
んだけど」
 そういう女将も遅くまで起きていたのに、もう十人掛けのテーブル一杯の料理を用意し
てるあたりが凄い。
 だが、用意された料理の一角が空になっているのに気づいて、マリンはぴくりと眉を動
かした。
「あれ、もう無い……、って事は、リオン?!」
 マリンの予想通り、料理が減っていた原因は机の端っこで勢い良く食べている少年だっ
た。その声に気づいた少年が、ぴんと跳ねる赤い髪を揺らしてマリンに向かってにっと笑
った。
「おー、マリンー!」
「おはよ! 昨日はあんだけ酔いつぶれてたのに、大丈夫?」
 リオンの隣に座り、ガントの分の料理を皿に取り分けるマリンに、リオンはフォークを
片手に苦笑した。
「いやー、そのおかげですっかり爆睡したっぽくってさ、体は快調だぜ。ただ、昨日は寝
ちまった俺をアシュレイさんが上まで運んでくれたらしいから、後日にでもお礼言いに行
かなきゃなー」
「後日? 今日じゃなくて? あ、こんなに早くに食べてるって事は、山に行く依頼でも
受けてたの?」
「はずれー」
 リオンはにっと笑うと、フォークでソーセージをぷすっと突き刺した。一本のフォーク
に二本のソーセージを突き刺すあたりがリオンらしい。
「今日はな、マクスに五合目まで連れていかれんだよ。なんかな、マクスすっげぇ勢いで
俺をしごいてんだよ。いや、レベルが上がったって実感出来るから嬉しいんだけどな?」
 リオンは次々と料理を平らげながらへへっと笑う。
 リオンは『今昔亭』ではナンバーツーの大喰らいだ。そんな食べ盛りのリオンの取り皿
にはまだゆうに二人分の量が確保されている。
「そかー。そんなに鍛えられてるんだ。何だか、『師匠』って感じ?」
「だなー。俺ってさ、今まで『この人』って感じの師匠がついてなかったじゃん? ほら
その場に応じて皆が面倒見てくれたって言うかさ。マリンみたいにガントが、って感じじ
ゃなかったじゃん?」
「うん、確かに」
 マリンは隣の椅子の上に料理を取り分けた皿を並べて、その椅子を自分の後ろにすっと
ずらした。ガントはマリンに短く声をかけると、その皿に口を運んだ。いくら狼になった
とはいえ床に直置きで食べさせるのが嫌で、マリンはそうしているのだった。
「んでさー、マクスさ、すげぇの。普段あんななのに、山に入ったら超厳しいんだぜ。い
や、仕事だからわかるけどさ、落差激しいのなんの。めっさびっくりしたっての」
「え、そなの? 意外」
 まだ一緒に仕事をしたことが無いマリンは、そんなマクスの姿が意外だった。
 マリンが知っているマクスは、女の人にセクハラしているか、酒飲んで暴れてるかのど
ちらかだからだ。そして事実、マクスはそういう男だ。
「おうよ。もうな、鍛えるって言うよりも叩き込まれてるって感じだぜ」
 そう言うリオンはいつものリオンより少し逞しく見えた。
 確かにこの一ヶ月、マクスが依頼をこなすお供としてリオンをマメに山へ連れて行って
いるのは知ってはいたが、ここまでだとは思っていなかったのでマリンは少し驚いていた。
「ガウガウガウ、ガウガウ」
「え? マリン、ガント何て?」
「えとね、『マクスは本気だな』って。『お前も本気でいけ』ってさ」
 それを聞いたリオンは、少し考えた後深く頷いて顔を上げた。
「そかー。……だよな。ま、頑張るぜ。マリンにゃ負けたくないもんな」
「私だって負けないよ?」
 二人は不敵に笑い、同時ににっと笑う。
 同い年で同時期にレンジャーになったこの二人は仲がいい。気分は双子の兄弟だ。
「マリンがガントを戻しに行ってる間に、ビックリするぐらい良いレンジャーになってや
んよ」
「私だって! どうなるかわかんないけど、ガント元にもどして、んでばっちり魔法のレ
ベル戻してくるんだから!」
「……へ、戻す?」
 マリンの言葉に、リオンがぱたりと食べる手を止める。
「そ、戻す。……えっと、実はねリオン」
「な、なんだよ?」
 突然真剣な顔になったマリンに、リオンもつられて真剣になってしまう。
「なんとね、この前の戦いで……手持ちの精霊、三匹だけになっちゃったのよ」
「……へ?」
 どんな深刻な話が出てくるかと覚悟していたリオンの表情が、拍子抜けしたようにぽか
んとなる。
「んだよ、三匹でも十分じゃん。てか、普通の魔法使いはそんぐらいだろ? って、マリ
ン、お前一体何匹味方にしてたんだよ」
「十四匹」
「ハァ!?」
 リオンは思わず大声を出してしまい、慌てて口を塞いだ。

