☆桃兎の小説コーナー☆
(07.10.12更新)

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 レスは日記でしております〜。



 ドラゴンマウンテン 
  第二話
 満月の夜の誓い



「んふふふ、ひーとつ、ふーたつ…♪」
 ドラゴンの住む山−ドラゴンマウンテンの麓の町チーク。
 その町外れの一番山に近い所に、レンジャーが集まる宿『今昔亭』がある。
 その二階の角の部屋から、何かを数える怪しい声。
 普段一つにまとめられている髪は解かれ、シャツにスパッツ姿でベットに寝そべる緊張
感の無い姿……、マリンである。
「私の私の魔石ちゃ〜ん♪」
 適当に歌いながら、宝石を並べてうっとりするマリンは、どう見ても怪しい人である。

「おい、そこの不審者」
「!!!?」
 ノックもせずに、突然背後から聞こえた低い声。
「ななななな、ノックくらいしてよねっ!!」
 慌てて魔石を両手で隠し、真っ赤になって振り向くマリンに、綺麗な深い紺色の瞳が迫
る。
「女将さんが呼んでる。下に来てくれって」
 無愛想に答えるのは、同じレンジャーのガントだ。
「二時までに来ないと、晩飯がないそうだ。ま、お前の食わない分は俺が食ってやるから
心配するな」
 意地悪な顔でニヤニヤと笑うガントに、マリンは真っ赤な顔でパンチを繰り出すが、綺
麗に受け流されてしまう。
 ガントは体術の鬼だ。
「ほらほら、後三分だぞ?」
「うえぇ!? あと三分!?」
 慌てて起き上がり、時計を確認する。
 一時五十七分。おぉ、確かに三分前だ。
「さっさと着替えて降りてこいよ! ハハハハハッ!」
 ガントは楽しそうに笑う。食べ物が絡むと、ガントは異常にテンションが高い。
「んもぅ! 着替えるからでてって!」
「見られて困るモンなぞ無いくせにな」
「黙れっ!!」
 枕をガントに投げつけるも、ぱすっと投げ返される。
「あ、ちなみにドアは最初から開けっ放しだったぞー。歌は下までまる聞こえだ」
「ぎゃーーーーん!!」
 マリンは基本的に、どこか抜けているのである。


 『今昔亭』は、レンジャー達にとってなくてはならない存在である。中でも女将のカン
ナは、母とも言うべき存在だ。
 『今昔亭』では、レンジャーを必要とする人の依頼を受け付けたり、国からくる山の保
護や調査等の仕事をレンジャー達にまわしたりもするが、一番重要なのはレンジャー達の
住処を提供している事だろう。
 女将のカンナは、それらをすべてを取り仕切る凄まじい女性、もとい、みんなのオカン
なのだった。
 故に、女将の言いつけは絶対だ。
「ふいいぃい! 女将さんっ、マリン来ましたー!」
 慌てて階段を駆け下りてくるマリンに太めの女性が振り返る。
「非番中に悪いねぇー。 うん、二時ジャスト」
 愛用の懐中時計片手に、軽快に笑う女将。
「で、何の用ですか?」
「あぁ、買出しに行ってきてほしいんだよ。リストはこれ」
「えーと、砂糖に塩、ジャガイモにお肉…、女将さん、コレ一人で持てる量じゃないよ」
 すべてがキロ単位。とほほ顔で力なく抗議するマリンに、女将はぴっと指差した。
「大丈夫、荷物持ちがそこにいるよ。」
 そこには、さっきも見た色黒のでかい男がめんどくさそうに立っている。
「そのくらい一人で何とかしろ、貧弱者め」
「がたがた言ってると、ガントの晩飯、減らすよ〜?」
 女将さんは、みんなのご飯も作っている。『今昔亭』のメンバーは大体みんな良く食べ
る方だがそのナンバーワンがガントだ。ちなみにナンバースリーはマリンである。
 晩御飯を引き合いに出されては、ガントも文句が言えない。
「「じゃ、いってきまーす!」」
 昼下がりの町に、レンジャー二人が買い物に出かける。
「さて、私は書類の整理でもするかねえ」
 二人を見送った女将は、背後にたまった書類をみてため息をつく。
 最近は国からの調査依頼が多い。新たな遺跡が山で見つかったなんて情報もある。レン
ジャー達の予定表とにらめっこしながらも、その表情はなんだか嬉しそうである。
 女将はこの仕事が大好きなのだ。

     1

 『今昔亭』から五分ほど行くと、町の中心の商店街に出る。
 ここでは、山へ向かう人用の道具一式から、武器防具、山の珍しいアイテムを扱うお店、
八百屋肉屋まで何でもそろっている。山へ向かう冒険者達で賑わうこの通りがマリンは大
好きで、自然とテンションが上がってしまう。
「おっちゃーん! ジャガイモとにんじん、あとキャベツ二キロづつお願い〜!」
「あいよ、まいどありぃ!」
 大量の荷物をガントのバックパックに詰めこみ、マリンはリストを確認する。
「後は…、ん?武器屋??」
 リストの一番下に『最後に武器屋に寄ってきてね』と、そう書いてある。
「武器屋って、町の一番端のケインズさんとこだよね、きっと」
「そうだな。なんか頼んだんじゃねぇか?」
 数ある武器屋で、レンジャー連中が最も信頼を寄せるのがこのケインズ武器店である。
 どんな無理な注文でもきっちり期限に仕上げてくるし、他の店と違って武器の持ちもい
い。
 ただ、その人気故に、ケインズは愛しの我が家に帰れず、常に店にいるのだ。それをい
つも心配してるのは『今昔亭』の女将。
 そう、ケインズと女将さんは夫婦なのだ。
 商店街を後にして、山側の方に向かって二人は歩き出す。

「ケインズさーん、マリンでーす!」

 重い扉を開けて叫ぶマリン。
 工房の奥から「おーう!」と返ってくる。
 ほどなくして煤で真っ黒の髭のオヤジが、のっそりと現れる。
「カンナの使いか。ご苦労さん!」
 白い歯をむき出しにして『にっ』と笑うケインズ。全身真っ黒なのにそこだけ白くてな
んだか可笑しい。
 ケインズはカウンターの下から袋を取り出し、マリンに手渡す。
「頼まれてた包丁、この中に入ってるからな。まだいけそうだから研ぎなおしといたって
言っといてくれ」
「はいっ!」
「マリンはいつも元気だな! ガント、オマエは荷物持ちか」
 ニヤリと笑うケインズに、そうですよー。と、ガントはめんどくさそうに答える。
 マリンが大事そうに包まれた包丁を受け取ると、「頼んだぞ」とケインズは工房の奥に
戻っていく。
「さ、帰ろっか!」
 足取りも軽く、店を出たその瞬間。

「はぶっ!?」

 何か、絨毯みたいな毛むくじゃらにぶつかり、マリンはしりもちをつく。
「??」
 見上げると、虎の顔をした大きな人間が立っている。
 いや、人の形をした獣。
 ワータイガーだ。

 獣人には二種類のパターンがある。

 理性も無く、完全にモンスターとして生きて人を襲ったり物を奪ったり、悪魔やなんか
の 下僕として生きる者。
 もう一つは、人間と同じように生き、人間となんら変わらない者。
 ワータイガーは、マリンの首をつかみ軽々と持ち上げた。どうやら前者の方らしい。
「オマエ、ウマソウダ」
 マリンはワータイガーの手をつかみ、離させようとするも、ものすごい力の差にどうす
ることも出来ない。ワータイガーの指にぐっと力が入り、息が出来なくなる。

 ドンッ!!

