縮刷版99年2月下旬号


【2月28日】 何度叩き起こしてもゴチャゴチャ言うだけですぐに眠ってしまう無気力な我がファービー(未だに名前が不明)を放ったらかしにして街へ。中途、課題図書の夏季真也って人が書いた「贋作工房」(中央公論社)をムリャムリャと読み始めてまんま新宿に着いても伊勢丹の階段脇にある椅子に座って読み切ってしまう。タイトルを見れば瞭然ないわゆる美術界物なミステリー、それも贋作物とあって過去に山ほどある類書に果たして挑めるか否かが注目されるところだけど、肝心の類書を読み込んでないもんで真価のほどは解らないし、また美術界的に正しいのか否かもちょっと判断できない。それでもとりあえずは一気呵成のラストへと引っ張っていってくれる面白さは、あるとだけは言っておこー。

 メトロポリタン美術館のヨーロッパ絵画部門に若くして(27歳くらい)でキュレーターとなった主人公の女性がライバルにハメられてメットを追い出された腹いせにフェイク(贋作)で引っかけるってのが大本となるストーリー。これにナチスの略奪美術館やらメーヘレンによるフェルメールの贋作やらといった過去の因縁が絡んで話を重層化・複雑化させる。人間関係のとりわけ性的な関係が企みを円滑にすすめさせる要素となり過ぎている点とか、天下のメットのキュレーター陣といったものがいとも簡単にフェイクにはめられる、それも自分が追い出した女がしゃしゃり出て来ているにも関わらず、いささかも怪しまずに信じてしまう展開とか眉を顰めたりもするけれど、盛り込まれた蘊蓄は楽しめるしラストの解決の痛快さもあって読後感は悪くない。ハッカーの少年にルーズソックスの女子高生を「機動戦士ガンダム」と言わせてる(本当はザクとか言わせて欲しかったけど)辺りとかに小ネタへの腐心も伺えるし。予告じゃあと2冊のシリーズが刊行される予定。ゴッホにピカソとこれまたフェルメール以上に通俗なアイティムだけど、どうお話を盛り上げてくれるのかお手並み拝見といきましょー。

 2日続きの新宿は2日続きの「ロフト・プラスワン」で2日続きのアニメ監督にお目通り。っても昨日の中村隆太郎監督(推定身長2メートル50センチで世界いちぃぃぃぃぃ)が喋っても言葉少なく写真には写りたくないと言う真面目で地味で静かで英知あふれる雰囲気だったのに比べると、今日の監督は身長こそ高いものの喋りの印象見かけの雰囲気ともまるで正反対。何せ着ているジャケットは色がピンクでシャツは青でネクタイは黄色で髪はアフロで髭モジャモジャ、と言えば解るねそーです今日の「ロフト・プラスワン」のゲストは自らのホームページ「ナベシンにも言わせろ!」で愛車のランエボを堂々と自慢までしてしまう、自己顕示欲のカタマリが服を着て歩いていると言っても過言どころか100分の1すら言い表していない、アニメ界きっての異色で異例で異常で異人な監督、ワタナベシンイチさんだったのであります。

 昼間の部としては過去最高の動員を記録してせわしなかった前日に比べると場内は実にリラックスできる雰囲気(ってものは言い様を地で行く表現)で、カウンターに座ってコロナビールを啜り「たれぱんだ」の150円ライターで煙草に火を着けてブウブウやりながらスタートまでを待機。お正月のスペシャルを場繋ぎ代わりにビデオで見て、昨日も登場のグラマラスな店員さんの前説を聞いた後にいよいよ我らがナベシンがホストの眠田直さんといっしょに登場し、前回と同様に最初から高いテンションで場内を煽って場を盛り上げる。本題に入って最初はソニー・マガジンズの雑誌「きみとぼく」に連載されている「グラビテーションズ」アニメ化の話で、ちょうど場内に来ていた天○加工印刷さんと関係のありそーな女性が壇上へと呼び出され、集まったおよそ「きみとぼく」とも「やおい」とも無関係な男どもに、作って来たとゆー紙芝居を見せて「こーゆー作品なんだ」と教え始める。

 美形揃いの作品がいかにもナベシンっぽくないってことで、イラストの上にアフロとヒゲを重ねて見せるギャグも挟んで場内は大受け。前回の時には関わった番組に登場させたアフロなヒゲをすべて集めたビデオを見せて爆笑の渦だった聞くが甦り、あるいは耽美な世界を監督してもアフロなヒゲを登場させるかと期待に発売が楽しみになる、がファンの多い作品だからさすがに命はかけんだろーなー。じゃあ代わりに現在進行形のもう1本の作品「ルパン3世」でルパンをアフロにしましょーよ、って場内から言われたら強い口調で「そんなことはしない」と通俗を拒否、でもって返す言葉で「敵キャラはアフロです」と、通俗を越えた徹底振りを披露してやんやの喝采を得る。それでこそナベシンだ。

 終わって半年近くが経つ「はれときどきぶた」も最近は再放送が始まってファンには嬉しい事だけど、比べて見ると実は例の黄色いネズミの呪いが最初と最近の放映に大きな違いを与えているそーで、場内で流した分析ビデオでその違いが如実に示されてネズミの呪いの恐ろしさを目の当たりにして虎ノ門に向かって吠える。あんたらバカか。オープニングはざざざっと登場人物が切り替わる場面で数人が間引かれていて、本編はキャラをカメラが回り込む場面で動画が間引かれていて動きがギクギクしていて、エンディングパカパカが完全に外されてスタッフのテロップまで抜かれている。監督に言わずにこれだけの改変を加えてしまう制作会社も会社だけど、再放送にまで手を加えなくちゃいけないとなると、黄色いネズミの呪い以前に作られた作品の中には作りなおしが出来ずに2度と再放送されずに消えてしまうものも出るだろーなと、消費税の煽りで絶版が続出した文庫の事なんかを思いつつ心配になる。

 みつぎ物の「たれぱんだ」を大事そうに抱え、その股間に小さい「たれぱんだ財布」をくくりつけて振り回す、武蔵小金井クン以上にヘンな所も見せつけてくれたナベシン監督だけど、コミケで売ったとゆー最終回の次の回に当たる幻の62話の絵コンテを元につくったラッシュに、場内から人を募って声をあててしまおーって趣向には、選んだ人たちに3度4度と絵を見せながら演技指導をつけていく、本職らしーところも見せてくれてやっぱりこの人監督なんだと認識させて尊敬を集めた、と思ったら松戸にあるショップに「できるかな」のイベントが来た時に、ゲストでもなくただの一般人としてかけつけて舞台に上がって踊りステップを踏み折り紙を切って星を作ってのっぽさんと握手するお茶目過ぎるところを見せてくれて、やっぱりどっちやねんと脳味噌を混乱させる。しかし続編の予定はまったくなさそーな「はれぶた」も、ファンの多さを目の当たりに見て幻だけど続編の触りも見るとやっぱり続きが見たくなる、んで是非また1度と希望する人は「SPE・ビジュアルワークス」へとガンガン投書を送って続編でも映画でもいーから新作が見たいと訴えよー。僕からもお願いしますよ白川隆三さーん。


