☆桃兎の小説コーナー☆
(08.02.27更新)

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 レスは日記でしております〜。

 


 ドラゴンマウンテン 
  第16話
  運命の叫び(下)
 
 
     7

 日が暮れかけた西の丘。
 気温も下がり始めたその丘に、二人の人の影があった。
 一人は座っていて、その膝の上でもう一人がすやすやと眠っている。
 野ウサギたちは夕暮れの光に照らされた二人の様子を伺い、ぴょこぴょこと近づいてい
く。
「こら、近づくな、コイツが起きるだろうが」
 男はウサギを追い払おうとするものの、ウサギはじゃれるように近づいてきて鼻をピク
ピクさせている。
「起こすわけにはいかないから、こんな所でじっとしているというのに……、ほら、あっ
ち行け」
 男はほんの少しだけ闘気を放ち、ウサギに牽制する。
「ぴ!」
 ウサギは驚いて小さく鳴くと、一目散に岩の陰に走っていった。
「やれやれ」
 ため息をついて男は空を見上げる。

 東の空には満月、その満月の光が結界でグニャリと歪んでいる。
 魔道士アークの張っていった結界のお陰で寒くは無いが、周りの音が遮られてやたらと
静かだった。

「んぅ……がんとぉ」
 少女が寝言で男の名を呼ぶ。
「おう、ここにいるぞ」
 男はなんとなく寝言に答えてみる。
「おなかすいたぁ……」
 男は思わずかくっとこけそうになる。
 気が抜けるようなその寝言は、いかにも少女らしいものだった。
「おう、早く起きろよ。そして『今昔亭』に帰ろう。で、暖かくなったら立派な式を挙げ
よう」
「んぅ……」
「モース達に負けない位のやつだ。あのオヤジ、さりげなく着々と準備してるからな。嫁
貰う気満々じゃねぇか」
 最初あれほど渋っていたモースも、トリートの熱意に押され、どうやら覚悟を決めたら
しい。
「一番綺麗な花嫁衣裳を用意して、お前に着せてやる。金の心配はするな。もう用意して
ある」
 暮れゆく夕日を眺め、丘のてっぺんで男は呟く。
「家も建てような。部屋を多めに作っておこう。子供が増えたら大変だと、いつもゴード
ンが言っているからな」
 レンジャー仲間のゴードンは小さな家に三人もの娘を抱えている事を、いつも話してく
るのだ。 
「あぁ……、日が暮れるな」
 夕日が地平線に飲み込まれ、辺りがすうっと暗くなる。
 男は少女の唇にそっとキスをすると、膝から少女を降ろし男は立ち上がる。

「……、来たか」

 男は鋭い目線を上に向け、眉を寄せる。
 結界がチリッと音を立て、僅かに軋む。
 瞬間、結界の上を雷が走り、結界が大きく音を立てて砕けて割れる。

「ようやく見つけたよ。君達がレオノーレの言っていた『二人』だね?」

 背筋がぞっとするほど綺麗な男の声が、空から響く。
 夜空に赤い魔方陣を展開して、その中心からぬるりと青白い塊が滑り落ちる。
 塊は蝙蝠のような白い羽を広げぐにゃりと歪みながら人の形へと姿を変える。
 額からは二本の角を生やし、真っ白な長い髪がさらりと風に流れる。
 魅惑的な紫の瞳に魔力を宿した美しい男は、少し離れた場所に降り立ち薄く笑った。
 男からあふれ出す魔力は強大で、辺りの温度を一気に冷やしていく。

