☆桃兎の小説コーナー☆
(08.05.15更新)

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 レスは日記でしております〜。

 


 ドラゴンマウンテン 
  第17話
  それぞれの想い
 

 

       1

 ドラゴンマウンテンの麓の町チーク。
 町の中央を貫く大通りの東側に、町に唯一存在する教会がある。通常は教会といえば<
聖>の属性の神を崇める聖者イリニの広めたイリニ教の教会を指すのだが、チークの場合
は少し違っていた。ドラゴンマウンテンの麓にあるこの町は、古くから竜を奉ってきた。
その影響もあって、神父はイリニ教の信者だが教会は竜の存在を色々と取り込んだものに
なっており、他では少しあり得ない形態になっているのだった。それもコレも商売っ気の
強い神父ならではの発想だろう。リゾルートから、イリニ教の幹部が来た時だけきっちり
信者に戻るあたりがなんとも賢い、というか狡い。
 教会は町の中心に位置する噴水広場の前に立っておりいつも人で賑わっているのだが、
今日はいつも以上の賑わいを見せていた。
 町を守護し山を護る『今昔亭』のレンジャーの一人が、今日、結婚式を挙げるのだ。
 その式の主役のレンジャーの名はモース・カートン。
 御年四十四歳、レンジャー暦二十年の大ベテランだ。
 レンジャー暦も長く、町の人に親しまれているモースを祝おうと、町民達も集まってき
ていて教会の前は祭りの時のような賑わいになっていた。
 そんな外の賑わいを窓から眺めた後で、マリンは目線を室内へと向けた。
「……、なんか余裕だなぁ」
 教会の新郎控え室の椅子に座って紅茶を飲むモースを見て、マリンは少し驚いていた。
「なぁに、式自体は二回目なんだ。それより、なんで俺よりお前さんが緊張しているんだ
?」
 見透かされたような気分になって、マリンはどきりとなる。
 着慣れないレンジャーの白い正規服に身を包んでいるせいもある。ただ、それ以上に緊
張している理由があるのだった。
「や、えと、ほら! 結婚式に参加するの、初めてだからっ! やだな、自分が式挙げる
訳じゃないのに!」
 マリンは手を振りながら苦笑するものの、気分は張り詰めたままだ。
 そんなマリンをみて、白のタキシードに身を包んだモースが小さく笑う。
「そのうちお前たちも挙げるんだろう。今日は予行練習のつもりで見ていくと良いさ」
「う……うん」
 マリンは少し俯いて、こくんと頷いた。それにあわせて白いリボンで括られたポニーテ
ールがぷらんとゆれる。
「……ぁ」
 何かを言い出そうとしてマリンの唇が僅かに動く。だがそれは言葉にはならなかった。
 伏せ目がちに何か言いたげなマリンを見て、モースは小さく笑った。目の前に居る少女
が何を言おうとしているのか、なんとなく見当はついていたのだ。
 僅かに訪れる沈黙。
 中々勇気を出せないで居る少女に、オヤジは助け舟を出した。
「……で、新婦の世話をほっぽって、二人で話がしたいって何の用だ?」
 モースは杖をついて立ち上がると、俯くマリンの頭にぽんと手を載せてやさしく微笑む。
 ごつごつとした、荒い掌。
 その掌の感触に、マリンははっとなる。僅かに早くなる鼓動を抑えつつ、マリンは胸の
前で拳をぎゅっと握る。いつだって助けてくれていたこの掌を、いつまでも頼る訳にはい
かない。その為にも、こうやってわざわざ人払いをしてもらって改めて言いに来たのだ。
「え……えとね?」
 マリンはぎゅっと拳を握り締め、躊躇いがちに口を開いた。
「式の前に……、どうしても一言言いたかったんだ。本当は、こんな忙しい時に言うつも
りは無かったんだけど……」
「ん、なんだ、言ってみろ?」
 いつもと変わらないモースの笑顔。
 それを見て、マリンは意を決したように目を瞑った。

「おおお、お父さん! おめでとう! トリートと幸せになってよね! 絶対!!」
  
 ぎゅっと目をつぶって、マリンは自分の気持ちをすべて乗せて叫んだ。
 ほんの少し予想とは違ったその言葉を聞いて、モースは驚いた顔のままぴたりと止まる。
「ご、ごめん! どうしても……、その、一回でいいから、『お父さん』って、言いたか
ったんだ。モースさんは、その位、その……!」
 マリンは顔を真っ赤にして目をぎゅっと閉じた。  

 マリンの両親は十歳の時に死んでしまった。
 その後、マリンは魔法の師匠であるアークと旅をし、魔法学校へ行き、そして十五歳で
レンジャーになった。
 レンジャーになったばかりで右も左も分からないマリンを、影でさり気無く支えてくれ
たのはモースだった。見かけるたびに声をかけてくれたり、分かりやすく話しをしてくれ
たり、そんなモースの事がマリンは大好きだった。
 マリンはベテランのモースから厳しい指導を受けながらも、時折じゃれて甘えてみたり
愚痴をいってみたりとそれこそ父親のように思って接し、そして頼っていたのだ。

 そんなモースが結婚するのだ。
 明日から会うモースは、『道具屋の主』であり、『今昔亭』のレンジャーではないのだ。
 マリンは今までの気持ちの全てをこの一言に込めた。祝福も今までのお礼も、感謝も、
全部全部込めたつもりだ。
 実の父親でもない人に対してそう呼ぶのは、なんだか変だと思うし物凄く照れくさかっ
たが、マリンはどうしてもモースが結婚する前に『お父さん』と呼んでおきたかったのだ
った。
 マリンはそっと閉じた目を開けて、モースの表情を伺う。マリンの茶色の瞳に映ったそ
の顔は、優しい表情だった。嫌そうな表情でなかった事にとりあえずほっとして、マリン
はふぅと息を吐く。目の前で一喜一憂する少女を見て、モースの眉が下がる。
「……いや、改めて言われると、照れるな。そうか。ありがとう」
 モースは拳を突き出し、いつもの様ににっと笑った。
 マリンもあわてて拳を差し出し、その無骨な拳と重ね合わせる。
「こうしてレンジャーとして拳を交わすのも、今日が最後だ。明日からは唯の道具屋の主
だからな」
 そういって、モースはもう一度椅子に腰掛けた。
 先の事件で片足を失ったモースは、今日でレンジャーを引退する事になっていた。そし
て結婚式の翌日からは、新居を兼ねた道具屋に身を移すのだった。
「そだね。ちょっと、寂しいな」
 照れた顔のまま、マリンはすっと目を伏せる。
「なぁに。家は『今昔亭』の斜め向いだ。今度からは客としてきてくれればオーケーだ」
「うん! 遊びに行くよ! トリートとも約束したんだ!」
「トリート……、あいつはマリンのことを親友と思ってるみたいだからな。まぁ、隙を見
て話し相手になってやってくれ。なんせ……」
 そう言ってモースは苦笑しながら顎鬚を撫でる。
「結婚する相手が二十も違うジイ様だからな」
 それを聞いて、マリンがぷぅと噴出す。
「そんな心配要らないよ! トリート、モースさんにぞっこんだもん。もうね、この前も
ずっと聞かされたんだからー」
 トリートはどちらかというとクールな美人で、しかも女医だ。いつだって真面目で、仲
がよくなった今でもその言葉は崩れることなく丁寧なのだ。
 だが、どうもモースの事となると話が別らしく、唯の恋する二十四歳になってしまうの
様だった。
 先日もその事を延々話していたことを思い出してつい笑ってしまう。
 そんな雰囲気の中で、コンコンと扉をたたく音が響いた。
「マリンいるか? 花嫁が呼んでいたぞ?」
 ノックと共に控え室に入ってきたのは、『今昔亭』の女将の旦那、武器屋のケインズだ
った。
「あ、ケインズさん! わざわざありがとうございます! じゃ、モースさん! 式でね
ー!!」
「おうよ!」
 手を振りながら出て行くマリンに、モースも手を振って返す。
 式だから嬉しいのとはどこか違う喜びの表情のモースを見て、ケインズがふっと笑う。
「何話してたんだ?」
「他愛も無い話だ。可愛い娘がおめでとうっていってくれたんだ」
「そうか。よかったなぁ」
「おう、これで心残りなく『今昔亭』を去れるってもんだ」
 モースは窓の向こうを眺め、にっと笑った。
「……なぁ、空の上の娘も……」
「あぁ、同じ事言っただろうよ」
「ち、年食うと涙腺が緩むぜ」
「おうおう、今のうちに泣いとけよ。本番になって花嫁見て泣いたりするなよ?」
「るせぇ」
 窓の外の抜けるような青空を仰いで、ほんのり涙目になったオヤジはにぃっと笑った。