 その数はどう考えても普通じゃあり得ない数だった。
 魔法使いのレベルは連れている、もしくは支配している精霊の数で大きく左右されると
いう事は、魔法に疎いリオンでも知っている事だった。

 精霊は大きく分けて六つの属性に分類できる。
 <火><水><土><風>、そして通称<聖>と<魔>と呼ばれる<光>と<闇>の六
つだ。
 複数の精霊を従えれば従えるほど、魔法の幅が広がるし、属性複合魔法などの難解な術
も使える様になる。
 普通の魔法使いは、<火><水><土><風>のいずれか一種類と<光>と<闇>のど
ちらかの二種類の属性の精霊を従えている事が多いのだが、術者自身の素質と相性、それ
に努力で更に複数の精霊を従える事も可能なのだ。
 そういう意味では、マリンの今の状態でも十分並の魔法使いとなら渡り合える力がある
し、知識、熟練度は以前のままだから何も問題は無い。魔法使いなのに魔力が全く無いマ
リンだったが、魔石があればなんの問題もなく魔法を使えるし、今は高価な魔石に頼らず
とも、魔力の器の代用品である竜の牙のお陰で魔法が使いやすくなっているのだ。

 だが、マリンはこのままの状態で居る気などなかった。
 今、自分の傍には、<光>の精霊、<火>の精霊、そして<土>の精霊の三匹が居る。
 彼らは一番付き合いの長い精霊達で、あの無茶な魔法の中で生き残った大事な精霊達だ。
 彼らを休ませる意味も込めて、この一ヶ月マリンは魔法を封印してきた。だが、あれだ
け無茶な行使をしたという後ろめたさもあって、理想としてはもう数週間は休ませてやり
たいと思っているのだった。
 