 次の瞬間、ものすごいスピードでガントの手刀がワータイガーの首を一閃する。
「ゴフゥ!」とよろめき、ワータイガーはマリンを手放す。
「大丈夫か」
「げほげほげほっ、う、うん、なんとか」
 マリンは答えてみるものの、上手く息が出来ない。
「お前達みたいなのが昼間からうろうろされると、こっちが迷惑だ。失せろ!」
 重いバックパックを背負ったまま、ハイキックでワータイガーを薙ぎ倒す。筋肉の塊の
ようなワータイガーだ、倒されてもすぐ体勢を立て直し鋭いつめを出して反撃に移る。
 するどい爪をすっとかわし、ガントはみぞおちに向かって蹴りを入れると、さらに右
フックでワータイガーのこめかみめがけて腕を振りぬいた。
「ギャオオオッ!!」
 情けない声を上げて転がるワータイガーを、ガントはギッと睨みつける。
「殺されたくなかったら消えろ」
 冷たく言い放つガントに、ワータイガーは牙をむき言い放つ。
「コノ町モ、ドウセアト三日、三日後ニコノ町ハ主ノ支配下ニオカレルノダ!!」
 そう言うと、煙のように消えていく。
「この煙、誰かに召還されたみたい…。三日って…どういうこと?」
 マリンはワータイガーの消えた跡へ、すっと手を翳す。かすかに感じる魔力。その魔力
は獣人とは別の、もっと濃い別の魔力。締め付けられるような不安を感じガントを見上げ
るが、ガントは眉を寄せ、見たこともないような険しい顔をして、拳を握り締めている。
「…、嫌な予感がする。急いで帰ろう。走れるか?」
「うん、大丈夫、行こう」
 ガントの勘は良く当たる。だからマリンはますます不安になる。

「…って、獣人と素で殴り合ってたよね」
 ふと、さっきまでのガントの姿が脳裏をよぎる。よく考えるとワイバーンとも殴り合っ
ていた。
「なんてヤツ」そう思いながらも、実は少し胸の奥が熱くなるマリンだった。

     2

 夜になり、綺麗な月が夜空に輝く。チークの町の外れにある『今昔亭』はいつに無く
緊張した空気に包まれていた。ロビーには、自警団のトップのコートマン、町長のドー
ン、レンジャー達と女将のカンナが集まっていた。
「ふむ、状況は芳しくないな」
 ドーンはやせこけた頬をさらにへこませて悩む。
「獣人による傷害が十五件、急に一体どういうことだろうか」
「うちの自警団も数人被害にあっている、一般人で重症のものも二人出ている」  
 この町は自衛意識が高く、何かあったらすぐに情報が集まるし、組織が動く。
 様々な情報を集めて、分かったことは三つ。

・三日後に、町が再び襲われる。
・獣人が下っ端(?)になって町に現れている。
・獣人が急に現れて、煙のように消えた

 この三つである。
「でも、ラッキーだよ」
 女将が励ますようにコートマンの肩をたたく。
「レンジャー十人全員が、今ここに揃っているんだからね」
 女将の一言に、ドーンやコートマンの顔色が良くなる。この町にとって、レンジャーは
かけがえのない頼もしい存在なのだ。剣技の得意な者から魔法を使う者、遺跡に詳しい者
まで幅広い人材が揃っているし、何より強い。

「只今帰りましたわ」
 ローブをまとった女性が『今昔亭』に入ってくる。すっとローブを取ると、金の豊かな
髪にナイスバディな姿があらわになる。豊かな胸にはレンジャーのバッジが輝いている。
「で、メディ、どうだったんだい?」
 心配そうに女将が尋ねる。
「えぇ、いろいろ分かりましてよ。マリンのおかげね」
 後ろから涙目のマリンが、ひょこっと顔を出す。
「うぅ、魔石四つも使いましたよー」
「サーチ系の魔法ならマリンの方が正確なんだもの、仕方ないわよ。私の指輪も提供した
じゃない」
 マリンをぎゅっと抱きしめ、慰めるメディ。メディは魔法使いのレンジャーだが、どち
らかといえば回復の魔法がメインで、攻撃や索敵は苦手なのだ。
「報告してもらおうか、マリン君」
 コートマンが真剣な表情でマリンを見つめる。マリンは涙を拭って、頷いた。
「ハイ、報告します。消えた獣人は何者かに召還されたんだと思ったので、獣人の消えた
後に残っていた魔力を、できる限り追ってみたんです。魔力の発信源は…ここ、山の二合
目付近です」
 壁に貼ってある山の地図の一箇所を、マリンは指差す。
「そこは……」
「先日見つかった遺跡の場所じゃないか」
 予想外の方向からの情報に、皆が注目する。声の主は、レンジャーナンバーワンのクロ
フォードだった。
 クロフォードはレンジャーの中でも剣技に優れていてレンジャー暦も長いので、よく依
頼の声がかかる。先日学者の護衛についていった時、その遺跡を見かけたらしい。
「ふむ、話が見えてきたな」
 遺跡と聞いて、レンジャーのモースが割ってはいる。モースは遺跡に詳しい。
「遺跡というのは、何かが封印されている場合が多い。見つかった遺跡にも、何か封印さ
れていたとしてもおかしくないだろう。まだ見つかって日にちがたってないが、いち早く
聞きつけたトレジャーハンターが何かした可能性もある」
「うむ、それは当たっているかもしれんな」
 コートマンが頷く。
「あと、コレは予想でしかないんだが」
 ガントが低い声で話に割って入る。
「獣人を下っ端に従え、三日後に町を支配に来る。相手の正体が読めた気がする」
「!?」
 銀髪をくしゃくしゃとさせて、窓の外を見る。窓の外には、少し欠けた丸い月。


「奴らの主は『ヴァンパイア』だ」


 ガントの答えに周りが凍りつく。
「ちょ、それはヤバイだろ」
 クロフォードの端正な顔が歪む。
 ヴァンパイアといえば、不死の王で、夜の支配者。数あるアンデッドの中でもとても危
険な存在だ。強い魔力も恐ろしいが、力だって馬鹿に出来ない。
 ガントは窓を開け、月を眺める。すうっと入ってくる秋の夜風が冷たい。
「三日後は満月、奴らの魔力が最も高まる時だ。…、奴らは本気だ」
「となると、本格的に対策が必要だな」
 みんなの顔が真剣になる。
 女将が立ち上がり「夜食をつくってくるよ」と台所へ向かう。
 長い夜になりそうだ、少し疲れた顔でドーンが呟いた。

