■ 再審請求に関する救済お願い書 (6) もどる

判決文における争点:(4)消し去られた30分

以上、苦肉の末に案出されたカプセル説ではありましたが、これだけでは30分の空白を埋めきるには無理と判断した検察側は、先程来何度も申し上げているような様々な手を使って、この30分を蚕食しようと図り、その手始めに、かどうかは類推の限りではございませんがIMに対して、IYの0時15分辞去を容認するよう、或る種の工作を行っていた事実のあることを、そしてついに一部その工作を成功させてしまっていた経緯を、私たちの知る範囲で申し上げて見たいと存じます。

昭和39年の7月28日、荒川晶彦弁護人が、当時IMの住んでおりました水戸の栗原荘アパートを訪れて、この頃精神的にも比較的落ち着きを取り戻しておりましたIMとIAから、色々と本音の話しを聞き出すことに成功しておりましたので、以下その幾つかを申し上げて見たいと存じます。

(イ)その頃、本事件を担当した県警の市*勝警部補が頻繁にIMのものを訪れては「ほかに3人もの確実な証人がいるんだから」とか「だからそれは母ちゃんの思い違いで、本当は0時15分だったんだよ」とか、様々な暗示や脅しやすかしをまじえて、執拗にそれを要請していたこと。

(ロ)それでもIMからは余り思わしい回答が得られず、工作のはかばかしい成果の上がらないことに焦りを感じましたものかどうか分かりませんが、今度は一転、贈り物攻勢に切り換えて、IA(注:冨山さんの義理の娘)やIMに対してブローチやネックレス等の小物類に始まり、ブラウスやシュミーズ(現今ではスリップとか申すのでしょうが)、ブラジャー、ソックス、ストッキング等々、常識では考えられないような女性の下着類などにまで及ぶ贈り物攻勢をかけていたこと。

(ハ)そればかりか、時には現金を入れたらしい紙包みを渡そうとしたり致しましたが、それと知ったIMがこれを固辞致しましたそうですが、彼の辞去後彼の座っていた座布団を片付けようとしたら、その下から千円札が三枚出て来たことがあったそうで、その時は後で返そうと思っていたけれども、つい使ってしまい、そのままになってしまったと申しておりました。

(ニ)とこうしているうちに、そうした硬軟両様の執拗な攻勢に屈したような形で、公判の場における証言を彼らの主張する0時15分辞去説を承知させられてしまったとのことであります。

もっとも第18回公判の際において、反対尋問に立った粂検事が「貴方はいま『0時15分と言わされてしまった』とのことですが、貴方の調べられたどの調書を見ても、最初から『八日市場から帰った時刻は分かっているが、辞去した時刻は分からない』の一点張りで、今いったような0時15分と言わされてしまったというような供述は、何処にも載っていないのですがね」といったやり取りなどもありましたけれども、これは多分次のようなことだったのではないかと考えられます。

IMは0時15分と言わされたのは、員面調書の時のことと思い違いをしていたけれども、本当はただ今も申し上げたような形で、栗原荘アパートにおいて、公判時における証言を「そのように約束させられてしまった」というのと錯覚していたのではないかと存じます。

(ホ)右(ロ)、(ハ)につきましては、市*警部補に対する証人尋問に際して、大筋においてその事実を認める証言をしておりますが、「それは決して証言を強要したりするためではありませんでした」と、その目的が証言の強制などではなかったことを強調しておりましたが、その後新井徳次郎陪席官より、「失礼ですが、貴方の月給はおいくら位ですか」と訊ねられて、これに答えておりましたが、只今ではその時の数字は記憶しておりません。

続いて「その給料で、貴方の生活状況はどんな具合ですか」と訊ねられ「はい、妻がながい間リューマチで寝たきりの上、娘達が筋萎縮症という不治の病にかかっており、決して楽な方ではありません」と答え、更に「楽でないと言った程度ですか」という問いに「はい、どちらかと言えば苦しい方です」と答え、「そんな苦しい中から、どうしてそんな贈り物などしたのですか」と追及「そうしたケースは、決して私ばかりに限ったことではなく、同僚の中にもそうしたことで、美談としてマスコミに取り上げられたことのある人もおり、商売とは言え、自分の手掛けた事件によって家庭を壊されて困っている家族がいるとなれば、そこはかと心痛むものがあるのは人情と言うものではないかと存じます。それに贈り物と申しましても、私たちのルートで殆ど原価に近い値段で手に入りますので、世間一般の常識でお考えになるほど高価なものではありませんので」などと陳弁これつとめておりましたが、現金については「どうしても受け取って頂けませんでしたので、差上げませんでした」と否定した上で「それらは飽くまで、純粋な好意以外の何ものでもありませんので、勿論、そのことと引き換えに、証言云々などという取り引きなど、一切行った事実などございませんでした」などと白々しくこれを否定しておりましたけれども、これは決して、内妻や義娘の言うことだからという訳ではなく、荒川弁護人が栗原荘アパートを訪れた際「面会に行ってあげなさい」と諭されたものか、IAと二人で面会に来た折り、交々それらを訴えていた彼らの表情からは、決して嘘の翳りなどなかったことを自身を持って断言できると存じます。


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