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第61回 “世界の合言葉はBREW”
 掲載誌 糸納豆EXPRESS Vol.31. No.1.(通巻第46号)
 編集/発行 たこいきおし/蛸井潔
 発行日 2013/05/03


 唐突ではあるが、最近、文庫に落ちていた最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』を読んだ。星新一の評伝であるとともに日本SF黎明期の貴重なドキュメンタリーでもある名著だと思うが、星新一が東京大学の農芸化学出身であった、という事実は本書を読むまでまったく意識していなかった。大学院の研究テーマは「アスペスギルス属のカビの液体培養によるアミラーゼ生産に関する研究」とのことで、いやはや、分野(農芸化学)的にもテーマ(酵素化学)的にもたこいの大先輩にあたるではないか。

 思えば、星新一を集中的に読んだのは中学時代、通っていた中学校にほど近い市立図書館には星新一全集を始め、当時出版されていた星新一の著書はほとんどあったのではないかと思う。ショートショートをむさぼり読み、エッセイも図書館にあったものはほとんど読んだと思う。

 ちょっと奇縁を感じたので、連載61回は麹菌にからんだテーマにしてみたい。題して「世界の合言葉はBREW」ということで……。

「かもすぞー」

 ほとんど説明は不要かと思われるが、菌が目に見えるという特殊能力?を持った主人公がひとくせもふたくせもある教授や先輩たちと農業大学の醸造ゼミを舞台にいろいろなものを醸したり、なりゆきのままに世界を放浪したりする石川雅之『もやしもん』。一般的には一番人気は黄麹菌のA・オリゼー(Aspergillus oryzae)ではあるが、このページには見た目がそっくりだが存在としてはマイナーなA・ソーエ(Aspergillus sojae)をセレクトしておきたい。


 因みに、たこいの修士論文のテーマは「醤油麹菌Aspergillus sojaeのセリンプロテイナーゼの化学修飾」ということで、研究タイトルだけではなにがなんだかわからないことと思うが、ここでは特にわかってもらう必要もない(笑)。ともあれ、そんな縁?もあり、携帯ストラップにもオリゼーではなくソーエを使っている……というのはどうでもいい余談とも言える。

A・オリゼー
黄麹。「日本の国菌」と呼ぶ人がいるそうですが、アメリカの国菌とかもあるんですか?

 引用は台詞ではないけど『もやしもん』5巻冒頭のキャラクター紹介より。一応質問に回答しておくと、アメリカの国菌なんてものはありません(笑)。

 「麹菌を日本の国菌に」と提唱した一文は、日本醸造協会誌2004年2月号の巻頭随想であり、その後、日本醸造学会が2006年の年次大会において正式に認定し、今に到る。なお、この「麹菌」の範囲には清酒などに主に使われるA・オリゼー、味噌、醤油に使われるA・ソーエの他、泡盛に使われる黒麹菌Aspergillus awamoriや、焼酎に使われる白麹菌Aspergillus kawachiiまでが含まれる。オリゼーだけが国菌という訳ではないのでご留意いただきたい。

 因みに、「日本の国菌」と呼ぶ人、即ち前述の巻頭随想の著者は一島英治東北大学名誉教授、実はたこいの恩師である。某大手醤油メーカーで、タンパク質分解酵素(プロテアーゼ)の研究で成功を収め、酵素化学の大家として東北大学を含む三つの大学で教授を歴任された。

 たこいは東北大学農学部における一島研の第一期の修士にあたるが、研究室時代は不真面目な学生で、研究室の滞在時間こそ長かったものの、ちょっと実験しては、デスクでファンジンの原稿を書いていたりしたので、よく「たこいくんはデータは緻密なんだけどデスクワークが多いんだよ。研究者ならもっと立って実験しなさい」と発破をかけられたもので、不肖の弟子もいいところであるが、修了後四半世紀にしてようやく、自分の研究をまとめた総説を日本醸造協会誌に投稿できるようになったりもしたので、多少はかつてのご指導に応えることができたかもしれない、と思っている。

 『もやしもん』における樹教授は明確なモデルはいないとはされているが、作中での樹教授は年齢不詳(従軍経験あり?)、正体不明で政財界にも人脈が広く学内外に隠然たる勢力を持っており、いかにも高そうなワインをたんまり秘蔵しているかと思えば、学内にさまざまな醗酵食品の醸造設備をがんがん増設して清酒、ビール(自然醗酵!)、ワイン、味噌、醤油など造りまくっている。その資金はどこから出てくるのか、そもそもこのゼミの人数でちゃんと全部発酵管理できているのか、突っ込みどころ満載である。

