The Conti入院g Story of Bungalow Bill 第3章

入院前退院後][表紙BOTTOM
 2015.3/30(月)   89 

【動悸の浮木,胡乱げの】

この冬は莫迦にちんこが縮こまるなあと訝ってはいたのである。外から帰ってトイレに坐り,見ればほとんど埋没している。振りかえって思うにこれが浮腫の始まりだったのだ。今年になって妙に息切れが早かったり動悸がつらかったりし,通勤するにも非常にゆっくりとしか歩けない。今月は足や顔がむくんでぱんぱんに腫れあがった。バレバレである。ちょっともう社会的にまづいかなと観念して近所の大きめのお医者を受けたのが先の土曜日のことだった。

動悸とむくみの線で受診したら,検尿と胸部レントゲン・心電図をとって尿蛋白と胸水でアウト。血液検査の結果を聞きに月曜日おいでというのでその日は帰る。ここで点滴や投薬といった治療行為のないのは手後れなのか様子見する程度には軽いのか。1年前に生じた帯状疱疹の血液検査では異状なかったんだけどねえ。


んできょうになってますますやばい感を以て行くに,腎臓が悪そうだからもう専門内科に行きなさいと紹介状をくれ,おれの重篤度を鑑みたのであろう,**病院の緊急外来へ電話までしてくれてすぐに診てもらえと送りだされた。いったんウチへ帰ることもせずタクシーを拾って乗りつけ,苦しい息のもと診療申込兼同意書を書き,処置室に招じられて心電図を取られ,うまいこと動悸のピークを迎えて255拍/分をマークした。う・わ・あという雰囲気のなか簡易ベッドの上で服を脱がされて術着を着せられ,何とかいうクスリ(副作用として気分が悪くなる)で動悸を鎮めんとて1発で効かず2発を入れて――このへん勘違いあるかも――ようよう収まり,こいつはすげえというので即日入院となったのである。寝たまま超音波診断とレントゲンを撮り,胆石がごろごろあると知らされる。ここまでウチを出てから2時間かそこらの出来事であった。

このときの動悸はキビしいがお馴染みであり,安静にして数分で引っこむものなのでおれ的にはまだ余裕があったのだが,250も打ってて受け答えをする人を初めて見たとお医者に呆れられたのだった。どうも200越えたら失神しておかしくはないらしいん。

ストレッチャで運ばれて救急病棟へ。6人部屋を4人で使う感じ(大きな救命機材が出入りするからだろう)。懐かしの点滴ルートが右腕に穿たれ,鼻酸素3L/分。病衣借用申請書と入院誓約書兼保証書を書き,入院診療計画書と看護計画説明同意書に署名する。当然のようにケータイは使用禁止であり,看護婦さんのPHSをお借りして院内交換台経由で仕事場と実家に連絡する。もうウチに帰れないと言うよりベッドから降りられないから,院内の売店から日用品としてのパンツ(使い捨て)・箱ティシュー・歯ブラシ・コップを看護助手さんに買ってきていただく。箸は毎度給食に附いてくるそうだ(食中毒対策だろう)。

おれの疾病歴から痰を採るように言われたが――アスペルギルスが居ないか調べたいそうである――よっぽど風邪ひくか風呂にのぼせたときしか出ないのよ(結局とれないまま退院しちゃった)。

夕刻甘木さんが来てくださって,当面おれはばっくれることに。体調不良が露顕しつつあった2月辺りにおれが病院に行ったら即入になると思いますよと言っていたのを実現してしまい,まことに申しわけない。

きょうは絶食だそうで,点滴での給水のみ。自然排泄で浮腫を取る。排尿200cc(溲瓶)・体温37.3℃。消灯は21時半。夜中に排尿100cc。

 2015.3/31(火)   90 

【坊さんカンザスシティー見た】

胸と腹に電極パッドが貼られて24時間心拍を計測しっぱなしである。乱れれば警報が鳴る。指先の毛細血管の酸素量を計るセンサも24時間はさみっぱなしである。低いと警報が鳴る。ベッドサイドの計測器とナースセンタのモニタとがピヨピヨ言うのが高頻度で聞こえるのであった。寝返りを打ってパッドが取れたりして,それでも鳴る。そりゃそうですナ。

