第10章 『ばらの騎士』組曲との関係

   
 リヒャルト・シュトラウスの管弦楽作品のCDを買うと『ドン・ファン』や『ツァラトゥストラはこう語った』などの交響詩に25分くらいの『ばらの騎士』組曲作品59(1945年)という曲が混じっていることがあります。オペラの『ばらの騎士』も作品59ですから、同じ作品番号を与えられた正規の曲で演奏会用に書かれたものであることは間違いありません。しかし、これを編集したのはアルトゥール・ロジンスキーという当時のニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者で、編集の権利をリヒャルト・シュトラウスから与えられたとされています。なお、シュトラウス自身はその編集作業には参加していないようです。

    

 上の写真(左)の右側がアルトゥール・ロジンスキーです(ここでは関係ありませんが、左側の若者はレナード・バーンスタインです)。右のCDはロジンスキーが指揮した『ばらの騎士』組曲が収録されています。

 「編曲」ではなく「編集」という言い方をしているように、『ばらの騎士』組曲のスコアを見ると音符もオーケストレーションも一部を除いてほとんど手をつけていません。また、オペラにおける進行の順番もわずかな変更にとどめています。演奏会用ですから歌手を入れないことが前提に編集されていますが、実はシュトラウスの元々のスコアでは歌手が歌う旋律のほとんどにおいて、オーケストラのどこかのパートがユニゾンでなぞっているのです。つまり歌のパートを省いても音楽として成り立つように書かれていたのでした。そこで、この組曲では親しみやすい旋律がある部分をいくつかオペラから切り取ってつなぎ合わせ、最後だけコーダ(27小節)を書き加えるという形になっています。「編集」という言い方をする理由はこの点にあることがわかります。どの部分を全曲から採用し、どんな順番に並べ、それぞれどんな場面でるあるかがわかる表を下にまとめてあります。

 この組曲ではほとんどはオペラのストーリー通りに演奏されますが、2箇所だけ元のオペラとは順番が異なる並べ方をしています。第1幕からは序奏の部分だけが採用され、切れ目なく第2幕の「ばらの騎士」を迎えるファニナル家のシーンに飛びます。「ばらの騎士」が登場して献呈を行ない、「ばらの騎士」であるオクタヴィアンとファーニナル家の娘ゾフィーが抱き合っている現場が押さえられるシーンからオックス男爵のワルツへと順に進みます。しかし、第2幕の終幕直前で第2幕の冒頭近くに戻って、ゾフィーが部屋に入ってくるシーンになります。第3幕では有名な三重唱から終幕まで途中一部カットをしながら進みますが、最後は曲を派手に盛り上げて締めくくるためと思われますが、第3幕の中ほどにある男爵が退散するシーンで演奏される派手なワルツに戻ります。最後は2小節のゲネラル・パウゼの後、第1幕冒頭の動機を織り交ぜた華々しいコーダとなって曲をしめくくります。このコーダだけは新たに作曲されています。

 『ばらの騎士』のオペラ全曲のCDを買って聴くのは結構しんどいものです。3時間を越える長い曲(3枚組)ですし・・。イタリアオペラやモーツァルトのオペラは時々レチタティーヴォやシェーナがあるものの概ね流麗な旋律が繋ぎ合わさっていて適当なところにアリアがありますので、何を言っているのかわからなくても聴くのはそれほど苦にはならないことが多いのですが、この『ばらの騎士』では会話調の部分(パルランドという歌うように話す唱法)が極めて多く、ドイツ語がわからなかったり、ストーリーをきちんと理解していなかったりするとさっぱり理解できないし、旋律として耳に残らない音楽が長々と続くところが多くあります。また、いわゆるアリアと言える箇所は1曲しかないのです(第1幕で名前のない「歌手」という役柄のテノールが歌う曲)。台詞を書いたのは当代きっての舞台作家フーゴ・フォン・ホフマンスタールですから、言葉やその内容への拘りは並ではなく、通常はリブレットを元に作曲はカットにカットを重ねるのですが、この曲では台本作家と作曲家が相談しながら作曲と平行して台本を作り上げていったのでした。このオペラの良さを実感として持っている聴き手には素晴らしい曲なのですが、一般的にはとっつきにくいところがあるのは否めません。

