■ IN証言の信憑性

IYさんが苦しみながら、

「箱屋に薬を飲まされた」

と言ったとするIYさんの妻のINさんの伝聞証拠を判決は全面的に信用している。しかし、この言葉はINさんしか聞いておらず、しかも、証言したINさんは保険金の受取人である。1976年に最高裁上告棄却により、自殺ではなく他殺(自殺では保険金は受け取れない)による死亡と確定した段階でINさんはT生命保険相互会社に災害死亡保険金を請求し、1980年に三百万円を受領している。事件の翌日にはIYさん宅に債権者が訪れて来る状態であったし、事件直前の金策のようすからIYさんの借金により遺族は金銭的に相当苦しかったことは想像に難くない。TTさんはよそ者と見られていたし、もともとINさんがTTさんのことを快く思っていなかったこともあり、INさんの証言の信憑性は低いと考えられる。

また、青酸化合物中毒は、呼吸困難、呼吸停止、チアノーゼ、心房細動、瞳孔散大、痙攣、意識障害等を直ちに引き起こし、神経系及び呼吸器系への影響が顕著であるため。IYさんが何度も繰り返して、誰に何を飲まされた、と発言することは困難であるという指摘がある。そうだとすると、IN証言が真実であるということと、IYさんの死因が青酸化合物による中毒死である、ということは両立しない。IN証言が正しくないとすると、「TTさんに薬を飲まされた」ということが否定される。「TTさんに」という部分が真実ではないのか、「薬を飲まされた」という部分が真実ではないのか、その両方とも真実ではないのか、もし「薬」の部分が真実でないとしたら鑑定はどの程度正しいのかなど、分からないことが多い。

IN証言の信憑性については、第一次再審棄却決定書(1984/1/25)により、

「単なる憶測に基く主張の範囲を出ず、合理的理由があるとはいえない」

とされた。

第二次再審請求棄却決定(2000/3/13)においても東京高等裁判所は、

「所論は、(I)Nの供述の変遷が著しいという趣旨の主張もしている。しかしながら、捜査段階からの(I)Nの供述状況を全体として考察しても、(I)Nの供述は、(I)Yが(I)Nに対して言ったという前記言動の内容や、その際の状況等を含め、基本的には一貫していたと評価することができ、また供述経過等にも不自然な点は見当たらない。所論は、(I)Nの供述に変遷があるとして種々の指摘をしているが、所論にかんがみ検討しても、供述の基本的信用性に影響するような変遷があるとは認められない」

のようにIN証言を信用できるものとした。IN証言が一貫して同じ事を主張しているという認識が正しいかどうかは別にして、「一貫していた」ということが証言の信頼性を高めることを裁判所は認めており、裏返せばTTさんの無実の主張が「一貫していた」ことを「改悛の情が認められない」と受け止めた原審の判断とダブルスタンダードといわざるを得ない。自由心証主義はこういう矛盾を吸収する方便となってしまってはいないか?


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