きのうクスリでムリヤリ下げたあとは,120拍/分でずっと安定している。安定ったって,通常安静時の脈拍は60拍ていどなんだから,常に休みなく倍打っているわけで言わばおれは小走りしながら暮らしている。ただし苦痛はない。血圧が正常なせいだろう。

起床は6時半。排尿150cc。採血される。血圧や体温の測定は日に繰りかえし何度もおこなわれる。点滴は間断なく続いている。

7時半に朝食で,おれのはいわゆるひとつの減塩食の半量コースだ。ごはんと一汁一菜+牛乳180ccにお茶120cc。ジツにおいしい。毎食後の歯磨きと漱ぎはコップ1杯の水でベースンに吐く。

9時に清拭があって紙パンツを穿きかえる。車椅子を押してもらってレントゲンを撮る。尿の出があまりによろしくないため利尿剤(ラシックス)を投入。今回初の頓服薬である。

お昼ごはんが白身フライ(唐揚げサイズ)と炒り玉子。ジツにおいしい。

12時排尿300cc。13時排尿300cc,50分に300cc。14時40分に200cc。15時半150cc。18時300cc。20時半110cc。

15時にまた心臓エコーと心電図を採りに行き,帰りの車椅子でトイレに寄らせてもらう。便秘でほとんど出なかった。

18時の夕飯は鋤焼きとモヤシサラダ。ジツにおいしい。ファミレスなんかで減塩給食セットをまじめにやればヒットすると思うがなあ。

食後の排尿で溲瓶をつかうのにパンツを下ろしたら動悸が始まって例の255拍/分を再現してしまった。幸いじきに収まったが,大きな動作+おしも全裸の羞恥はトリガになりやすいのか150-180拍/分へは容易に達する。いかんいかんと寝そべると120拍に戻る。いやあ難儀難儀。

枕頭台には15"のテレビ(AQUOS)がある。売店でプリペイドカードとイヤホンを買ってくるタイプだ。ジョジョはちょっと観たい気もするが,おれが自分で売店に行けるわけじゃないから止めておこう。ケータイは[超省電力]モードにして引出に封印(使用禁止だし充電の手段がないから諦めたのだ)。娯楽は専ら SonyReader で,これはいちおう現物を見せて使用許可を貰った。

記録は紙のメモ帳にシャーペンでつけている。ここで今回一番の大失策が腕時計をしてこなかったことで,実のところ文中の時間はかなりあやふやだ。Readerの時計を何ステップも掛けて見るか,心電図モニタに小さく出ている時刻表示を頼りにするしかなかったのだ。

入院(アーンド遺言)テキスト格納キットとして買っておいた初代ポメラDM10は,この入院には持ちこめていない。受診前から予期しなくもなかったのでReaderと一所にポケットに入れておく手はあった。だがしかし,しばらく前から天板とキートップ以外のゴム引き筐体が加水分解してべっとべとになっており,全然まったくちっとも永遠にさわりたくない。黴びた鏡餅より嫌ー。カネ返してもらいたいレヴェル。なので使用自体を諦めてウチでもお蔵入りという情況だったんだった。

 2015.4/1(水)   91 

【尿道いれる一本】

先週来悪夢ばかり見てい,それで興奮して心拍数の上がる気がしなくはない。

4時半排尿100cc。6時前から採血・血圧測定。

看護婦さんが体重計を持ってきてくれて乗ったら着衣で79.5kg。3日前自宅で全裸測定した生涯最高ウェイト81kgが無事おりかえし点になったようだ。やれやれだぜ。

朝ごはんは玉子焼きと牛乳。割りと簡単に150拍/分こえてしまい,パンツを脱ぐと危険なのが顕われてとうとう尿道カテーテルを入れられる羽目になる。わあん。

おれの治療方針は月曜日から決まっており,きょうはその前準備で経食道心臓超音波検査というのをやる。肺が邪魔でエコーを撮りにくい心臓の右側面を,食道の壁を透かして診ようという特撮操演みたいな処置である。イメージしやすいのはやはり胃カメラで,カメラの代わりに発振器が附いているのを胃まで下ろさず心臓の隣で使うという。そも目的は,心室に血栓(の元)が漂ってないか調べておこうというものだ。そんなのが流れだすと脳梗塞や肺塞栓を引きおこしかねないから,俄然あつかいが難しくなるのである。