「やぁごきげんよう、私の名はクラウル。レオノーレに提案されてね、お嬢さんの封印を
解き放つ為にわざわざ単身で魔界からやって来たんだ。さぁ、ガントレットよ、彼女を渡
すがいい」
「お断りだ。元の世界へ帰れ。マリンはお前になど用は無い」
 ガントは少女の前に立ち、白い悪魔をギロリと睨みつける。
「別に君達を傷つけに来たわけじゃないんだ。そんな敵を見るように睨まないでくれ」
 悪魔は微笑んだまま、両手を広げて首を振る。
「そういう訳にはいかんな。マリンの封印を狙う者は敵だ」
 ガントは構え、何時でも踏み込めるように闘気を放つ。
「彼女を解き放てばじわりと世界に影響する。我らがこの世界に行き来する事もたやすく
なるという訳だ。どうだ面白いだろう?  解ったらその場を退いてくれるかな?」
 ガントは動かない。
 構え、目線を真っ直ぐクラウルに向けたまま、動かない。
「なるほど、レオノーレの言ったとおりだ。厄介な男だと」
 悪魔は羽を広げ、にやりと笑った。

「なるほどね、解った、少し遊んであげよう。そうしたら気が変わると思うが?」

 悪魔は左手を空に掲げ、ニヤリと笑う。悪魔の魔力に応じて雷の精霊が答え、空をかち
割るような音を立てて次々に降り注ぐ。さながらその雷撃は光の矢の様だった。
 突然の容赦ない攻撃に、身を潜めていた野うさぎたちがその雷撃に打たれ、弾け飛ぶ。
 ガントは素早くそれを避け、一気に悪魔の懐へと飛び込む。
「変われッ!」
 ガントは左手の手甲に命じ、拳を覆う部分にスパイクを出現させる。
「ふん!」
 素早い一撃が悪魔の腹を捕らえ、その衝撃が悪魔を貫く。
「人間にしては良い拳だ。だがな」
 悪魔の右手に黒い波動が集まり、それを至近距離でガントにぶつける。
 ガントは即座に体中に気をめぐらせ体を硬化させるが、その衝撃に弾き返された。
「地獄の炎を知っているか?」
 美しい顔をニヤリと歪めて、悪魔は魔力を集中させる。
 詠唱も無い、ただ印を結んだだけの魔法。不意にマリンとガントの目の前に魔方陣が展
開される。強大な魔力の力場の突然の出現に、ガントは息をのむ。
 それは回避できるタイミングではなかった。
 瞬きする間もなく門が開き、荒れ狂う地獄の黒い炎が数本の槍のように細く捩れながら
二人に向かって降り注ぐ。
 眠ったままのマリンも標的になっている事に気付き、ガントはマリンの前に立ち気合を
入れる。
「やはりそうするか、愚かな」
 勢いよく迫る回避不能な黒い炎を、ガントはマリンの前に立って受け止める。
「ぐっ……!」
 だが、黒い炎はいとも容易く体を貫通し、ガントの体を打ち抜いた。  

 炎の槍が降り注いだ後は、静寂が場を支配した。
 耳が痛くなるほどの静けさの中、悪魔はにやりと笑う。
「ほう、倒れなかったか」
 マリンの目の前には、体の数箇所に穴をあけられたガントがかろうじて立っていた。
 分厚い男の体に開けられた拳大の穴からは向こうの景色が見え、吹き出した血が眠るマ
リンの体をびしゃりと濡らす。

 だが、その深い紺色の瞳はまだ光を失ってはいなかった。

「悪いな、今日の俺はそう簡単には死なない」
 ガントはニヤリと笑い、その体から一気に魔力を開放する。

「あぁ、そうだったね、君は……」
 ガントから発せられる魔力の風に悪魔の髪が巻き上げられる。
 ガントの体がどくんと波うち、ざわざわとその姿を変えていく。
 手足は獣のそれに、耳は天に向かって伸び、尾が服を突き破る。
 口から覗く鋭い牙に、いつもよりもひとまわり大きくなった体はまたたく間に傷口を塞
いでゆく。
 半分狼で半分人。

