安藤忠雄建築展
展覧会名:安藤忠雄建築展
会場:東京ステーションギャラリー
日時:2003年4月5日
入場料:1000円



 「東京ステーションギャラリー」で始まった「安藤忠雄建築展2003 再生−環境と建築」を見物。安藤忠雄って言ったら思い浮かぶのがコンクリートの打ちっ放しな建築物で、えっとあれあ「住吉の長屋」だったっけ、それと京都の川っぺりにあるテナントビルとか北海道にある教会なんかも有名で、その固いコンクリートの素材まるだしな感じな癖に妙に暖かみのある不思議な建築が、見るからに時代の先端を行っていた。

 ところが今回展示されてる割に新しい作品は、なるほど昔ながらにコンクリートを使いながらもガラスという別の素材がふんだんに使われている作品が多くあって、以前だったら細く開けた隙間とか窓から取り入れていた光を今は、ガラス越しに多く中へと採り入れて内部と外部との隔絶を避けて、周囲にたっぷりとある自然のエネルギー、めいたものを含めてひとつの”建築”にしようとしているのかな、なんてことを思う。

 その最たる例がメイン展示のひとつになってるフランスはスガン島に計画されている「ピノー美術館」。その昔にルノーの工場があったっていう細長い中州の先っぽに、ぴったりとはまる三角形の建築物を提案していて、地下から地上を作り込んだ上でその上に、ピロティでもってガラスの壁に囲まれた三角形の建物を浮かべて、ギャラリーにするって案になっている。セーヌ川に浮かぶガラスの船、って遠目には見えるかもしれない。

 ガラスだから中が明るいのはもちろんだけど、初日ってことで来場していてギャラリートークをしてくれた安藤さん本人によれば、セーヌ川の水面とガラスの壁面とが反射し合って生まれるビジョンも設計段階から構想に入れて、だからこそこういった素材によるこういった設計になったとか。会場には実際に使われるガラスの壁の一部も展示してあって、そのキラキラした感じに、巨大な河原みたいなガラスがセーヌ川の上に浮かんだ姿を、朝昼晩の光の中でながめてみたくなった。

 周囲との調和って意味では今進めている表参道の「道潤会青山アパート」立替計画なんかがまさにそれ。調和が考えに考え抜かれていて、例えば高さは前のケヤキ並木の高さを大きく上回ることがないよう配慮されていて、代わりに地下を30メートル掘り下げて駐車場とか吹き抜けとかを作って床面積を広げる方式を採っている。

 通りに面した面にはガラスが貼られることになるのかな、これだと夏とか緑の並木が写って歩道を緑のトンネルにしてくれそう。夜とかにガラスに向かって踊るストリートダンサーとか出てきそうだけど、最近の表参道はどんどんと露天商が排除されているから無理かもしれない。自然や風景と調和する建物も人心すべてとの調和を満たすのは難しいってこと、なんだろう。

 面白かったのはニューヨークにある古いビルの上の方にガラスのペントハウスを作るって計画で、それ自体は屋上のテラスハウスと変わらないんだけど、別にビルの四角形を斜めに串刺しにする形で、細長いガラスの直方体を作ってしまおうって案に、強引だけど不思議な生命力を感じてしまう。なるほどパッと見は遠くから飛んできたガラスのトレーラーが突っ込んだようにも見えるけど、煉瓦っぽい古い素材のビルの全体をそのまま活かしながらも、ちょっとだけ異なる素材で異なるラインを付けて破調を加えることで、停滞していたものが再び流れ出すような感じを受ける。

 思い返せば大阪は中之島にある古い公会堂を活かしながらも中に巨大な卵形のドームを入れてしまえって計画を、安藤さんは昔から提案していてそれによって漫然と流れていた時間の中、枯れていくばかりだった古い建築物に新しい風を吹き込もうとしていた。ただ壊して立て替えたところでそれが周囲にとけこむのにはいったい何年かかることか。だったら最初からそこにある風景を、空気を活かしながら淀みを長し、風を送り込むことで再びの生命を与えた方が良い、なんて考えがあるのかもしれない。安藤さんがデザインしたらあの京都を分断して息苦しさを醸し出してる「京都駅ステーションビル」はどうなっただろう。

 テレビなんかに出演している姿を見ていつも思うけど、喋れば喋るほど漫才コンビ「B&B」の小さい方、島田洋七さんの声に聞こえる安藤さん。関西弁なのがまたハマってて、おまけにユーモアもあってこういう人に教わる学生がちょっとうらやましい。前日のプレビューに訪れた森喜朗前首相がパリに出来るはずの「ピノー美術館」の模型を見て「東京も良くなるねえ」と言ったことを挙げつつ「説明とかよく見ようね」って話してくれて、いかにも森前首相らしいと大笑い。あとで「国家の重大な秘密を漏らした」とスパイ容疑で逮捕されないか心配になった。

 あと興味深かったのは、「雑誌を買え、現場を見に行け」って盛んに言っていたことで、「『新建築』でも『SD』でも建築雑誌を買いなが、らその時に思ったこととか気づいたことを書き込んでいけば、4年で48冊分、自分の知識になる。インターネットにつなげば情報はあふれているけれど、それはキミらの知識じゃない。自分で知識を持たないと建築家にはなれません」という言葉には、独学で建築を学び、現場を踏んでそこからイメージを膨らませて「住吉の長屋」とか作った安藤さんならではの信念が伺える。手持ちの携帯電話についたカメラで模型を撮ってた学生はよく聴くこと。撮った写真から自分で図面おこして模型にしてみる、ってんなら許すけど。

 サイン入りで売られてたカタログにも蜷川幸夫さんとの対談で、「事務所内でコンペをします。私も案を出すんですが、たいていは私が勝ちます」「というのも僕はクライアントにも会い敷地も見て、臨場感があります。スタッフにはそれがないんです。彼らは紙の上で考えるだけですから、燃えてこないんでしょう。こちらは燃えていますから、多くは勝ちますね」って言っていたのも興味深い。

 現場を見ないで設計図を引く人がいるんだなあ、なんて思うのはそれとして、結構な立場になっても率先して現場を踏む安藤さんのフットワークの軽さにはひたすらに感嘆する。もっとも現場を踏んでこそ、それ自体が突出して周囲を睥睨せず、逆に周囲の景色を引き込んでさも初めからそこにあったような存在感を示す建築物を、いつまでも作り続けることができるんだろう。


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