     3

 夜が明けると、町はもう厳戒体制に入っていた。マリン達は見回りの為に町を警戒して
まわっていたが、昼を過ぎても獣人は現れず、町は平穏そのものだ。
「マリンも行きたかったんじゃねぇのー? 遺跡に」
 マリンの後ろから、明るい元気な少年の声。燃えるような赤毛に、マリンとそう変わら
ない背丈。
 だが背中には、身長とは不似合いな大剣が背負われている。年もマリンと変わらないレ
ンジャー、リオンである。
「行ったとしても、私じゃどーせ役に立たないもん。ほら、コレ見てよ」
 マリンの腰のポーチの中に、小さな魔石が三つ煌く。
「あちゃー…。あんだけでっかい魔法使えんのに、ホント、もったいないよなー」
「今からでも遅くはない。諦めて今から戦士一本に絞ればいい」
 いつものように、ガントがぼやく。
「クロフォードたち、大丈夫かなー」
 リオンが山のほうを見て、心配そうな顔をする。
「大丈夫だよ。上のドラゴンと戦った事もあるんだし、メディもモースさんもいるんだか
ら」

 今回の作戦はこうだ。
 町長は町に厳戒態勢をひき、町人をできるだけ一箇所に集めて安全を確保する。自警団
は、見張り役として獣人を発見しだいレンジャーに知らせる。レンジャーは山と町の二手
に分かれて戦う、というものだ。
 比較的遺跡に強く、戦闘力のあるもの(クロフォード以下六人)が問題の遺跡に向かい
ヴァンパイアの再封印(もしくは消滅)に、残った四人は自警団の呼びかけに応じて、獣
人を倒しに行くことになっている。ただ、四人のうちの一人のアレイスは怪我をしている
ので『今昔亭』にて待機、連絡係をしてくれている。町を守る実働部隊はマリン、ガント、
リオンの三人ということだ。

「獣人ってすばやくて頑丈なんだろ? 俺苦手だよー」
 リオンが愛用の大剣をひゅんと構える。
「たしかにねー。あいつら…なんていうか、気に食わないし」
「…何故だ?」
 ガントが突然立ち止まり、マリンに問いかける。
「え、ほら、なんていうか、獣人って満月の魔力とか無限に使って筋力高めたりするじゃ
ない? それに、元々凄い魔力持ってるし。…、なのに魔法に使わないのにずるい」
 少し膨れて、マリンは答える。
「ちょ、それ、ただのマリンのひがみじゃん!」
 リオンが大声で笑う。
「うるっさいわねー! 腹立つのよ! あふれる魔力持ってるくせに、役立てないなんて!
 あ−、もー! もったいない!!」
 マリンは真剣な眼差しでぐるぐる唸る。
「あんだけ強いのに、魔法も使ってきたら、めっさイヤじゃん!! ふははっ! あーもー、
これ以上笑わすなよマリンー! い、息できねぇっ…!」
 笑いすぎて呼吸が出来ないのか、苦しそうにおなかを押さえつつ、リオンがしゃがみこ
む。
「そうか…」
 何故か俯くガント。そしてくるっと反対方向を向く。
「少し買い物行ってくる。まだあいてる商店があるはずだ。頼んだぞ」
 そう言うとあっという間に姿を消した。
「…、な、なんだガント、ってガントがいないと俺ら困るじゃん!!」
 その時、自警団の笛が遠くで鋭くが鳴る。
「獣人か! うぇ〜、こんな時にっ!」
「町の中心の方だ! とりあえずいくよ!? リオン!」
「おぅ!!」
 二人は全力で走り出した。



 町の中心の商店街の真ん中にある噴水広場。夕日を反射する水の向こうで、必死に盾で
身を守る自警団のメンバーがいた。何もできない自警団に対して、容赦ない攻撃を加える
ワータイガー。
「どけぇっ、ワータイガー!!」
 リオンは先制とばかりに、自慢の大剣を振り下ろす。だが、それに気付いたワータイガ
ーは自警団員を突き飛ばし、すばやく後ろに飛ぶ。空を切った大剣が、地面に突き刺さる。
「逃がすかっ!」
 瞬間、マリンが二人の間に飛び込むと、ワータイガーに向けて素早い蹴りを繰り出す。
「コノニオイ!」
 獣人がビクリと反応し、蹴りだした足を掴みマリンを逆さにぶら下げる。
「コノニオイ、覚エテイルゾ!」
「かかったわねっ!!」
 そういうと、何か聞き取れない言語を高速で唱える。指の魔石が光ると同時に、獣人の
目の前で強い光が一瞬はじける。
「ギャゥ!?」
 突然の目くらましに、獣人はマリンを手放す。
「マリン、避けろ!!」
 リオンの大剣がゴウと音を立てながら獣人めがけて振り下ろされる。
「そぉれっ!!!!」
 ワータイガーの肩に大剣がめり込む。リオンは迷わず、剣を振り抜く。
「ギャオオォオウッ!!」
 血しぶきとともに、ワータイガーの右腕がぼとりと地面に落ちる。
 だがワータイガーは何事もなかったかのように、すっと立ち上がりマリンたちを睨む。
「な、なんだよ、あいつ痛くねぇのかよ…?」
「どけぇっ!!」
 瞬間、黒い影がリオンの前をよぎる。
 影は容赦なくその拳で攻撃を繰り返す。まさに、息つく暇も与えないほどの攻撃。仕舞
いには獣人を軽々と投げ飛ばす。
「ガント!」
 そこには、ワータイガーを踏みつけにするガントの姿。
「満月に近い時期のこいつらは、月の魔力を得るから体力は無限に近い。一気に息の根を
止めろっ!」
「ヨクワカッテルナ、サスガ…」
 喋りながら起き上がろうとする獣人に向かって、さらに拳を浴びせるガント。
「そういうことなら……了解だっ!!」
 リオンは大剣を構え直し、大きく振り下ろす。大剣は見事にヒットし、踏みつけられた
獣人の胴と下半身が真っ二つになる。
「やったか!?」
 リオンが顔を上げると、ワータイガーはまた煙の様になり、姿を消す。
「ちくしょ、逃げやがった!」
 リオンは悔しそうに、吐き捨てる。
 が、息つく暇もなく、今度は二方向から笛が鳴り響く。
「もう、日が暮れだしたら急に忙しく…、月が出てきたせいなの?」
 マリンは空を見上げる。
 空には綺麗なお月様。
「マリン、リオン、二手に分かれよう。お前達二人は山側に、俺は南に行く」
「「了解ッ!!」」
 レンジャー達は拳を付き合わせると、お互いの目指す方向へ走っていった。