 銀色の毛並みを月の光に反射させ、男は吼えた。

       8

 少女は夢を見ていた。
 真っ白な世界の真ん中に、ぽつんと一人立っていた。
「ね、まだ?」
 本当は十七歳のはずなのに、その体は何故か十歳くらい。
 小さくなった体のまま、『何か』に鍵をかけていく白く輝く少年の姿をした精霊を少女
はずっと見ていた。
 精霊は決して大きくはなく、少女の腕ほどのサイズしかない。
『うん、まだ少しかかるの。君のモノは大きいから、時間が掛かる』
「ふーん、そう。……でもなんで鍵をかけちゃうの?」
 『何か』は鎖でがんじがらめにされていて、鍵が掛かった部分から真っ白な背景に溶け
込んでゆく。
『君は……何を望む?』
 精霊はくるりと振り返り、少女を見つめる。
「ん? うーんとね、銀色! 銀色の……なんだっけ?」
 少女は首をかしげうーんと考える。
「銀色…、銀色で紺色の、そう! 銀色で紺色の人と、ずっと一緒に居たいの!」
 少女は頬を染めて、精霊に元気よく話す。
『そう、これだけ深い眠りについていても、彼の事、忘れないんだね』
 少し寂しそうに、精霊は呟く。  
「なんで悲しそうにするの?」
 少女の問いに、精霊は小さく笑った。
『僕は君が生まれたときからずっと一緒に居るんだよ。君が赤ちゃんの頃から、ずっとね』
 また一つ鍵がかちりと閉まり、『何か』の一部が白く溶け込む。
「あ、なんか知ってるかも! 私が迷子になったとき、道を教えてくれた!」
 少女は大事な記憶を思い出したかのようにぱっと笑顔になる。
『そう、君は怖がりのクセに好奇心旺盛で』
 また一つ鍵が掛かり、『何か』はどんどん形を失っていく。
『僕達の事が見えなくなってから、君はあまり前のように話してくれなくなったけど、僕
達は大事にされてる事、解ってるからね。君の無茶に何処までも付き合ってあげる』
「ありがと!」
 少女は半分意味が解っていなかったが、何だか嬉しい気分になっていた。
『急げ、フォロイ。でなくちゃ目を覚ましたときにこいつが泣く!』
 不意に後ろから赤い少年の姿の精霊が現れ、白い精霊を小突く。
『解ってる。でも、きっちりやらないと』
 また一つ鍵が掛かり、端っこが白く溶け込む。
『よぉ、どんな事があっても泣くなよ、俺達が居るからな!』
 赤い精霊が少女の肩に乗りにっと笑う。赤い精霊は熱くて肩がやけどしてしまいそうだ
ったが、振り払う気などさらさらない。
「うん、泣かない!」
『泣いても良いのよ? 挫けなければ良いのだから』
 人魚のような姿の水色の精霊が目の前をぴしゃんと跳ねる。
『後悔だけは、しないようにな』
 象の形をした精霊が足元でもすっと鼻を揺らす。
『今の透き通る気持ちを忘れないで』
『思い切ってやってみな』
 次々に精霊が出てきて、それぞれが一言づつ少女に声を掛けていく。
「うん、うん、ありがと! 頑張るね!」

 かち。

 最後の鍵が閉まり、世界の全てが真っ白になる。
「あ、なんかすっきりした!」
 気がつけば体も大きく元に戻っている。
『行ってらっしゃい』
『頑張れよ』
『踏ん張りどころよ!』
 少女の姿は徐々に薄くなっていき、意識が何処かにひっぱられていく。
 消えゆく少女の前にフォロイと呼ばれた白い精霊が近づき、その手をとる。
『負けないで、僕達は皆、君の幸せを祈っているから』
「うん、知ってる。だって、みんなずっと……」