 件の恩師の先生、日本の醸造の世界においてはたこいの在学当時からたいそうエライ方であり、あちこちの酒蔵の大吟醸から泡盛のン十年ものの古酒まで、ようやく清酒復権が叫ばれていたくらいのバブル黎明期にはあまり一般的でなかったようなお酒やらビール券やらがどこからともなく送られてくるので、研究室で飲み会のお酒に困ったという記憶がない。科研費の類いも取りまくっていたらしく、実験機器や試薬に困った記憶もない。『もやしもん』を読みつつ、樹教授が現実世界にいたら、わりあいこんな感じかもなあ、と思ったりすることもある次第である。


 そういえば、ちょっと前に出身の研究室を訪ねた際には扉に『もやしもん』の菌のポスターが貼ってあったりして『もやしもん』人気に改めて感じ入ったものだが、そこで助教をされていた先輩は、その後、東京農工大に移られて現在准教授となられているのであるが、2012年にノイタミナ枠で放映されたアニメ『もやしもんリターンズ』のEDを観ると「監修」のテロップにはその先輩の名前もあがっていた。うおお。ちょっとうらやましいかも(笑)。

 その『もやしもんリターンズ』のクライマックスはフランスを舞台にしたワイン編(コミックスの6巻)だったが、最終回では8巻で主役級の活躍を見せる某地ビール醸造担当者らしき人物の姿をちらりと見せての引きとなっており、アニメ3期をやる気満々の雰囲気であった。

「まさか!
  空気中の菌を掴み取ったってんですか?」

 『もやしもん』が連載開始当初『農大物語』というタイトルであった、という痕跡はコミックス1巻の1話を読むとわかるが、この架空の農大と、あらゆる醸造に造詣の深い謎の樹教授の設定が、自由度の高い作品のフレームを生んでいる。樹教授がフレームアウト気味にうんちくを語ることで古今東西の発酵食品を何でも作品モチーフとして取り込めるとともに、多少の無軌道な展開も大学生のバカ騒ぎという空気感でうまく丸めてしまえる。

 うんちくについては、モチーフとする発酵食品に対する作者のけっこう突っ込んだ勉強ぶりが楽しくもありつつ、たまに語り過ぎてしまう側面もあるが、そのあたりは樹教授が語り続けるのを周囲が放置プレイすることでバランスを取っている感じ?

 一方で、物語のキーになるかと思わせて、実はあまりなっていない気もするのが主人公沢木惣右衛門直保の「菌が目に見える能力」。彼の目に見えている菌一体が実際の菌の細胞ひとつひとつと対応しているとはもとより思えないし、菌糸を形成しているカビやキノコなどの菌もばらばらに一体として見えるなど、なんともフシギな能力であり、そのあたりは作中で他の登場人物からも突っ込みが入っていたりする(笑)。そのわりには、見えている菌を指でつまんで分離できる(!)など、野口英世あたりに聞かせたら突っ込み殺されそうな便利な能力でもある。

 物語序盤においては、周囲の登場人物たちが、いささか利己的なそれぞれの目的に彼の能力を利用しようとする思惑が物語を動かしている…かに思われた時期もあったが、泡盛、ワイン、ビール、清酒、と、様々な酒類をめぐる群像劇が主眼となって以降は、もっぱら「かあいらしい菌のキャラクターが作品世界をふわふわ浮いていてもいい世界観を担保している設定」くらいに落ち着いてしまっている気もする。

 ともあれ、これらの菌のキャラクターを抜きにしてここまでの作品人気はなかったと思われるので、ある意味やったもん勝ちの設定ではある。個々の菌のシンプルだけど飽きのこないデザインのセンスも含め、作者の発想力に脱帽である。

 しかし一点、ビール屋としては、ピルスナータイプを始めとするビールの醸造に広く使われている下面発酵タイプのビール酵母Saccharomyces pastorianusがキャラクター化されていないのは残念だったりする。まるごと1冊ビール編の8巻でも出てこなかったので、この後も出てこないんだろうなあ。


「きっとすべてのお酒
 好き嫌い別として
 大企業だろうが
 小さな蔵だろうが
 プライド持って作ってるわよ

 樽生ビールのサーバーのコックやホースを洗浄することの重要性を語ったマンガは他にあるだろうか。この台詞は『もやしもん』2巻において、某農大の近所のバーでバイトをしている3年生宏岡亜矢が語ったものだが、この台詞の後に、プライドを持って作られたお酒を売る側のプライド、ベストの状態でビールを提供するための働くスタンスとして、彼女が毎日サーバーを洗浄していることが語られる。

