☆桃兎の小説コーナー☆
(07.12.22更新)

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 レスは日記でしております〜。



 ドラゴンマウンテン 
  第11話
 最強と呼ばれるレンジャー(下)
 


      6

 マリンは震えていた。
 山の上から吹き降ろす冷たい風のせいでも、足元に積もる雪のせいでもない。
 目の前で唸るモンスターに気圧されていたのだ。
 狂気を孕んだ赤い目は血を求めるようにギラつき、目の前のレンジャー達を食い入る様
に見つめている。
 その目の輝きに、マリンは以前戦ったヴァンパイアを思い出していた。
 だが、今回のモンスターはそれとは確実に違うという事をマリンは感じていた。
 そのモンスターの瞳は、ヴァンパイアと違って知性の欠片すら感じさせない、まさに狂
った獣といった印象だったのだ。

「ゴウウウッ!!」
 不意に唸りを上げたモンスターが、真っ直ぐにマリン達に向かって雪原を走り出す。
 猛然と迫り来る白い塊に、マリンは思わず怯んでしまう。
「やだっ、足早いっ!?」
 回避に移ろうと足を動かすものの、雪の上だ。
 滑る上に異様に足が重たい。
 だが動けないのはマリンだけではなく、その前にいるローラとアシュレイもだった。
 マリンより幾分早く動けるようだったが、とてもいつもの動きとまではいかないようだ
った。
「ちぃいっ!!」
 迫り来るモンスターに、ローラの大剣が迎えうつ。
 エンチャントの炎を纏う大剣は、ゴウと音をたてながらモンスターへと振り下ろされた。
 だが、敵は雪に生きるモンスター。
 素早く後ろへ飛び跳ね、その剣をすんでのところでかわし一気に距離をとる。
 空を切った剣が地面に突き刺さり、炎が雪を溶かした。
「……雪が、予想外に深いな」
 踏ん張りの利かない足元に、ローラは苛立っていた。
 まともに動けない上に、攻撃も力が入らない。
「もう少し、雪が固まってくれてたら、話は別だっただろうな。新雪はさらさらだからな
ぁ」
 ハルバードを構えたまま、アシュレイも愚痴をこぼす。
 だが、モンスターは即座に体勢を直すと、改めて3人へと突進する。
「ウゴオオ!!」
「ふんッ!!」
 振り下ろされる丸太のような腕を、ローラは大剣で弾く。
 が、その力に押されて思わずよろめく。
「ふっ!!!」
 動きの止まったモンスターに、アシュレイが間髪を容れずにハルバードを振り下ろす。
 だがそれも、力の入らないゆるい攻撃故に、あっさりとかわされてしまう。
 モンスターは振り下ろされたハルバードを掴むと、そのままアシュレイごと持ち上げた。
「うあっ!」
 モンスターは軽々とそれを振り回すと、激しく雪の上にたたきつける。
 なんとか受身をとったものの、その衝撃は大きく、アシュレイは小さく唸った。
「貴様っ!!」
 ローラの怒りの剣が横薙ぎに放たれたが、剣はむなしく空を切った。
 モンスターは素早く、再び振り下ろされた攻撃すらあっけなくかわしてしまう。
「ゴゥ!」
 ぶんと腕を大きく振り回したモンスターが、そのままの勢いでローラに拳をぶつける。
「ローラさんっ!!」
 マリンの叫びもむなしく、頑丈な鎧とモンスターの拳が大きな音を立ててぶつかりあう。
 腹を守る鎧が歪み、紙切れのように弾き飛ばされるローラに、マリンは青ざめる。
 直撃ではあったが、そこは元モンスターハンター。
 上手く力を受け流しその勢いのまま雪の上に転がると、再び起き上がり剣を構えた。
「ぐぅっ……!」
 体の奥に響くようなダメージに、ローラは眉間に皺を寄せる。
 モンスターはそのまま距離をとり、少し離れた場所で再び体勢を直すと、傷ついた二人
を眺めニヤリと笑った。  
「……、いくらエンチャントしていても、力が入らないんじゃあんなもん、か。あぁ、痛
い」
 剣を構え敵を牽制するローラの後ろで、アシュレイが体を起こす。
「重い一撃が必要。だが、この足場では踏ん張る事も出来ない。腹立たしい」
 足元の雪を蹴り、ローラはいらついた表情で吐き捨てた。
「それに……分かるか? アッシュ」
「ん?」
「こいつ……昨日あった奴とは段違いだ。おそらく別の固体だ」
「あぁ、やっぱり? どうりで攻撃がちっとも当たらない訳だよ」
 アシュレイは肩を落とし、ハァとため息をつく。
「素早さも断然上だ。……ということは、だ」
「うん、最悪だなぁ。 変異種は一体じゃない、そのことも確定か」
 ローラとアシュレイの表情が曇る。 

 そんな二人の戦士の目線の先には、ゆらゆらと体を揺らすモンスターの姿があった。
 体を覆う長い毛を揺らしながらゴフゥと息を吐くそのモンスターは、人間の頭二つ分ほ
ど高い背丈で、体格もがっしりとしている。
 人の形をした、人ではない化け物。

「あれが……イエティ?」
 初めて見るそのモンスターに、マリンは目が離せないでいた。
「そう、あれがイエティ。しかも変異種のイエティだ。半端なく硬い上に、この雪でもあ
れだけの速さで動くんだ。全くもって厄介だね」
 そうアシュレイが話し終えたところで、再びイエティが突進を仕掛ける。
「マリンは絶対来ちゃダメだからね!」
 そう言うとアシュレイは再び、ローラと共に構えなおす。
 マリンは向かって行こうとするものの、やはり上手く動けず、結局その場で防御の姿勢
をとることしか出来なかった。