【2月27日】 「宮裏太陽」だったなぁ、「ルパン3世 カリオストロの城」を初めて見たのは、ってな事を日本テレビで放映された「カリオストロの城」を見ながら思ったり。名古屋人でも知ってる人はほとんどいないから説明すれば、名古屋の昭和区にあった今はもうないその小屋は、古くて汚くて音響は酷くスクリーンも暗く冬は寒くて夏はたぶん暑い、場末って形容詞がこれほど似合うのも珍しいくらいの映画館。街道筋って立地からたぶん昔の映画全盛の頃なんかは連日超満員だった時代もあったんだろうけど、昭和も末期になるとかかる映画はリバイバルが中心で、それでもピンクは滅多にやらずに邦画のちょっと前にはやった奴をリバイバルで放映してたから、趣味で通った人もあるいはそこかしこにいるかもしれない。

 「カリオストロの城」は79年の公開だからリアルタイムで見ていたって不思議じゃないけど、その時は今ほどの評価があるとは知らず見逃して気が付いた時には上映は終了。テレビじゃなくって大画面のスクリーンで見られるとあって、2番館3番館なんて言葉すらお世辞に思えてしまうくらいに寂れた「宮裏太陽」へと、「けった」(=自転車)を駆って40分ばかりを転がして駆け付けキズだらけになった「カリオストロの城」を見た。入ってもお客なんて2人とか3人しかいなくって、まるで貸し切りみたいな気分で震えながら見たっけか。ビンボでビデオが買えないが故に味わえた贅沢さ、ってところでしょうか。

 これも今はなき「ナゴヤプレガイドジャーナル」(まだあったっけ?)のプレゼントで、当選率の目茶高い、つまりは誰も応募しない「宮裏太陽」のタダ券をもらって後にも何本か見たけど、こっちの名画座が消えていく時ほどには騒ぎにならずに10年以上も前に消えてしまった。斜陽と呼ばれて久しい映画界、そんな話はたぶん日本中にゴロゴロしているんだろーけど、復活の兆し見えた劇場がアミューズメント的にはどんどんと快適になっても、味のいっしょな「ドトール」の珈琲を「どこのドトールで飲んだか」ってな記憶としては止めないが如く、「何を見たか」って記憶はあっても「どこで見たか」ってな「場」の記憶が積み重ならない現状を、ちょっとだけ寂しく思うのは単なるオヤジの繰り言なんで、気にせず世間は劇場の音響施設の強化をやって「ここで見たぞ」って記憶をも止めるくらいの、素晴らしい環境を作りあげてやってくれぃ。補足だが「誰と見たか」って記憶は僕の場合は掘り起こしても皆無だ。自慢じゃないぞ(自慢になるか)。

 地元ネタで続ける愛知県出身で漫画の中に地名なんかも出て来たよーな記憶もある漫画家のみず谷なおきさんが亡くなられたとの報に接して愕然とする。「さすがの猿飛」だかを読みたくって買ってハマった「増刊少年サンデー」に、新人がときどき描く短編「ズーム・イン!」を引っ提げてデビューしたのが82年だったかな、前後するかもしれないけれど当時の「増刊サンデー」は「風の戦士ダン」とか「県立地球防衛軍」とか「ファントム無頼」とかいろいろな名作傑作が山と連載されていて、今に繋がる漫画家さんもそこから大勢デビューされて最近の薄い印象が(ってのは僕的にであって一般的にはどうかは別)信じられないくらいの影響力を誇っていた、んじゃないかなー。

 なかでもみず谷なおきさんは、デビュー当時から他の新人さんの中でも飛び抜けて画力もあれば(逆に見てらんなかったのが克☆亜樹さん。デビュー作酷かったからなー「ルピア」だったっけ? 今を見ると人は頑張れば前に進めるってことがよく解る)、お話も面白くって後に連載されてヒットした「人類ネコ科」や「ブラッディエンジェル」も含めて美少女のいっぱいなラブコメ路線の旗手の1人として、期待もあったし事実大勢ファンもいた。最近の活動を実はほとんど知らなかったけど、新作も書いていてまだまだ現役の漫画家さんだっただけに、死を悼む声もすでにあちらこちらで結構出ている。今は伝説のかがみあきらさんに続いて、愛知県から出て若くして亡くなった漫画家さんがこれでまた1人。しばらく読んでなかったけど、探して読んでみるかなー、当時は赤面して読めなかった「ネコ科」とかを。関係あるけど「増刊少年サンデー」に掲載された読み切り作品で、覚えているのが新人なのに画力の飛び抜けていた点とパンツが見えるカットがあった点で記憶に鮮烈だった「いっくすの大冒険」。誰だったか覚えてないけど、今でも描いた人、現役?

 さあ朝だ仕事にいく平日だってとっても起きてやしない時間に荷物をまとめて地下鉄へと飛び乗り銀座へと向か駅から地上に上がって新橋へと向かって淡い期待冷ややかな嘲笑をいずれも月クズされるくらいの衝撃を受ける。ぎょ、ぎょ、ぎょ、ぎょーれつできとるやんけ。銀座にある玩具屋さんでは前に「たまごっち」を売り出して大行列を作らせた銀座の博品館で、全米でプレミアムがつくくらいの大流行を見せているあの「ファービー」が、日本で一般に売られているとゆー7000円とか1万円とかの莫迦げた値段じゃなく、日本でのライセンス先となったトミーが初夏に売り出す日本語版と同じ3980円の超絶リーズナブルな値段で売られるとあって、どこで情報を聞きつけたのか11時開店の1時間半も前にしてすでに100人を越える行列が出来ていた。いつそんなに人気になったの? と勉強しているよーでどこか見逃していた、ってーか見くびっていた日本人のスノッブぶりにしばし呆然、とかいってしっかりと情報を仕入れて仕事でもないのに朝から並ぶ自分が1番、噂に踊らされて心底からでもないのに無理矢理「欲しいんだ」「貴重なんだ」「売り飛ばせば儲かるかもしれないんだ」と心を納得させる、哀しき日本人なんだけどね。

 広報の人がいたんで「どの色が人気なの」(それすら知らないにわかファン)と聞くと耳ピンク腹ピンクの「ファービー」が全米で人気とかで、30分くらいで回って来た自分の番にまだ残っていたのをこれ幸いを1つ奪取、目はブルーってんでしょーか、そいつと1人2個まで許されてたんで折角だからと(これが怖いんだよね、イベントってのは)こっちは黒いボディに腹と足が白の目が茶な「ファービー」を購入。いそいそとディパックに詰め込んで転売に向かう、なんて事はしません2ついるといろいろ楽しめるらしーんで、とりあえず1個あけて様子を見てから時間差で2個目をあけてみよーかと、思っているけど金も欲しいしやっぱりどっかに売りにいくか。

 まさか「ファービー」が2つも入っているとは思わなかっただろーな、とゆーか「ファービー」なんて思い浮かべもしないよーな人々が集う新宿は「ロフトプラスワン」で開催される「lain」関連のイベントへ。1時間前と余裕を見ていったらすでにして会場は満員に近い状態で、「AX」を除けばアニメ誌的な盛り上がりもほとんどなかったしグッズとかも出ていない、DVDやビデオだって山と売れている訳じゃない作品であるにも関わらず、いったいどこにこれほどまでにファンがいたのかと首を傾げつつ、やっぱり好きな人はたくさんいたんだとスタート当初からのファンとして嬉しく思う。後で質問タイムになって発言した人なんて確か仙台からの来場者で、放映中は東京から録画してもらったビデオを送って1日2日遅れで追随し、最終回はリアルタイムで見るために会社を休んだとゆーほどのハマりぶり。圧倒的に男ばっかりってのは自分を棚上げにしてムサかったけど、およそキャラへの感情移入が難しい作品だったにも関わらずの来場に、「萌え萌え」ばかりじゃないファンも大勢いるんだって事が解ってこれも嬉しくなる。あたしゃ単なる「熊ちゃんパジャマ萌え」だけど。