きょうは昼食なし。尿カテをぶら下げて車椅子でトイレに連れていってもらったが便秘でほぼ空振りであった。

15時にレントゲンを撮り,帰りのトイレでまた空振り。

さて16時半。おれは胃カメラを飲んだことはないが,より困難な気管支鏡を何度もやっているから怖くない。喉にうがいとスプレーの麻酔をしてマウスピースを咥え,横臥しているだけである。鎮静剤を併用しておれは横になってすぐ寝てしまったようで,ジツは器械を飲みこんだ記憶がまったくない。検査も終わり頃にハッと目が覚めてビクリとし,あ・動かないでねとお医者に注意される始末であった。時間にして30分ほどか。物足りないくらい何ゴトもなかった(いや,それでいい)。

18時の夕飯は焼き鮭とガンモドキ・大根サラダ。喉麻酔が退いて誤嚥しないか確かめてからの食事となる。

睡眠導入剤を貰えそうなので貰って飲んだ。効くなあ。

 2015.4/2(木)   92 

【カテーテルな奥様】

5時半採血。体温37℃。脈拍は依然120拍/分をキープしている。外部から何らかのコントロールをするでなく,自然にこうなっている。不思議っちや不思議だ。

朝ごはんはおでんダネ的な練り物と牛乳。普段から盛りの小さいのがけさは更に半量である,何故か。

さてはや入院4日目であるがきょうがメーンエベント・今週のハイライトの日なんである。経皮的カテーテル心筋焼灼術をやるのだ。通称アブレーションである。右脚の付け根から静脈を通じて右心房までカテーテルを挿しこみ,よけいな鼓動の命令を発している心筋細胞を電気鏝(50℃)で焼いて黙らせるという破壊的なテクニックだ。つまりおれの動悸は「心房粗動」によるものと診断されているのであった。

心房粗動は,通常の拍動を制御するルートの外に心房内に回廊のような電導回路ができてしまい,その永久ループ_パルスを拾って毎分数百回の収縮(もはやブルブル震えている状態)が発生するというものらしい。そして本来のコントローラは休眠してしまう。したがってアブレーションで回廊回路を破壊したまではよかったが本来の拍動制御機構が再起動しないなんてケースがあり得,そこで登場するのがケータイを仇敵と見做す「ペースメイカ」なのだそうである。ははあ,なるほど。おれもそうなる可能性があるっつうことですナ。

そもそもおれの悩みは動悸とむくみであった。むくんでいるのは要は水分が排泄されないからで,心臓の周りや胸腔内にずいぶん水が溜まっているらしい。それで心臓が圧迫されて不整脈を起こすし血圧が下がって循環されないしという感じ? いわゆるひとつの負のスパイラルなのかしらね。

入院して足の浮腫はずいぶん取れている。何しろ指と指のあいだに隙間がある。もっとも看護師さんが毎朝みてくれるぶんにはけっこう腫れて映るようだ。

カテーテルの出発地点の場所が場所だけに剃毛をする。ヘルニアのときは安全剃刀と石鹸でチョリチョリやってもらえたが,今回は電動の体毛シェイヴァでバリバリンと簡便に終わった(ここはきのうのできごと)。そういうんならおれは普段から陰部は剃りあげていて,でも悔しいことに伸ばしきった状態で入院することになってしまっていた。4月に刈ろうと思ってたんだよう。

9時の清拭で紙パンツから丁字帯に穿きかえる。丁字帯はきのう買ってきてもらったもの(自腹)。尿道カテーテルもアブレーションの準備メニューに入っており,どのみち挿れられる運命だったのだなあ。

10時定例のシーツ交換。お昼ごはんはナシ。左腕に新しい点滴ルートが設営された。

そして14時半に術式開始,なんだけど朦朧としててジツは何だかわからない。局所麻酔は右脚の切開部だけで,術中はお医者と楽しく会話しながら自分語りをするハズだったん。しかし憶えているのは,ハツを焼かれるたびに帯状の痛みの塊が3D映画のように胸郭をはみだして展開し思わずハウーンと声が出るというシークエンスを5・6回くりかえしたような気がした,それだけである。あ,静脈カテーテルを抜きさるときとお医者が鼠径部を止血するのが痛かったのは何となく。そんなんで所要時間は記録できなかった。