     4

 クロフォード達が出発して二日がたった。
「やっぱりヴァンパイア相手は…厳しいんやろか」
 『今日亭』で待機するアレイスが、リオンの包帯を変えながら呟く。
「そうだねぇ。リオンが獣人相手にこんな怪我するくらいだからね」
 女将が水の入った桶を持ってきて、心配そうにリオンを覗き込む。リオンは複数の獣人
に囲まれ、わき腹を裂かれてしまったのだ。町の神父が手当てをしてくれて事なきを得た
ものの、それでも大怪我をした事には変わりない。
「俺らレンジャーは、ナンボ強い言うたかて、山のモンスターに対してってとこや。今は
町に来てた冒険者達が手伝ってくれてるけど、元が絶たれへんねやったら、意味無いしな。
マリン、どないや?クロフォードらがどうなったか、わかったか?」
 アレイスが振り返る。後ろの方で、マリンが目を閉じて魔石を手に魔方陣を描いている。
「ん、分かった」
 マリンが目を開ける。
「えと…、最悪だ」
 マリンが今にも泣きそうな目でアレイスを見る。
「クロフォード達、どうやらヴァンパイアと上手く戦ってたみたいで、町にもう獣人が来
る事もなさそうなんだけど…」
「あ? そんならいいやん」
 乱れた茶髪を首元でくくりながら、アレイスが首を傾げる。
「いや、あのね、ヴァンパイアが逃げたのよ」
「なんやて?!」
 アレイスの細い目が思いっきり見開かれる。
「このままじゃやばい、って思ったんじゃないかな。姿消しながら、遺跡を脱出してる。
んと、獣人が2匹お供についてる。…、おそらく町を目指してるよ」
「えらいこっちゃ……」
「クロフォード達も追いかけてるみたいだけど、追いつきそうもないよ」
 その時、マリンの手に握られていた魔石がパンッと弾ける。
「…、ラストの魔石も壊れました」
 マリンが涙目で俯く。ここ数日で宝物をすべて失ったのだ。その悲しみようは半端では
ない。

「俺達で何とかしないとやばいってことか」

 ガントが『今昔亭』のドアを開け、外から戻ってくる。
「おかえり、ガント、怪我はないかい?」
 女将がカウンターから覗き込むと、ガントは静かに頷く。
「おぅ、ガント、リオンも何とか大丈夫や」
「そうか」
 ガントとアレイスが拳をぶつけあう。ガントとアレイスはここに来る以前からの知り合
いだったらしく、仲がいい。
「二人で…何とかなるかな」
 俯いたまま、マリンがつぶやく。
「私、もう魔法は……!」
 マリンの言葉をさえぎる様に、ガントが少し重い包みをマリンにすっと手渡す。包みを
あけてみると、手にはめるタイプの爪の様な武器が出てきた。爪の部分が銀色で、かっこ
いい。
「おぉっ、銀の装備か! そりゃヴァンパイアにも獣人にも、良く効くわな!」
「ライカンスロープ(獣人)は銀に弱いっ……てね」
 女将さんとアレイスが、銀の爪を見て安心したように話す。
「対ヴァンパイア用に、俺の使ってた武器をケインズさんに直してもらった。マリンはコ
レを使え。俺はこっちのナックルを使う。町を守れるのは…もう俺達しかいない」
 ガントは真剣なまなざしで、マリンを見つめる。
「そうだよね。私達が何とかしなきゃ、だよね」
 マリンは立ち上がり、銀の爪を右手にはめる。ガントが使っていたせいで少しサイズが
大きいが、なんだかガントに守られているような、不思議な感覚が手に伝わってくる。
「心配するな。……、それに俺は、そんな軟弱なヤツに格闘を仕込んだ覚えはない」
 マリンの肩に、ガントの大きな手のひらがぽん、とおかれる。大きくて暖かい、ガント
の手のひら。
「…、うん」
 少し照れて、マリンは頷く。

「日が暮れるな」
 アレイスが外を眺める。外には不気味に大きな満月。
「ええんか、ガント」
 何かを心配して、ガントを見るアレイス。女将さんも、マリンをチラッと見た後、ガン
トに目線を移す。
「…、あぁ。もう決めたことだ」
 何の事かよく分からなくてきょろきょろするマリンをよそに、ガントは外へ向かう。
「あっ、まってよ!」
 マリンも慌ててかけだす。
 月夜の戦いが、始まろうとしていた。

     5

 マリン達は、山の入り口の所に来ていた。目の前には迷いの森、後方にはチークの町の
明かりが遠くに見える。いつもの歩きなれた道のはずなのに、知らない道の様な気がする
のは妙に明るい月明かりのせいか。
「……、もう来る頃…かな」
 高まる緊張感に耐えかね、マリンが口を開く。
「そうだな。そろそろだな」
 マリンは落ち着いた様子のガントを、チラッと見上げる。真っ直ぐに山を見つめるその
瞳は、落ち着いているというよりは、少し昂ぶっている様にも見える。
「恐く…ないの?」
「恐くはないな」
 マリンの質問に、ガントはさらりと答える。
「俺は俺の持てる全力を、出すつもりだからな。ただ……」
「ただ?」
 ほんの少しの沈黙の後、ガントは続ける。

「お前にどう思われるかは分からない」

 ガントは少し目を伏せる。いつもマリンを『これでもか』とからかうガントなのに、な
んだか今日は、様子がおかしい。マリンにどう思われるか気にする所なんて、今まで見た
ことがない。
「な、何いってんの、急に」
 マリンはどう反応していいか分からなくて、目をそらす。
「俺は、チークの町を守る。仲間も、……マリン、お前もだ」
 突然名前で呼ばれ、どきりとなる。
「武器とは別にもう一つ…、渡すものがある」
 ガントの手の中に、小さな指輪が2つ。小さな石がついている、
綺麗な銀色の指輪。
「えっ、こ、どどど、どういうっ!?」
 マリンの顔が、火がついたように赤くなる。
 男性が女性に指輪を贈る。その意味は誰だって知っている。
「片方は俺がつける、もう一つは…、お前がつけろ。そうすれば、俺の力を好きに使える
はずだ」
「? 力??」
 ガントの口から出てきたのは、その意味とは少し違う言葉。マリンは混乱しながらも、
指輪をはめる。いつものように左の人差し指にはめるが、それが正しいのか、間違ってる
のか。

