ショスタコーヴィチ

後註 Endnotes

 
           Chmaber

 



後註1:四部作
 ショスタコーヴィチは1934年当時抱いていた構想を次のように述べています。
「私はソヴィエト版『ニーベルングの指輪』を書きたいと思っています。女性を主人公とする四部作のオペラになる予定で、『マクベス夫人』が『ラインの黄金』の代わりとなります。それに続くオペラの中心となる人物像は、“人生の意志” 運動におけるヒロインにするつもりです。三番目に登場するのは今世紀の女性です。そして、最後に現代のソヴィエト的ヒロインを描くつもりです(ローレル・E.・ファーイ著『ショスタコーヴィチ ある生涯』 p.120)。」


後註2:『ムツェンスク郡のマクベス夫人』
 このオペラの初演1934年1月、レニングラードとモスクワでそれぞれ2つのプロダクションで行なわれました。観客は劇場に殺到し、1935年末までに『マクベス夫人』はレニングラードで83回、モスクワで97回上演されました。イギリス、スイス、チェコスロヴァキア、スウェーデン、アルゼンチンなどでも上演され、アーサー・ロジンスキーは1935年1月にクリーブランドで、そして2月5日にはメトロポリタン歌劇場でアメリカ初演を指揮しています。概ね好意的に迎えられましたが、一方で批判する声もあり、性的な場面におけるセンセーショナルな描写音楽を指してこの作品を「ポルノフォニー」と書き立てました(1935年ニューヨーク・サン紙)。また、ショスタコーヴィチの音楽を決して好まなかったイーゴリ・ストラヴィンスキーは、ニューヨークでセミステージ版を観て「悲観的な内容ばかり」で「嘆かわしいほど田舎風」と評しています。


後註3:「荒唐無稽」
 『プラウダ批判』における『ムツェンスク郡のマクベス夫人』に与えた表現「音楽の代わりに荒唐無稽」或いは「音楽ならざる荒唐無稽」の日本語訳には若干の違和感を覚えます。なぜなら、この日本語の「荒唐無稽」には古くからのイメージが含まれているからです。語源としては中国の古典、荘子の著書などに見られる「荒唐之言」と「無稽之言」とされていて、「でたらめ、考えるべき根拠がない、とりとめもないこと、現実味が感じられない、根拠がない、デタラメ、滅茶苦茶、突拍子もない」といった意味があります。しかしそこには、「アホか、話にならん、放っておけ」、「でまかせの言説に耳を貸すな」といったニュアンスが含まれる、つまり議論する価値がない状況を表現する時に使われているように思えます。さらに言うと、荘子が言う「荒唐」の元の意味は「思いの丈を自分なりに自由に表現する様」だったとされ、このことから肯定的な面も一部併せ持っていると考えられるのです。「荒唐無稽」は結果として罵倒してこき下ろすという憎悪・嫌悪感というよりは、敬して遠ざけるといったニュアンスがほんの少しですが込められているのではないでしょうか。

 つまり日本人にとって「荒唐無稽」という表現からイメージされるものと、1930年代のスターリンやソヴィエト共産党がショスタコーヴィチの音楽を非難する時に使ったであろう言葉との乖離があまりに大きすぎるのです。新聞の見出しで踊る文字の邦訳としては四字熟語を選んだのはお見事だとは思いますが、意味的には少し違うと感じるのです。

 元のタイトルである「Сумбур вместо музыки」のニュアンスはわかりませんが、ファーイが英訳に採用した“Muddle Instead of Music”において(最初に誰がこう訳したかは不明)、”Confuse” ではなく “Muddle” を使ったのは、「思考や感情、理解を混乱させる」、「よりニュートラルなトーン」ということではなく、「複雑で理解しにくい状況や問題、混乱や見当識障害の状態」である上に、「欲求不満や不快感を意味する」、さらには、「酔わせる、アルコールなどによって頭が混乱させる」というイメージが“Muddle”にはあるからで、それがロシア語の意味に近いと判断したのではないでしょうか。ということで筆者としては、素直に「音楽の代わりに混乱」或いは意訳して「音楽の代わりの世迷い事」とするのが妥当と考えています。この記事の全文(英訳)はARNOLD SCHALKS INTERNET ARCHIEFで読むことができます。


