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第41回 “ぼくを月までつれて行って”
 掲載誌 糸納豆EXPRESS Vol.16. No.1.(通巻第31号)
 編集/発行 たこいきおし/蛸井潔
 発行日 1998/8/29


 どうも。最近公私ともにハードなことが多く消耗し切ってます。「大丈夫?」と聞かれて空元気のひとつも返せずに「大丈夫じゃない」とストレートに返してしまうくらい疲れてます(笑)。

 ともあれ、そんなこととは何の関係もなく、今回のテーマは“ぼくを月までつれていって”ということでいってみよう。

「君は…
 もし被告人に有罪が言い渡されたなら良心に恥じる事なく“正義が行なわれた”と言いきれますか?」
「“汝裁くなかれ”と戒める本に手を置き、裁きのため真実の証言を誓う事と同程度の妥当性を感じます」

 この見事なまでに斜に構え切った台詞は三原順『はみだしっ子』ラスト・エピソード「つれて行って」において、主人公のグレアムが自分の関係した裁判の席上で言い放ったもの。この台詞に代表されるような、グレアムやアンジーの口をついて出るシニカルでさまざまな解釈を許す独特のレトリックが一世を風靡したのはもう15年以上も前の話。

 『はみだしっ子』のメイン・キャラクター4人グレアム、アンジー、サーニン、マックスはそれぞれの事情で親から捨てられた/あるいは親に反発している子供たちであり、『はみだしっ子』というマンガは、その彼らが文字どおり社会から「はみだし」た生活を送る中で、自分の存在意義を見出そうとそれぞれに苦悩する姿をじっくりと描き込んだ作品である。


 パパは並はずれてわがままなんだ!!
 いつだってすぐひどく暴力的になって!!
 そして僕はいつもおびえて…!!
 なのになぜだ? エイダに逃げろと言われた時僕は逃げたくないと思った。
 逃げたくないと……

 グレアムの父親は高名なピアニストだが、ピアノ以外のことに価値を認めない強権的・高圧的な人間で、グレアムの母は耐えきれずに他の男と家を出てしまい、グレアムは叔母の手で育てられた。やさしいが病弱だった叔母の死をきっかけにグレアムは家を出るが、父親の存在は常にグレアムの心の上に重く横たわっている。

 アンジーはとある女優の私生児だが、アンジーの母はアンジーより自分の女優としての成功を選択し、アンジーを捨てた。

 サーニンの母親は冷え切った夫婦関係に耐えられず精神に変調をきたしサーニンを愛することなく世を去った。母親の死後、サーニンは実の父親からも疎まれ、薄暗い地下室にずっと幽閉されていた。

 マックスは実の父親の手で首を絞められ、殺されそうになった経験がある。

 彼らは4人とも親から愛されず、また自分の価値を認めてもらえなかった子供たちであり、放浪の中出会い、4人寄り添うことによって、初めて「愛情」を手に入れ、自分たちの価値を自分たちで認めていくことが出きるようになった。

 逃げちゃだめだ……
 逃げちゃだめだ……
 逃げちゃ、だめだ!!

 さて、今回は実は、よくも悪くもTVアニメとしては近年最大の話題作である『新世紀エヴァンゲリオン』の話だったりする。

 今までの日本のアニメの中では飛び抜けて異質といっていい『エヴァ』であるが、もっとも異質なのはそのテーマ的側面であろう。

 『エヴァ』の主要な登場人物たちの中にはただの一人として幸せな家庭環境で健やかに育った人間がいないのである。そして、その彼らが謎めいた敵との戦いの中で精神的にどんどん追い詰められ、独特のムードを持つとはいえ一応はロボットアニメとして進行していたシリーズは後半に到り急速に内省的な私小説的アニメの色彩を濃くしてゆく。