「…、森に入ったか」
 森のはるか奥から発せられる、ものすごい魔力。コレは間違いなく夜の魔物のものだ。
あまりの魔力に、森が震えているように見える。森から感じる魔力は三つ。そのうちの
二つが、物凄いスピードで、こちらに迫ってくる。
「キィイイイイッ!」
 大きな叫び声とともに、マリンの目の前に飛び出てくる灰色の物体。マリンは落ち着い
てそれをかわし、灰色の物体に横から蹴りを入れる。物体は転がり、すぐに起き上がる。
「人間ノワリニ、イイ動キダナ」
 大きな耳に、醜い獣の顔。人より一回り大きい背丈に、ゆらゆら揺れる細い尻尾。
 ワーラットだ。
「ソイツラ、ナカナカ面白インダゼ?」
 森からもう一人、獣人が現れる。リオンに真っ二つにされたあのワータイガーだった。
 獣人のの鋭い目線が、ガントに向けられる。
「コノ前ノ借リヲ、カエサセテモラウッ!」
 ワータイガーはまっすぐガントに向かって飛びかかり、丸太のような腕を振り回す。
「余所見シテルト危ナイゼ!!」
 片言の言葉を話しながら、ワーラットがマリンに向かって襲いかかる。ワーラットの動
きは予想以上に早い。
「ガントの教えその一っ、相手の動きを良く見て、よけるっ!!」
 マリンはガントに叩き込まれた基本を思い出しながら、丁寧によける。所詮十七歳の女
の子のマリン。耐久力は無いに等しい。
 『くらえば終わり』なのだ。
「チョコマカト動クナ!」
 マリンの予想外の回避力に、ラットは苛立つ。爪がかすりはするものの、当たらなけれ
ば意味はない。ラットの外れた攻撃が地面を削り、木をえぐる。
「その片言な話し方、嫌いなのよっ!」
 マリンは一瞬の隙をぬって懐に入る。
「ガントの教えその二っ、一撃必殺の急所を狙えっ!!」
 銀の爪をラットの腹に突き刺し、そのまま大きく上に向かって腕を振りぬく。縦に大き
く切り裂かれた傷口から、大量の血が噴き出す。
「ギャゥウウウウ!?」
 ワーラットは月に向かって手を伸ばし魔力を得ようとするが、傷は塞がるどころか血が
どんどんあふれていく。
「ライカンスロープは、銀に弱い…か」
 自分が攻撃したとは思えない威力に、女将さんの言葉を思い出す。
「ならばっ!!」
 苦しむワーラットの背中に、銀の爪を立てる。ラットの筋肉が爪の侵入を拒もうとする
が、マリンの力に負けて深々と突き刺さる。
「ゴボオォ……」
 ワーラットは力なく崩れ落ち、目に光が無くなる。
「ガントっ、こっちはやっつけたよ!!」
 振り返ると、獣人と殴りあうガントがそこにいた。


「何故本気ヲダサナイッ!」
 苛立ったようにワータイガーが牙をむく。体に無数の爪あとをつけられたガントは、少
しよろめきながらも構えを崩さない。
「ガント!」
 マリンが近づこうとするも、ガントの紺色の瞳は「来るな」と言っている。
 マリンは気になっていた。獣人がガントに言った”本気を出さない”の意味が。さっき
までの、 マリンを気にするガントの事が。
「モウスグ主モココヘヤッテクル。オ前ニソノ気ガナイノナラ…!」
 痺れを切らしたワータイガーがガントに飛びかかる。ガントはチラッとマリンを見て複
雑な顔をすると、また視線をワータイガーに戻す。
 その一瞬の油断を、ワータイガーは見逃さない。
「ぐうう!!?」
 ガントのわき腹を、ワータイガーの鋭い爪が深くえぐる。顔が苦痛で歪む。
「ガント!」
 じっとしていられず、マリンは飛び出す。
「来るな! お前には無理だっ!!」
 走りながら、マリンはガントのわき腹から流れる赤い血を見る。
 ガントは不器用で、剣や槍なんかの武器が一切使えない。でもその分体術に優れていて、
素早さも筋力もレンジャーの誰にも負けやしない。ワイバーンと戦っていた時も、ガント
自身は自分の血を流したりなんかしていなかった。マリン自身も、ガントが大きな怪我を
した所なんて、今まで見たことがない。
 そんなガントが血を流して、片膝をついているのだ。
 無茶なのは十分承知だった。
「うあぁああああああああ!!」
 全力でワータイガーに向かっていくマリン。
「行くな、引けぇっ!!!!」
 ガントの叫びを無視し、ワータイガーの懐に飛び込む。
 マリンの銀の爪がワータイガーの腕を引き裂く。一歩踏み込んで、胸を、腹を切りつけ
る。
「オ前程度ジャ、ソンナモノ」
 塞がらない傷口から血を流しながら、ワータイガーはマリンをつかみ拳を繰り出す。
 軽く放たれた、ワータイガーの一撃。
 だが、その衝撃は腹から背中につきぬけ、マリンを吹っ飛ばす。
消えそうになる意識。胃液が逆流して、喉が焼ける。
 銀の爪を装備し、体一つで戦うマリンだが、本来は魔法使い。イノシシをふっとばし、
ワーラットをやっつける事ができたとしても、相手は月の魔力で強化されたワータイガー、
ダメージは大きかった。
「……っく!!」
 涙が溢れる。
「魔法が、魔法が使えたらっ……!!」
 魔法使いとしての無力さに、何より、ガントの役に立てない自分が悔しかった。胃液を
吐き捨て、ゆっくりと立ち上がりワータイガーを睨む。
 震えるマリンに、ワータイガーが下卑た笑いを浮かべ鋭い爪を見せつける。
「オ前ヲ食ッテヤロウ」
 舌なめずりしながら、マリンの方へ走り出すワータイガー。
「マリーーーーーーーンッ!!」
 マリンの名を叫びながら、立ち上がるガント。痛みに歯を食いしばり、ワータイガーに
向かって走り出す。血まみれの拳を硬く握り、真っ直ぐにワータイガーの心臓めがけて突
き出す。銀のナックルがワータイガーの胸を貫き、獣人の血が噴水のように上がった。
 渾身の一撃だった。
 不気味に笑いながらそのまま崩れるワータイガーから腕を抜き、マリンに近づく。
「……っ!」
 ガントは自分に苛立っていた。
 自分の迷いのせいで、マリンを傷つけてしまったことが許せなかった。だがそれ以上に、
今だに何かを迷うガント。
「ごめんねガント、役に立てなくて、でも、もう…大丈夫!」
 精一杯笑って胸を張ってみせるマリンを見ると、余計に迷いが大きくなる。
 

「人間は賑やかだな」


 森から突然聞こえてきた声に、顔を上げる二人。
「いやいや、先ほどまでの人間には苦労したよ。君たちも、私の邪魔をするのかね?」
 丁寧な口調の深い声。黒い服に身を包み、膨大な魔力を溢れさせながらこちらを見つめ
る魅惑の赤い目。青白い顔に口から覗く長い牙。
 それは、間違いなくヴァンパイアであった。