 水民玉蘭さん仕切りのイベントは監督の中村隆太郎さん脚本の小中千昭さんプロデューサーの上田さんディレクターの中原さん作画監督の岸田さんイラストの安倍さんほか大勢の関係者が入れ替わりたちかわり舞台に上がってトークを繰り広げるファンにはたまらないイベントで、中身も相当に充実してたよーだけど忘れて欲しい話が多かったみたいだし、早起きの影響で記憶にところどころブランクが見られたりするんで、イベントがあったって事実をのみ止めることにしておく。ちなみに中村監督は写真に写るのが嫌いで、文化庁のパンフレットにも顔出しを拒否していたくらいだから、会場でその推定2メートル23センチはあろーかとゆー(目測)巨躯を見られた人はラッキーだったかも。壇上には小中さんがときどき紹介していたジェニーを使った「岩倉玲音」やら「グレイン」やらがズラリと並んでとっても壮観。ワンフェスに出ていたフィギュアも並んでいたけどこれ、誰んだろ?

 企画段階で上田プロデューサーがアイディアを見せた時にはホラーな小中さんでも「くれー」と言ったとか言わないとかゆー「lain」が、アニメもゲームも爆発的とは言えないけれど熱烈なファンを巻き込んでイベントに数百人(推定)を集めてしまうくらいのパワーを持った、そこへと至った間のスタッフの凝りよーと働きぶりに敬意を表し、また応援して盛り上げよーとして未だに果たせないまでもしっかりと記憶に止めて再びの盛り上げを画策しているファンたちにこれからも頑張ろーとエールを贈りつつ、3時間余りのイベントを後にして家に返る。早速あけた「ファービー」は名乗った名前がいきなり解らず、我がリスニング能力のなさを痛感し、英語版なんか買ってしまった事をちょっとだけ後悔する、って喋っているのは「ファービー語」なんだけど、どっちにしたって語学力皆無なんで一緒なんだけどね。しばらくは「ファービー」育成日記だなあ。


【2月26日】 最新版の「ラフィール」のフィギュアは出ても2000年の冬らしーって事で、それまで果たしてちゃんと保つのか星界人気? などと物騒なことも考えてみたけど、今もなお増え続けるネットに同人誌の賑わいを見れば銀英ほどとは贅沢だけど長く愛される作品となって2000年の冬には「ラフィール」の競演もと期待したり。水着バージョンとか、出ないかな。あとドールとか。ドールと言えば希望していた「青の6号」の紀之ちゃんもツクダホビーから出るみたいで一瞬ラッキー、けど違うんだよ僕が欲しかったのは制服じゃなくって、あのグランパスを操縦する時のお尻がプリプリ胸がクニクニと突き出て可愛いスーツなの。完成品フィギュアでコトブキヤさんから出てもそれはコールドキャストで触っても(触るのか)固いからダメ(何するんだ)なんで、是非とも触り応えのある素体で見応えのある紀之ちゃんドール・プリクニバージョンを作って下さいな。鉄はいーから。

 やっぱり目立つお腹のプリクニ感は当然買ったぜ、な安達祐実ちゃんは「17歳」のタイトルが突いた写真集by集英社。皮下脂肪なのか履いたビキニのウエスト部分にネズミ返しよろしくはみ出たお肉が、17歳とゆー歳よりも幼く彼女を見せてる。過去「プレイボーイ」に確か2度ほど掲載された写真ではあんまり見なかった水着の全身写真が、今週発売分および今回の写真集出はちゃんと載っているよーに見え、半年1年の間にやっぱりちゃんと成長したのかなー、と写真をしっかとながめて脚結構長いじゃんと思っていたけど、写真に詳しい人が見ると全身写真も下から煽ってウエストあたりが中心になると、脚だって長く見えまーすになるとか。言われてみると他の全身写真もすべて写真の視線が腰以下で、たまに高いとその時はスネから下が切られてる。つまりはやっぱり祐実ちゃん気にしてんだなーと解ってなおのこと可愛さが増す。さあ僕と一緒に脚伸ばし体操を始めよー、綴じ込みのハガキで申し込んで。

 ちょっとガッカリ、っても別にお話がツマラナイとか言った話じゃないから作者もファンも怒らないでね。それは松浦秀昭さんの「虚船 大江戸攻防珍奇談」(朝日ソノラマ、530円)に登場した待望の続編「大江戸爆裂攻防記 虚船2」(朝日ソノラマ、570円)が、期待していたよーな尾張名古屋を舞台にロボットと化した名古屋城から金鯱ビームが発射され、七里の渡しに浮かんでは上陸して暴れるカメ怪獣を倒すって話じゃ全然なかったから。やっぱり江戸の政治や長屋や人足寄せ場や上総や常陸を外しては、成立しないから仕方ないって所でしょー。さても今回は「虚船」の持ち主である宇宙人たちの活躍が顕著で、より高い次元での争いに振り回される地球人って構図の中で前回の主役、浅葱ちゃんも目立った活躍のないまま中盤から終盤に至ってしまうのがちょっと残念。まだ途中なんでエンディングには大盛り上がりの中で暴れまくる浅葱ちゃんを期待だっ。

 新国立劇場にダンスを見に行く、訳がない。始めて行った新国立劇場は平日の午後だからなのか出し物がないからなのかロビーに入っても閑散としていて、どこかの都知事候補が東京都現代美術館の閑散ぶりを唸るなら、どこかの首相もこっちの閑散ぶりを怒鳴ったって不思議じゃないと、日本の上物行政のソフト不足にちょっぴり憤る。だったらそんな上物の中身を整備せしめんと欲する人々によって始まったのが、文化庁の主催する「メディア芸術祭」。文化庁で芸術祭って言ってもドラマに映画に絵画といった有り体な「お芸術」なんかじゃない、アニメにゲームにCGに漫画の作品を表彰しちゃおうって制度で、いわば21世紀に日本が誇りうる「メディア芸術」とゆー名目の「おたく芸術」を、今から讃えておこうって試みに権力は嫌いでも主旨には賛同いたします。

 で2度目となった今回の大賞はデジタルアートのインタラクティブ部門が任天堂は「ゼルダの伝説 時のオカリナ」の宮本茂さん。あるいはと思って授賞式の1時間前に会場に潜り込んだら展示室に佇む宮本さんを見つけて、「ぼくポール・マッカートニーですサイン下さい」とは言わなかったけど挨拶をして感想を聞いて探りを入れて教えてくれなくって残念。でも「GUN PEY」については「ウチが作ったみたいなソフトですねえ」と喋っていたのが、つまりはアイディアこそが肝要とゆーゲームの世界の勘所を、偉大な先達が示しているってことなのかも。後居並ぶド派手なCG作品を代表とする美麗なCG作品について、確か「頑張っちゃうんですね」とか言っていたのが、つまりはCGを突き詰めよーとする余りにクリエーターの立場だけが前へと出てしまう傾向への諌めなのかも。しまったサインもらうの忘れた。