     2

「トリートどうしたのー? って、……うわぁっ!」
「マリン、どうかしら、私に似合ってるかしら?」

 そう言って新婦用の控え室でくるりと回るのは、モースの花嫁、トリートだった。
 窓から差し込む暖かい陽光に照らされた花嫁の姿をうっとりと眺めて、マリンはほうっ
とため息をついた。
「うん、すっごい。……綺麗」
 マリンの口からこぼれたのは、心の底からの本音だった。
 シンプルな白いウエディングドレスを身に纏った、青い髪の美しい女性。手には白い百
合の花で作られたブーケを持って、頭には美しいベールがかけられている。
 背はすらりと高くて肌は色白で、茶色の瞳に穏やかな光を湛えているその女性は正に幸
せな花嫁といった感じだった。
「ごめんねマリン。あなたに真っ先に見て欲しくって、つい呼びだしちゃった」
 少し申し訳なさそうにするトリートに、マリンは首を振る。
「ううん! 一足先に見せてくれるなんて嬉しいよ! うわぁ、モースさん、気合入れて
ドレス作らせたんだなぁ」
 純白の絹で織られた生地が、職人の丁寧な仕事でトリートの体にぴったり合うドレスに
仕上がっていた。
 シンプルながらも体のラインを美しく映すドレスは、本当に良く似合っている。
「彼、凄くそっけないのにね。ふふ、照れ屋なのよ」
 さり気無く惚気られて、マリンはにやりと笑う。二人の会話はいつもこんな感じだ。

 モースのあの事件から数ヶ月。
 トリートのモースへの想いを知ったマリンは、トリートと文通を始めたのだった。
 恋する乙女同士、二人はあっという間に仲良しになった。
 マリンは二人の仲介役として、モースにトリートの手紙を渡したり、近況を報告したり
と何かと動いてまわった。
 それは父親の様な存在のモースに幸せになってもらいたいという気持ちもあったが、何
よりトリートの熱い想いに動かされた所が大きかった。
 二十程離れた年の差も気にせず、モースの仕事に対する姿勢と優しさに惚れ込んだトリ
ートの想いは本物だった。
 たとえ一緒になれなくても、モースの傍でずっと支えていたい。
 それは自分の為に足を失った事への贖罪の気持ちもあったかもしれない。
 だがそれ以上に、トリートはモースという人物に惹かれていたのだった。
 そして、モースも満更ではなかったようで(むしろどう見ても喜んでいた)、今回結婚
という事になったのだった。
 マリンはこうして二人が無事に結婚するという事が、何よりも嬉しかったのだ。

「トリート、本当に素敵だよ……。ね、結婚してからも一緒にお話とか一杯しようね? 
私、出来ることなら何でもしちゃうよ!」
 満面の笑みで微笑むマリンを見て、トリートの目に涙が浮かぶ。
「マリン……ありがとう。嬉しい」
「あぁっ、何で泣くの!? ハンカチハンカチ!」
 マリンは慌ててポケットからハンカチを取り出し、トリートの目の辺りをぽんぽんと押
さえた。折角の化粧が落ちてしまっては、また一からやり直しだ。
「ごめんね、私、ずっと一人で旅をしてきたから。マリンの様な友達が出来て、支えてく
れる皆が居て…、そして彼と一緒になれる事が本当に嬉しくて。なんだか最近涙もろくな
っちゃった」
「私もトリートと友達になれて、ホントに嬉しいよ? トリートって物知りだから、色々
教えて助けてもらったりしてるし、それにガントの話もいっぱい聞いてくれるし」
「お互い様、ね」
 二人は顔を見合わせ、ふふっと笑う。知り合ってほんの数ヶ月しかたっていなかったが、
もう二人は親友と呼べる仲になっていた。
「あ、そうそう!」
 マリンが思い出したかのようにぽんと手を打つ。
「今日はレンジャー全員がお休み取れたからね! 無事全員参加だよ!」 
「本当!? 嬉しいわ! でも…」
 目を伏せるトリートに、マリンは首を傾げる。
「どしたの? トリート」
「ガントさん……の事」
 トリートは、目の前の明るい親友の恋人の事を思い出して少し心配してしまう。マリン
が明るい分、どこか無理をしてるんじゃないかとそう感じているのだった。
 彼女の恋人であるガントは、今、普通の状態ではないのだった。

 トリートがこの町に帰ってきた時、『今昔亭』に居たガントはトリートの知っているガ
ントではなかった。
 『今昔亭』のロビーで自分を元気よく迎え入れたマリンの横にぴたりと寄り添って居た
のは、あの体格のいい褐色の肌のレンジャーではなく、銀色に輝く大きな獣だった。
 三本の足でゆらりと立ち上がる獣に、トリートは驚いて思わず声を上げてしまった。
 マリンから「この狼、ガントだから大丈夫」と教えられて、トリートは初めてその獣が
狼なのだという事を知った。

 そして、その狼が、あの『ガント』だということも。

 そう。
 ガントは悪魔に呪いをかけられ狼に姿を変えられてしまった上に、右腕まで失ってしま
っていたのだった。
 トリートはその真実を目の当たりにした時、驚きとショックで言葉を失った。
 とても信じられなかったが、マリンが真面目にそう言うのだから冗談ではない事だけは
確かだ。銀色の毛並みと深い紺色の瞳だけが、その狼が唯一『彼』であることを示してい
たのだった。

「大丈夫! トリート、折角一生に一度の大イベントの日に、そんな顔しちゃだめだよ?」
「でも……」
「もう! それに、今ガントが外出る時は私が必ず一緒に居なきゃいけないでしょ? だ
から……最近はいつも一緒に居れて、実はちょっと嬉しいくらいなんだよ?」
 あくまでも明るく話すマリンが切なくて、トリートは目を細める。
「マリンったら……。そうね、今は一応『マリンが飼っている狼』って言う事になってい
るものね」
「うん、そうそう。今はガント一人じゃ町をうろつけないし、ね!」

 今のガントは、町の人達に対してはマリンの『飼い犬』ならぬ、『飼い狼』という事に
なっているのだった。
 それはガント本人の希望もあっての事だった。
 レンジャーにはそれぞれ数の差はあれどファンが居たりするのだが、ガントには子供の
ファンが多い。
 強くて大きなガントに憧れる子供達が、今のガントの姿を知ればショックを受けるだろ
う事は間違いなかった。
 そしてそれは、『レンジャー』そのものへのイメージダウンになってしまいかねない。
 レンジャーは町の子供達皆の憧れだ。
 レンジャーという仕事に誇りを持っているガントだからこそ、それは伏せておきたい事
だったのだ。
 そしてそれは、何時までもこの姿でいる気は無いというガントの決意でもあった。

 それに、見た目は大きな狼そのものなので、何も知らない冒険者が町に降りて来た魔物
と勘違いして斬りつけるとも限らない。
 故に、ガント一人では町をうろつけないし、町でも真実を知っているのはごく一部とい
う事になっているのだった。

「そうね。いつも一緒だものね」
 トリートは胸が締め付けられる思いで、マリンの手をとった。
「それに、すぐ元に戻してあげるつもりなのっ! だから、逆に狼の姿は今限定って事で
……むしろそのわんこな姿を楽しむ事に決めたんだ!」
「もう、マリンったら……!」
 一番つらいのはマリンのはずだ。
 だけど、目の前のマリンは笑顔だ。
「ほら、トリート、花嫁がそんな顔しちゃダメ! 笑って! ね?」
 マリンはにこっと笑って、トリートの手を握り返す。
 マリンの笑顔を見ているうちに、トリートの表情がほぐれ、つられて笑顔になる。
(……そうね。だめね、私ったら)
 マリンの笑顔は、何時だって明るい。その笑顔に悲壮感はこれっぽっちも無いのだ。
 悲しみに暮れる暇もないと言わんばかりに、しっかりと前をむいているのだった。
 トリートは再び笑顔になって、にこりと笑った。
「ふふ、結婚式、さすがに緊張しちゃうかも」
「二人が『ちゅー』する所、ばっちし見とくからねっ! もうね、脳裏に焼き付けちゃう」
「やだ、もう」
 頬を茜色に染めて、花嫁はぷぅとふくれてみせた。
 そんなトリートに対抗して、マリンも意味なくぷぅとふくれてみせる。
「……」
「……ぷふっ!」
 二人は同時に噴出し、お互いに笑顔になる。
 だが、マリンは部屋に架けてある時計を見てはっと表情を変えた。
「あ、時間だ! 私、礼拝堂の方に行かなくちゃ! レンジャーの皆で集まるんだった!」
「そうなの? マリン、急いで行ってきて、私の方の準備はもう大丈夫だから」
「ん、分かった! じゃ、本番でね!」
「えぇ!」
 マリンは元気よく手を振って控え室を出て行く。
「……式まであと一時間……」
 トリートはブーケを抱きしめて、そっと目をとじた。