     6

「ヴァンパイア……!」  
 初めて本物のヴァンパイアを目の当たりにして、その魔力に気圧されるマリン。
 だが良く見ると、クロフォード達にやられたのか服のあちこちが破れ、少しふらついて
いるようにも見える。
「…凄い圧力だな」
 わき腹を抑えながら、眉根を寄せる。これから二人で、この不死の夜王を倒さなければ
ならないのだ。ガントはマリンの前に立ち、険しい顔をして構える。
「私をその体で倒そうというのかね? 無理だな」
 突然、ヴァンパイアが目を瞑り、手を翳す。冷たい魔力がガントをすり抜け、マリンの
体を包みこむ。
「!? ……んぁっ…!!」
 何かが体から吸い出されるような、力が抜けるような感覚がマリンに襲い掛かる。目の
前がゆらめき、視線が定まらない。
「いかん!」
 ガントは持てる力をふりしぼり、血を散らしながらヴァンパイアに飛びかかる。不意を
突かれたヴァンパイアはガントに掌底を放たれ、吹っ飛ぶ。
「大丈夫か!?」
 マリンは荒く息をつきながら、へたり込む。
「い、今の、何?」
 抜けた力がなかなか戻らなくて、苦しむマリン。
「今のは、おそらくドレインだろう」
「ド、ドレイン?」
 倒れそうなマリンを支え、ガントは怒りに震える。だが、ガントも大量に出血したせい
か、目の前が霞みだす。吹っ飛ばされたヴァンパイアが何事も無かったかのように起き上
がり、マリンを見ながらいやらしく笑う。
「ふん、邪魔されてしまったが、この女はなかなかいい力を持っているな」
 マリンの力を吸い取り、満足そうにマリンを見つめる。
「んん、君のおかげで力が漲ってくるよ。そうだ、私の元でペットとして飼ってやろうか」
 その冷たい声にマリンは震える。ドレインを受けたせいか、顔は青ざめ、体は未だに動
かない。
「ガント、どうしよ…う、動けないよっ……!」
 涙をいっぱいためて、恐怖に引きつるマリン。どんな時も臆することのなかったマリン
が、震えて、小さくなっている。それでもまだ、マリンは諦めてなどいなかった。
「んっ! んぅう!!」
 無駄とわかっていながら、呪文を唱え、空中に魔法の文字を描く。
かすかに光るが、発動しない魔法。魔力、魔力さえあれば。
「恐怖に引きつりながらもまだ諦めぬか、ククク、実にいいねぇ! では、次は直接血で
も頂こうか!!」
 宙に浮いたヴァンパイアがマリンとガントに迫ろうとした、その時だった。


「力を奪った上に、今度は血だ!? だまれっ! 俺はもう迷わん!!」


 何か吹っ切れたように、真っ直ぐヴァンパイアに対峙するガント。これ以上、マリンを
傷つける訳にはいかなかった。もう、迷っている暇などない。
 そして、ガントは天を仰いだ。


「くるなら来い! 俺達は勝つ!!」


 ガントが叫んだ瞬間、今まで感じたこともない魔力が、ガントから発せられる。同時に、
マリンの体に膨大な魔力が流れ込む。ガントから渡された指輪から、とめどなく溢れる力。
「んあぁあああああああっ!?」
 生まれて初めて体のなかを通る強大な魔力に、マリンは身をのけぞらせる。
 宙に浮いたヴァンパイアが、弾かれ地面に叩きつけられる。
「コレ…は」
 あふれる魔力に押さえつけられ身動きできないヴァンパイアは、ガントを睨みつける。
「ようやく本気を出すというわけか。それにしても……!」
 動けないヴァンパイアは、ギリリと奥歯を鳴らす。
「んぅっ…ふぅうっ……!」
 魔力の流れに耐えながら、マリンがうっすらと目を開ける。

 ガントがいたはずの場所に、見たことのない後姿が立っている。

 満月の月明かりの元、白銀に輝く尻尾。ピンとたったふさふさした耳。指先には大きな
爪。人間より一回り大きな厚い体。口から覗く、鋭い牙。
 半分けもので、半分人間。 

 それは獣人、ワーウルフであった。

     7

「ワー…ウルフ? ううん、違う……!」
 制御できない魔力の流れに押されながら、マリンは振り返るそれを見つめる。
 腹の傷が消え、顔の両側が毛で覆われたり、歯が牙になって見えていたりするが、あの
深い紺色の瞳は間違いなく……。
「ガント……!」
 瞬間、彼の姿が消える。
「…、ゴフ!」
 次にマリンが見たのは、頭を吹っ飛ばされ、大量に血を流しながらうつ伏せるヴァンパ
イア。
 そして、背後に獣の気配。
「見ルナ!」
 振り返ろうとするマリンを、聞きなれた低い声が制止する。
「やだっ! 見るからねっ!」
 あふれる魔力に耐えながら、マリンは思いっきり振り返る。
 そこには、複雑な表情をした、ワーウルフがいた。
「コレが、ガントの本気の姿なの?」
 目をそらして頷くワーウルフ。
「気にしてたのって、この事?」
 困った表情でうなだれるワーウルフ。
 じぃっと見つめるマリン。
「ん…ぷふうううう!」
 突然噴出すマリンに、おろおろするワーウルフ。
「ふはっ、やだ、もうっ、それをずっと気にしてたの? 確かに、すっごく驚いたけど、
なんていうか、納得したよ。でも、そんなしおらしいガントなんて、それこそガントらし
くないし、ワーウルフっぽくもない!」
「ナッ、ナンダトッ!?」
「ふあっ、やっといつものガントにっ、なったねっ」
 そういって笑ってみるものの、魔力に押されて、体がふらつく。
倒れそうになるマリンをとっさに受け止めるガント。ふわふわした毛で覆われた腕が気持
ちいい。
「魔力、くれるのはありがたいんだけど、制御、出来ない、あは、情けないなぁ、も……」  

 言い終わる前に、ガントが覆いかぶさる。
 重なり合う、獣人と人の唇。

「!!?」
 マリンの心臓が激しく暴れ、体は火がついたように熱くなる。
 ガントの唇が、かすかに震えているのがマリンに伝わる。唇が離れると、暴風のようだ
った魔力が渦を巻いて穏やかな風のようになり、マリンの体を駆け抜けていく。
「無理ヤリデ……、スマナイ」
 赤くなったガントが目をそらす。マリンの心臓は早鐘を打って、今にも心臓が口から出
てしまいそうだ。
「コレデ、契約ガカンリョウシタ。俺ノ魔力ハ、スベテオ前ノ物ダ」
「け……契約??」
 心のときめきとは真反対の言葉に、マリンは軽く混乱する。
「オ前ニ魔力ノ器ガナイノナラ、俺ガ代ワリノ器ニナル。ダカラ…」
 
 ぱこーーーん!

「!!??」
 マリンのパンチがガントの頬を打ち抜く。突然の事に目をまん丸にするガント。
「もうっ! 乙女の唇をナンだと思ってるのよ! う、嘘でもいいから、す、好きだから、
とか何とか言いなさいよもうっ!!」
 突然のマリンの叫びに、ガントは混乱する。
「ナ、オモイッキリ魔法使エルノガ不満カ?! ッテイウカ、ンナコトイエルカ!!」
「ま、魔法に関しては、嬉しいけど、あぁんもう、嬉しくない!!」
「ンダヨ! チャントアヤマッタダロウガ、……!?」
 ガントが言い終わる前に、マリンがぎゅっと抱きつく。ガントの体が大きくて、抱きつ
いても胸の辺りに頭が来てしまう。模様のように生えている毛並みがこそばゆい。

「分かってる、ありがとう、ガント」

 勢いを殺されて再び戸惑うガントの顔に、マリンはそっと手を添える。
「牙が邪魔で喋りにくいんでしょ、もう」
 そういうと、今度はマリンから唇を重ねる。
「……、私は、ガントが…きだから……、だからね!!」
 真っ赤になって後ろを向くマリン。硬直するガント。

