野外彫刻の祭典
展覧会名:野外彫刻の祭典
会場:東京都現代美術館
日時:1996年9月29日
入場料:無料



 金ぴかの額縁に納まって、貴族のお屋敷跡の美術館に鎮座ましましている芸術も悪くはないけれど、街角にちょこんと置かれた大黒様や恵比寿様の彫刻だって、それはそれで街のチャームポイントになっていて、立派に芸術してると思う。渋谷駅前の忠犬ハチ公とか上野の山の西郷さんなんか、待ち合わせの場所だったり観光スポットだったりして、実用にも供されているくらいだから、ただ見るだけの、それも遠くから、ガラスを通して見る絵なんかよりも、ずっとずっと馴染み深いものがあるよね。

 彫刻の中にだって、「パブリックアート」とかいって、広場の真ん中とか噴水の中とかに飾られているのがたくさんある。とりわけ80年代末期のバブルの時。余った税金を「お芸術にでも」ってな感じで、現代彫刻に突っ込んんだところが続出してさ。さて置場所はどうしよう、そうだ駅前のあの一角を整備して建てちまおう、工事は××工務店に発注、リベートたんまり、うひひひひ、なんて感じで、現代彫刻がお金儲けの道具にされちゃった。

 それでも最初の頃は、せっかく買ったんだからと、丁寧に掃除なんかされてたみたいだけど、景気が悪くなって税収が落ち込んできたら、とてもとても彫刻の掃除なんかに回す金なんかないよってな感じで、店晒し雨ざらしにあっちゃった。埃が積もり落ち葉を被って、ひっそりと佇む野外彫刻の侘びしさよ。この国ではどんな大家の作品だって、路上の「パブリックアート」になってしまえば、街の恵比寿様や忠犬ハチ公や西郷さんになんかに比べて、毛ほどの重みもありがたみもないんだね。

 結局のところこの国では、アートは美術館の中にあってこそ落ちつくようで、「野外彫刻の祭典」と銘打たれた展覧会も、東京都現代美術館という大きな器の中で開かれることになっちゃった。パリで開かれた時はこの展覧会、たしかパリのあちこちに彫刻を配置して、景観の中に溶け込ませたり、逆に景観と対決させたりして、結構刺激的な展覧会になったって聞いている。会場で売ってたカタログなんか見ても、エッフェル塔をバックにそびえる彫刻があったり、公園のなかにひっそり佇む彫刻があったりして、1つ1つがランドスケープを含めて見事なアートとなっている。歩く人が立ち寄って、遠巻きにしてにじり寄って触って舐めて(そんな人がいたかもしれないね。芸術の都だもん)、実に自由におおらかに、「パブリックアート」を楽しんでるように思う。

 残念ながら日本では、石造りの巨大な建物を背景にした、狭い場所にぎゅーっと押し込められちゃって、景観のランドスケープもあったもんじゃない。ところどころに警備員なんか立っちゃってさ。せいぜいが写真を撮るくらいで、触るなんてとてもとてもできやしない。芸術作品に触るなんてもってのほかだって? でも彫刻ってやっぱり触ってみたくなる。質感とか重量感とかを実際に触れることで感じてみるのって、邪道かもしれないけどやっぱ彫刻の楽しみ方の1つの重要な要素だと思う。

 四角い壁に囲まれた空間に点々とおかれたマイヨールやロダンてなんか寂しい。白い壁を背景にしたジャコメッティもそう。太陽の光の下で「原始女性は太陽であった」的に輝くだろうニキ・ド・サンファルのど派手ーな彫刻も、館内の薄暗いロビーに置かれちゃったらただの太ったおばさんだ。獅子脅しみたく水を飲んでは吐き出す彫刻作品は誰のだったかな。これは良かった。だけど美術館の下にある池じゃなくって、やっぱり公演の噴水の中とかでガシャガシャ音をたてながら水を飲んで吐き出して、それを子供が見て不思議に思ったりおかしく思ったり、とにかく何か周囲に刺激を与えるようなシチュエーションにして欲しかった。

 それでもまあ、高名な作家の作品をタダで見せる展覧会ってのは、なかなかの英断だったと思う。普段は高額の入場料を払ってまで展覧会なんか見ないよって感じの、お父さんお母さん、お爺ちゃんお婆ちゃん、彼氏に彼女って人たちがたくさん集まって、彫刻の前でパチパチ写真をとってたくらいだもの。そばまで行って見上げたり見おろしたりして、作品の大きさやフォルムや色を間近に感じて、「カッコいいじゃん」とか「ヘンなのー」とかでもいいから、とにかく何か1つでも感想を持ち帰らせたとしたら、それはそれで意味があったんじゃないかな。


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