     3

「ごめん! トリートの所に居たの!」
 教会の礼拝堂の一角に集まる白服の集団を見つけ、マリンは早足で歩いた。
「待ってたわ、マリーン!」
 礼拝堂に走ってきたマリンを真っ先に出迎えたのは、メディだった。
 金色の髪をふわふわと揺らしながら、おもいっきりマリンに抱きつく。
「むぎゅ、はぐっ」
 メディがマリンを抱きしめるのはいつものことだ。だがマリンはメディに抱きしめられ
る度に窒息の危機に晒されるのだった。豊かで張りのある大きな胸は白い革の服にはどう
にも窮屈らしく、パンパンに張っている。マリンがどう頑張っても手に入らなさそうなそ
の大きな胸に、顔がずずっと埋もれていく。
「ぐ、ぐ……!」
 マリンはどうにか白の世界から顔を脱出させ、ぷはぁと息を吐いた。
 そんなマリンをみて、ローラが小さく笑う。
「トリートを見てきたのだろう? どうだった?」
 紫の髪をお団子にひとつにまとめたローラは、凛々しい女騎士のようだ。そんなローラ
に見とれながらも、マリンはもう一度花嫁の衣装を思い浮かべる。真っ白なドレスが再び
脳裏に蘇り、マリンはほうと溜息をついた。 
「もうね! すっごく綺麗だったよ! 真っ白なドレスでね、長い裾に素敵なベール! 
トリート、すんごい眩しかった。うぅ、憧れちゃうー」
 トリートのドレス姿を思い浮かべて、マリンはうっとりモードに突入する。
「何いってんだい? あんた達もそのうちやるんだろうに」
 メディに抱きしめられたままのマリンの頭を、ふくよかな女性がぐりぐりと撫でる。
 『今昔亭』の女将、カンナだ。
 女将に撫でられたマリンは、きょとんとした顔で数秒考えた後で一気に顔を紅潮させた。
「そのうちって、や、やだ!! 女将さん!? うわあああああああっ!」
 真っ白のドレスに、ふんわりとしたベール。それを纏った自分と、そして隣には……。
 そんな風に、花嫁になった自分の姿を想像してマリンは真っ赤になってじたばたともが
いた。
「あぁん、マリン可愛い!! マリンが花嫁になる時は、私が全力でサポートするからね!
もう、ぜーんぶ手伝っちゃうからね!」
 テンションマックスでマリンを抱きしめるメディをフッと笑い、礼拝堂の長椅子に座っ
た金髪の男が涼やかな声でつっこんだ。

「ま、その為にはコイツを何とかしなきゃならんだろうがな」

 どこか優雅な姿勢で座ったまま、絵に描いたような美形の男が足元に丸まっている巨大
な毛玉をつついてにやりと笑う。つつかれた毛玉はぐるると低く唸って、大きな体をもそ
もそと動かして向き変えた。だが、声の主は毛玉をつつくのが楽しいのか、つつくのをや
めない。
「そんな事分かってるもん! クロフォード、ガントをつんつんしちゃダメー!」
 マリンは慌てて毛玉の元に走り出し、自分とさほど変わらない大きさの毛玉をぎゅっと
抱きしめた。それに反応して、毛玉からぴんと獣の耳が現われる。
 ふさふさのしっぽに威厳のある鬣。ピンと立った耳に、鋭い野生の眼差し。
 毛玉の正体は、一メートルをゆうに超える大型の狼だった。
 後ろ足で立ち上がればマリンと同じほどの大きさであろう狼は、銀色の毛で覆われた長
いしっぽを左右に振りながら、マリンの頬にすっと顔を寄せた。 
「ただいまー、ガント」
「ガウ」
 狼は低く答え、擦り寄るマリンに目を細める。
 そんな二人を見て、茶髪のレンジャーがぽんと手をたたく。
「そういやマリン、いつ山へ出発するんや? カヒュラんとこ行くとかどうとかのやつ」
「えと……、結婚式終わって、……気持ちが固まってから、かな?」
 そんなアレイスとマリンの会話を聞いて、その横に立っていたリオンが顔を突っ込む。
「明日とか言うなよー? 今皆と話してたんだけどな、二次会、絶対朝までになるって。
折角だから、めいっぱい祝って、めいっぱい騒ごうぜっ!」
 拳を突き上げるリオンの頭にぽんと手を置いて、長身のアシュレイがふふっと笑う。
「そうだね。レンジャー全員が揃って騒ぐなんて、早々無いからね」
 そんな中、クロフォードだけが少し真面目な顔でガントをじっと見ていた。
「っていうかだな、狼なのは兎も角、片腕が無い状態で……山に行けるのか? ガント」
 マリンに寄り添う狼を覗き込み、クロフォードが尋ねる。
 目の前居る狼の足は三本だけだ。普段歩いているのを見ても、少しふらついていて危な
っかしいのだ。
 だが、片腕を失った狼は「大丈夫だ」と言わんばかりに深く頷いたのだった。
「実はね、この姿に変えられてからこの数週間、ずっと特訓してたんだよね!」
「特訓……? なにしてたの? マリン」
 胸を張るマリンに、メディが興味深そうに首を傾げる。
「ガント、皆を安心させたいし、披露しちゃう?」
「グルル」
 ガントは「問題ない」と返事をすると、マリンの頬に鼻先を寄せた。
 マリンもガントの鼻先に自分の鼻をこつんと当てて、にこりと笑う。
「じゃ、アレ、とってくるね!」
 マリンはそう言うと勢いよく立ち上がり、教会の外へと走っていった。


 マリンの居なくなった礼拝堂で、クロフォードがガントの顔を見てニヤリと笑う。
それに気付いたガントは、微妙に嫌そうな顔をして床に伏せた。こういう笑い方をする時
のクロフォードは、絶対に何かからかってくるのだ。
「……な、ガント。お前、その姿になってからえらく堂々とマリンといちゃつくようにな
ったよな? なぁ?」
 やっぱりきたと言わんばかりに狼はぷいっと顔を背けて、つつこうと迫るクロフォード
の手を長い尻尾で払った。
「そういわれればそうだねぇ。見た目じゃマリンと大きな犬がじゃれてるようにしか見え
ないから気にしてなかったけど……、やだねぇ〜、ガント?」
 女将がからかう様にニヤニヤと笑う。
「なるほどなぁ! という事は今我々の目の前ではガントとマリンが頬を寄せ合っていた
という事になるのか! そりゃ大胆だな!」
 大柄な体に合わせた特注の正規服のマントを揺らしながら、ゴードンも楽しげに笑って
いる。
 照れた様にそっぽを向く狼を覗き込んで、頬に手をあてたメディが目を細めてガントに
囁いた。
「ね、ガント。まさか、その姿でマリンに手を出したりしないわよねぇ? いくらなんで
も人の道を踏み外すわよ?」
 メディの一言にガントは毛をぶわっと逆立て目を見開き、同時に皆が一斉に噴き出す。
「うっわ、確かにそれはねぇな……、可哀想だが……ガント、ま、耐えろ?」
「ガウガウガウガウ!」
「それは可哀想だがなぁ! ま、その分旅の中ではマリンをしっかり護ってやれよ!」
「ガウ」
「いいじゃねぇか、そのままやっちまえ! 姿は違えどてめぇの中身は一緒だろ?」
「ガウガウガウガウガウ!」
「はははははっ!」
 ガントは反論するように吠えたが、やはり皆大笑いだ。

「な、なに吠えてるの? ガント」
 再び教会に戻ってきたマリンの声にビクリとなり、ガントが再び毛を逆立てる。その驚
きっぷりがおかしくて、クロフォード達は噴出しそうになる。
「な、なんでもねぇよ、なぁ、ガント?」
「うんうん、なんにもないよ、ぷぷ……」
 クロフォードと女将が必死に笑いを堪えながら、首を振る。
「ふふふ。で、なぁに? 特訓の成果って」
 ガントの元にしゃがみ込むマリンにメディが問いかけると、マリンはすっと手を差し出
して、その上に乗っている物を皆に見せた。
「ふふ、これだよ」

 それは深い赤い色をした、神秘的とも言うべき”気”に覆われた物だった。
 ドラゴンマウンテンの竜の四天王である偉大なシルバードラゴンからガントが直接貰い
受けた神器、それはドラゴンガントレットだった。

 ドラゴンガントレットは、主が近くに居る事が分かるのかマリンの掌の上で低く共鳴し
てブゥンと音を立てる。
 狼はすっと立ち上がり、「いつでも大丈夫だ」と言う様にマリンに向かって小さく頷い
た。狼の表情には先ほどまでのゆるんだ雰囲気は一切無くなり、その変化にクロフォード
の表情も自然と真剣なものになる。
 マリンはガントレットを片手に持ち、腕を失ったガントの右肩の部分にそっとあてがう
と、それと同時に狼は目を閉じ力強く念じた。
「!?」

