☆桃兎の小説コーナー☆
(07.11.17更新)

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 レスは日記でしております〜。



 ドラゴンマウンテン 
  第9話
 宝物は秘密の場所へ(下)
 



     5

「…、数が多いな」
 真っ暗な森の中で、レンジャー二人が背中合わせで構える。
 二人の周りには複数のモンスター。
 足元に転がるトーチの光に照らされてギラリと反射するモンスターの目が、不気味に森
の闇に浮かぶ。
「いくら夜の森とはいえ…ここまで多いとは…」
 男はそう言うと眉根を寄せ奥歯をかみ締めた。  

 迷いの森。
 通称そう呼ばれるこの森は、慣れない者が入れば出る事が出来ないと言われる特殊な森
だ。
 木々の生命力は恐ろしく強く、火も効かなければ例え切り倒したとしても三日で元に戻
ってしまうほどの力を持っている。
 そこに住まうモンスターも決して侮れない強さで、冒険者やレンジャーを苦しめるのだ。

 男は、背後で呼吸を荒げる少女をちらりと見る。
「マリン、大丈夫か?」
「…う、うん。…なんとかっ。心配しないで、ガント」
 少女――マリンは気丈に返事をするが、そうは見えなかった。
 体の数箇所に傷を負い、顔色も良くはない。
「あとまわりに居るのは、…マッドボア二体にジャイアントビートルが…三匹か。」
 ガントは険しい表情で周りを確認する。  

 マッドボアは大イノシシの化け物で、大きな牙もその体を生かした突進も危険極まりな
いモンスターだ。昼間ならいざ知らず、夜は気性が激しくなるので危険度が増す。
 ジャイアントビートルは巨大化したカブトムシで、鉄の剣をも跳ね返す装甲を持ってい
て、コレも厄介なモンスターだ。
 二種類共にこの森での出現率は高くないはずだが、夜という時間のせいで多数徘徊して
いるのらしく、さっきから幾度もマリンたちの足を止めていたのだった。

「魔法…使っちゃ…ダメ?」
 マリンがちらりとガントを見上げる。
 魔法を使えば一気に蹴散らす事も可能だ。
「嫌な予感がするんだ。それに何度も使える物じゃない。魔法はモースさんを見つけるま
でとっておきたいんだ」
 マリンのポーチの中には魔石が五つ。
 すでに一つは使用中で、モースの位置をサーチするのに使っている所だ。
「ん、わかった。ごめんね、頑張る」
 マリンは深呼吸をし、ぐっと構える。
 ガントの勘は良く当たる。
 だからマリンはそれを信じ、無理を押して肉弾戦をしているのだった。
「ビートルは俺が引き受ける。ボアは…いけるか?」
「うん、任せて、倒してみせるよ」
 すっかり愛用の品となった銀の爪をぐっと握り締め、マリンは頷く。

「……行くぞッ!!」

 ガントの掛け声とともに、二人は左右に散る。
「やぁあっ!!」
 マリンは一番近くに居るボアの顔面に左の拳を入れ強引になぎ倒すと、それを踏み台に
してもう一匹のボアに飛び掛る。
「ブオオオオッ!!」
「ふんっ!」
 マリンはこちらに向かって突進するボアを左手でとんっとかわし、そのまま深く銀の爪
を食い込ませた。
「えぇえええやぁっ!!」
 全力でボアを掻き切ると、赤いしぶきがバッと森の木に散る。
 深くわき腹をえぐられたボアは泡を噴きゴフゴフとむせていたが、曇った瞳でマリンを
睨みつけると強引に起き上がり再び突進を仕掛けてきた。
「しつこいんだからッ!!」
 再びボアに向かって走ろうとしたその時、マリンはぐらりと揺らぐ。
 未だ下半身に残る違和感がマリンの脚力を奪った。
「やあっ…!?」
 その隙を逃すまいとボアは全力で突っ込む。
「マリンっ!!!」
 不意にマリンの体が宙に浮く。
 ガントがマリンを片手で抱き上げ、高く飛び上がったのだった。
 目標を失ったボアは、そのまま森の大木に突っ込み木をなぎ倒しながら昏倒する。
 着地したガントはマリンをそっと降ろすと、すぐさまボアに向かって走った。
「変われッ!!」
 ガントが右手に嵌めた赤い手甲に命じると、手甲は拳を覆うような広く鋭い刃を出し、
変形する。
「ふんッ!!」
 昏倒するボアの腹に向かって思い切り刃を突き立てると、そのままグッとボアの腹の中
に腕ごともぐりこませる。
「ブゴッ!」
 ボアは大きく一度啼くと、その動きを完全に止める。
 ガントの腕がボアの心臓を貫いたのだった。
「ゴアァアア!!」
 仲間のボアを倒されて怒ったのか、マリンになぎ倒されていたボアが再び立ち上がる。
 ガントはボアの腹から腕を引き抜くと、ぶんと振って血を払いボアを睨む。
「フォゴオオオオオオオオオッ!!」
 ボアはガントに向かって全力の突進を仕掛ける。
「馬鹿め」
 ガントはぎりぎりまでボアをひきつけた後素早く横に飛び、そのままボアの太い首に斬
りつけた。
 ボアは首から血を噴出しながらドスンと倒れ、周りに血生臭い匂いを充満させる。
 ガントは先ほどのボア同様に止めをさし、マリンの元に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「ごめんね、私…!」
 悔しそうに歯を食いしばり座り込むマリンを、ガントは左腕でそっと抱きしめる。
「無理をさせているのは俺の方だ。すまない」
 本来ならマリンを防御に専念させたい所だが、この数で何度も襲われてはいくらガント
でも倒しきれない。
 無理をさせると分かっていながらも、戦力として動いてもらわない訳にはいかなかった
のだ。
 ガントに抱えられマリンは立ち上がる。
 ちらりとボアの後ろを見ると、首を落とされた三体の虫がびくびくと痙攣している。
(ガント…やっぱり強い)
 隣に立ち、周りを警戒する大きな男を見上げ、マリンは頬を染める。
 その強さは憧れであり、尊敬に値するものだ。
「マリン、モースさんの居る方向は?」
 ガントの声にハッとして魔石を取り出し、マリンは改めて呪文を唱える。
「近いよ。この先。二分もあればつくと思う」
 マリンの手から放たれる魔法の光は暗い森の一点を真っ直ぐ指していた。
「よし、急ごう。行けるな?」
「うん、行こう」
 マリンたちはそれぞれに荷物を背負い、トーチの明かりを頼りに森を進むのだった。  



 先ほどの戦闘から数分の場所で、マリンたちは驚愕の光景を目の当たりにした。
「…こ、コレはっ…!!」
 足元に大きく広がる血だまり。
 歩くたびにびしゃりびしゃりと嫌な音をたてる。
 量からしてモンスターのものだと分かるが、その主たるモンスターの姿は無い。
「何かと…ついさっきまで戦ってた…感じだよね、ガント」
「そうだな」
 足元に広がる血を手にとり、ガントは頷く。
「まだ血が暖かい。間違いないだろう」