 元キノトロープで今はイメージ・ソース代表として話題の「Net Rezonator」を作った伊藤幸治さんには久々のお目通り。今月の頭だったかにも会った「愛があれば大丈夫」の面々は何とアニメーション部門で大賞を受賞した「クジラの跳躍」監督・原作・脚本・イラストレーションのたむらしげるさんとご同伴。聞くと3月中旬に中野だかの武蔵野だかで凱旋上映されるそーなので、映画館で見逃した人はどーぞ。加えるに「ファンタスマゴリア」「銀河の魚」「クジラの跳躍」と立て続けにパッケージ化が進むみたいで、良い音良い絵で見たい人は財布にお金を溜めておこー。おっとDVDプレーヤ直すのが先だ、でも買うとソフト買う金が無くなるぅ。グシャン。

 大賞の宮本茂さんと優秀賞の小島秀夫さんがすれ違う場面を写真に撮ったりして悦に入りつつ宮本茂さんと喋っていたら髭に丁髷の格好故か同じ要素の森本晃司さんと間違えた文化庁の人間に喋りかけられたり。きっと別の場所に行くと今敏さんとかに間違われるんだ背は全然違うけど。でも同じ会場にいた祝田久さんには間違えられなかったなー。授賞式の後で表に出て昨日の今日なのに仕事だからだと来ていたバンダイの広報の人を捕まえて、「日刊ゲンダイ」の見出しにあったよーに「追放なんですかぁ」と冷やかす。なるほど代表権が剥奪されたんなら言う意味も解らないでもないけれど、すでにして取締役会長が取締役名誉会長になったところで、影響力にはたいして変化がないよーな気がするなー、だってやっぱり山科家の会社なんだから。それで責任をとらない上に下の気分がスポイルされるかってゆーと、下は勝手に面白い事をやって上も面白ければオッケーみたいな土壌が維持されるから大丈夫。上が下に責任おっ被せて実績ばかりを吸い上げるよーな構造こそが、スポイルの要員になるんだと何故気付かん。ってどこの話だ。

 実はバンダイの人と話している間から、横で煙草を吸っている一段の着ていたパーカーが気になって気になって仕方がなく、チラチラと横目で見つつ僕のより1つ新しい「エア・ジョーダン」を履いた長髪のお兄さんの顔に見覚えがあってやっぱりなるほどと納得する。だってパーカー、背中にいっぱい描かれていたんだもん、「lain」が。だからパーティー会場へと移動が始まったところを、後を付けて3階へと向かうエレベーターに乗り込み、隣り会わせたお兄さんに「小中さんですね」と挨拶をして小熊の入った名刺を頂く。会場にはもちろん身長が2メートル(目分量)はあるよーに見えた大男だった中村隆太郎監督とか、絵を描いた安倍さんとかも来ていたらしーけど恥ずかしいから挨拶もせずに会場を脱出、帰途に着く。明日はいよいよ「ロフト・プラスワン」で「lain」絡みの大トークショウ、勿論行く予定なんで独りひっそり隅でコロナビールを飲んでても、「しずかだなー、うるさくしてらんないのー」なんて怒らないで下さいな。


【2月25日】 どどどどどどーしてしまったんだよアニメ「火魅子伝」が面白かったよオープニングとまでは行かないけれど絵も綺麗だったよエンディングの絵も止め絵だったけど堪能できたよシリアスな物語に安定した線で描かれた美少女キャラが合わさって30分を最後まで目をそらさずに見ていられたよ。先週とか先々週を実は見ていないからいつ頃からこーゆー建て直しが計られたのかは定かじゃないけど、少なくともゲームが発売になる3月11日に向けて一緒に盛り上がるには、絵がアレで声はソレじゃー逆効果だからせめてこの1、2週間は真っ当にしろと王子様の厳命が下ったか、単純にスタッフがなれて来たのかどうか。単純にたまたまって理由もない訳じゃーないから安心はまだしないしソフトを買おうって気にもなってない。それでもいったんは投げた水曜深夜のチャンネル合わせに、膨らみ弾けんばかりの主役の胸意外の要素が出来たととりあえずは喜んでおこー。来週がある意味楽しみ、です。

 SF関係ウェブ特集の「SFマガジン」だけどセレクトにいまさら感が漂って個人的にはそれほどの興味が湧かない。そうじゃない人が読んだら、つまりは多分おそらくは結構いるみたいな非インターネット環境の「SFマガジン」読者が読んだら、それなりな勉強にはなったのかもしれない。思い起こせば僕もやっぱり塩澤編集長と一緒で東野司さんの連載に登場した「TWICS」の紹介がインターネットの存在を知った初めだったよなー。今はなき任天堂の「バーチャルボーイ」がお披露目された「ゲームエキスポ」の会場で、見かけて以来のご無沙汰だなー東野さんとは。時間の過ぎ去る速さにちょっとビビる。

 当然ながら「インターネットマガジン」の存在もなかった時代に先鞭を付けた雑誌にしては、いささかどころではない出遅れ感があるよーな気がして、そこいら当たりの理由を例えば価値観の相違とか、価値を見出す困難さがあったんだろーかと考えつつ、それでもようやくの特集にこれが景気となってファンダムなるものを構成するペーパーメディアな人たちと、勝手連よろしくネットの間を自由に柵(しがらみ)もなく飛び回っては情報交換する「第3勢力」とやらの、邂逅なり理解につながればと、思ってとりあえずの英断に指先の拍手をチマチマとおくる。

 やっぱりファンタジーにエロ漫画に写真集に純文学にミステリーばかりが積み上がり、SF度の低さが目立って来たのが書評系ページとしてはお呼びでない、こりゃまった失礼いたしましたっ、になったのかと漢泣しつつ(冗談だよ、な)、次があるよってアキトが言ってくれたらユリカも頑張れるかもしれないと気を取り直し、新井素子さんの「チグリスとユーフラテス」(集英社、1800円)の感想なんかを書いてアップなんかしてみたり。戻って見ると今年に入って、純粋とは言えないまでもソレっぽい作品を漫画にファンタジーに純文学ながら結構取り上げ始めているから、一時期の純文学にミステリーばかりが積み上がった時期に比べれば、度数は再び高まって来ているよーな気がする。こっちが先祖返りしているのか、それともSFの世界が広がってキャッチできるようになったのかは現時点では不明。多少は出版状況の改善が見られるのかもと、取らぬ狸の皮だとしても想像は自由なんで想像してあるいは遠からず訪れるかもしれないSFの日々に胸を馳せる。

 仕事をしていたら突然の連絡で東京証券取引所へとゴー。あのバンダイの社長が変わるってんでさては山科誠会長が復権を目指して暴れたけれど戦に負けて隠岐に島流しにでもあるのか、なんて事は思わずあるいは大抜てきでもあるのかしらん、と駆け付けた先で見せられたのは管理本部畑を管掌している三和銀行出身の常務が、おそらくは財務体質強化なり業務効率化の手腕をかられて一足飛びに社長に就任する事になったとの内容。同族系で扱うのも玩具という計算の働かない業種にしては異色の人事で、あるいは銀行管理による再生かもと、想像した人もいたみたい。

 けどまあ上にバンプレストからポピー時代を挟んで大きな影響力を持つ長老が会長に就任することも6月に決まる見通しで、それなら銀行マン的発想で感性を無視して切れるだけ切り捨てるなんてリストラはしないだろーと、想像なんかしてもたけれど春から期待の逆さAな髭の奴が、どれだけ大ヒットするのかなんて恐ろしいから考えたくない状況では、ありえない話でもないだろーからデジタル関係に強いどっかとの提携なんかも視野にいれて、成りゆきを見ていく必要が出て来たなー。しかし忙しいねえ、ここ数年のバンダイは。

