■ 再審請求に関する救済お願い書 (2) もどる

(一)

以下事件の粗筋を把握して頂くため、その経過、争点のポイント等のいくつかについて簡単に申し上げさせて頂きたいと存じます。先ず事件の発端は昭和38年8月26日、茨城県鹿島郡波崎町在住の農業IY(35歳)が、済生会波崎済生病院において、心不全のため急死したことに始まります。

この際、IYの妻INが「ちゃんは『箱屋(私の通称)に欺されて薬を飲まされた』と言った」と供述したことから、かねてより歯に衣着せないたちの私が、役場や警察へも何回か交渉にいったりしておりましたこと等もあり「あいつはシベリア帰りのアカだ」などという評判を立てられておりましたことなどもありまして、最初から偏見に基づく先入観のもとに捜査が進められていたことは確かかと存じます。

そのような背景の中で、鑑識に出しておりましたIYの胃内容物から、青酸化合物が検出されたとして、それを私と結びつけて2カ月後の10月25日未明、事件とは何の係わりもない、私文書偽造同行使という別件で逮捕されてしまったのであります。

爾来、警察、検察の飽くないでっち上げ工作もさることながら、公判に際しての本件受命裁判官が、それらと同類項の検察畑出身者だったという不運等も重なりまして、中立とは名ばかりの、露骨な検察寄り姿勢を隠そうともせず、私サイドの主張・弁解等には殆ど耳を貸さず、逆に検察側の論述に破綻の生じそうなケースには、さり気なくこれに「それはこうこういったようなことですね」などど「フォロー」の手を差し伸べるなどしており、私は公判中何度歯がゆく口惜しい思いをさせられたか分かりませんでした。

そして最後、私の最終陳述の段階におきましても、僅か数十分位しか経たないうちに、検察の「被告人の陳述は、弁護人の意見と殆ど大差なく、重複に当たるのでないでしょうか」との抗議を容れて「大丈夫です、貴方の主張は、最後まで必ず読ませて頂きますから、後は文書で提出して下さい」などど自ら語るに落ちるようなことを言いながら「法廷で述べるのでなければ陳述の意味がありません」との私の抗議も、結局言を左右にこれを阻まれてしまいまして、昭和41年12月24日「何ら無警戒な被害者に対して、鎮静剤と偽って青酸化合物入りのカプセルを飲ませて、交通事故を偽装して保険金詐欺を目論んだ、史上類を見ない悪質な犯罪であるにもかかわらず、被告人は未だに無実を主張して聊かも反省の色が見られない」として、自ら判決文の中で「青酸化合物の入手経路、その所持の事実、これらを証すべき証人、これを与えたとの目撃者等のいずれも不明であるが」と自認しておりながらも「それでも被告人を有罪とするのを妨げない」という信じられないような強引さで極刑が科されてしまったのであります。

以下判決文に沿っていくつかの争点について申し上げて見たいと存じます。


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