乱暴な姫たち
展覧会名:乱暴な姫たち 村田兼一写真展
会場:デルタ・ミラージュ
日時:1996年9月20日
入場料:1000円



 「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイじゃないけれど、包帯を巻いた女性って、なんだか痛々しげな雰囲気があってそそられる。荒木経惟の展覧会にも、裸の体を包帯で包まれ、病院のベッドに寝そべって、点滴の針を腕に打ち込まれた女性の写真があって、ああなんて可哀想、でもなんて可愛いんだって思ったからね。

 その荒木経惟さんも連載を持っていた「SMスナイパー」で、幻想的でエロティックな写真を次々と発表してぐんぐんと人気を上げている村田兼一さんの個展「乱暴な姫たち」が、神田はガード脇にるギャラリー「デルタ・ミラージュ」で9月28日まで開かれている。主要な発表媒体が発表媒体だけあって、展示してある写真はとってもエロティック、時にグロテスクな作品ばかり。初めにもらった絵はがきに載っていた、机の上で上半身裸で笑みを浮かべて寝そべる人魚の写真を見て、もしかしたら所幸則さんのような合成による幻想写真を撮る人なのかなって思っていたけど、会場に入って展示された写真を見て、「SMスナイパー」の切り抜きなんかを確認して、「ああ、こういう写真を撮る人なんだ」って納得がいった。

 幻想的な写真なのかなって思って入った女性が、どのように感じるのかはちょっと見当がつかないけれど、少なくとも男だったらドキドキするような裸の写真にお目にかかれることは確実。森の中で下半身を丸だしにして寝そべったり反り返ったりしている女性を撮った連作「眠れる森の姫」にしても、案内の絵はがきにある「人魚姫」にしても、あるいは「蛙の王子」「花喰らう姫」「虫めづる姫」にしても、モティーフとなっているのは裸の女性ばかりだから。

 でも、だからといって単純に男の性的な興奮を呼び起こすってだけの写真じゃないところが、村田さんの「乱暴な姫たち」の凄いところ。なぜなら一見カラーのようなカラフルな写真は、ぜんぶモノクロの写真を手で彩色した、明治期のような「ハンドカラー写真」で、なるほどよく観察すると、肌の色が陰影を含めて造形的であったり、折り重なった枯れ葉の色を雑駁に塗ることでお姫さまの眠る幻想的な森の雰囲気を出したりしていて面白い。

 平べったい背景にぐっとカラーの人物とかオブジェだとかが浮き上がってくるような効果も、ハンドカラー作品ならではの効果だと思う。カラーだとすべての色が毒々しいならそのように、パステル調ならパステル調として描かれてしまうところを、強調したい部分に強調したハンドカラーを施してあるから、その分見る人に迫ってくるような迫力が出ている。

 女性の扱いについても、「乱暴な姫たち」とタイトルにあるように、決して「乱暴な写真家」ではないとろこに注目したい。のけぞりかえり、縛り上げられ、押し込められているように見える被写体の女性、すなわち「姫」たちは、その存在感を持って写真家を隷属させ、己の発露の赴くままに、写真を撮らせているのだということに、だんだんと気が付いてくる。そう、被写体の彼女たちはまさしく「姫たち」なのだ。

 シリーズの中では「花喰らう姫君」が秀逸だと感じた。花に蹂躙されて100年もの快楽に身を委ねた「姫」。忍び寄る花の媚力にとりこまれ、全身を花で覆われて、そっと目を閉じる「姫」の顔のなんと幸福そうなことか。手足に包帯をまとい、ところどころの血の染みをつけたまま布団の上にペタンと腰を下ろし、花に囲まれて苦悶の表情を浮かべる「姫」の顔のなんとエロティックなことか。

 全部が全部並べられていたわけじゃなく、一部はバインダーに閉じられて会場隅の机の上でパラパラめくって見なくてはいけなくなっていたのが、ちょとと残念。さっきの「花喰らう姫君」を含めて、明るい光りの下で額装されたものを見たかった写真が何点かあった。お客が少ないのも気にかかる。1時間いて会場にいたのが自分1人だけって展覧会、東京に来てからお目にかかったことなどなかった。場所は悪いし、入場料もドリンク付きとはいえ1,000円もとるけれど、お近くの方はぜひ足を運んでみて欲しい。なんだヌードじゃんって思うのも良し。アートじゃんて思うのもまた良し。1枚たったの43,000円だから、気に入った写真があったら、いっそ買っちゃうって手もあるよ。

 ただ1点だけお願いがあるとすれば、それはシリーズとなっている作品群を、じっくりと、何度も繰り返して見て欲しいってこと。そこから浮かんでくるのは、虐げられた女性の姿などでは決してなく、すべてを超越して高みに上ろうとしている強い「姫たち」の意志なのだから。
奇想展覧会へ戻る
リウイチのホームページへ戻る