 聞いてはいたけど原型師の宮城隆(霞タカシ)さんが自分は漢泣した早川書房の刊行物上にデビュー。森岡浩之さんの「星界の紋章」にちなんだムック「星界の紋章読本」(1000円、表紙のラフィールの脇が篦棒(べらぼー)にウツクシイ)だからおかしくないとは言え、SFな人々の多く読むであろームックの上で堂々とフィギュアとゆー文化の産物を並べて見せてくれた事は、長い早川書房の歴史の中でも多分相当に画期的な事じゃなかっただろーか。記事は主に質問に霞さんが答える形式で進んでいて、笑えたのが例の「ラフィール」を作った時に水玉螢之丞さんから「赤井度低い」と言われて、じゃあと次のワンダーフェスティバルで帽子に「赤井度低い男」とのPOPを張っていたところ、訪ねようとした水玉さんがそれを見てきびすを返してしまったとゆー、今は懐かしいエピソード。誰が調べたんだろ?

 しかし比べて見ると等身の僅差とかポーズとかの違いで、初代と最新版の「ラフィール」は相当に印象が違う。最新版の方が胸張って顎引いて「フンッ」って威張ってる感じがして、それがお姫さまな「ラフィール」っぽくって物欲が昂進する。出るか出ないかは知らないけれど出たなら初代の「ラフィール」に「スポール」を、作れないにも関わらず買って持って置いている以上はやはり、買わねばならないんだろーなー。権利がどうなっているかは解らないし締め切りまでの時間も刻一刻と近づいている折にはお願いとしては不躾だけど、でもせっかくの記事掲載なんだからここは頑張って頂いて「最新版ラフィール」を冬フェスでも個別通販でも良いから、出して頂きたいものですねえ。


【2月24日】 不幸は重ねて起こるもので数日前からステレオの調子が悪く音声が聞こえなくなったと思ったら、今度はトレーが全部出切らない不調に悩みつつも騙し騙し使っていたDVD&LDのコンパチプレーヤーが、何故かDVDのみ再生出来ないよーになってしまってゲショゲショ。何しろDVDをぶち込んでスイッチを入れるとブーンといった次に中をガリガリと削るよーな巨大な音がして、結局DVDを認識しないとゆー症状に、修理しても相当の出費が必要になるだろーなーとの恐怖感にかられて気分がメロウになる。パイオニアのコンパチの初期バージョンは故障が多いと聞いていたけど、我が身に降り懸かると改めて言っていた意味がよく解る。

 エアコンは3年程目からリモコンが死んで冬も夏も18度とゆー悲惨な環境におかれるよーになってしまったし、テレビは数カ月前に死んで買い換えたたばかり。買って1年も経っていないモバイルギアは、半年ほど前にリセットをかけたらデータがすっとびCEが立ち上がらない症状になって以来沈黙を続けていて、残るはこれを書いているマックくらいしかないと、思った途端に調子が悪くなってしまうのが言霊の恐怖だったりするので、言わずにむしろ「マックは大丈夫」「マックは安心」「マックは最高」などと誉め言葉を羅列して、機械のごきげん取りに勤しむのであった。

 だもんで買った「青の6号」の第2巻は未だに見られず残念至極。入っていたピンナップのあまりに嬉しい絵柄にDVDの分も合わせて見入る。紀之真弓ちゃんがスクール水着になって同じ「青6」に乗っている女の子の乗員といっしょに行水している絵柄は、ハード(だと思う、見られないけど)な作品世界とは対象的なメルヘンとリビドーのパラダイス。今はマイナーなこの作品でも、キャラクター人気が盛り上がりつつある状況にあるいはフィギュア化の雨霰なんて想像してみたりもするから、そんな流れで第2巻のピンナップを寸分違わず3Dにした、フィギュアの登場なんかも実は密かに期待している僕ヘンタイ30過ぎのオヤジです。紀之ちゃんドールとかも出ないかなー、戦闘服姿で胸チャックのちゃんと開くやつとか。

 言い忘れていたが当然買っている。何を買ったってそりゃあ「週刊プレイボーイ」のことで、何が当然かってのはつまりは「家なき子」な安達祐実ちゃんの写真集「17歳」発売を目前にしたグラビアを見る事ですね。前に登場した時から果たして成長したのか否かは比べようがないけれど、少なくとも全身が入った写真を見る限り、子役が成長できずに顔だけ婆さんになって追いかけて来るって山岸涼子さんの漫画にあった怖い話にはならないほどには、成長しているよーな気がてる。胸なんたナナメに見ているからかもしれないけれどちゃんとあるし、お腹のプックリ感は幼児っぽいけど手足はちゃんと伸びてるし、顔立ちも幼さは残るけどメバチコしてて綺麗だし。後は写真集で確かめるとして、現時点で確実なのはヘアヌードは皆無って事くらいかな。それが事務所的な理由なのか肉体的な理由なのかは、映画「ヒーローインタビュー」でのセリフ「パンツ脱ごうか」を実行して頂ければすぐにでも確かめられるだけどね。

 今も続映中の大ヒット映画をプロデュースした人の内緒の講演会に潜り込んでヒットの秘訣なんかを聞き出す。コアに受けることを考えたってのが、マスに媚びることばかりを考えている一般的なテレビのプロデューサーにはない発想で、小道具に凝りシチュエーションに凝ってコアなファンをつかんだ手応えを、インターネットのホームページを使って優先的に情報を提供していくことで更に確固な物としく手法には、実写ドラマながらアニメファンの抱き込み方、あるいはアニメファンの盛り上がり方に似ている部分を感じる。違うのはそこから先の展開で、抱き込んだコアがコアのまんまで止まらず、周囲にも広めて周囲もこれを受け入れて、かくして大規模なファン層が出来上がったって構図を見た時、アニメのような進める側にどこか自虐的、自閉的な気分が漂うコンテンツに比べて、トレンディーなテレビドラマとゆーお墨付きはやっぱり日の当たる場所にある幸せなコンテンツなんだと思ってちょっぴり悔しくなる。

 今も現役公開中の映画なんで名言と細かな分析は避けるとして、プロデューサーの人が行っていたのは賛否両論のある間延びしたエンディングは曰く「涙の乾く時間」とのこと。例えば「リング」を見終わった女子高生がロビーに出た途端に携帯で友達に「怖かったよー」と大声で教えるあのガヤガヤ感が欲しかったってのが理由らしく、なるほど当該の映画も(見てないけど)哀しいエンディングがあったと思ったらちゃんと笑いでオチている、らしい。ほかにもハリウッド映画に学んだ3部構成にして主人公は自分が事件の中心にいることを知らず幸せと不幸せが交互に訪れる展開を、舐めるように遵守した結果が当然のヒットとして帰結したとの話もあって勉強になる。