「元の数まで……は無理かもだけど、最低限、<風>の精霊は味方にしないと」
 精霊を休ませている今は精霊魔法が使えない。それを補う為にも、新たに精霊を味方に
する必要があった。それにマリンが使う魔法は高度な属性複合魔法が多い。たくさんの魔
法を使えるようにする為にも、マリンは手持ちの精霊を増やさなければならないのだ。
「ん? 何で<風>の精霊なんだ?」
「ドラゴンマウンテンは山から吹き降ろす強い風が吹くでしょ? アレって気持ちいいん
だよね。なにより、元気だよ。つまり、良い精霊が居るって事なのよ。前は他の所から連
れてきた精霊が居たから振り向いてもくれなかったけど、今は空席だから、もしかしたら
来てくれるかもしれないの」
「そ、そんなもんなのか?」
 魔法に疎いリオンとガントは、眉を寄せて難しい顔になってしまう。
「うん。どういう手段で認めてくれるかは、精霊によるんだけどね。それに……」
「それに?」
 更に真剣な顔になるマリンに、リオンは首を傾げる。
「私のお気に入りの魔法、今のままじゃ使えないのよ……。<火>と<風>の複合魔法だ
から」
「あ! あのレッドサイクロンって、えげつない魔法の事か?」
 リオンは、数ヶ月前の光景を思い出して眉を寄せる。
 リオンはマリンの魔法を直接見た訳ではなかったが、『レッドサイクロン』という叫び
の後、森の中にいたリオンの前に、岩に貫かれたぼろぼろのワイバーンが降ってきたのは
衝撃だった。炎に焼かれ、風に切り裂かれたワイバーンの死体は、正に『えげつない』物
だった。というか、もう少し前を歩いていたら落ちてきたワイバーンにぶつかって、死ん
でいたかもしれない所だったのだ。
「えげつないっていわないでよ」
「だってワイバーンの死体、凄かったぜ? 俺、真上でマリン達が戦ってたなんて知らな
かったから、マジビックリしたんだぜ?」
「うん、あの後その話聞いたときはこっちもビックリしたよ。リオン死ななくてよかった
と思ったもん。レンジャーだから、魔物の倒し方も考えなきゃ危険だよね。あれ以来考え
るようになった」
「だよな。レンジャーって大変だよな」
「うんうん」
 レンジャーは何かと気を使う仕事だ。
 ようやくその事が見える様になってきた二人は、同時に深く頷いた。
 今年の春から、二人ともレンジャー三年目なのだ。
 マリンは二月に十八になり、リオンも一月に十八になった。
 お互いにこれからが踏ん張り所なのだ。
「ね、リオン、レンジャーの仕事、嫌い?」
「うんや、好きだぜ? マリン嫌いか?」
「ううん、大好きだよ?」
 パンやハムを口に運びながら、他愛も無い会話をかわす。
 二人は、レンジャーになってからなんだかんだ愚痴りあいながら、こうやって頑張って
きたのだ。
「そーだ、マリン! 俺の夢聞きたくねぇ?」
 リオンがとびきり明るい笑顔でぐるんと顔を向ける。
