パトリオット騒乱伝

 懐かしいなあ、とまず思ったね。

 主人公は脱サラした便利屋の夫婦で木に登った猫の捕縛からウィーンへのザッハトルテの買い出しと求められれば何だってやる。そんな夫婦の眼前にある日、円盤で降りてきたのが身の丈2メートルもあろうかという宇宙人(鼻には骨ピアス手には長石槍んでもって名前がゴンザエモンだっちゅーの!)、実は母星で罪を侵してその贖罪に地球までボランティアにやって来た、んだとか。

 んでもってソ連の崩壊のどさくさに紛れて日本とサハリンあたりの間の島に突如として出現した独裁国家が企む日本人をターゲットにした陰謀に、巻き込まれてしまった便利屋夫婦と宇宙人がドタバタなジタバタを繰り返した挙げ句にパチパチなエンディングを迎えるというこの趣向。それはもうズッポリと70年代、80年代によく読んだ、横田順彌のハチャハチャやかんべむさしのユーモアに似たテイストにハマっているんじゃなかろうか。おっと最近でもまだ梶尾真治さんが頑張ってるぞ忘れちゃいやん。

 だからそういった作品をリアルタイムで読んだ人、遅れてしまったけど最近になって読み始めている人だったら、海原織江さんていう、名前も経歴も出自も性別も身長も体重だって国籍だって本当は人間なのかさえも含めてALL、いっさいの情報を持たない作家さんが書いた「パトリオット騒乱伝」(鳥影社発行、星雲社発売、1400円)を、たぶん楽しく読めると思う。えっ、何だって? 今さらそんな話なんて珍しくもないよ面白くもないよせんす・おぶ・わんだーじゃないよと言う声が聞こえて来たぞ。

 だったら言おうハイ! 全然センス・オブ・ワンダーではありません。ありませんがしかしその比喩その文体そのキャラ造形に、読めばきっとたいていの人が惚れ込むことになるだろう。例えば主人公のニコライビッチこと万強介24歳が這々の体で木に登ったまま降りられなくなった猫を捕まえ袋に押し込み脚だけで木にしがみついている危機的な状況で、誰もが美人と褒め称える(但し動かず、食らわず、黙っていれば)ナターシャこと妻の奈々子から携帯電話がかかって来た場面。

 『「ぶみゃ〜〜〜っ」、ブギャ〜〜〜っ、ブギャニャ〜〜〜〜〜〜ゴ〜〜〜〜〜っ〜」しめ殺されんばかりに高まる音響効果で、電話もひどく訊きとりづらい。「やだ強ちゃん、その声なぁに? マンドラゴラでも引っこぬいたの?』(59ページ)。説明しようマンドラゴラとは、なんて野暮なことはやんないけれど、これだけ読んでもオトナ心を擽る比喩にちょっぴりヘンなキャラクター造形ってこの作家さんの特徴の、一端が垣間見えるような気がしませんか?

 じゃあお話がダメダメかっていうと全然そんな事はない。おしかけ宇宙人に居着かれた夫婦の会話にさりげなく登場したオホーツクあたりに浮かぶ独裁国家クラースヌイ、その国が日本に仕掛けた陰謀とやがて夫婦が線で重なりドタバタなジタバタへと巻き込まれていく伏線の張り方展開のし方他等々、読んで途中に退屈だー、と思わせる場所がほとんどない。だいたいがして冒頭のやんちゃ猫パトリオットの名前にしてからが、その意味が語るところの「愛国者」として物語全体に流れるテーマとなってエンディング当たりに再びボコリっ、と湧き出てくるから驚いた。なるほどねえ。

 エンディングで遠く100億光年の彼方へと旅立たされたニコライビッチ&ナターシャ(は奈々子のお遊びなコードネームで2人は生粋の日本人、なのでお間違えのなきように)の今再びな活躍を、どこかで読んでみたい気もするけれど何せどこの誰だか知らない作者が超越マイナーな出版社から出した本、だけに目立たずひっそり消えていってしまうんだろう。何せ「ポオの館」(村神淳、1300円)に「メタモルフォシス(変態)」(弥生南、1400円)と迷作怪作目白押しの出版社から出た小説、加えて帯に「ハイテンポな世紀末SFコメディー」なんて書いてあるんだもん。これじゃあどこの本屋も置かんわな(除く旭屋書店)。

 けれどもしかしこの本だけは一緒にしてはいけません。前の2つを読んでなおかつ買ってみようという気になった人間も結構偉いけど、それだけの意味はあったという事で、これで少しは元はとれたかな、いやまだとれてない。併録のとにかく方向音痴な幼なじみの女の子がアメリカ旅行に行ったばかりに起こった悲劇に巻き込まれてド迷惑している男の子を描いた「そこまで祟るか!?」の洒脱さも含めてやっぱり、今一度の登板をここに切に願う。

 だけどいったいやっぱりまったく、海原織江って誰なんだ?


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