夕飯は寝たまま食べられるようにおにぎりとコロッケ。お茶は吸い飲み。ちなみに給食は1時間ていどで食べきれなければ廃棄だそうである(取り置き不可)。

20時には術後の拘束が解除され,寝返り自由ただしベッドから降りてはならぬ。

 2015.4/3(金)   93 

【止瀉の大便じゃ】(ごめん)

入院生活が快適か否かはある一点で決定してしまう。それは排便をどこでするかだ。最悪なのが大部屋のベッドの上でトレイに出して看護師に始末してもらうこと。おしっこは溲瓶でも尿カテーテルでも問題にならない。しかし大便はな……,個室ならマシだがな……。フランスベッドがおまる附き消臭ベッドを開発しないのは怠慢だよね。臭いさえ封じこめればいいちやいいんだが。

きのうの焼灼術から移動禁止なので,便意が来たらおれがその状態になる。まぁひと晩くらい持たせる自信はあったが,それなりに侵襲の強い処置だし安静度は水ものだからね。

6時前から血圧と心電図採り。頭痛がするのでロキソニンを貰った。

朝ごはんは炒り玉子と切干し大根+牛乳。病院食は余さず食べている。ジツにおいしい。

9時に清拭。術着から入院着に着替え。丁字帯は二度と穿くこともあるまいと処分してもらった。尿道カテーテルを抜いて,やれやれ,ベッドに縛られる危険は去ったよ。

9時半の胸部レントゲンは車椅子で連れていってもらう。頑固に胸水が溜まっている。水捌けが悪いので利尿剤を再投入し,点滴の給水も再開する。

ふと気がつくと,心拍数が80拍/分辺りに減っている。このあと24時間心電計はディスプレイ附きのモニタでなくてポケッタブルなトランスミッタに接続されるようになったため,数字がわかるのはナースセンタにある監視装置だけになった。

お昼ごはんは金曜カレー(ドライ)に海老サラダ・ヨーグルト。

13時,歩いてトイレに行っていいと言われて点滴キャリアをがらがら引きながら籠ってみる。便秘気味でも少しは出る……入力が少ないせいかも。蓄尿再開でまづは100cc。

右腕の入院時うがたれた点滴ルートを撤去。

16時に病室でエコー撮り。心臓周りの水は退いたようだが,肺の水が減ってないそうだ。現状おれは循環器科所属なのだが,このままでは呼吸器内科も掛けもちせねばならぬやもしれぬ。腎臓や肝臓の成績は悪くないそうである。糖尿の指摘くらいあるかと怖れていたのだけれどもそれもない。意外!おれは案外健康!!

右心房は小さいが,左心房はやや拡大傾向かもしれない。

鼻酸素解除。体重78kg。

晩ごはんは鰆の餡掛けと玉子焼き・芋と林檎のサラダ。

甘木さんが見舞いに来てくださった。図図しくもウチの様子を見にいっていただくようお願いする。具体的には(火曜の朝の予約オン以降)点けっぱなしなハズのエアコンやPCの電源カットと火の元用心。もっともストーブなんか消しわすれてたらとっくに灰になってるだろうが。

20時にトイレ。100cc。

 2015.4/4(土)   94 

【排尿残りーダ】

夜中急患があった。

おれのほうは相変わらず悪夢ばかり見ている。と,モニタの成績が落ちたのか鼻酸素(2L/分)を再開させられた。うへえ,これはまづい。酸素ボンベを引きまわす生活は勘弁してもらいたいが……。

6時半採血。体重76.6kg。排尿200cc。

朝ごはんは肉じゃがと味付け海苔・牛乳。

鼻酸素停止。やれやれ。おれはどうも無呼吸睡眠?をしてしまうらしい。あ,それ故の悪夢なのかもしれん。

9時清拭。積極的に歩いてみるよう指示されたので点滴しながらデイルームなんぞへ行ってみる。ところがトイレが忙しく,10時排尿250cc・11時200cc・11時半300cc・11時50分300cc。

