ルオー展
展覧会名:ルオー展
会場:東京都現代美術館
日時:2005年4月30日
入場料:1200円



 人は何歳からジョルジュ・ルオーを好きになるのか。それは寿司の山葵をまるで気にならなく年齢なのか。それとも塩辛をご飯のお供としてたべられるる頃なのか。43歳の現役アイドルが水着になって微笑むのを笑って赦せる年齢なのか。

 考えても今ひとつピンと来ないけど、現時点の心境で言うなら僕はジョルジュ・ルオーが好きでもしかするとゴッホよりもピカソよりもルオーの方を奥深くって面白いと感じているかもしれない。歳を取って辛気くさいものが好みになっただけ? そうかもしれないけれどそれだけとも言い切れない。

 太い線と分厚い塗りで描かれたキリストだったりサーカスの団員だったりする絵は正直野暮ったい。ゴッホの様な熱情もなければピカソのようなひらめきも表だっては見えて来ない。けれども美しい。いや、美しいと思えるようになった。

 どこが? 黒い線と厚塗りの筆致で描かれる絵の構図も色彩もとことんシンプルで、けれども様式めいてはなくかといって原始的でもない描き手の知性めいたものが、そこにはあるような気がする。というか絶対にある。

 ゴッホは確かに凄いしピカソも同様。けれどもそうした凄さは、構成の権威による評判とか、絵の表に現れているタッチとか、形状とか、画家自身のプロフィルといった情報に寄ってプラスされたものも少なからずある。もちろん本質としてのゴッホなりピカソの凄さは揺るぎないけど、後付けの評判は時として本質を見失わせる。

 そんな時にながめるルオーから湧き出てくるのは描くことの率直さと、描かれたもの純粋さ。太い線で囲われたキリストの顔は写生的な美麗さはないけれど、キリストとしての本質は失われておらず、それが単純な線と色彩によってストレートに見る者へと伝えられる。サーカスの団員たちを描いた絵も同様で、鍛錬された肉体によって繰り広げられる非日常的な世界への驚きが、同じように単純かされるつも様式化されてない、生命力をもった絵からわき上がる。

 マティスの軽さとは違うし、ドガのきらめきともロートレックの喧噪さとも違う強さと深さがルオーにはあるんじゃないかと、今なら考えられる。師匠にあたるギュスターヴ・モローの闇から浮かぶ絢爛さともやっぱり違う、ルオーならではの落ち着き。それは日本の絵画に近いものがあってだからこそ、日本画に造詣の深かった出光佐三が気に入り、散逸しそうだったシリーズをすべて買い取り、のみならず他の作品も集めて世界屈指のルオー・コレクションを、日本の「出光美術館」が持つに至らせたのだろう。

 そんなコレクションが間近で、「ゴッホ展」の何十分の一の静けさの中で見られる機会はまさに僥倖。たこわさや辛子明太子が食べられる年齢の貴兄は機会があるなら「ルオー展」に通いたまえ。浮かび上がる神々しさに跪きたくなるはずだから。
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