「来て…くれたか!」

 木の陰から聞こえる良く知っている声に、マリンたちは振り返る。
「モースさん!!」
 マリンは声の方向に駆け寄った。
 木の後ろで浅く息をしているのは、間違いなくモースだった。
「……!!!!」
 だがその姿を見てマリンは崩れおち、膝をつき震えた。
「どうした!?」
 その様子に周りを警戒していたガントも駆け寄る。
「……な、なんて事だ」  


 マリンたちが見たのは、あまりにもショックなものだった。
 血にまみれ、座り込んだモースの片足が…無かったのだ。
 何かに食いちぎられたように、右の太ももの半分辺りから先が無くなっている。


 マリンは見ていられなくなり、ガントの足にしがみつく。
 あんなにやさしいモースがこんな姿になってしまったのが恐ろしくて、悲しくて、自然
と涙が溢れてくる。
「マリン、泣くな。大丈夫だ」
 モースはニッと笑って見せるが、マリンはとても笑顔を返せる状態ではなかった。
「何が…あったんですか」
「いや、信号弾を打ってから、大分逃げ回ったんだがな。つい三十分ほど前に追いつかれ
てな。…この様だ」
 レンジャー経験の長いモースだからか、しっかりと応急処置はしてあるものの、骨がむ
き出しになった傷口は見ていられないほど惨いものだった。
「何にやられたのか、分かりますか?」
「どっかの遺跡から這い出てきたんだろうな。やっかいだよ。キャリオン・クローラーだ」
 モースの一言を聞いて、ガントの表情が一気に険しくなる。
「ガント、そのモンスター、何? 私知らない…」
 泣きながら尋ねるマリンに、ガントが低い声で話しかける。
「キャリオン・クルーラー。腐肉を好んで食らうウォームだ。三メートルはある馬鹿でか
い芋虫だ。麻痺毒のある八本の触手で襲い掛かる、本来なら遺跡とかにいる虫だ」
「やるじゃないか、ガント。完璧だ」
 モースはガントの答えに笑顔で頷く。
「なんとなく分かっただろうが、触手にやられてな。動けなくなった所で片足持ってかれ
ちまったんだ。すぐに薬で麻痺を解いて斧をぶん投げてやったんだがな。お前達に気付い
たんだろうな。旨そうに足咥えながら逃げていったんだ。いや、ホントに助かったよ」

 話を聞いてガントは驚いた。
 キャリオン・クローラーの麻痺毒は強力で、少しその触手に触れられただけでも一瞬で
体が動かなくなるほどなのだ。それなのにすぐ薬を使って麻痺を解き、脚一本犠牲にしな
がら相手に大きな一撃を与えたというのだ。
 ましてや依頼人を連れた状態でそれをやってのけたというのだから、驚かざるをえなかった。

 ニッと笑うモースに、マリンが泣きつく。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 私達が出かけなかったら…もっと早く来れていたら
…! こんな事に…!!」
「マリン」
 いつもより厳しい声で、モースがマリンの頭にボスッと手を載せる。
「そんな事を言うな。何時だって急に物事は起きるもんだよ。お前達は相当急いで来てく
れたんだろ? その姿を見たら分かる。そのお陰で片足だけですんだんだ。自分のした事
に後悔するような半端な生き方してないだろ、お前達は。違うか」
 モースは厳しい眼差しでマリンの瞳をじっと見つめる。
 マリンは少し考えた。
 ゆっくり今日あった事を思い出し、モースの大きな瞳を見つめかえす。
「それともマリンは、どうでも良いような事でもしてのんびりと過ごしていたのか?」
「…うぅん。どうでもよくなんかない。他の人がどう思うかは…分からないけど…。私、
凄く大事な…大事な事を確認してた。でもっ…!!」
 真っ赤になりながら首を振るマリンを、モースはぎゅっと抱きしめる。
「なら良いじゃないか。なぁ、ガント」
「……モースさん」
 モースはガントにやさしい表情で微笑み、泣くマリンをわしわしと撫でた。


「出ておいで、もう大丈夫だ」
 マリンを抱きしめたまま、モースが草むらに声をかける。
「…?」
 マリンが顔を上げ草むらの方を見ると、その中に人がいるという事に気付く。
「…、依頼人…か?」
 ガントが背の高い草を掻き分けると、その中から涙を目に一杯溜めて震える美しい女性
が姿をあらわす。年の頃は二十前後だろうか。薄緑のワンピースが土に汚れて茶色くなっ
ているが、怪我をしている様子も無く、ガントは少しだけほっとする。
 ただ相当怖かったのだろう。
 短く肩の辺りで揃えられた青い髪を震わせて、モースをじっと見つめて固まっていた。
「な、だから言っただろ? ちゃんと助けが来るから、心配ないってな」 
「すみません! モースさん、私っ…!!」
 依頼人の女性は首を振って涙を堪える。
「謝る事はないさ。俺たちの仕事は『依頼人の命を守り、その目的を達成する』事だから
な。アンタはこうやって傷一つ負わなかったし、ほら」
 モースがポケットの中から袋を取り出し、女性に中身を見せる。
 その中身は、不思議な形の葉をつけた植物の根だった。 
「アンタが必要としていた物も、ちゃんとここにある」
 女性は顔を真っ赤にして、涙をぽろぽろとこぼしながらこくんと頷く。
「マリン、渡してやってくれるか」
 マリンは涙を拭き植物を受け取ると、女性の元に駆け寄りしゃがみこむ。
「はい、えっと…」
「…私の名はトリート。医者です」
「私はマリン、こっちはガント。モースさんと同じレンジャーだよ。トリートさん、これ
必要なんでしょ? はい、どうぞ」
 マリンは袋をトリートの掌にそっとのせ、精一杯笑ってみせる。
「ありがとう…ございます! これで、村が一つ救われるはずです」
 トリートは袋を握り締め、モースに深く頭を下げる。
「足一本で村一つが救われるんなら、安いもんだな、なぁ、ガント」
 モースはそう言うと、いつものように大声で笑って見せた。

     6

「さ、すまないが俺を町まで運んでくれないか。今ならウォームも近くに居ないはずだ」
 周りの様子を伺って、モースはガントに話す。 
 マリンはモースとガントの荷物を背負い、ガントはモースを背負う。
 トリートは片足を失ったモースが気になって仕方なかったが、邪魔になってはいけない
とマリンの横へ移動した。

 ガントは焦っていた。
 一刻も早く町に帰らねばモースが危ないし、かといって全力で移動しようにも依頼人が
いるのでそれも出来ない。さらにはモンスターだ。
 マリンも本調子で無い故に、戦力は自分一人といっても過言ではない。
 3人を庇いながら移動するのは困難を極めるだろう。 