「ゴォオッ!!」
 荒ぶる獣の勢いは、とどまる所を知らない。
 ローラたちがまともに動けないのをいい事に更に激しい攻撃を仕掛けてくる。
「ふんっ!」
 炎を纏う剣がイエティのわき腹を掠めるが、イエティはそんな事気にした様子も無くロ
ーラに掴みかかろうとせまる。
「ローラッ!」
 ローラの目の前にアシュレイ飛び出し、アシュレイはそのままイエティに肩を掴まれる
格好になる。
 右肩の鎧がその握力でみしりと歪み、そのままアシュレイの肩にめり込む。
「うあああ!」
 アシュレイの手を離れ、どすっと雪原に落下するハルバード。
 イエティはそれを蹴飛ばすと、アシュレイをそのまま繰り返し殴りつけた。
「アッシュを離せっ!!!」
 鈍い痛みに顔を歪めながらローラが剣を振り下ろすも、イエティはアシュレイを盾にし
てニヤリと笑う。
「なっ!?」
 思わず剣を止めたローラに、イエティは問答無用で蹴りかかった。
「ゴフッ!?」
 激しい衝撃が、ローラの腹を貫く。
 その場に膝をつき、かはっと血を吐き出す。
 赤い血が雪の上に花が咲いたように散る。
 それをみてイエティは満足げに笑い、アシュレイをぶんと投げ捨てた。
 雪原に放り投げられたアシュレイは、マリンの足元まで吹っ飛ばされ低く唸った。
「私、このまま何もせずに見てちゃ……だめだっ!」
 心を覆い尽くす様な恐怖をぐっと押さえ込み、マリンは魔石を握り締める。
「炎の精霊よ! 我に答え……!」
 大量の魔力を魔石から引き出し、詠唱に入ろうとするマリンの手を、血に濡れた大きな
手が不意に掴む。
「だめだよ。攻撃の魔法は」
 アシュレイが眉を吊り上げ、マリンを見つめる。
 そんなアシュレイに、マリンは大きく首を振った。
「どうして!? 何故止めるんですか!?」
「落ち着いて、マリン。僕もローラも、まだ大丈夫」    
「そんなっ、大丈夫な訳……!!」
 マリンたちの前方でイエティにいたぶられるローラ、それに目の前で血に濡れるアシュ
レイに、マリンはすっかりパニックになっていた。
 ローラはイエティに大きく蹴りをいれられ、こちらに向かって吹っ飛ばされる。
 地面に叩きつけられたローラは少し呻くと、ふらりと再び起き上がる。
 ゆっくり立ち上がると、血を吐き捨て一度大きく息を吸った。
 するとローラは、一切ふらつくことなく、何事も無かった様に剣を構えた。
 あれだけのダメージ受けていながら、再び立ち上がるローラに、マリンはドキリとなる。
「フッ、ここまでダメージを受けるのは、久しぶりだな。前に上でドラゴンと戦って以来
かな? ほらアッシュ、自分の武器を落とすなんて、それこそ命取りだ」
「あぁ、ありがとう。感謝するよ」
 ローラからハルバードを受け取り、アシュレイも立ち上がる。
「ロ、ローラさん、いつの間に……!?」
 ずっとイエティから攻撃されていたにも関わらず、きっちり武器を回収してきたローラ
に、マリンは呆然となってしまった。  
  
「さぁ、アッシュ、何か対抗策は?」
「僕達だけじゃ手に負えない。そこで、魔法の出番だ。マリン、この足元の雪、何とかで
きない?」
「……雪? 魔法で直接攻撃するんじゃなくて……?」
 困惑するマリンの頭にぽんと手を置き、アシュレイは話を続けた。
「そう。相手はあの速さだからね。いくら必中の魔法でも、かわされる可能性があるだろ?
マリンの魔石を使う魔法で、あの変異種の化け物に勝てるだけの<火>の魔法を何回も打
てないだろ? いや、マリンじゃなくても、どんな優秀な魔法使いだってうてないよ。同
じ難しい魔法を使うなら、確実に、だ。雪さえ何とかなれば、僕達がなんとかするから。
いいね?」
「確実に……」
 マリンは月明かりで輝く一面の雪を見て、しばし考える。
「なんとか……、うん、頑張ってみます」
 マリンはあらかじめ持っておいた魔石を握り締め、こくんと頷いた。
「イエティの一番怖いところは、その怪力だ。僕やローラはこの状態でも大丈夫。だけど
マリンが食らえば一撃の可能性がある。そうならないように、僕達がイエティを引きつけ
るから。頑張ってマリン」
 マリンにそう言うと、ローラとアシュレイは再び向かい来るイエティに剣を向けた。
 その間に、マリンは詠唱の準備に入る。

「雪を……、ただ炎で溶かすくらいじゃダメ。この寒さじゃすぐに凍って今度は氷の地面
になっちゃう……。考えて、マリンっ……!!」
 恐怖に揺さぶられながらも、マリンは必死に呪文を練る。
 その場で新たに紡がれる呪文に、精霊達が答えた。
「えぇと、サンシャインっ!!」
 即座に思いついた言葉を、呪文の発動のキーワードにして、マリンは空へと手を翳した。
 マリンの手に握られた魔石が一斉に光を放ち、そこを中心にして熱風が奔る。
「!!?」
 イエティが攻撃の手を止め、マリンを凝視する。
 マリンの手の上には、光の塊。
 そこから発せられる熱風によって地面の雪が解け、その下の芝生が顔を覗かせる。
「……、なんていう魔法だ。気温そのものを……変えたのか?」
 炎を走らせて雪を溶かす事を予想していたアシュレイが、周りを包む暖かさに驚く。
 春のような風があたりを駆け抜け、あっというまに雪を溶かしていく。
 ローラも驚きの表情で、思わず足元を見る。
 最早足元は、唯の濡れた草原と化していた。
「これならばっ!!」
 幅広の大剣をぶんと構え直し、ローラは走り出す。
 さっきまでとは全く違う動きに、マリンは目を見開いた。
 風の様に速くて、迷いの無い剣筋。
 全力を込めたその重い一撃が、イエティに容赦なく襲い掛かる。
 ずんっと音をたて、ローラの厳つい大剣は頑丈なイエティの肩にめり込み、そのまま腕
を切り落とした。
「ゴアアアアッ!!」
 切り落とされた腕が炎に包まれ、地面でびくびくと動く。
 血を流し、炎に焼かれ、イエティは半狂乱になって腕を振り回した。
 ローラはその攻撃をいとも簡単にかわし、剣で受け流す。
「流石は変異種、簡単に死なぬか!」
 未だ息絶えぬモンスターに、ローラとアシュレイが互いにしかける。
 全力を発揮するローラ達に、イエティはかなりのダメージを受けていた。
 本来ならとっくに息絶えていてもおかしくないダメージだ。
 だが、その狂気の瞳は諦めてはおらず、動きが緩む気配はない。
 それを見て、光の玉を維持するマリンの表情が歪む。
 マリンの上で輝く光の玉は、徐々に暗くなり、風も冷たいものへと変わっていくのだっ
た。
「もう少し……もう少しだけ持続させないと……! 私に魔力があればっ……!!」
 自分の中に魔力が無いことが悔しくて、マリンはぐっと唇をかみ締める。
 二人が戦闘する後ろで、マリンは一人、焦る気持ちを抑えていた。
 嫌な汗が、マリンの背中を伝う。