 瞬間、ガントレットがグニャリと撓み、一気にその形を変えた。

 鎧のように重なり合った部分がすらりと伸び、手の甲を覆う部分がするすると足先を模
した形に変形していく。切り落とされずに残った右肩の部分をがっちりと包み込み、ガン
トレットは見事に狼の足を模した鎧状の物へと姿を変えたのだった。
 銀色の狼に、金属で出来た深紅の右足。
 さらにガントは感触を確かめるように、カツ、カツと歩いて見せる。
 装備されたガントレットは、まるで本来の足のように滑らかに動いていた。
 それを見たレンジャー達は思わず息を呑んだ。
「……、まじかいな」
「足みたいに……、動いてるわよ?」
 本来只の金属の塊である筈のガントレットが、元々あったの手足の様に動いているのだ。
 驚く皆を見て、マリンがふふっと笑う。
「これ、此処までになるの、結構大変たんだよ?」
 マリンは銀色の狼を抱き寄せると、立派な鬣にもそりと顔を埋める。
「ドラゴンガントレットはね、ガントレットの質量分の範囲なら持ち主の意思で姿を変え
れる防具なんだ。それで私、考えたの。ガントの『腕』になるかもしれないって。足の形
に変化させるのはすぐに出来たんだ。でも大変なのは、そこから」
 小さく呟き、不意に表情を曇らせるマリンにガントはすっと顔を寄せ鼻先を頬に当てる。
 マリンはくすぐったそうに小さく笑うと、話を続けた。
「動かすとなったら常に意思を飛ばしながらになるから、少しでも油断すると只の手甲の
姿に戻っちゃうの。しかも狼の足の動きでないといけない。凄いんだよ、ガント。たった
数週間で、もう殆ど無意識で『足』として動かせるようになったんだから!」
 笑顔。だが、その表情はどこか切ないものだった。

     4

『ガントレットを……、義足に?』
 銀色の毛をブラッシングしながらマリンが何気なく言った一言に、ガントは驚いて目を
見開いた。
「うん、あれ、変形するでしょ? もしかしたら……、いけるかなって! 今閃いた〜」
 寝室の机の上に置かれた深紅のガントレット。
 もう、暫くの間使う事も無いだろうと思っていた防具の意外な使用法の提案に、ガント
はただ驚いていた。
『良く……思いついたな……』
「えへへー。上手くいきそうでしょ。でも……アレ変えるのって強く念じなきゃいけない
んだよね? うーん、何だか凄く大変そうだけど……」
 目を伏せて困った顔をするマリンだったが、狼の表情はむしろ明るくなっていた。
 ガントは姿を変えられて以来触れていなかったガントレットを見て、深く頷く。

 片腕を失った事は、ガントにとって大きな衝撃だった。
 姿を変えられた事よりも、そのショックの方が大きかったかもしれない。
 狼の姿は、ガントにとっては呪いによって変えられたあくまでも仮の姿だ。呪いを解く
方法を見つけ出し、再び人の姿となってマリンの傍に立つ事は可能だと信じているのだっ
た。
 だが、腕は違う。
 失った腕は、再び再生したりはしないのだ。
 そういう事が出来る魔法がある事は知っている。だが、それは王族など一部の上流階級
の者しか受けることの出来ないほど、金も手間もかかるいわゆる魔法の中でも秘儀と言わ
れる部類だ。しかも、傷を受けて直ぐにその処置を施さないと、再生は出来ないと言われ
ている。
 男の右腕は、少女を抱きしめ、護るためにあったあの腕は、二度と戻らないのだ。
 腕を悪魔に切り落とされた、その時。 
 腕を斬られた痛みよりも、マリンを両手に抱く事が出来なくなった事の方が、ガントに
とっては大きな衝撃として響いたのだった。
 
 だが、目の前の少女の何気ない提案で男の心に光が差した。
(再び、戦える……両手で抱きしめてやれる、受け止めてやれるかもしれない)
 このガントレットを変形させ狼の足の代用として使えたら、山へ行っても十分に戦える
かもしれない。人に戻った時、それを人の腕の代わりにも出来るかもしれない。

 たとえ、その腕が冷たい金属の物だとしても。
 
『やってみよう。手伝ってくれ、マリン』
「うん!」
 マリンはブラシをその場に置いて、隣の寝室へと急いだ。

 ガントは、ガントレットを只の義足にするつもりは無かった。
 念じれば姿を変える、それすら利用して『本物の足』として使う気だった。
 それから二週間は、ひたすら『狼の足』という形を確実にする訓練と、『狼の足』とし
て動かす訓練が続いた。
 元々は人間だった体だ。
 狼の姿にすら慣れていないのに、その足の動きを正確に指示するのは至難の業だ。
 ましてや、戦いの場において、いちいち足の動きを念じているようでは到底戦えないの
で、どうしても、無意識でそれを動かす領域にまで行く必要があるのだ。
 三月の終わりには完全に雪がとけ、マリンが山に行けるようになる。
 人の姿に戻る為には、戦えなければならない。
 更に一週間、ガントはひたすら一人で戦い続けた。
 マリンは、そんなガントをずっと見守っていたのだった。


 女将達は、無意識のうちに出てしまったであろうマリンの切ない表情に気付き、表情を
曇らせる。
 そんなマリンに、銀色の狼は優しく声をかけた。

『大丈夫だ、ほら、そんな顔をするな』

 マリンの脳に直接響く、低い声。 
 マリンの左手首に刻まれた刻印――アニマルバングルが、狼であるガントの言葉を直接
脳に翻訳しているからこそ聞こえる声に、マリンはふと顔を上げる。
 他の者からすれば、それは只の獣の声に聞こえただろう。
 だが、直接マリンの脳に響いてくるのは、あの聞きなれた低く優しい声だった。
 その声は、マリンにとってガントが人であった事の何よりの証拠であったし、無意識に
沈む心をすっと浮かび上がらせてくれるものだった。
『女将達が心配してるだろ、ほら』
 ガントの声にはっとなって、マリンは顔を上げると、ガントの言うとおり女将が気遣う
様な表情でマリンを見ていた。
「わわ、えっとね!」
 マリンは慌てて、すっと立ち上がる。
「あ、あのね女将さん! こういう訳で、もうすっかり大丈夫なの! だから、ガントは
山に行っても何の問題も無いんだよ!? ……えと!」
 皆に必死に訴えかけるマリンを見て、女将は小さく笑った。
 何時だってこの娘は、こうやって一生懸命なのだ。
「そういう事なら心配要らないねぇ」
「だな。一緒に山に行って足手まといになるのは、こいつのプライドが許さないだろうか
らな。なぁ?」
 クロフォードがにやりと笑って、ちらりとガントを見る。
 クロフォードの言った事が正解だったのか、ガントは尾を軽く振ってそれに答えた。
「よかったねガント! これでモースさんの式の本番も、山へ行くのも全然問題ないよ!」
 ぱあっと笑うマリンを見て、狼の表情も緩む。