「マリン、気配を消す魔法とか、できるか?」
「…、音が一定の範囲から外に出なくなる魔法なら。あ、匂いを消すのも出来るよ。後は
火で見つからないように暗闇でも物が見えるようになる魔法も…試してみる」
 ガントが何を言いたいか瞬時に理解し、すらすらと答えるマリン。
「上出来だ」
 その答えにガントは深く頷く。
「今は依頼人とモースさんを町に連れ帰るのが最優先だ。頼む」
 マリンは頷き、魔石を三つ取り出すと流れるように呪文を唱える。
「トリートさん、私の傍にいてくださいね。魔法をかけますから」
 マリンの放つ魔法の輝きに、傍らに立つトリートは目を奪われる。
「私…魔法は好きじゃないですけど…こんな綺麗なのは初めて…」
「えへ、ありがとう」
 マリンは小さく笑って、また詠唱を続ける。
 ガントは少し離れた位置で周りを警戒しつつ、呪文の発動を見守っていた。


「マリンは良い娘だな。お前の言いたい事をちゃんと分かっているじゃないか」
 モースが小さい声でガントに囁く。
「…えぇ」
 鋭い表情のまま、ガントは返事をかえす。
「……お前、マリンを抱いたな」
「!!?」
 突然のモースの一言に、ガントは真っ赤になって振り返る。
「わかるさ。マリンが朝とは少し雰囲気が違うし、お前さんも落ち着いた顔してる。な、
ビンゴだろ」
「あっ、モ、モースさ…」
「大事にしろよ? 馬鹿息子め」
 息子と呼ばれ一瞬驚くが、ガントは何も言わず、唯頷いた。

「オッケーだよ、コレでトーチ無しでも見えるはず」
 少し呼吸を荒くしながらも、マリンはガントに手を振る。
「よし。じゃさっき来たルートを戻る…」
「まて、ガント」
 モースがガントの言葉を遮る。
「お前が何処を通ってきたか、言ってみろ」
 ガントはモースに言われたとおりに、来る時に使ったルートを話す。
 マリンのサーチの光を頼りにほぼ真っ直ぐ進んできた事を、地図をなぞりながら説明し
た。
 ガントの説明に、モースが少し険しい顔をして黙り込む。
「…ふむ、確かにその道は最短距離のルートではあるが…。だがそれじゃダメだ。今から
俺が言う道を通れ。いいな」
 モースはマリンを呼び寄せ、二人にルートを説明する。
 かなり大回りな蛇行するようなルートだったが、ベテランの意見にはなんともいえない
重みがある。
「マリンとトリートが前を行け。俺とガントは少し離れて後ろからついていく。いいな」
「「了解です、モースさん」」
 二人は同時に返事をし、もう一度ルートを確認する。
 普通の人なら地図は当てにならないこの森だが、レンジャー達は見方を知っているので
地図は重要なアイテムだった。
「よし! 覚えた! じゃ、先頭…行きますっ!」
 マリンはトリートの元に駆け寄り、辺りを警戒しながら歩を進める。
「分からなくなったら、すぐ俺に聞け。すぐだぞ」
「「了解!」」
 マリンとガントは同時に返事をし、町に帰るべく暗い夜の森を進みだした。
 

 ガントは再び驚いていた。
 さっきまでとは全く違い、モンスターが一匹も出てこないのだ。 
「どうした? 気がついたか」
 モースがニヤリと笑いながら、ガントに小さく話しかける。
「…モンスターがいない…これは一体…」
 驚くガントに、ふふんとモースが笑う。
「いないわけじゃない。かわしているんだよ」
「?」
 意味が分からず、ガントの眉間に皺が寄る。
「お前さん達が来た道は、確かに最短ルートだ。だがな、モンスターに何度囲まれた?」
 ガントに背負われたまま、モースは話を続ける。
「あのルートは昼間なら問題ないだろうがな。お前達の通ったルートの数箇所、正確には
五箇所か。そこはモンスターどもの餌場になってるんだよ」
「!?」
 ガントは目を見開く。
「ま、こんな事、俺のほかにはアレイスくらいしか把握して無いだろうがな。夜の森なん
ぞ、まずレンジャーでも来る事が無いからな」
「…そうだったんですか、……不勉強でした」
 ガントは悔しそうに奥歯をかみ締める。

 前方を見ると、マリンとトリートが足元のでこぼこに足を取られながらも進んでいく姿
が見える。時折マリンが警戒するように周りを確かめ、トリートに手をかしたりして、昼
間に森を進んでいるかのようだ。
 行きは急いでいたのもあったが、きちんとルートを選べばマリンを戦わせずにすんだの
かと思い、自分の不甲斐なさに拳をぐっと握り締めた。

「悔しいか。ならしっかり学べ。どうせ俺はもうレンジャーとしてはやっていけないだろ
うからな。その代わりにお前に全て叩き込んでやる」
「モースさん…」
「だがな、あのルートで来なかったら間に合わずに俺は確実に死んでいたと思うよ。だか
ら、決して間違っていた訳じゃない事だけは理解しろ」
 自分の心を読むかのようなモースの言葉一つ一つが、ガントの心に響く。
「…はい」
 深く頷き、ずれたモースを背負いなおす。
 片足が無い分、バランスをとるのが難しいのだった。


「トリートさん、大丈夫ですか?」
 自分もあまり大丈夫ではないが、依頼人が酷く暗い表情になっているのが気にかかり、
列の先頭を行くマリンが振り返る。
「えぇ…、怪我などはしていませんから。ただ…」
 トリートは目を潤ませ立ち止まる。
「私は内科専門で…外科的処置がなんら出来ないんです。あんな風にモースさんが怪我し
ているのに何も…! モースさんは命がけで…私を守ってくれたんです、なのに…っ!!」
 ぽろぽろと涙をこぼし、自らの無力さに震えるトリート。
 マリンは悔しそうに俯くトリートの手をとり、ふるふると首をふった。
「それなら気にしないで下さい。レンジャーは応急処置の訓練を受けてますから、ああい
う事になったら自分で対処できるんです。私は苦手だけど、モースさんはすっごく上手な
んですよ。だから気にしなくて大丈夫です。…それに、きっとモースさんはトリートさん
が無事だったから、それで良いと思ってる…と思いますよ」
 トリートの手を強く握り、マリンは再び歩き出す。
「それでも私は……」
 何か考えるように黙り込むトリートの手を引きながら、マリンはちらりと後ろを見る。
 マリンだって、モースの事が心配でならなかった。
 ガントのズボンを赤く染めているのは、紛れも無くモースの血だ。
 いくら応急処置で止血を完璧にしても、あんな怪我じゃ血も止まりきらないだろう。
(急がなきゃ…!!)
 マリンはトリートに無理の無い程度に、歩く速度を速め、暗い森を進むのだった。


