TOKYO SEX
展覧会名:TOKYO SEX
会場:NAS西日暮里アーティストスペース
日時:1997年6月6日
入場料:無料



 スーパーに行ってコンニャクを買って、ナニするのってアレするに決まってんだけど、どうしてスーパーのコンニャクってあんなに薄くて小さいんだろうって、憤った経験を男なら誰だって持ってるんじゃないかな。経験じゃなくってもそう思っただけでも資格アリ。そう岩本正勝(ミスター)のパフォーマンス「夜明けのロザリオ」に涙する資格が。

 「TOKYO SEX」ってのは若手のアーティスト3人が「HIROPON」村上隆のコーディネートによって参集し、その「生」と「性」にあふれたアート作品を「性」と「生」にあふれた街「TOKYO」の一角で解放した記念すべき展覧会。その名に恥じず、恥じるどころか大きく飛び越えて過激で猥雑で哲学的な作品が集められ、見る者すべての時には慎重で時には大胆な心の奥底にある「セイ」への態度を、えぐり引きずり出していた。

 で、冒頭のコンニャクの話。オープニングパーティーの余興って訳ではないけれど、まだまだ無名な3人のアーティストの世間へのお披露目って意味もあったのかな、それぞれの作品に絡んだパフォーマンスを1人5分くらいの時間で演じて見せてくれて、その中で飛び抜けて過激で大胆だったのが、岩本正勝(ミスター)のコンニャクを使ったパフォーマンスだった。

 まず出てきたのがミカン箱2つ分くらいの木の枠で、それをバールのようなもの(by清水義範)でこじあけると、中からたてが50センチくらい、横と高さが30センチくらいの重さ70キログラムはあろうかという巨大なコンニャクだった。

 なにせ場所が「TOKYO SEX」ってタイトルの展覧会場で、おまけに岩本正勝(ミスター)といえば、師匠の村上隆も吃驚で「どうして売れるのかわからない」とまで言わしめる特異アーティスト。その作品といえば、レシートのウラや広告のチラシのウラなんかに、いかにもロリロリな少女の姿をハダカだったりパンチラだったりのポーズで描いたものばかりだから、パフォーマンスだってコンニャクが出てきた時点で、ある程度やっぱりな内容を予想した。

 どんぴしゃり。パジャマ姿で登場の岩本正勝(ミスター)、おもむろにコンニャクを抱き抱えてうんうんと持ち上げようとして上がらず、ついで上部中程に指先でぎゅい、ぎゅいっとキレコミを入れてそれから手首までズボリを突っ込み、腸にも似た(ってもコンニャクだから灰色なんだけど)切れ端をギュロギュロと取り出して隙間をあけ、そこにズボリと頭を突っ込んだから会場に集まった人はもう目を白黒。突っ込んだまんまで逆立ちを始めた当たりでは、これは全身を使ってナニを象徴しているに違いないと誰もが思い、その意に違わずピクピクと体を動かしたあとで頭を抜き出して、それから2度、3度とコンニャクを抱きしめてパフォーマンスを終えた。

 当たりに漂う栗の花ならぬコンニャクの異臭はさておいて、岩本正勝(ミスター)はその作品においても、またパフォーマンスにおいても、どこまでも「SEX」をバーチャルな妄想の空間で把握してリアルなこの世界へと現出させようとしているような感じがした。イラストとして描くロリロリな美少女の姿は、たしかに1つの「セイ」の象徴ではあるが、それはあくまでも2次元の紙の上での躍動に過ぎない。そしてコンニャクは女体(女陰)の代替に過ぎない。人は紙の上に見た美少女を頭のなかで3次元に組み立て直し、仮想の女陰を頭のなかでリアルな女体へと置き換えて、堪能した上で完結し、自爆するのだ。

 岩本正勝(ミスター)に比べると、他の2人は向いている方向こそ違え対峙しているのはいずれもリアルな世界のリアルな女性。ポラでひたすた女性を撮り続ける森岡友樹は、1976年生まれで20歳そこそこの若さであるにもかかわらず、その語り口は30代も半ばを思わせるかのごとく老成し、その老成した口振りで少女たちに正面から近づいては話を聞き、安心させ、それから彼女たちの「セイ」を写真という形に置き換える。受け手としての「セイ」のベクトル、それが森岡友樹のスタンスだ。

 一方、中村達也はひたすら「セイ」に突き進む送り手としてのベクトル。居丈高なペニスと同様、矢印は女性からではなく女性へと向かい、立ちふさがる者は突き破らんかのごとくたぎるパワーを作品として表現している。それは「オリーブ’97」と名付けられた写真のシリーズでもそうだが、展覧会に出品された「テレクラ」をモティーフにして鏡張りの床の上にピンクの遠景のベッドを置き、中にピンクの熊の巨大なヌイグルミを寝かせ、脇のビデオでひたすらテレクラする中村自身の声を流す作品もやはり、過剰なまでにパワフルな中村自身の「セイ」を送り手として女性たちに向けている。

 並べてみれば双方向に「セイ」のベクトルを送り合う森岡と中村の作品だけでは、オヤジな欲望とコギャルな欲望とが相殺しあって展覧会を薄味なものへと変えかねなかった。だがそこに、バーチャルな世界、つまりは架空にして存在せず見えない無味無臭な世界へと、ひたすら「セイ」のベクトルを送る岩本正勝(ミスター)の作品が存在することで、西日暮里という下町に、見る者を「セイ」のウズに引きずり込んで離さない、魔界とも異界ともいえる空間が出現した。

 一歩踏み入れればそこは欲望の渦状星雲。あなたが感じるのは向かうベクトルか受けるベクトルか、それとも4次元でクラインなメビウスのベクトルか。3人の世紀末アーティストの作品が、世紀末の分かれ道に立つあなたに、きっと取るべき態度、そして進むべき道を教えてくれるだろう。
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