「パパーっ!」

 明るい子供達の声が教会の向こうから聞こえてきた次の瞬間、バンと扉が開く。その声
に反応して、ゴードンが勢い良く振り返った。
「おぉっ! どこに行ってたんだ、パパは探してたんだぞ? あれほどココに居なさいっ
て言っただろうが」
 真っ白なそろいのふわふわのドレスを身にまとった少女達が、一斉にゴードンに抱きつ
いてそれぞれ父親に甘えていた。
 教会に入ってきたのは、ゴードンの自慢の三人娘だった。
 上から七歳、五歳、三歳で、ふわふわの金髪に薄い緑の瞳をきらきらと輝かせるその様
は、まさに天使のそれだ。
「やっぱり母親似だよな」
「せやな。間違いないわ」
 輝かんばかりの笑顔の三人を見て、リオンとアレイスがボソリと呟く。ゴードンの厳つ
い顔からは想像できないほど娘達は可愛い顔をしているし、動くたびにゆれる髪は彼の黒
い剛毛とは真反対だ。唯一ゴードンとそっくりなのは、その薄い緑の瞳ぐらいだろう。
 ゴードンは入ってきた三人の女の子をそれぞれ抱きしめながらメッと怒るものの、その
表情はゆるく、とても怒っているようには見えない。どこから見ても『いかにもな戦士』
な感じのゴードンだったが、その娘達の前では唯の親バカだ。そして、本人もそれは認め
る所なのだ。
「これはこれは、愛らしい天使の登場だね」
 三人の声に反応してクロフォードはすぐさまいい顔になって娘達に微笑みかけた。
 どんな女性の心もきゅんとさせてしまいそうな綺麗な顔立ちのクロフォードに、マリン
とメディは同時にやれやれと首を振った。
「出た、クロフォードのキメ顔。……確かにかっこいいよね。そりゃちっちゃな子も見と
れちゃう……か」
「一番上のお嬢ちゃんがクロフォードのファンなのよね。それにしても、小さな子供にも
そんな全力でキメる訳? はぁ、全く」
「何言ってるんだメディ。当然だろ。俺様を応援してくれるなら、小さくてもレディだぜ」
 クロフォードはいつもどおり自信に満ちた笑顔でふふんと笑う。
 あきれる女性陣をよそに、長女のエレナが遠慮がちにクロフォードの隣に座って、その
服の裾を握る。 
「クロ様! エレナの事、……覚えてる?」
「当然だ、レディ」
 クロフォードはエレナの小さな手をとると、その手に軽くキスをし微笑みかける。淀み
のない完璧なまでの一連の動作は、まさに王子様かナイトを思わせるほど様になっている
から恐ろしい。小さな姫君は頬を真っ赤に染めて目の前の王子に見とれていた。そんな姉
の様子を見て、次女のナナリが目を細める。
「お姉ちゃんは、『クロ様』のお嫁さんになりたいんだよね」
 ナナリの『お嫁さん』という単語に反応して、三女がゴードンのマントを引っ張った。 
「あたちは、ぱぱのお嫁さんになるー、なるのー!」
「リラはパパと結婚するのか! そりゃ楽しみだ!」
 ゴードンは愛しの末娘を抱きしめ、満足げだ。
 だが、その末娘の靴が片方無い事に気づいてゴードンは首を傾げる。
「リラ、靴はどうしたんだ?」
 困った顔の末の妹をフォローするように、慌ててナナリが説明を始める。
「あのね、さっきお外でパパごっこしてたらね、リラがこけてね、靴ぽーんってとんでい
っちゃったの。町のお外の山へ向かう道へとんでったから、そのまま帰ってきたの。あっ
ちは竜の山へ続く道だから、行っちゃだめでしょ?」
「いっちゃだめでしょ? じゃないだろう! お前達はそんな所でレンジャーごっこなど
と遊んでたのか! ……うむむ、言っても聞かないんだから困ったもんだ。ドレスを着た
時くらいお転婆は控えろ! ……仕方ない。取りに……」
「あ、ゴードンさん、私行ってくるよ!」
 マリンはすっと立ち上がると、叱られてへこむ三姉妹に微笑んだ。上に羽織っているマ
ントを外しガントの背中にふわりと乗せマリンは礼拝堂の扉に手をかけた。
「いや、でもだな」
 引き止めるゴードンの声に、マリンはくすくすと笑う。
「ゴードンさんは娘さん達に、天使役の指導しなきゃ、でしょ?」
 今日、三姉妹が綺麗なドレスを着せられているのには理由があった。新郎新婦を祝い、
補助する天使の役をするからだった。
「ごめんなさい、マリンちゃん」
 クロフォードの手を握ったまま申し訳なさそうにするエレナに、マリンはにこりと笑う。 
「大丈夫だよ、エレナちゃん。すぐに見つけて帰ってくるから。そのかわり、パパにちゃ
んと天使の役目を教わっといてね」
 エレナはこくんと頷き、それに答えてリラもはいっと手を上げる。
「わるいな、じゃあ頼んだぞ、マリン」
「まかせてっ! ガントもココで待ってて! マント、預かっててね!」
『おう』
 そう言うとマリンは勢い良く教会を飛び出した。
「……この、お転婆娘達めっ!」
「「「ゴメンナサイ!」」」
 父親に一喝され、少女達がびくりとなる。
「……よし、行くぞ! マリンに笑われんように、練習だ!」
「はーい!」
 ゴードンは三姉妹を引き連れ、祭壇の方へと歩いていく。
「……、今、声ごっつ怖かったけど、顔は怖なかったよな」
「いいんじゃねぇの? ちびっ子達はちゃんと悪い事したの反省してたみたいだし」
「ふふ、あんな可愛い子供達だから、しょうがないんじゃない?」
 祭壇の近くで父の指示に従う天使の様な子供達を見て、メディが小さく笑った。 

     5

 町を中央の大通りをそのまま北へと走る。
(うわ、今日は町の北側、本当に誰も居ないや……)
 町の北側は主に商業スペースになっており、通りに沿って武器屋や道具屋、宿屋などが
並んでいる。今日はモースの結婚式という事も会って、その辺のつながりのある店は、ほ
とんど店を閉めていた。人が住んでいるスペースはほとんどが南側なので北側は本当に人
気が無く、昼間だというのにしんとしていた。
 いつもは冒険者達で賑わう通りだったが、まだ雪が解けて間もないのでその人影も無い。
 程なくして町の出口に差し掛かり、目の前の風景は両端が森に囲まれた山への道へと変
わる。
 ドラゴンマウンテンを覆うように取り囲む、迷いの森とは違う明るい森。
 その森は明るい雰囲気に反して、人は誰も中に入る事を許されない竜の結界の森だった。
 唯一その森が割れてドラゴンマウンテンへ向かうことの出来るのが、このチークからの
びる道だった。
 旅の者達には『覚悟の道』と呼ばれるその道は、馬車が通れるほどの広さがある。
「……と、赤い革の靴、だよね。あんまり遠くに行ってないと良いんだけど……」
 森の結界に弾かれる寸前の道の脇の草むらを覗き込みながら、マリンは小さな靴を探す。
「あれ、無いなぁ。町の出口のあたりだから……そんなに遠くにはいってないと思ったん
だけどな」
 こけた拍子に飛んでいったのだからそんなに遠くにある筈がないのだが、なかなか靴は
見つからない。
 ごそごそと探しまわって、気がつくと山の入り口――迷いの森の所まで来てしまってい
た。
「ありゃ、見つかんない。困ったなぁ……魔法、使いたくないしなぁ」
 迷いの森を前にして、マリンは首を傾げる。
 魔法のサーチで探せばすぐなのだろうが、先の悪魔との戦いで無理をしたのを考慮して
今は『魔法を使わない期間』と決めているのでそれも出来ない。
 むーっと眉を寄せるマリンの目の端に、森の入り口の木の根元に赤いものが映る。
「あ、あれかなっ! ……っ!?」
 手を伸ばそうとしたマリンは、慌てて手を引っ込めてばっと後ろに飛んで距離をあける。
 表情は一気に戦う少女のものとなっていた。
 感覚を研ぎ澄まし、マリンはあたりを探る。
「一、二……もっと複数、こんな町の近くにモンスターが降りてきたの……?」
 じりじりと迫る圧力を感じながら、マリンはすっと構える。
 正規服のロングベストが山風になびき、それを合図にしたように一斉に草むらから何か
が飛び出す。
「服、汚したくないんだけどっ!」
 複数の飛び掛る影を蹴り飛ばし、マリンはモンスターから少し離れる。
(軽い……いのししじゃないっ)
 マリンに蹴り飛ばされた魔物が木にぶつかりギャンッと啼いて、しばらくして再びゆっ
くりと起き上がる。
 口元に鋭い牙を覗かせるその魔物は、透き通るような水色の毛並みを揺らしマリンを取
り囲んだ。
「水色……、うわっ、うそっ! スノーウルフ……!?」
 本来こんな所に居るはずの無い魔物の出現に、マリンは目を見開いた。

     6

「何だってこんな時期に降りてくんのよ! もう春じゃない!」
 森の向こうに見える複数の影を見て、マリンが声を上げる。

 スノーウルフは、本来イエティなどと同じでドラゴンマウンテンの向こう、『連なる山
々』に生息している魔狼だ。
 普通の狼よりも高い知能を持ち、人を恐れず、冷気のブレスを使う恐ろしい獣だ。
 だがレンジャー達にとって、単体の雪狼はさほど危険な存在ではない。しかし。狼は群
れで生きる獣だ。狼の群れはウルフパックという恐ろしい攻撃を仕掛けてくる。多数で標
的を囲み、それぞれがかわるがわる攻撃してくるのだ。 

