舟越桂新作彫刻展
展覧会名:舟越桂新作彫刻展
会場:西村画廊
日時:1996年11月21日
入場料:無料



 銀座の西村画廊で舟越桂さんの新作彫刻展が開かれていると「ぴあ」に載っているのを見て、仕事の合間を縫って見て来ました。平日だというのにギャラリーの中には若い学生っぽい女の子や男の子、業界人っぽいおじさんなんかがいっぱいいて、あらためて舟越さんの人気のほどがうかがえました。

 舟越さんの彫刻は、どこも見ていないようで、なんだか見透かされているような眼差しをしていて、そこがいつも気にかかります。見る人によっては、それがとても気味の悪いものだと写るようです。

 けれども無感心を装っているようで、実は気にかけていてくれる。押し付けがましくなく、かといって突き放すのではない微妙な距離感を持っている。そんなところが、都会に住んでいる寂しい人たちに、受け入れられているのではないかと思っています。気の弱い、生身の人間にうまく接することのできない人種に、誰かといっしょにいる安心感を与えてくれるのです。

 会場内には彫刻作品が4点とドローイングが20点ほど展示してありました。入って正面に置かれているのは「肩で眠る月」です。台形状のソリッドな胴体は薄い緑色に塗られ、白い筒状になった木のスカーフが取りまく首の上に、遠くを見つめる眼差しをした舟越さん特有の表情をした、細面の顔が載っていました。ぴったりと張り付いたような、髪とも帽子ともつかない黒い色が頭を覆っていて、修道僧のような雰囲気をしています。おもしろいのは黒くなったその部分の、左後ろに小さな顔が1つついていたことで、11面観音のような、あるいは阿修羅のような意味があるのだろうかと、ちょっと考えてしまいました。ちなみに後ろの小さな顔にも、大理石の目がしっかりと収まっていました。

 隣には「冬にふれる」という彫刻がありました。ロンソンのライター「バンジョー」のような曲線を持ったボディーには、ショールを羽織った感じの服が彫られています。胸骨にあたる部分に、プレートが張り付けてありますが、アルミ板を胴体の1部に張りつけていた以前の作品のようには、プレートは存在を主張していません。坊主頭ではなく頭頂部に味付けのり状の髪が載っていました。男性なのか女性なのかちょっと見分けがつきませんでした。

 一番おもしろかったのは「水のソナタ」という作品です。坊主頭で黒いタキシード姿の男性が、椅子に座って両手を水平に上げて、何かに触っているようなポーズをしています。中空に止められた手のひらが、ピアノを弾いているような指の形をしていて、彫刻の足下にもピアノの形をイメージした黒いプレートが置かれていますから、すぐにピアノ弾きがモデルなんだと解りました。舟越さんには珍しく全身像の彫刻で、ももにかかったジャケットの裾のドレープ感と、履いているポックリとしたプレーントウの靴が、なんとも言えない良い味を出しています。

 最後の1体は「蒼ざめた山の断片」です。「肩まで眠る月」のように装飾のないボディーをしていますが、右肩に部分がタテにまっすぐ切りとられていて、ひどく斬新な雰囲気が感じられました。シンプルだけどその分、見手の思い入れを彫刻の中に投影していくことができそうで、ギャラリーでも彫刻の前に立ちはだかって、しばらく見入ってしまいました。

 1000円のカタログには、展示していな作品も幾つか掲載されていましたが、展示してある作品のうち「肩まで眠る月」と「水のソナタ」が無彩色、「冬にふれる」に至っては首だけ(それも彫り始め)の段階で掲載されていて、時間がなかったとはいえ、未完成の作品を載せて良しとしたギャラリーの姿勢に、ちょっと首をかしげてしまいました。まあ別の作品が楽しめたから、それでいいやっていう気もないではないんですが。

 受付に置かれていた値段表を見ると、彫刻は1体850万円、ドローイングも25万円とか35万円とかいった値段になっていて、にもかかわらずすべて売れてしまっていました。去年の秋だったかに同じ画廊で聞いた時には、600万円程度とか言われた記憶があります。1年でますます値が上がったということでしょうか。1000万円を超える日も、そう遠くないでしょう。

 部屋に1体舟越さんの彫刻を置いて、1日中にらめっこをしていたいという夢があるのですが、ますます上がる値段を見ると、どうやら夢のままで終わりそうです。求龍堂から刊行された作品集「森へ行く日」(直筆サイン入り)を読んで我慢するしかなさそうです。
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