 気温変化の魔法は、難しい上級の魔法だ。
 だが、難しい事はマリンにとって問題ではなかった。
 上級の魔法ほど、魔力が大量に必要、そこが問題だった。
 マリンの手の中で一つ、二つと、笑ってしまう様な速度で光の粒に変わっていく魔石達。
 そして、今、マリンの掌に残された魔石は一つ。
 唇をかみ締めて、マリンは目を細めた。

 魔法を持続させるには、唯一つ方法があった。

「ううん、やらなきゃ。今この魔法を途切れされる訳には……いかないっ!」
 強く言い放つ、その言葉。
 マリンは目を閉じて、ぐっと唇をかみ締めた。
 少し躊躇った後、髪を止めていたバレッタをそっと外し、それをぐっと握り締める。
 マリンのポニーテールが解け、さらさらとした黒髪が風になびく。
 バレッタにはめ込まれた、大きな水晶と二つのアメジスト。
 ガントに貰った、マリンの宝物だった。
(あいつを倒さなきゃ、町を……守れない。でしょ?)
 マリンはぐっとバレッタを握り締め、イエティを睨む。
 正直、使いたくは無かった。
 だが、きっとガントなら「そんな事気にするな、町を守るほうが大事だ」と、そう言う
とマリンは思ったのだ。

 『思い出の品は消えるけど、思い出は消えない』

 そう自分に言い聞かせ、マリンは両手を上にかざした。

 マリンは魔力追加の詠唱に入り、魔石の魔力の全てを精霊に捧げる。
 雪山での炎の精霊の力は弱く、複数の精霊を連れているマリンであってもその威力を上
げるのは難しい事だった。
 だがその魔力に、マリンの心に、<火>の精霊と<風>の精霊が答える。
 光の玉は輝きを取り戻し、再び雪原に春の風が巻き起こる。


 マリンが魔力追加の詠唱を始めてから、ここまでたったの二秒。

 驚異的なスピードで呪文を練り上げる。
 それが、魔力の無いマリンが魔法使いとしてのプライドをかけて、壮絶な訓練の結果手
にした最強のスキルだった。


 風を受けて、ローラとアシュレイが力を溜め、同時に踏み出す。
「死ねぇええええっっ!!!!」 
 大量に血を撒き散らすイエティに、ローラは腹に、アシュレイは頭にそれぞれ渾身の攻
撃を加える。
「!!!!」
 頭を割られたイエティが、叫ぶ事も出来ずに身を強張らせる。
 腹はほぼ両断の形で、かろうじて背骨で繋がっている程度だった。
 二人同時で仕掛ける息のあった攻撃。
 それが二人が『最強夫婦』と呼ばれる理由だった。
 エンチャントの炎に包まれ、イエティはあっという間に燃え尽き炭の柱へと姿を変えて
いく。

「……凄まじいな。リスクにあっただけの威力、か」
 普段の地面となんら変わらぬ足元に、頬をする抜ける暖かい風に、ローラは目を細める。
 イエティが確実に絶命したのを確認すると、剣を納めマリンの方へと振り返った。

「はぁっ、はぁっ」
 大きな魔法を使った反動で、マリンは汗だくだった。
「もう、精霊ったら、体力まで、吸ったな!?」
 本来精霊は魔力のみを糧に生きているのだが、稀に術者に抗議だったりを伝えるために
体力を奪う事がある。
 魔力に余裕が無い状態での雪山での無理な精霊の行使だ。マリンは文句も言えない。
「マリンを連れてきて、正解だったな。町の魔法使いじゃこんな魔法、使えないだろうか
らね」
 アシュレイがにこりと笑い、ふらつくマリンの背中を支えた。
「町の……魔法使い? 絶対負けないよ? あんなじいちゃんやばあちゃん、若い人にも
……ね!」

 そういって笑おうとしたマリンを、何かが貫いた。  


「んはぁあっ!!?」


 それは物理的なものではなかった。
 ぞくぞくと体を駆け巡る、熱い魔力。
 頬は紅潮し、脈拍がぐんと上がる。
 額に汗が浮き、体の奥がざわめく。
 マリンの脳裏によぎる、ガントの姿、そして交わり。
 快楽にも似た魔力の波動に、マリンは思わずへたり込んだ。