後註4:シュティードリーが振ったメトロポリタン歌劇場における主なオペラ
 フンパーディンク:歌劇『ヘンゼルとグレーテル』(1946,47年)
 ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』(1948、53,58年)
 ワーグナー:『ニーベルンクの指輪』4部作(1948,51年、56〜57年)
 ワーグナー:楽劇『ラインの黄金』(4部作の時のみで単独では演奏せず。)
 ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』(1946,47〜51年毎年、54、58年)
 ワーグナー:楽劇『ジークフリート』(1946,47,48,49年)
 ワーグナー:楽劇『神々の黄昏』(1948,49,52年)
 ワーグナー:歌劇『タンホイザー』(1947,48年)
 ワーグナー:楽劇『ローエングリン』(1950、52〜53、55,56年)
 ワーグナー:楽劇『マイスタージンガー』(1954,56年)
 ワーグナー:舞台神聖祝典劇『パルジファル』(1947,48,50、52〜58年毎年)
 ヴェルディ:歌劇『シモン・ボッカネグラ』(1949,50年)
 ヴェルディ:歌劇『ドン・カルロ』(1950、51〜52、55、57年)
 ヴェルディ:歌劇『運命の力』(1952〜56毎年、58年)
 ヴェルディ:歌劇『オテロ』(1952、55年)
 モーツァルト:歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』(1952、55年)
 モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』(1955年)
 モーツァルト:歌劇『魔笛』(1950年)
 ウェーバー:歌劇『オイリアンテ』(1955年)
 ムソルグスキー:歌劇『ボリス・ゴドノフ』(1953〜54年)


後註5:シュティードリーが残した商業録音
 モーツァルト:協奏交響曲変ホ長調 K.364(1941年、NY ロトスクラブ)
 バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番(1940年)ヨーゼフ・シゲティ(Vn)
 ハイドン:交響曲第80番(1955年)、第102番(1955年)
 グルック:歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』
   (1947年、ロンドン、ブロードハースト・ガーデンズ)
   キャスリーン・フェリアー(A)
 モーツァルト:歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』
   (1952年、NYコロンビア・スタジオ)


後註6:ショスタコーヴィチの作品のレフ・アトヴミャーンによる編曲一覧(年代順)
 組曲『ゾーヤ』作品64a (1944年) 編曲年不詳
 組曲『ベルリン陥落』作品82a(1949年) 編曲1949年
 組曲『ピロゴーフ』(1947年) 編曲1951年
 組曲『若き親衛隊』作品75(1948年) 編曲1951年
 組曲『忘れがたき1919年』作品 89a(1951年) 編曲1954年
 組曲『馬あぶ』作品 97a(1955年) 編曲1955年
 組曲『ベリンスキー』(1950年) 編曲1960年
 組曲『5日5夜』作品111a (1960年) 編曲1961年
 組曲『マキシム3部作』作品50a(1935-51) 編曲1961年
 組曲『ミチューリン』作品78(1948年) 編曲1964年
 組曲『ハムレット』作品116a(1964年) 編曲1964年
 組曲『生涯のような1年』作品120a(1965年) 編曲1969年
   ( )内はオリジナルの映画音楽が作曲された年


後註7:ヴァーノ・ムラデリ
 ジョージア生まれの作曲家。1946年にスターリン賞を受賞しましたが、1948年の「ジダーノフ批判」で歌劇『大いなる友情』がソ連共産党中央委員会の検閲に引っかかり、糾弾の対象となりました。スターリンの死後に名誉回復され、1968年にはソ連人民芸術家の称号も授与されています。




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