「それにしても、お前は強くなったんだな」
 突然のモースの一言に、マリンの後をゆくガントがぴくんと反応する。
「あのルートだと、マッドボアとジャイアントビートルとの連戦だったろう。それで、あ
の速さでここまで来たと言うんだ。正直驚かされたよ」
「マリンが一緒に戦ってくれたから…何とかなったんです」
 ガントはマリンとの戦闘を思い出しながら、前へと進む。
 モンスターの出てくる気配は相変わらずない。
 マリンの魔法のお陰もあるだろうが、それだけじゃないのは確かだった。
 正しいルートを歩く事の大事さが、ガントの身にしみる。
「マリン…か」
 前方で歩くマリンをちらりと見て、モースは眉間に皺を寄せる。
「俺はお前を一発なぐらにゃならん」
 ガントの側頭部に、突然横からごちっとフックが入る。
「!?」
 あまりに急にやられたせいで、ガントは目を見開きただ驚く。
「お前、俺はマリンを守れとアレだけ言ったろうが、馬鹿者」
「…?」
 分からないといった顔のガントに、モースは話を続ける。
「お前は自分の強さの事は良く分かっているみたいだがな。マリンに稽古つけてるお前が
マリンを力を分かってやれなくてどうする」
「俺が…マリンを?」
 思いがけないモースの言葉に、ガントは困惑する。
「お前はどうも焦ると冷静さを失うよな。お前が冷静さを失った時、どんな行動を取るか
知ってるか? 力で解決しようとする節がある。分かるか? 強引なんだよ」
 自分の内面を指摘され、ガントは赤面する。
 だが、赤面するという事は、その事を多少なりと自覚していたという証だ。
 ガントは何も言えず、そのまま黙々と歩く。
「マリンにならあのモンスターを任せても大丈夫。そうやってマリンを戦わせて、危なく
なったらフォローする、そんな戦い方でここまで来ただろ、お前。違うか?」
「いえ…その通りです」
 ガントはそのやり方が間違っているとは思えなくて、眉間に皺を寄せる。
 だがモースがあえてそう言うのだから、何かあると思いそのまま素直に話を聞いた。
「どう見ても本調子じゃねぇよな、マリン。あの状態で戦わせたんだな、馬鹿者。無理さ
せてる自覚はあっても、もし自分の援護が間に合わなかったら…なんて事はこれっぽっち
も考えなかっただろ。俺が動けばなんとかなる、そう思ってただろ。良く覚えとけ。信頼
と過信は別物ってこった。マリンの力を自分の物差しだけで判断するんじゃねぇ」
「……」
 何も言い返せず、ただモースの言葉を受け止めるガント。
「マリンはお前の期待に答えるためなら、限界まで頑張る所がある。だがな、そんな事を
続けてみろ。いつか壊れちまう。そうならないように止めてやるのが、師匠であり、彼氏
であるお前のはずだ。よぉくマリンを理解してやれ。冷静になればお前にならちゃんと分
かる筈だ」
 
 しばしの沈黙の後、モースが再び口を開く。
「…俺は守れなかったんだ。愛する妻も。娘も」
 モースの声が途端に弱くなる。
 悔しそうなその声が、ガントには重く重く響く。
「『なんとかなる』……は危険なんだ。これは俺の経験上の事だから、全てに当てはまる
かは知らんがな。だが、『なんとかなる』、その怖ろしさを俺は嫌というほど知ってるん
だよ」
 しっかりとした足取りで森を進むガントに、更にモースは話を続ける。
「この前祭りがあっただろ。俺はリオンと組んでカヒュラを目指したが…結果をしってる
か?」
「いえ。…リオンは何も言わなかったのであえて聞かなかったんです。勝者になれなかっ
た事くらいしか、俺は知りません」
「そうか。教えてやろう。結果はリタイアだ。五合目の洞窟の入り口で俺自らリタイアし
たんだ」
「洞窟の…入り口で?」
「そうだ。俺とリオンは入り口に居たワイバーンを追い払い、リオンは奥に行く気満々だ
ったよ。だがな、リオンはワイバーンとの戦いでもう限界だったんだ。俺はやるだけやら
せてやろうと、一緒にワイバーンと戦ったがな。一緒に戦って良く分かったんだ。あいつ
にはまだまだ無理だってな。一人ででも行こうとするリオンを諦めさせようとしたが、リオ
ンは若い。俺を振り切ってでも行こうとしたんだ。俺は迷わずリオンを殴って気絶させた
よ。そしてそれを見ていたカヒュラにすぐに町まで送還してもらったんだ」
「なっ…!?」
 モースの意外な行動に、ガントは言葉を失う。
「もちろんリオンは俺に怒って、話もしなくなった。だがな、祭りが終わってクロフォー
ド達に洞窟内での話を聞いたんだろうな。すぐリオンはあやまりに来たよ。止めてくれて
ありがとうございました。ってな。」
「……そんな事が…あったんですか」
「あの時のリオンは、まさになんとかなる、俺は行ける。そう思ってたんだろうな」
 あの時の事を思い出したのか、モースは渋い顔になる。
「リオンの何にでも怯むことなく向かっていこうとする姿勢は、レンジャーにとっても必
要不可欠な物だ。だが、勇気と無謀は別物だ。アイツはまだ経験も浅いしなにより若い。判
断がつかないんだ。だから、俺達年長者が止めてやる必要がある。…似たような事はお前
にだって言えるぞ、ガント」
 そういうとモースは少し間を置いて、それからゆっくりとガントに話しかける。

「危険を振り払うために、力を使うのは決して間違った事じゃない。だけどな、それだけ
じゃ生き残れない事もあるんだ。知識と経験をうまく使えば乗り切れたりするんだ。ガン
ト、お前もレンジャーになって六年目だ。お前には力も、経験も、知識もある。レンジャー
の中でも優秀なクラスなんだ。…他のヤツよりもなまじ力があるせいで、見えにくいのか
もしれんがな」
 真剣な表情で話を聞くガントに、モースは力強く告げる。

「もう少しだけ、強く意識すればいい。戦うだけが、戦う事がレンジャーの仕事じゃない
ってな」

 ガントは、その言葉に不意に足を止める。
 分かっていたつもりで、わかっていなかった事。
 心に深く響くその言葉に、ガントは震えていた。
「こら、止まるな! マリン達とはぐれるぞ?」
「あ、はい!」
 慌てて歩き出すガントに、モースは笑みを浮かべる。
「マリンも甘いがお前もまだまだ甘いよ。はっはっは!」
 自分が呼ばれたと思ったのか、前方のマリンがちらりと振り返る。
 だがすぐに前に視線を戻し、変わらぬ速度で前へと進む。
「ガント、ああ見えてマリンは俺の姿に相当ショックを受けてたからな。後でちゃんとフ
ォローしてやれよ」
 モースは小さく呟くと、拳をガントに差し出した。
「…言われなくても」
 一言だけ言って、ガントは拳を付き合わせた。


「うわっ、出口だっ! 出口ですよ!!」
 森を抜けたマリンの声に、ガントも足を速め森と町外れの境に足を踏み入れる。
 真っ暗な森を抜けると、長い道の向こうにチークの町の光がちらちらと輝く。
 時刻は9時。行きの倍以上の時間をかけてガントたちは町に帰って来たのだ。 
「…、時間はかかったが、安全に…行けたろ? …な……」
 そう言うと背中のモースが、ずしっと一気に重くなった。
「いかん、マリン、急いで女将さんに知らせに行ってくれ! モースさんが危ない!」
「わ、分かった! トリートさん、走るよ!!」
「は、はいっ!!」
 先を行く二人を確認し、モースを背負いなおす。
「死なせる訳には…いかないんだッ!!」
 モースの血とモンスターの血でがちがちになりながら、それでも走り出すガント。
 森から町へと繋がる道を駆け抜け、まっすぐ『今昔亭』を目指すのだった。