「どうしたマリン!? この魔力、一体……!!?」
 驚くローラに、マリンは首を振る。
「だい……丈夫……、これはガントの……魔力……!!」
 左手の人差し指にはめられた小さな石のついた指輪からから流れ込む、大量の魔力。
 アシュレイはちりちりと痛い魔力に押されながらも、その指輪にそっと触れた。
「これは……、契約の指輪? 魔力を転送する力を持ってるのか。相手との繋がり次第で
その魔力の質が変わるようだね。もう一つの指輪を持ってるのは、ガント? ふむ、二人
の繋がりは相当強いみたいだね、マリンに送られてくる魔力の質が劣化してない。だが、
これは送り元の魔力の質も相当高いって事。……って、あのガントに……魔力?」

 不思議そうにするアシュレイに、マリンは途切れ途切れに呟く。

「ガント……、変身したんだ……! 何かあったんだ……!! んんあぁああっ!!」
 一瞬、塊のような魔力がマリンを通り過ぎたかと思うと、すぐに魔力の流れは穏やかな
ものにかわった。
 魔力の奔流がようやく落ち着き、マリンは息を整える。
 紅潮したままの頬、吐息で濡れた唇。
 ほんのり色気のようなものが漂うマリンに、ローラは戸惑いつつも問いかけた。
「ガントが変身? 一体どういうことだ?」
「ガントは、獣人なんです、月で変わるタイプの……。本人曰く、中途半端らしいけど」
 額の汗を拭い、ゆっくりと立ち上がるマリン。
「ガント、今、確か依頼で冒険者を……。何か、起きたんだ。じゃないと変身なんて……
!」

 その時、山の上からかすかに人の気配がした。
 それにいち早く気付いたローラが立ち上がり、山の上のほうを見上げる。

「おーい! だれか、だれかいるのか!? 助けてくれっ!!」

 その声を聞いて、ローラが真っ先に駆け出す。
 遅れてたどり着いたアシュレイとマリンが見たのは、血まみれの相方を背負う冒険者だ
った。
 一人は完全に意識を失っていて、出血も激しい。
 もう一人の赤毛の冒険者は無傷のようだったが、すっかり息が上がっていた。
「大丈夫か? 何があった? 君達二人で山に来たのかい?」
 アシュレイが意識の無い冒険者を受け取り、赤毛の青年に問いかける。
「いや、違う、俺達はレンジャーと……くっ!!」
 膝から崩れる青年を、ローラが片手で受け止める。
 相方を抱えたまま、ずっと山道を降りてきたのだろう。肩で大きく息をしている。
「上で、四合目の遺跡の入り口でレンジャーが戦ってる……! 俺達を逃がそうと……!」
「レンジャーって、まさか……」
 震えるマリンに、青年がその名を告げる。
「そのレンジャーの名はガント。おかしな動きのイエティが突然襲い掛かってきたんだ。
同時に二匹、もう、訳が分からなくて……!!」
 首を振る冒険者に、マリンは凍りついた。
「上に更に二匹…か」
 奥歯をかみ締めるローラに、マリンがぎゅっとしがみつく。
「ローラさん! ガントがっ! ……ガントがっ!!」
「落ち着けマリン。アッシュ、どうする?」
 目にいっぱい涙を溜めるマリンを撫で、アシュレイをちらりと見る。
「うん、これは急いでガントを援護しに行くべきだろうね。だが、この冒険者を置いてい
くわけにもいかない」
 アシュレイは血に濡れた冒険者を背負うと、すっと立ち上がった。
「二手に分かれよう。僕は二人を下山させる。意識の無い彼が気になる。マリン、森で言
っていた安全な道を教えてくれ。ローラとマリンはガントの元へ向かうんだ。マリンの魔
法は絶対に必要だし、今の状態のマリンだったら、さっきよりも戦えるはずだ。ローラ、
どうだい?」
「異論は無い。……急いだ方がよさそうだな。マリン、いけるか?」
「……行きます!」
「よし、ならば決定だ!」
 三人は拳を合わせ、頷きあう。
 マリンは安全な道のメモが書いてある手帳をアシュレイに手渡す。
 それを受け取ったアシュレイは、冒険者と共に町へ向かって山を降りていった。


「さぁ、間に合ってくれると良いが」
 走り出そうとするローラを掴み、マリンは魔方陣を描きだした。
「四合目まで、魔法で移動しましょう。今の私は、使い放題できるんです」
 体から魔力を溢れさせながら真剣な顔のマリンに、ローラは少し考えた後で頷いた。
「よし、ならば移動はそれでいい。その方がよっぽど早く着くだろうしな。よし、任せた
よ、マリン」
「了解です! ローラさんつかまってください、行きますっ!!」
 片手を上に突き出し、マリンは魔力を放出させる。
 マリンの光の魔方陣が、ふわりと二人を包んだ。

 ぐんっとひっぱられるような感覚の後、ローラが目を開けるとそこは先ほどよりも多く
雪の積もった大地だった。

「ウォオオオッ!」
 少し遠くから聞こえる咆哮。
「ガントの声だ!」
 ビクンと反応して、振り返るマリン。
 さっきよりも強い風が、マリンの髪を宙に舞わせる。
「足場が悪いのは変わりない。気をつけるんだマリン。行くぞ!」
 山からの凍てつく風に押されながら、ローラは前へと進む。
 深い雪を蹴り、マリンも必死に後を追う。


 ワーウルフの唸る、その方向へと。

     7 

「ウゴアアアアアッ!!!」
 月の光を浴びて銀色に輝く三体の獣が、大きく吼える。
 二つはイエティだったが、もう一つは耳と尻尾を生やした人型のものだった。 

 顔と体は銀色の毛に覆われていて、裸足になった足とグッと握られた手は人のサイズに
まで大きくなった狼のそれのようだった。
 顔まで狼の形をしていたなら一目でワーウルフだと分かったかもしれないが、知らぬも
のが見たら、半獣の獣人にしか見えないかもしれない。