「ぐああああっ!」
 空間を引き裂くような声で、マリンは目を覚ました。
 周りはすっかり暗くなっていて、マリンの体からは魔力が漏れだしていた。
「……、夢? あれ、夜?」
 起き上がろうとして、マリンは手を地面についたが、ずるっと滑ってまた寝転んでしま
う。
「……、これ……、血!?」
 地面と体にかかった大量の血にマリンの意識が一気に覚醒し、がばっと起き上がる。
 目の前に最初に映ったのは、ぼこぼこと抉れた地面。
 少し遠くには白い悪魔と思しき人が羽を広げ黒い炎を放っている。
 あまりの魔力に押され、マリンの体がぶるっと震える。
「……って戦闘中?!」
 慌ててマリンは身構え、自分の傍に居るはずの男の姿を探す。
 不意にひゅん!と上から音がして、何かがマリンの目の前にどさりと落下する。
「!?」
 それが何なのかは、マリンはすぐに解った。
「が…ガントっ!!」
「オウ、ヨウヤク起キタカ」
 血まみれのワーウルフが立ち上がり、その血を払う。
「一体、何がっ…!?」
 ガントの体は無数の傷をつけられており、満月の魔力の力で徐々に回復はしているもの
の、それも追いつかない状態のようだった。
「お目覚めかね、お嬢さん!」
 悪魔はマリンに気付き、宙を滑るように移動する。
「サセルカ!」
 ガントは走り出し鋭い爪を出して相手の悪魔の肩に斬りつける。
 悪魔は身を反らせて避けようとするが間に合わず、肩の肉を持っていかれた。
「しつこいね、君は」
 悪魔は腕を広げ、短く呪文を唱える。
「ガントに何すんのよ!」
 震える声でマリンは呪文を紡ぎ、印を結び精霊に祈る。
「大地の緑、氷の青、風の紫! 重なりて敵を打て! ターコイズアロー!」
 下で無残にちぎられた芝が無数の針の弾丸となり、その周りをさあっと氷が覆う。
 マリンが指先を悪魔に向けると驚くほどのスピードで宙を奔り、呪文を唱えようとして
いた悪魔の隙を突いて、無数の針が突き刺さる。
「あぐ!?」
 完全に不意を疲れた悪魔はその身を反らせた。
「ウラアアアアッ!」
 ガントは右足を軸に回転し左回し蹴りを悪魔のわき腹に叩き込む。
「!!」
 悪魔はその美しい顔を歪めて、怒りの表情で宙に舞い上がる。
「私を怒らせないほうが良い」
 悪魔は再び地獄の炎を呼び出そうと魔方陣を展開するが、それはさっきより格段に大き
なサイズだった。しかもそれは瞬く間の出来事だった。
 黒い炎が瞬時に召喚され、槍の形になって一気に降り注ぐ。
「マリン!」
 ガントは一言叫んだ。
 それだけでマリンは何をすべきか理解が出来た。
「回避は不可能、ならばシールド四重掛けだぁああああああっ!!」
 マリンは魔方陣を描き、二人分のシールドを張り巡らせる。
 ドカドカドカと次々に炎がシールドに刺さり三枚のシールドが吹っ飛ぶ。
「やだ、何この悪魔!」
 恐怖に足が震え、マリンの動きが一瞬鈍る。
 その隙を悪魔は見逃さなかった。
 一本だけ軌道をそれて飛んでいた槍が横からマリンに襲い掛かり、最後の一枚のシール
ドを容易く破る。
「!?」
 回避しようと動くが足がもつれ槍がわき腹を貫く。
「んああああああああああああっ!」
 地獄の炎がマリンの腹を抉り、そこから血が吹き出す。
 それをみた悪魔は空中で高らかに笑った。
「ふはははは! っ!?」
 ドンっという衝撃が悪魔の胸部を突き抜ける。
 続けざまに、ガントの連打が悪魔の顔を捉える。
 最後にかかとを頭に落とし、悪魔は地面に叩きつけられる。
「―――!」
 怒りに目を剥き、ガントは無言のままたたきつけられた悪魔に膝を落とす。
 ごきり。という音と共に、悪魔は動きを止めた。
 ガントは息を切らせながらすぐに立ち上がり、マリンの元へ向かう。
「ガン……と、まだっ!」
 マリンは痛みのせいで出ない声を振り絞り、必死に首を振る。
「!?」
 瞬間、ガントは後ろから体当たりを受け、地面に叩きつけられた。
「人間が、いい気になるな!」
 歪んだ体を修復しながら、悪魔は呪文を唱える。
「やだ、やめっ、ぐふっうっ」
 対抗呪文を唱えようと、マリンは必死に印を結ぶが声が震えて呪文にならず、魔法が発
動しない。
「あっ、あっ!」
 涙を滲ませ、マリンがもがくもそれは間に合わず、ガントを踏みつけた悪魔は右手に生
まれた氷の刃を一気に振り下ろす。
「ぐ!!!!」
「やあああああああああああああああっ!」
 マリンの叫びが西の丘に響く。
 振り下ろされた刃はガントの右腕を肩から完全に切断していた。