 複数の狼に囲まれたこの状況は、まさに雪狼の格好の標的といったところか。
『俺達だって麓に用などないと言うのに。マリンという娘を探して降りてきたんだ、全く、
竜は人使いが……』
 脳に直接響くその声に、マリンは振り返る。
 いつも間にか背後には、冷気を放つ大きめのスノーウルフが居た。
 明らかにリーダー格のその狼は、口から冷気を漏らしぐるぐると唸って、いやぼやいて
いる。
 マリンは一瞬自分が呼ばれたような気がして、その狼に話しかけた。
「えと、今、マリンって言った?」
『そうだが……って、なんだこの人間、言葉が分かるのか? 獣人か?』
 雪狼は少し驚いたように目を見開き、涼やかな声で話しかけた。
「ううん、違うの、マジックアイテムのおかげなんだけど……、んで、私がマリン……」
『なんだと!?』
『これがカヒュラの言っていた……』
『なるほど。蹴りが重いわけだ』
 一斉に会話を始める雪狼達に、マリンはおろおろとしてそれぞれを見回す。
 だが、それを遮る様にリーダー格の雪狼がマリンを軽く飛び越え唸り、森に隠れる仲間
直ぐに黙らせた。
「跳んだ……!」
 並ならぬ跳躍力にマリンは息を呑む。明らかに他の雪狼とは能力が一段違うその雪狼は
マリンに向き直ると再び話し出した。
『ならばマリンよ。伝言だ。直ぐに山へと、お前の男とカヒュラの元へ行くがよい。お前
達に何が起きたのか、竜は知っている』
「カヒュラ……の元へ、今すぐ!? ちょ、ちょっと待って、せめて明日まで……っ」
『四日後の満月までにそこに来い、と。それ以降だと話が変わる』
「え、って事は、明日出発する事になると、たった三日でたどり着かなきゃいけない……
って事!?」
『お前にその力があるのなら、そうすればいい。俺達は唯の伝令だ』

『なるほどな、少し強引に行けば、行けないことも無いだろう。さっさと帰って式に参加
するぞ』

 不意に背後から聞こえてきた低い声に、マリンの心臓がドクンと鳴る。
「が、ガント!?」
 やはり背後に居たのは銀色の狼だった。
 狼はあたりの気配をチラリと探り、雪狼に向かって牙を剥いて牽制し、マリンの元へと
歩み寄った。
『遅いから見に来たんだ。今日は人が固まっているからな。人の居ない道を選んで来たん
だ。全く、何をしているかと思えば……っ!?』
 瞬間、ガントの首元に雪狼の牙が輝いた。ガントは深紅の右足を鳴らして飛び上がりそ
の一撃をぎりぎりのタイミングでかわす。
「ちょ、リーダーさん!?」
 先ほどまで比較的穏やかな表情だった筈の雪狼は、鋭い獣の表情に変わり、でガントを
睨みつけていた。縄張り意識の、そして同属に対する対抗心の強いスノーウルフの本性を
剥き出しにして、ぐるぐると唸っている。
『お前が獣人か。いや、今は我々の同属か。面白い、勝負だ』
『いい力試しになるな。受けよう』
「ちょ、二人ともっ!?」
『マリン、離れてろ。直ぐに終わらせる』
『その通りだ、一瞬でかたがつく。いつの間に狼の流儀を学んだ?』 
「ええええええ!?」
 戸惑うマリンをよそに、雪狼のリーダーと銀色の狼の一騎打ちが始まった。
 
 雪狼は唸りを上げ、牙をむきながらガントめがけて走った。
「ガウッ!」
 水色に輝くえり毛を逆立て、尾を上向きにしながらガントの首を正確に狙う。
「ガフッ」
 だが、その口はまたも宙を食らっただけだった。剥き出しになった牙の隙間から、冷気
が漏れる。次の瞬間、横にかわしたガントに向かって、雪狼は冷気のブレスを吐いた。ガ
ントは再び地面を蹴り上げ宙に舞いそれをかわしたが、僅かに尾の先が凍りつき、その毛
が空中で砕けた。
「ガッ」
 空中に舞うガントを追う様に、雪狼は再びガントを狙い口を開けた。
『生憎唯の狼じゃないのでな』
 深紅の右足が姿を変え、刃のようになって雪狼めがけて伸びた。予想外の攻撃に、雪狼
はそのまま体勢を崩し地面に叩きつけられた。
「……ガントっ」
 次の瞬間マリンの目に飛び込んできた光景は、雪狼を足で押さえつけ、のど元に牙を立
てる銀色の狼の姿だった。
『なるほど、我が群れはお前に、お前の主であるマリンに従おう』
『そうか』
 ガントはそう一言言うと、マリンの傍に座りふぅと息を吐いた。
『こんなもんだな』
「う、うん。ガントやっぱ凄い」
『このガントレットと……お前のおかげだ』
「え、私!?」
 一人と一匹のやり取りを見ていた雪狼はすっと立ち上がり、二人の会話が終わるのを確
認してから問いかけた。
『……、それで今すぐに山に来るのか?』
 その問いに銀色の狼が答えた。
『明日、行く』
『了解だ』
 そういうと、リーダーはマリン達に伏せて見せ、後から仲間の狼達が姿を現しそれに習
うように伏せた。総勢、七匹の群れだった。
「わわ、顔上げてよ!」
『そういう訳にも行かない』
 頑なな表情のリーダーにマリンは戸惑ったが、ガントに鼻先でお尻を突付かれてはっと
なった。
「そうだ! 結婚式!」
『急げ。で、靴は見つかったのか?』
「それが……!」
「ガウッ!」
 一匹の小さめの雪狼が前に出て、口に咥えた靴を差し出す。
『それはさっき飛んできた物だ。飛ばした人の子達がレンジャーがどうとか言っていたか
ら、預かってた。持っていれば、レンジャーの誰かに会えると思ったのでな』
「あ、ありがと! ……、でも私以外が来たら退治されたかもよ?」
 マリンは冷気で冷えた靴を受けとり、眉を寄せた。
『レンジャーは害が無いと分かれば無駄な殺しはしない筈だ。……お前に襲い掛かったの
はお前が逃げて誰かレンジャーを呼んでくると思ったんでな。だから、我々は傷一つ負わ
さなかった筈だ。……まさか、こんな少女がその本人だとは思わなかったのでな』
「えぇ!? うわぁん、コレ、レンジャーの正規服なのにー!」
 軽くショックを受けるマリンの尻を再び狼の鼻が突付く。
「わぁあっ、本気で間に合わなくなっちゃう!」
 マリンはくるりと町の方に向きなおし、数歩進んだところで再び狼達に振り返り、叫ん
だ。
「えと、狼のリーダーさん! 名前は?」
『……グラースだ』
「グラース、じゃ、明日またね! 伝言ありがとね! うし、全力で行こう、ガント!」
「ガウ」
 一人と一匹は風の様に走り去り、雪狼の群れは唯それを見送っていた。

     8

「マリン、遅かったな!」
 礼拝堂の扉を開けたマリンに、三女のリラを抱えたゴードンが駆け寄った。
 すでに礼拝堂の中の長椅子には祝福に来た町の住人達が座っており、直ぐにでも式が始
まりそうな状態になっていた。
「うん、ごめんね。スノーウルフがいたの」
「な、スノーフルフ!?」
 ゴードンが声を上げると周りの住人達がざわつき、前の方に居たレンジャー達も一斉に
振り返った。
「あ、だ、大丈夫! 襲ったりはしないから!」
 慌てて手を振って釈明するマリンを見て、町人の一人がぽろりとこぼす。
「おや、マリンがまた狼を手なづけたのか?」
「戦士だとばかり思っていたが、何だ、ビーストテイマー(魔獣使い)だったのか」
「マリンは狼の長になるのか? はっはっは!」
「ち、違、私は……!!」
 訂正しようとするマリンに、奥から現れた神父が鐘を一度鳴らした。
「さ、式を始めよう。皆、着席してくれ」
「うぅ……どんどん誤解されてくよぅ、魔法使いなのに……」
『諦めろ。さ、席に着こう』
 マリンは少ししょんぼりしながら、最前列の一番壁際の席に座る。
「マリン、リボン歪んでるわ」
「あ、ありがとメディ」
 隣のメディにリボンを縛りなおしてもらった所で、オルガンの音色が教会に響いた。

 穏やかなオルガンの音色に会わせて、祭壇の両端の入り口から、それぞれ新郎と新婦が
現れ、一歩一歩、徐々に近づいていく。新婦のベールの裾を持つのは次女のナナリだ。
 可愛い天使を引き連れて、トリートはモースへと一歩一歩近づいていく。
 モースの杖の音とオルガンだけが教会に響き、それがやんだ時、二人は祭壇の前に立っ
て居た。
「……トリート、後悔は無いな?」
 モースのその小さな問いに、トリートは小さく頷いた。