「コノ先ヘハ、行カセナイ! 諦メロ!!」
「ゴオオッ!!」
 獣人の男の警告をまるで聞いていないかのように、モンスターは構えを崩さない。
 獣人はぎりりと奥歯をかみ締め、苛立つ。
 普通の攻撃が効かないこの難儀なイエティに、変身を余儀なくされた事が苛立ちの原因
ではなかった。
 いくら不意打ちだったとはいえ、とっさに依頼主を守れなかったこと、依頼主を守る為
とはいえ、この雪山を山小屋まで二人だけで下山させてしまった事が、彼を苛立たせてい
た。
 冒険者はかなりの腕の持ち主で、山小屋までならなんとかなる事は分かっていた。
 だが、それは彼にとって最後の手段だったのだ。
 無事に山小屋までたどり着けたのか、そればかりが気になって仕方なかった。
「大体オ前達ハ、ナンナンダ? 魔力ヲ乗セタ攻撃シカ効カナイイエティナド、聞イタ事
ガ無イ」 
 魔物を引きつけている際に、牽制のために数回反撃したのだが、変身前は一切ダメージ
が通らなかった。
 だが、変身後は相手にダメージがいくようになったのだ。
 前者と後者の違いは、魔力の有無。
 不気味に笑う二匹のイエティを睨みつけ、獣人は眉間に皺を寄せた。

「ダガ、コノママデハ……、流石ニキツイカ」
 満月の魔力の恩恵、ワーウルフの無限の体力。
 それをフルに活用し、二匹を下に行かせない様に引きつけていたのだが、さすがに限度
がある。
 いっその事倒してしまいたい所だが、一匹相手にしている間に片方が逃げてしまっては
元も子もない。
 足元の雪は獣の足のお陰でさほど問題ではなかったが、このままの状態を何時までも続
ける訳にはいかなかった。
 相手が諦めてくれれば良いものの、その気配は全く無い。

「クッ……!」
 間合いを計り、じりじりと近づく二匹の化け物。
 だがその時、遠くから近寄る影に気付き、モンスター達は視線をそちらに向けた。
(まさか、冒険者が戻ってきた……!?)
 だがその予想は違っていた。
「お前……、お前ガントだな!? 私だ、レンジャーのローラだ!」
 雪の草原の向こうから現れたのは、良く知っているレンジャーだった。
「何故ローラサンガ、ココニ?」
 突然現れた女戦士に、驚きの表情を見せるガント。
「詳しくは、後でだ! まずは変異種を倒してからだ!」
「リョ、了解です。……ソウカ、コイツラハ変異種ダッタンデスカ」
 今まで盾の様に変化させていた手甲を、元の形に戻し、ガントは額の汗を拭う。
 納得したように頷くガントに、ローラが一言告げた。
「とにかく、あいつがここに着くまで少し待ってくれ。そうすれば、私も動けるようにな
るから」
「??」
 良く分からないといったガントに「一匹ずつだ」と合図を送り、ローラは剣を翳す。
 ローラの合図を見て、ガントは考えるのを後回しにし、イエティを迎えうつべく構えな
おした。

 新たな敵の出現に、変異種は動揺していた。
 すぐさま二匹は、新しく現れた女戦士に向かって突進してきた。
「はぁっ!!」
 先頭のイエティを牽制すべく、ローラは大剣を振り下ろす。
 ローラの剣をイエティは難なくひらりとかわし、その隙間からもう一匹が拳を繰り出す。
 拳を突き出したもう一匹に、ガントが背後から蹴りを放つ。
 魔力の乗った重い蹴りがイエティの内臓を揺らす。
「ウガウッ!」
 イエティが怯んだ、その直後だった。
 ガントの体に吹きつける、暖かな風。
「ナッ、コレハ!?」
 感じた事のある魔力の波動。
 強引に歪められる気温。
 足元から一瞬にして消えていく大量の雪。

「サンシャインっっ!!!!」

 聞き覚えのある少女の声に、獣人の心臓がどくんと跳ね上がった。
「ナ…、マリンカ!? 馬鹿ナッ!!?」
 驚き戸惑うガントを見て、今がチャンスとばかりにイエティが飛び掛る。 
「オ前ハ黙ッテイロッ!!」
 ガントは忌々しげにイエティを一瞥すると、相手の動きを予測し素早く構えた。
 突き出されたイエティの腕をとり、そのまま相手の体勢を崩すと、ガントは勢い良くそ
の頭を回し蹴りの要領で蹴飛ばす。
 その蹴りは速く、そして重い一撃だった。
 ごきん、と鈍い音が鳴り、イエティの首が変な方向へ曲がる。
「やぁっ!」
 その横ではローラが大剣を横薙ぎに振るい、イエティの首を跳ね飛ばした所だった。
 イエティの首から赤い血が噴水のように上がり、一気に血を失った体はがくりと崩れ落
ちていった。
「ナイス、クリティカル」
「そっちもな」
 拳をあわせるのもそこそこに、ガントは熱風の発生源に向かって走り出す。
「はぁっ、間に合った、あう、疲れた」
 両手をかざし、荒く息をするマリン。
 ぱたんとその場にへたり込む少女を、獣の腕がそっと抱きとめた。
「何故オ前ガ、冬ノ山ニ居ルンダ!!?」
 汗だくになっているマリンの頬を撫で、ガントは困惑した表情で眉間に皺を寄せる。
「私が連れてきたんだ。責めるなら私を責めろ」
 大剣を背中に収めたローラが、二人の前に立つ。
「ナンテコトヲ……!!」
 女戦士を睨みつけ唸るガントを、マリンが慌てて押さえる。
「今回、だけだから……っ」
 ガントはローラを睨みつけたまま、硬く握った拳を地面に打ちつけた。

「ウォゥ」

 少し離れた所から、聞こえてきた小さな声に、三人が顔を上げる。
 それは先ほどの変異種よりも一回り小さなイエティだった。
「……、仲間を倒されて来たのか!?」
 慌てて剣を抜こうとするローラをマリンが止めた。
「ま、待って、違う、あのイエティ、変異種じゃない、何か言ってるの!」
 ガントに支えられながらよろりと立ち上がり、マリンはイエティに近づく。
「行クナ! 危……!」
「大丈夫、だから」
 マリンはイエティのすぐ傍にまで行き、イエティの声にこくこくと頷く。
 しばらく話した後に、イエティはマリンに何かを手渡し、そっと去っていった。