 主人公碇シンジは幼い頃に父親碇ゲンドウから「いらない人間」として見捨てられて、自分の価値を見出すことができないまま周囲の流れに逆らわないようにして表面的には平穏な生活を送っていたが、14歳になったある日、父親に強引に呼び出され得体のしれない「エヴァンゲリオン」初号機を操縦し正体のわからない敵「使徒」と戦うことを命じられる。

 「エヴァ」に乗り次々と「使徒」を倒し周囲から必要とされることによって、自閉症的な状態から徐々に精神的成長を果たしていくシンジは、しかし時に、「エヴァ」に乗るという行為の中にしか自分の価値を認められないという事実を振り返らざるを得ない。

 「エヴァ」弐号機パイロット惣流・アスカ・ラングレーは、発狂した母親に自分の存在を認識してもらえないばかりか、殺されかかった経験を持つ。幼い頃に親に依存することができなかったため、異常なまでに自立心の強いアスカもまた、「エヴァ」の操縦に自分の価値をかけている(ただしそれはシンジよりはるかに積極的な姿勢ではある)。


 例えば、前ページに示したキャラクターたちの境遇の中で、シンジとグレアム、アスカとサーニン、マックスは、偶然にしてはできすぎたほど良く似ている、と思う。もっとも、『エヴァ』をめぐっての監督・庵野秀明に対するインタビューにそれらしい話が出てきたことはないので、ここは一応、単なる偶然と解釈しておくことにする。

 しかし偶然にしても、徹底的に内省的なテーマ、そのテーマを扱うために物語の中でキャラクターを精神的に追い詰めていくという方法論が非常に類似していることはいえると思う。

「“よくやった事の報酬はそれをやったって事だけ”さ…」

 またしてもシニカルで意味深なこの台詞は『はみだしっ子』の中でもけっこうキーとなるエピソード「カッコーの鳴く森」より。

 4人組が気晴らしに参加したピクニックでサーニンは自分の殻に固く心を閉ざして世界との関わりを拒む一人の少女と出会い、興味を惹かれ、自分に対して心を開いてもらおうと献身的な努力をする。その努力が実りかけたかと思われたとき、サーニンの干渉を嫌った少女の保護者の手により少女はサーニンの前から姿を消す。

 そのサーニンの行動を評して、アンジーが述べた感想がこの台詞であるが、冒頭でとりあげたグレアムの台詞と同様の三原順独特のレトリックを味わうことができる。

 『はみだしっ子』は、一時期カルトといっていいほど熱狂的にマンガ・ファンの間で取り沙汰された作品であるが、その一因としては、4人組のキャラクター的な魅力もさることながら、作品の持つ独特の哲学的でシニカルな雰囲気、丹念に用意周到に積み重ねられていくエピソードとそこかしこにちりばめられた意味深な台詞群による、読者の解釈の自由を許し読者の思考を知的迷宮に誘い込むような作品構造が第一にあげられるのではないかと思う。

「死海文書にない事件も起こる。老人たちにはいい薬だよ」

 『エヴァ』の作品世界は聖書〜聖書外典などをモチーフとした謎めいたものである。西暦2000年にセカンド・インパクトと呼ばれる全地球的災害により壊滅寸前まで追い込まれた人類。2014年、気候的にも地理的にも変わり果ててしまった世界でなんとか復興を遂げつつある人類のもとへ「使徒」と呼ばれる異形の敵が襲来する。しかし、人類側にはその「使徒」に対抗するべく組織されたネルフとネルフが開発した巨大人造人間エヴァンゲリオンがあった……。

 このような設定の下、使徒の襲来目的とセカンド・インパクトの真相、ネルフがゼーレと呼ばれる地下組織とくんで極秘裏に進めているらしい人類補完計画など、次々と提示される多層構造的な謎と、その謎を解くかと思わせてまた新たな謎を提示するような意味深な台詞群……。

 さきには『はみだしっ子』と『エヴァ』の内省的なテーマ性の類似を指摘したのだが、多層的・暗示的な作品構造に対するファンの側の姿勢、そのカルト的な盛り上がりといった点にもまた類似があるように思われる。