「……よくもガントを!!」

 目に涙を浮かべ、激情に任せてマリンは印を結び呪文を唱える。
 声は震えていたが、その想いに答えて精霊が姿を現す。
「赤の炎! 青の風! 交わりしは我が命令なり!」
 歯を食いしばり熱い痛み耐え、震えるその手でそれぞれ違う印を描く。
 右手に炎、左手に風を纏わせ、マリンは悪魔に向かって両手を向けがっちりと手を合わ
せた。
「レッド・サイクロン!!」
 マリンの怒りを乗せた炎と風が、空を裂いて真っ直ぐに奔る。
 炎の竜巻が悪魔を捕らえるのはほんの一瞬の出来事だった。
「!!!!!」
 ガントを踏みつけていた白い悪魔は一気に空に突き上げられ、シールドを張る間も無く
炎と風に焼かれる。
「人が……これほどの魔法を……!」
 風に切り裂かれ、炎に焼かれ、尚も悪魔は身を起こす。
 マリンは疲労とダメージで体がガクガクと鳴り、もはや立っているのもやっとだった。
「この二人は一緒に居てはいけない、なるほど」
 悪魔はもう一度呪文を唱え、それをマリンに向ける。
「アレでも……、死なない……っ!」
 マリンの目からぼろぼろと涙がこぼれる。

『泣くな!』

 不意に精霊の声が聞こえた気がして、マリンは顔を上げる。
 そこには確かに赤い少年の精霊が居た。
『見ろ! お前の好きな奴はまだ生きてる!』
 精霊の指差す方向にマリンは目をやる。
 満身創痍のワーウルフが、肩を押さえながら緩やかに立ち上がった所だった。
『アレ、使え! 俺たちの事は気にするな!!』
 精霊の言葉にマリンはビクッと体を震わせる。
「どうしてあれの事知って……!」
『決まってるでしょ? 私達は何時でも一緒』
「でも、アレはまだ未完成であんなもん使ったら、……皆がどうなるか分かんないんだよ!?」
『さぁ、彼を助けたいんだろう?』
 次々に姿を見せる精霊達に、マリンの目から涙が溢れる。

 精霊が自ら姿を現す行為は寿命を縮める行為だった。
 だから、魔法使いたちは精霊を見るための魔法や、魔眼を手に入れるために修行を重ね
るのだ。
 器を封印されてからのマリンは、自らの魔力が無い為に魔眼を失った。
 自らの魔力が無いから、精霊の声も聞こえなくなった。
 時折確認の為に魔法で姿を見てはいたが、魔石は無駄使いできないので、それも一瞬で
ある事が多かった。
 実に七年ぶりの再会に、マリンの目からはとめどなく涙が零れていく。

『だから泣くな! 今すべき事は?!』
「敵を……打つ事」
『護りたいものは!?』

「愛する……私のガントレット!!」  

 マリンは六つの魔方陣を同時に展開し、呪文を唱え始める。
「な……、なんだアレは」
 見たこともない魔法の発動に、クラウルは顔を歪める。
 明らかに何かを唱えている。直感でそれは自分を殺す為の魔法だという事が分かる。
「させるかぁ!」
 マリンに向かって飛び掛ろうとする悪魔の羽を、何かが掴み、引き止める。
「行カセルカ!」   
 引き止めたのは片腕のワーウルフ。
 それは尋常ではない力だった。
 羽は引きちぎられ、無残に地面に転がる。
「それは……、月の石!」
 ガントの腰のバレッタから、紫色の魔力が漏れ、ガントの体を覆う。
 ガントの中のワーウルフの血が前面に押し出され、ガントの姿が変わっていく。
「成ル程ナ、俺ハ人デ無クナルノ……カ?」
 鼻が前にでて、体の全てが毛で覆われる。
 その姿は完全なる銀色のワーウルフだった。
「お前の相手をしてる暇など無いわ! あの娘を止めなければっ……!」
 悪魔はワーウルフの顔を殴りつけ、更にその体を蹴り飛ばす。
「悪イナ、コレガ俺達ノ戦闘スタイルダ」  