     7

「女将さん!! モースさんがっ!!!」
 マリンは『今昔亭』の扉を勢い良く開け、ロビーで祈るようにソファーにすわる女将に
駆け寄った。
「ど、どうだったんだい?」
「重症、だよ、右足切断」
 息を切らせながら伝えられたマリンの報告に、真っ青になる女将。
「私、神父さん呼びに行ってきますから!!」
 町で怪我を直す魔法を使えるのは、カートン神父とメディくらいだ。
 マリンは背負っていた荷物を置いて、再び『今昔亭』の外へと走っていく。
「頼むよ、マリン!」
 女将はマリンを見送ると、遅れてたどり着いた依頼人の女性に駆け寄る。
「アンタは大丈夫だったのかい? 怪我はないかい?」
「モースさんが…守ってくれたんです。大きなモンスターから…私を…! 足を失っても
怯むことなく…勇敢に戦ってくださったんです…!」
 顔を真っ赤にして涙をこぼしながら、トリートは女将に訴えた。
「うん、それがレンジャーってもんだよ。その腰の袋はモースのだね。ちゃんと必要な物
も手に入れたみたいじゃないか。よかったね。…確かそれで……」
「はい、村が一つ救われます。私…モースさんの気持ち、受け取りました」
 少し考えてトリートは深く頷く。
「…では私、宿で一晩休んでから、明日発ちます」
「そうだね。アンタも相当疲れただろう? ゆっくりお休み」
「はいっ…!!」
 トリートは預けてあった荷物を受け取りぺこりと頭を下げると、町の宿へと向かってい
った。
 トリートが出た少し後に、ガントがモースを背負い『今昔亭』に帰還する。
 同時に神父を引き連れたマリンも到着する。
 女将達が見守る中、その場ですぐに神父による魔法の治療が始まった。



「ぐぅ…!!」
 魔法の治療を受けるモースが、低く唸る。
 森から出るまではあんなに普通に話していたのに、『今昔亭』に着いて気がついたとた
ん、真っ青になり、唸りだしたのだった。
(私達を無事に帰すために…モースさんは……)
 マリンは、改めてモースのレンジャーとしての意志の強さ、誇りを感じた気がした。
 応援に駆けつけた女将の旦那――武器屋のケインズが、唸るモースを覗き込む。
「全く、もう少し遅かったら、どうなっていた事か…。よくやったよ二人は」
 ケインズは二人を見て、うんうんと頷く。
「さぁ、モースはワシらが見とくから、お前達は風呂にでも行って来い。ガントは血まみ
れだし、マリンは泥だらけじゃないか」
 ガントとマリンはお互いの姿を見て、酷い姿だった事に改めて気付く。
「でも、モースさんが…!」
「いいから行っておいで。着替えも脱衣所に置いてあるから」
 女将の言葉にマリンはしぶしぶ頷く。
「…、ほら行くぞマリン」
 ガントに支えられるように、マリンは風呂へと向かった。


 『今昔亭』には、レンジャー用と女将達家族&女性用の二つの風呂がある。
 広い洗面所の奥が二つに仕切られ脱衣所になっていて、そのつくりは首都の大浴場を小
さくしたみたいな構造になっている。
 さながら、町の小さなお風呂屋さんだ。
 普段のマリンならばご機嫌で風呂に行く所だったが、今日はそうではなかった。

「……っくぅ!!」
 洗面所でマリンは思い出したかのように吐いていた。
「あっ、あっ…うっ……」
 あれから何も食べていなかったせいで、胃液だけが逆流して喉を焼く。
 血だまりと足の断面がマリンの脳裏にフラッシュバックして、気分はどんどん悪くなっ
ていく。
「…、無理するな」
 背中をさする大きな手に、マリンは少し落ち着きを取り戻す。
「ガント…。うん、もう、大丈夫」
 マリンは小さく頷くが、その表情は今にも泣き出しそうだ。
「ほら、湯だけでも浴びて来い。気分も多少ましになるはずだ」
 モンスターの血で固まったマリンの髪を撫で、ガントは心配そうな顔をする。
「うん、ありがと。ごめんね、私、レンジャーなのに…こういうのダメで…。あんなの見
たの、初めてじゃないのに…モースさんだからかな。あはは」
 無理に笑うマリンが痛々しくて、ガントは苦い表情になる。
「そうだろうな。ほら、風呂に行って来い。俺も入らないと血でガチガチだから抱きしめ
てもやれないだろ。な?」
 そう言って腕を広げて見せるガントに、マリンは泣きそうな顔のまま小さく笑う。
「うん…。行ってくるね」
 マリンは右の脱衣所の分厚いカーテンを開け、ガントに手を振り奥へと消えていく。
「…大分無理しているな」
 ガントは眉間に皺をよせ、自分も脱衣所へと入っていった。


「女将さん、モースさんの様子は…どうですか?」
 黒のTシャツに白いズボンを履いて、さっぱりとした姿になったガントがロビーに戻っ
てくると、丁度モースの治療が最終段階に入った所だった。
 頭をわしわしと拭くガントに、女将が歩み寄る。
「…マリン、大丈夫だったかい? モースもだけど、マリンも心配だよ」
「慣れない物を見たから、きついんだと思います」
「ショックだったろうねぇ。レンジャーは冒険者とかと違って、危険をなるべく避けて、
安全を確保するのが仕事だからね」

 レンジャーは戦争しているわけじゃないので、通常の仕事なら血を見ることが少ない
職業だ。マリンのように低めの場所を担当している場合は、モンスターと戦う事自体も山
の上の方の担当と比べると断然少ないので尚更だ。
 ましてやマリンは、今まで仲間の死ぬ所や大怪我した所などに遭遇した事がなかったの
だ。

