■ 冨山さんの経済状態

検察は、

「当時、借入金、物品売掛金等の負債が80万円ほどあって、その返済に窮していた」
と主張し、一審判決は、
「各証拠によつて明らかなとおり当時被告人一家の経済は少なくとも決して楽なものではなかつたことが認められる」
と冨山さんの経済状態を犯行の動機とした。

ところが、二審判決では、

「被告人には当時とくに金銭的に窮していた事情もなかった」
と述べている。一審で判決の根拠とされた動機のひとつがもともと存在しなかったというのは非常に重要なことであるし、一審の判断が誤っていたことを明確に示すべきであるところ、なんらコメントがなされていない。しかも、この文は、
「物慾から出た計画的犯行であって、動機において、なんら酌量の余地なく、犯行の態様も冷酷であること、被告人には当時とくに金銭的に窮していた事情もなかったこと、...にもかかわらず、被告人には、改悛の情が認められないこと等にかんがみ、本件については、被告人に対し、極刑を科するも、やむをえない」
というように使われている。「金に困っていないのに物慾で犯行におよぶようなやつは死刑だ」というように、否定された動機を逆にリサイクルして、死刑判決の根拠としている。

ある事項が真であっても偽であっても同じ結論を支持するのは問題である。このようなことが起こるのは、結論が先にあって、根拠を作り出そうとしたからである。裁判は裁判官の思い込みや感情ではなく論理で支配されていなければならない。

免田事件において、昭和三十一年の再審決定に対する検察の即時抗告の結果出された福岡高裁の再審決定取消の中に「一度調べた証拠を再度調べて新しい証拠と解することは司法の安定を欠く」ということが書かれている。では、「一度否定された事項を再度利用して新しい理由とする」ことはどうなのだろうか?


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