「夢? なんだろ、聞きたいー!」
 旺盛な好奇心が刺激され、マリンもぐるんと横を向く。
「その代わりマリンも教えろよ?」
「ガント、良いかな? 言いたいー」
 マリンはガントが小さく頷くのを確認してから、顔を寄せ合い内緒話を始めた。
「俺な、ごにょごにょごにょ」
「うっわ! マジで! 楽しみ! 私ね、ごにょにょにょ」
「マジかよ!! マジで!? 俺も楽しみにしてるわ!」
 そうやって二人が盛り上がっている所で、一際大きな声が割って入った。
「おう! なんでぇ、仲良いじゃねぇかおい」
 そう言いながら食堂に入ってきたのはマクスだった。
「あ、マクス! おはよう〜」
「……おはようございます!」
 いつもと少し違うリオンの挨拶に、マクスはぴくりと眉を動かす。
「んだ? リオン、かてぇなぁ。いつもみてぇにおはよーくらいでいいじゃねぇか」
 マクスは、黒い短髪をかきあげながらリオン達の向かいに座り、燃えるような赤い瞳を
リオンに向けた。
 適当に料理を取りながらこっちを見ているマクスに、リオンは真剣な表情になって、す
っと立ち上がった。

「俺、決めたんだ。俺の、俺の師匠はマクスって事に決めたんだ! だから、挨拶くらい
しっかりしようって。だからこれでいいんだ」

「んだよ、俺の方が『後輩』だぜ?」
 いつものふざけた表情でニヤリと笑う大柄な男に対して、リオンの茶色の瞳は真剣その
ものだった。
「関係ねぇんだ、そんな事。実際マクスの方がレンジャーの経験長いし、俺よか断然強い
んだ。それに、俺が勝手にそう決めたから。マクスがそう思っても、俺はこれで行くんだ。
……俺、絶対くじけねぇから」
 マクスの顔はふざけた表情のままだった。だが、目だけは真剣な物に変わっていた。
 徐々に表情も真剣な物に変わっていったが相変わらず口の端が上がっていて、その表情
は挑戦を受けて立つ戦士の様にどこか楽しげだ。
「……ほう? 昨日まで散々泣き言言ってたやつが、いきなりなんだ? まぁいいさ。覚
悟決めたんなら、こっちだって容赦しねぇ。弟子らしくついてこいや」
「了解です!」
『師弟誕生の瞬間か』
「だね」
 マリンはそっと椅子を立ち、使い終えた皿を重ねてカウンターに運んだ。
「おう、マリン、行くのか?」
 パンを口に咥えながらマクスが声をかけると、マリンはこくんと頷いた。
「うん。行って来る。しばらく帰ってこないかもしれないけど……よろしくね」
「心配すんな。お前らの分はオレ達でなんとかしとくさ。ガント、戻って帰ってきたら、
その分働けよ?」
 マクスの言葉に答えて、狼は小さく頷く。
「あ、マリン!」
 食堂から去ろうとするマリンを、リオンが呼び止める。
「さっきの事、ガントになら言っても良いぜ?」
「うん、解った。リオン……、頑張ろうね!」
「おうよ!!」
 二人はびっと親指を立てて笑いあった。