 そういったオペラの短所を補ってくれるのがこの組曲でして、名場面の大半をカバーしているために歌劇『ばらの騎士』に親しむには手頃な曲であると言えるでしょう。

 なお、余談ですがこの組曲を演奏する指揮者を見ると、その中にこのオペラ全曲を指揮する人が少ないことに気づきます。リヒャルト・シュトラウスの交響詩を数多く録音し、かつこのオペラを指揮してきたヘルベルト・フォン・カラヤン、カール・ベーム、ジョージ・セル、フリッツ・ライナー、エーリッヒ・クライバー、カルロス・クライバー、ルドルフ・ケンペ、ゲオルク・ショルティ、クリストフ・フォン・ドホナーニ、ベルナルト・ハイティンクといった指揮者達は組曲には見向きもしなかったようです。この組曲がオペラの順番と異なるところがあるからか、歌を入れないで演奏するのは考えられないか、シュトラウス自身の編集ではないからか、理由はわかりませんが興味深いところです。

 なお、この組曲とは別に『ばらの騎士』の中にあるワルツを中心に抜き出したワルツ集第1番と第2番というものもあります。これはシュトラウス自身が演奏会用として用意したものです(1944年)。また、これとは別に第1幕、第2幕、第3幕それぞれからワルツの部分だけを抜き出して演奏されることもあるようです。