 宏岡亜矢というキャラクターはある意味作者の分身のように思われる。所属は樹ゼミではなく、某農大をめぐる人間関係の中でも最もニュートラルな位置におり、時折、主人公たちの背中を押したりもするよき先輩、よき相談相手でもあるが、古今東西のお酒に造詣が深く、語りすぎてフレームアウトしてしまう樹教授のような過剰さのない、適度なうんちくを作品に提供する役割も果たしている。そのニュートラルさが人間関係だけでなく嗜好、思想面でもあらわれていることを示すのが引用した台詞になるかと思う。

 大手メーカーをビッグブラザーのごとき仮想敵として批判的に扱う例はよくあるが、酒類の中でも特にビールについてはその論調が顕著なように思われる。その一因としては、大手のビール工場の見た目の巨大さや、CMでよく見られる壜や缶がすごいスピードでラインを流れていく有様から感じられる「画一的な大量生産品」というイメージがあるのではないか、とちょっと思ったりすることもある(もちろん、発泡酒や新ジャンルのような「ビール、の、ようなもの」を次々と開発することで、そのイメージを自ら助長している側面もあるが)。

 ビールの原料(麦芽、ホップなど)が農産物で、酵母という生き物の発酵が香味を醸し出すのはどんな大きな工場でも変わらないのだが、そこで原料の品質を吟味し、発酵を適切に管理することで安定した香味、品質のビールを造ることに注力されている筈の技術やプライドを指摘してくれたマンガは『もやしもん』くらいだろう。

 『もやしもん』の作中では、ビール、清酒などの大手vs中小の構図で語られやすいジャンルについても、それぞれの長所短所が登場人物たちの会話の中でディベート的に語られることがある。ということは、ディベートを成立させるための両極の視点が作品に中立的に盛り込まれている、ということでもある。そんな中では、樹教授と宏岡亜矢の二人は、ジャッジ的な位置にいるキャラクターかと思う。

「おいで、そこのお嬢さん。
 ビールを教えてあげるわ」

 沖縄を舞台に泡盛をテーマにした3巻、フランスまで渡りワインを語った6巻に続き、まるごと1冊ビールを語り尽くした『もやしもん』8巻。序盤においては、ミス農大にして樹ゼミ中堅の武藤葵と、自分の造る地ビールの営業にやってきた醸造技術者加納はなが、「日本における地ビールの地位」をめぐり議論する。ここで、武藤葵が実は地ビールも世界のビールもあまり飲んだことがないのに「反地ビール」の立場でエキサイトするあたりには、多少なりとディベートっぽい印象を感じる人もいるかもしれない。


 亜矢のバーで世界のビールの多様な魅力を啓蒙された葵は、「現物」も知らずに反地ビールで立論したディベートを自己反省し、「現物を知る」ために加納はながビールを造っている「かのうファーム」を訪ねる。

「ここがビール部門です。
部門っても、あたし一人でやってますけど」

 この「かのうファーム」の牧場の敷地内にあるのは、原料の麦芽の製造(製麦)から、麦汁を造る仕込、つづく発酵、熟成まで一通りそろったコンパクトなビール醸造所。

 職業病(笑)的にちょっとこの設備を検証してみると、作中に描かれている設備のスケールは身長148cmのはなの身体との対比でおおよそ一仕込あたり3000Lくらいはありそうなので、観光地によくあるレストラン併設のパブブルワリー設備あたりと比べると、地ビールにしてはけっこう大きめの部類。設備の外観からもある程度自動化された現代的な設備と見受けられる。このスケールだと原料の麦芽の量は数百kgくらいは使いそうなので、製麦設備への大麦の投入や、麦芽の粉砕、仕込への投入などはたぶん自動化されていると推察。製麦用の大麦はこのくらいの量だと数十kgの紙袋か布袋で受け入れてサイロに移すときだけは手作業になると思うので、その作業が実は一番の重労働かも。仕込んで麦汁を絞った後のビール粕は、牧場なので自前で飼料にできる(いわゆるビール牛ですね)。仕込が3000Lくらいなら月平均2回仕込めば地ビールの最低製造数量を満たせる。仕込回数がその程度なら発酵タンクは2〜3本、熟成タンクも多くて5〜6本程度で足りるかな。かのうファームのビールはIPA(インディア・ペール・エール)とヴァイツェンくらいと種類も少ないのでこの本数でもなんとか回せそう。製品は酵母入りなのでろ過設備はいらない。出荷は飲食店向けの樽をメインとして、一部壜でも出荷している、とすれば、作中で言われる通り、ラベルは家族の手貼りでも対応できそう。うん。この設備なら一人でもなんとかオペレーションできそうかな。(とはいえ、建造コストの点では、家族経営の牧場にしてはちょっとオーバースペック気味かも)