「すごいね、この腕輪。イエティの言葉、わかっちゃった」 
 手首の刺青を撫でて、マリンは小さく笑う。 
 二人の元に戻ってきたマリンは、ガントにもたれながら話し出した。

「えとね、まず、ごめんなさいって。自分の仲間が迷惑をかけたって。おかしくなった三
人の仲間を追ってたら、こんな低い地点まで降りてきちゃったんだって。おかしくなった
原因はわかんないけどって。最初に上の地点からローラさんをつけてたのは、さっきのイ
エティだったらしいよ。あ、そんでね?」

 マリンは手袋の上にちょんと乗った水晶のような複数の石を二人に見せる。
「これ、お詫びだって。永久氷だって。よっぽど申し訳なかったのかな。これ、凄い宝物
だよね。さっきの冒険者の人にも分けてあげよ……うね……」
「マリン!!?」
 気を失うように倒れこむマリンを、咄嗟に支えるガント。
「……、寝タノカ」
 すー、すー、と寝息を立てるマリンを、ガントは愛しそうに抱きしめた。
「……、森を越えて、イエティと戦って、今までろくに休めていなかったからな。本当に、
マリンには無茶をさせたと思っているよ」
「全クダ」
「そう睨むな。だがマリンのお陰で、皆助かったんだ。そうそう、ガントと一緒だった冒
険者は、アッシュが下山させたぞ。安心しろ」
「ソウカ、無事ニ下山デキタノカ。ヨカッタ」
 ガントはほっとしたような表情をうかべて、息を吐いた。
「さて、私達はどうする?」
 ローラの問いかけを聞きながら、マリンと自分の荷物を背負いガントは立ち上がる。
 山からの風は更に強さを増し、降り積もった粉のようなの雪をぶわっと舞い上げる。
「山ヲ降リヨウ。本当ナラ山小屋デ一泊シタイ所ダガコノ風ダ。夜ガ明ケル頃ニハ吹雪ニ
ナル。俺達二人ナラ、急ゲバ朝マデニハ下山出来ル」
「ふむ、そうだな。吹雪いたら数日身動き取れなくなるしな。多少無理してでも降りた方
がよさそうだな」
 流石に疲れたのか、ローラはふぅと息を吐き、紫の髪をかきあげる。
 時刻は午後九時。
 ローラとガントは町を目指し、急ぎ足で山をすべる様に降りていった。  

 帰りの道は、風以外は穏やかなものだった。
 吹雪の襲来を感じてか、モンスターは一匹も出ない。
 山小屋でマリンとローラの荷物と冷めてしまった料理を回収し、二人は森に入った。  

 森に入ってからも、二人の歩くペースは落ちなかった。
 5年以上の経験を持つレンジャーはこうも動けるのか、と、マリンが起きていたら愕然
とするに違いない。
 だが、彼女はガントの背中にしがみついたまま、未だ起きる事は無かった。
 森に入って数時間、もうすぐ出口という所でローラが、ガントにふと話しかけた。
「……ガント、一ついいか?」
「ナンデスカ?」
「なんだか喋りにくそうだから、頷く程度で返事してくれ。で、ガント。その変身で得た
力……相当な物だと思うのだが。今、私とガントが戦ったら、どちらが勝つと思う?」
 ガントは返事をせず、暗い森を突き進む。
「きっと良い勝負になる。普段のお前になら、絶対に負ける気は無いんだがな」
「ナラバ、今度、昼間ニデモ戦ッテミマスカ」
「それも面白いな」
 二人でそう言って、同時にニヤリと笑う。
 ローラとガントの共通点は『戦う事が好き』という所だろうか。
 アシュレイがこの会話を聞いたら「やめなよ」と速攻で止めに入るに違いない。
「……それにしても、マリンの魔法は凄かった。正直驚いたよ」
 すっかり熟睡しているマリンを見て、ローラは小さく笑う。
 だがその笑顔はすぐに消えた。
「マリンの魔法を見て思ったのだが……、ガントの魔力を使ってのあの魔法。魔石の時と
は威力が段違いだった。あそこまで精霊や魔法を使いこなしているのを見ていると……、
悪いがそこいらの魔物より、よほど恐ろしくも感じたよ」
「エェ、マリンノ魔法ハ半端ナイ。俺モ最初ハ驚カサレタ」
 当の本人は、ガントの銀色の毛に埋もれながら、なにやらむにゃむにゃ言っている。
 その寝顔は、幸せそのものだ。
「あれだけの魔法が使えるのに、魔力が無いとはな。なんという……、ん?」
 何かに気付いた様に、ローラはふと顔を上げる。 
「マリンに魔力が無いのは……まさか、意……!」
 その一言にガントはローラを無言で睨らみ、首を振った。
 その紺色の瞳には、悲しみのような、なんともいえない感情が満ちていた。
「……、そうか。分かった、何も言わないよ」
 ローラは言いたかった事を飲み込み、胸の奥にしまいこんだ。



 森の出口にたどり着いた時には、朝日が昇っていた。
 山を見上げると、真っ白に曇っていた。
 予想通り、吹雪になったのだ。
 あの状態になると、山の天候は確実に二、三日は吹雪のままだ。
 日差しを浴びたガントが、徐々に人へと姿を変えていく。
 一旦マリンをローラに預けて靴やら上着を着なおすと、ガントは再びマリンを受け取り、
二人は『今昔亭』へと向かう。
 積もった雪で子供達が遊んだのだろう、道の両端には大量に雪だるまが並んでいた。
「……、これからマリンは、どんな運命を辿るのだろうな」
 安心しきっているのか、すっかりゆるんでいるマリンに目をやりながら、ローラは呟く。
「何が起きようが、構わない。俺は……命果てるまで、傍に居るつもりだ」
「そうか。……強い想いだな。ふん、なるほど。二人の繋がりは相当強い、か」
 ローラは小さく笑い、『今昔亭』の扉を開けた。