昼ごはんは焼き鮭と蕪と蜜柑。すぐ排尿450cc。

13時体温37℃できょうは微熱の日。どっか炎症してるかな。13時半排尿350cc。14時200cc。

15時半,甘木さん来。深謝。

晩ごはんは鶏照焼きと揚げ豆腐。熱っぽいので氷枕(冷やしゲル)を貰った。

37.3℃。排尿250cc。

 2015.4/5(日)   95 

【尿してそんなにきれいになるの】

1時半にトイレ,250cc。6時半にトイレ,250cc。いやもうめっちゃめちゃにおしっこが出ていく。もう蓄尿(計量)しなくていいそうである。体重74.4kg。

朝ごはんは筑前煮とおひたしと牛乳。

9時排尿250cc。清拭。10時から最後の点滴。

右鼠径部の圧迫絆創膏が忍が股間に貼るようなサビオふうのになった。傷口は完全に塞がっている。1週間は風呂に浸からずシャワーにすべしとのこと。

で,焼灼術後どうなのよと言えば,おれ的には左胸がヒクヒクっと不整脈きたーッて感じに頻ぴんとなるのである。だがしかしモニタの波形は変化ないらしくて問題視されない。うーん。この感覚を気にしないでおくのは少しく訓練が要るだろうなあ。

もうやることがないのであした退院と決まっている。きょうの夕方でもよさげであるが,土日は病院の事務が休みだから各所に変な負荷を掛けそうで遠慮しておく。なるべく給食たべたいしな。

お昼ごはんは炒り玉子に煮付けにネーブル四半果。

ええっ,ここへ来て一般病棟へ転出? いやあした退院……,そりゃま救急病棟は極力あけとくものだろうが……。

何のコトはない救急と一般とは同じ階にあって,間にエアロック的な自動ドアの隔壁があって通行時誰何されるだけである。おれの移籍もベッドごと運ばれていくのであり,荷物も枕頭台に入れたなりまるごと交換されたのだった。一般のほうは6人部屋だが先客はひとりきりで,救急の病室に3人居たのより少ない。で,最後の夜だけベッドが窓際で夜景をたのしめることになったんだった。

晩ごはんは鰆と小芋,切干し大根。一般病棟では歯磨きのベースンを持ってきてはくれないようだ。

19時,蓄尿はしないがトイレに通う。体温36.9℃はビミョーだな。

23時,最後の点滴が終了し,左腕の点滴ルートが撤去される。ああ,あとおれの体にぶら下がるのは24時間心電計の電極3本だけなのだ。トイレがたいへん身軽である。

 2015.4/6(月)   96 

【いま腫れが退いてきみはきれいになった】

7時トイレ。体重73kgは均せばちょうど1日1kgの減量である。皆みな小便で流れたのだと思うと感慨深い。結局のところ水が溜まって患いつき,その水を抜いて癒しを得たという数箇月であったのか。

最後のごはんはおでんとシラス大根と牛乳。9時半に最後の清拭。

9時50分,心電計の電極を取りさり,最後のレントゲンへ車椅子で連れていってもらう。懸念の胸水はだいぶん減っていたそうである。ほうほう。病室に戻って着替えに掛かる。

10時半に病室を出る。お世話になりました。

帰り際に会計である。ちょうどまる1週間の入院であるが日数的には8日間。自己負担額で20万くらいかなーと皮算用していたらとんでもない。3月の2日間にして**k円であり,4月の6日間は***k円なんだった。どっひゃー。心臓は高いなあ(そりゃそうかー)。4月分は健康保険限度額認定証を区役所に貰ってから精算してもらうことにして,きょうは3月分だけクレジットカードで支払った(ふだん持ち歩く現金の額じゃない)。

公衆電話からあちこちに退院をお知らせする。

病院敷地内の喫茶店でモンブランセットを食べながら優雅にひと休み。けっこう不整脈のヒクヒクを感じている。

お昼の給食たべたかったなあ。おれはこれから何を食べればいいのだろう。

外を歩くのは怖いので正面玄関の乗り場からタクシーで帰る。ぴったり1000円だったのは幸先よろしい(そうかあ?)。

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