「きっちり傷は塞いでおいたよ。もう痛みも無いはずだ」
 神父が顔を上げて女将に短く報告すると、すっと立ち上がり、腰を伸ばす。
「御代は今度でいいから。じゃ、お大事に」
 やれやれと言った顔で汗を拭いながら、神父は扉を開けぺこりと会釈しそそくさと帰っ
ていく。
「ありがとう、カートン神父」
 ケインズが頭を下げ神父を見送る。
 それを見て、モースがゆっくりと上半身を起こした。
「…悪いな女将。ちょっと失敗した」
 モースが、照れくさそうな困った顔で笑う。
「全くだよ! だから朝言ったんだよ、無理をするなって…」
 怒り悲しむ様な表情の女将に、モースが首を横に振る。
「そういう訳にもいかんだろ。人命がかかってるんだ。子供達から死んでいく病気と聞い
たら…じっとはしておれんよ」
「だからといってだなぁ、疲れたままの体で無理したらだめじゃないか。ベテランのお前
がこんな事になるとはなぁ。モースよ」
 血まみれの服を脱がし、水で濡れたタオルで体を拭くケインズに、モースは小さく笑う。
「何を。息絶えるのを待つばかりの小さな村、そこで助けを求める人の為に、わざわざこ
んな遠いドラゴンマウンテンまでやってきてさ。熱心な医者じゃないか。見知らぬ人の為
に、危険を顧みないその情熱。それを受け止めてやるのがこの山のレンジャーってモンだ。
な、ガント?」
 そのモースの言葉に、ガントは深く頷いた。
「もう…レンジャーとして働けないのが、残念だな。さて、どうしよう」
 モースは無くなった片足を見ながら、おもいっきり困った顔をしてみせる。
「暫くは引継ぎ、後輩の指導だな。その後は…、もう考えてあるんだろうに?」
 ケインズの問いにモースはにかっと笑う。
「お前さんには隠せんなぁ。…俺はこの町で店を開くんだ。道具屋、やってみたかったん
だ。土地はもう十年前に買ってある。『今昔亭』の斜め前のあの空き地だよ。この町にす
でに数件道具屋があるがな、俺のほうが目利きだし、あいつらぼったくるからな。負ける
気がしねぇよ」
 そういって笑うモースに、女将は苦笑する。
「そうかい、そこまで決めてるなら私は何にも言わないよ。二十年も『今昔亭』を支えて
くれたんだ。ほんとうに今までありがとうね」
「あぁ」
 女将はモースの手をぎゅっと握りしめ、モースもそれをぐっと握り返す。
「それに、俺の跡を立派に継げそうなやつがここに居るしな」
 モースは前に立つガントに向かって、ばちこーんとウインクしてみせる。
「今まで以上に厳しく叩き込んでやるから、覚悟しろよ!」
「了解です、モースさん」
 モースと拳を突き合わせ、ガントは笑顔で答えた。

「あ、モースさん! もう…大丈夫なの…!?」
 風呂から上がってきたマリンが、モースに駆け寄る。
 よほどモースの事が気になっていたのだろう。
 急いで来たせいか、髪は下ろしたままでまだ濡れているし、服だってTシャツスパッツ
に上着を羽織っただけの格好だ。
 そんなマリンを見たモースの表情が緩む。
「大丈夫だ。心配かけたな。さ、今日はもう遅い。休んでこい」
「うん…、死ななくて…よかったぁ…! ホントに…!!」
 突然くしゃくしゃの顔で泣き出すマリンを見て、モースは困った顔をする。
「死なんよ、あんぐらいじゃ。ほら、泣くな」
 モースは、もう大丈夫だとにかっと笑ってみせる。
 マリンは涙を拭い、本当に大丈夫か確かめるようにじっとモースを見つめる。
「あんまりおっさんをじっと見るなよ? パンツ一丁だぞ?」
 口の端をニヤリとさせるモースに、マリンは一瞬驚いたような顔をしたが、その後へふ
ぅとため息をついた。
「んもぅ、今更だよ。いっつも『お父さん』みたいに、風呂上りに堂々とその姿で歩いて
るくせに。そのもっさり胸毛も見慣れたもんだよ」
 さっきまで泣いていたのに、もう笑っている。
 そんなマリンを見て、モースは溢れそうになる気持ちをぐっと堪える。 
「……そうか。そうか」
 モースの胸に、熱い気持ちがじんわりと広がる。 
「うん、じゃあ私寝るね。…おやすみ、みんな」
 手を振って上に上がっていくマリンを見送り、モースはにっと笑う。
「お父さんか、こそばゆいな」
 モースは下を向いたまま、ぽつりと呟く。
 顔を上げれば、前には心配そうに上を見上げる男が一人。
「さてガント、お前も上に行け」
「え、俺はまだ…」
 はっとなってうろたえるガントに、女将もぽんと背中をたたく。
「手伝いはいいよ。マリンの元へ行っておあげ」
「でも…っ!」
「女将の許可が出たんだ、ほれ、行って来い!」
 まじめな顔でモースがびしっと上を指差す。
「…、分かりました。おやすみなさい」
 ガントはぺこりと頭を下げると、二階へと向かっていった。

 いつも見せないような切なそうな顔のガントを見て、ケインズが首を傾げる。
「…、なぁ、何時の間にマリンとガントがひっついたんだ?」
 事情を知らないケインズが、おいてけぼりになった気分で二人に尋ねる。
「この前だよ、ついこの前」
 女将が小さく笑う。
「そんで今日、身も心も繋がったと」

「「なんですと!!?」」

 夫婦揃ってビックリする様子が可笑しくて、モースは大笑いする。
「ま、まさかねぇ」
「…行かせてよかったのか? なぁよかったのか?」
「はっはっは、さぁなぁ!」
 ロビーには陽気なモースの笑い声だけが響いていた。

     8

「マリン? 大丈夫か?」
 部屋の中で何をするわけでもなく立ち尽くしていたマリンが、ドアの外から聞こえる男
の問いにはっとなってドアに駆け寄る。
 がちゃりとドアをあけると、さっきまで下に居たはずのラフな格好の男が部屋の前に立
っていた。
「……ガント」
 目の前の男の姿にマリンは戸惑う。
 胸の中は色んな思いでいっぱいになり、どうしたらいいのか分からなくなっていた。
 だが頭で考えるよりも先に、体が動いた。
 震えながら力いっぱいしがみつくマリンを、ガントはやさしくそっと撫でた。
「ここでこうしてられないだろ? ほら、部屋の中に入れてくれ」
 マリンは小さく頷くと、ガントと部屋の中に入る。
 が、そこでガントは困ってしまった。 
「…、この部屋、ソファーとか無いんだな」
 朝来た時には気付かなかったが、普通は椅子と机がおいてあったりするはずの部屋に、
それらの影も形もない。
 大きな本棚が二つに衣装箪笥が二つ並んでいるだけで、女の子の部屋としては殺風景な
限りだ。
「…だって、魔石買ったらお金残んなくて…。寝室もレンジャー用の道具箱があるだけだ
よ」
 座って話でもしようと思っていたガントは、それができない事に少し悩む。
「そうか。今度ソファーを買ってやるよ」
「え、いいよ、そんな…!」
「ゆっくり話もできないだろ。俺が困る」
 首を振るマリンに、ガントは大真面目で答える。
「うん…そっか」
 少し考えて、マリンも頷く。
(さて、何処で話すか)
 寝室で話をすると言う事も考えたが、ガントとしては出来ればそれは避けたい所だった。
「仕方ない、俺の部屋にでも来るか?」
「ううん、いいよ、こっちで」
 何の迷いも無く扉を開けて隣の部屋へと入っていくマリンに、ガントはガックリとなる。
「無防備すぎなんだよ、テメェは」
 ガントは寝室に入るなり、マリンをぐっと抱きしめた。
 自分と比べて小さなその体を、両腕でしっかりと抱く。
「もう誰も見ちゃいない。無理するな」
 そのガントの一言に、マリンの緊張がすっと解けていく。
「…、ずっと…こうして欲しかったよぉ…!!」
 しがみつき泣く少女を男はじっと、ただ抱きしめた。
「怖かったし、気持ち悪かったし、悲しくって訳わかんなかった…!」 
「そうだな」
 ガントの腕の中で、マリンは泣きながらも徐々に落ち着いていった。
 その暖かさに、マリンの心が満たされていく。
 自然と涙が引いていき、その胸に自分の全てを預ける様にもたれかかる。
 立ったまま抱きしめられると、顔が丁度ガントの胸の辺りに来て視界は完全に無くなる。
 ガントの胸板は厚くて、筋肉で少し固い。
 力いっぱいぎゅっとされるとごつごつして痛いくらいだったが、暖かくてやさしくて、
マリンにとってとても頼もしいものだった。 
「こんな冷える季節にTシャツ一枚に上着を羽織っただけで、風邪引くだろうが」
「…大丈夫だもん」
 マリンは真っ赤になって首を振る。
「今日は色々ありすぎたな」
 マリンを抱き上げ、ガントがベッドに腰掛けると、マリンはガントの太い首にすっと手
をまわして、頬を寄せた。
 薄暗い寝室に隣の部屋の明かりが差し込み、マリンの背中を照らす。
「うん…。頭の中、パンクしそうだよ。研究所に行ったのが大分前の事みたいで…変な感
じ」
「そうか」 
 ガントがふとマリンの足を見ると、森で負った傷が痣になって残っているのがスパッツ
の下にちらりと見えた。
「…足、痛いか」
「あ、これ? ……うん、少し。でも、大丈夫…!?」
 マリンの言葉を遮るように、ガントはマリンの唇を塞ぐ。
「ん…ぅ」
 突然の事にマリンは驚きつつも、そのやさしいキスに目を閉じる。
 キスは二,三度繰り返され、マリンは真っ赤になりながら「ほぅ」と息を吐く。
「大丈夫なんて言うな。俺がちゃんと判断すれば、こんな目に合わせずにすんだかもしれ
なかったんだ。…悪かった」
「ガント…」
 切なそうに見つめるガントに、マリンはふるふると首を振る。
「別に、悪いなんて…思ってないよ」
「いや、俺はお前を守ると約束したん……」
「違うのガント」
 言葉をぴしゃりと遮られ、ガントは不思議そうな表情でマリンを見る。
 マリンの表情はもう、すすり泣く弱い少女の表情ではなかった。
 生命力に満ちた、いつものあの眼差しが、ガントの紺の瞳をしっかりと見つめ返す。