 ガントが前衛、マリンが後衛。
 マリンが呪文を唱える隙を作るのがガントの役目だ。
 勝機があるならばそれを信じて、ガントは拳を振るうだけだ。  

 ガントは口から血を吐きながら、左腕を振り切る。
「こざかしいわああああああっ!」
 ガントの一撃をもろにくらいながら、悪魔は大きく叫んだ。
 人の姿を破り、悪魔は本体と同じ姿をその場に現す。
 数メートルの高さにまで大きくなった青白い巨体はその大きな腕をガントに向かって振
り下ろした。
「ソレガ貴様ノ本当ノ姿カ」
 鋭く伸びた爪がガントの体を霞め、爪に触れた部分の銀色の体毛がどろりと溶ける。
 ガントはそのまま地面に振り下ろされた腕の上に乗り、一気に上へ駆け上がる。
「ラァッ!」
 ガントの鋭い爪が首の血管を切り裂き、そこから黒い血がどろりと流れる。
 宙を舞いながら、ガントはちらりとマリンを見やる。
 そこには必死に呪文を唱えるマリンがいた。

「……!」
 マリンは六つの魔方陣を維持しながら、必死に詠唱を続けていた。
 強引な詠唱は魔力の逆流を生み、マリンの体中の傷口から血が吹き出していた。
(流石に未完成の呪文は……くっ)
 魔方陣を操る指先は毛細血管が破れ、手は血まみれだ。 
 精霊達も大量の魔力に酔い始めていて半分制御が出来ていない。
「……っ!!」
 ようやく詠唱を終え、マリンが目を見開く。
「我が元の全ての精霊よ! 繋がり破壊の力となれ!」
 血が足りなくなり、頭がくらくらするが、マリンの意識だけはハッキリしていた。
 瞬間、ガントが飛び上がり悪魔の元を離れた。
 悪魔とマリンの間に何も障害物は無くなったのだ。

 マリンはふんと足を踏ん張り、六つの魔方陣全てを悪魔に向ける。

「疾く往け! エレメンタルイールド!!」

 六つの魔方陣から同時に放たれた魔法が一つになり真っ直ぐに悪魔の元に奔る。
「これは……!」
 悪魔が片腕を突き出しシールドを展開するが、六色の魔法はシールドごと悪魔を貫いた。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 それは大地を揺るがす悪魔の雄たけびだった。  

 まばゆい光が辺りを包み、マリンはその場に倒れる。
 気がつけば精霊の気配が減っていた。
「馬鹿……。たった三つしか残ってないじゃない」
 マリンの目からぼろぼろと涙がこぼれ、その涙が地面に滲む。
 残った三匹も、すっかり魔力に酔ってしまったのか動いている気配が無い。

「……此処までやってくれるとはな、人間風情が」

 低く響くその声に、マリンは目を見開く。 
「やだ……どうして……」
 重い体を引きずり、マリンは顔を上げる。
 左半身が吹き飛んだ白い髪の悪魔が遠くで震えていた。

「今ならかわせまい、受けよ! 我が呪い!」

 右手を振りかざし、悪魔は黒い塊をマリンに向かって放った。
 もちろんそれはマリンの封印を破る呪いだった。
「ふははははは、はっ!?」
 悪魔の前を銀色の獣が走る。
「マリン!」

「だめっ、いやああああああああああああああああああああっ!」

 ガントの背中に、黒い呪いがびしゃりと降りかかる。
 マリンの目の前で、ワーウルフがどさりと倒れこみ黒い染みに包まれる。
「いやぁ、いやあああああっ!」
 マリンは泣き叫び、這ってガントの元へと近づく。
「馬鹿な! 貴様、その呪い、お前のようなものが受ければその身が……」