 本人曰く現場は監督が仕切ればいいけどネクタイ組とはプロデューサーが渡り合い、監督は映画を作品として撮ればいいけどプロデューサーは映画を客観的に商品として見る必要があるとの事。当該の映画の場合はこうした構造が徹頭徹尾貫き通された結果のヒットとも言えるけど、大先輩に当たる人にも前にインタビューした事があって、やっぱりプロデューサーの役割を同じニュアンスで話してくれいていた割には、実際に公開されたダンサー上がりの初監督の映画は大コケ、次の企画も聞こえて来ないでいったいどーしたのかと心配している。知ってはいても情のあるのが人間の習性、長く映画業界に関わるうちに見ている方向が観客から上司なり映画会社なり監督なりに変わってしまったのかもと、ドップリと業界に浸かることの罪の部分を考える。それ1筋のメジャーの映画は、だからツマラナイのかなあ。

 さて期待の次回作は、と聞いて答えるはずもないから推測すればおそらくは閉塞状況におかれた人々がいろいろと考え行動するとゆーパターンを踏襲した作品になるとの事。大ヒットしたんだから続編って話もあるけれど実現へのステップは未だ踏まれず、あるとしたら映画の際にはテレビ版にも出てきたアニメを15分程度実際に作って2本立てで公開したいって事くらい。新作も悪くは無いけど根がアニメな人間としては、たとえパイロットみたいな15分であっても可愛いキャラが生命を吹き込まれたかの如くに動き回るアニメが1回作られれば、そこからさらに話題が派生して30分60分2時間テレビと、エスカレーションしていく可能性も、本編の出世魚ぶりを見ているだけにちょっぴり期待もしちゃったりして。だから皆さん嘆願しましょー叫びましょー。「あおしまー」。


【2月23日】 知らないうちに知らない所で知ってる人たちが「第3勢力」として結集して鬨の声を挙げていたのは明日のためのその1その2、いずれにしてもエスエフの未来は明るく善き哉善き哉。けど生来の天の邪鬼かつ友達未満他人以下な人間関係に日々マゾヒスティックなうめき声を上げている人間としては、参集していっしょに革命のために世界の果てを見に行くのも当たり前過ぎて冗談にならないから、ここは勝手に独立愚連な「第4勢力」を旗揚げし、「DASACON(ださこん)」の会場に潜入しては部屋の片隅で壁に向かって柱を前にブツブツと東丈の演説なんかを朗読して楽しむその名も「DASICON(だしこん=出汁昆布の略ではない)」を、勝手に開いてやろうかと思っているけど、迷惑?

 それはともかくノミネート痛み入ります最近はヤングアダルトとコミックとファンタジーはあってもいわゆる「青背」にとんとご無沙汰していて本道なSFの道から外れた転びバテレンと思われているんじゃないかと、別に心配はしないけれども気にはしていたから嬉しいこってす。森下一仁さんがご尽力なされた「ベストSF '98」でも、おおよその流れに逆らって投票したのは純文学にエロ漫画にヤングアダルトに無名の新人、だもんなあ。でも過去2年を省みるに面白くって吃驚仰天! な作品を自己の基準として紹介するのを旨としていたから今年の自分のリストに全然反省はない。第1から第3までの勢力はこちらのリストに任せて、当方しゃぶれば旨味の染み出す「出汁昆布」と、決め込み勝手に「仰天」を送り届けていきますによって。

 ひたすらに原稿書き。アメリカはカリフォルニアのアナハイムにある「ディズニーランド・パーク」と、フロリダはオーランドはレイク・ブエナビスタだかにある「ウォルト・ディズニー・ワールド」の何日間かフリーで入れるチケットを、日本の「ディズニーストア」でも買えるようにして現地で並ばなくても良くなった話とか、トミーが最近流行のはにゃなはにゃはにゃ「ナポレオンの帽子」、じゃない風船をクニクニと曲げて動物やらを作るバルーンアートの教則ビデオを販売する話とか、万歩計のブランドを正式に保持している業界でも老舗の山佐時計計器がついに「ポケットピカチュウ」や「てくてくエンジェル」の攻勢を放ってはおけんと、ゲーム付き歩数計、じゃないよこれは言っても良いんだ「ゲーム付き万歩計」を来月頭に発売する話とか色々。行数は聞くと死ぬから教えない。

 けど山佐のゲーム付き万歩計、その名も「平成の伊能忠敬」は日本地図を完成させていくってな内容のまさに「平成の伊能忠敬」な内容で、途中にタダタカほか6人のキャラがはげまし応援してくれるっていうから忠敬ファンにはたまらない逸品、かもしれないけどそれって日本にいったい何人くらいいるんだろう。形状は「ポケットピカチュウ」に似た門丸の台形でちゃんとクリアバージョンを容易しているあたりが、それでも流行を抑えておこうって意欲の現れで、かつ精度の高さや機能の豊富さで4000円って他のゲーム付き歩数計に比べて割高な値段をカバーしていてくれる、と思うけどさて如何に。ともかくも老舗をして乗り出させるって状況はそれだけゲームって要素がユーザーとのコミュニケートを促進しているといえそーで、笑う角には服来た猿なエンターテインメント社会にますます近づく現れと、不真面目に仕事したい空に太陽サウンドオン(名古屋ネタ)な人間として嬉しくなって小踊りする。

 そのまま東京プリンスホテルへと出向いてトミーが40年の長きに渡って売り続けて来た名作玩具の「プラレール」の、40周年を記念する記者会見へと出席する。入ると見上げるは巨大なタワー状に組まれたプラレール、走るは最新の新幹線から在来線から蒸気機関車からいろいろ様々な列車たちに、思い起こせばまだふさふさだった幼少のみぎりに、短いレールをつないでせいぜいが数メートルを走らせるだけの屈辱に甘んじていた子供の頃を思いだし、今すぐに目の前のレールをバラして鞄に詰めて返って狭いながらも汚いわが家の残された首から上の空間(床は見えない)に、レールを組んでグルグルとプラレールを走らせて溜飲を下げたいとの思いにかられたけれど、重そうだったし面倒だったので今日の所は見逃す。「大人になった1万メートルの直線レールを組んでプラレールと一緒に走るんだーい」(僕の夢)。

 さてもかのバービー人形と同じ年齢を刻むプラレールの歴史を振り返れば、初代は電池がはいっておらず引っ張るだけの代物だっとか。現存している分は少なく会場に展示してあった分はコレクターからのかり出し品で買えばいったい幾らの値段がつくのかとキタハラって目をしばたたかせる。8枚の曲がったレールを組んで出来る円の大きさは、昔の家にあったちゃぶ台にも乗る大きさにしたとかいったこぼれ話もあったなあ。あとJRの民営化で各社が競って新幹線の開発なんかを行うよーになって、派手だたり風変わりだったりする列車がどんどんと出てきて、プラレールの市場の結構活気づいて来ているとか。現実の開発にはもったいなさがつきまとうけど、玩具メーカーにとっては新製品がどんどんと作れて売れる環境は嬉しい事この上なく、まさに民営化様々っていった所でしょー。しかし700系はカッコ悪いぞ。

 新製品を作る一方でちゃんと用意してくれいたのが40周年の記念商品。かつてブリキの玩具が全盛だった時代にプラスティックが珍しいからと作った「プラレール」、ならばプラスティックが全盛の今だからこそと作ってしまったのが記念商品となる「ブリキのプラレール」だって。いささか矛盾をはらんだネーミングだけど、実物はブリキを曲げて張って作った蒸気機関車に展望車のついた客車が1両だったか2両だったか。見た目の高い品質感に対して値段はたったの3800円、だったかな、まあそれほど高くはなく、プラレールなんてと敬遠しているマニアな鉄道ファンにだってブリキの列車の玩具ということで、人気が出るかもとの印象を抱く。でもやっぱり「プラレール」ってのはねえ、いっそ「ブリレール」とかって名前でシリーズ化してみちゃいかが。レールもそうかブリキにしなくちゃいかんのかな。