 以下に、組曲がオペラのどの部分を採用して構成されているかを表にまとめました。表(PDF)のダウンロードはこちら

  組曲の練習番号 オペラ全曲の練習番号と場面の説明
    *数字は練習番号
 (+) はそこからの小節数、(-) はその前に数えた小節数
第1幕 冒頭(12-1まで) 序奏(練習番号12-3まで)
  【この後、第1幕からの採用はありません】 12-3:幕が開くと舞台はマルシャリンの寝室
マルシャリンとオクタヴィアンの目覚め。黒人の小姓が朝食を出す。
オックス男爵、結婚するので『ばらの騎士』を紹介してもらいに来る。
小間使いマリアンデルに変装したオクタヴィアンを男爵が誘う。
マルシャリンへの来訪者が多数来る。
皆が去って、マルシャリンひとり年老いていく自分を見て悲しむ。
オクタヴィアンが戻ってくるが、マルシャリンは彼を帰してしまう。
第2幕 12 ファーニナル家、「ばらの騎士」が来るというので家中大わらわ。
ファーニナルとその娘ゾフィーは居てもたっても居られない様子。
20:侍女のマリアンネと家令が「ばらの騎士」の馬車到着を報告。
  16+3 24+3:オクタヴィアンがばらの花を持って登場。
  【詠唱が多いところなので採用なし】 オクタヴィアンが「ばらの騎士」としての口上を始める。
オクタヴィアンがゾフィーに銀のばら(造花)を手渡す。
二人のやり取りの中で、ゾフィーがばらの香りに気付く。
  17+3 29+3:オクタヴィアン「ペルシャの薔薇油を垂らしてあります」と応える。
*オーボエのソロ(組曲の練習番号17-1)が美しい。
  18 30:ゾフィー「まるで天の、この世のものでなく、聖なる楽園のばらのよう・・・」 *ソプラノの聴かせどころです。
  19-20 31-32:歌うゾフィーを見つめるオクタヴィアンに恋の予感?芽生え?
*トランペットのソロ(組曲の練習番号19)、聴かせどころです。
  21-23 33:ゾフィーとオクタヴィアンの二重唱
  【二人の会話のシーンのため採用なし】 38-2:銀のばらをマリアンネが受け取り、箱に収める。二人は椅子に座ってぎこちない会話を始める。
オックス男爵登場。男爵から失礼な扱いを受けたゾフィーは怒り悲しむ。
男爵とファニナルは別室へ。男爵の従者が騒ぎを起こす。
二人になったオクタヴィアンとゾフィーが愛を語らう。
26 129:ヴァルツァッキとアンニーナが、抱擁し接吻する二人を見つけて引き離し、大声で男爵を呼ぶ。男爵登場。(133+2まで)
  【ドタバタのシーン、採用なし】 133+2:男爵、二人に説明を求める。オクタヴィアンを小馬鹿にした男爵はゾフィーの腕を掴んで連れて行こうとするが、剣を抜いたオクタヴィアンに上腕を切りつけられる。男爵は自分の血を見るのは苦手だと騒ぎ立てる。ファニナルはオロオロし、男爵にワインを差し出す。男爵は次第に機嫌を取り戻す。医者が来て治療し、男爵は眠くなる。
30+3 236+3:通称『ばらの騎士のワルツ』。アンニーナが手紙を持ってくる。これは逢引きの手紙で、第3幕で酒場に男爵をおびき出す(途中240から241+4カット)。
  35 242:アンニーナが手紙を代読する(ヴァイオリンのソロ)。
  41 248:アンニーナは男爵に心づけ(駄賃)を求める。
男爵はますます上機嫌になる。「僕となら、どんな夜も君には長すぎない・・・。」(251+1まで)
  【採用なし】 251+3:男爵、「後で渡す」とアンニーナを追っ払う。
  44 253-1:男爵、有頂天になって踊りだす。
  45 255:男爵「どんな夜も君には長すぎない、君には長すぎない…」、手紙を眺めつつご満悦のところで幕となるが、組曲は最後4小節カット。
 ☆ 48 2:第2幕冒頭部分に戻る(ゾフィーが舞台に登場するところ)。(3+3まで)
第3幕 【幕開けから終幕近くまで採用なし】 レストランで男爵をとっちめる打ち合わせとその準備をしている。
手紙で誘い出された 男爵がマリアンデル(オクタヴィアンが変装)と密会をする。すると 化物が現れ、男爵を驚かす。
アンニーナが男爵の元妻と称し、子供たちに「パパ、パパ」と呼ばせる。
警部登場、男爵を取り調べる。 ファニナルとゾフィー登場。ファニナルは花婿のありさまを見て卒倒。
マルシャリン登場、男爵に引き上げるよう勧告。請求書を山ほど突きつけられて男爵は退散。
  【採用なし】 284:マルシャリン、オクタヴィアン、ゾフィーの三人だけが残る。
  50 【コンサート等でたびたび取り上げられる名曲です】
285:三重唱、 マルシャリンはオクタヴィアンがゾフィーを愛していることを察する。
ゾフィーは悲しみ、オクタヴィアンはどうしていいのかわからない。
マルシャリンとゾフィーの対話。ゾフィーへ「お父様(卒倒したファーニナル)のことはまかせなさい」と言う。
  59 294:マルシャリンそっと退場。
  60+5 295+5:二人きりになったゾフィーと オクタヴィアンが抱擁。
  61-3 297+3:ゾフィーとオクタヴィアンの二重唱。(298-1まで:残念ながら組曲では途中でカットされています)。
  【採用なし】 300:ファニナルとマルシャリンが登場。ファニナル「こういうものですな、若い人達は!」、マルシャリン「そう、そうですね。」と言ってすぐに退場。
  62 305:4小節の間奏。この後オペラの終幕までの音楽はカット。
 ☆ 62+5 第3幕の男爵が退散するところに戻る。 (256-1まで)
246+5:男爵「レオポルト、行くぞ」と叫んで従者を連れて帰ろうとする。音楽はワルツの再現。
  72 組曲のために作られたコーダ。 
    ☆ オペラの進行と順序が違う箇所
    * 『ばらの騎士』のあらすじはこちら
    * 『ばらの騎士』の登場人物についてはこちら

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