「汝モースは、この女トリートを妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病
める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、
妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
 神父の問いに、モースは穏やかに「誓います」と答えた。
 神父は続いてトリートに向きなおし、同じように問いかけた。
 その問いかけにトリートは少し間を置いて、すっと息を吸った。
「はい、誓います」
「では、指輪を交換し、誓いのキスを……」
 祭壇の奥から指輪を乗せた箱を抱えて、長女のエレナがてくてくと二人の元へと向かっ
ていく。だが、ちらりと視線をそらせたのがいけなかった。
「きゃん……!」
 長いトリートのベールを踏んづけてしまい、エレナが派手に転んだのだ。
「……あぶないっ!」
 エレナの手から離れた指輪を入れた宝石箱が宙に浮かんだ。
 モースは杖から手を離し、手を伸ばした。一瞬、視線がトリートに注がれる。トリート
はこくんと頷き、モースとは逆の方向に手を伸ばした。
 モースは一本の足ゆえに倒れこみながら、それをキャッチした。
「……、ふう、間に合った」
 モースの両手には転んだエレナが収まっていた。エレナの目線の先には先の尖った祭壇
の飾りがあった。ものまま転んでいたら間違いなく額を切っていただろう。
「この勢いで転んだら、怪我するからなぁ」
「……そうね」
 トリートの手には宝石箱。
 思わぬ連係プレーに、一気に教会が盛り上がる。
「やるねぇ、お二人さん!」
「さすが歴戦のレンジャーだ! 足を失っても、早いね!」
 先ほどまでの神聖な雰囲気とは真反対になってしまった式場で、神父が慌てて叫ぶ。
「皆、静か、に……!?」
「いいんだ、神父。このまま行こう。トリート、杖を取ってくれるか?」
「はい」
 ドレスのまま杖を拾い上げ、トリートはモースが立ち上がるのを助けた。
「ごめんなさい、エレナ失敗しちゃった」
「いいんだ、ありがとな。おじちゃんは賑やかな方が好きだからな。コレでいいんだ」
「……えへへ、おめでとう」
 エレナはにこりと笑うと、ナナリの元に駆け寄り、ヴェールを同じように持った。
「さぁ、交換だ!」
「上手く嵌めろよ? モース!」
「おうよ、見てろよ!」
 モースは祭壇にもたれ掛かりながら、トリートの手を取り、その薬指にすっとリングを
嵌める。
「じゃ、次は、私が」
 トリートは細い指で大き目のリングを手に取り、モースの指に嵌める。
 モースはそのリングを感慨深そうに眺め、深く頷いた。
「……死が二人を分かつまで。今度こそな」
「えぇ。一緒にいます。ずっと」

 二人の唇が重なった瞬間、教会のボルテージが一気に上がる。  
「おめでとう!!」
「おめでとー!」
「若い嫁もらいやがって!」
「一生離すなよ!」
 様々な祝福の言葉を受けて、二人は夫婦になった。
「神聖なる神の、……そして竜のご加護があらん事を」
 神父の台詞に合わせて教会の鐘が鳴らされ、ゴードンに抱きかかえられたリラが祝福の
花びらを撒き、二人を祝福する。
「メディ〜、うわぁああん」
「やぁね、マリン、泣いてるの?」
「素敵だよ〜、嬉しいよ〜、ちょっと羨ましいよ〜」
「はいはい、次はあなたの番よ」
 メディはぽろぽろと泣くマリンをぎゅっと抱きしめ、祝福される二人をちらりと見る。
「モースさん、長生きしなきゃ、ねぇ」
 いつの間にか胴上げされてるモースを見て、メディは小さく笑った。

     9

「うぅ、もう飲めねぇよぉ……」
「だまれっ、飲みてぇつったのはてめぇだリオン!」
 『今昔亭』のロビー。
 夜中の二時を回り、主役の二人が抜けた後も宴は続いていた。
「おう、嫁を置いてきたから戻ってきたぜ」
 不意に『今昔亭』の扉が開いて、みんなの視線が一斉に注がれる。
「おや、モースさん、初夜を放棄ですか?」
「なんで帰ってきたんだい? 喧嘩でもしたのかい?」
「あ、モースさん! 助けてっ、マクスが!」
「お、酒か。マクス、俺に一杯くれ」
 モースはソファーに座り込むと、マクスからグラスを受け取りくっと一気に酒を流し込
んだ。
「嫁は相当疲れたみたいだったからな、先に寝かせて来たんだよ」
「あらあら、お話一杯しすぎちゃったかしら、マリン」
「うん、そうかも」
 しまったといった表情で顔を見合わせる二人に、狼がやれやれと鼻を鳴らした。
「せや、マリン、今日はえらい遅うまで起きてるな」
 アレイスの問いに、マリンがチラリと時計を見る。
「え、もうこんな時間だったの!? ……、そろそろ寝なくっちゃ」
 その声と同時に、足元で伏せていた狼も立ち上がる。
「お、マリンが眠いのは分かるが、てめぇはいいだろうが」
 ガントを捕まえようとするマクスに、マリンが首を振る。
「……、みんな、ごめんね」
「な、なんだよマリン」
 急に改まったマリンを見て、机に伏せていたリオンがむくっと体を起こす。

「明日、山に行く事にしたの。旅に出る事に……なったの」

「えらくまた急だね、どうしたんだい、マリン?」
 穏やかに尋ねるアシュレイに、マリンは苦笑する。
「えへへ、昼間に会ったスノーウルフ、実はカヒュラの伝令でね? なんか三日後までに
カヒュラのところに行かなきゃなんないらしいんだ」
 その言葉にローラが思わず立ち上がる。
「お前の足で……二日で七合目まで行くと言うのか!? 間に合うのか?」
「うん、頑張ってみる。今日の式にはどうしても出たかったから……。だから」
「な、おい、クロフォードか俺のどっちがついてくってレベルじゃねぇぞ!?」
 その言葉を聴いて、モースがマリンの手をつかんだ。

「馬鹿野郎!」
 
「……、も、モースさ……!」 
 険しい顔のモースに、マリンは困惑する。
「そうならそうと、さっさと準備して寝ろ! 万全の体調でないと間にあわないだろうが
! ほら行けっ!」
「あ、は、はいっ! じゃ、み、皆、おやすみなさいっ!!」
「あ、そうそう、マリン」
 ガントと共に二階へと向かうマリンを、女将が慌てて呼び止める。
「今日は二人で一緒に休んでいいよ。山へ行く用意もあるだろうしね」
 女将の意外な提案に、マリンはビックリして目を見開く。
「え!? いいの!?」
「あぁ、いいよ。だからほら、早く行ってきな。はい、おやすみ」
「はいっ!!」
 マリンは全力で返事をすると、ガントを連れてあっという間に階段を駆け上がっていっ
た。

「……マリンの奴、式なんかほっぽって山へ行けばよかったんだ。くっ」
「あ、モースさん、泣いてる?」
 覗きこんだリオンから顔を逸らし、モースは斜め上へと視線を飛ばした。
「仕方ない、俺様も寝るぜ」
「あ、クロフォード、なんやお前眠いんか?」
「んなわけねぇだろ。俺様かマクスしかカヒュラの洞窟への道案内が出来ないだろうが。
明日は俺様が行く。いいな、マクス」
「おう、お前が行けよ。その方が向こうさんも都合がいいだろうよ」
「……都合?」
 リオンは首を傾げて見るものの、酒のせいで頭が割れるように痛くて考えるのをやめた。
その代わり、横に座っていたアシュレイが口を開く。
「それにしても、カヒュラ直々に呼び出しって事は、なんだろ、もうマリンは……」
「そうだな。竜のサイドの人間……って事になるな」
 ローラの言葉に、モースが頷く。
「まぁ、マリンにとってはその方が安全だろう。<魔>に狙われてるんなら、尚更だ」
「確かになぁ。……で、そこんとこどうなんや? な、レンジャーナンバーワンであり、
竜のサイドの人間になったクロフォードの意見は?」
 アレイスがチラリとクロフォードを見る。
 クロフォードの透き通るアイスブルーの瞳が、何かを思うように僅かにぶれる。
「これはナンバーワンの定めだ。別に俺様には何サイドだろうが関係ないね。この山で暮
らす分には困らないからな。……あいつらはそういう運命になったって事だろうよ。まぁ、
レンジャーやってる分にはその方が都合がいいんじゃねぇの? 竜の加護は強力だ。その
分ごたごたに巻き込まれる事になるがな。じゃ、俺様は寝る。モースさん、お幸せに」
 クロフォードは手をひらひらと振ると、たんたんと階段を上がっていった。