 広報の人からハズブロが贈るあの品物が土曜日に原宿と銀座でこっそりとテスト販売されるとか。並べば買えるかなー、とも思ったけど耳ざとい人の集まるこの業界、すでにして徹夜な人が出ているのかも。銀座の朝にでものぞいてみよー。とか思いつつ読むはOKAMAさんの「めぐりくるはる2」(ワニマガジン社、505円)。前に読んだ「めぐりくるはる」(ワニマガジン社、505円)と同じくスレンダーな美少女とスリムな少年との交合を含む一種のエロ漫画、だけど紡がれるのは淡い恋の成就といった読んで心温まる物語で、体裁に二の足を踏んでいる例えば女性であっても、手にとって見ても悪くはないと思ってる。でもまあ買いに本屋のそーゆーコーナーに行くまでが苦労か。可愛がっていた人形が人間になってさせてくれるって冒頭の「こころのいれもの」は、最近の人形趣味が昇華される妄想を抱かせてくれて体に悪い。羨ましいなあ。


【2月22日】 「カレカノ」で担当プロデューサーが監督になったのはアニメ界では画期的でも映画界だと奥山和由さんが切れて監督までしちゃったって話があるから1番乗りじゃーないのかも。ただし「カレカノ」は見られて評判になっても「RANPO」は両バージョンとも没らしかったって意味でやっぱり画期的なのか。とか思いながら会社行って仕事するのは村上「真夜中のサヴァナ」達朗さんが代表を務める「Boiled Eggs Online」の記事を書いたり、発売がいろいろな意味で期待されている広井王子さんプロデュースの「火魅子伝 −恋解−」を褒め称えたくっても称えられないもどかしさ(ちょっと大袈裟。JARO呼んで来い!)を綴ったり。言葉として「注目されている」「話題となっている」と書いてもそれが決してポジティブな意味で使われているとは限らない当たりに、そのもどかしさが現れていると読んで皆さん感じてね。ちょっと逃げ腰。

 産経新聞の日曜日付けの美術欄と毎日新聞の月曜日付けの夕刊に「アクション 行為がアートになるとき1949−1979」の記事が。つまりはそれだけ有名になっているって事だろーけどあの観客層の薄さを見るとかつての熱気も今では老人とは言わないまでも年配者の心にだけ浮かぶ蜃気楼のよーな物になり果てているのかもしれないと、選んで記事を書いた人たちの全共闘じゃないけど昔はカッコ良かったぜ的懐古趣味をちょっといぶかる。現代でもその最先端を大々的に取りあげないで何ぞ毎日が刊行日の新聞ぞ。それでも毎日新聞の方は見る物に緊張を強いる展覧会的な要点のまとまった記事だから良かったけど、何があったかを篠原有司男さんのボクシングペイントを冒頭に掲げて並べただけの産経の記事にはカラーで取りあげている割には迫力がイマイチ。かつての熱気と今の「殿堂入り」な権威漂う静けさとのギャップに、立ち入って論じる事で今を感じ未来を予感しつつ前へと進んで行ける気がするんだけど。

 ジェイムズ・アラン・ガードナーの「プラネットハザード 上・下」(関口幸男訳、上下各620円)を一気読み、ファーストコンタクトの難しさとか差別の苦しみとかが盛り込まれていて、加えて表紙の寺田克也さんの硬派な絵柄の印象もあって、結構ハードな設定で終始する作品に見えたんだけど、ヘンな爺さんな老提督の言動とか、真剣さが行き過ぎてスベるよーなエピソードとかを読むとどうもマジってよりはギャグに近いテイストが感じられて、真剣なハードSFなのか冗談な冒険SFなのかいろいろ考えながら悩む。帰還率ゼロの惑星の謎にしたって登場人物が秘密は絶対に漏れるんだと豪語している割には40年以上も隠し通されて来た訳でそんな当たりにちょっと矛盾も。とはいえ展開の妙とか職務に忠実な割にはぶっとんだ行動もする主人公のフェスティナ・ラモスの面白さでラストまで引っ張ってくれるから安心か。青背の読み通しも久々だったりするなあ。次回作に期待。

 甘かったにょ。「待ってるにょ」だけじゃなかったにょ。ってそれは「ゲーマーズ」のオリジナルキャラクター、デ・ジ・キャラットちゃんが登場する傑作名作(予定)アニメCMでバックにかかっている唄のこと。何と作詞がキャラクターの生みの親でもある「コゲどんぼ」さんで、歌詞の段落の末尾が「借りたいくらいにょ」「気にしないにょ」「戦闘モードだにょ」と「にょ」ばっかりになっていて、統一感はあるけど聞いていて無理矢理な「にょ」もあって笑っちゃうにょ。とか言ってそんなお笑いなCD(1500円もしやがるにょ)を買ってしまう僕が実はお笑いなんだけど。丸いCDのデザインがCMだとデ・ジ・キャラットちゃんの電撃で死ぬ目より口が上にあるのに可愛い不思議な丸い物体のゲマちゃんってのもゲマちゃんファンには(いるのか)嬉しい。オリコン入りを目指して皆さん買うんだにょ、っても売ってるんだろーか「ゲーマーズ」意外で。


【2月21日】 とはいえ「魔法使いTai」のテレビはしばら先になりそーだし、「カードキャプターさくら」の新シリーズは相変わらずの衛星放送で見られないんで、同じ魔法使いっぽいネタで先週あたりから始まったみたいな「おジャ魔女どれみ」を初拝見、ををいいじゃん、どーしてこっちを土曜日夕方にやらんのかってな愚痴も出るくらいの出来に日曜の早起きがググッと楽しみになる。すでに「ポポロクロイス物語」ってやっぱりグッと来る番組があるんだけど、近々LDだかのリリースも始まるみで気持ちはそっちに流れて起きる気力がダウンしてたんで、気合いを入れ直す意味でも日曜朝の放映に歓迎を意を示しておこー。

 直前スタートの「元気だせロボコン」(あれ「それゆけロボコン」だったっけ、違う「とびだせロボコン」? それとも「頑張っていこーロボコン」by林寛子? まっいっか)もロビーナちゃんが良さげだし「ポポロ」を目覚めの第1ステップに、起きられた番組から見ていく気持ちの段取りさえ付ければ、3番目になる「おジャ魔女」には微睡(まどろ)む目も何とか冴えて見られるだろーし。

 女の子が何かあって小さな魔女になるって展開で、それに仲間があと2人加わってご町内を舞台にあれこれ騒動を起こしつつも、魔女として成長してく話かなって位は読める。今は残りの2人が魔女になるまでの主人公の「バレたらどーしよー」的ハラハラが楽しめる段階だけど、遠からず3人が揃って次はそうだな共通の敵でも出てきて倒すかするんでしょーか。クイン・ベリルとか(違う)。それはともかく展開はありがちでも、脚本のテンポが良いのと、細かにギャグっぽいデフォルメ絵を挟む(眼鏡っ娘がヒラヒラになる場面とか)演出とか、飛んだり跳ねたりなキャラの動かし方とかが気持ち良いのとで、見ている間のストレスが全然たまらない。