「動くな!」

 丘に響く、通る声。声の主が半身の悪魔を睨みつけ、やれやれと首を振る。
「全くお前ら、なんてものと戦ってんだよ」
 白いレンジャー服の剣士が血まみれの剣をぴっと振るう。
「クロフォードに言われてついてきたら、えらい目におうたわ。道中闇のいきもんだらけ
や。戦闘得意やあらへんのに、他のメンバーは山やからって……」
「はぁっ、はぁっ、マリン! 遅くなって御免ね!」
「みんな……きてくれたんだ」
 クロフォードはぶんと剣をふるい、悪魔にぴたりと突きつける。
 アレイスも弓に矢をつがい、メディも杖を構える。
「帰れ。でなければ殺す。こっちで死ねば何倍も強い向こうの本体が死ぬぜ?」
「く、まぁいい、二つのうち、一つは片付けたからな」
 悪魔はひとしきり笑うと、展開された赤い魔方陣に吸い込まれて消えていった。
「……、あぶねぇ、あんなもん俺様でも殺せる気がしねぇよ」
 クロフォードは冷や汗を流しながらふるふると首を振る。
「マリン、マリ……!」
 メディがマリンに駆け寄り、そして絶句する。


「どうしよ、メディ、ガントが……狼になっちゃった」


 血まみれのマリンが呆然とそこに座り込み、ガントだったモノを抱きしめ泣いていた。
 マリンの腕の中に居るのは、片腕を失った大きな銀色の狼そのものだった。

      9

「……んぅ」
 重くだるい体を起こし、マリンは目を覚ました。
「マリン!」
 隣で椅子に座っていたメディが、ふらつくマリンを抱えて心配そうに覗き込む。
「馬鹿ね、もう起きないかと…心配したじゃないっ!」
 メディは涙をぽろぽろこぼし、マリンを優しく抱きしめた。
 メディが泣く所なんか見たことも無かったマリンは、ビックリして焦ってしまう。
「そ、そんなに寝てたの?!」
「そりゃもう! 一週間丸々よ!」
 涙をハンカチで拭って、メディは尚もマリンを抱きしめる。
「ずっと見ててくれたんだ。ありがとメディ、大好き」
 マリンもメディを抱き返し、その胸に埋もれる。
「……ガント、ガントは?」
 マリンのその問いに、メディが固まる。
「ガント……、ガントは無事よ? もう、歩き回ってるわ」
「会いたい、ガントは何処?!」
 よろよろと立ち上がろうとするマリンをメディが慌てて制止する。
「大丈夫、落ち着いて、マクス居るんでしょ?」
 マリンの寝室の壁をノックして、メディは隣のマクスを呼ぶ。
 少し経ってから、マリンの部屋にマクスがふらっと入って来る。
「おう、起きたか。全く、テメェら無理しやがって」
 マクスはマリンをひょいと抱きかかえて、やれやれと首を振る。
 動けないマリンを気遣っての事だった。
 マリンはみんなの優しさが嬉しくて、少し泣けてきてしまう。
「マクス、セクハラは無しよ?」
「おうおう、しねぇよ、お姫様を下に運ぶだけだよ。信用ねぇなぁ」
 マクスはマリンを抱きかかえて、たんたんと階段を降りていった。