 これらの類似は、自分の作品に対する完全主義的なのめり込み方とそこから生まれる作品の多義的な解釈を可能とする作り込まれた構造、およそ解答があるとは思えない心の問題のテーマに対する追及姿勢など、『エヴァ』監督庵野秀明と、『はみだしっ子』作者三原順のクリエイターとしての体質の類似から来るものではないかという気がしている。


「“支持した事の報酬はそれを支持したって事だけ”さ…」

 ……と、前ページでとりあげたのとそっくりなこのフレーズは、『はみだしっ子』本編に登場するものではない。花とゆめ誌上における『はみだしっ子』の連載が最終回を迎えた後、マンガ情報誌(確か「ぱふ」だったと思うが)に掲載されたレビュウの中の一節である。この意味深な(笑)フレーズに象徴されるように、『はみだしっ子』はファンの大部分にとっては割り切れない形で結末を迎えた。その『はみだしっ子』ラスト・エピソード「つれて行って」はこんな話である。

 とある医師夫妻の養子となり、「家族」としての新しい生活を始めた4人組。ある日最年少のマックスはたちの悪い不良グループと対立し、その過程でグレアムが相手方のボス格の少年に腹を刺されてしまう。やがて始まる裁判。被告側についた優秀な弁護士はそのテクニックを十二分に駆使し、マックスの友人たちの証言を無効化し、陪審員の心証を有利なものとしていく。グレアムは一発逆転を狙い、被告の少年がもう一度傷害事件を起こすように罠を仕掛ける。自らの身を囮として……。

 裁判では本来黒のはずのものも白となりうる。しかし黒と黒とするために裏で策を弄した自分の行為は正当化されうるのか。グレアムはまた、4人組が放浪を続ける過程で人を一人殺してしまっていることの罪悪感にもさいなまれている。グレアムの心は次第に出口のない迷宮へと陥っていく。

 そんなグレアムの心の迷宮を見守っていたファンは見事な肩すかしを喰った。三原順はそこまで描いてきた心の問題をほとんど棚上げにするような形で『はみだしっ子』に終止符を打ってしまったのである。その問題放棄とも思考停止とも思える唐突な終わり方に裏切られた印象を持ったファンは多かった。

 つまり…「はみだしっ子」というのはこういうお話だったんですよ。

 こちらは連載終了後に発表された『はみだしっ子』番外編「オクトパス・ガーデン」よりの引用。『はみだしっ子』はもともと本編とは毛色の異なる寓話風の番外編の多いシリーズでもあったが、この「オクトパス〜」はその寓話的スタイルで『はみだしっ子』本編のストーリーそのものを語り直す、という内容になっている。作者本人が深刻な本編の内容を皮肉っぽく茶化したこの番外編は、白泉社文庫版では全巻のラストに収録されている。

 しかし、自作のテーマすら飄々とパロディしてみせる三原順の姿勢はそもそも『はみだしっ子』の根底にも流れていたものではなかったか?

 さて、さんざん物議を醸した『エヴァ』第25、26話だが、要するにあの2話は、本来の最終回よりも前に発表されてしまった「つまり『エヴァ』というのはこういうお話だったんですよ」的番外編と解釈することができる(笑)。

 番外編が本編より先に世に出てしまったこのと是非については、まあいろいろあるのではあるが、これまたアナロジー的に予想を立てるならば、現在制作中の新25、26話をもってしても『エヴァ』の物語中にちりばめられた多層的な謎は解かれることはなく、またファンの間に物議を醸すことは目に見えている、ような気がする(笑)。

 とはいえ、「“支持したことの報酬はそれを支持したってことだけ”」という言葉は、「“支持した”という報酬」が小さかった場合には絶対出ては来ない言葉である。少なくとも僕は、既にけっこうな報酬を得たつもりではいるのだが……(笑)。


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