「守られるのもいいけどね、私は…、強くなりたいの! 一緒に上での仕事が出来るくら
いに強くなりたいの! ガントみたいな、モースさんみたいなレンジャーになりたいの!
…だから今日ぐらいのはなんともないの! …それじゃ、だめかな」

 予想外のマリンの返事に、ガントはどう返して良いか分からず一瞬黙り込む。
 暫く考えてから、ガントは神妙な面持ちでマリンに話しだした。
「そうか。わかった。……、やっぱりお前は俺が守る」
「え!? どうしてそうなるの!?」
「うん。お前は危ない」
「なにそれっ!? 全然わかんないよ!!?」
「危なっかしくてほっとくわけにはいかん」
「あーもー、ガント私の話分かってないでしょー!? もうはなせー!」
「離すか、馬鹿もんめ」
「んぎぎぎぎっ、何この力! もう! ふんぐぐぐぐー!」
 これでもかと抱きしめるガントの両手をマリンは全力をもってしてもはずす事が出来ず、
暫く抵抗した後でへにょりとうな垂れた。
「…んぅ、疲れた」
「おう、寝ろ」
 ようやくガントから開放されたマリンは、もそもそと布団にもぐりこむ。
「あ、明日なんか…依頼あるか聞いとくの……忘れた」
「何も無くても早く起きろ。朝稽古、するだろ?」
 ガントはベッドに座ったままマリンの頬を撫でる。
「…、に……を…」
 あっという間に眠りに落ちていくマリンを眺め、ガントはふぅと息を吐く。
「まだまだマリンもリオンと同じレベルか。でも大丈夫だ。お前はいいレンジャーになる
さ。…、その為には俺がまずなんとかならんと…だな」
 小さく呟いて、ガントはマリンにキスをする。
「お休み。マリン」
 ガントはそっと部屋の明かりを消し、マリンの部屋を後にした。


「…って、何してんですか女将さん達」
 真っ暗な階段の所からじっと様子を伺う女将とケインズを見て、ガントは眉間に皺を寄
せる。
「いや、ど、どうかなったかと心配でさ」
「は、早かったんだね、もっとゆっくりいるのかと思ったよ」
 そんな二人を見て、ガントはニヤリと笑う。
「…手は出してませんから。おやすみなさい」
 一言告げて、すたすたと二つ向こうの自分の部屋に入っていく。
「…、こわいなぁガントは」
 ケインズは首をふりふり、下へ降りていく。
「なんだか少し変わったかねぇ、ガントは」
 女将は小さく笑いながら、ケインズの後を追った。  

     9

「ふー! 女将さーん、朝稽古おわったよー!」
 マリンが裏口から汗を拭きながら『今昔亭』に戻ってきた。
「はいはい、おつかれさん。今紅茶を入れてあげるからね」
 時刻は八時。
 マリンは一休みしようとロビーに向かった。
「おう、マリン。おはよう」
 遅く起きてきたモースがロビーに腰掛け、マリンに手を振った。
「モースさん、大丈夫? もう痛くない?」
 心配そうに無くなった右足を覗き込むマリンに、モースは笑顔で答える。
「あぁ、もう何も心配いらんよ。歩く為の杖も、ケインズが作ってくれるらしいからな」
「そっか、よかった」
 ほにゃっと笑うマリンの後ろから、ガントがぐりぐりと頭をなでる。
「おはようござます」
「おう、おはよう。…、ん? なんだ、顔、切れてるじゃないか」
 ガントの頬に、細い一本の筋が走っている。
 モースに指摘され、眉根を寄せるガント。
「あぁ、マリンに入れられたんですよ。もう一段階ハンデをへらそうかと」
「うわっ、今でもきついのにっ! なによ、…両手使うの?」
 ガントは稽古をつける時、マリンへのダメージを考慮して利き手である左手を極力使わ
ないようにしていた。
「いや、そんな事はしない。コレをはずすだけだ」
「?」
 不思議そうにするマリンの前で、ズボンを少し上げる。
「うわわっ、何それっ!!??」
「重りだ。コレをはずせばもっと早く動ける」
「…ちょ、ちょっとまってよ、今までそんなのずっとつけてたの!?」
「お前を鍛える時だけな」
「…どおりで。普段の戦闘の時異常に早く感じたのはそのせいでしたか。勘弁して下さい」
 がっくりするマリンに、モースは大きく笑う。
「あっはっは、よかったなマリン。レベルアップだ!」
「よくないよ、普段の稽古でも五発いれれたら良いほうなのにぃ…」
「どうしたんだい? ホラ、紅茶、淹れてきたよ?」
 しょんぼりするマリンの後ろから、大きな紅茶のポットとカップをお盆にのせた女将が
姿を現す。
「ガント、そんなにマリン強くなったのかい?」
 紅茶をカップにそそぎながら、女将が尋ねる。
「強く…というと少し違うかもしれないですが。力を上げる訓練は殆どしてませんよ。マ
リンの場合、回避力を重視して鍛えてますから。力は…、何もしなくても十分です」
「何よ、それどういうこと?」
 不思議そうにするマリンに、ガントがニヤリと笑う。
「イノシシ片手で吹っ飛ばせれば十分だろう」
「…!! もうっ!!」
 マリンは頬を膨らまし、モースの横に座って紅茶を一口飲む。