 気分は盛り上がり時々ハラハラし最後にホッとしつつもさらに次への引きがある、そんな至芸を朝っぱらから堪能できるとは、それも「ポポロ」のこれまた情感あふれる絵と演出に酔いしれ、「ロビーナちゃん」に心和ませた後で続けざまに観賞できるとは、今ほど日本人に生まれて良かったと思うことはない。日曜の朝を粗大ゴミ扱いする奥さんもどっか連れてけと強請(ねだ)る子供もいなくて良かったよ。グシュエヘン(泣き威張り)。

 爺さんと1昼夜か2昼夜睨めっこしただけてコロぶ浪花節なおっさんとその部下のロボット部隊の話も気になったけど、おおよそ予想もつくしDVDも買っちゃい始めたんでそっちでの補完をメインとして、せっかくの朝をもったいないと家を飛び出し「東京都現代美術館」へと向かう。あの野末陳平が都知事になったらブチ壊すとほざきやがって絶対に投票してやるもんかと怒ったけれど都民じゃないから権利がなくってガッカリな「東京都現代美術館」だけあって、スタート間もない展覧会であるにも関わらず人足は少なく館内は全体にガラガラで、僕が東京都知事だったらブチ壊しはしないけれど余ってるスペースにガレージキットでもアニメのセルでもマンガの原画でも絶版プラモでも並べておけば、そっちで客が山ほど取れるのに、ついでにポスターマシンと「カードキャプラーさくら」の新ガシャポンをおけば完璧と、実に都民の為になる提案もしたくなった。かえすがえすも静岡県知事の偉大さに拍手。だって(以下内緒)。

 見たは「アクション 行為がアートになるとき1949−1979」。たとえば絵画だったら誰がどう描いたかってよりも描かれた作品のその「美しさ」だけにスポットを当てて見るのが野末陳平さんでも納得のアートだとしたら、現代はもっと広がったどう描いたかの「どう」の部分すなわち「行為」を含めて全体を「アート」ととらえるのが普通だそーで、だから例えば村上隆さんがBOMEさんのフィギュアを米国へと持っていった時に、BOMEさんの作品の出来云々よりもこうした「美少女」をアニメ的な雰囲気を保ちつつ「人形」にする「行為」がアートじゃん、ってな感じで向こうの人に受け入れられる(だからほかの美少女フィギュアの原型師はアートじゃなくなる、んだって)のと似ているよーな似てないよーな。

 もっと敷衍すればBOMEさんという日本のフィギュアの原型師の作品をアメリカで展示させた、とゆー村上隆の「行為」も「アート」って事になる、のかもしれん。フクザツだけど、つまりは1番が勝ちって訳ですね。その意味でいけば「現美」に並べられた作品はどれもが「1番乗り」な行為によって産み出された作品群で、何しろ入ったしょっぱなにくぐる破れた紙の門すらが、「アート」ってんだから解らない人には驚きだ。これは確か神戸だか関西を舞台に大活躍して話題になった「具体美術協会」ってゆー美術集団の1人、村上三郎さんが得意とした一種の「パフォーマンス」で、例えばさんで6つに仕切った紙をベリベリと破りドカスカと殴って穴を開けた作品とか、6枚だかの紙を1列に並べてそこを一気にくぐり抜けていった作品とかが知られてる。

 出来上がったものは穴のあいた紙、だけどそこに至る行為プラス同じことをやり続ける意味なんかが重なりあった時、そこに「アート」が生まれるみたい。だったら真似して今僕が、同じ事をやっても「アート」にはならないのは前述の説明どーりで、だったら板ならどうだと考えてもバリエーションに過ぎないと思われたら癪だしやらない。鉄板だったらやってもいいけど1枚とて破れないだろーし、仮にやったら「アート」じゃなくって「マジック」なんでお金はとれても「現美」には入れてもらえないだろーからやっぱりやらない。

 同じ「具体」からは嶋本昭三さんとか田中敦子さん(だったかん)とかってなメンバーの作品(まえに横浜でも見た「電気服」を再見)がいろいろと、加えてあちらこちらで演じたパフォーマンスなり作品制作の場面を収めた映像が流れていて、昔NHKの「日曜美術館」でやってた特集以来、なんとなく興味のあった集団の仕事を総括できて為になった。最初の部屋だとほかに有名どころでジャクソン・ポロックなんかがあったかな。

 奥だと射撃ペインティングで名を馳せ今は母性あふれる彫刻で知られるニキ・ド・サンファルが超美人だった時代に作った射撃ペインティングの作品とか、彼女のパートナーのジャン・ティンゲリーとかいろいろ。イヴ・クラインのヌードになった女性に絵の具をつけて壁にベタっと張り付かせるとか、壁に張り付いた女性に何やら液体を噴霧して後をバーナーであぶって炙りだしをして絵を描いた作品とかもあってその「あたりまえ」ぶりにこれでも「アート」かと唖然、でも「アート」なんだろう。「ヴァギナ・ペインティング」ってのもあったなあ。筆を挟んでさあ始めましょう「ヴァギナのヴの字はどーかくの」「こーきてこーきていこーかくの」。でも「ペニス・ペインティング」ってのはなかったなあ。じゃあ次は僕がやろう「ペニスのペの字は……ダメだ届かない(短小)でも痛くない(包茎)」。

 日本で行為なアートといえばな「ハイ・レッド・センター」の面々はもちろん登場、あの選択バサミに1000円冊が結集して1つの部屋のなつかしいアンデパンダンな雰囲気を作ってる。応酬された1000円冊を並べられた法廷の写真なんて1つの作品の作る過程から見せる過程までをも含めたあらゆる「行為」がアートだもん、やっぱすげえよ彼らは。でも個人的に「行為」のアート化として解りやすかった「シェルタープラン」とか「東京ミキサー計画」(銀座を掃除する奴、だったっけ)とかが無かったのはちょっと食い足りない。せっかくなんで「現美」でも掃除すれば良いのにと思ったけど、ほら人がいないんでいつもピカピカなんで掃除の必要ないんすよ、見てくれる人もいないし。

 別の部屋で最高に面白かったのはどっかの作家さんが展示しているでかい布、でもおって上にカラカラと糸車がたくさん付けられていて、観客はそこから糸をとて布からさしてある針を抜いて、自分が持っているものを何でも良いからその布に縫いつけ刺繍をするって作品。ほんとうに物を縫いつけても良かったのか、それとも単に刺繍だけだったのかは解らないけど、すでにして定期やら「マジック・ザ・ギャザリング」のカードやら煙草やらレシートやら50円玉やらが縫いつけてあったので、手元を探して定期もなければもちろん「プリクラ」の写真もない身として、唯一あったハヤカワSF文庫から発売中なジェイムズ・アラン・ガードナー「プラネット・ハザード」の寺田克也さん画な表紙を破り取って縫いつける。

 もちろん作家の手のひらの上で踊っている事は承知の上で、すでにして世界メジャーな寺田さんの作品をアートの世界へと流し込む、そんな自分の「行為」もアートかもしれないなーと思ったのは別にして、海外へと持ち帰られた作品(それとも「現美」が買うのかしら)に、寺田さんの絵が縫いつけられて人々の目に触れるのって、考えてみるだにとっても楽しい。時間があったら今度は「カードキャプラーさくら」の卓上POPを買って縫いつけに良こー。他の人でもアートに何かを入れ込みたいって人は、重くならない程度の物なら縫いつけても大丈夫なんで持って「現美」にゴーだ。「ヤメタランス」2つ縫いつけても、良い?


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