「マリン! 大丈夫かい!?」
 真っ先に駆けつけてたのは女将だった。
 その声を聞きつけて、他のレンジャー達も一斉に集まってくる。
「……ごめんなさい、心配かけて」
 マリンが真っ先に口にしたのは皆への謝罪だった。
「本当だぜ。だがもう謝るなよ。そんな事いいっこ無しだ」
 クロフォードは、フッと笑って髪をかきあげる。
「まあ、マリンがちゃんと目覚めてよかったよ……けど」
 女将が言葉を途中で切る。
 皆が少し重い空気になり、それがガントの事だというのはマリンにはすぐ分かった。
「ガント……どこ?」
 静まり返るロビーの向こうから、ガウ、と低い声が聞こえた。
 マリンは立ち上がり、その声の方向へよろよろとしながら歩いていく。
「ガント……、ガントでしょ?」
 廊下を堰き止めるように丸まっている銀色の塊に、マリンが声をかける。
 狼はすっと立ち上がり、三本の足で器用に歩いた。
「ガント……、生きてたんだ」
『当然だ』
 アニマルバングルがガントの声を訳し、マリンに言葉を伝える。
 後ろ足で立ち上がればマリンと同じ身長になろうかという大きな狼は、マリンの頬にそ
の獣の顔を摺り寄せた。
 マリンは狼の口にキスをし、ぎゅっと抱きしめる。
 そして暫く考えて、その茶色の瞳を見開く。
「……、うん、決めた」
『?』
 首を傾げるガントを連れて、マリンはみんなの前に戻る。
 そしてうんと深く頷いて、女将の方を向く。

「女将さん、何ヶ月かお休みください! 私、ガントを元に戻しに行って来ます!」

「えぇえ!?」
『!?』
 皆が一斉に驚き叫ぶ。
「マリン、悪魔の呪いを解くなんて、早々無理よ?! 私も神父も試したけどダメだったの
よ?!」
 メディの言葉にマリンは首を振る。
「だから……、師匠を追いかける。きっと師匠なら何か知ってると思うの。だから、まず
カヒュラに会いに行こうと思うの。師匠、カヒュラに会いに行くって言ってたから……。
ガントは私を護ってくれた……だから今度は私が助ける番なの!」
 マリンは女将に向かって深く頭を下げる。
「ごめんなさい、人が足りないのに更に足りなくしちゃって……。ちゃんとレンジャーと
して此処に帰ってくるから……お願いします! 行かせて下さい!!」
「ガウ……」
 どうやらガントも同じ気持ちらしく、女将に頭を下げる。
「……、わかった、行っておいで。その代わり約束しておくれ。必ず二人揃って帰ってく
るってね」
「……女将さん!!」
 マリンは女将に抱きつき、肩を震わせた。
 そんなマリンを女将も優しく抱き返す。
「せやけど、カヒュラの居る場所なんてマリンわかるんかいな?」
「おう、俺知ってる」
「俺様も大体見当はついてるが」
「何でしってんねんおめぇら」
 アレイスがマクスとクロフォードにダブルで突っ込みを入れる。
「ならば、二人のうちどちらかが途中までついて行ってやるのはどうだ?」
 ローラの提案に二人ともokをだし、どちらか時間が空いている方という事が決定する。
「そうだね、雪が解けてからが良いから、三月になってからで良いんじゃないかな」
「三月か……、式、延期しようかな」
 モースの一言にマリンが断固反対する。
「何で!? やだ! 結婚式見てから行くもん!」
「せやな、このオヤジのおもろい姿、見たいわなぁ」
「おもろいとは何だよ!」
「たしかに、俺様も楽しみだね。タキシード、着るんだろ?」
「てめぇら! 人をからかいやがって!」
 モースが真っ赤になるのがおかしくて、みんな笑ってしまう。 
 暗く沈んでいた『今昔亭』に、ようやく笑いが戻ってきた。 
「それにしても、ガント狼になってもデカイよな。俺、この状態で身長勝てなかったら、
マジで泣きそうなんだけど」
「ガウ」
 ガントが何か言ったようだったが全然理解できず、リオンは首を傾げる。
「な、マリン、ガントなんて言ってんだ?」
「ん? 『じゃあ比べてみるか』って」
「くそー! どうせ負けてんだよ! あー! もー!」



 冬の風とは全く反対の、今年最初の春の風が『今昔亭』の窓を揺らす。
 運命の波を越え、マリンはまた新たな旅立ちを決めた。
 姿を変えてしまった愛する人を抱きしめ、「必ず元に戻す」とマリンは心に誓った。
 もう、マリンの心に悲壮感はなかった。
 こうなってしまった以上、前を向いて歩くのみだ。

 そして、マリンは改めてガントを抱きしめる。
 狼になってしまったその姿も、密かに気に入っているマリンなのであった。




おわり


    
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