     8

「うぅううぅ……」
 気がついたら、マリンは自分のベッドの上だった。
 傍には持ち運び式の薪ストーブがおいてあり、部屋を暖めている。
「あれ、なんでここに居るんだろ……? レンジャー服、着たままだし……」
 マリンは起き上がろうと体を起こそうとするが、なかなか体が動かない。
「な、いてて、筋肉痛!? よっ、みぎゃあああっ!??」
 足に激痛が走り、悶えるマリン。
 太ももも、ふくらはぎも、足の裏も、ずきずきと痛くて仕方なかった。
「ひうぅ……、とりあえずお風呂に行こうかな。うぅ」
 ぷるぷる震えながらなんとか立ち上がると、マリンは衣装タンスの上においてあるお風
呂セットと着替えを持ち、のろのろと部屋を出た。

 
「おかみさぁん、お風呂、入れるかなぁ」
 ぷるぷると震えながら階段を下りてきたマリンに、カウンターにいた女将が振り返る。
「おやマリン! ようやくお目覚めかい?」
「マリン、起きてきたの?」
「マリン大丈夫かよ!?」
 ロビーにいた仲間にも一斉に声をかけられ、マリンはわたわたとうろたえる。
「え、わ、私そんなに寝てたの?」
「寝てたも何も、明け方にここに戻ってきてから丸一日、全然起きてこなかったじゃない
かー! 俺、超心配したんだぜ!?」
 リオンが泣きそうな顔で、マリンに訴える。
 ロビーの時計を見てみると、夕方の四時だった。
「え……、そんないっぱい寝てたんだ……」
 少し驚いた様子でぽりぽりと頭をかくマリン。
「あぁ。全く起きないもんだから、奴が心配していたぞ?」
 ローラがソファーに座ったまま、くいっと裏庭を指差す。
 裏庭では、アレイスとガントが薪割りをしていた。
「薪ストーブあったろ? あれ、ガントが寒くないようにって薪を用意したんだぜ?」
 意地悪っぽく笑いながら肘でちょんちょんとつつくリオンに、マリンは真っ赤になって
俯く。
「さぁ、みんなマリンを引き止めるのはコレくらいにして。マリン、お風呂に行っておい
で?」
「はーい、いってきまーす」
 女将さんに声を変えかけられて、マリンはよろよろと歩きながら廊下の奥へと消えてい
った。
「マリンにはホント無理させたよな。ちゃんと目覚めてくれてよかったよ」
 マグになみなみと入れられたホットココアを飲みながら、アシュレイは呟いた。
「そうだな。でもコレで、年末の祭りも何も心配せずに思いっきり騒げる、というものだ」
 ローラは紅茶片手に笑顔になる。
「あー、楽しみだなー! 祭り!! 俺、年末年始の祭りが一年で一番好きだー!!」
 皆がさわいでいると、裏口から怪しい動きをしながらアレイスがやってきた。
 体をくの字に曲げて、「さむさむさむさむ」と両手を擦り合わせて小走りする様は、ど
う見ても怪しいし、若干気持ちが悪い。
 それを見たローラは、変なものを見るように眉根を寄せた。
 怪しい動きのまま暖炉の前にやってきたアレイスは、でんと陣取ってその場で固まった。
「うへぇ、外寒いのなんの! こんな寒いのに薪割りはあかんって」
 一足先に暖を取るアレイスを、後から来た男がごちんと殴る。
「文句言うな、普段はリオンとマリンがやってることだ。たまにはいいだろう。っていう
か片付けすっぽかして先に行くな、馬鹿ヤロ」
「……痛いやろが、ガント。全く、お前は何時だって容赦無しやなぁ」
 そんな2人を見て、女将さんが笑う。
「そうそう、ガント。マリン、起きてきたよ?」
「何っ?!」
「まて、今は風呂だ。上に行っても居ないぞ?」
 階段までダッシュで移動したガントに、ローラが冷静に突っ込みを入れる。
「な、なんだ、それならそうと」
 少し顔を赤くしながらロビーに戻ってきたガントに、リオンとアレイスが笑い転げた。
「ちょ! お前! 落ち着けよ!!」
「ガント、なんでそんな必死なんだよ! 分かるけどさぁ!」
「ちっ! 黙れッ! てめぇらッ!!」
 ガントは二人を両脇に抱え、首をぎりぎりと締め上げる。
 その様子が可笑しくて、ローラとアシュレイは笑いを堪えてぷるぷると震えていた。