 トントントン。


 『今昔亭』の扉をノックする音に、全員が反応する。
「ん? おや、まだ開店して無いんだがねぇ」
 女将がぱたぱたと扉へ向かう。
 依頼から帰ってきたレンジャーだったら鍵を開けて入ってくるので、レンジャーでない
事は確かだった。
「はい、どなた?」
 扉の向こうに居たのは、トリートだった。
「出発前に、ご挨拶を、と」
 紅茶を飲む手を止め、モースも顔を上げる。
「モースさん、大丈夫ですか?」
「あぁ、もう大丈夫だ。足の事なら気にするな。さ、村を救うんだろ? 行って来い」
「えぇでもその前に…。……どうしても、モースさんに…直接伝えたい事が…あって」
「俺に…か?」
 不思議そうに紅茶を飲むモースに、青い髪の女は目を伏せる。
「私、村に行ったら一ヶ月は何処にも行けなくなると思うんです。だから、どうしても」
 何かを決意したような青い瞳に、マリンは「ん?」と反応する。
 顔を真っ赤にして、トリートはすうっと息を吸う。


「私、貴方の傍にいたいんです、お嫁さんになりたいんです!!」


 突然の突飛な告白に、モースは派手に紅茶を噴き出す。
 場の雰囲気が凍るように固まる。
 女将にいたってはあいた口が塞がらず、マリンは固まった後によし! と拳を握り締める。
「な、アンタ、今なんて…」
「私、貴方の事…好きになってしまいました。自分の気持ちに嘘はつけません。必ず…、
ココに戻って来ますから! 私、モースさんの傍にいるって決めました」
 言い切ったそのトリートの表情は、恋する乙女そのものだった。
「ナイス! トリートさんっ!!」
 マリンはトリートの手をとり、キラキラした瞳で見つめる。
「私、応援するわ」
「ありがとうございます!」
「ちょ、オマエら、何をっ…!!?」
 慌てるモースをよそに、マリンとトリートは一瞬で芽生えた友情に手を握り合う。
 恋する乙女は強し、なのだ。

「では、私、自分の仕事、してきますからっ!!」

 トリートはそういうと、風のように去っていった。
「…、な、あの子は正気か?」
「うん、アレは本気だね。年の差も気にしないって感じですな」
 赤くなりながらふるふる震えるモースに、マリンが笑顔で答える。
「モース、娘ほどの年の差のコを嫁にするのかい? いいねぇ」
 目を細めながら女将が笑う。
「ば、馬鹿な事言うんじゃない!」
「モースさん、独立する上に結婚するんですか?」
 ガントが真顔でツッコミをいれると、モースはカップを手から滑らせた。
 熱い紅茶がテーブルに広がる。
「おっ、おまえな!!?」
「トリートさん、本気だよ? 私、モースさんが幸せになれるんだったら賛成なんだけどなー」
 うっとりした表情でマリンに覗き込まれ、モースはますます困った顔をする。
「良いんじゃないですか? 道具屋、始めるっていってたじゃないですか。彼女に手伝っ
て貰えば。医者だし、良い薬つくってもらえますよ?」
 いつもからかわれる仕返しなのか、ガントもニヤリと笑って話す。
「お、お前達な、俺が何の為に二十年一人身で…!」
「…死んだ奥さんも、モースに幸せになって欲しいとは思ってるとは思うけど。ねぇ」
 モースのこぼした紅茶を拭きながら、女将も笑う。
「一ヶ月後にココに戻ってくるんでしょ? じゃぁそれまでにお店兼お家、建てとかなき
ゃだね! モースさーん」
「お、俺の気持ちはどうなる!!?」
「…嫌そうには見えませんが」
 ガントに見透かされ、モースは固まる。  

 モースも彼女は良いコだとは思っていたのだ。
 その情熱、熱意。仕事に対する姿勢。
 好きとかそういうわけじゃなかったのだが、ああやって正面きって気持ちを伝えられえ
て嫌なはずが無かった。

「うっはー! いいなー。トリートさん、花嫁さんになるのかー」
 マリンは勝手に想像し、うっとりと目を細める。
「馬鹿言うなっ! お、俺の前にお前達はどうなんだ」
「!!? や、私達って、な、うあううう!? 早すぎるって!!!」
 突然の一言にマリンは動揺しまくり、顔は火がついたように真っ赤になる。
「もうそういう仲なんだろうが。マリンは十七でちょっと若いが、なぁ?」
 真っ赤になるマリンを尻目に、上手く方向転換したつもりでモースはガントを見上げる。
「…、マリンが望むなら、俺は構わんが。でももう少し金を溜めてからの方が」
「ちょ、ちょっとガント!!!??」
 予想外のガントの返事に、マリンは心臓が爆発しそうになって死にそうになる。
「あら、ガント、何時の間にそんな覚悟決めたんだい? まぁガントはそういう年齢だけ
ど、ねぇ」
 驚きのあまり、女将の机を拭く手が止まる。
「さ、マリン、買い物行こうぜ。折角今日も休みもらえたんだ」
 ガントはマリンの手を掴み、すたすたと歩き出す。
「え!? あ! えええええええええ!!?」
 引きずられるようにマリンは連れて行かれ、『今昔亭』にはモースと女将だけが残る。

「今、ガントとマリンが出かけてったけど、なんや? あれ」
 依頼から帰ってきたアレイスとクロフォードが『今昔亭』の扉を開ける。
「って、モ、モースさん、その足はッ…!!?」
 モースの異変に気がついたクロフォードが、顔を青くして駆け寄る。
「ほ、ほんまや! 一体何が…」
「足もだけどね、モース、結婚するらしいよ?」
「女将! 何をっ…!!」
「ちょ、ちょっと待ってください女将、話が繋がりませんが」
「詳しくは本人に聞いてくれないかい? 今から私は、町内会議に行かなきゃならないか
らねぇ。あ、風呂は沸いてるから、適当に入りな?」
 そう言うと女将は、すたすたと『今昔亭』を出て行く。
「何があったんや? 俺らのおらん間にっ!!」
 アレイスはすっかり混乱して、頭を抱える。
「モースさん、何があったか説明してくださいっ!!」
「あぁもう! 俺が聞きたいくらいだっ!!」


 その後、『今昔亭』のレンジャー全員がモースの引退を知るのに、一週間かかる事にな
る。
 外ではちらちらと初雪が舞い、ドラゴンマウンテンの秋は終わりを告げる。
 冬は依頼の数は減るが、大きめの仕事が多くなる。
 レンジャー達にとって、最も過酷な季節が始まるのだ。
 だがそんな事より、モースの『今後』が気になって仕方ないレンジャー達なのだった。




おわり


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