「お遊びはここまでだ!!」
 満月の魔力で再生したヴァンパイアが、再び立ち上がる。無限の魔力は、彼の再生能力
を大幅にあげていた。

「さ、さぁヴァンパイア倒すわよッ!! 強くなったガントと私の全力の魔法で、倒せない
ハズがないんだからっ!」
 恥ずかしさを隠すように叫んで、ヴァンパイアに向かってぐっと構えるマリン。
「ガントっ! 覚悟してよね!! 満月の力で無限になった魔力、遠慮なく使わせてもらう
からねっ!」
 そういってマリンが振り返ると、何故かしゃがみこみ、震えているガントの姿があった。

     8

「偉大なる精霊よ!!」
 マリンの手からあふれ出る魔力は、一瞬で炎に変わる。
「いけぇっ!!」
 炎はヴァンパイア目指して、地面を走る。勢いを失わない炎にヴァンパイアは包まれる。
「これほどの魔法使いが、今の人間にいるとは……!」
 魔法に対する耐性が高いヴァンパイアが、マリンの炎に苦戦する。
 ひるむヴァンパイアに、今度はガントが素早い蹴りを放つ。
「無駄だ!」
 ヴァンパイアは優雅な手つきで、蹴りかかる足に手を翳す。ガントの動きが空中で止め
られ、瞬間、炎がガントの足を包む。ガントのふわふわの毛並みが、嫌なにおいをだして
燃える。
「ガントに何すんのよ!」
 マリンは短く何かをつぶやく。マリンの指先から水があふれ、ガントの足にざぱぁとか
かる。
「ほう、中々素早い、いい詠唱だ。だが」
 ヴァンパイアの体が無数のこうもりになり、ぶわっとあたりに散らばる。
「どこっ!?」
 きょろきょろするマリンの背後から、差し伸べられる手。こうもりはマリンの後ろで集
まり、再び形を作る。冷たい手は顔を包み、魅惑の赤い瞳がマリンを見つめる。
「君もヴァンパイアになるといい」
 ヴァンパイアはそう呟くと、大きく口を開け、こちらに向かってくるガントをちらりと
見る。
「この処女は、私が頂いた」

「しょ!!!?」

 どさくさに紛れてなんだかとんでもない事をばらされたマリンは、耳まで真っ赤になり、
あいた口が塞がらない。そして、凍りつくガント。
「ちょ、ガント、あの……っ」
 真っ赤になりながら再びガントを見ると、そこには魔力を溢れさせ、毛を逆立てたワー
ウルフが静かに拳を震わせている。半端ない魔力が、指輪を通じてマリンに伝わる。
「ガン……」
「コロス」
 短くガントは呟くと、一瞬でヴァンパイアとの間合いを詰める。
驚異的なスピードでヴァンパイアの背後にまわりこみ、マリンの顔に添えられたヴァンパ
イアの手を後ろから掴んだ。

 ごきり。

 マリンの耳元で響く、鈍い音。
 ガントはそのままヴァンパイアを引き剥がし、渾身の回し蹴りを放つ。
「!!」
 苦痛に歪む、ヴァンパイアの顔。
「このぉッ、獣人風情がッ!!」
 詠唱もなしにヴァンパイアの体から放たれる炎。
「よけてガント!」
 身を思いっきりそらしぎりぎりでよけるも、これでは近づく事も出来ない。
「ウォーターハンマー!!」
 マリンは、自分の使える一番大規模の水の呪文をヴァンパイアに向けて放つが、水はヴ
ァンパイアにたどり着く前に蒸発して消えていく。
「うそっ、どうしよっ!」
 マリンは必死に呪文を紡ぐ。
「アノ炎、ナントカナランノカ!?」
 炎をよけながら、ヴァンパイアに攻撃しようとするも、ヴァンパイアの魔力で炎は勢い
を増し、ガントの体を焦がす。ワーウルフとしての回復能力のおかげでなんとか動けるが、
思うようにダメージがいかない。ダメージを与えたとしても、あっという間に回復されて
しまい、きりがない。
 折れた手ももう完治し、その手で、絶え間なく炎を生み出す。満月の魔力で強化された
ヴァンパイアが最強と謳われる理由はそこにあった。
 その間も、呪文を唱え続けるマリン。
「マダカ!?」
 あまりに長い詠唱にガントが痺れを切らす。
「ごめん! もうちょい時間稼いで!! 今唱えてるのは、記憶を呼び戻す呪文だから!!」
「アァ!?」 
 マリンの間抜けな答えに、ガントはこけかける。
「しょうがないじゃないっ、私の知ってる魔法なんて、図書館一個分はあるんだからっ!!」
 ガントには想像もつかないマリンの知識量。その間も、ヴァンパイアは炎を出しながら、
ガントを追い詰める。
「……! ビンゴッ!!」
 マリンはいい呪文を見つけたのか、改めて呪文を練り直す。
「ガント、ちょいどいて!!」
 マリンは空中に複雑な模様を描き、高速で呪文を詠唱する。ガントの魔力が指輪を通し
て伝わり、マリンの指先を通して、光になる。
「ここまでヴァンパイアの再生能力が凄いなんて思ってなかったわ。勉強不足だったわ」
 昔読んだ本を思い出しながら、魔法を紡ぐ。
「なら、コレはどうかしらっ?」
 指先にはキラキラ光る氷の粒。膨大な魔力を使い、マリンは呪文を完成させる。
「あーー、魔法が全力で使えるって、すっごい快感!」
 うっとりと指先を眺めながらさらに何かを描く。
「いけぇっ、アイスコフィン!!」
 ヴァンパイアの周りに漂う、氷の粒。やがて粒は急速に成長し、ヴァンパイアを閉じ込
める。
「融かそうとしても無駄よ? まぁ、一定時間たったら溶けるけど」
 冷たく言い放ち、くるりと後ろを向く。
「ホットクノカ」
 凍りついたヴァンパイアの傍に立ちつくすガント。
「うん、確実に、確実に倒したいから、ね!」
「?」
 ガントはマリンが何を考えてるのかさっぱり分からず、首を傾げる。
「さて、氷が解けるまで暇になっちゃったね」
「ソウダナ」
「ね、ガントのその姿、ワーウルフなんだよね?」
「ソウダガ」
「変身って任意で解けるの?」
「イヤ、一度変身スルト太陽ノ光ヲ浴ビルマデハ、俺ノ場合、コノママダ」
「ワーウルフって、他の獣人みたいに満月の晩は心臓貫かない限り、ほぼ無敵なんだよね
?」
「何ヲ企ンデイルンダ」
「よーし! 折角魔力が無限に使えるんだ! 今まで考えたのはいいものの魔石を大量に
消費するから実験できなかった魔法を試して
みよう! 山のようにあるのよ!」
「ヤル気…カ」
「ふふふー」
「無限ノ魔力トハイエ、コッチモ一応疲レル事ヲ忘レルナヨ?」
「オーケー、努力する。あ、もちろん、そっちも反撃していいよ?」
「言ッタナ、後悔スルナヨ?」
 不敵に笑い、ヴァンパイアそっちのけで、向かい合う二人。
「多重全方面シールド展開、おぉ、出来た出来た!」
「風ノシールドカ! ダガ!」
「おぉう、ガント無茶だなぁ……、んじゃコレで!!」
 大規模の魔法が繰り出され、派手に繰り広げられる戦い。炎が跳ね、水が踊る。
「私を放置する気かね!」
 ヴァンパイアは涙目で、二人を眺める。