「……、ガント、何してんの?」

 背後から聞こえた、聞きなれた少女の声。
 アレイスとリオンを抱えたままのガントが、ぴたりと動きを止める。
 マリンは頭をタオルでごしごしと拭きながら、呆然とその様子を眺めていた。
 濡れた黒髪、大きめのトレーナーにスパッツな姿のマリンに、ガントはふいっと目を逸
らした。
「……いや、何にも」
 吊り上げたリオンとアレイスをぼとりと下に落とし、ガントは冷静を装う。
「なんにもなくねぇよなぁー、いてー、本気出さなくてもいいじゃんー」
「全くや」
 ガントはリオンとアレイスの言葉を完全にスルーして、あっちを向いたままだ。
 そんな様子を見ながら、アシュレイがマリンにすっとカップを差し出す。
「マリン、ココアと紅茶、どっちが良い?」
「あー! ココアあるの!? ココアが良いですっ、ココアー!」
 貴重なココアがあると聞いて、目を輝かせながらアシュレイに駆け寄るマリン。
 だが、ガクガクの足が言う事をきかず、床に引っかかりふらりとなる。
「わわわわっ!!?」
 即座に手を差し伸べたガントが、マリンを支える。
「まだしばらく休んでろ。そんな体力で冬の山に行ったんだ。あと二日は残るぞ」
「ココアー、ココア飲むー」
 じたばたと暴れるマリンをガントはひょいと持ち上げ、ソファーに座らせる。
「……、マリンにだけはやさしいねんな、贔屓やんなぁ? リオン」
「全くだぜ。ガントはマリンの事になると……」
「悪いか?」
 眉間に皺を寄せてリオンたちを睨むガントを見て、ローラがぷっと吹き出す。
「正直な奴だ、お前は」
「……別に」
 ローラからふいっと目をそらし、ガントもマリンの横に腰掛ける。
 マリンはアシュレイからココアを受け取り、一口飲むたびにキラキラと目を輝かせてい
る。その喜びっぷりに、ガントも目を細める。
「……、まだ怒ってるのか、ガント?」
「いえ、別に」
「……絶対怒っとるやんな、ガントの奴」
「うん、間違いねぇな」
「だから、怒ってねぇっていってるだろが」
 そんなやり取りを聞いて、マリンは首を傾げる。
「……、なんで怒るの?」
「別に怒っている訳じゃないが……」
「私、良く分かったよ。雪山に行くレンジャーの凄さが。まだまだ無理ってよーく分かっ
た。だから、しばらくはもう行かないって、絶対」
「当然だ」
 厳しい表情のままのガントに、ローラがぽんと手を打つ。
「そうだ、年末の祭り。あのときにガントに私達から良いものをプレゼントしよう。だか
ら許せ。絶対気に入る」
 首を傾げるアシュレイに、なにやら耳打ちするローラ。
 それを聞いてアシュレイもうんうんと頷く。
「うん、それは良い考えだ。ガントも絶対納得するな!」
「……? なんですか??」
 訝しげにするガントをよそに、夫婦は盛り上がり、なにやら計画を立てだした。
「よかったねー、ガント。なんだろね、プレゼント!」
「……さぁな」
 ガントは目を瞑り、紅茶を一口のんだ。


「只今、諸君!!」


 大げさにポーズをつけながら、一人の戦士が依頼から帰ってきた。
「クロフォード、おかえり。どうだったね? 仕事の方は」
 そう聞かれるや否や、バサリとマントを広げクロフォードはポーズを決める。
「いやぁ、今回の依頼は、国のお偉いさんのイノシシ狩りの護衛だったんだが、うん、お
偉いさんはいたく俺様の事が気に入ったらしく、城の騎士にならないか? と、言ってき
たのだよ」
「「騎士!!?」」
 みんなが大声を上げたが、別段驚いてはいなかった。
 クロフォードはお偉いさん受けが良く、こういう話は良くあることなのだ。
「まぁ、俺様にはレンジャーという気ままでやりがいのある仕事があるからね、丁重にお
断りしたよ」
「そうかい、ありがとね。クロフォードが居なくなると、『今昔亭』は困ってしまうから
ね」
 女将は笑顔で頷いた。
「そう、俺様はナンバーワンだからな」
 さらさらの金髪をかきあげてフッと笑うクロフォードは、様になりすぎていて恐ろしい。
「えー、強さだけだったらローラさんのが上だろー?」
 リオンの意見にローラがにやりと笑う。
「戦闘力という点だけならな。誰にも負ける気はない。だがな、私達は冒険者や他の人の
相手をするのに向いて無いんだ。強さだけではレンジャーナンバーワンは名乗れない」 
 そう言って紅茶を飲むローラに、アシュレイもうんうんと頷く。
「そうだな。僕達は二人揃ってないと、だめだからなぁ。その点ではガントとマリンは優
秀だと思うよ? 片方ずつでも、ちゃんと仕事が出来る」
 そう言って苦笑するアシュレイに、クロフォードが絡む。
「アシュレイさんは奥さんを愛しすぎなんだ。あぁ、そうそう、そろそろ聞かせて頂きた
いね、二人の馴れ初めとやらを。まだ聞かせてもらったことが無い」
 その言葉に、アシュレイは真っ赤になってうろたえる。
「いや、あの話は照れるから! ローラっ、君からもなんとか言って……」
「そうだな、アレは七年前の話だ」
「話すの!!!?」 
 思いっきり驚くアシュレイをよそに、ローラは静かに語りだす。
「わ、わ、すっごく興味あるっ!!」
 マリンは向かいに座るローラを見つめて、目を輝かせた。
「長い話だから、途中までしか話さないからな」
「それでもいいからっ、早く!!」
「うん、俺も気になるな。最強夫婦が如何にして夫婦になったのか」
 ガントもローラの声に耳を傾ける。

 身を乗り出すマリンに、それをさりげなく支えるガント。
 そんな2人を見て、ローラは思わず笑顔になる。
 今まで話す必要を感じなかった話ですら、話しても良いかという気になる。

「ローラっ、やめてくれ、そんな昔の事、話さなくても……!!」
「黙れ」
「……!!」
「それでだな? ……」
 話を続けるローラに、リオンとアレイスがひそひそ話す。
「……俺、読めたわ。絶対アシュレイさんが追っかけたんや」
「俺もそんな気がする。……それにしてもローラさん強すぎだろ……一言かよ」  

 黙りこむ旦那を無視して、昔話をするローラ。
 その身長のせいでやたら大きく感じるアシュレイが、すっかり縮こまってしまって小さ
く見える。
 それが可笑しくて、カウンターで女将が小さく笑った。
 ローラの語るその長い物語に、その日の夜遅くまでまで、皆夢中になって聞いていたの
だった。


 外は綿のような雪がどんどんと降ってきて、地面を白く覆いつくしていく。
 年末の祭りの頃には、しっかり積もるだろう事は、間違いなかった。
「あーー!! もう、その話はー!! もう良いだろう!? あーーーー!」
 静かな雪の日に、アシュレイの叫び声だけが響く。  
 『今昔亭』は、今日もレンジャー達の笑い声で包まれているのであった。  




おわり。

 

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