 

     3
  
「遅いぜ二人共。俺様はとっくに準備は出来てるぜ?」
 食堂を出た直後に聞こえてきた透き通った声に、マリンはびくりとなる。
 声は廊下の先のロビーから聞こえた。マリンは慌ててロビーへと向かい、そして目を丸
くした。
「え、クロフォード!?」
 ロビーで優雅に紅茶を飲んでいたのは、レンジャーナンバーワンのクロフォードだった。
 きらめく朝日を目一杯背中に受け、金の髪を輝かせて不敵な笑みを浮かべている。ここ
までならいつものクロフォードだが、足元にはバックパックが置いてあり、ソファーには
鞘に収められた剣が立てかけられていた。
 それは、完全に山へ向かう装備だった。
「何驚いてんだよ。お前達、カヒュラが何処にいるか知らないまま行く気だった訳じゃ無
いだろうな?」
 カヒュラの所へ向かうときには、クロフォードかマクスに案内してもらう約束だったが、
あまりに急な呼び出しだったので、マリンは案内してもらうのを勝手に諦めていたのだっ
た。
「でも、えぇえ!? クロフォードいいの? 予定とか、大丈夫なの!?」
「いいも何も、もう俺様は準備できてんだよ。三日だっけか? 急がねぇと間に合わない
ぞ。ガントはともかく、お前の足には少々不安がある」
「う……あううぅ」
 マリンは何も言い返せず、目を伏せてしまう。
 もうすぐレンジャー三年目だとはいえ、マリンのレンジャーとしての実力ははっきり言
ってガントやクロフォードには到底及ばないだろう。
 体力も戦闘力もそうだし、山への知識だってまだまだ足りない。マリンが完璧に把握し
ているのはせいぜい三合目付近までなのだ。
 五合目までは何度か言った事があるので少しは解っているつもりだが、そこから先はと
いうと完全に未知の領域だ。何事も起きていなければ四月から山の上の方へ行く、いわゆ
る上級への研修が始まる所だろうが、師匠であるガントがこの状態では研修だってままな
らない。
「リオンもお前も、まだまだだからな」
 クロフォードはフッと笑うと、優雅に紅茶を口に運んだ。
 紅茶片手にフッと笑うクロフォードは様になっていて怖いくらいだ。知らない人が見た
ら、ナイトかどこぞの高貴な身分の者かと思うだろう。
 これだけ格好良くて実力も兼ね備えているというのだから、なんだか悔しい。
「ガウ、ガウガウ」
 狼の声にクロフォードがぴくりと眉を上げ、マリンにジト目で訴える。
「な、こいつなんて言った? 半分もわからねぇ」
 若干しょんぼりしてたマリンだったが、クロフォードの問いに慌てて答えた。
 ガントの言葉を唯一完全に理解できるマリンは、すっかり通訳の役目になっているのだ。
「えと、助かる、ありがとう、って」
「そうだな、恩に着ろよ? 約束だからな、お前達二人をちゃんとカヒュラの洞窟まで案
内してやる」
「洞窟まで、なの?」
「あの洞窟めんどくせぇんだよ。カヒュラは罠マニアだからな。それに呼ばれてるのはお
前達だ。俺様はお呼びでないんだよ。……、まぁ条件次第では一緒に行ってやらなくもな
いが?」
「条件……?」
「そうだな、俺様の速度についてこれたらってのはどうだ? 今日は夕方までに五合目の
山小屋まで行く予定だ。ま、お前が遅れてもガントはお前に合わせるだろうから、お前が
山小屋までの道を確実に覚えてないとしても、迷子になる心配は無いな」
 その言葉にマリンがぴくりと反応する。
 マリンはクロフォードと一緒に山へ行ったことが無い。
 だから、ナンバーワンのレンジャーの移動速度なんて、マリンには想像もつかなかった。
ガントと一緒の時でもガントは本気の速さで移動したりはしない。ガントは、「急ぐぞ」
と言いながらもいつもマリンにペースをあわせてくれていた。
「うわ、すっごい速そう……」
 余裕の表情のクロフォードとは真逆に、マリンの顔が強張る。
 だが、そのくらいの速さで山を進まないと、間に合わないのも事実だった。
「わ、解った。全力でついていく」
 真剣な表情でマリンは拳を握り締めた。
「こんぐらいでへばってちゃ、ガント元に戻せない気がするし。頑張る」
「お。無理だとでも言うかと思っていたが、うむ。いい覚悟だ」
 クロフォードはにやりと笑うと、足元に置いていた自分のバックパックをひょいと担ぎ、
愛用の剣を背負った。
「そこにあるのはお前達の荷物だろう?」
「うん、そうだよ」
 マリンはロビーの端に置いておいたバックパックとリュックを手にしてガントの傍でし
ゃがみこんだ。
「色々工夫してね、ガントの分はちゃんとガントが背負えるようにしたんだよ」
 マリンは狼の背にバックパックを架ける様に背負わせベルトで固定する。これならば、
急に戦闘が始まったとしても邪魔にならない。
「あ? 狼に荷物なんか要るのかよ」
 不思議そうにするクロフォードに、マリンはふるふると首を振った。
「流石に私一人じゃ持ちきれないもん。それに、私の荷物を持たせてるわけじゃないんだ
よ? ガントが元に戻った時、素っ裸じゃ困るでしょ? この中には食料とガントの服が
入ってるんだよ」
「なるほどね、準備万端って事か。じゃ、行くか? 御両人」
「了解!」
 マリンはクロフォードと拳をぶつけ合い、いつもより少し重いリュックを背負った。
 魔石の入ったポーチを確認して、装備に抜かりが無いか最終チェックを入れる。
 体が少し震えた。
 久しぶりに山に行くという事が、マリンの気持ちを昂ぶらせていたのだった。
 良く考えなくても冬明けの最初の山入りだ。自然といつもよりも気合が入ってしまう。
「いい表情だ。レンジャーらしくなったじゃないか、マリン」
「クロフォードにそう言ってもらえるとちょっと光栄だな。ね、ガント」
『だが油断するなよ』
「うん。了解」