 そして。


「はー、はー、つかれたーーーーー!」
「ゼー、ゼー、ツカレタ」
 心地よい疲労感で座り込むふたり。
「あ、そろそろ氷融けるよ」
 振り返るマリン。
「オイ、今融ケラレタラ、動ケナイゾ、俺達」
 困った顔で氷を眺めるガント。氷の中では、やっと出られるとわかってヴァンパイアが
目を血走らせている。
「だいじょうぶよ、ほら」
 マリンが指差した方向は、東。今まさに日が昇らんとしていた。
「…、なるほどな」
 日の光を浴びて、元に戻っていくガント。
「あ、ガント、お尻の尻尾出てたトコ、穴開いちゃってるよ」
 靴だって、足の爪のせいで穴があいてしまっているし、上着だって伸びきってしまって
いる。尻尾のせいでそこだけ丸出しになってしまったお尻が、なんだか可愛い。
「縫ってあげるよ、ほら!」
 ポーチから裁縫セットを出し、微笑むマリン。
「い、やめろっ!!」
「…強引にキスしたくせに」
「まだ言うかこのっ!!」
 二人がぎゃぁぎゃぁ騒いでいるうちに、ヴァンパイアは日に焼かれ、砂になる。程なく
氷も解けてその場には、水溜りと白い砂だけが寂しげに残ったのだった。


「大丈夫だったかい!? 凄い魔法の光とか見えてて、心配だったんだよ!?」
 女将さんの暖かい声が、マリンとガントにかけられる。どうやら心配して、町の入り口
まで迎えに来てくれたようだ。
「こんなに服も焦げて……、相手はヴァンパイアだもんね、魔法かけられてつらかったろ
うに」
 マリンの服を見て、女将さんがマリンを抱きしめる。
(いや、コレは自分の魔法で……)
 そう思いつつ、遊んでたなんて言えなくて笑って誤魔化すマリン。
嘘ついたみたいで切ないが、でも、言えない。
「あ、でもそんなにつらくはなかったんですよ? クロフォード達が、大分痛めつけてく
れてたみたいだから。」
 そういって女将さんに笑いかけると、女将さんは「そうかい」と言って、もう一度抱き
しめる。
「ガントも、お疲れ様。どうやら大丈夫だった様だね」
 女将はマントを羽織り、はだしで歩くガントを見て、微笑む。ガントは少し赤くなり、
ふいっと目をそらす。
 程なくして、後ろから「おーい」と声が聞こえてくる。
「あっ、クロフォード達だ!」
「じゃ、急いでご飯作らなきゃね、お風呂は旦那が沸かしてくれてるよ」
「食うぞ!」
「私だって!!」
 チークの町をやさしい朝日が照らす。
 街を守ったレンジャー達は、町の人たちに祝福され、『今昔亭』に帰っていくのだった。

     7

「ひゃひゃひゃひゃひゃ!! そりゃすげぇ、マリン!!」
「でしょ? 銀の爪がね……」
 『今昔亭』のロビーで、盛り上がるアレイスとマリン。
 ヴァンパイアとの戦いが終わって、ご飯を食べて一番風呂をもらったマリンは、起きて
きたアレイスとさっきまでの話をしていたのだった。ガントが変身したことを除いて。
「紅茶入れてきたよ、続き聞かせてごらん?」
 女将が大きなポットとお菓子箱片手にソファーに座る。
「それで、ガントがね……」
 マリンはふとキスシーンを思い出し、赤くなる。
「おぉう、マリンが真っ赤や」
 誤魔化すように、お菓子をほおばるマリン。
「でもよかったねぇ」
「?」
「ココだけの秘密だけどね? ガントがね、私とアレイスにちょっと話してたんだよ」
「なにをですか?」
「マリンの前で、『獣人になる事について』だよ」
 マリンは思わずのどを詰まらせる。
「な、女将さんたち、知ってたんですか!?」
「ガントのこの事知ってるんは、『今昔亭』じゃ俺と女将とモース
さんくらいやけどな」
「お、おぉう……」
 あまりの驚きに、マリンのお菓子を食べる手が止まる。
「それはとにかく置いといてやな。あの戦いの前にガントがな、二人でヴァンパイアと
戦うとなるとさすがに獣人であることををばらさざるをえない戦いになるって、悩んで
たんや」
「そ、そうなんだ。まぁ、…そりゃ驚いたけど」
 そんな事話してたんだ、と思いながら、そのときの事を思い出し、
お菓子を一つ口に運ぶ。
「悩んでた原因はあんただよ、マリン」
 マリンは再びのどを詰まらせる。慌てて、紅茶のカップに手を伸
ばす。


「「どうやらマリンが獣人嫌いっぽいって、気にして」」


 女将さんとアレイスが、シンクロする。マリンは紅茶を盛大に噴き出した。
「ちょ、マリン噴きすぎやッ!!」
「だ、だってっ!!」


「誰が何を気にしたって?」


 風呂上がりのガントが、眉間にしわを寄せてロビーの入り口に立っている。いつも通り
の上半身裸で頭にタオルな姿だがそれを見てついマリンは赤くなる。
「いやぁね、なんでも」
 女将が笑いをこらえて震える。
「よかったなぁガント、嫌われんで!」
 涙目で笑いながらソファーにうずくまるアレイス。
「……、アレイス、表に出ろぉ!!!?」
「おおおおい、怪我人にはやさしくしろよ!!」
「黙れっ!!!!」
 横で取っ組み合いのけんかが始まる。
「お、けんかか??」
 騒ぎを聞きつけて、他のレンジャーも集まってくる。
 女将さんがマリンを呼んで、そっと耳打ちする。
「あのマジックアイテムの指輪、もらったのかい?」
「え、えぇ、あれのおかげで助かったんです」
 どこでそのことを知ったのか、女将は真剣な表情でマリンに詰め寄る。女将の情報網は
侮れない。

「知ってるかい? あれ、ひと月の手取りの三か月分するんだよ??」

 ニヤニヤ顔で女将はマリンの指を見る。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」
 「三か月分」という単語は、なんと破壊力のある言葉なのか。マジックアイテムは元か
ら値段が張るものだが、それにしても、偶然なのか、なんなのか。
 真っ赤になって「ち、違うと思います!」というものの、「さて、どうかね〜」と女将
は斜め上を見る。目線の先には、ガント。
 マリンはふと気がついて、ガントの指を見る。左手の薬指に、リングが見える。
「!!!?」
 マリンはより一層混乱して、目の前が真っ白になる。


 早朝の『今昔亭』に、いつもの賑やかさが戻る。外から、珍しく山のドラゴンの嘶きが
聞こえてくる。
 まぶしい朝の光。
 チークの町は、無事、いつもの朝を迎えることが出来たのだった。




おわり


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