 それにしても、製麦も自分でやっちゃうというのは、なかなかにマニアック。かつては、国内大手のビール工場も国産のビール大麦を自前で製麦する設備を備えていたけど、今はほとんど残っていない。なので、製麦から醸造まで一通りの経験のある技術者は国内でもそんなに多くはないと思う。たこいの場合、かのうファームよりはずいぶん小さい試験用の醸造設備とそれに合わせて設計された製麦設備をまとめてオペレーションしていたことがあるので、技能的には、たぶん「かのうファーム」に即戦力でお手伝いに行けると思う。

 あと、某農大からヒッチハイクで行けるかのうファームの立地、作中では明示されてないけど、どのあたりかなあ? 途中のローカル線はモデルあり?(ビールの味のモデル?は鳥取の大山Gビールらしい、という情報もあるけど)。

 因みに、比較的モダンな設備の「かのうファーム」と比べると、8巻冒頭に登場する樹教授が某農大のサイロを改造して建造しちゃったというビール醸造設備はかなりファンタスティック。醸造の教科書に出てくる古典的な醸造所を再現したような枯れた風情で、こちらもいろいろと醸造家的煩悩(笑)を刺激される。ううむ。煩悩丸出しですみません(笑)。


「行こうみんな。お祭りの始まりだ」

 まるごと1冊ビール屋の夢、『もやしもん』8巻のクライマックスは葵がリーダーシップをとって実現させた某農大オクトーバーフェスト! 連載中に全国の地ビールに協力を募り、かのうファーム以外は実在の地ビールのブランドがずらりと並び、本場ドイツさながらの山車とバイエルンの民族衣装でパレードする様は著者独特の緻密な描き込みも相まって圧巻の一語。樹教授と亜矢の暗躍?で大手5社(含オリオン)も参戦した夢のお祭りには、ページを繰っていて思わず目頭が熱くなった。

 葵がお祭りを企画するきっかけは本場ドイツのオクトーバーフェストの写真なのだが…

「こんなに人が写ってるのに、
みんな……笑ってる………
これがビールの力って、武藤さんが……?
あたし……あたしのビールにもこんな力が……?」

 「ビールとは何か?」という命題に8巻の物語を通して葵が出した答えは「笑顔が最も似合う飲み物」。加納はなに思いっきり感情移入して読んでいたので、このラストでは涙腺決壊。ビール醸造家のはしくれとして、自分が世に送り出しているビール(や、ビール、の、ようなもの)にも、そんな力が宿っていてほしい、と、思う。

 因みに、2012年に東京ドームで開催されたオクトーバーフェストでは、某国内クラフトビールとコラボした「もやしもん超インディア・ペール・エール」が提供されたりもしていたのだが、そんな2012年は一部では「クラフトビール元年」ともいわれているらしい。『もやしもん』8巻の刊行は2009年だが、ちょうどその頃から、首都圏を中心に世界のクラフトビールを集めて飲ませる新しいタイプのビアパブが増えつつある。ちょっと変わったビールを世に問うクラフトビールのメッカはやはりアメリカだが、国内でもその流れを取り入れ、「クラフトビール」を自負する醸造所が前述のビアパブとタッグを組むようにして台頭しつつある。世界のビール業界紙でもそんな日本のブームが「『地ビール』からクラフトビールへ」として紹介されたりもしている。本職の立場からだけでなく、一介のビール好きとしても気になる流れである。

 そういえば、とある学会の懇親会で加納はなに憧れてクラフトビールへの就職を志望して実現させてしまった、という女子大生とお話ししたことがある。そんな8巻に限らず『もやしもん』が世に及ぼした影響は大きく、小学生の頃から愛読して農学部を志望する中高生も地味に増えつつあるようで、たこいも昔のSFファン仲間の娘さん(当時中学生)を相手に農学部出身者として進路相談のようなお話をしたこともある。

 そんな自分はどうしてビール会社に入ってしまったのか? 前述の恩師の強い推薦だったのだが、そもそも東北大学を志望した理由は「東北大SF研に入りたい」という学究的にはいささか不純な動機(笑)で、バイオ系に興味があったので志望は農芸化学にした、くらいの軽い気持ちだったと思う。人生は何がどうなるか本当にわからないものだと思うが、そんな自分のSFファン活動への憧れの根っことして、SF作家仲間がバカ話で盛り上がっているエピソードの多い星新一のエッセイを中学時代に読んだことも、多少は刷り込みになっていたのかもしれない。

 と、話がちょうど星新一に戻ってふりだしに戻る? おあとがよろしいようで(笑)。


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