天武天皇陵
Ancient tomb of the Emperor Tenmu
天武天皇の歌で最も有名なのは、額田王への返歌、「むらさきのにほへる妹を憎くあらば人づまゆゑに吾恋ひめやも」(万葉集巻一 21)だが、隣りで眠る奥様にはあまり聞かせたくはないと思う。
ところで、686年の天皇崩御のときの皇后の挽歌三首のうちの一つは、「向南山(きたやま)にたなびく雲の青雲の星離りゆき月も離りて」(巻二 161)で、この歌は作家の杉本苑子さんには、「沈潜した、静かな彼女の外貌を髣髴させるような一首です。夜空を翔け去ってゆく魂魄へ、じっと眸を凝らしている彼女の青白い横顔には、暗い、妖しいロマンティシズムがただよっています。」(「万葉の女性歌人たち」)と語っている。
確かに、哀しみに耐えかねた人の作った歌ではない。壬申の乱を共に戦った同志への哀悼の歌という感じがする。翌月には草壁皇子のライバルの大津皇子が葬られたことを思えば、挽歌でありながら彼女の静かな決意を詠んだ歌とも言える。
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