 クロフォードは白いマントを翻らせて、『今昔亭』の扉を開く。
 時刻は六時半。
 昇った朝日が町の石畳を照らし、チークの町は清清しい空気に満ちていた。
(ちょっとの間……、こことはお別れかなぁ)
 不意に胸がきゅっと締まったように切なくなり、扉を出た所で足が止まる。
 いつものように二、三日不在にする訳ではなく、首都に出かける時のように一週間で戻
って来れるとも限らない、どうなるか見当もつかない旅が始まるのだ。
 マリンは顔を上げると、朝焼けに染められた『今昔亭』を振り返りながら目を細めた。
 ぱたんと閉じた『今昔亭』の扉。それを見ながら、マリンは少し目を伏せた。
 きゅっと、胸の奥が締まるような感覚。
 この寂しさにも似た感覚は、以前にも味わった事があった。

 師匠と喧嘩して、しばらくの間拠点としていた師匠の隠れ家を後にしたあの時と似てい
た。

 だが、あの時と違って、今回は帰ってくる場所があって、待っていてくれる仲間も居る。
 何より一人じゃない。愛する人が、常に傍に居るのだ。

 ほんの少し弱気になった自分に叱咤するように、マリンは自分の頬をぺしっと叩いた。

「マリン〜!」
 頭上から聞こえてきた優しい声に、マリンは顔を上げた。
 三階の角部屋の窓から、メディが顔を出して手を振っていた。今起きたところなのだろ
う。まだパジャマ姿の様だし、髪の毛はちょっと爆発気味だ。
「マリン、気をつけて行ってくるのよ〜!」
「メディ……」
 また胸の奥がきゅんとなって、ちょっぴり涙が出そうになる。
「帰ってきたら、またケーキ食べに行くわよ〜。いいわね〜?」
「もう、メディったら」
 マリンは目元をぐっと拭って、メディに向かって手を振り返した。 
「了解だよ! メディ、絶対行こうね!」
 山から吹いてくる少し冷たい春の風に髪の毛を躍らせて、マリンは叫んだ。
「マリン! 忘れ物だよ!」
「!?」
 不意に聞こえてきた威勢のいい声に、マリンはびくりと目を見開く。
 一階の食堂の窓が開き、女将が包みを片手に手を振っている。
 マリンは慌てて駆け寄ると、女将はマリンにその包みを手渡し、マリンの頭にぽんと手
を置いた。
「何泣きそうな顔してるんだい。ほら、サンドイッチ。今日は豪勢な具にしといたからね。
お昼ごはんを忘れて行くなんて、らしくないよ。さ、行っておいで。何ヶ月かかっても良
いから、ちゃんとここに戻ってくるんだよ。途中で諦めたり、死んだりしたら承知しない
からね?」
「やだもう! 絶対死んだりしないもん! 一応レンジャーだよ私! 泣く子も憧れる、
駄々っ子も黙る……!?」
 ふわりと優しい腕がマリンを抱きしめた。
 少し太めの女将さんの腕の中は、暖かくて美味しいにおいがする。
「旅の途中で疲れたり、近くに帰ってきたら戻っておいで。時々で良いから手紙で報告す
るんだよ」
「女将さん……」
 堪えていたものが一気にあふれ出しそうになって、マリンはきゅっと唇をかみ締める。
 ふと気がつくと、食堂の窓から、みんなが顔を出していた。
 いつの間にかゴードンやアシュレイ、ローラ、モースまでも、『今昔亭』の前に集まっ
て来ていた。
「なーにちんたらしてんだ、ほら、はやく行ってこい」
「気をつけてな」
「無理しちゃだめだよ、マリン」
「んだよ、泣いてんのか?」
 みんなが優しい声を掛けてくれる。見送りに来てくれた。
 マリンは『今昔亭』が、仲間達がいとおしく思えて仕方なかった。
 またここでみんなと仕事をする為にも、立ち止まってる訳にはいかないのだ。
「みんな! ……マリン、行ってきます!!」
 マリンは顔を上げて、拳を突き上げた。
 それはもう、いつもの顔のマリンだった。
 弾ける様な、おもいっきり笑顔のマリンがそこにいた。
「ガント、マリンを頼むよ。そんななりでも、師匠だからね」
 銀色の狼は女将の声に深く頷くと、マリンに出発を促した。
 マリンは首を縦に振ると、『今昔亭』に背を向けた。
「じゃね! ちゃんとばっちり戻ってくるからね!」  
 
 マリンはもう一度大きく手を振ると、山に向かって歩き出した。

「ごめんねクロフォード、待たせちゃって」
 何処か機嫌よさそうな足取りのナンバーワンに、マリンは謝ってみる。急いでいると言
うのにこんな風に別れを惜しんでた自分がちょっと恥ずかしい。
「なぁに、かまわねぇよ。その分、遅れた時間はさっさと歩いてもらうだけだ。なぁ、ガ
ント?」
「ガウ」
「うわう!? そうくるか!」
 言葉を交わしながら、町の石畳を進んでいくと、あっという間に町の出口に差し掛かり、
山へと続く『覚悟の道』に着いた。
 
 『覚悟の道』の向こうに見えるのは『迷いの森』だ。ドラゴンマウンテンの入り口とも
いえるあの森はいつもどおり暗く深い緑に覆われていた。

『で、リオンはさっき何と言ったんだ? 夢、聞いたんだろ?』
 先頭のクロフォードから少し離れた場所で、ガントが小さく問いかける。
「ふふ、あのね? 『レンジャーナンバーワンになる!』……ってさ! リオン、あれ超
本気だよ。私、応援しちゃう! ……そうよ。負けてらんないんだから!」
 マリンは気合を入れなおすと、少し先を行くクロフォードを追いかけ走った。
『そうか。クロフォードの次はアイツが継ぐのか。……なるほど、その為の弟子入り宣言
か。やるな、あいつも』
 ガントは小さく笑うと、マリンを追って走りだした。

 

 
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