「なぁ、さっきから知らない単語ばっかり飛び交ってんだけど。誰か説明してくれよ」
 リオンが頬を膨らませて、机を叩く。それを見てモースがやれやれと笑った。
「二年目のお前達には四月にでも…、三年目になった記念に話すつもりだったんだがなぁ。
元々、この話は二年以上勤続したレンジャー内でしか明かされない話だ。大した話じゃね
ぇがなぁ。世の中には三つの対抗する勢力がある。俺達人でなく、もっと強いレベルでの
大きい話だ。昔、<聖>と<魔>が対立し、そして人は滅びかけた。そこに現れたのが、
竜と、かの有名な勇者ご一行だ。<聖>と<魔>を別世界に追いやり封印し、竜は人々を
護った……って、やっぱだめか」
 モースがチラリと横を見ると、すっかり酔いの回ったリオンが幸せそうに寝息を立てて
いた。
「まぁ、その話はマリンが帰ってきたときにでも、二人にしてあげればいいんじゃないで
すか?」
 アシュレイは眠ったリオンを背負って立ち上がる。相当飲まされたのか、リオンの起き
る気配は全く無い。
「だな。……さて、問題はガントが本当に元に戻れるのか、んでいつ帰ってこれるか……
だが」
 モースの問いに、それまで黙っていたゴードンが答えた。
「大丈夫だ。竜が絡むんだろ? ガントの呪いはなんとかなるんじゃないか?」
 そんなゴードンの答えに、酒瓶片手にマクスが呟く。
「だといいがなぁ。竜は万能じゃねぇんだぜ? だいた……」
「マクス」
 マクスが何かを言いかけたのを、メディが遮る。
「私達にできる事は、何かあった時にみんなで力になる事。それ以外には祈るしか出来な
いのよ。あ、後もう一つできる事があるわね」
「なんだい、メディ?」
 アシュレイの問いかけに、メディがにこりと笑う。

「問題が解決したら、二人の結婚式よ! いつ帰ってきてもいい様に、用意しておかなく
ちゃ、ね!」

「なるほど、なぁ!」
 ゴードンは納得したように大きく頷いた。

     10

「これと、これと、よーし、用意終わりっ!」
 Tシャツとスパッツ姿のマリンが、山へ行く為の道具をチェックしてリュックの口をき
ゅっと締める。
 ベッドの横の小さな机には明日の着替えが用意してあるし、準備は万全だ。
 ただ、いつもと違うのはここがガントの部屋だという事だろう。
「ガントの分のも、こっちに一緒に入れておいたよー」
『あぁ』
 ソファーの上で丸まっていたガントがふっと顔を上げ、短く返事をする。
「ふふ。こうしてると、初めて山に行く事になった前の日の晩の事、なんだか思い出しち
ゃうな」
 マリンは荷物を置いて、ガントの居るソファーに腰掛けその日の事を頭に巡らせる。
 あの時は荷物を上手くまとめられないマリンに見かねて、ガントがマリンを自分の部屋
へと連れて行き、色々な荷物の詰め方を丁寧に教えてくれたのだった。
 魔法のようにきっちりと詰められていく荷物を見て、マリンは関心するばかりだった。
 色々と不器用なガントだったが、レンジャーの仕事に関する事だけはちゃんとこなす。
 あの時は荷物の詰め方について散々叱られていたが、荷物に関しては今は注意される事
も無い。
 でも、稽古の時は今でも相変わらず一喝されっぱなしだ。
 だが、ガントが姿を変えられてからはガントレットの一件もあって稽古が出来ず、そう
いう事は殆ど無くなっていた。例え今の状態でもきっと稽古は出来ないに違いない。
 その事を、ほんの少しだけマリンは寂しく思っていた。

 ――何を考えているんだ、馬鹿者――

 そうガントに叱られると、いつも身が引き締まる思いがした。
 別に叱られるのが好きとか、失敗していいと思っている訳じゃない。
 叱られないのが一番だ。
 でも、あの厳しい一声に自分への色々な気持ちが詰まっている事を、マリンは知ってい
る。  
 だからこそ、あの時間が愛しく感じるし、早く取り戻したいとそう強く思うのだった。
 ふさふさのガントの尻尾を撫でながら、マリンは目を細める。
「要る物と要らない物。レンジャーとしての心構え。咄嗟の時の判断の仕方。戦い方。全
部ガントが教えてくれたんだよね」
 膝を抱えて目を細める少女に、狼は小さく笑った。
『お前は物覚えがいい弟子で、こっちは楽だったさ。ま、時々大きな失敗やらかすからな、
今だって油断はできん』
 穏やかな表情になったガントの腕からカシャリと手甲がはずれ、床に転がる。
 マリンはそれを拾い上げると寝室へ持って行き、自分の着替えの上に置いた。赤いガン
トレットが開け放たれた窓からの月光を受けてぼんやりと光る。狼は少女を追いかけ寝室
に入ると、その足元にぴたりと寄り添った。


 静かな夜だった。
 先ほどまでの賑やかさとは真逆の、静かな夜だった。
 風は穏やかで空に雲は無く、星も月も澄んだ空に白く輝いている。
 窓からは真円に近づく月の光が差し込み、二人を淡く包み込んでいた。


「ね、ガント」
 マリンはベッドに腰掛け、夜空を見上げた。
 月を見ると、沢山の思いが頭をよぎっていく。もうすぐレンジャーになって三年目にな
る。レンジャーは三年たってようやく一人前と言われる。長かったような、思い出すと短
かったようなその時間は、マリンの十七年の人生の中でも大きなものになっていた。
『なんだ?』
 三本の足で器用にベットに飛び乗り、ガントはマリンの隣に伏せる。
 月光は銀色の狼を美しく輝かせた。凛々しい横顔も深い紺色の瞳も何処か眩しくて、マ
リンの胸の奥がきゅんとなる。
 マリンはガントに寄り添うように寝転ぶと、銀色の毛並みをかき分けて思いっきり抱き
しめた。

 人のものではない、荒々しい野生の獣の体。
 それでも肌に伝わる暖かさは、以前と何一つ変わっていない。
 頭に直接響く低く優しい声も、以前と全く一緒だ。
 先輩であり、師匠であり、恋人であるガントそのものだ。
 マリンは狼の頬に自らの頬を重ね、小さく、でも力強く呟いた。


「ずっと、一緒だよ。何があっても、絶対、離れない」


 ガントが狼に変えられてから、マリンの気持ちが変わったことなど一度も無かった。
 ガントがマリンの背負った運命を知っても、その気持ちが変わる事の無かった様に。

『あぁ。当然だ』

 どちらからともなく、口づけを交わす。
 獣と人の口が重なり、その姿を月明かりが照らす。
「やっぱ、これじゃキスしにくいね」
『だな』
 二人は小さく笑い、マリンはガントの首元に顔を埋める。
『この姿じゃ抱きしめてやる事も出来ない。…できるだけ早く戻りたいものだな』
「だね」
 マリンももちろんそのつもりだった。
 だが、カヒュラの所に行っても師匠であるアークと会えるかどうかなんて分からないし、
たとえ会えたとしても無事元に戻れるという確証は無い。それに、カヒュラが何の目的で
自分達を呼んだのかも分からないのだ。
 だから、ほんの少しだけ、このままのガントと暮らすその後を想像してみたりする。
「でもね、私、ガントが……もし戻らない事になったとしても、ちょっとくらいはいいか
なって思うよ? ……ちょっとだけど」
『ほんとか? 抱いてもやれないんだぞ?』
「べ、別にっ……! 体で繋がらなくても……」
『ん?』
「こ、心で、……繋がってるから」
 マリンは真っ赤になって、ごろんとガントに背を向ける。
『そうか。……そうだな』
 大きなベッドの上で、一人と一匹が横になる。
 暫くしてマリンはころんとガントに向き直り、再び狼を抱きしめた。
 深く息を吸い込むと、獣の匂いに混じって微かにガントの匂いがする。
 それが嬉しくてくんくんと鼻を鳴らすマリンに、狼も鼻をくんくんと鳴らして小さく笑
った。
『だがな、マリン。嘘をつくならもう少し上手くつけ』
「?」
『……お前から女の匂いがする。今、ほんのちょっとだけ、体はその気になってただろ』
「ちょっ!? ば、馬鹿っ!」
 狼に変えられたガントは、今は狼そのものだ。
 嗅覚も以前から鋭かったとはいえ、今は人の百万倍以上といわれる狼の嗅覚を有してい
る。予想外の事を見抜かれたマリンは、顔を真っ赤にして拳を放つ。だが、狼はそれをす
いと避けて、ニヤリと笑う。
『やっぱりお前はまだまだだな』
「〜〜っ! ガントのえっち!」
『あぁ、そうだ。悪いか?』
「う〜〜〜!! もう! おやすみっ!」
 マリンは顔を更に真っ赤にして布団にうずくまると、ガントはそれを包み込むようにし
て横になった。

 月明かりに照らされる、一人と一匹。
 
 穏やかな時の流れに身を任せ、マリンはすっと目を細めた。
「……いいねぇ、こうやって二人で寝るの」
『だな』
「ね、旅に出てる間は……ずっと一緒だね……」
『長く一緒に居れるのは、良いんだがな』
「でも……、あ……う…………ぅ……」
『……寝た……か』 
 穏やかな空気の中、二人はゆっくりと眠りに落ちていくのだった。 
 

 運命は巡る。

 月明かりに照らされた古の山々に、竜の咆哮が響く――
 踏み込む事など許されぬ山は唯、銀色(しろがね)に輝き、生きようとする者を人を待
っているのだった。

 そして、
 運命の夜が明ける。

 

 二部へ続く。


    
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